執筆者U

2017年9月24日 (日)

荷物35列車の浜松機

EF58が重連で15両ほどの客車を牽く荷物35列車は品川駅によく撮りに行った。EF58を全機撮ろうとしていた時代。そのために両数の多い宮原と浜松所属機を撮るのに都合が良かった。なにしろ品川駅で30分近く停車し、その間に隅田川貨物からEF15が引っ張ってくる2935列車の客車を連結するため、汐留から入線する荷35列車は機関車をいったん切り離すから、前後の機関車を撮ることができる。おまけに2両ともパンタグラフが上がっているのは好都合だった。

もちろん前の機関車(宮原区所属機)が大窓43、47、53号機であるのがベストだが、実は次位の浜松機にはトップナンバーほか、若番の2、3、4、5号機と、お召し予備機だった茶色の60号機が入ることもあるのだから、それもまた魅力だ。
また、発車するまで10分程度、お隣に米原機関区のEF65500番台が牽く貨物と並ぶという「おまけ」もあって、これもまたありがたい。ここで荷35列車を52回ほど記録し、両区の機関車をかなり撮影することができた。

その反面、番号つぶしに執着したため、例えば根府川などで走行写真を撮らず終いだった。個人的には有名地で撮ることはアリバイ的な記録にしかすぎず、全くもって後悔はしていないが、それよりも今のように長いレンズがあれば東神奈川あたりで撮れたかもしれないなどと考えてしまう。もちろん当時、そんな機材を買う金があろうはずもなければ、あの時代の超望遠レンズの性能など今とは雲泥の差だから非現実な話とは分かっていても、「…たら」「…れば」を考えてしまうのは人の常、仲間の方々も同様だろう。

この列車についてはいずれまた書く機会を持ちたいが、きっとK・Mさんや当時は高校生だったY・Mさんなども思い出深いはず。荷35列車は蒸気機関車現役時代の伯備線2492列車(D51三重連)や1527列車(石北線のC58牽引「大雪」くずれ)のように、列車番号として我々の世代の心に刻まれている。

今回は品川駅で撮影した機関車の付け換えシーン。

(写真、文:U)

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2017年9月22日 (金)

山手貨物線

滅多に貨物列車を見かけることがなくなった山手貨物線。かつては当たり前のようにEF10、12、13、15などの旧型電気機関車が往来していた。中でも約200両が製造されたEF15は新鶴見、東京、高崎、八王子、長岡などに配置され、首都圏ではありふれた機関車だった。高校の同級生にK君というEF15ファンがいて、当時、すでに全機の撮影を完了していたものだから、その影響もあって山手線や中央線などに出向き、そこそこの数を記録できた。EF58同様、この機関車にもさまざまな個体差があって趣味的には面白い。今回は3種の車両。

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「鉄道ファン」誌の交友社がある駒込駅の田端側にあるポイントで1976年12月に捉えた666列車。前が新鶴見、後ろが高崎のEF15。願わくばスノープロー付きの高崎機が前ならもっと魅力的な被写体だっただろう。現在は金網が張られて、こんな風には撮れなくなっているようだ。

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1977年3月18日の新宿で。けっきょくEF13は31両、全て撮影したが、最も早く廃車となった19号機についてはパンタグラフの上がった姿はない。新宿駅の中央線ホームは甲府方面に向かう特急などが発着し、停車する列車は少なく貨物列車のウォッチに適していた。
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新聞(主に夕刊)の配送のために都内周辺を走っていたクモニ13。貨物列車を撮っていると不意に現れるため、形式写真風のカットは新宿駅で撮ったこれが唯一。

いずれも愛用していたオリンパスOM1,2で撮った。小型軽量でデザインに惚れて買ったカメラだが、今でもOM1は手元に残っている。個人的な見方だが、これまで発売された日本の一眼レフの中で最もスタイルの良い製品だったと思うし、それが受け継がれているオリンパスのデジタル一眼は相変わらず魅力的な存在だ。

(写真、文:U)

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2017年9月20日 (水)

久しぶりの鉄道模型店

先日、あるツールを入手しようと大井町の「モデルス・イモン」に行って久しぶりに各社の模型を眺めたら、Nゲージの蒸気機関車の精密度とスタイルが昔に比べて格段に向上していることに驚いた。Nゲージを買ったことはないが、昔の関水金属(いまのカトー)が出していたC50やC11しか知らない自分にとっては驚異的。メーカーもカトーだけではなく種類(形式)も多い。ワールド工芸などはそこそこの価格だが、金属製で北海道・寿都鉄道で活躍していた8100などまで出しているのだからブッたまげた。どんな年齢層に売れるのか興味は尽きないが、ほかにもC53など、蒸気機関車ブームが始まる遥か以前のものまで製品化されるというのだから凄いことだ。とにかくその豊富なディテールは昔、高嶺の花だったカツミの16番製品、シュパーブラインを凌ぐほど。模型店なのに、人間国宝が作った作品を展示している博物館のような有様だ。
もちろんもっと大きな16番やHO製品はさらに凄い。天賞堂の奈良運転所所属のD51や北海道のC57、イモン製のC57などは伝統工芸品的様相。価格も消費税込みで¥400000前後と高級デジタル一眼が買えてしまうプライスタグだが、ここまで作り込む必要があるのかとあきれ返りそうな緻密さ(イモンの製品はそこまでくどすぎず、ほどほどのところで実感的)。絶対数は少ないとは言えメーカーが市販する量産品ととらえれば正気の沙汰ではない。きっと天賞堂の主力は今後、もっと安価なダイキャストやプラ製品に移るのだろうが、そうした中、真鍮製が¥500000に手が届く状況を考えれば、これが最後の精密SLモデルとなる気配すら感じてしまう。
鉄道模型の、特にディテール面の充実ぶりに目を見はったひとときだった。

さて、こちらの関心はその天賞堂から発売予告が出ているC58。これまで同社は真鍮製のC58を3回発売してきたが、次なる製品は秩父鉄道や釜石線で走っている363号機や239号機と現役時代の関東や東北で活躍した5タイプ。その中で心が動いてしまったのが郡山工場式集煙装置を付けた山田線仕様。C58ファンとしても、こんなマニアックなものをよくもまあ売り出すことにしたものだと仰天した。以前、某工房に特製品としてこのタイプを製作していただいたが、メーカーが作るとは思いもよらなかったからこそのオーダーだった。おそらくベテランのSLファンでもこのスタイルのC58を見たことのある人は限られるはず。できれば未塗装で欲しいが、塗装済みでも良いかと検討に入った。

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この夏は多くの方々が嘆くように「カシオペア」の運転日が天候に恵まれなかった。とりわけお召し牽引機のEF8181が充当された日は、わざわざ時間をつくって撮影に訪れた多くのファンを落胆させた。
現段階で11月下旬の秋田行きツアーまで発表されているが、今後は日の入りが早まって下り列車を撮るのも苦しい季節。ヘッドマークなしで回送されることが多い返却も早朝や夕方とあれば、線路がますます遠くなりそう。青森や盛岡付近まで撮影に出向くことも視野に入れなければならないのかも。写真は8月5日撮影。

(写真、文:U)

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2017年9月19日 (火)

DD13あれこれ

いやいや、K・Mさんの記録にはホント、楽しませていただけます。記憶がぶっ飛んでしまっている何十年も前の旅行がつい最近のように思い出せて往時を偲べます。几帳面にデータを取っておくことが今になってますます生きてきているわけで、地道にコツコツやることの大切さがこの年齢になってひしひしと身にしみます。反面、冗談ですが、こういう上司がいたら自分の勤務評定はかなり辛い点を頂戴しそうですね。
などとあれこれ考えながら、彼の思い出話などに刺激され少しだけネガのスキャン作業をしました。昔の写真を見ながらKさん、Hさん、Tさん、Aさんや2人のMさん、Iさん、そして関西の友人たちとの若かりし頃を振り返りながら行うネガの取り込み作業は、以前は苦痛だったのですが、K・Mさんのおかげで今回は楽しく進められたことを報告しておきます。

さて、わずかばかり取り込んだ中から今回は当時、あまり注目されなかった機関車DD13の画像を掲載することとする。ランダムにネガを取り出してスキャンしたら、たまたまこの機関車の画像が続けざまに出てきたため。もちろんEF58やDF50などなど、もっと人気のある車両も山のようにあるが、とてもまだそこまで手を付けられそうにない状況。取りあえず、この地味な機関車の写真を数枚ばかり並べる次第。現像ムラがある写真も今となっては懐かしい。
それにしてもこのDD13という機関車、かつては全国どこへ行っても見かけられたものだが、いつの間にか見られなくなってしまい、最後はどこで消滅したのかすら記憶がない。本命の機関車を撮りに行って、その画面の片隅に写っているというケースがほとんどだが、それでも何枚かは意識して撮影したもの。デジタルカメラがあれば、フィルムの枚数を気にすることなく、もっとたくさん記録できただろうが、学生の分際では湯水のごとくフィルムを消費するわけにはいかなかった。なにしろあの頃はまだ優先して撮影したい車両がたくさん存在した。蒸気機関車現役時代のネガをひっくり返せば、さらに古い時代のものが出てくる可能性もあるが、SL時代の作業はまだまだ先になりそう。

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1977年8月に新津機関区で撮影したDD13329.スノープローを装着したDD13の写真はこれが唯一無二。地味なDD13もスノープローのおかげで厳めしく見え好感が持てる。

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1976年12月に池袋で撮影した1号機。この数日前にも品川で撮影したが、池袋まで出張して入れ替え作業に従事していた。1次型の前照灯が1個のタイプ。

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当時は茅ヶ崎にもDD13が配置されていた。1976年12月撮影。

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わざわざ茅ヶ崎まで行ったのはDD13による客車の疎開があると知ったから。しかし撮影地はろくな場所がなく、線路に架かる橋から撮影したために客車の側面が見えなかった。画面上部の木の枝がうるさい。

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いつだったか忘れてしまったが、たしか1980年暮れではないかと思う。品川の座敷客車が相模線の寒川だか橋本まで入線するというので仲間と行ってはみたものの、やはり良い撮影地が見つからず、こんな場所で妥協した。

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品川機関区配置のDD13は入れ替え作業でこんな場面も見られた。

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1977年8月の新津で。DD13の除雪用として開発されたDD15のトップナンバー。

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新幹線版のDD13。912型とかいう、工事車両の牽引などに使われたもの。

(写真、文:U)

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2017年9月16日 (土)

富士山麓を走る旧型電車

実はそろそろこのブログの容量が限度を迎えそう。もう少しこのまま存続できそうだが、年内から年明けあたりに別途、新たに続編のブログを開設し移転しなけらばならない雲行きだ。今は多くの方が見てくださっているこのブログも、移転した先にまでお越しくださる読者がどれだけいらっしゃるか甚だ疑問。いっそ、それを機に会員制とすることも視野に入れて考えても良いかと思っている。

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紀勢線の画像はまだまだあるものの、キリがないのでいったん中断して以前、リバーサルからスキャンしておいた身延線の電車の写真をアップすることにした。これもまたK・Mさんとご一緒した1980年3月10日の撮影。お目当ては創価学会臨牽引のEF5861だったわけだが、当時はまだ旧型電車も健在で、本番前の肩慣らしに良い練習となった。天気予報などを詳細に調べて出かけた記憶もないが、61号機が充当されることを知って富士山と絡められたらラッキーと軽く考えて訪れてみたら上々の天気に恵まれた。
往路、根府川で下りの回8345列車を撮ってからの現地入りだったわけだが、この日は昼近くなってもご覧のような快晴。雪を頂いた富士山と青空をバックに、上りの8346列車で狙い通りの写真をものにすることができた。買ったばかりのペンタックス6×7を使わずにブロニカで撮ったのは、富士山が見えなかったときにフィルムバックを交換してモノクロフィルム撮影に切り換えるためだった

鉄道車両と名峰や海、あるいは花など花鳥風月を絡めて撮るのは個人的には好まないが富士山だけは別格。単独峰でこれだけ絵になる山はほかにはない。北海道の駒ケ岳や羊蹄山、本州なら磐梯山や岩木山、鳥海山など、列車とともに写った写真を見かけるが、やはりスケールが違う。無粋な自分も富士山が入る撮影地には何度か行ったものだ。ここ身延線・竪堀は富士山との距離が近いこともあって日が高くなっても山が雲に隠れる確率は比較的低いが、東海道線の函南~三島は離れているぶん、早朝からせいぜい10時ごろまででないと富士山が見られなくなってしまうことが多い。後年、その函南~三島でEF5861と富士山の絡みに挑戦したが、竹倉の定点ポイントで絵にするまでに3カ月を要し、その冬はこのブログの仲間たちとしつこく何度も通ったものだ。あの頃、東名・沼津インターを出たところに「秘宝館」という、性風俗に関するさまざまなものを展示している施設があったが、一度は行って見ようと思いつつ、遂に入る機会がなかったことも記憶にある。もっとも、そんなものを見てもドキドキするような年齢を過ぎていたのだが。

ところで、ここ竪堀は鉄道ファン誌に関崇博氏らが写真を発表していて、当時は有名になった場所だが、その後はあまり写真を見かけなくなってしまった。家が建つなどして富士山をバックに入れることができなくなってしまったのだろうか?現状を知る方がいらっしゃれば教えていただきたい。EF5861の写真はだいぶ前にアップしたと思うから今回は電車。スカ色の旧型国電も良いが湘南色も映える。もう、どちらもすでに過去のものになってしまった。

(写真、文:U)

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【ご注意】

アップしてある写真を見ていただく際、画像の上にポインターを持っていって右クリックし、「リンクを新しいウインドウで開く」で見ていただく方が、よりオリジナルに近いクオリティで見ることができます。

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2017年9月13日 (水)

EF58170の「きらめく紀州路」

新宮~亀山でDF50のお別れ運転があった1980年3月は下旬にもう一度、紀勢本線を訪れた。天王寺~新宮の間で運転された「きらめく紀州路」を撮るためだ。今で言う「○○ディストネーション」のような観光キャンペーンの一環で、東京から客車を回送して運転したのだから、その心意気は大したものだった。
しかし本番の列車は白Hゴムの170号機。当時の竜華機関区所属のEF58の中でも最悪の機関車が充当されてしまった。むしろ東京からの回送がEF5861だったものだから、がぜん、そちらの方にファンの注目が集まってしまった。

親戚の家にお世話になってこの「きらめく紀州路」を狙ったが、和歌山近郊では順光になる場所が限られ、ここ黒江~紀三井寺でどうにか撮れそうな場所を見つけた。170号機だと知っていたから、自分としては不本意ながら、編成に架線柱が掛かるようなアングルで妥協したわけだ。ヘッドマークと言うよりも、機関車の番号まで隠れてしまう野暮ったい「看板」が付いていたから、大窓の66号機だったらもっとガッカリしていたかもしれない。

振り返ると紀勢本線は蒸気機関車現役時代からしばしば訪れた路線だが、やはりDF50時代が最も懐かしい。もちろんEF58もそれなりには撮ったが、前照灯のシールドビーム2灯化にはガッカリさせられたものだった。

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その後、「きらめく紀州路」号について運転区間に誤りがあったことが判明した。運転区間は天王寺~新宮ではなく湊町→奈良→亀山→新宮→白浜→和歌山→天王寺でした。記録を確かめずに思い込みで書いてしまい、おわびして訂正します。

なお、詳細は以下の通り。

1980年3月25日発

湊町(現JR難波)22:00→奈良22:52/23:00→伊賀上野23:57/ヨ0:10→亀山1:09/2:19→熊野市5:16/5:35→新宮6:16/10:44→白浜13:44/13:54→和歌山15:44/15:46→天王寺16:42

牽引機は湊町~新宮 (DD511036(亀):EF58と同様のヘッドマーク付き)
      新宮~天王寺(EF58170:3月25日天王寺発の「はやたま」牽引機)

(写真、文:U)

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2017年9月10日 (日)

紀勢本線DF50サヨナラ列車撮影紀行②

やはりK・Mさん、即応してくださいましたね。ありがとうございます。書いてくださるのではないかと期待しておりましたが、おかげさまでずいぶん記憶がよみがえりました。あの日の新宮は朝から酷い雨でしたね。買ったばかりのペンタ6×7を濡らすまいと必死だったことも思い出します。
実は新宮運転区に行ったことも忘れており、記事を見て自分も撮影しているはずだとネガをひっくり返した次第です。同じような写真で恐縮ですが、ほかに数種アップしますのでご笑覧ください。

けっきょく当方のペンタ6×7はその後、就職してからは使う機会が激減してしまいました。原因はご想像通り、35ミリ版超望遠レンズの導入と、機関区などで形式写真が撮れる機会が減ってしまったことです。あのころはあちこちの車両基地に入って撮影することが可能でしたが、それも徐々に制限されるようになって、中判カメラで好きな機関車の止まりを撮ることが困難になってしまいましたね。
ただそれでも、ペンタ購入からわずか1、2年の間にEF58の大窓機の形式写真はそれなりに押さえることができましたから、導入は正解だったのは間違いありません。以前から使っていたウエストレベルファインダーで像が逆になるブロニカよりも遙かに使いやすかったことも事実で、後に像備した300ミリやもう1台のボディとともに今なお、クローゼットに保管しております。
最後に使用したのはおそらく1990年代半ばに関東鉄道でDD502が牽く気動車や、飯田線のED62貨物をリバーサルで撮ったのが「引退試合」だったような気がします。

毎度、K・Mさんの記録にはいつも助けられます。深謝!

(写真、文:U)

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サヨナラ列車の最後部に連結されていたオハフ33のトップナンバー

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2017年9月 7日 (木)

紀勢本線のDF50サヨナラ列車

だいぶ前にスキャンしていながらフィルム現像のミスで硬調な仕上がりになってしまった写真。1980年3月撮影した紀勢本線のDF50サヨナラ列車。数日前に東京・新宿のカメラ店でK・Mさんとともに購入したばかりのアサヒペンタックス6×7で撮ったことを思い出す。どうやって紀勢本線に向かったかを失念してしまったから、いずれK・Mさんに会ったらおたずねしたいが、新宮から亀山間で運転されたこの列車に乗ったことは鮮明に記憶に残っている。新宮駅で販売していた高菜の浅漬けでご飯をくるんだ「めはり寿司」が美味しかったことも印象的。
途中、長く停車する熊野市や尾鷲などで雨の降る中、手持ちで撮影し、先行する列車に乗り換えて多気駅で下車し、ここ櫛田川の鉄橋で走行写真を撮るべくスタンバイした。
先ほどまでの雨が嘘のように上がり、機関車の前面に日が当たらなくなってしまったが、列車に対してこれくらい離れてしまうと、あまり気にはなるまい。それよりも編成の足回りに橋の柵がかかってしまうことに抵抗を感じたものだ。牽引機のDF50は前後ともお召し列車を牽引した機関車で、特に次位の26号機は車体下部の帯がステンレス。どちらかといえば26号機が前の方がファンとしては喜ばしかったが、今となっては大した問題でもなかろう。撮影後、亀山に移動したら機関区は人でいっぱい。蒸気機関車の晩年は立ち入りがうるさかった亀山機関区も、このときばかりは大目に見てくれたようだった。

(写真、文:U)

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2017年9月 5日 (火)

旧型客車使用の臨時列車の話題

先日、何気なしにJR東日本のHPを見ていたら今月30日に津軽線(青森~三厩)で旧型客車を使用したDL牽引の列車が走るという告知を見つけた。写真によると機関車と3両の客車によるもののようで途中、青函トンネル内を見学できるものらしい。発表されたのは8月30日だから、1週間ほど前になるのに今まで気づかなかったのはファンの間であまり話題にならなかったからだろう。北海道行きの夜行寝台列車が走っていた頃はファンの注目を浴びた路線だが、今はもうほとんど話題に上らない地区。忘れられた存在になってしまったのだろうか。

ともあれ、秋の稲刈りが終わっているであろう本州の最北端をのんびり走る列車はローカルムードにあふれ、興味ある人には楽しみな被写体となるだろう。それに関する客車の回送も事前にあるはずだから、そんな列車や、あるいは試運転などがあればそれもふくめて久しぶりに津軽線に多くのファンが集まりそうだ。また、当日は青森発の「カシオペア」もあるようだから青森界隈は密度の高い撮影ができるというのも嬉しい。

ほかにも秋の東北は磐越東線や陸羽東線開業の記念列車も走り旧型客車の出番は多そう。それに伴う回送からも目が離せない。

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これまた再掲だが画像の補整をやり直したもの。1995年11月に磐越西線から客車列車がなくなるのを機に走った列車で、自分自身唯一のDD51745の写真。もちろんデジタルカメラ導入前のもので、富士フイルムのベルビアを使って発表前のニコンD5に600ミリで撮影した。小学生が描いたような運動会のポスターのごときヘッドマークも、今となってはのどかなこの路線には意外とマッチしているような気もする。11月のこんな光を見ると、本格的な秋が迫る今、写欲を駆り立てられそうだ。

(写真、文:U)

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2017年9月 2日 (土)

別府鉄道

本日9月2日は山口線で新しいレトロ客車がデビューし、古いレトロ客車の引退運転もあるとかで賑わっていることだろう。おそらく自分の知り合いの多くも参戦しているのではないだろうか。山口はそろそろ、アキアカネが飛ぶなど秋の気配が漂い始めているのではと推測する。予報を見ると天気もまずまずのようだから、皆さんきっと良い写真をモノにできることだろう。

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さてこちらはずいぶん前にスキャンして、そのまま放置してあったモノクロ写真(最上段は再掲)。とうに廃止となってしまった別府鉄道の車両をアップしたい。

鉄道ファンでなければ別府鉄道(べふてつどう)を「べっぷてつどう」と読んでしまう人が多かったのではないか。鉄道雑誌には読み方まで書いていない場合が多く、昔から年少ファンが誤読してしまうケースも多かった。かく言う自分も最初はそうで、インターネットでたちどころに調べられる時代でもなく、「べふてつどう」と読むことが分かったのは初めて雑誌で見てから2年くらいたってからだと思う。
駅名などでは北海道の音威子府、興部なども変わった読み方をする駅の代表格で、時刻表で調べるような熱心さが欠如していたから、きちんと読めるようになったのは小学校高学年になってからだったはずだ。それはともかく今回はその別府鉄道。

83年から4年間の最初の大阪赴任中、2度ほど行ったことがある。廃止の噂が流れてからのことだが、それでもファンに遭遇することはなかったのは雑誌に取り上げられる機会も少なかったことや、今のような情報化社会ではなかったからだろう。化学肥料製造会社の多木製肥所の肥料を積み出すための鉄道として、1921年に野口線が開業、1923年に土山線が開業したが、もちろん当初は蒸気機関車も使われていたらしい。
自分が訪れた頃はマッチ箱のような客車をディーゼル機関車が牽いていたり、単行の気動車が客扱いしていた。
すでに記憶は定かではないが終列車も午後8時ごろだったかと思う。暗くなってからぼんやりと照明がついてからの雰囲気が良く、買ったばかりのライカM4や先輩にもらったニコンSPで長時間露光を楽しんだ覚えがある。したがって自分としては数少ないワイドレンズでの撮影だ(35ミリ、モノクロはペンタックス6×7の105ミリと200ミリを使用)。こんな雰囲気でじっくり撮れるようなローカル線は今、どのくらい残っているのだろうか。

お恥ずかしいが、ほかにも同鉄道の土山線で撮影したDLの牽く列車や、そのほかの車両もあるのだが、怠慢な自分はまだそれらをスキャンしていない。最上段の写真はこのブログ開設直後にもアップしたもので再掲となる。撮影に行く機会が減っているのだから、ネガから画像を取り込む作業に勤しまなければならるまい、とは分かっているものの…。

(写真、文:U)

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