その他の乗り物

2015年6月27日 (土)

室蘭に寄港した超大型豪華客船

28日からまた北海道行きをもくろんでいたが、天気が芳しくなさそうで見送ることにし、ホテル、航空券、レンタカーのキャンセルをすませたところ。日没の遅い季節で上り列車撮影の好機なのに残念だが妥当な判断だろう。

さて、Kさんが前回の当方の写真を評価してくださったが、あまりにも照れくさい。あんな写真はカメラのホワイトバランスさえいじれば誰でも簡単に撮れてしまうシロモノ。3月24日の写真も後で手を加えたことは記事にも書いた(あちらはWBは調整していない)。そんな産物だからこそ「遊び」としたわけで、いわばインスタントラーメンを客に出したら、ほめられて赤面しているラーメン店主といったところか。

ただ、自分はいつも後でどのようにトリミングしようとか、どういう補整を行うかまでを考えてから撮影に当たる。だから前回の写真は客車側面に描かれた「CASSIOPEIA」の文字にピントを合わせ、なるべく空を入れて土台となる絵をつくり、事後処理であんな調子に仕上げた。要するに「遊ぶ」にしても計画を立てたうえでのこと。それだけは記しておきたい。

*******************************************************************

きょうの画像は5月29日の「北斗星」。19日にアップした写真に続くもの。もはや撮影場所は記さずともお分かりだろう。海峡線で1回目を撮ってからここに回るのは今やお決まりのコース。もちろん晴天を期待して千歳から道南にやって来たわけだが、この日は津軽海峡沿岸と同じように霧が立ちこめていた。

_dsc8140_p1

 

撮ったときは残念な思いもあったが、晴天時の写真は雑誌などでしばしば見かけるから、返って目新しさも感じる。ミルキーなトーンでこれはこれで嫌いではない。ありがたかったのは、ヘッドライトが消灯していたこと。運転士がつけ忘れていたのかどうか知るよしもないが、こんな霧の中だから点灯していたら光がにじんでしまって見苦しくなっていただろう。そう考えればラッキーなショットかもしれない。P10105921
P10105911

上の2枚も5月29日に撮ったもの。函館方面から黄金周辺に戻って、夕方の上り列車まで時間を持て余し、暇つぶしに陣屋町の711系が留置されている所に来てみたら、すぐそばに係留されていた。

大型客船はかつて何度かヘリコプターで撮影したことはあるが、地上から眺めたのは初めて。
この「ボイジャー・オブ・ザ・シー」は全長311メートル、高さ80メートル、重量が137000トンもあるらしい。まるで海上を航行するマンション。後方からしか撮れなかったが、その威容には圧倒された。

(写真、文:U)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年3月11日 (水)

3.13 に向けて

昨年12月から新幹線H5系による試運転が始まっている青函トンネルですが、そのトンネルは1988年3月13日が青函連絡船からのバトンタッチの日でした。
その前日までED79重連がウエイトコンテナを積載したコキ50000、1000t編成をけん引してのハンドル訓練が連日たくさん運転されていましたが、この日の未明、改3053列車を津軽海峡線通過一番列車として本番が始まりました。
津軽海峡線初列車はED79 1号機けん引下り海峡でも、記念の前面幕を出した485系上り“はつかり”でもなく、何の装飾もないED79重連高速貨Aだったんです。

対しまして、青函連絡船はその青函トンネル営業開始と入れ違いで廃止してしまいますと一部の貨車航送に支障しますことから、この3月13日のダイヤ改正日まで運航したのちに終航することになりました。
ただし、青森ベースで申しますと、早朝青森発の21便までで前日までに青森に到着していたすべての営業車両の航送を終え、その次の23便八甲田丸には控車ヒ500、ヒ600だけが積載されました。
控車とは、いつぞやの記事でご説明しましたとおり、重いDE10が船の車両甲板やそこと岸壁とを結ぶ可動橋に載ってしまわないよう、DE10と被入換車両の間に数両連結される車両のことです。
なぜ控車だけを積載するかといいますと、彼らは青森駅常備でも青森操駅常備でもなく、JR北海道の所属だったからです。
青函連絡船は国鉄時代は函館にありました青函船舶鉄道管理局の管轄、わずか1年弱でしたがJR化後はJR北海道函館支社の管轄だったんです。
なので、もう青森に用のなくなった控車は船に載せて所定復帰させなければなりません。
でも、津軽海峡線経由では最高速度65km/hのヒ500、ヒ600が連結できる貨物列車はありませんし、そんな遅い配給列車だって設定できなかったんですね。
かくして、青森駅構内にいた控車群はDE10に可動橋の手前まで押し込んでもらい、そこから先の数十mは構内係の方々の手押しで車両甲板へと入っていきました。
八甲田丸は23便で控車たちを無事函館に送り届けたのち、再び8便で青森へ戻り、青森でのその折り返しとなる7便が下り青函連絡船最終便となりました。
かつて何度となく過ごした船客待合室で終航式が挙行されたのち、青函7便八甲田丸は青森2岸を出航していきます。
この日は通常は厳しく禁止されていた岸と船とを結ぶテープも解禁となり、写真のような別離のシーンが展開されるところとなりました。
八甲田丸は下り最終営業便で函館に向かったのち、最後は青森港へとフェリー(回航)され、今でもここ青森2岸でメモリアルシップとして展示されています。

特急“北斗星”の運転はこの日の夜から始まりました。
青森運転所からは試運転列車が多く走る青函トンネルをすでに24系客車が札幌運転区へと転配されていました。
1988年3月13日は北海道ブルトレというものが初めて運転された日だったんですが、あの伝統ある特急“ゆうづる”がその日の朝に最終運転を終えた悲しい日でもありました。

あれから、まもなく27年が経ちます。

(写真・文/某I)

Hakkodamaru

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年3月10日 (木)

豪華客船

仕事の関係で2日続けてヘリコプターに乗った。今朝は大阪港に入港した「クイーン・メリー2」を見ることができた。このブログ、鉄道、航空機、車などの画像もアップされているが、船舶関係はT氏が掲載した1回だけだったように記憶している。

この15万1400トンの世界最大級の豪華客船。まるで海を進むマンションのようで上空から見てもその大きさは圧巻だった。こんな船で世界一周の旅など、まあ夢の夢だろう。

(写真、文 U)

1
2

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)