執筆者K・M

2017年11月19日 (日)

EF58の形態分類 特殊機EF5824

172両製造されたEF58、EF18も含めると総勢は175両になり様々な形態のバリエーションが発生していた。

誰でも知っている流線型への車体載せ替えや、大窓・小窓、原型窓・Hゴム化、パンタグラフ交換、窓上の庇やヘッドライトのシールドビーム化など枚挙にいとまがないほど。おそらく全く同じ形態のEF58は存在しなかったとは思うが、正直「では160番台の機関車を2両並べたら区別できるか」と問われるとかなりの難問ではある。

相当細かい分類も、まるで学術書のようにまとめられて雑誌などに発表されているが、ここでご紹介の24号機、あまり目立たない原型小窓の機関車で晩年は阪和線・紀勢本線で走っていた。ただ、よく見ると原型小窓といっても左右で微妙に形状が異なっていることがわかる。

向かって右側の窓は丸みを帯びたアールが付いている反面、左側は角にエッジが出ている。車体載せ替え組みなので、その製造過程で何かあったのか、載せ替え後の改造や事故復旧か何かの追加工事で差が出たのか、私にはわからないが、ほかの原型小窓機では見たことのない形態である。

(写真・文:K.M)

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2017年11月12日 (日)

手軽な撮影地 平塚

Uさんご紹介の保土ヶ谷のカーブ、私もEF5853の銀河やEF5860のいなば紀伊を撮った記憶がある。

そして先般のDD51重連の上越線の撮影地、ここを見つけた十数年前当初は誰も来なかったが、その後、徐々に知れてきて複数の方が三脚を立てていたこともあった。もっとも相当な望遠レンズで一定のスキルが無いとまともなカットは撮れないので場所を見に来てすぐに帰って行く人がほとんどの状態ではあったが。

先般、DD200の試運転が東海道貨物線で行われ、偶々外出の日時が合ったので撮影出来ることになった。とはいえ最近の撮影地も全く判らず、東海道線に乗って沿線を下っていって遂に平塚まで来てしまった。何人かの先客が居たので多分撮れるのだろうと後方から人の隙間に望遠レンズを手持ちで構えた。

撮っているときは気づかなかったが、帰宅後にプリントを見て、なんか覚えのあるような雰囲気を感じ調べると、過去に何度か同じところで撮影していることがわかった。

1980年にここで撮ったのはEF5860の荷物列車やEH10の貨物列車。あれから37年、線路配置やバックのマンションに少し面影が残っている。

(写真・文:K.M)

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1980年3月25日 荷35レ

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2017年11月 7日 (火)

トランプ米大統領ご一行 VC25@横田

11月5日から7日まで来日していたアメリカのトランプ大統領、各種報道では「エアフォースワン(AF1)」で来日と大きく採り上げられ、横田到着時は空中撮影の映像も流れていたほど。一般的にはこのB747、米空軍ではVC25と呼ばれるジャンボジェットをAF1と称するが、実は大統領が乗っている航空機がAF1であり、AF1という機体自体は存在しない。鉄道的に言えば、天皇陛下が乗っている列車が「お召し列車」であり、なにも1号編成だけをお召し列車と呼ばないのと同じ。

そんなVC25が2機、しかも到着・出発とも昼間の時間帯となれば貴重なB747クラシックを撮らない手は無い。天気の悪い日が続いた10月とは打って変わって、このところは好天続き。

横田のRW36から韓国に向けて離陸するご一行のVC25は、富士山を背景にクライムしていった。今回の撮影地では、色々な旧友に久しぶりにお会いでき、同窓会さながらの楽しい撮影であった。

(写真・文:K.M)

2017年11月7日 横田基地にて

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2017年10月22日 (日)

EF58 大窓機点景

当ブログはEF5861という特定機関車を軸に青春を共にした仲間が参加しているが、Uさんのようにロクイチというより「大窓」にこそ真の魅力を感じている方々も多い。先般アップしたDD54も、初期型は窓が大きく、それ以降は小窓でHゴム化されているが、40両しか製造されなかったため機関車自体にレア感があり、細かな形態までは興味を惹かないというのが本音。一方でEF58やEF15、蒸機ではD51や9600など製造数が多いものは形態分類も興味深いものがある(もちろんその機関車形式自体に魅力があることが前提だが)。

EF58の大窓機が牽く列車を撮るときは線路端で望遠レンズを使ってというのが定石で「ワンパ写真」とか言ってはいたが、やはり一番窓の美しさが表現できる撮影方法であることは間違いない。

しかし少し違った撮り方もしているので懐かしい点景を紹介。和歌山で運転席に入れてもらっての撮影は22号機で、ワイパーがKW3Dの側、31号機は下関運転所での形式写真(っぽいもの)で、順光になる時間帯を待ってパンタを上げてもらい前に3mほど動かしての撮影。53号機は東京駅で銀河を牽く最後の全検出場直後の運用を新幹線ホームからバルブしたもの。

いずれも1カットごとに想い出が残るものとなっている。

(写真・文:K.M)

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2017年10月21日 (土)

歴史を感じる想い出の場所 

また馬鹿な話題が世間を騒がせている。大井川鉄道抜里での場所取り問題。その行為はもちろん、まず世間の人はあの文章の異様さというか幼稚さ、異常な自分勝手さにあきれると言うか、完全に社会人失格というレッテルを鉄道撮影者全般に貼ってしまうのではないだろうか。せめてあれが若い学生か未成年の仕業であることを願わずにはいられない。もしいい大人があんなメッセージを書いたのだとしたら、、、ああ、もうこれ以上コメントするのも苦しくなってくる。

こんなことが瞬時に話題になり世の中を駆け巡るのもネット社会になったからだし、そもそも列車の運転情報がネットで氾濫してからは特に「常識に欠けた」行動がエスカレートしてきたように感じる。

我々の年代は、昔話をして古き良き時代の懐古に浸れるのがある意味「特権」。自分たちが学生でEF58を追いかけていたころに、山科でC62のつばめを撮った方の話を聞くのと同じような感じか。まあ歴史は繰り返すので、今の若い人たちが30年ほど経てば、平成の最後の頃はまだ日本の鉄道本線を電気機関車が貨物列車引っ張ってたんだけどねぇ~、、、、なんて話すのかな?

こんな趣味を始めて四十数年。初期に撮った場所に再び行ってみてもその変貌に愕然とすることが多い中、ほとんど昔のままの撮影地もたまにある。

昭和50年代前半にEF10の重連を飯田線に撮りに行き、上市場の斜面から鉄橋を渡り築堤をカーブしてくる266列車を狙った。

それから時を経て、ED18が復活し、EF58も入線するようになったので、想い出の場所に行ってみたらほとんどタイムスリップ状態の原風景がそこにあった。

どの写真も一人きりで撮ったものでもちろん場所取りなんかは無縁の無名地。でもそこに込める思いは大きいものがある。有名撮影地で同じような「激V写真」とかいう規格品を大量生産しても、この感動は生まれないと思う次第。(以上、あくまで個人の私見・偏見でのコメントです)

(写真・文:K.M)

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2017年10月17日 (火)

上田交通 別所線

1985年から4年間、新潟の高田で勤務していた時のメインターゲットは信越本線のEF62、EF64、EF81の貨物列車や特急群、夏は多くの臨時が運転され、冬季はスキー臨のシュプール号が全盛期。大糸線にまで20系客車が入線したり、それこそ自宅前を通る「シュプールユーロ赤倉」のEF6466+ユーロライナーは飽きるほど毎週撮れた。時期的には国鉄が民営化し、元号も昭和から平成へと変わり、バブル景気も(結果的は)末期という、大きな転換期でもあった。

そんな時期、ふらっと行った上田交通のレトロ感に惹かれ、何回か撮影に行ったことがある。当時は「丸窓電車」が有名であったが、その他の車両や駅の施設・設備もまさに古い時代が色濃く残っており、20年くらいタイムスリップしたような光景が展開されていた。昨年のカシオペア信州の帰り道に寄ってみたが、かなり近代化されたとは言え、少しレトロな雰囲気は残っていた。

同じような経験は、1990年台初頭に陸羽東線のD51試運転を撮りに行った時に寄った「くりはら電鉄」でもしている。駅や車両基地の建物から待合室のベンチに至るまで、本当に昭和初期ではないかと思えるような施設が現役で残っていて、蒸機試運転より想い出に残っている。

日本全国を探せば、まだこんな雰囲気を残している鉄道が今もあるのであろうか。。。

(写真・文:K.M)

1987年 上田交通別所線 にて

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2017年10月15日 (日)

消え去りしもの DD54

今も昔も「無くなる」ものに対して「撮って(乗って)おきたい」という気持ちが働くのは当然である。無くなってしまってからでは後悔・禍根を残すことになりかねず、何とか無理してでも出かけて記録に残すことを特に初期のころは繰り返してはきた。

ただ昨今の様に「葬式鉄」とかいう変な言葉で表現されたり、異常なまでの大騒ぎで大混乱の中で事件が起こったりということは以前は無かった。自分自身も、今引退していく車両たちは概ね新製時に試運転を撮っていたり、その全盛期を経験していることが多いので、「最終運転」や「サヨナラ・・・なんたら」には敢えて出かけることは控えるという行動がほとんど。特に違和感を覚えるのは、サヨナラ運転時に駅のホームで大きなプラカード(?)を掲げて、涙ながらに「ありがとう~~」などと叫んでいる輩。。。。まあ人に迷惑かけなければ趣味の範囲で何をやろうと自由ではあるが、あれが「鉄道愛好家」などとの世間の誤解が広まるのがいかがなものかと案じている次第。

さて、高校時代、国鉄蒸気機関車の終焉を北海道で見届け、EF57やEF58、EF59を撮っていた1976~7年頃、そろそろ最後の活躍となっていたのがDD54やDF50などの特徴あるディーゼル機関車。DF50はまだ山陰線や紀勢線、四国で広く見られたが、DD54は播但線・福知山線に限られて稼動両数も少なくなってきていたので夏休みにセノハチに行く途中で何度か撮影に行った。赤くゴッツイ車体は迫力があり、走行中の音も大きくて印象に残る機関車の一つであった。

(写真・文:K.M)

1977年 和田山・播但線にて撮影

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2017年10月11日 (水)

EF58の異端児 EF18

この連休は自宅に篭ってデータ整理に費やした。このブログで一部ご紹介の過去の旅の記録などは「その場」で手帳に書くので手間はかからないし、EF58の撮影記録なども、どんなに撮っても1日に十数列車だから知れている。しかし航空機撮影を開始してからは全ての撮影機をエクセルに記録しているので、1日分でも平均200機近く、1年で50回出動すると1万行の撮影データインプットとその後のデータ整理作業が待っている。

大体数ヶ月ごとに、天気の悪い週末などにこの作業をしていたが、ふと気づくと半年分以上が溜まってしまっていた。ということで、先週、今週と集中作業を行い、ようやく全データのアップデート化が済んだ。

「撮り潰し」をしている大型ジェットの記録ではB747ジャンボジェットは1374機を撮影(製造1538機の89.3%)、B777が933機、DC8が106機、L1011トライスター165機、A330&A340が1010機・・・・と集計。

また、趣味で1975年に写真を撮り始めてからの累計撮影日数は42年間で3388日を数えていた。そのうち鉄道写真を撮った日は2078日、航空機は1236日で成田空港に535日、羽田に255日、ヒースロー空港に221日通ったと記録されている。

3388日というと、9年以上、毎日撮影に出ての数字になるが、まあ42年間の積み重ねではある・・・としても、平均でも毎年80日間の出動は相当な頻度ではある。ちなみに昨年はその平均に近い89日出動、今年は今日現在で68日を数えている。

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表題のEF18、EF58になるはずの3両だけが最後は中部地区で走っていた。これを撮った1976年当時は、まだEF57やEF59、EF15なども走っていたので特に珍しさも感じずに金谷で撮影をしていたが、今となっては3両とも撮っておいてよかった。

旧型車体をEF13に譲り、流線型になったEF5831までと、新製当時から流線型で竣工した35号機の狭間で、ある意味(EF58+EF13)÷2=EF18という式をイメージすれば良いのかもしれない。

(写真・文:K.M)

1976年7月 金谷にて EF1832

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2017年10月 1日 (日)

昭和の直流電気機関車

このところの当ブログの写真が直流電気機関車の流れになってきている。やはりここの「集った仲間たち」の源流はここにあると改めて実感している。

皆が学生だった昭和50年代、蒸機が無くなったとはいえ、今から思えば撮影対象はいくらでもあった中で、首都圏中心の活動の対象がEF57やEF58を筆頭にEF10~EF18の旧型直流電機、ブルトレ牽引のEF65P、貨物に活躍のEF60~EF66など「国鉄」を代表する機関車達であったのは自然な流れなのかもしれない。

そんな中、少し異色だったのがEH10やED16など個性的な形式のカマ。多分、ここらへんの写真が数枚あれば小一時間は酒の肴になるのではないだろうか。

ペンタ67で撮った写真は1枚1枚が想い出の詰まったカットであり、今のようにデジカメの連写で、あとから不要なコマを消す(捨てる)なんて考えもしなかった時代である。

(写真・文:K.M)

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2017年9月17日 (日)

行きがけの駄賃 根府川を行くEF5861

UさんのコメントでEF58170のきらめく紀州路が行きがけの駄賃であることが分かったが、そのレスポンスでブログにアップしようと考えていたのが1980年3月10日に竪堀で撮ったEF5861だった。ところが正に以心伝心、早速Uさんがその日の竪堀での作品を出していただけた。

なぜ行きがけの駄賃が竪堀のEF5861かといえば、この日から私は四国のDF50と山陽本線のEF58を撮りに遠征に行く予定であり、計画より早めに東京を出ればEF5861を2回撮ってからでも十分当初の予定を変えずに高松入りすることが出来たという次第。

1980年3月10日、私はHさんと早朝の品川駅から321Mに乗り、途中横浜駅からUさんがジョインされて3人で東海道本線を下った。根府川で降り、続行してくるEF58128牽引の8101レを撮りに反対側のみかん畑に急いで撮影。その後は駅近くの橋の袂の定位置でEF58125の104レ20系銀河、EF58101の荷32レ・・ただしこれは下り電車とカブリ・・・、を撮り、再びみかん畑に行き本命のEF5861の8345レを撮影。

その後、普通電車で富士駅に移動し、駅の立ち食いそばで天ぷらそば(230円)で朝食。3人で竪堀に向かい、Uさんご紹介の旧国や8346レのEF5861を富士山バックで撮影。13:02竪堀発の電車で富士駅に戻っている。

ここで私は下り電車で大阪方面へ、UさんHさんは上り電車で帰京された。

竪堀で私が撮った旧型国電の写真とUさんのを比べると、私が少し右側の位置に三脚を立てていたことがわかる。

(写真・文:K.M)

1980年3月10日撮影。

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