日記・コラム・つぶやき

2017年4月28日 (金)

釜石線初訪問

年齢相応に身辺慌ただしくブログに参戦できない。取り急ぎH氏のガイドで撮れた11日の写真をアップしておきたい。今流行の安っぽい言葉である「爆煙」にはほど遠いが、明日29日は仲間のみんなが渋谷で集まるというのに、手ぶらじゃ顔を出せないから、ありきたりの写真だが出席原稿としたい。

当日、ご案内いただいたHさん、ありがとう!

(写真:U)

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2017年4月10日 (月)

目白を通過するお召し訓練

1980年9月24日に山手線・目白で撮影した、EF5861牽引の旧型客車8両による栃木国体に向けたお召し列車の乗務員訓練。
当時は今のように一億総監視社会ではなく、これくらいの立ち入りは大目に見てくれ、現にこのときも居合わせた国鉄職員が撮影を快諾してくれた。駅構内の側線はすでに使用されていなかったこともあるが、今では考えられないのどかな時代。当日は大学がまだ夏休みだっだったものの何かの用事があって時間がなく、山手線内で撮るしかなくなり目白で下車した。沿線各駅のホームには撮影者も多いから、ほとんど人の来ないこの場所にした記憶がある。
一連の訓練に先立ちEF5861は9月3日に品川からEF15121(高二)に牽かれ貨物の575列車で大宮工場入りしている。青で統一された編成だったが、青い旧型客車もなかなか趣のあるものだった。

使用したのはペンタックス6×7。ウエストレベルファインダーのゼンザブロニカよりも使いやすく、後年さらにもう1台増備した。ただしミラーのショックは大きく、今思うとよくもまあ手持ちで撮っていたものだとあきれ返る。ボディのデザインは35ミリの1眼レフをフランケンシュタインにしたようで、今でも個人的に最悪だと思っているが、ブロニカを手持ちで撮るより使いやすかったのは間違いない。

合併前の三井銀行の看板も懐かしい。

(写真、文:U)

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2017年4月 8日 (土)

噴火湾沿いに走る「カシオペア」

すっかりご無沙汰してしまった。K・M氏の写真は懐かしさもひとしお。これが本来のこのブログの在り方だと再認識している。彼が撮り続けてきた様々なEF58の写真はともかく、大井川鉄道を走る元小田急のロマンスカーのモノクロ写真など、どこか昭和30年代を思わせるような雰囲気で幼いころを思い出してしまう。やはり写真は記録することに大きな意味がある。自分のような気分屋は、撮ったり撮らなかったりした時期があるから、K・M氏のような「財産」がなく、この年齢になって後悔するばかりだ。

最近も相変わらず鉄道撮影には出かけていない。本日も「レトロ日光」とかいう旧型客車を使ったDD51とEF641001のプッシュプル列車が走ったり、秋田方面では583系のお別れ運転、紀勢線ではDD51によるサロンカーなどが運転され、若い方々や熱心なベテランはきっと遠征しているのだろうが、芳しくない空模様を理由に家でゴロゴロしている。「レトロ日光」は北浦和に行けば本線を走る上り回送も貨物線を下る本番も、短時間の内にキャッチできるから行く気満々だったが、未明に起きて外を見たら雨が降っていたために再度ベッドに潜り込んで惰眠を貪った。こんな調子でどんどん鉄道撮影から離れてしまい、最近では時間を持て余すこともしばしば。このまま定年を迎えたら、その後はどう過ごすのか心配になってきた。

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ところでニコンの新製品D7500がまもなく発表されるらしい。おそらくD500のセンサーを使った2000万画素クラスの廉価版になるのだろうが、その後もD810の後継機などの噂もしきり。4000万画素を軽く超えなくては売れないのだろうが、そんな高画素機を出しても使いこなせるケースは限られる。少なくとも屋外で使用される鉄道撮影にはあまりにもブレのリスクが大きすぎる。
画素数が増えるのは新商品としては当たり前の傾向だが、徹底的なブレ対策が伴わなければ現行のD810よりも画質の劣る写真が量産されるだけ。メーカーも無駄な高画素競争を展開するのではなく、クイックリターンミラーのショックがないミラーレス機にこそ高画素を導入すべきで、いつまでも一眼レフの画素数を増やし続けても写真のクオリティは下がるばかりだ。論より証拠、D800やD810で撮った走行写真を実寸表示してみれば、かなりの量の写真にブレが見られるはず。これをこのまま2000万画素近くアップしたら結果は自ずと見えてくる。ユーザーも馬鹿じゃないから、そのことに気づいて安易に新製品を求める人は多くはなかろう。

自分としても、これ以上の高画素機は使いこなせないと判断しているからカメラへの散財が減るのは確実。ましてや撮りたい被写体もないのに2~4年で型落ちとなるデジタル一眼を買い続けるのは意味がない。ミラーレスのフルサイズで6000万画素クラスが出れば別だが、今のままでは懇意にしているカメラ店に厄介になる機会もなくなりそうだ。

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2月に野田生~落部で撮った在りし日のDF200牽引「カシオペア」。思いもよらぬ晴天で露出が難しく、事前に何度も何度もテストを重ねたのは2月24日の記事で述べたとおり。
立ち位置に関しても慎重を期し、自分がベストと思われる位置に列車が来たときに、手前右下にある電柱が入らないようフレーミングにも配慮した。
定期列車と違い失敗は許されないから、DD51時代の夜行列車よりも気を遣ったが、思い描いたイメージの絵には近づけたと感じている。

(写真、文:U)

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2017年3月28日 (火)

「ライラック」と「おおとり」

「北斗星」「トワイライトエクスプレス」「カシオペア」と鉄道撮影に復帰後はずいぶん北海道に通った。回数や日数をカウントして誇るようなことはしたくはないが、家族もちのいい年齢をした勤め人としてはずいぶん足繁く行ったことは間違いない。
そんな自分だがやはり北海道と言えば蒸気機関車。SL現役時代を少しはかじっている年代としては、いくらDD51重連の夜行列車と言えども、当時の石炭列車や混合列車、煙があふれる機関区などの魅力ある光景には及ぶべくもない。
このところ撮影に出向いておらず、アップする画像もなくなってきたから、いよいよ当時の古い蒸気機関車の写真を掲載し始めなければブログの存続もままならなくなってきた。小学生から高校生にかけての稚拙な写真ばかりだが、面倒なスキャン作業に本腰を入れなくてはならないと腹をくくることにした。
これまであまりSLの写真を披露しなかったのは、当時はガキだった自分がいくらそんな写真を載せたとしても、並み居る諸先輩の写真に比べられると、見るに耐えるような価値のないものばかりだから。EF58の晩年にバカチョンカメラ(死語ですね。差別語だし)で撮ったような写真を、「自分もEF58を撮っているぞ」とアピールするような恥ずかしさはぬぐえないわけで、非常におこがましいと感じていたからだ。

今回はまだそこまでさかのぼらず1984年7月の北海道でのモノクロ。結婚翌年に妻と一週間の旅行に行き、千歳空港駅付近で撮ったキハ82系「おおとり」と781系「ライラック」。
現在、「南千歳」という駅名になってしまったが当時の駅名は「千歳空港」。駅の改札を出て長い連絡通路を歩けば空港ターミナルにつながっていた。
旅行の帰途、飛行機の出発まで時間があったから、職員に断って駅のホームから下りて(今ではそんなことはできまい)、線路伝いに苫小牧方に歩き、スッキリと撮りやすいところで待ちかまえた2カット。
そもそもこんな写真を撮ったこと自体、忘れていたが、今回の改正で「ライラック」という列車名が復活したことをきっかけに古いネガを見たら、たまたま1枚撮っていたのを発見した。この781系という車両、485系のデザインを少しいじったようなイメージだが、それでも真面目(?)に当時の国鉄色に準拠した塗装で、今も残っていたら注目を浴びたに違いない。知らないうちに消えてしまったが、485系よりも後から誕生したのに、どうして先に淘汰されてしまったのだろう。鉄道撮影から遠ざかっていた間のことで関心もなく知るよしもないが、短命な車両だったことは記憶に残っている。

(写真、文:U)

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2017年3月15日 (水)

DDのプッシュプル

2月27日の八高線。この日は北海道から「カシオペア」がEF8181に牽かれて上野に戻るため、こちらは比較的空いているとふんで出かけた。もちろん「カシオペア」撮影を終えてからでも高崎に戻る下り列車には間に合うのだが、そんなにあくせくするのは自分の流儀に則さない。いい年をして中高生の坊やたちと同じように、「あれもこれも」というのは恥ずかしく、午前9時前に家を出て1月と同じポイントへ向かった。

目的は2つ。
1つは下り列車を1月よりもさらに正面方向から狙うこと。つまり、前回よりももっと長いレンズで望遠効果を出すこと。もう一つは前後の機関車の間隔を詰めるように長いタマで圧縮することの2点。これらを課題として撮影に臨むことを決めていた。
晴れれば高崎から小川町に向かう上り列車を前から撮れば2つめの課題はクリアできそうだが、ダイヤを見ると正午に近く日が高い。午後3時すぎの下りの後追いの方が光線は良さそうだし、天気予報によるとその時間帯は曇り。天気が好転する下り列車に焦点を定めることにした。

まずは後追いの写真から。
前からも後ろからも撮ろうという、「2匹目のドジョウ」を捕まえようという浅ましい魂胆だから、バックの民家が写り込んでしまうのは割り切っていたが、コンクリートの建物やビルではなく、屋根瓦のローカルな印象で個人的にはじゅうぶん目をつぶれる範囲。光線も思い描いていた以上に強く、カメラの設定以上に彩度などをいじらずとも鮮やか。客車左の標識をフレームから外そうとするともっと線路寄りに急がなくてはならず、前からの撮影を終え脚立を下りた後、500ミリを装着したカメラに持ち替えてからでは忙しすぎる。まあフロックをもくろんだトライだったから、これくらいで満足しなければなるまい。

(写真、文:U)

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2017年3月13日 (月)

今年初のEF58の画像

このブログを見てくれている友人のS氏から、もっともな指摘を受けた。気づいていなかったのがお恥ずかしいが、今年になってタイトルにある「EF5861」の写真が1枚もアップされていないではないかという内容。言われてみればその通り。

ブログを始めた頃はモノクロを中心に古い写真をアップしてきたのに最近は、「カシオペア」や「北斗星」など、最後まで残った寝台列車ばかり掲載してきた。ネガのスキャンをほぼ完了しているK・Mさんが、懐かしい写真をアップしてくれているが、怠慢な自分はなかなかはかどらない。客車列車がほぼ消滅して、そろそろ昔の写真のデジタル化を始めなきゃと思っていた矢先の忠告だった。

そんなわけだが、スキャナーを稼働させるのにまずは自室を掃除して整理しなければならない。書籍や印刷物に埋もれてしまったスキャナーを掘り起こして使える状態にすることから始めなければならず、それだけでも1日仕事になりそう。新たなネガをスキャンするのにはもうしばらく時間が必要だ。

そこで今回は以前、取り込んだ写真の中からアップする。

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1980年10月12日、片岡~蒲須坂での撮影。栃木国体帰りの回送列車。300ミリで狙った写真が本命で、これはペンタックス6×7に200ミリだから35ミリ換算で100ミリの画角。自分としては旗の付いたお召し列車よりも大窓がよく見える何もない姿の方が好みで、この回送列車に力を注いで場所取りをした記憶がある。

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個人的には61号機よりも好きだった69号機。1979年3月26日、広島駅での撮影。
この日はほぼ同じ時刻に64号機の牽く上りの福井のお座敷列車があって、この後69号機が柳井から下関までを牽く下り旧型客車の撮影をパスした。今になってみてもその判断が良かったのか悪かったのかは分からないが、当時は64号機の撮影回数が69号機よりも少なく、それが理由でお座敷列車を優先した。立ち位置を少しずつ変えながら自分のお気に入りの角度で存分に撮れたこのときの写真は、自分の中で最も好きな69号機の姿だ。ブロニカのEC-TL、ニッコール200ミリでの手持ち撮影。

(写真、文:U)

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2017年3月11日 (土)

1月のDF200「カシオペア」

先月で「カシオペア」の北海道乗り入れも終了し、今月は撮りたい列車もなくカメラやレンズは休眠状態。明日12日の銀座線01系お別れ運転などは、長らく通学や通勤に利用してきた路線ゆえ少しは気になるが、どうせ渋谷界隈はオコチャマ達であふれ返り、そんな喧噪に接すれば不快な思いをするのは当然だから、ノコノコ出向いて貴重な休日を費やす価値はないと判断して自宅で静かに過ごそうと考えている(渋谷発着かどうかは我関せず)。

来月の583系お別れ運転はどうするか。1日が秋田~湯沢往復、8日が秋田~弘前2往復。どちらも行こうと思えば行けるわけで、特に後者はウジャウジャと前夜から場所取りの人が集まるのが必至の陣場~白沢や二ツ井のトンネルさえ外せば、静かに撮れるかもしれないから少しばかり惹かれるものの、ヘッドマークに往年の「はくつる」や「はつかり」など様々なものが採用されるとの毎度おなじみ、確証のない噂が流布されているから、線路際はまた大騒ぎになるだろう。果たしてそこに身を置いてまで時間と金をかけるだけの価値があるのかと逡巡している。

それはともかく「カシオペア」もしばらくは走らない今、行動力豊かなK氏はともかく、仲間の皆さんはどうしているのだろうか?

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1月に撮影した「カシオペア」。
どうせ曇られるだろうと思って行ったら予想に反して晴天。前の晩、伊達紋別の居酒屋でH氏と深酒し、ホテルに帰る道で空を見たら雲一つない。冬の北海道のことだから朝になれば天気も変わると期待しないで翌朝を迎えたが、天気は昨晩のままの青空。当初は静狩のオーバークロスを念頭にしていたが、前夜の「作戦会議」で機関車に日が当たらないことを確認しホテルから近く、他に誰も来そうもないポイントに直行した。
とは言っても睡眠不足。ホテルのフロントでH氏と合流したのは6時半というていたらく(おまけに10分ほど遅刻)。「カシオペア」の前に来る貨物列車にも「スーパー北斗」にも間に合わず、前戯なしにいきなり本番というありさまだった。

後の貨物列車と「北斗」は曇られたが、本命の「カシオペア」は光を浴びて通過したからじゅうぶんに満足。おまけにズームリングをワイド側に回して撮ったコマには指差確認する運転士の姿もしっかり捉えられていた。

ただし忘れられないのが撮影後のドタバタ。
0時半に千歳を発つ便を予約してあったのに、道央道の白老ICと苫小牧西ICの区間に複数のシカが迷い込み通行止め。この間を一般道で迂回しなければならず、レンタカーを返却して空港に着いたのが0時16分になってしまった。荷物を預けて自分が機内に入った後も、かなりの人が乗ってきたから、きっとほかにも同じ目に遭った客が多かったのだろうが、最後はヒヤヒヤさせられた旅となった。

(写真、文:U)

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2017年3月 8日 (水)

DD51の団臨「越後」

前の記事で高崎のDD51をアップしたが、今回は2010年12月に撮った団体列車を牽く同じく高崎のDD51842を引っ張り出した。以前やっていた別のブログに掲載したことのある写真だが、あらためて現像し直してみた。ご覧のような逆光。フィルム時代のリバーサルではとてもここまで救える写真ではなく、デジタル化の恩恵をまざまざと見せつけられたものだ。

単身赴任で大阪に行っていた頃の写真で、自宅に帰っていたこの日は東十条で「あけぼの」を撮った後、ここ蕨~南浦和に移ってこの列車を撮り、北浦和でEF510の「北斗星」を待ち、もう一度蕨に戻って485系国鉄色で運転された臨時「ひばり」を撮影したという、今考えれば豪勢な1日だった。

「出雲」のデザインと「越後」の文字がちぐはぐだが、それはそれで楽しめたのはありがたい。
3月18日からDD51が牽く「サロンカーなにわ」が山陰方面に運転され復路、「出雲」のマークを付けるようだが、それが正真正銘のものであることを楽しみにしているファンも多いと思う。以前は「撮るものがない」と嘆いていた関西のファンも、昨今のJR西や旅行会社による演出にはきっと満足していることだろう。

(写真、文:U)

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以前、トランスエアロ航空のアムールトラ塗装のジャンボ機の写真を掲載したことがあるが、今度はロシアエアラインのアムールヒョウのボーイング777―300。全日空でも2019年に羽田~ホノルル便にウミガメ塗装のエアバスA380を就航させるようだが、トラやヒョウのような猛獣の前では、迫力という点で一歩譲るのは認めざるを得まい。

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2017年3月 6日 (月)

八高線の訓練列車

今年3回ほどDF200の牽く「カシオペア」を撮りに北海道に行ったが、正直なところ、DF200やE26系客車に惹かれて行ったわけではない。いわゆるここ数年、北海道でDD51の寝台列車を撮ってきた「けじめ」とでも言うべきもので、区切りをつけようという思いにほかならない。もしもこの先、しばらくDF200が牽く「カシオペア」が運転されたとしても、DD51時代ほど繰り返し渡道をすることはないだろう。DD51の魅力に比肩するべくもないのは言うに及ばず。

1月、久しぶりにそのDD51を見たくなって八高線で行われた乗務員の訓練列車を撮りに行った。このブログにK・M氏がアップした長いレンズで撮った写真を見ると、旧型客車5両という編成も魅力的で大いに触発された。
問題は八高線には蒸気機関車時代から出向いていないこと。かつて正月に走ったDD51の高尾臨も高尾の駅で103系の快速電車と並んだのを撮ってお茶を濁した程度だから、沿線に足を踏み入れるのは46年ぶりということになる。もはや昔の記憶など全く当てにならず撮影地もゼロから捜さなければならない。前夜、会社でグーグルマップとにらめっこ。ストリートビューも併用して、DD51のボンネット前面に少しだけ影ができるような光線状態の所をようやく見つけ出した。

時間的に高崎に戻る復路しか撮れないのを覚悟で行ってみたら、そこはけっこう有名な場所、そこそこの数の方々が三脚を並べていた。鉄道ファンの嗅覚はやはり大したものだ。
ただ、長いレンズを使えばここは室蘭線の黄金のようなアングルで撮れそう、先客の方々よりも線路際に寄ってDD51主体の立ち位置から捕捉した。線路際にある発煙筒などが目障りではあるが個人的には許容範囲。後ろの客車などはほどほどに見えれば良いから、どうにか自分の好きな絵にねじ伏せることができた。

(写真、文:U)

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2017年3月 1日 (水)

雪晴れの大岸で

「カシオペア」の北海道乗り入れが終息、これで一段落といったところ。最後の撮影は新雪が激しく舞い、客車がほとんど隠れてしまったが、過去2回の撮影でそこそこの絵が撮れたから、最後は北海道らしいこんなシーンがどうしても欲しかった。1月の撮影では太陽に恵まれたものの雪はなく、前週は自分の芸風からはみ出た高い位置からの撮影だったから、ようやく雪がたっぷりあるところで超望遠レンズを使うことができ、そういう意味では本懐を遂げたと言える。

それよりもラッキーだったのは、かねてから撮影したいと思いつつも、なかなか実現できなかったキハ183―104(どうしてだか不明だが、俗に言う「白ボウズ」)を目にすることができたこと。夜、伊達紋別の居酒屋での酒席に間に合わせるため近場の苗穂駅で安易に撮らざるを得なかった1カットだが、おそらくこれが自分にとって唯一無二の写真となる可能性大。4両編成の短い特急ではオーソドックスに収めても絵になりにくいと考え、正面の特徴ある顔をアップで狙った。札幌と網走を結ぶ「オホーツク」のどの列車に充当されるか皆目、見当がつかなかったが、最も理想的な15時前に札幌に到着し、20分ほどで網走に折り返す4号、5号に入ったのは非常に幸運だった。一説では今度のダイヤ改正で消滅するとか。事実ならば最後の最後に滑り込みセーフといったタイミングだ。これが今回の旅行で最大の収穫かもしれない。

まずは積もったばかりの新雪を派手に舞い上げて札幌に向かう「カシオペア」の写真、大岸で850ミリの画角で撮ったものを2種掲載する。

(写真、文:U)

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