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2018年1月

2018年1月31日 (水)

笹川流れ SL日本海庄内号 – 本運用往路 4

  当日最後は、終着駅に近い某所、地元の方に勧めて頂いた場所へ行ってみると、開けた複線の直線区間であり、夕方の斜光線を正面から受ける素晴らしいポイント。見学に来ている地元の方と談笑しながら待っていると、やがて煙室扉を輝かせながら、鋭いど斜光の中を進んでくるC57180が姿を現した。

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2017-9 羽越線

( 文、写真:H )

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2018年1月30日 (火)

スーパーエクスプレスレインボー

ポジをスキャンしていたら正確な記憶がないコマが出てきた。ED75の牽くスーパーエクスプレスレインボー。たぶん、1987年の夏の撮影ではないだろうか。当時出始めのISO200のコダクロームを使用した事だけは鮮明なのだが(この頃はISOではなくASAと言ったものだ)。

ここは上下線がセパレートしていて編成に架線柱がかからないポイントで、短い編成を撮るには手軽だった。牽引するED75の700番台は奥羽線で活躍していたが、ED75の初期型の淘汰が進み、東北線に進出してきた。正面に通風口がなく、下枠交差のパンタグラフが見た目の大きな特徴。

学生時代の1980年12月にここでH氏とED75のお座敷列車を撮りに行ったこともあるが、丘の上から撮るとフレームの左上に墓地が写ってしまうのが難点だった。仏様には申し訳ないが、津久田~岩本のSカーブといい、やはり趣味の写真に墓が写ってしまう事には抵抗がある。

(写真、文:U)

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AさんとKさんご夫妻、1月27日の飲み会、楽しく過ごさせていただきました。おかげで毎度の事ながら深酒、翌28日は予定通りの二日酔い。なかなか回復せず夕方まで不調でした(自業自得)。今年は何回お会いできるでしょうね。またの機会を楽しみにしております。

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2018年1月28日 (日)

笹川流れ SL日本海庄内号 – 本運用往路3

しばらくアップ出来ないまま時が過ぎてしまったが、久しぶりに前回からの続きを紹介していきたい。

三番目は、予め場所を確保する余裕が無かったことから、イチかバチかで行ってみたところ、日本海バックの場所は既に満杯。だが幸いにも列車アップ向けとしては、まだ確保したかったアングルの立ち位置は空いていたため、三脚を伸ばし脚立を使用して好みのアングルを確保できた。当然ながら煙は期待出来ないのであるが、爽やかな海風を感じながら待っていると、やがてC57が軽快に駆け抜けて行った。

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2017-9 羽越線

( 文、写真:H )

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2018年1月27日 (土)

嫌いなマーク

おそらく自分にとって唯一の183系「踊り子」のカラー写真。このマークの図柄が嫌いでEF5861にこれが付いても最初の1回撮ったきり。ロッテのキャンディー「小梅ちゃん」の袋のような漫画チックな絵を嫌悪していた。

ここ藤沢駅にはもちろんこの「踊り子」を撮りに行ったわけではない。お目当てはこの後、成田臨で上ってくるEF5861号機。東海道線を午前中に上ってくるかっこうのスジと知って初めて訪れた場所。本番前に300ミリのF2・8で「はやぶさ」と「踊り子」を撮ったが望遠効果がもの足らず成田臨の際には1・4倍のテレコンをかませた。

当時の成田臨は上野で機関車がDD51に交代する列車が多く、この頃はまだEF58は成田線には入っていなかった。61号機の写真はこのブログの初期にアップしたがいずれまた掲載するとして、今回は見苦しいヘッドマークの「踊り子」183系。1983年1月29日のこと。今からちょうど35年前になる。

(写真、文:U)

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2018年1月26日 (金)

SGの白煙

寒い日が続き22日に降った雪があちこちに残る首都圏。凍った雪に滑って転倒する人も多いようだ。

モノクロネガから取り込んだ画像を見ていたら、東京駅で1978年2月に撮影したSGを吹き上げるEF5868号機の写真に目が留まったのでアップする。時期が時期だけに暖かさを感じる。
旧型客車に挟まれて回送される20系、8111列車の写真。通常ならこの頃の8111列車はホームのある手前の12番線から発車したはずなのに、なぜかこの日は11番線から出発した。寒い2月の上旬、回送列車とはいえ乗務員もいるから暖房を入れて西下して行った。

東京機関区配置のEF58の中でこの68号機は最も地味な存在だった。61号機以下、スノープローを付けた88号機や124号機、ひさしのある49号機や若番の11、12、14号機などの中にあって目立たない存在。ファンの目から見てもこの機関車が団体列車の先頭に立つと正直、ガッカリしたのは間違いない。

しかしこの日の勢いよくSGを吹き上げる姿には何枚もシャッターを切った。ファインダーを見ながら煙が最も高く上がっているのがこのコマだったはず。
SGの煙を目立たせるには日中よりも夜間撮影の方が適しているが、この日は気温も低く、白い煙が比較的よく写った。バックに高層ビルのない当時の東京駅構内の雰囲気も懐かしい。

(写真、文:U)

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2018年1月25日 (木)

EF6627という機関車

当たり前のように日常的なものが徐々に無くなり、その末期になるとその昔の「当たり前」が却って注目を浴びるのは趣味の世界の世の常。私たちの時代が経験した典型は蒸気機関車が消えていく中でのいわゆるSLブーム。そしてその後EF58などの旧型電機やDD51などの国鉄型車両も同じ流れをたどっている。航空機でも、あれほど多かった成田空港のB747ジャンボジェットも、末期は一日数機の為に気合い入れて通っている熱心な方も多かったようだ。

デジタル化した過去の写真を見ていたら、写っていたEF66の番号が27号機だった。今では何やらスター扱いになっているようだが、頭に大きなクーラーの箱を不恰好に乗せた今の姿は個人的には全く食指が動かない。

この写真ももちろん駅での「ついで」写真。何を目的にここに居たかと前後のコマを見ればEF5869が単機で停車してる姿があった。確か、呉線で珍しく工臨を牽引したあとの単機回送が途中駅で長時間停車したため、工臨撮影の帰路についでに撮ったものであろう。

ということはこのEF66は「ついでのついで」ということで。。。

この週末はこのブログの皆さんとも久しぶりにお会い出来そうで楽しみである。

(写真・文:K.M)

山陽本線にて 1980年

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2018年1月24日 (水)

EH10唯一のカラー写真

しばらく前、K・MさんがEH10のことを書いていらしたが、自分にとってこれが唯一の同機のカラー写真と思われる画像をスキャンしたのでアップする。1978年3月に岡山機関区でのもの。
EH10は試作機と言われる1から4号機はパンタグラフが車体中央にあって、5号機以降とはちょっと変わった形態。そのため岡山機関区で見かけたのを機にパンタを上げていただいた。このとき、自分はカメラにフィルムを入れ忘れていて直後に気づき、再度パンタを上げて撮らせてもらった。内心、恥ずかしい思いもあってお願いするのをためらったが、1,2号機はすでに吹田第2機関区で廃車前提の休車状態、とてもパンタを上げられるような状態ではなかったから無理を言った。曇天とはいえ遮る機関車もなく停車位置が良いことにも救われた。まさかこれが自分が撮影するたった1度のEH10のカラー写真になるとは思わなかったが、今になってみれば恥を忍んでお願いしたのが功を奏した。

機関区の訪問に際しては事前に往復はがきで日時を書いて返事を頂戴し、手みやげを持ってうかがったから無下にできなかったのかもしれないが、ご厚意にはとても感謝している。電気機関車よりもDE50やDD51が目当ての訪問だったのに、他区所属の機関車であるEH104ばかり撮っていたのが申し訳なくもあった。
振り返れば、色が地味だったことがこの機関車をカラーで撮影しなかった要因だったと思う。3号機も何とか撮影してはあるが、パンタの位置が分かりづらい正面がちのモノクロ走行写真ゆえまだスキャンしていない。

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全機廃車になると分かってからもファンの注目度は低く地味に消えていったEH10。パンタグラフの位置が変わった量産機の写真もアップする。こちらは吹田第2機関区での撮影。

(写真、文:U)

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2018年1月22日 (月)

雪の東京

どうしてこうも首都圏の鉄道は雪に弱いのだろう? 今日の雪で通常は1時間半もあれば(接続がうまくいけば1時間10分)悠々、帰宅できるところを2時間40分もかかった。最初から当てにならない東急・田園都市線を敬遠して山手線、新幹線、横浜市営地下鉄を使ったのだが、山手線は原宿駅でホームドアが動かなくなったとかで、乗っていた電車が浜松町駅でストップ。40分も動かず、さりとて隣の京浜東北線も満員で乗車できないという事態となった。この時の線路上の雪はどう見ても5センチほど。たかがそれしきであちこち支障が出て電車が動かなくなるのだからたまらない。先週から天気予報で今日の予報は出ていたのにこのザマ。こうなるとJR北海道の凄さがよく分かる。いくら最新鋭の設備や電車を投入しても、けっきょくこうなるのかと浜松町の動かなくなった電車内で失笑してしまった(気温や雪との因果関係があるのかないのか、寒いと動かなくなるホームドアっていったい何なのだ???)。

東急はさすが、JRのさらに上を行く。運行状況を知ろうとしてもネットさえつながらず(この時点でほかの私鉄は全てつながった)田園都市線の様子も分からないし、やっとつながった緊急用のHPには「(遅れが出ているので)他社線への振り替え輸送もご利用ください」だと。雪でどこの社も同じ状況なのに、ほかの路線に振り替えを訴えても意味はない。文言にするならせいぜい「他社線への振り替え輸送などもご検討下さい」か、いっそ振り替え輸送云々については省略した方がスッキリする。ネットもろくにつながらないうえに、これでは責任逃れとも受け取りかねない。見ようによっては「うちの会社よりJRや、ほかの私鉄の方がまだマシですよ」と言いたいのかと勘ぐってしまう。利用客の神経を逆なでするかのような不快な文章に、「この会社、バカの集まりか」と本気で思ってしまった(東急の知り合いの方、過激な物言いで申し訳ない)。

とにかく毎年恒例、雪で「やっぱり遅れる」首都圏の鉄道各線、来年も再来年も繰り返される「年中行事」なのだろう。さて明日の朝は凍結でさらに混乱するんだろうな。

それにしても、下の写真の運転士の余裕綽々たる笑顔。雪なんぞ屁とも思っていない磊落な様子。線路の保守はしっかりやって欲しいJR北海道だが、雪をはじき飛ばすような表情にはある種の頼もしさを感じる。

(写真、文:U)

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関東の雪

天気予報によると関東地方は昼頃から雪。東京23区も積雪するようだ。

東京で雪が積もっても撮影に出かけた記憶がない。長距離の列車が遅れたりすることもあって寒い中で待つことが億劫だったからだが、その割には蒸気機関車現役時代や50歳を越えてから夜行列車を撮りに何度も北海道に通ったのだから言い訳にしか聞こえないだろう。

下の写真はわざわざ撮りに行った写真ではなく、祖父母の家に行ったときについでに撮ったもの。高校生の頃だった。たまたま持っていたニコマートに85ミリで撮ったように記憶している。ブルートレインや特急、EF58など、それなりの被写体があったから少しだけ時間を割いても記録する気になったのだろう。

明日の朝、積雪が残っても通勤を早めてまで撮りたい列車がないのは寂しい限りだ。

(写真、文:U)

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2018年1月21日 (日)

新津機関区のC57180

最近はどこもうるさくなって夜間撮影などできるところが少なくなってしまった。

このC57180「ばんえつ物語号」もかつては新津に戻った後、点検風景を機関区の裏側から離れて撮影できたが今はどうなっているのか?もちろん当時でも、庫内へ立ち入るようなことはしてはならないのがマナー。長めのレンズで点検風景をのぞいた。

SLの写真は盛大に煙を吐いて走る姿も魅力的だが、こういうシーンも絵になる。大して煙の出ないJR東日本のSLも、できれば夜間撮影の機会を設けて欲しいものだ。
(写真、文:U)

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2018年1月20日 (土)

キハ81とDF50

蒸気機関車時代から何度も行った紀勢線。SLが廃止になってもDF50を撮りたくて和歌山の親戚の家をベースに年に2、3回は訪れた。

その中でどうしても撮っておきたかったのがDF50と唯一、紀勢線に残ったキハ81との絡み。これは自分にとって最重要課題だった。今回の写真は1977年のゴールデンウイークに尾鷲の駅で撮ったカットで、この2形式の車両が顔を合わせるシーンは当時のダイヤで見ると、まともに撮るにはここがベストだった。なにしろキハ81は日に数本設定があった「くろしお」の中でも、名古屋と天王寺を結ぶ最も走行距離の長い1D、2Dの天王寺側だけに充当されていたから撮影地が限られた。つまり1Dでは天王寺側の先頭だが2Dは最後部になる。後追い撮影せざるを得ない2Dだとディーゼルの排気煙が撮影者側に流れるからその煙で視界が遮られてしまう可能性もあり、なるべくならこちらに向かって来る1Dの方が無難。したがって名古屋からの1DがDF50の牽く同じ下り列車を追い抜く駅があれば理想的だが、列車の間にホームがあるなどしてスッキリした並びは困難。後追い撮影になるのを覚悟して2Dの尾鷲に賭けることにしたのだった(なお、左の「くろしお」は停車中には右の普通列車とは並ばず、名古屋に向け発車してからDF50と顔を揃える)。

結果は1勝1敗。2Dからの排気煙が立ちこめなかったのは無風だったからだろう。ただしこの日は下の写真のように左端に遅れか臨時の貨物列車を牽くDF50も停車していて、そこまで50ミリの画角に収まらなかったことが心残りとなった。今なら28~70ミリ程度のズームレンズで悠々、収めることはたやすいだろうし、脚立があればもっと上方から撮れてホーム左側の手すりもクリアできただろう。昔の写真を見ると今の機材があったらと思うことはしばしばだが、しかし40年もたつとそんな思いも懐かしい思い出となってしまう。

その後、この2形式の車両の絡みは一切、撮影していない。及第点はクリアしたと判断したからだ。

(写真、文:U)

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2018年1月18日 (木)

EF6620

単に「Before after」というだけの2枚。

昔、真鶴にEF5861を撮りに行ったときに偶然、やってきた特別塗装のEF6620(上)。趣味誌でこんな塗装のEF66が存在することは知っていたが、見たのはこのときただ1回だけ。EF66のうち何両かがこのように塗り替えられたと思い込んでいたが、1両だけだったようで、集まったファンが喜んでいたことを思い出す。この貨物列車が通過した後に61号機牽引の団体列車が来たが、そのときになって曇ってしまったことも印象に残っている。92年の早春のこと。

下は1977年、品川駅での撮影。ネガを見ていたらひさしのないEF66が写っていたのでスキャンしてみたら塗装変更前の20号機だった。品川~名古屋をEF58が重連で牽引する荷物35列車を撮りに行った際に見かけた。ひさしのないEF66は案外、少なかったように思い何枚か押さえた。総武快速がまだ横須賀線とつながっておらず品川止まりだった時期で、このホームは最も新幹線に近く、しかも新幹線側に電車が止まることもなかったからかぶることもなく貨物列車や荷物列車を撮るのに適していた。いつもバックに新幹線が通るタイミングを見計らってシャッターを切っていたが、おそらくこのときはすぐに汐留に向け発車したために、そうしたシーンを押さえることはできなかったのだろう。今、ここに新幹線のホームができていることも時代の流れを感じる。

(写真、文:U)
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2018年1月17日 (水)

183系タイプの特急3種

今さら気づいたことだが、国鉄時代の特急色をまとった183系や485系(貫通型)の電車も残りは中央線に残る189系のみとなってしまったとか。先日、たまたま撮影し、7日の記事にアップした写真の編成がそれだと聞いて驚いた。日本全国、あれほど至る所で見られた車両も風前の灯火。今さらながら世の中の移り変わりの早さにビックリしている。

最盛期がいつだったのか特定できる知識はないが、とにかくどこへ行っても当たり前に見られてウンザリしていた電車もいよいよ見納めのようで、ならばもう少し居座って新宿から客を乗せて河口湖に向かう「ホリデー快速富士山1号」を撮るべきだった。間抜けだからそんな事も知らず朝日に照らされた送り込みの回送列車だけ撮って意気揚々と引き揚げてしまったのは愚の骨頂ではないか。今さらながらそういった情報に疎い自分にあきれてしまう。恥ずかしい。調べてみたら今後もまだ走るようだから撮影するチャンスはあるものの、重い腰が上げるほどの魅力にはもう一歩。7日こそ絶好の機会だったのに惜しいことをした。

今回はそんな事もふまえてポジからスキャンした同系の写真を3種だけ掲載する。なにしろこれまで全く関心のない車両だったから詳しいデータは割愛して3枚をただただ並べてみる。国鉄色以外の写真もあるが取りあえず。

(写真、文:U)

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2018年1月16日 (火)

東海道線を下る61号機

福岡時代の写真はまだあるが、住んでいた92~95年はすでに電気機関車もED76とEF81だけになり、EF30やED72、73、74、75が活躍していた頃の面白みは薄らいでいた。だから撮影には行ってはいたものの、入れ込んで撮るような車両はなく、せっかく九州にいるのだからという義務感のようなものだけに動かされていたのかもしれない。なにしろ酒も美味いし魚を中心とした食べ物も最高!日中は毎日が二日酔いで、暗くなるとまた酒を飲む繰り返し。なにかのついででもなければ自ら線路際に立つ機会を作りようもなかった。

いずれまた当時の写真をアップするつもりだが、真っ赤な485系などをこのブログで見るのも不快なのでいつになるやら。その際はもっと昔のモノクロ写真と併せて掲載することになるだろう。

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国鉄からJRになってEF5861の人気はさらに上がったが、個人的には東京機関区が廃止され新鶴見、田端と転じた61号機への関心は低まってしまった。きっと仲間の方々もそうだと思うが、おかしなマークを付けてイベントものに担ぎ出されると不快なファンも多くそれがたまらなかったし、区名札差しに「新」とか「田」との札が入っていることに違和感があった。特に形式写真が撮れる機会などは「東」以外のものだとその印象が強く、正面方向以外から撮影することは滅多になくなっていく。さらに61号機の晩年(まだ車籍はあるのだから「晩年」という表現は違うかもしれないが)は国鉄時代の車体色がだんだんと派手になり、エンド標記のプレートなどまでが金色にされ、何だかかつてのスターが厚化粧されてしまったかのような悲哀すら感じた。

今回の写真は1988年11月に戸塚~保土ヶ谷で撮ったもの。12系の「やすらぎ」という団体用客車を牽いた際のカットで600ミリ使用。かつてブルートレインを撮っていて夕方の光線が気に入り、何度かチャレンジした写真。東海道線の客車列車は午前の上り、午後の下りが良い光を浴びるが、ヘッドマークなど無粋なものを付けずに61号機が夕方の下りに入るチャンスは少なかった。ここは本来なら真夏の17時前後の光が最も良いのだが、そんなチャンスはもう訪れなかった。ブログ開設時の再掲。

(写真、文:U)

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2018年1月14日 (日)

九州時代の写真⑤完

福岡在住時代の写真も今回でいったん終了。2枚目と4枚目はブログ開設当初にもアップしたもの。

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ED76のサザンクロス機を真横から撮った上の流し撮りは、この手の機関車を狙うときの義務のようなアングル。肥前山口で分割された「さくら」の佐世保行きを牽引する際に撮影したが、佐世保線内は思っていたよりも開けた場所がなく、バックは良くないが妥協した。
下は上り「みずほ」。田原坂付近での撮影。

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この写真はいつ撮影したか記憶に残っていないが、たまたま撮れたカット。この頃(1994年初夏だったと思う)は年に数本、熊本から大分方面に向け団体列車が走ることがあり、出張で阿蘇方面に行ったときに出くわした列車だったと記憶している。そうでもなければ、こんな列車をわざわざ撮影に行くはずはない。プッシュプルというのは、前後の機関車を画面に入れようとするとなかなか撮りににくい運転スタイルだが、DE10牽引の12系列車は久大線に現役だったのだから、前の機関車1両だけではさすがに面目なく、珍しくショートズームを使用した。有名な豊肥線・立野~赤水のスイッチバックを上がってきたシーン。

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厳密に言えばこの写真は福岡在住時のものではなく、95年6月に東京に戻った後、翌96年10月に福岡の飲み仲間に会いに行った旅行時に撮った画像。福岡時代はこれほど由布岳が見える好天に恵まれなかった。12系客車はすでになく、客車列車がなくなる直前、一時50系客車で運用されたと記憶しているが、事実誤認があるかもしれず、そうならばご指摘いただきたい。

(写真、文:U)

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2018年1月13日 (土)

九州時代の写真④

今回も九州時代の写真。

毎年、11月に佐賀県の唐津市で行われる祭り、「唐津くんち」では市内の宿泊施設が不足するために、補完策としてブルートレイン用の寝台客車を熊本から回送し「列車ホテル」として使用した。そのための回送が今回の写真(上の2枚)。牽引するのは熊本から豊肥線の水前寺まで、非電化区間に乗り入れる特急「有明」を牽いた専用色のDE10。

当時の485系特急色に合わせるべく施された塗装で物珍しさこそあれども、それにしてもここまでやる必要があったのか?DE10本来の塗装のままで「有明」を牽いて何ら問題はあるまい。熊本、あるいは水前寺からの乗客が特急と気づかずに乗ってしまうとも思えない。むしろヘッドマークでも付けた方がマシだったのではないかと感じたことを覚えている。

その後、485系はあの水戸岡某がデザインしたと言われる赤い色に「落書き」が入った車体色に変貌。牽引するDE10もこの1755号機中心の運用から一般色のDE10も頻度高く使われるようになっていった。

(写真、文:U)

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2018年1月12日 (金)

成田 初詣

今年の初撮りは例年通り成田空港でのんびりと。1月4日の日の出前からB滑走路に降りていく機体にシャッターを切った。

鉄道写真同様、撮影目的は「記録」であり、風景や情景などの芸術的要素には全く興味がないので、順光で機体全体がはっきり写りレジが読めればそれで良し。誰でも撮れる量産写真と言われようが没個性と言われようがお構いなし。所詮の趣味の世界なので自分だけが満足していればそれでOK。よくSNSなどで他の人の作品をなんだかんだコメントしているのを見ると逆に(コメントしている人のほうを)可哀そうだと感じてしまう。

その昔は単焦点レンズをマニュアルフォーカスで必死にピントを合わせ、ISO64のコダクロームフィルムで露出とシャッタースピードの組み合わせに苦労しながら36枚を1枚づつ丁寧に撮っていたことから比べれば、デジタルカメラの革新的な技術で、だれでも簡単に一定の写真が撮れてしまう今の時代、そんな意味からすればすべてが没個性的でもあると感じる。

そんな中、日の出前に現地入りしたら、満月チックな月とB787のコラボが撮れてしまった。自分的には全く惹かれることのないカットであるが、エンジンの排気が月光を揺らめかせているところがちょっと面白い、ただそれだけである。。。

(写真・文:K.M)

2018年1月4日 成田空港にて

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2018年1月10日 (水)

EF6477お召列車

比較的穏やかな年末年始が過ぎ、気づけばこの10日間で出勤は1日(1月5日)のみ。その間、撮影は成田空港に4日間行ったがまだ線路端には立っていない。

正月に日章旗を見ると本能的にお召列車を連想してしまう。国鉄時代の末期、1986年10月に「国鉄最後のお召列車」が運転された。山梨県での国体に伴う運転で、往路は10月11日(土)に原宿から甲府までだったが悪天候で雨の中の撮影になった。

復路は10月14日、ちょうど鉄道記念日に大月から原宿までの運転で、大崎を12:15に出た回9505列車で大月まで送り込まれて、14:58に大月を出て原宿着が16:27のダイヤ。10月とはいえ陽の落ちるのも早くなってきていたので山の影が心配であったが、ぎりぎり機関車側面には光線が当たって、なんとか中央線らしいカットを記録することが出来た。

***

U様 コメントありがとうございます。EF5861の窓から漏れる橙色の暖かい光には癒されます。。。

(写真・文:K.M)

1986年10月14日 EF6477+1号編成

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2018年1月 9日 (火)

九州時代の写真③

もう1回分、ED7678のカラー写真はスキャン済みなのだが、1枚は既出だし、もう1枚は真横からの流し撮り、そして何より3回も続けて同じ機関車の写真を出すのも芸がないから今回は筑豊線と久大線の客車列車の写真をアップしようと思う。

この時代、1994年になると全国各地からいよいよ客車列車がなくなって、九州でもブルートレインを除くと筑豊線と久大線くらいしか定期でその姿を見ることができなくなってきた。久大線は青い12系、筑豊線は赤い50系だったが、50系客車は1978年3月に全国に先がけて筑豊線に走った時に撮っているのも何かの因縁。最初と最後の時期に立ち会うことになったわけだ。

上の筑豊線の写真は筑前山家と筑前内野にある有名な冷水峠。蒸気機関車現役時代には重連や三重連なども走ってファンが多かったのは周知のこと。C55、D50、51、60が山越えに挑んだ峠で、DD51の時代になっても住んでいる福岡市内からもアクセスは良く、周囲に建物もない開けた場所だったから、ここを集中的に攻めた。
実はこの写真を撮った場所は高い金網が張り巡らされており、最初に行ったときは金網越しの撮影で思うような結果は得られなかったために、2度目以降の訪問では脚立を持参し金網の上から撮影した。自分にとって趣味の鉄道撮影に脚立を使ったのは初めての経験となる。

下の写真は久大線の天ヶ瀬と豊後中川の区間。ある日の夕暮れ、車で通りかかったら、なかなか良い光線がスポットライトのように列車を照らしていた。そのときは長いレンズを持ち合わせておらず撮ることができなかったが、その後、5回ほど通って撮ったカット。500ミリ使用。

いずれも目新しい写真ではないが、酒や遊びにかまけて鉄道撮影に熱心でなかった九州時代の数少ない写真になった。

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派手な発色はフジのベルビア。ISO100で使うのが一般的だったが、自分はもっぱら指定感度のISO50で使っていた。その方が彩度が高い気がしたためだが、実際に検証したことはない。

(写真、文:U)

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2018年1月 8日 (月)

九州時代の写真②

6日に続きED7678の写真。昨日、つまらないお手軽写真をアップしたために1日空いてしまった。

けっきょくこの機関車が牽いたブルートレインは「みずほ」「あかつき」と「さくら」の3列車しか撮ることができなかったが、その中で自分が撮ることのできた「さくら」のマークは周囲が緑で中央の桜がピンクという組み合わせがカラフルだった。実際には桜の花が満開の時期に葉が緑になるような事はないわけで、そう言う観点ではおかしなデザインではあるものの、それでも強引にグリーンが配されたために濃いレッドの78号機には一般のED76よりも映えたように思う。伝統の白とピンクの組み合わせを見慣れた目には、違和感もあったが、今にして思えばこのマークが付いた78号機を押さえることができたのは幸運だったと振り返っている。

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さて「サザンクロス」と言えば、非電化区間乗り入れのためにDE10にも専用機があったが、自分が撮れたのは1回のみ。妻と湯布院に遊びに行ったとき、朝風呂に入る前のひとときに撮ったのが唯一。おまけに逆光に近い光線下だから車体の色などもよく分からない駄作。むしろこの直後、モノクロで撮った一般色のDE10が牽く、続行の客車列車(タウンシャトル)の方が湯煙が上がる湯布院の雰囲気を伝えて好ましい写真になったような気がする。Img099_13_3

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(写真、文:U)

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2018年1月 7日 (日)

国鉄特急色の189系と遭遇

2018年最初の撮影はこんな列車。マイカーで環八を走行中、たまたま通りかかった駅でのショット。ちょうど長いレンズも積んであったし天気も良かったから、何十年かぶりに中央線のホームに上がったら、うまい具合にこんな列車がやって来た。北海道・摩周から来た若者も居合わせ、総勢3名での撮影となった。

昔だったらわざわざ撮りに行くような車両ではないが、やはり国鉄色は懐かしい。1時間ほど待てば新宿から折り返す列車も撮れたが、さすがにそちらはパス。(この日は特別だったのかもしれないが)駅前に朝もやっていた立ち飲み屋があったから、そこで一杯やって暖を取る手もあったが、車だからそうはいかない。いずれ電車で訪れて、そんなコースをたどるのも楽しそうだ。

(写真、文:U)

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2018年1月 6日 (土)

九州時代の写真①

福岡に赴任していた当時の写真をスキャンしたのでアップしようと思う。

福岡に住んだのは1992年6月から3年間。もちろんそれ以前にも何度も訪れてはいたが、久しぶりに行ったこの頃は国鉄型の特急電車がおかしな色に塗られてビックリしたことが記憶に鮮明だ。水戸岡某とかいうデザイナーによる、目を覆いたくなるような「落書き」的な塗り替えだったが、それはさておき、当時はまだブルートレインや久大線には客車列車もあって、それらを中心に撮影していた。

ただ、仕事も忙しかったし、鉄道撮影以外にもテニスや釣りなどに費やす時間も多く、決して自慢できるような写真は多く残ってはいないから、「恥ずかしながら」という前提でお見せする。

今回は「サザンクロス」という、主に団体列車用の赤い客車の専用機だったED7678の写真。一般のED76に比較してもそれほど違いの大きい塗り分けではなかったが、濃いレッドは遠くからでも一目瞭然だった。ちょうど「みずほ」が廃止になると予告が出た時期で、当然この機関車が同列車に充当されるチャンスを狙って何度か出撃したものだ。その情報は現在、九州の鉄道博物館にいらっしゃる宇都宮照信氏に提供していただいたりしたもので、同氏とお会いできたことは本当に光栄だった。

今でこそ有名になった大野下付近で捉えたこのカットは、線間の雑草の除去に多くの時間を費やして記録した一コマ。「サザンクロス」はすでになく、78号機もこの後、ほどなく廃車されたから車体の傷みや汚れも目立つが、鉄道ファンと出会うこともなく、ユーノスロードスターをオープンにして弁当を広げ、本番に備えたことを思い出す。一時期、使用していたキヤノンのEOS1に300ミリでの撮影。

(写真、文:U)

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下は鳥栖駅での撮影。「みずほ」はここで熊本行きと長崎行きに分割されるため、2台のED76が顔を揃えた。向こう側が門司から着いた列車で、横に待機する78号機が長崎までを担当した。

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2018年1月 4日 (木)

東急8500系引退へ早くもファン

このところ田園都市線のホームで写真を撮っている人を多く見かけるようになった。たまプラーザや二子玉川、あざみ野などの有名地はおろか、江田、市が尾、溝の口などにもカメラを構えたファンが恒常的にいる。長津田工場の入出場車や検測車を撮っているのかと思っていたが狙いはどうやら8500系らしく、その影響を受けるように自分も先日、目をつけていた初めてのポジションで捉えてきた。

年末の記事に書いたように新型の2020系が3月から投入されることで、誕生から40年を越えつつある8500系の淘汰が本格化するためのようだが、それにしても全面撤退まではもう少し時間を要するはず。なのに今からこんな状況になりつつあるのはそれなりに人気が高い車両だからなのだろう。

車内には扇風機がある大手私鉄の車両も今や珍しいし、走行音もそれなりに盛大な8500系だが、コルゲートのあるステンレス車は根強い人気があるようで、ベテランファンの姿も多い。この傾向はこれからますます強まっていくのだろう。沿線在住の人間としては負けられない思いも出てくる。

(写真、文:U)

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2018年1月 2日 (火)

30年前のEF5861成田臨

家族だけで静かに新年を迎えた。

喪中ゆえ、年初の挨拶は省かせてもらうが今年も大勢の友人にいろいろとお世話になることだろう。どうかよろしくお願いします。

2018年最初の画像はブログのタイトルからEF5861としたい。このブログを始めた頃に使用した写真を再度、色調整したもで、交友社の「EF58ものがたり」(下巻)の表紙になった伊藤久巳氏撮影の成田臨の復路、回9836列車。1988年1月10日の撮影。この頃はオートフォーカスもなく、手でピントを送りながら連写したものだ。ニコンF3P使用。

当時は600ミリの超望遠でこういうアングルで狙った作例はほとんど見ることもなく、そう言う意味ではいくらか先駆的なアングルだったと思う。裏話を披露すれば、「EF58ものがたり」の表紙の写真は成田線内での撮影地に関してここといって思い当たる場所がなく、通過時刻が迫り仕方なく選んだ場所だったが、結果的には上ったばかりの朝日が良い演出効果をもたらしてくれた。未明のファミレスに仲間が集まり「作戦会議」をしたものの、成田線に関しては決め手になる場所を誰も知らず、地平線から上がったばかりの陽光が降り注ぐであろう最も成田寄りに位置する下総松崎を目指し見つけた苦肉のポジションで当然、身内だけでの撮影。

その後、伊藤氏の作例を見た連中(中にはその後プロ写真家になった御仁もいる)が散々、真似するようになったのは今さら言うまでもないが、超望遠レンズで正面方向から撮る写真を「面タテ」などと安易な言い方をするようになったことに、電気機関車を「カマ」と言うが如く、つくづく言葉遣いの〝偏差値〟を感じたものだった。

(写真、文:U)

Img0460

ところでK・Mさん、ED75の「ゆうづる」形式写真、高崎の61号機、どちらもうらやましくなるようなイイ写真ですね。後者は特に模型的な印象もあって実際に模型で再現したいほどです。ムサシノモデルが製品化してくれるなら、機械室の照明も再現して欲しいとリクエストしたくなりました。

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