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2017年10月

2017年10月31日 (火)

EF65PFの「瀬戸」

もう10月も終わり。そろそろ忘年会のシーズンが近づいてきた。きっと大阪のAさんなどもいらして、また横浜・中華街あたりで一献囲む機会が設けられるのだろう。待ち遠しくなっている。ただ、今年はほとんど撮影に行っていないから皆さんの話について行けるかどうか不安ではあるが、逆にお若い方々から刺激を頂戴して来年につなげたいとも思う。

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自分としては数少ない「瀬戸」の写真。東神奈川での撮影。下手するとEF65PFの「瀬戸」はこれ1枚しかないかもしれない。
とにかく当時(1980年ごろ)はいかに東海道、山陽筋のブルトレといえども、個人的な関心はかなり低かった。これもEF5860の牽く「紀伊・出雲(かつての「いなば」から改称)」を撮りに行ったついでの撮影だったように記憶している。

東神奈川のこのポイントは自分にとっては鬼門とも言えるべき場所で、いつもお目当ての列車を撮るときにかぶられたり、かろうじてセーフというタイミングが多く、この写真のように前後2基のパンタグラフとバックの架線柱が重ならずにシャッターを切れたケースは希有。列車の運行本数が少ない早朝だから助かったのだろう。
それでもここは長編成向きのお気に入りの場所。めげずに何度も通ったものだ。まだ大口径超望遠レンズ購入前で、ペンタックス6×7の200ミリや35ミリの100ミリや135ミリにはちょうど良い画角だった。1987年6月からこの近く、東横線の白楽に住むことになってアクセスが楽になったが、荷の重い仕事を任される年齢になったり、父が病になるなど、身辺慌ただしくなって鉄道撮影になんぞにかまけているヒマが減ってしまったから、そばに住んでいながら訪れる機会は激減してしまった。

(写真、文:U)

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2017年10月30日 (月)

車窓から見た東京機関区

われわれと同じ世代のファンならば下りの東海道、横須賀線に乗って田町を過ぎた頃に列車の進行方向、右側に見える東京機関区界隈は気になるスポットだったと思う。撮影に出かけたときのみならず、通勤や通学などの際でも窓辺に寄って、きょうはどんな機関車が駐泊しているのか確認した経験も多いのではないか。
今となっては機関区どころか電車区の大部分さえ撤去され、山手線にはまもなく新駅が造られるほど様変わりしてしまったが、かつては鉄道ファンにとって注目度の高い場所だったことを否定するファンはいないだろう。

今回アップするのはまさに車窓から撮影した写真。ムービーで記録しておけば面白かっただろうが、通過する間、わずか数秒では何度も撮影して継ぎ足していかないとあっという間に終わってしまうから、これはこれで残しておいて良かったと思う。もはや窓の開かない列車ばかりだから、こんな写真すら懐かしく感じるもので、絵柄としては人様にお見せできるようなシロモノではないことは承知の上。懐かしく見ていただける方もいらっしゃるのではないかと勝手に考えてアップする。いずれもノートリ。撮影日は混在しているためあえて記さない。
混雑する電車の窓を開けてはほかの乗客に迷惑になるから、いずれも早朝の空いた車内からの撮影。お宝、EF5861は庫の中にいることが多く、列車から見える機会は少なかった。

(写真、文;U)

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田町方向から見える最初の光景は出区待ちの機関車。この日は下関のEF5830が回8111列車に備えて待機中だった。東京駅発の下り列車の場合、ここに止まっている機関車が最初に機関区を出て行った。

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この日は貨物用のEF65が駐泊中。EF65500番台もまだ在籍していた。

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浜松のEF58は東京機関区の〝常連〟。この日は26号機と166号機(ただし、ブレていて判別が曖昧、156号機の可能性も)。

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品川寄りにEF5860号機が僚機26号機と並んで駐泊しているのを目撃!

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新橋駅を通過する京浜東北線内から見かけた光景。お仲間の某氏が狙っているのは「銀河」をけん引して品川に戻るEF5853。ムービーも撮っていた様子。この後、自分も合流した。東京、品川、大井町界隈では待ち合わせなどしなくても、パッタリ仲間たちと会うことが多かった。

(写真、文:U)

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2017年10月28日 (土)

883系のお披露目会

1992年6月から1995年6月までの3年間、福岡に赴任していた時代に博多駅で行われた883系電車の「お披露目会」。息子が生まれたのが1994年だから、撮影もこの年の夏だったように記憶している。

奇をてらったような水戸岡デザインは大嫌いだが、斬新なデザインを売りにしたかったのだろう。先頭車の前面に、今となっては使われていない、中身の見えないゴミ袋のようなカバーをして試運転を行い、博多駅でのお披露目会でそれを外すという「ショー」が仕立てられた。
テープカットとともに瞬時にカバーが外れるような仕掛けではなく、人力でエッサホイサとカバーははがすという、実にのどかで素朴な演出だった。電車区のある南福岡からは後部となるものの、車掌室の窓にまで目隠しをして運転したのだから、貨物列車ならいざ知らず個人的にはむしろそちらの方がビックリした。安全確認上、問題はなかったのだろうか?(→客扱いしていない場合はOKなのか、自分には知るよしもないが)

ゴミ袋のビニールの如きカバーを被せ、ホームレスのような姿で九州最大のターミナルへの入線させるよりは、いっそ南福岡から機関車で博多まで引っ張ってきた方が、連結器の問題はあったにしても「流れ」としては美しかったような気がするのだが…。当時、現地のファンの失笑を買った記憶がある。

(写真、文:U)

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                 南福岡から博多駅への入線時、小倉方はこんなビニールで覆われていた。まるで建設現場の養生。

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                 熊本方のカバーは小学校の体育用具のカバーのごとき厚手のもの。

Photo_8                  合図とともに人力でカバーが外される。

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                 作業に携わった方々、お疲れさま!と言ったところか。

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本日、出社の際、通りかかった「フレッシュベーカリー神戸屋 新橋駅店」でサンドウィッチを買ったら隣で外国人のカップルが商品(パンなど)を手で持ってスマホで撮影していた。ご本人たちがそのまま購入するのかと思いきや、もとの棚に戻して出て行ったのを見てビックリ。人の口に入らないものならともかく、食品を手にして写真を撮り、買わずに元に戻すという行為にあきれ返ったのは言うまでもないが、同時にそれを目の当たりにして注意しない店員にも愕然。やめさせるべきだと伝えたが、何が悪いのか理解できない無反応な様子にはもっと驚いてしまった。いったいこの店、どうなっているのだろう??? 自分が買おうとレジに持って行ったサンドウィッチを買う気も失せてしまったが、買わなかったらその外国人と同じ行為に見なされてしまう。2度とこの店で買うことはないが、凄い光景に出くわしてしまった。

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2017年10月26日 (木)

特急機EF60501の2態

かねてからの噂通り、高崎のEF641001号機が国鉄色に戻されたらしい。「戻された」と言っても、茶色塗装の期間の方が圧倒的に長かったのだから、むしろ「国鉄色に塗り替えられた」と言うべきなのかもしれないが、とにかく今後はこの姿で活躍するのだろう。
どちらが好きかと聞かれれば茶塗装の方が好みだが、運転室窓のHゴムもグレーとなって僚機1052や1053とは違った魅力を発することだろう。

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今回アップするのはかつてのブルトレけん引機EF60501。特急色で夜行寝台列車の先頭に立っていた時代を知らないが晩年、当時の塗り分けに戻されたためこうやって並べて掲載する事ができた。
ブルトレの運用をEF65500番台に譲って貨物列車用に転じた際、わざわざ貨物用の塗り分けが施されたのだが、後継機EF65500番台が貨物に使われるようになったときは特急色のままだった。なぜ方針が異なったかは知らないが、塗り分け一つでこうも印象が違うのが面白い。
東京機関区から浜松に転じ、八王子を経て高崎で保管されていたようだが解体されてしまったとか(コメントをお寄せいただいたPKRさまのご指摘により「碓井鉄道文化むら」に保存されていることが判明。失礼しました)。自分としてはヘッドライトが2灯のEF65よりも1灯のEF60の方が端正な顔立ちに見える。

(写真、文:U)

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2017年10月24日 (火)

大森付近で撮影した2コマ

どうあがいて、もはや自分が熱中できそうな車両はわずかしかなくなり、それも定期的に走るような存在ではないから、そろそろ鉄道撮影も潮時だ。今年、撮影に出かけた回数はわずか21日。そのカウントには家族で旅行に行ったついでに撮ったものもふくまれるわけで、DD51の夜行列車を撮りに北海道へ通っていた頃の情熱などみじんも残っていない。JR30周年記念のEH500による「カシオペア」の話を聞いても、走る時間帯を考えれば関心も高まらず、そもそもあんな時間帯に走らせて、何が記念列車なのかとしらけている。

そんなことはともかく、鉄道撮影に行く機会が激減する今後を見越して自室の棚から鉄道雑誌の多くをグルニエや納戸に移し、模型を陳列するための模様替えを行った。ほとんどは蒸気機関車の16番模型だが、プラモデルの戦闘機が並ぶ姿も見栄えが良い。好きなF4ファントムやロッキードのF104などを並べ、一見、模型店のショーウインドウの如くに改装して悦に入っている。今後、写真集など豪華本以外の雑誌はさらに駆逐して、部屋の棚の大部分を100両ほどの模型やニコンFなどフィルムカメラの陳列スペースにしてギャラリー化したいと考えている。

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小池都知事が「排除」という言葉でずっこけ、またしばらくあの安倍の間抜けヅラを見る機会が長引くと思うといたたまれない。せめて11月1日の首班指名で引っ込んで欲しいと思うが、どうやらそれも難しそう。人様のことを顔で判断するのは恥ずかしいことだとは知っているが、彼の顔を見るとどことなくEF66の100番台のように、とらえどころのない不気味さを感じる。それも日を増すごとに濃くなっているように思えて、日本をおかしな方向に舵取りしているような肌寒さが漂う。

ともあれ小池知事の迂闊な言葉遣いには詰めの甘さを感じたし、政治家にとって重要な、言葉のチョイスに関する配慮の欠落は致命的。総選挙の結果は「自滅」という以外の何者でもない。けっきょく、一皮むけば中身は安倍と同じで、日本の政治家はどいつもこいつも似たりよったりだということを白日の下に晒した。リーダーがあれでは仮に「希望の党」が過半数を獲得していたとしても、今の状況にほとんど変化は生まれなかっただろう。

鉄道好きな前原さんも道化を演じてしまった。素直なお坊ちゃんがオレオレ詐欺に遭ったようなイメージで、哀れで同情したい気もするが、一方でそんな連中と付き合ってカモにされた世間知らずの坊やという印象。前回、民主党代表に就任したときも偽のメール問題で辞任に追い込まれたのだから、権謀渦巻く政界で人のホンネや事の真贋を見極める術が足りないのだろう。前述の狡知に長けた2人のヒールの前ではあまりにも影が薄かった。

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EF65500番台のブルトレはろくに撮影していない。一通りの写真は撮ってはいるが、どれも毎度おなじみの場所で同じような絵柄ばかり。いずれもEF58撮影の合間に撮ったものが多く、カラーで残っている画像も少ない。
特に「みずほ」の写真は思いの外少ない。東京に早朝、到着する「瀬戸」や「出雲」よりも少ないのはヘッドマークが地味だったから。ほかの「さくら」「はやぶさ」「富士」などに比較すると、簡素なデザインに映った。この写真を撮った後、牽引機は徐々にEF65PFへと交代したのだが、P型がスノープローを付けたまま使用されたのにPF型では外された。検修の際の手間を省く狙いがあったと言うが、PよりもPFが好みだった自分としては大いに落胆し、ならばP型時代にもっと撮っておけば良かったと悔やんだものだ。

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上とは別の日、1978年11月3日に撮影した荷物31列車のEF5860。当時、ここは高いフェンスもなく非常に撮りやすい場所だった。

(写真、文:U)

【ご注意】 アップしてある写真を見ていただく際、画像の上にポインターを持っていって右クリックし、「リンクを新しいウインドウで開く」で見ていただく方が、よりオリジナルに近いクオリティで見ることができます。

 

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2017年10月22日 (日)

EF58 大窓機点景

当ブログはEF5861という特定機関車を軸に青春を共にした仲間が参加しているが、Uさんのようにロクイチというより「大窓」にこそ真の魅力を感じている方々も多い。先般アップしたDD54も、初期型は窓が大きく、それ以降は小窓でHゴム化されているが、40両しか製造されなかったため機関車自体にレア感があり、細かな形態までは興味を惹かないというのが本音。一方でEF58やEF15、蒸機ではD51や9600など製造数が多いものは形態分類も興味深いものがある(もちろんその機関車形式自体に魅力があることが前提だが)。

EF58の大窓機が牽く列車を撮るときは線路端で望遠レンズを使ってというのが定石で「ワンパ写真」とか言ってはいたが、やはり一番窓の美しさが表現できる撮影方法であることは間違いない。

しかし少し違った撮り方もしているので懐かしい点景を紹介。和歌山で運転席に入れてもらっての撮影は22号機で、ワイパーがKW3Dの側、31号機は下関運転所での形式写真(っぽいもの)で、順光になる時間帯を待ってパンタを上げてもらい前に3mほど動かしての撮影。53号機は東京駅で銀河を牽く最後の全検出場直後の運用を新幹線ホームからバルブしたもの。

いずれも1カットごとに想い出が残るものとなっている。

(写真・文:K.M)

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2017年10月21日 (土)

歴史を感じる想い出の場所 

また馬鹿な話題が世間を騒がせている。大井川鉄道抜里での場所取り問題。その行為はもちろん、まず世間の人はあの文章の異様さというか幼稚さ、異常な自分勝手さにあきれると言うか、完全に社会人失格というレッテルを鉄道撮影者全般に貼ってしまうのではないだろうか。せめてあれが若い学生か未成年の仕業であることを願わずにはいられない。もしいい大人があんなメッセージを書いたのだとしたら、、、ああ、もうこれ以上コメントするのも苦しくなってくる。

こんなことが瞬時に話題になり世の中を駆け巡るのもネット社会になったからだし、そもそも列車の運転情報がネットで氾濫してからは特に「常識に欠けた」行動がエスカレートしてきたように感じる。

我々の年代は、昔話をして古き良き時代の懐古に浸れるのがある意味「特権」。自分たちが学生でEF58を追いかけていたころに、山科でC62のつばめを撮った方の話を聞くのと同じような感じか。まあ歴史は繰り返すので、今の若い人たちが30年ほど経てば、平成の最後の頃はまだ日本の鉄道本線を電気機関車が貨物列車引っ張ってたんだけどねぇ~、、、、なんて話すのかな?

こんな趣味を始めて四十数年。初期に撮った場所に再び行ってみてもその変貌に愕然とすることが多い中、ほとんど昔のままの撮影地もたまにある。

昭和50年代前半にEF10の重連を飯田線に撮りに行き、上市場の斜面から鉄橋を渡り築堤をカーブしてくる266列車を狙った。

それから時を経て、ED18が復活し、EF58も入線するようになったので、想い出の場所に行ってみたらほとんどタイムスリップ状態の原風景がそこにあった。

どの写真も一人きりで撮ったものでもちろん場所取りなんかは無縁の無名地。でもそこに込める思いは大きいものがある。有名撮影地で同じような「激V写真」とかいう規格品を大量生産しても、この感動は生まれないと思う次第。(以上、あくまで個人の私見・偏見でのコメントです)

(写真・文:K.M)

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2017年10月20日 (金)

お召し機EF6211

昨日は東急田園都市線・三軒茶屋駅で発生した停電に巻き込まれ、乗っていた電車が駒澤大学駅でストップ、中目黒まで歩く羽目になった。田園都市線の遅延はもはや常態化しているが、これほど酷い目に遭うのは久しぶり。いまさら東急に定時運行を求めるような気はサラサラないが雨足も強く、この季節としては気温も低い中を歩くのは負担だった。バスで電車の乗客を振り替え輸送できるキャパがあるはずもなく、タクシーもつかまえられないし、つかまえたとしても国道246号は大渋滞。裏道を熟知している地域だからレンタカーを借りようかと営業所に入ったら高級車かトラックしか残っておらず断念。「帰宅難民」ではないが「歩く」という選択が最も堅実だった。

東急によれば三軒茶屋駅構内の配電所から配電されている電気系統でショートが発生し、駅構内の各施設(照明・各種機器など)への電力供給が断たれたことが原因だというが、なぜショートが起きたかが問題なのであって、これだけでは納得できない。こんな子供だましのような説明のみでは消化不良で、情報開示が当然とも言える時代なのだからショートの原因こそ説明して欲しい。個人のブログか何かに掲載された写真を広報資料に無断使用してしまうコンプライアンスの欠如した企業体質だから、多くを求めても仕方ないが、ショートの原因が判明した段階で速やかに、かつ分かりやすく説明することを望む。

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EF62や63は自分にとってなじみの薄い存在。昔から信越線方面には何となく縁はないし、この機関車そのものに魅力を感じることもなかった。貫通扉のある車両が好きなくせに、運転室の前面窓の上側が後退したデザインが好みではなく、EF64に比較すると好感度が低かったせいだ。古いネガを見てもとりわけEF62の写真は数が少なく晩年、信越線から東海道、山陽本線に転属して荷物列車を牽いている写真も1枚のみしか残っていない。

写真は1978年10月の長野国体の時にお召し列車を牽いたEF6211号機。高崎第2機関区のはからいで撮影させていただいたものだが、かような光線状態とあってリバーサル、カラーネガ、モノクロと3種のフィルムを使ったがどれもうまく再現できなかった。今回アップする写真はカラーネガ。当時から将来、変色してしまうだろうと覚悟はしていたが予想通り。いかにブローニーフィルムでも経年変化は免れない。どう補整してもやっとこの程度。リバーサルはまだ取り込んでいないが、光が光だけに似たりよったりの結果になると、過分な期待はもっていない。

(写真、文:U)

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2017年10月19日 (木)

東京機関区の地味な異色機

東海道、山陽方面などのブルートレイン牽引機やお召し機EF5861が配置されていた東京機関区には、それら花形機に隠れるかのように荷物列車や貨物列車用のEF15も配置されていた。同区のEF15はデッキへの昇降階段の下部が白く塗装され、遠目で見ても一目瞭然。首都圏に展開する新鶴見、八王子、高崎第2、長岡の同形機と並んでもすぐに見分けがつく存在だったが、中でも異色だったのが今回画像をアップする30号機。パッと見ただけで分かる人は気づくと思うが正面窓上のひさしが他のEF15よりも角張っていて奥行きも短い。以前の記事にも書いたが高校の同級生K君はこの頃、EF15をすでに全機撮り終えているほどのファン。一緒に行動するようになってすぐに30号機のひさしについてレクチュアしてくれた。

自分の目で初めて見たのは1976年10月、東京機関区の公開日だった。ただ、その日は地味な貨物機EF15は構内の片隅にひっそり展示され、さまざまなヘッドマークを付けたEF65PやEF58、お召し装備のEF5861にばかり目が奪われ、30号機は通りすがりに1、2枚撮影した程度。
しかし後年、元々は貨物機のEF15が上野や秋葉原、神田や東京などの主要駅を通過するのは、定期ではこの荷2935列車が唯一とのことから撮る機会が増え、角張ったひさしの30号機への関心も高まっていった。そうした中でのちょっとした発見が上の写真。「あれっ」と思ったのは運転室の両側の窓にあるデフロスタ。よく観察すると片方のエンドの運転室窓にしか付いていない。つまり1エンドと2エンドで面構えに微妙な違いがあったわけだ。それまで何度も撮影したことのある30号機なのに、この時初めて気がついたということは、いつもはデフロスタのない側ばかりを撮っていたことになる。品川駅に到着し、機関車が切り離されるシーンを撮影し、このことに初めて気づいた。これでスノープローが装着されていたら間違いなく入れ込んでしまったが、それにしてもなかなかユニークな機関車だと感じた記憶がある。

ところがそう感じたのもつかの間。この後、まもなく30号機は廃車となり、これが自分にとって1枚だけのデフロスタ装着側からの写真になってしまった。停車中に形式写真を押さえておきたかった1両。写真を見る度に残念に思う。

(写真、文:U)


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2017年10月17日 (火)

上田交通 別所線

1985年から4年間、新潟の高田で勤務していた時のメインターゲットは信越本線のEF62、EF64、EF81の貨物列車や特急群、夏は多くの臨時が運転され、冬季はスキー臨のシュプール号が全盛期。大糸線にまで20系客車が入線したり、それこそ自宅前を通る「シュプールユーロ赤倉」のEF6466+ユーロライナーは飽きるほど毎週撮れた。時期的には国鉄が民営化し、元号も昭和から平成へと変わり、バブル景気も(結果的は)末期という、大きな転換期でもあった。

そんな時期、ふらっと行った上田交通のレトロ感に惹かれ、何回か撮影に行ったことがある。当時は「丸窓電車」が有名であったが、その他の車両や駅の施設・設備もまさに古い時代が色濃く残っており、20年くらいタイムスリップしたような光景が展開されていた。昨年のカシオペア信州の帰り道に寄ってみたが、かなり近代化されたとは言え、少しレトロな雰囲気は残っていた。

同じような経験は、1990年台初頭に陸羽東線のD51試運転を撮りに行った時に寄った「くりはら電鉄」でもしている。駅や車両基地の建物から待合室のベンチに至るまで、本当に昭和初期ではないかと思えるような施設が現役で残っていて、蒸機試運転より想い出に残っている。

日本全国を探せば、まだこんな雰囲気を残している鉄道が今もあるのであろうか。。。

(写真・文:K.M)

1987年 上田交通別所線 にて

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2017年10月15日 (日)

消え去りしもの DD54

今も昔も「無くなる」ものに対して「撮って(乗って)おきたい」という気持ちが働くのは当然である。無くなってしまってからでは後悔・禍根を残すことになりかねず、何とか無理してでも出かけて記録に残すことを特に初期のころは繰り返してはきた。

ただ昨今の様に「葬式鉄」とかいう変な言葉で表現されたり、異常なまでの大騒ぎで大混乱の中で事件が起こったりということは以前は無かった。自分自身も、今引退していく車両たちは概ね新製時に試運転を撮っていたり、その全盛期を経験していることが多いので、「最終運転」や「サヨナラ・・・なんたら」には敢えて出かけることは控えるという行動がほとんど。特に違和感を覚えるのは、サヨナラ運転時に駅のホームで大きなプラカード(?)を掲げて、涙ながらに「ありがとう~~」などと叫んでいる輩。。。。まあ人に迷惑かけなければ趣味の範囲で何をやろうと自由ではあるが、あれが「鉄道愛好家」などとの世間の誤解が広まるのがいかがなものかと案じている次第。

さて、高校時代、国鉄蒸気機関車の終焉を北海道で見届け、EF57やEF58、EF59を撮っていた1976~7年頃、そろそろ最後の活躍となっていたのがDD54やDF50などの特徴あるディーゼル機関車。DF50はまだ山陰線や紀勢線、四国で広く見られたが、DD54は播但線・福知山線に限られて稼動両数も少なくなってきていたので夏休みにセノハチに行く途中で何度か撮影に行った。赤くゴッツイ車体は迫力があり、走行中の音も大きくて印象に残る機関車の一つであった。

(写真・文:K.M)

1977年 和田山・播但線にて撮影

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2017年10月13日 (金)

139号機ならではの「カシオペア」

上野発16時20分では、天気に恵まれなければそろそろ下り「カシオペア」の撮影は困難になってくる季節だ。何しろ今年の夏の運転日は曇天や雨ばかりで、夏らしいギラギラとした強い日差しの下で撮影するチャンスは少なかったため残尿感が強い人も多いだろう。

今回の写真は9月2日の撮影。数年前からこの光線下で撮りたくて狙っていたものだけに、自分自身の満足感はそれなりに高い。9月の初旬を「夏」とするか「秋」に分類するかは微妙だが、「晩夏」「初秋」と細かく区切ってみても解釈は人それぞれ異なるかもしれない。個人的には「夏」と括りたいところだ。

この日の午前中は雲が多めの晴れ。夕方になって雲が切れて太陽が出るかどうかは全く予想できなかった。「カシオペア」に備えて休みにしてあり午前中から空が気になっていたが、昼前になっても雲の量は相変わらず。機材は準備したものの出かけるかどうかの判断が下せないでいた。ただ、牽引機が青森から転属してきた双頭連結器の139号機。まだ自分自身は「カシオペア」で撮ったことがない。晴れれば連結器周辺に影が出てメカニカルな印象だし、車体色も鮮やかな赤だから81号機や95号機よりも彩度の高い色が出る。何としても撮りたい機関車ということもあってダメ元で出かけることにした。渋滞情報を見ると首都高速もガラガラ。現に日中だというのに1時間ほどで着くことができた。一番ありがたかったのは気温。暑いと日差しを遮るもののない場所だから風もあって涼しいことが助かった。数年前、ここでEF510牽引だった「カシオペア」を撮ったときは熱中症になりかかり、たまらず駅前の喫茶店に駆け込んだ記憶さえある。
雲も14時すぎには消え、通過まで2時間半を前にして晴れることが確実な情勢となった。先客がお一人いらしたが、ひさし付きの139号機ゆえ、少しでもその影が目立つように、後方の、幾分高い立ち位置を選択した。
肝心なのは露出。列車の後方は日が当たらないとはいえ、16時40分の通過だとまだ明るい。暗く落とすために露出をアンダーに切り詰め、機関車は後で明るめに補整することを前提とした。それでも結果的には夕日が強かったのが幸いし明暗差が際立ち、機関車の補整もほとんどしないで済んだか、帰りの首都高速もスイスイ。何から何までうまく運んだ一日となった。

(写真、文:U)

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2017年10月11日 (水)

EF58の異端児 EF18

この連休は自宅に篭ってデータ整理に費やした。このブログで一部ご紹介の過去の旅の記録などは「その場」で手帳に書くので手間はかからないし、EF58の撮影記録なども、どんなに撮っても1日に十数列車だから知れている。しかし航空機撮影を開始してからは全ての撮影機をエクセルに記録しているので、1日分でも平均200機近く、1年で50回出動すると1万行の撮影データインプットとその後のデータ整理作業が待っている。

大体数ヶ月ごとに、天気の悪い週末などにこの作業をしていたが、ふと気づくと半年分以上が溜まってしまっていた。ということで、先週、今週と集中作業を行い、ようやく全データのアップデート化が済んだ。

「撮り潰し」をしている大型ジェットの記録ではB747ジャンボジェットは1374機を撮影(製造1538機の89.3%)、B777が933機、DC8が106機、L1011トライスター165機、A330&A340が1010機・・・・と集計。

また、趣味で1975年に写真を撮り始めてからの累計撮影日数は42年間で3388日を数えていた。そのうち鉄道写真を撮った日は2078日、航空機は1236日で成田空港に535日、羽田に255日、ヒースロー空港に221日通ったと記録されている。

3388日というと、9年以上、毎日撮影に出ての数字になるが、まあ42年間の積み重ねではある・・・としても、平均でも毎年80日間の出動は相当な頻度ではある。ちなみに昨年はその平均に近い89日出動、今年は今日現在で68日を数えている。

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表題のEF18、EF58になるはずの3両だけが最後は中部地区で走っていた。これを撮った1976年当時は、まだEF57やEF59、EF15なども走っていたので特に珍しさも感じずに金谷で撮影をしていたが、今となっては3両とも撮っておいてよかった。

旧型車体をEF13に譲り、流線型になったEF5831までと、新製当時から流線型で竣工した35号機の狭間で、ある意味(EF58+EF13)÷2=EF18という式をイメージすれば良いのかもしれない。

(写真・文:K.M)

1976年7月 金谷にて EF1832

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2017年10月 9日 (月)

初のお召し列車撮影

これが自分自身初のお召し列車の走行写真。
それ以前にお召し列車に関わったのは昭和47年5月に新潟植樹祭で走ったC571によるお召し列車。しかしこの時は「走り」を撮る余裕がなかった。と言うのも出張に行った父に同行し、新津機関区でC571が止まっているところを撮るのが時間的に精一杯。走る姿は父の仕事の関係で断念しなければならなかった。中学生になったばかりの下手なカメラワークではいずれにしてもろくなものは撮れなかっただろうから、無難に「止まり」のみ撮れただけでも良しとしている。

したがってこれが初のお召し列車撮影ということになる。まだ長野新幹線の開通する以前、1978年の長野国体の時のことだが、モノクロを手堅く押さえた後、リバーサルを詰めたもう1台のカメラを持って鉄橋のそばに走り寄り機関車だけを流し撮りした。
ただしメインはこの後、高崎第2機関区での停車シーン。仲間の方々とは知り合ったばかりの時代で、彼らはお召し装備のままのEF5861を撮った後、直ちにEF64区間へと転戦したが、こちらはそのまま居残って、せっかくの大窓を隠してしまう(目障りな)日の丸の旗を撤去してもらい形式写真を撮影した(だいぶ以前にアップした画像)。振り返れば、このときの写真が自分のEF5861の停車中の写真としては最もまともなカットになったと思う。

1978年10月13日のこと。ちょうど39年前になる。考えてみれば原宿宮廷ホームでの写真を除き、自分がアップするものとしては日の丸を掲げた初の61号機の写真になるのではないだろうか。

(写真、文:U)

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下は任務終了後、単機で東京に戻る61号機。右側の電車で帰途に就いたら、本庄で抜かれた。

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2017年10月 8日 (日)

在りし日の岡山臨港鉄道

1984年9月4日、岡山に出張した際に撮影した岡山臨港鉄道の車両。廃止が迫っていた時期で日中、時間が空いたため足を伸ばしてみた。私鉄に関してはほとんど知識はないが、当時の中小私鉄には面白い車両がまだまだ多く残っていたため、出張に行ったときなどはなるべく訪れるよう心がけていた。ただし列車本数が少ない鉄道ばかりだから、走行写真を撮ろうと思うとどうしても時間が足りない。限られた時間で少しでも多くの車両を撮ろうとすれば車庫に行くのが効率的。岡山臨港鉄道でも岡南元町(こうなんもとまち)の基地を訪れた。

この鉄道の車両は北海道の炭坑鉄道で活躍していたと聞いたが、経歴などよりも見た目の素朴さに関心があった。国鉄80系湘南電車のような二枚窓の前面デザインは国鉄ばかりではなく、私鉄車両にも影響を与えたようで、こんな顔をした気動車をほかの私鉄でも見ることがあった。人から頂戴したエクタクロームのASA400(当時はまだISOではなかった)は自分の好みの発色ではないが、今はなき車両をカラーで押さえておけたのだから文句はない。1枚目左に写っているキハ1003は和歌山の紀州鉄道に移籍した後、能登半島の何処かに保存されているらしい。
けっきょく同年12月30日に廃止されたはずで、その約4カ月ほど前の訪問だった。

(写真、文:U)

198491左側の車両はキハ1003。元常磐炭礦所属

198491_2キハ5001は元江若鉄道所属

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198491_3                  虫干しされるキハ5001のシート

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198491_5国鉄との接続は宇野線・大元駅だった。

198491_6キハ7001は水島臨海鉄道を経てやって来た

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キハ7003も元夕張鉄道所属車両。岡山市内の保育園に一部改造のうえ保存されているという

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2017年10月 7日 (土)

14系寝台客車牽引のEF5861

ずいぶん涼しくなって,重い機材を持ち歩いても汗をかかなくなったのに、間抜けにも腰を痛めてしまった。運動したわけでも重量物を運んだわけでもない。ある日、風呂から上がったら急に痛くなって右足にしびれを感じたのだ。

高校時代から腰はウイークポイント。これまでも何度か動けなくなったことがある。最も酷かったのは旅行先の軽井沢でのこと。周囲を人が歩いても悲鳴が出そうな激痛で救急搬送されたが、だいたい3、4年ごとに鍼灸に世話になっている。今回はそれほどでもないが、足にしびれがくるのは危険信号。おかげで久しぶりにヘッドマークを付けて上ってくる1日の「カシオペア」も撮りに行けずじまい。ぜひとも行きたい場所があったのに、脚立が必要なポイントのため断念。好天で絶好の撮影日和を家で静かに過ごしていた。

ここ数日、少しずつ緩和されてきたが、今月はどうしても撮りたい列車があって大事を取っている。

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1982年6月に品川~大井町で撮影した8103列車(午前10時すぎの通過)の14系寝台客車牽引のEF5861。曇天のおかげで狙いをつけていたここで撮ることができた。そうでないと機関車の前面に少し光が当たる程度だ。入社2カ月目だったが、この日の勤務シフトのおかげで出社前に撮影することができた。ただし手持ちの400ミリF5・6はいかにニッコールと言えどもキレが悪く、後に大口径レンズ購入のきっかけとなった。線路沿いの変電所がある近くで、直線からカーブに差しかかるところ。アングルとしては理想的なポイントだったが、なぜか2度と行くことはなかった。

とにかく今にして思えば、手持ちの軽い300~400ミリレンズは学生時代に使用していたオリンパスもしかりだが、ニコンも同様で「安かろう悪かろう」。やはりそれなりの金額をはたいても大口径レンズを買うべきだということを痛感した。同時にこのポイント、現像したネガを見て400ミリでもまだ短く、もっと長いレンズも欲しくなった。

かなり以前に掲載した写真をスキャンし直したもの。今回、少しばかりフィルム時代の画像を取り込んだが、35ミリ版で撮ったものはわずかでもトリミングすると、ネット上での画質の荒れが目立つことが良く分かったから、ほぼノートリミングで掲載。末尾にある方法で写真を拡大のうえ、見ていただければありがたい。

(写真、文:U)

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【ご注意】 アップしてある写真を見ていただく際、画像の上にポインターを持っていって右クリックし、「リンクを新しいウインドウで開く」で見ていただく方が、よりオリジナルに近いクオリティで見ることができます。

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このところモノクロ写真が続いたため、アメリカ海軍所属のアクロバット飛行体「ブルーエンジェルス」の写真も追加した。 

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プラモデルの箱絵のようだが、いずれもれっきとした写真。

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2017年10月 5日 (木)

山口線の苦い思い出

D51200が山口線にデビューする運びとなったが、会社の若い鉄道ファンと話していたら、かつて山口線にC581が走っていたことを知らない世代であることに驚いた。1979年8月にC571が復活して予備的にC581も動態化されたが走った回数も少なかったし、趣味誌などに写真もあまり出されなかったから、そのためなのかもしれない。実質、5年使われただろうか?若いファンが生まれて間もない時期ゆえ、知らないのも無理もないわけで、おかげで山口線にSLが復活して40年近くたったことをあらためて実感させられることとなった。

C58のファンとしては最初の試運転に駆け付けたが、現役時代に装着したこともない、おかしな集煙装置や形式入りナンバープレートに辟易したことが強烈で、山口線から遠ざかる要因となってしまった。横浜の開港記念で走ったときは出発式に招待され、乗車の機会を得たから出かけたものの、それが走る姿を見た最後になった。前回の大阪赴任時に梅小路を訪れたときなどはデフレクタに変な装飾が付けられたり、煙室扉ハンドルがお召し列車用のタイプになっていたりとメチャクチャ。現役時代、北見で活躍していた頃を知る者としては、見るに堪えない姿に変わり果てていた。

それはそうと、C581が初めて「やまぐち号」を牽くと聞いて出かけたとき、レンタカーで川に落ちたことを思い出す。けっきょくそのときはC58が登場せずC57での運転となってガッカリしたが、C57でも仕方がないと諦め津和野~船平山で上り列車の撮影地を探していて事故を起こしてしまった。借りた初代シビックは丸っこい車体だから、ゴロゴロとよく転がる。上下逆さまになって川に落ちたが、怪我もなく機材も損傷せずに無事帰ることができたのは幸いだった。あのときの現場の写真もいずれスキャンしなくては。40年近くたった今だからこそ懐かしい思い出になり得たが、車で撮影に行くことが日常的になった昨今、皆様もご注意あれ。特に車で先回りして同じ列車を何度も撮ろうというケースはより慎重に。

(写真、文:U)

Img2451_3当時はまだDD51の貨物列車が走っていた。熱心なファンはこの頃からDD51を真剣に撮影していた。

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1980年3月に山口駅でC58が展示され、「やまぐち号」のC57と絡んだ。C57の発車に合わせるように停車中のC58からも盛大に煙が上がった。

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2017年10月 3日 (火)

最も美しいと感じたEL

K・M氏がEH10やED16の話題を提示してくださったが、いかんせんネガの取り込みが遅れている自分にはアップすべき写真がない。もともとこの両形式、意識して撮りに行ったことなどなく、記憶に残るのは唯一、南武線に走ったED16の重連がせいぜい。それも毎回、浜川崎だとか八丁畷あたりでお茶を濁した程度。EH10などは団体列車撮影の合間、目の前を通り過ぎればシャッターを押したくらい。酒の肴に1時間近く語れるほどのものなどとても持ち合わせちゃいない。そんなわけで、この2形式についてはいずれネガを取り込んでからということで、あえて回避することをお許し願いたい。

で、今回はEF30の画像。もっと撮っておけば良かったと後悔している車両は数々あれども、その筆頭たる形式だ。広島のEF58を撮りに行って、下関の駅にはしばしば立ち寄ったから撮影機会はそこそこあったが、なにしろ運用区間が限られるわけで撮影ポイントも少ない。社会人になって大口径超望遠レンズを入手した頃はブルトレ運用に就くようになったものの、ヘッドマークが装着され、女性的で品の良い顔立ちを隠してしまうと感じ、全く出向かなかったものだから、下関と門司のホームでの貨物列車の写真ばかりが残ってしまった。

この機関車のこと、だいぶ前の記事にも書いたが、鉄道模型ではかなり以前から天賞堂が製品化していたほどで、分かる人にはその魅力が受けたのだろう。たしか、プラモデルでもどこかのメーカーから売り出さされていたことを思い出す。初めて東急電鉄の7000系を見たとき、ステンレスで整ったスタイルに幼いなりに衝撃を受けたことがあるが、この機関車にも同じようなイメージを受けた。
今になって思えば、最も撮りたかったのは走行シーンよりも形式写真。重連仕業が多いためほとんどの場合、2両1組で貨物列車の牽引に当たっていたが、幡生(操)か門司機関区で単機で待機している機関車を狙って、停車している場面を順光でじっくり押さえておきたかった。

取り戻せない時間を後悔してもむべないことだが、写真を見る度にそんな思いが募る。

(写真、文:U)

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最下段のみ門司で撮影。2、3枚目は既出の画像。回送を兼ねた4重連の貨物もあったがようだが、見たことはなかった。関門間でのみ使用され消えていった機関車だが、北陸線あたりに転属してスノープロー装着の上、旅客列車の牽引に当たっていたら最高の被写体になっていたはず。
オリンパスOM1で撮影。

【ご注意】

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2017年10月 1日 (日)

昭和の直流電気機関車

このところの当ブログの写真が直流電気機関車の流れになってきている。やはりここの「集った仲間たち」の源流はここにあると改めて実感している。

皆が学生だった昭和50年代、蒸機が無くなったとはいえ、今から思えば撮影対象はいくらでもあった中で、首都圏中心の活動の対象がEF57やEF58を筆頭にEF10~EF18の旧型直流電機、ブルトレ牽引のEF65P、貨物に活躍のEF60~EF66など「国鉄」を代表する機関車達であったのは自然な流れなのかもしれない。

そんな中、少し異色だったのがEH10やED16など個性的な形式のカマ。多分、ここらへんの写真が数枚あれば小一時間は酒の肴になるのではないだろうか。

ペンタ67で撮った写真は1枚1枚が想い出の詰まったカットであり、今のようにデジカメの連写で、あとから不要なコマを消す(捨てる)なんて考えもしなかった時代である。

(写真・文:K.M)

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