« クモハ183系200番台 | トップページ | 成田空港に来ていたジャンボ(3)/e »

2017年9月 2日 (土)

別府鉄道

本日9月2日は山口線で新しいレトロ客車がデビューし、古いレトロ客車の引退運転もあるとかで賑わっていることだろう。おそらく自分の知り合いの多くも参戦しているのではないだろうか。山口はそろそろ、アキアカネが飛ぶなど秋の気配が漂い始めているのではと推測する。予報を見ると天気もまずまずのようだから、皆さんきっと良い写真をモノにできることだろう。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

さてこちらはずいぶん前にスキャンして、そのまま放置してあったモノクロ写真(最上段は再掲)。とうに廃止となってしまった別府鉄道の車両をアップしたい。

鉄道ファンでなければ別府鉄道(べふてつどう)を「べっぷてつどう」と読んでしまう人が多かったのではないか。鉄道雑誌には読み方まで書いていない場合が多く、昔から年少ファンが誤読してしまうケースも多かった。かく言う自分も最初はそうで、インターネットでたちどころに調べられる時代でもなく、「べふてつどう」と読むことが分かったのは初めて雑誌で見てから2年くらいたってからだと思う。
駅名などでは北海道の音威子府、興部なども変わった読み方をする駅の代表格で、時刻表で調べるような熱心さが欠如していたから、きちんと読めるようになったのは小学校高学年になってからだったはずだ。それはともかく今回はその別府鉄道。

83年から4年間の最初の大阪赴任中、2度ほど行ったことがある。廃止の噂が流れてからのことだが、それでもファンに遭遇することはなかったのは雑誌に取り上げられる機会も少なかったことや、今のような情報化社会ではなかったからだろう。化学肥料製造会社の多木製肥所の肥料を積み出すための鉄道として、1921年に野口線が開業、1923年に土山線が開業したが、もちろん当初は蒸気機関車も使われていたらしい。
自分が訪れた頃はマッチ箱のような客車をディーゼル機関車が牽いていたり、単行の気動車が客扱いしていた。
すでに記憶は定かではないが終列車も午後8時ごろだったかと思う。暗くなってからぼんやりと照明がついてからの雰囲気が良く、買ったばかりのライカM4や先輩にもらったニコンSPで長時間露光を楽しんだ覚えがある。したがって自分としては数少ないワイドレンズでの撮影だ(35ミリ、モノクロはペンタックス6×7の105ミリと200ミリを使用)。こんな雰囲気でじっくり撮れるようなローカル線は今、どのくらい残っているのだろうか。

お恥ずかしいが、ほかにも同鉄道の土山線で撮影したDLの牽く列車や、そのほかの車両もあるのだが、怠慢な自分はまだそれらをスキャンしていない。最上段の写真はこのブログ開設直後にもアップしたもので再掲となる。撮影に行く機会が減っているのだから、ネガから画像を取り込む作業に勤しまなければならるまい、とは分かっているものの…。

(写真、文:U)

19831219

Img101

Img104

Img1031

|

« クモハ183系200番台 | トップページ | 成田空港に来ていたジャンボ(3)/e »

執筆者U」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

鉄道」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1215589/71592139

この記事へのトラックバック一覧です: 別府鉄道:

« クモハ183系200番台 | トップページ | 成田空港に来ていたジャンボ(3)/e »