EF58170の「きらめく紀州路」
新宮~亀山でDF50のお別れ運転があった1980年3月は下旬にもう一度、紀勢本線を訪れた。天王寺~新宮の間で運転された「きらめく紀州路」を撮るためだ。今で言う「○○ディストネーション」のような観光キャンペーンの一環で、東京から客車を回送して運転したのだから、その心意気は大したものだった。
しかし本番の列車は白Hゴムの170号機。当時の竜華機関区所属のEF58の中でも最悪の機関車が充当されてしまった。むしろ東京からの回送がEF5861だったものだから、がぜん、そちらの方にファンの注目が集まってしまった。
親戚の家にお世話になってこの「きらめく紀州路」を狙ったが、和歌山近郊では順光になる場所が限られ、ここ黒江~紀三井寺でどうにか撮れそうな場所を見つけた。170号機だと知っていたから、自分としては不本意ながら、編成に架線柱が掛かるようなアングルで妥協したわけだ。ヘッドマークと言うよりも、機関車の番号まで隠れてしまう野暮ったい「看板」が付いていたから、大窓の66号機だったらもっとガッカリしていたかもしれない。
振り返ると紀勢本線は蒸気機関車現役時代からしばしば訪れた路線だが、やはりDF50時代が最も懐かしい。もちろんEF58もそれなりには撮ったが、前照灯のシールドビーム2灯化にはガッカリさせられたものだった。
**************************************************************************
その後、「きらめく紀州路」号について運転区間に誤りがあったことが判明した。運転区間は天王寺~新宮ではなく湊町→奈良→亀山→新宮→白浜→和歌山→天王寺でした。記録を確かめずに思い込みで書いてしまい、おわびして訂正します。
なお、詳細は以下の通り。
1980年3月25日発
湊町(現JR難波)22:00→奈良22:52/23:00→伊賀上野23:57/ヨ0:10→亀山1:09/2:19→熊野市5:16/5:35→新宮6:16/10:44→白浜13:44/13:54→和歌山15:44/15:46→天王寺16:42
牽引機は湊町~新宮 (DD511036(亀):EF58と同様のヘッドマーク付き)
新宮~天王寺(EF58170:3月25日天王寺発の「はやたま」牽引機)
(写真、文:U)
| 固定リンク
コメント
度々のコメントにて失礼します。これもまた懐かしい画像です。
南シナの14系をわざわざ持ってきて企画された列車。片道のみの設定で、新宮からは亀山回り京都折り返しで回送されましたね。
回送往路では、ナシ20の回送が付いたのが興味深く印象が残っています。
情報はもとより、色々とお世話になったakaさんがコメントされたり、執筆者T.Aさんがいらしたりと、ゴハチを追いかけた高校・大学時代を懐かしく思い出しております。
投稿: RDP3 | 2017年9月13日 (水) 23時18分
RDP3さま、コメントはたびたびいただいても歓迎です。むしろ励みになります。
さて「きらめく紀州路」号、私は調べもしないで怠惰に「天王寺~新宮で運転された」と記しましたが、当時の記録を見直すと厳密には1980年3月25日の夜、湊町(現JR難波駅22:00発)から奈良、伊賀上野(ここから日付けが26日)、亀山、熊野市を経由して新宮(26日6:16着)へ、新宮(10:44発)から白浜、和歌山を経由後、天王寺(16:42着)というルートと記載されておりました。牽引機は湊町~新宮がDF50なき後でDD51のようでしたが、新宮からは前夜、天王寺発の「はやたま」牽引機だったEF58170が充当されることは承知しており、ガッカリしたものです。記事もそう手直しするつもりですが、取りあえず先に報告させていただきます。
一方、客車の回送は24日東京(品川?)発の8115列車が往路となっておりますが、夜だったために27日の復路8106列車のみの撮影でした。
と、まあこの当時はまだ自分も少しは記録を残しており、それを見るのも楽しいものです。きっとRDP3さまも同じような時代を謳歌したのでしょう。われわれのブログをきっかけに振り返って下されば喜ばしく思います。
今後ともどうかよろしくお願いします。
投稿: U | 2017年9月14日 (木) 11時02分