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2017年8月10日 (木)

2008年末の「富士・はやぶさ」

夏になると鉄道撮影に出かける頻度が落ちるのは毎年のこと。自分にとって暑さは大敵なのはもちろんだし、気温がそれほど上がらずとも湿度が高いのも勘弁。特に長いレンズにとってはどちらも画質に大きな影響を及ぼすから、面白そうなネタがあっても結果を考えると二の足を踏んでしまう。ブログにアップできるような写真がないのも当然だ。

暑い中に身をさらすのを避け、自室でハードディスクから古い写真を見ていたら、鉄道撮影に復帰してから来年3月で丸10年となることに気づいた。早いものだ。
同時にこの10年というのはフィルムカメラから完全に脱却した時期でもあり、最後にフィルムで撮影した鉄道写真は何だったか、確実に思い出すこともできない。ぼんやり脳裏に浮かぶのは「出雲」が廃止になる前の年(たぶん2005年ではなかったか)に旧東京機関区構内で行われたマスコミ向けの機関車展示会ではないかと記憶しているが、それももはや定かではない。自ら好んで参加したわけではなく、仕事仲間に声を掛けられて足を運んだはず。そもそも行く予定はなかったから、急きょ新橋駅前にあったウツキカメラで買ったプロビアというリバーサルフィルムで撮影したのがおそらく最後だったのではなかろうか。

ところで、この2008年からの10年間こそ、国鉄を知る自分にとってギリギリとなる最後の良き時代だった。ここで復帰していなかったらきっと後悔していただろう。東海道線から最後のブルトレ「富士・はやぶさ」が消え、「日本海」「北陸」「あけぼの」「北斗星」なども廃止となり、北海道乗り入れの夜行列車も消滅してしまったのだから、これらを存分に撮影できた時期に復帰していたことは、とてもタイムリーだった。もし、それらの列車や車両を記録していなかったら悔やんでも悔やみきれなかったはずで、国鉄当時を知る身にとって、本当に最後のチャンスにありつけた10年間だった。

そしてその趣味生活はデジタルカメラによって追い風を受けた。特にニコンD3。高感度が使えるデジタルカメラの出現が趣味に復帰する糸口になったのは間違いない。2008年3月、廃止されることが決まっていた急行「銀河」を撮りに行ってISO1600で撮った結果を見て唖然としたのを今でも覚えている。3月の明け方、川崎付近でEF651118に牽かれた「銀河」はリバーサルでは絶対に無理と言えるほどの薄暗い中での撮影となったが、ものの見事に色が再現されていた。
以来、きっぱりとフィルムカメラを捨てデジタルへと移行したが、ブルトレなど客車列車が消滅するタイミングに合わせて高感度撮影が可能なデジタル一眼が普及したのは天恵とも思える。フィルムの時代が続いていたら、きっとこれほど多くのカットを残すことはままならなかっただろう。

今回アップするのは2008年12月28日、横浜駅の北側にある歩道橋から画角700ミリで捉えた上り「富士・はやぶさ」。数年前、老朽化で撤去された歩道橋だが、横浜駅のホームを眺めるのに重宝したポイント。仕事納めの日、通勤ラッシュが一段落したホームに停車するブルトレは、あふれる朝の光に映えていた。
歩道橋にしゃがんで低い位置からの撮影だったし、通行人の邪魔にもなるゆえ、一脚や三脚は使えない。感度を上げられるニコンD3だったからこそ、タテで構えても手持ち撮影ができた。

(写真、文:U)

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