« 北海道入り直後のカット | トップページ | 明日、帰京 »

2015年3月11日 (水)

3.13 に向けて

昨年12月から新幹線H5系による試運転が始まっている青函トンネルですが、そのトンネルは1988年3月13日が青函連絡船からのバトンタッチの日でした。
その前日までED79重連がウエイトコンテナを積載したコキ50000、1000t編成をけん引してのハンドル訓練が連日たくさん運転されていましたが、この日の未明、改3053列車を津軽海峡線通過一番列車として本番が始まりました。
津軽海峡線初列車はED79 1号機けん引下り海峡でも、記念の前面幕を出した485系上り“はつかり”でもなく、何の装飾もないED79重連高速貨Aだったんです。

対しまして、青函連絡船はその青函トンネル営業開始と入れ違いで廃止してしまいますと一部の貨車航送に支障しますことから、この3月13日のダイヤ改正日まで運航したのちに終航することになりました。
ただし、青森ベースで申しますと、早朝青森発の21便までで前日までに青森に到着していたすべての営業車両の航送を終え、その次の23便八甲田丸には控車ヒ500、ヒ600だけが積載されました。
控車とは、いつぞやの記事でご説明しましたとおり、重いDE10が船の車両甲板やそこと岸壁とを結ぶ可動橋に載ってしまわないよう、DE10と被入換車両の間に数両連結される車両のことです。
なぜ控車だけを積載するかといいますと、彼らは青森駅常備でも青森操駅常備でもなく、JR北海道の所属だったからです。
青函連絡船は国鉄時代は函館にありました青函船舶鉄道管理局の管轄、わずか1年弱でしたがJR化後はJR北海道函館支社の管轄だったんです。
なので、もう青森に用のなくなった控車は船に載せて所定復帰させなければなりません。
でも、津軽海峡線経由では最高速度65km/hのヒ500、ヒ600が連結できる貨物列車はありませんし、そんな遅い配給列車だって設定できなかったんですね。
かくして、青森駅構内にいた控車群はDE10に可動橋の手前まで押し込んでもらい、そこから先の数十mは構内係の方々の手押しで車両甲板へと入っていきました。
八甲田丸は23便で控車たちを無事函館に送り届けたのち、再び8便で青森へ戻り、青森でのその折り返しとなる7便が下り青函連絡船最終便となりました。
かつて何度となく過ごした船客待合室で終航式が挙行されたのち、青函7便八甲田丸は青森2岸を出航していきます。
この日は通常は厳しく禁止されていた岸と船とを結ぶテープも解禁となり、写真のような別離のシーンが展開されるところとなりました。
八甲田丸は下り最終営業便で函館に向かったのち、最後は青森港へとフェリー(回航)され、今でもここ青森2岸でメモリアルシップとして展示されています。

特急“北斗星”の運転はこの日の夜から始まりました。
青森運転所からは試運転列車が多く走る青函トンネルをすでに24系客車が札幌運転区へと転配されていました。
1988年3月13日は北海道ブルトレというものが初めて運転された日だったんですが、あの伝統ある特急“ゆうづる”がその日の朝に最終運転を終えた悲しい日でもありました。

あれから、まもなく27年が経ちます。

(写真・文/某I)

Hakkodamaru

|

« 北海道入り直後のカット | トップページ | 明日、帰京 »

その他の乗り物」カテゴリの記事

執筆者某I」カテゴリの記事

鉄道」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1215589/59233161

この記事へのトラックバック一覧です: 3.13 に向けて:

« 北海道入り直後のカット | トップページ | 明日、帰京 »