« 梅小路蒸気機関車館が暫定休館 | トップページ | DF50のルーツ »

2015年2月26日 (木)

DF50のファーストナンバー

関東に住んでいたおかげでEF58をはじめとする電気機関車を撮る機会には恵まれたが、振り返ってみると、それらよりもディーゼルのDF50の方が好きだったのは間違いない。

蒸気機関車がなくなって高校の友人に誘われEF57を撮ることから鉄道撮影に戻ったわけだが、個人的にはその頃まだ山陰線に残っていたDD54やDF50への興味が勝っていた。これらは蒸気機関車の時代を彷彿させる車両だし、その頃に天賞堂のDF50の模型を買ったことなどからもそれが裏付けられる。

ただし貫通扉の左右にある手すりが平面的な形をして黒いHゴムの九州のDF50は眼中になく、山陰、紀勢のものが中心。四国のものは高校生の身としては、やはり距離的に遠いことなどがネックになっていたものの、それでも大学生になってからは1号機が撮りたくて瀬戸内海を何回も渡った。

このDF50、よく見ると分かるのだが1号機から7号機までの試作型(1から6号機は当初非重連形、7号機は重連形の試作機)は量産機と比較すると正面の窓がやや大きかったり、運転席側窓の水切りの形状のほか、屋根のカーブもきついなどの特色があり、8号機以降と比べると車両の断面積に明らかな違いがある。
初めて紀勢線で4号機を見たときに、ほかの機関車との違いに気づくとともに気に入り、その後はこの試作型が来ると喜んだものでEF58同様、個人的には「大窓のDF50」と呼んでいたのが懐かしい。

1号機とは四国に渡る度に必ず遭遇できたことから、その縁は浅からぬものだったと振り返る。前もって運用を調べていったのは1回だけ。ほかの4回は何の予備知識もなく現地へ行って撮影することができた。

上の写真は1980年4月に多度津工場での全般検査を出て高松に戻る際のもの。定期列車の頭に付けてDF50の重連で所属区に戻ったが、讃岐府中でH氏や関西の方々と一緒に撮ったことが懐かしい。多度津構内で待機中と走行シーン(再掲)。これは事前にこの件を知って旅行先の福岡から飛行機でとんぼ返りして撮影に臨んだ。

下の写真は1979年3月。山陽線西部のEF58撮影のついでに高松に寄ったときの写真。当日の夜、高松駅に着いたらホームにDF501の客車が止まっていてバルブ撮影したが、翌日もホームに入ると同じ1号機が入線して来て、わずか12時間あまりの滞在中に2度も撮れたのだからラッキーとしか言いようがない。

四国のDF50は踏切事故対策として運転席が強化されていた。帯状に浮き上がって見える正面ナンバー取り付け部とその下部は補強が入っているために段差がある。

(写真、文:U)

Img1302
Img170

Img1422

|

« 梅小路蒸気機関車館が暫定休館 | トップページ | DF50のルーツ »

執筆者U」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

鉄道」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1215589/59064402

この記事へのトラックバック一覧です: DF50のファーストナンバー:

« 梅小路蒸気機関車館が暫定休館 | トップページ | DF50のルーツ »