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2015年2月 8日 (日)

秋田機関区の2両のトップナンバー

まずはお願いいたします。
「それがどうした、今の秋田車両センターにはE611-1だって、E621-1だって、E625-1だって、E627-1だって、E629-1だって、E628-1だって、HB-E301-1だって、HB-E300-1だって、HB-E302-1だって、キヤE193-1だって、キヤE192-1だって、キクヤE193-1だって、トップナンバーはいくらでもあるぞ」って展開はどうかなしでお願いいたします。
私が言いたいのは昭和50年代初頭、秋田駅構内に隣接していた秋田機関区の話なんです。

それからもう一つお願いがございます。
私よりもかなり年上であらせられます、昭和20年代生まれ以前の諸先輩方がいらっしゃいましたらのお願いでございます。
今日ここで取り上げます機関車は、全線電化開業前の東北本線十三本木峠で皆さまをさぞやご不快な思いをさせたでありましょうものと拝察いたします。
本来は「本務機C61、後補機D51の急行列車」の本務機に、はたまた本来は「D51三重連の貨物列車」の前ガマにこの機関車が来ましたら、それはもう「ふざけんじゃねぇ、馬鹿野郎!」どころの騒ぎでは済まなかったことでありましょう。
私などの若輩者はそんな凄い時期の凄い列車でDLを喰らったことはもちろんありませんが、もう皆さまが見向きもしなくなった末期の列車では何度もDLを喰らっております。
このため、皆さまの万分の一ほどの悔しさは経験し、皆さまの悔しさをご察し申し上げますことはできます。
今でもこの世で一番見たくない物体でありましょう。
そんな機関車でございますので、どうか堪えていただけますようお願い申し上げます。
どうしても「ふざけんじゃねぇ!」という方がいらっしゃいましたら、下に掲載いたしました写真までどうかスクロールいただきませんようお願い申し上げます。

さて、前置きが長くなってしまいました。
秋田機関区のそんな取扱い要注意のトップナンバー、それはDD51 1号機です。
総勢649両が製造された日本を代表するDL、DD51形式の初号機です。
1962年の新製配置が秋田機関区で、まずは奥羽本線で矢立峠区間(陣場-碇ヶ関間)などを中心に奥羽本線で壮絶な性能試験が施行されたそうです。
これは直接見たわけでも性能試験担当者から話を聞いたわけでもなく、試験結果の報告書を読んだだけなので、詳細には言及できません。
なぜ奥羽本線が試験線区になったかといいますと、秋田機関区にはD51とともにDF50がたくさん配属されていて、奥羽本線では本務機に、矢立峠の補機にと活躍していて、本線用DLについてのノウハウがあったからにほかなりません。
C61やD51の煤で真っ黒になって働くDF50の写真をよく見かけたものです。
さまざまな試験ののち、DD51 1号機は盛岡機関区に転配され、引き続きD51などとともに試験の続きをやり、液体変速機や過給機、そして機関と、さまざまな問題点を出しきって、その後の量産化に寄与したそうです。

東北本線全線電化に伴う1968年10月改正でDD51 1号機は古巣の秋田機関区に戻り、奥羽本線や男鹿線の仕業に就きます。
私がこの機関車を時々見かけるようになったのは、それからの時代です。
奥羽本線や羽越本線の蒸機撮影で秋田近辺を通ると、見慣れない大きなDLがいたんです。
それがDD51 1号機でした。
ED75 501号機の記事でも書きましたが、そのED75 501号機と同じように、DD51 1号機も蒸機がなくなったらきちんと撮りたいと思っていたんです。
前灯には何も飾りがなく、キャブはひさしのない丸みを帯びた形状。
それはDD13をそのまま大きくしたような愛嬌ある出で立ちでした。
結果的に本線蒸機を駆逐した元凶ではあるんですが、この機関車だけはどこか憎めない表情をしていて、いつか撮りたいものだと思っていました。
(私は蒸機スジにDD51が来たのはすべて2号機以降ですので、この形状にアレルギーがないだけですが)
というわけで、蒸機全廃直後、秋田機関区のDD51 1号機の運用を少しばかり追いかけました。
写真はその時の走行シーンにしようかと思いましたが、その後の秋田機関区に入区した一連のコマを掘り返していると、ED75との並びがありました。
そのED75は701号機で、700番台のトップナンバーでした。
ED75 700番台は奥羽本線にしかいないので、701号機はブルトレなんかでも時々見られたんですが、秋田着の列車から解放された701号機はちょうどいい位置に入区してきてくれたんです。
ついでに言えば、ED75 701号機も1971年10月改正での奥羽本線秋田-青森間電化であの20号機を含みますC61を追い出し、大量のD51たちをとう汰に追い込んだ張本人なので、当時の私にはむしろこちらの方にアレルギーがありました。

でもね、よく考えてみますと、1971年10月改正まで青森機関区にD51 1号機がいて、奥羽本線での仕業を持っていましたから、「D51 1号機とDD51 1号機の並び」が東北本線に続いて奥羽本線でも狙えたんですね。
並びといったそっちだろうと今になって後悔しきりなんですが、当時の中坊にはそれはちょっと荷が重かったですかね。

(写真・文/某I)

Dd51_1_ed75_701

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