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2015年2月22日 (日)

EF58 38“あかつき”

19号機、61号機、69号機、47号機、53号機、そして31号機と、Uさんが大窓でぶっ飛ばしてきましたね。
とってもいいですね、大窓。
ゴハチはやっぱりこうでなくちゃいけません。

それでは、私も大窓でいってみましょう。38号機です。
この機関車、1973年に広島工場での車体整備工事に伴って前面窓がHゴム支持化されてしまったんですが、それまではつらら切りを装備する大窓でした。
つらら切りを付けたということは上越線運用があったからで、新製配置は高崎第二機関区でした。
1952年に初めて製造された新EF58形式13両は、浜松まで電化されていた東海道本線に先がけて高崎・上越線に投入されたんですね。
13両のうち、35~41号機の7両が高崎第二機関区、42~47号機の6両が長岡第二機関区に配属されました。
少し前のUさんの記事にありました47号機がつらら切りを装備したように、これらの13両には全機つらら切りが取り付けられました。
この初期ロットでは前面窓上につらら切りどころか水切りも装備していませんでしたから、両機関区では大きな窓を見て「冬が来る前に何とかしねえと、トンネルで割れるべ」と、多くは工場と関係なく、区修で「だいたいこんなもんだろ」的に薄板を切って曲げて溶接したんですね。
ただ、高崎第二機関区のものと長岡第二機関区のものはとてもよく似ていますから、両機関区技術管理どうしでは、ラフな図面など何かやり取りがあったと想像されます(大宮工場主導の可能性も残ります)。
とはいいますものの、13両のつらら切り形状は各機でばらつきがあって、38号機は上部の左右R部が緩く曲がっているのが特徴でした。

38号機には、東海道本線全線電化に伴う1956年11月改正で転機が訪れます。
(この時私はまだ生まれておりませんが、それを裏付けます公的資料をこの眼で確認しておりますことから断言いたしました。まるで自分で見たかのような偉そうな言い方で申し訳ありません)
東京機関区転配です。
高崎・上越線から一転、東海道本線が活躍の舞台になったのですが、ここで特筆できますのは浜松工場で施行されました青大将塗装です。
(これは俗称でして、正式名称は特急用特別塗粧といいます)
この改正で特急“つばめ”と特急“はと”は、C62が完全に撤退し、EF58による東京-大阪間通し運転になったのですが、38号機は東機で1列車“つばめ”、3列車“はと”のけん引機に指定されたんですね。
つらら切りを装備したままの姿で青大将塗装になり、颯爽と“つばめ”や“はと”の先頭に立つ姿を諸先輩方のお写真でご覧いただいたことがあるかと思います。
それは1960年の両特急の151系電車化まで続きました。

38号機が再び特急けん引機に返り咲いたのは1972年10月改正でした。
その頃の38号機は下関運転所配属でした。
このダイヤ改正では貨物列車が大増発になり、EF66の増備が続いていたんですが、それでも貨物機がまるで不足してしまったんですね。
同時に関西ブルトレも増発されましたから、そこでもけん引機が使用増になりました。
そこで、国鉄では到達時分がそれほど問題にならない関西ブルトレと日本海縦貫線ブルトレ(こちらは短区間のためです)の最高速度を110km/hから95km/hに落として、けん引機をEF65PからEF58化してしまうという暴挙に出たんです。
それで機関車不足のすべてが解決です。
こうして、EF58“あかつき”、EF58“彗星”、EF58“日本海”、EF58“つるぎ”が誕生してしまったんです。
これらの特急仕業は米原機関区と下関運転所のEF58に設定され、まだ20系があった頃ですから、そのけん引のために両区所所属の特急仕業指定機には元空気だめ管引通し工事が施行されています。
20系編成は1968年10月改正からの110km/h運転化によってブレーキシステムが変更されましたが、ついでに編成内で必要になる圧縮空気は元空気だめ管から取るシステムになってしまい、ごく通常の自動空気ブレーキだけで走行できる95km/h運転でも、けん引機側に元だめ引通しが必要になってしまったんです。

38号機のいる下転は“あかつき”4往復の(向日町操)-新大阪-下関間を担当していたと思いました。
写真はその改正後すぐの頃で、この日は関西本線のD51や信楽線のC58を撮影したのち、わざわざ大阪まで行ってEF58ブルトレを撮影したものです。
“あかつき”は4往復中3往復が14系で、この写真の列車も14系なので元だめ引通しは必要ありませんが、仕業には1往復だけ20系が含まれていましたから、38号機ももちろん元空気だめ管引通し工事を施行しています。
EF58 35~39号機は前端梁の幅がものすごく狭いのが特徴なんですが、元だめ管とその白いコックが狭い前端梁の左右端に無理やりくっ付いています。
あと、38号機は製造時から前面ナンバーが下にずれていることが特徴ですね。

そして、38号機はこの撮影から間もない1973年には冒頭に書きましたとおり車体整備工事が施行され、大窓が失われました。
中坊時代のものすごく下手な写真なんですが(その後も下手なままなんですが...)、どうかご勘弁ください。
現像時の温度管理を怠り、ハイライト部を相当肉乗りさせてしまいました。

(写真・文/某I)

Ef58_38_2

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コメント

某Iさま
ご無沙汰致しております。お元気そうで何よりです。
38号機の大窓時代をブルトレで撮ってらっしゃるのですねshine私は見たことも無いんですcoldsweats01雑誌等で青大将時代の同機は見ましたが、ブルーの大窓時代は初めて。
大昔のRF誌の表紙で10・39号機の並びを見た時と同じで「38もカッコ良かったんだ」と感動しております。前端バリが狭くってナンバーの位置が低いからか、とても新鮮な雰囲気です。

投稿: Hi | 2015年2月22日 (日) 19時07分

38号機!私の世代ではHゴムの普通のゴハチでしたが、某Iさんのコメントどおり、由緒ある機関車ですね。
付け加えるとすると、1990年に郵政省が発行した「電気機関車シリーズ」切手のEF58の図柄は、
この38号機が緑色の塗色で(当然)大窓、つばめのヘッドマークを付けた姿でで登場しています。なぜこれが選ばれたかわかりませんが、1958年に発行された東海道電化の記念切手も、緑色の4号機が採用されています。
郵政省はSLシリーズ切手でも、よくわからない採用基準で機関車を選んでいたような気がします。
(96はトラ塗のものだったり)
(K.M)

投稿: K.M | 2015年2月22日 (日) 22時27分

Hiさん、コメントありがとうございます。
大変ご無沙汰しております。

この写真を撮影しました頃はバリバリのSLマニアで、ほとんどSLにしか興味はなかったんですが、さすがにEF58のブルトレ復帰と聞いて、それは撮らなければと思ったのだと思います。
相当レタッチしましたが、酷い写真ですいません。
番号の記憶はまったくないのですが、ネガをひっくり返しますと、この38号機をはじめとして20号機、23号機と大窓が続き、おまけに次の日に紀伊田辺のD51の撮影に行くために天王寺から乗った夜行924列車(その後の“南紀”、さらに“はやたま”ですね)は28号機のけん引でした。
大窓もさることながら、この時期を最後にヘッドマークが付かなくなっていったので、撮っておいてよかったです。

そういえば、先般のN駅下での呑み会ではHiさんの47号機の○○ー○○○のお話も出ましたよ。

投稿: 某I | 2015年2月23日 (月) 11時29分

K.Mさん、コメントありがとうございます。
38号機は早々にHゴム化されてしまい、その後の広島機関区時代はまったく眼中になくなってしまいましたね。

そうでした、K.Mさんは切手に関しても偉大なコレクターでしたね。
何でも100%でなければ気が済まないK.Mさんですから、それがどれほどのものかは容易に想像がつきます。
なるほど、言われてみれば38号機の青大将“つばめ”の切手の記憶があります。
試験塗装の4号機の切手もどこかの印刷物で見たことがあります。
K.Mさんはどちらもお持ちなんでしょうかね。
晩年の4号機は前面窓だけでなく前灯も酷いことになってしまいました。

トラ塗り9600は、たしか湧網線の69620号機でしたっけ。
あの時の切手は機関車番号云々ではなくて、原画写真そっくりに仕上げた結果だと思いました。
69620号機の原画写真はたしか我々のM先輩の作品だと記憶しています。

投稿: 某I | 2015年2月23日 (月) 11時30分

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