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2015年1月10日 (土)

あるYS-11の有終

YS-11という飛行機を覚えていらっしゃいますか?
戦後初の国産輸送機として日本航空機製造が生産したターボプロップ機です。
1962年に初飛行したそうですから、その頃はといいますと、東海道本線を青大将塗色のEF58が“つばめ”や“はと”の先頭に立っていたことになります。
何たって国産ですから、日本の航空会社各社が導入し、一時は日本各地の空港で見られたものです。
旅客機として日本で最後まで使用したのは鹿児島をベースとする日本エアコミューター(JAC)で、2006年9月一杯で退役しました。
総計182機が生産されたYS-11の中には、運輸省航空局、海上保安庁、海上自衛隊、航空自衛隊に納入された機体もありました。
輸送機ですから、旅客を乗せる用途以外にも使用できたわけです。
そして、これらの官公庁では2006年以降も使用されましたが、すでに国土交通省航空局、海上保安庁からは退役しまして、ここ最近は海上自衛隊と航空自衛隊に残るだけとなっていました。

でも、昨年12月末、海上自衛隊のYS-11が全機退役しました。
自衛隊の用語で言いますと、用途廃止ということになります。
厚木航空基地に展開します海上自衛隊第61航空隊がその運用部隊で、貨客混載型のYS-11M(MA)型を運用してきましたが、最後の2機が12月24日をもってラストフライトとなりました。
海上自衛隊にも航空自衛隊と同じように全国の航空基地を結ぶ定期便というものがあるんですが、航空自衛隊の定期便はC-1やC-130という純然たる輸送機なのに対して、海上自衛隊の定期便は静かで振動がない「旅客機YS-11」が主体でしたから、定期便搭乗の際には「あー、今日は快適な飛行機だな」などと安堵したものでした。
シートだって鉄道の呼び方でいえばクロスシートですから、C-1やC-130のロングシート(それも網だけ)とは違います。
たとえば、厚木や下総から八戸までフライトタイムが2時間かかろうと、ぜんぜんへっちゃらでした。

これで、残るYS-11は航空自衛隊の13機、それに海外の航空会社にも多く輸出されましたから、そのうちの一部がまだ飛んでいるかと思います。
(定かではありません。詳細をご存知の方がいらっしゃいましたら、コメントでいちゃもんを付けてください)

写真は今回退役した61空のYS-11Mではなく、3年半ほど前まで同じ海上自衛隊で使用されていたYS-11T型という機体です。
正確には最大離陸重量増加型のYS-11Aに分類されますから、YS-11T-Aといいます。
YS-11Tは哨戒機P-3Cの航空士(戦術航空士や機上整備員、機上電測員など、パイロット以外の搭乗員のことです)を養成するための機種で、用途廃止とともに解隊された第205教育航空隊の所属でした。
このブログでも、ずいぶん前にTさんがYS-11Tの記事をアップされていました。
そのYS-11Tなんですが、撮影のために凄くプラスになることがありました。
あのね、窓が開くんです。
なぁんて書くと、飛行機に詳しい方から「どうして与圧してるYS-11の窓が開くんだい?」と突込みが入ると思いますが、YS-11Tは与圧がないんです。
訓練機器を積載したら重量が重くなってしまい、どうせ訓練で低空しか飛ばないんだから与圧装置を外しちまえってことになったんですね。
小型機と違ってこれだけパワーがある機体で窓が開くってなかなかありません。
空撮用機材としては最高だったんです。
205教空の解隊もYS-11Tの用廃もとても残念な出来事でした。

そして、最後はYS-11Tを部品取りとして飛んできたYS-11Mが用廃となり、海上自衛隊からすべてのYS-11が消えてしまいました。

(写真・文/某I)

Ys_11t

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コメント

YS-11は唯一の国産旅客機であることや市内の旧太田川沿いにあった旧広島空港でも飛んでいたことから好きな飛行機でした。最近の新しいジェット機にはあまり興味はないのですがYSが定期便から退役した、JACから退役する時には橋を渡って松山空港と高知空港にも撮りに行きました。一部が官公庁で残ったことは知っていましたがあれから10年近くもたっているのにまだ飛んでいたとは驚きました。
また与圧をはずしたYSがあったことにも驚きました、ということはこの写真も空中で窓を開けて撮っていますか。3機が飛んでいることになりますが航空管制は大丈夫なのですか。鉄道では信号は絶対ですが、飛行機では航空管制が絶対でこんな時には止められたりしないのですか。旅客機でいえばニアミス状態ですがそれが不思議に思い質問しました。

投稿: 赤い補機大好き | 2015年1月14日 (水) 12時51分

赤い補機大好きさん、コメントありがとうございます。
さすがに旅客機YS-11の最後はきっちり記録されたんですね。
旧広島空港のYS-11とうかがい、私も羽田からANAのYS-11で広島まで飛んだことを思い出しました。

写真はご想像どおり空撮でして、もう撮影機となるもう1機のYS-11Tの開いた窓から撮影しています。
場所は相模湾上空の訓練空域なので、ほかの機体は入って来ないために管制上の制約はありません。
もっとも、我々はVFR(有視界飛行)でありますことから、訓練空域外で管制を受けなければならない空域でも、フォーメーションのまま飛ぶことが可能です。
ただし、IFR(計器飛行)になった場合はこれだけ大きな機体ですから、単機ごとにバラバラに管制を受け、相互間は管制間隔をとる必要があります。
たしかに、これがフォーメーションではなかったら、ものすごいニアミスですね。

投稿: 某I | 2015年1月14日 (水) 21時52分

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