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2015年1月31日 (土)

「S形」と呼ばれた異端児

国鉄時代の交流電機の代表形式といったら、何といってもED75です。
製造されました302両という数字は、国鉄、JRを通じて交流電機ではダントツトップの数字です(JRの交流電機は貨物のEH800しかありませんが)。
EF70から後は交直流機だけが運用されてきた北陸本線を除き、北は北海道から南は九州まで各地の交流区間で活躍しました(あ、JR東日本では700番台がまだ現役です)。

今「北は北海道から」と書きました。
北海道ではずっと蒸気暖房を使用してきたことから、ELといえどもその暖房源としてSGが必要で、これを搭載するED76 500番台の独壇場でした。
でも、国鉄時代、ED75は唯1両がしっかりとその一員に入り込んでいたんです。
その名もED75 501号機。
1両しか存在しない北海道用ED75 500番台で、制御方式にED75M形やP形の磁気増幅器による位相制御をサイリスタ位相制御方式に改めたため、「ED75S形」と呼ばれました。
でも、函館本線の電化は1968年の小樽-滝川間電化、1969年の旭川電化と比較的短距離で一段落するため、九州のようにSGなしのED75、SGありのED76を製造して客貨運用を分離するのは不能率ということから、ELはED76 500番台に一本化されることになったんですね。
というわけで、ED75S形はその後もずっと1両だけの存在になってしまいました。

配置は岩見沢第2機関区です。
岩見沢地区には機関区が二つあって、C57、D51、9600が配属される岩見沢第一機関区と、ED75、ED76とDL群が配属される岩見沢第2機関区があったんです。
なぜ「第一」「第2」という書き方をするかといいますと、正式名称岩見沢第二機関区の区名札が「岩2」だったからで、正式名称で書くと違和感を感じるためです。
その岩見沢第2機関区では当然ながらED75の仕業とED76の仕業は分離されていました。
ED76の仕業は急客から1200t専貨(石炭列車ですね)まで何でもあり状態ですから、SGのないED75 501号機のために貨物列車だけの独立した専用の仕業が用意されていました。
また、全域のサイリスタ位相制御システムから発生する過大なノイズが沿線の一般通信などに悪影響があったそうで、密集市街地の札幌市を避けて、長く岩見沢操-旭川間だけの仕業になっていました。
具体的な仕業はダイヤ改正ごとに少しずつ変化しましたが、深夜に岩見沢操を出て旭川方面へ向かい、午後旭川を出て岩見沢方面へ向かうというパターンが長かったんです。
蒸機時代に室蘭本線などの撮影を終えて夕方の岩見沢構内にいますと、砂川方面からよく単機で戻ってくるED75 501号機を見かけたものです。
でも、いつかの記事でもお話ししましたように、北海道総局管内では電機は進行方向にかかわらずNo.2側パンタグラフを上げて走りますから、函館本線で上り列車を撮影すると前パンでかっこ悪いんですね。

で、写真です。
そういういきさつで、いつか後パンのかっこいいED75 501号機を撮ってやろうと思い続けましたところ、蒸機全廃直後のある早朝、旭川近くで実現できました。
次位のDD51は無動ではなく、たしか深川からぶら下げてくる定期仕業だったと記憶しています。

(写真・文/某I)

Ed75_501

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執筆者某I」カテゴリの記事

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コメント

某I様
前回に引き続き75話しに食いついてしまいました。

私が一眼を手にした時には残念ながら唯一のS形・501号機の現役姿は見ていません。
雑誌または先輩方の貴重な画像で拝見するのみ。
今回I様の記事にも一行一句「なるほど」と興味深く拝読させて頂きました。

この501号機ですが、見た目0番台と700番台が入り交じっているように見え個性あると思います。
登場時はPS101を載せ、正面に大きな抵抗を載せていたとか。
302両製造されたED75で暖房表示灯が付いていない、角張ったRの無いスカート、下部が切り込まれた大きな警笛カバーも501号機だけ、まさに異端児だと納得です。
現在は小樽市総合博物館に保存展示しているようですが、いつブロックプレートになったのかも興味があります。

I様の501号機画像、前回12/16記事の3重連同様10分以上凝視していました。(汗)
岩見沢第2機関区に転属されてからPS102に交換されたと聞いた事がありまして、見るとパンタグラフ銀塗装が綺麗で交換間もない頃かと察しました。
また碍子に塩害防止グリスの塗布でしょうか?501号機の画像で初めて見ました。
助手側のデフロスター、原色DD51(白Hゴム)、ワム、レムと時代を感じます、まさに古き良き時代です。

>蒸機全廃直後のある早朝、旭川近くで実現させました
ここも蒸機が直前まで走っていたのでしょうか?
架線のアームが黒くなっていたので力行区間かと思いまして。

最後に12/16の画像を今一度拝見しましてお聞きしたいのですが、
当時75のナンバー無塗装メッキのまま、側面も銘板もメッキ磨き出しと見まして、記憶がございましたら確認したい次第です。
と言うのは、U様の記事で撮影から模型に・・・と拝読し自分も恐れながら同じ境遇でして、模型ではありませんが側面ナンバー&銘板の廃品を購入、
その道の仲間には、手を加えない方が価値があると聞いたのでが、個人的に全盛期の仕様で残したい気持ちもありお伺いした次第です。

あっ私も前パンダメです。
ED76は後パンのみ撮影。
ED79、PS103改の時はかろうじて前パンでも撮影していましたが、PS79に交換され最初は受け入れようとしましたが、4年前に心折れました。

長くなりましたが、今後とも宜しくお願い致します。

投稿: studio75 | 2015年2月 1日 (日) 23時23分

studio75さま、コメントありがとうございます。
また、拙作に10分もの凝視を頂戴し、身に余ります光栄です。

蒸機以外のものには一切興味なしという頃から、ED75 500番台は1両だけの存在ということはさすがに知ってまして、よく出会った岩見沢駅構内ではシャッターを切っておりました。
その頃の函館本線岩見沢操-深川間はSL、EL、DLが入り乱れて使用され、501号機は蒸機の煙にいぶされて真っ黒になって走っていたのがなつかしいです。
そういったわけで、私自身、501号機はED75番台トップナンバーとしては、1号機よりも、301号機よりも、701号機よりも、1001号機よりも早い撮影でした。
その後、蒸機が全廃されましたことから、ようやくきちんとした後パンの走りを撮影できる余裕ができ、当時の北海道総局で運用を調べて撮影しましたのがこの写真です。
深川-旭川間は新線に長いトンネルがあるのため、蒸機晩年は定期仕業がなかった区間でして(時折9600やD51の臨単はありましたが)、そんな場所で撮影しております自分に気付き、蒸機がなくなったんだと改めて思い、撮影場所であります石狩川の雪の土手で感傷にひたった覚えがあります。
パンタグラフがきれいなのは1976年の2回目の全検を出たばかりだからだと思います。
機関車車歴簿を詳細に当たってませんからあやふやですが、パンタグラフの交換はおそらく1969年の臨検または要検併施での量産化改造工事、もしくは1971年の全検で施行されたかなと推測します。
苗穂工場では検査車両のパンタグラフを全部PS102系に統一したかったんでしょうね。
ED76 500番台も711系もPS102系パンタグラフですから(空気上昇とばね上昇の違いなどで枝番が異なります)。
たしかに、碍子に塗られているのはグリスのような感じです。
また、側面のナンバープレートのブロック化は工事の時期的に1981年の3回目の全検入場時と想像いたします。

1980年代前後からは貨物列車編成各車の番号自動読取の関係からだったと記憶していますが、機関車も側面ナンバーはもちろん、便乗してメーカースプレートも白色塗装するようになりました。
ED75もそれまではナンバーのメッキ部にきちんと紙テープでマスキングしてから下地の白と赤2号を吹いていましたが、それ以降はマスキングせずにメッキ部にも白も赤2号も吹き、最後に番号表面にだけ白ペンを入れるようになっています。
ですので、ナンバーの数字とメーカースプレートは表面も側面の厚み部もメッキむき出しが原形、全盛期の仕様です。

ED79のPS79は一時はムダな抵抗をされたんですね(笑)。
私はそれを偶然撮影の要がないこともありますが、まだ一度も撮影したことがありません。
この夏が危ないですが...

投稿: 某I | 2015年2月 2日 (月) 21時36分

某I様
私みたいな若輩者にご丁寧なコメント頂き大変恐縮しております。
今回も詳しいI様の鉄道知識の歴史をひもといてくださり誠にありがとうございます。
やはり興味あること、頭に記憶させたいと思います。
「1号機よりも、301号機よりも」後にでも撮影されているのは大変羨ましく思う次第です。

ナンバーの塗装の件もありがとうございます。
今回購入しました物はナンバーが白塗装で銘板が金塗装。全盛期時代の仕様と言いながらも悩むところでして。
そのナンバー塗装の事でまた興味をもったのが「1980年代前後からは貨物列車編成各車の番号自動読取の関係」
てっきり担当工場の仕様変更かと思っていました。
近年工場によって台車のグレー化など見受けられるので、ついその部類かと浅はかな考えでした。
しかしここで疑問です、ナンバーの白塗装はED75だけだったのかと?他形式の機関車は貨物列車編成各車の番号自動読取は関係なかったのかと細かいところに疑念を抱いてしまいました。

パンタグラフ。711系もED79もですが、あと少し、明日明後日に離脱する車両。
交換しなくても・・・と思うこの頃です。

投稿: studio75 | 2015年2月 3日 (火) 22時18分

studio75さま、重ねてのコメントありがとうございます。
私の鉄道知識など、まったく詳しくはありません。
自分で携わった部分にだけ、ほんの少し覚えているだけなんです。

ナンバーのメッキ部だけでも上に被った白ペンキ、赤2号、下地の白塗装を剥離したいところですね。
ただ、うまくやりませんと、切り取った側板に載っている赤2号と下地も消えてしまいますから難しいかも...
でも、今ではJRの工場でも赤2号をDICコードに合わせて取り寄せていますから、DICグラフィックスなどに「JR納入の赤2号」と言えば同じ塗料が届きそうなものです。
徹底的にやるならそんな手もあるかと思います。

番号自動読取に伴う側ナンバーの白塗装は、貨物列車をけん引する可能性のある機関車は全機が対象だったはずです。
でも、DLもそうなっていたとは思うのですが、記憶にないんです。
あの頃、自分と関わっていたDLというものがなかったものですから申し訳ありません。

投稿: 某I | 2015年2月 4日 (水) 23時41分

某I様
番号自動読取の件、ありがとうございます。

「JR納入の赤2号」教えていただいた情報を元に、進めて行きたいところです。

いろいろありがとうございました。引き続き拝読させて頂きます。

投稿: studio75 | 2015年2月 5日 (木) 19時16分

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