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2015年1月22日 (木)

小窓最高!

といいましても、それはまさかEF58のことではありません。
EF58は大窓がいいに決まってます。
(あ、これは私が勝手に思っている偏った意見、愚見でして、EF58小窓機の美しさを否定するものではありませんです)

小窓がいいと申しますのは、ED19の一部の機関車のことです。
晩年は飯田線を走り、その中でもED17が軸重の関係から入線できない4級線(1965年までの旧規定では丙線)の元善光寺以北を含む飯田-辰野間で運用されていました。
ED19は大正末期の1926年に6010形式(称号規程の改正ですぐにED53に改称)としてアメリカで製造されたそうです。
ED53のF形バージョンのEF51とともに、棒台枠に動輪とその動輪を導く先輪が収められ、その上に出入台付きの車体が載るという手法がとられ、これはその後の国産電機の範となって、戦後のEF58やEF15まで綿々と続いていくことになるんですね。
車体前面の3枚折妻構造と屋上部からひさしが前方に突き出すというデザインも、国産機のEF52やEF53、EF10初期形やEF11初期形、ED16へと忠実に引き継がれています。
ED53は国府津まで電化されていた東海道本線の旅客用でしたが、のちにギヤ比を大きく変えて、6両全機が貨物用のED19になったとのことです。

さて、飯田線にやってきた6両のED19は伊那松島機関区に配属されていました。
このうち、1号機と2号機は前面窓が最後まで原形大窓を保ち、角はがっちりと角ばり、EF58大窓機の優雅さとは対局にあるような無骨さを伝えていました。
それはED53時代からの素晴らしいスタイルで、多くの人が支持することでしょう。
私もまったく同感です。
これに対して、3号機から6号機は浜松工場で大きかった前面窓を小さくして、角にRを付けたんです。
ED19の機関車車歴簿を見ていないので正確な理由が不明なのが申し訳ありませんが、前面窓周囲のガラス支持部の腐食が進行したのか、ガラス自体を合わせガラスにしたのかのどちらかだと推測されます。
もちろん、ガラスの支持は鉄枠とパテのままで、Hゴムなどは使用していません。
EF58でいいますと、高崎第二機関区、長岡第二機関区の大窓機が大宮工場での合わせガラス化の際にRの付いた小窓化が施行されましたが、それとよく似ています。
(小窓化工事施行機はその後全機ガラスの支持がHゴム化されてしまいましたが)

で、です。
その前面窓が小窓になったED19が妙にかっこよかったんです。
原形大窓機とはまた別のかっこよさですね。
Hゴムが付いてしまうと、当然ながらすべては興醒めなんですが、4両の小窓機は最後まで鉄枠、パテ式支持のままで活躍していました。
思いっきり小さくして、Rが付いた前面窓が何ともいえません。
(そんなのはお前だけだという突っ込みはどうかなしということで...)
どうせなら、同じ飯田線を走っていた旧形電車のクモハ51、クモハ53、クモハ54、クハ47、クハ68、クハユニ56、クハニ67などで時折見かけた、片側の前面窓だけの改修なんていうED19も見たかった気がします。

写真はその小窓化されたED19 3号機です。
撮影は1974年で、ちょうど会津若松運転区のC11を最後に本州から蒸機が全廃されたタイミングです。
なんとまるで交流機のように前パンを降ろしてきて拍子抜けだったんですが、小窓の特徴をよく捉えていますもので、あえて使わせていただきました。
デカいPS10BまたはPS14Aパンタグラフでしたらさらに痛いところでしたが、この3号機はPS15なので気持ちが少し助かりました。

(写真・文/某I)

Ed19_3

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