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2015年1月

2015年1月31日 (土)

「S形」と呼ばれた異端児

国鉄時代の交流電機の代表形式といったら、何といってもED75です。
製造されました302両という数字は、国鉄、JRを通じて交流電機ではダントツトップの数字です(JRの交流電機は貨物のEH800しかありませんが)。
EF70から後は交直流機だけが運用されてきた北陸本線を除き、北は北海道から南は九州まで各地の交流区間で活躍しました(あ、JR東日本では700番台がまだ現役です)。

今「北は北海道から」と書きました。
北海道ではずっと蒸気暖房を使用してきたことから、ELといえどもその暖房源としてSGが必要で、これを搭載するED76 500番台の独壇場でした。
でも、国鉄時代、ED75は唯1両がしっかりとその一員に入り込んでいたんです。
その名もED75 501号機。
1両しか存在しない北海道用ED75 500番台で、制御方式にED75M形やP形の磁気増幅器による位相制御をサイリスタ位相制御方式に改めたため、「ED75S形」と呼ばれました。
でも、函館本線の電化は1968年の小樽-滝川間電化、1969年の旭川電化と比較的短距離で一段落するため、九州のようにSGなしのED75、SGありのED76を製造して客貨運用を分離するのは不能率ということから、ELはED76 500番台に一本化されることになったんですね。
というわけで、ED75S形はその後もずっと1両だけの存在になってしまいました。

配置は岩見沢第2機関区です。
岩見沢地区には機関区が二つあって、C57、D51、9600が配属される岩見沢第一機関区と、ED75、ED76とDL群が配属される岩見沢第2機関区があったんです。
なぜ「第一」「第2」という書き方をするかといいますと、正式名称岩見沢第二機関区の区名札が「岩2」だったからで、正式名称で書くと違和感を感じるためです。
その岩見沢第2機関区では当然ながらED75の仕業とED76の仕業は分離されていました。
ED76の仕業は急客から1200t専貨(石炭列車ですね)まで何でもあり状態ですから、SGのないED75 501号機のために貨物列車だけの独立した専用の仕業が用意されていました。
また、全域のサイリスタ位相制御システムから発生する過大なノイズが沿線の一般通信などに悪影響があったそうで、密集市街地の札幌市を避けて、長く岩見沢操-旭川間だけの仕業になっていました。
具体的な仕業はダイヤ改正ごとに少しずつ変化しましたが、深夜に岩見沢操を出て旭川方面へ向かい、午後旭川を出て岩見沢方面へ向かうというパターンが長かったんです。
蒸機時代に室蘭本線などの撮影を終えて夕方の岩見沢構内にいますと、砂川方面からよく単機で戻ってくるED75 501号機を見かけたものです。
でも、いつかの記事でもお話ししましたように、北海道総局管内では電機は進行方向にかかわらずNo.2側パンタグラフを上げて走りますから、函館本線で上り列車を撮影すると前パンでかっこ悪いんですね。

で、写真です。
そういういきさつで、いつか後パンのかっこいいED75 501号機を撮ってやろうと思い続けましたところ、蒸機全廃直後のある早朝、旭川近くで実現できました。
次位のDD51は無動ではなく、たしか深川からぶら下げてくる定期仕業だったと記憶しています。

(写真・文/某I)

Ed75_501

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2015年1月30日 (金)

カメラ雑誌の鉄道写真特集

けっきょく今月も鉄道雑誌を1冊も買わなかった。

毎月、発売日前後に書店に行って目を通してはいるのだが、買って帰ることがないまま半年が過ぎようとしている。鉄道撮影から離れていた1999~2008年でさえ毎月5種類ほどを買い続けていたことを考えると嘘のよう。
理由についてはこのブログに何度も書いたから、今さら繰り返さないが、このままの内容が続くなら、もう買うことはないかもしれないとさえ感じてしまう。

そんな矢先、いつも利用している書店で「アサヒカメラ」を手にしたら、今月の特集はなんと鉄道写真。かつてSLブームと言われた頃、蒸気機関車の写真には比較的、冷淡だった老舗のカメラ雑誌が巻頭のページを大きく使ってプロ写真家の作品や鉄道写真のルーツ、あるいは広田尚敬氏のインタビューなどを掲載しているのに驚いた。鉄道写真の特集はしばらく前にもあったが、今回はそのときよりも多くのページを割いている。

これにはカメラやレンズを買ったり、買い換えたりする層として鉄道ファンを無視できなくなったとの背景があるのは間違いなさそうで、それは特集記事の最後にキヤノンEOS7DMarkⅡの試用レポートなどがあることからもかいま見える。

いよいよデジタル一眼の市場も飽和しつつあるのかも。

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1980年6月、横浜開港120周年、横浜商工会議所100周年記念で東横浜~山下埠頭を走ったC581。

Img0821

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(写真、文:U)

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2015年1月28日 (水)

それじゃ、ED19原形機いきます!

>面相が不気味。
>眉毛を剃った不良少年のような面構え。
>昔のホラー映画に出てくるフランケンシュタイン。
>見れば見るほど嫌悪感。
>こんなおっかない顔をした機関車。
>ウエスティングハウスが台無しとも言える最悪の改造。
>変形機好きの私をもってしてもこれだけはダメ。
>徹底的に、絶対に、未来永劫、断じていけない。
>それにしてもスゲー機関車。

前の記事で、ED19 3号機をUさんに思いっきり褒めてもらっちゃいました。
機関車の顔には一方ならない思い入れのありますUさんに、ここまで深く罵詈雑言、もとい美辞麗句を並べてもらえるんですから、それはもうあの写真をアップした甲斐があったというものです。
それにしましても、1枚の写真をパッと見ただけでこの形容力、Uさんの顔へのこだわりはもの凄いものがありますね。

でも、きっと大方の皆さまのご意見としてはUさんと同じ「何だ、こりゃ!」でありましょう。
ED19 3~6号機の前面窓小形化工事は4辺すべてを内側に寄せてしまったために表情が一気に変わってしまったんですね。
EF58のHゴム支持化を含めた前面窓小形化では、上辺や左右辺の位置は変えずに下辺だけを上昇させる工法でしたが(58号機と83号機は例外です)、それでも印象はかなり変わったものでした。
たしかに、そうした工法をとる方がガラスが小さく、パテの量も少なくて済むことになり、工場としては今後の保守の負担軽減にもなりましょう。
ED19 3号機の記事でも書きましたが、もし工事事由が合わせガラス化に伴うものでしたら、窓の面積からして高価な合わせガラスがおそらく半額以下になります。
1号機と2号機の前面窓で残っていますことから、工事はおそらく国鉄本社予算になる本社特修工事ではなく、静岡鉄道管理局予算になるイ号臨修工事、もしくは特別な予算立てのない基準費工事と推測されますから(きちんと調査したわけではなく、ただの推測にすぎません)、少しでも工事経費を抑えたい腹はあったかと思います。
それは、ED19といいますかED53の原形の前面窓はそれくらい大きかったことの証明でもありましょう。

それでは、ED19の名誉のためにも、原形前面窓の1号機の写真をアップしておきましょう。
これは中央西線のD51を撮影しました帰りに飯田線に寄ったかなんかだと思います。
こうして見ますと、小窓化されたED19もいいですが、大きな角ばった原形前面窓のED19もまたすばらしいですね。

(写真・文/某I)

Ed19_1

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2015年1月27日 (火)

Iさん、ゴメン!

Iさん、好みの問題ですからどうかお許し下さい。

私、小窓(?)のED19のご面相が不気味でなりません。まるで眉毛を剃った不良少年のような面構え。役者で言えば中村獅童のような顔つきがどうしてもイケません。もっと言えば昔のホラー映画に出てくるフランケンシュタインのようで、見れば見るほど嫌悪感が募ります。

正面方向からの撮影で、しかも機関士側の窓に太陽が当たっているのも、その表情に拍車をかけているようですが、こんなおっかない顔をした機関車が存在したことを知りませんでした(ED19は大きい窓の1、2号機しか記憶にありません)。これならまだ、JR九州の「ななつ星」の方が美しく見えるほどで、せっかくのウエスティングハウスが台無しとも言える最悪の改造ではないかと感じます。

最初に申しましたようにあくまでも主観ですが、変形機好きの私をもってしても、これだけはダメ。徹底的に、絶対に、未来永劫、断じていけません。

と、はばかりながら感想を述べさせていただきます。

それにしてもスゲー機関車があったものだ。インパクト強すぎ、ぶったまげた!

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さてこちらはEF58。
1982年5月の栃木植樹祭の172号機。Iさん、お召し列車の本番前に、61号機のお召し列車をパスして、こそっと一緒に撮りましたね(正式な許可を得て撮影)。

考えてみれば最も嫌いなタイプの白いHゴムということで、この機関車がお召し指定されたと聞いたときには落胆したことを思い出す。
それでもこのころは生意気にもEF58ファンを標榜していたから、一般色初のお召し機と、こじつけ気味の妙な意義づけをして撮影に臨んだものだった。

社会人になって2カ月目。まだ社員試用の分際で休みをもらって撮るには撮ったが、苦労して手配したわりには大した感慨は残っていない。

(写真、文:U)

Img0791

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2015年1月25日 (日)

EF58初の解体機

先日、UさんによるEF58 21号機の記事がありました。
21号機は竜華機関区での晩年を棒台枠台車のトラブルによってずっと扇形庫の中ですごし、EF58の廃車第1号になりましたのは記事のとおりです。
私もその扇形庫の中の21号機を撮るため、D51がいた頃以来となる竜華機関区を訪れたことがありましたが、転車台を通して向こうの静まり返った扇形庫内にたたずむEF58という図柄は、新鮮ながらもどこかもの悲しさを感じたものでした。

さて、1978年3月17日付けで国鉄工作局車両課から出されました廃車通達には、21号機とともに同じ竜華機関区に配属されていたEF58 28号機の名もありました。
EF58の廃車第1号は21号機と28号機の2両だったんです。
そして、解体は28号機が先になり、最初に姿を消したEF58になりました。
21号機は使われていない扇形庫内にありましたが、28号機は直前まで運用されていて、運用から落ちた直後から矩形庫周辺の留置場所に窮したんでしょうね。
先に解体のため鷹取工場に送られてしまいました。
EF58 28号機は第2次装備改造工事が早い順番でしたから、いわゆる新EF58の初期のものと同じ車体が与えられ、前面窓が大窓だったんです。
私はこの28号機を浜松機関区配属時代に撮影していましたが、かつて蒸機撮影に出かけるついでに撮影しました下り急行“紀伊”(東京発紀伊勝浦・鳥羽・王寺行きですね)の先頭に立つ姿だけで、それは暗くて「これが28号機」という写真としての体を成していませんでした。
そこで、工場送りになった28号機を解体前の最後のチャンスに昼間順光で撮影しておきたいと、鷹取工場を訪れました。

Ef58_28s

写真はその時のものです。
解体線にあった28号機はすでに解体工事が始まり、再生品となるのでしょうパンタグラフ、気笛、シールドビーム化された前灯の片側、ワイパー、前面ナンバーの文字板、ブレーキパイプなどがすでに撤去されていました。
28号機は鋳鋼製先台車ですから先台車枠端梁がなく、5号機、29号機、30号機ととも車輪がむき出しの凛々しい姿だったんですが、そこは姿を留めていたものの、解体作業員がかけたのでしょう、タオルが掛かったハンガーが痛々しい状態でした。
おそらく、機械室からは貴重な蒸気発生装置SG1A改も外されていたはずです。

なお、写真は小さく扱わせていただきました。
「機関車に生あれば見せたくない姿もあるはず」とは、故臼井茂信先生が名著「蒸気機関車の系譜図」の回転式火粉止めの稿で記述されている言葉ですが、その考え方をならわせていただきました次第です。
クリックしていただきましても大きくなりませんことをお詫びしますとともに、ご理解をお願いいたします次第です。

(写真・文/某I)

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2015年1月24日 (土)

スランプの克服法

春の臨時列車が発表されても、高崎のEF551が大宮に回送されても関心がわかない。臨時「北斗星」のEF81復帰説もまだ根強いし、3月にはEF8181が旧型客車を牽引して日光方面に入ったり、24系寝台車を使って石巻線への臨時列車なども噂されているが、「だからどうした」といった感が強い。

スランプに陥ったようだ。
冬の寒さや、このところ忙しさを増している仕事が原因だが、最も大きな理由はやはり体調不良。ふだん薄っぺらい札入れがここしばらくは、あちこちの病院の診察券でパンパンにふくれ上がってしまっている。おなじパンパンに膨らむなら無粋な病院のカードよりも紙幣でそうなって欲しいが、お金が財布に滞在している時間はあっけなく、町医者の診察券が幅を利かせている。先日、ちょっとした店で支払いをカードですまそうとしたら、デザインが似ている内科のカードを出して恥をかいてしまった。
咳が緩和されれば目、目の治療を始めれば今度は腰、腰が良くなればこの2、3日は胃の激痛に悩まされるという案配で、昨年秋からの医療費はムサシノモデルの国鉄型電気機関車モデル5両分にならんとしているようだ。超望遠レンズなど持って線路際をウロウロできる気分にはとてもなれない。

とにもかくにもブルトレの衰退とともにこちらの体にもガタが出始めたようで、自分の鉄道撮影も臨時列車以下の頻度に格下げせざるを得ない時期が来たらしい。2、3年前までマイカーで青森あたりまで何度も撮影に行っていたことが嘘のよう。

で、こういうときは何が一番張り合いをもたらすかと言えば異性。幸か不幸か色気に関してはバリバリとまではいかないまでも、まだそこそこ残滓があるから、かねてからお誘いを受けていたアルバイトの女子大生たちや女性記者と、来週は都内の老舗居酒屋を予約して「若返る」予定。

それが首尾良く終わったら晴れて鉄道撮影に復帰のつもり(予定)で、うまくいったらダイヤ改正以降の北海道に連れて行ってしまおうかとすら…。
なにしろ3月以降は夜行列車も激減して、〝朝練〟後は観光に使う時間も豊富になるのだから。

さて、どなたを誘ってみようかな。

「春」が待ち遠しい。

(写真、文;U)

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2015年1月22日 (木)

小窓最高!

といいましても、それはまさかEF58のことではありません。
EF58は大窓がいいに決まってます。
(あ、これは私が勝手に思っている偏った意見、愚見でして、EF58小窓機の美しさを否定するものではありませんです)

小窓がいいと申しますのは、ED19の一部の機関車のことです。
晩年は飯田線を走り、その中でもED17が軸重の関係から入線できない4級線(1965年までの旧規定では丙線)の元善光寺以北を含む飯田-辰野間で運用されていました。
ED19は大正末期の1926年に6010形式(称号規程の改正ですぐにED53に改称)としてアメリカで製造されたそうです。
ED53のF形バージョンのEF51とともに、棒台枠に動輪とその動輪を導く先輪が収められ、その上に出入台付きの車体が載るという手法がとられ、これはその後の国産電機の範となって、戦後のEF58やEF15まで綿々と続いていくことになるんですね。
車体前面の3枚折妻構造と屋上部からひさしが前方に突き出すというデザインも、国産機のEF52やEF53、EF10初期形やEF11初期形、ED16へと忠実に引き継がれています。
ED53は国府津まで電化されていた東海道本線の旅客用でしたが、のちにギヤ比を大きく変えて、6両全機が貨物用のED19になったとのことです。

さて、飯田線にやってきた6両のED19は伊那松島機関区に配属されていました。
このうち、1号機と2号機は前面窓が最後まで原形大窓を保ち、角はがっちりと角ばり、EF58大窓機の優雅さとは対局にあるような無骨さを伝えていました。
それはED53時代からの素晴らしいスタイルで、多くの人が支持することでしょう。
私もまったく同感です。
これに対して、3号機から6号機は浜松工場で大きかった前面窓を小さくして、角にRを付けたんです。
ED19の機関車車歴簿を見ていないので正確な理由が不明なのが申し訳ありませんが、前面窓周囲のガラス支持部の腐食が進行したのか、ガラス自体を合わせガラスにしたのかのどちらかだと推測されます。
もちろん、ガラスの支持は鉄枠とパテのままで、Hゴムなどは使用していません。
EF58でいいますと、高崎第二機関区、長岡第二機関区の大窓機が大宮工場での合わせガラス化の際にRの付いた小窓化が施行されましたが、それとよく似ています。
(小窓化工事施行機はその後全機ガラスの支持がHゴム化されてしまいましたが)

で、です。
その前面窓が小窓になったED19が妙にかっこよかったんです。
原形大窓機とはまた別のかっこよさですね。
Hゴムが付いてしまうと、当然ながらすべては興醒めなんですが、4両の小窓機は最後まで鉄枠、パテ式支持のままで活躍していました。
思いっきり小さくして、Rが付いた前面窓が何ともいえません。
(そんなのはお前だけだという突っ込みはどうかなしということで...)
どうせなら、同じ飯田線を走っていた旧形電車のクモハ51、クモハ53、クモハ54、クハ47、クハ68、クハユニ56、クハニ67などで時折見かけた、片側の前面窓だけの改修なんていうED19も見たかった気がします。

写真はその小窓化されたED19 3号機です。
撮影は1974年で、ちょうど会津若松運転区のC11を最後に本州から蒸機が全廃されたタイミングです。
なんとまるで交流機のように前パンを降ろしてきて拍子抜けだったんですが、小窓の特徴をよく捉えていますもので、あえて使わせていただきました。
デカいPS10BまたはPS14Aパンタグラフでしたらさらに痛いところでしたが、この3号機はPS15なので気持ちが少し助かりました。

(写真・文/某I)

Ed19_3

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2015年1月21日 (水)

EF58初の廃車機

EF58で最も早く廃車となったのが竜華機関区の21と28号機。どちらも1978年3月17日に廃車となった記録が残されている。
当時、自分はEF58にそれほど興味がなく、たまたまこの2両を撮れたのは親戚のいる和歌山へ何度もDF50を撮りに行ったことの副産物にすぎない。和歌山駅や和歌山駅の南側にあった操車場でDF50を撮っていると、阪和線の貨物列車を牽いてくるED60、61やEF15に混じってEF58を見かけ、退屈しのぎにカメラを向けていたというのが実態で、この2両を撮れたのは全くの偶然だった。

そんないい加減な撮り方をしていたから、撮ったといってもろくな写真ではない。パンタグラフこそ上がってはいるものの、足回りにはホッチキス状の柵が写っているし、写真としては最悪の部類で数に入れるのもはばかれるほどだから、公にはEF58を全機撮影したなどとは自ら口にするのは恥ずかしいし、仲間内でそんな話題になっても積極的には発言を控えた。質の悪い写真なのに「撮ったことがある」などと誇れるものではない。

この2両に次いで質の悪い記録しか残せなかったのが長岡の72、105号機。当時の機関車配置表にチェックが入っているから撮影したのは間違いないが、その後ネガを見ても印象に残っていないから、パンタグラフが上がっていないものしか残っていないかもしれない。

さて、この21号機は初めて撮影した1977年の翌年、昔行った竜華機関区を再訪したらラウンドハウス内に留置されていた。廃車の通達から2週間後のことだったから、まだナンバープレートなども外されていなかった。
関西本線や城東貨物線に蒸気機関車が現役だった頃には何度か行った竜華機関区だが、蒸気機関車が消えてからはこの1回のみ。架線のないラウンドハウスに電気機関車が収まって、蒸気機関車の煙を抜く排煙口の下に止まっている姿が面白かった。

現在この場所は久宝寺の高層マンションが建てられ、昔の面影は皆無となっている。

(写真、文:U)

Img073

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メーカーズプレートは「改造」となっている。

そう言えば今日が「21日」だったのは偶然。

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2015年1月19日 (月)

名作のロケ地近くの有名撮影地

寒さや体調不良、それに写欲をかき立てられるネタもなく、このところ鉄道撮影から遠ざかっている。カメラのバッテリーもエンプティとなっているのにチャージしようとするきっかけもない。
そして今、北海道に行って不安定な天気の中で寒さに耐えて列車を待っても、「トワイライトエクスプレス」などは日本海側の雪で時間通りに来ないことも多いだろうから無理することもない。何だかんだ言っても鉄道写真はその出来が天気に大きく左右されるのは間違いないジャンルだし、特に自分のように車両中心の写真となればその傾向が顕著だ。

と、言い訳しながらこのところ読書に耽って休日もあまり外に出ていない。
ひと頃、冬になって気温が下がったら「北斗星」の撮影に出かけようとクローゼットの奥から、20年ほど前に買ってお蔵入りしている800ミリを引きずり出したものの、手にした途端、そのあまりの重さにウンザリして、ますます線路が遠ざかってしまった。長ければ良いという、無分別な時分に入手した、ほとんど無用の長物になりかかっているこのレンズには近々、処分という問題が出てくるだろう。二束三文で構わないから、自宅から徒歩で行ける買い取り業者に持っていけば、ムサシノモデルの模型の一つぐらい買えるのではないかと考え始めているが、買ったときの価格を考えればもったいないことだ。

さて、ようやく高倉健主演の映画「駅」のDVDを購入した。この映画1981年、大学4年の時に公開され映画館で見たが、そのときから高倉健と倍賞智恵子の居酒屋シーンが印象的だった。居酒屋店内のテレビから流れる八代亜紀の「舟唄」が大いに場を盛り上げるが、倍賞智恵子の演技が素晴らしい。
就職してからこんな女性がやっている居酒屋を探し求めたが、ついぞそんな都合の良い店には出会えなかった。
アマゾンで¥1900ほどだから興味のある方にお勧めしたいが、40代以上の人向けかも。

で、この映画の序盤に函館本線・白石~苗穂の豊平川鉄橋が登場する。高倉健扮する刑事の先輩(大滝秀治)が拳銃を持った男に射殺されるシーン。このロケ地が、2度ほど行って夜行列車を撮ったポイントのすぐ近く。線路を挟んで反対側ではないかと思うが、こんな近くで名作が撮られていたことに驚いた。

(写真、文:U)

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2015年1月17日 (土)

航送車両の入換

まずは写真からご覧いただいてよろしいでしょうか。
見てのとおり、DE10による入換なんですが、ここがどこかと申しますと青函連絡船があった当時の青森駅構内なんです。
そうです、雪の連絡船桟橋の入換です。
もう少しくわしく書きますと、青森駅構内に三つあった連絡船用岸壁の一つ、青森2岸の入換で、手前が岸側、岸壁と船を結ぶ可動橋(数十cmという潮位変化に対応できる接続橋です)があって、その向こうに連絡船の車両甲板がぽっかりと口を開いています。
船は青森港進入を撮影したポジの前ゴマから推測すると摩周丸かと思われますが、定かではありません。すいません。

De10_1670

摩周丸を含めた津軽丸形の貨客船の車両甲板は4線構造で、各線とも20m級客貨車なら4両、4線合計で16両が収容可能でした。

船の階層を降りていくと突然線路と車両が出現する様や雰囲気は、航空母艦の航空機格納甲板ととてもよく似ています。

車両甲板は船尾側のランプドアを開放すると、線路は岸壁の軌道桟橋と連結することができます。
その際、船尾は左右の形状が絞られますから、中央の2線は分岐器で1線にまとめられて桟橋と連結されました。
そして、車両甲板に積載あるいは卸下する車両の入換は、地上側の入換機関車によって行なわれました。
ただし、思い機関車が桟橋上に乗ってしまうと船の重心にも桟橋の構造にも負担をかけてしまうため、入換機関車と被入換車両の間にはヒ500やヒ600といった控車が数両連結されて、機関車はあくまでも陸上だけを移動するシステムになっていました。

写真にもDE10の向こう側に連結された控車群を見ることができます。
さて、このDE10 1760号機はDE10 1500番台の中でもラストナンバーに近い機関車ですから、これを撮影した当時から心穏やかに眺めることができました。
このDE10では1976年初めまでの製造機、DD51では1975年までの製造機は蒸気機関車とう汰のために登場してきましたから、それはもう目の敵なんです。
たとえば、今は真岡鐵道に譲渡されて蒸機伴走用として使用されているDE10 1535号機は同じ青森機関区新製配置ですが、製造が1971年なので、もろに青森機関区所属の9600をつぶした機関車です。
これに対して、1760号機は1977年製造で蒸機の淘汰にいっさい関わっていないため、心情的に落ち着いて見ることができたというわけです。
ちなみに、青森機関区9600の完全DL化は奥羽本線秋田-青森間電化に伴う1971年10月改正時なんですが、連絡船桟橋入換仕業のDL化はそれより何年か早かったようで、青森操入換がまだ9600だった時も、すでに桟橋入換はDD13やらDD15に替わっていました。
青森機関区では4桁ナンバーの9600たちが多く見られたんですが、彼らをこの航送車入換でぜひ見たかったものです。

1988年3月、青函トンネルの開通によって青函連絡船のこんなシーンは見られなくなりましたが、今、また青函トンネル区間は新幹線走行という進化のためにブルトレの走行が遮られようとしています。

(写真・文/某I)

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2015年1月14日 (水)

EF651118を注文

ムサシノモデルという模型メーカーは本当に困ったものだ。出てくる製品出てくる製品、全て欲しくなってしまう。
元々、自分は蒸気機関車模型一辺倒だったのに、このメーカーのおかげでディーゼル機関車、電気機関車、私鉄の電動貨車などに脇目を振ってしまった。
最初はDD54とDF50。このあたりは蒸気機関車の隣に置いても違和感のない車両だが、続いて買ったのはDD16。そもそもこの機関車とは全く縁がなく、今もって実物を撮ったことすらない。それがある日、店頭で見かけた途端、欲しくなって衝動買い。実物にあまり関心がなくとも、模型の出来栄えが素晴らしいから、一目見てしまうとどうしても欲しくなる。その後の秋田中央交通の電動貨車などは最初、赤と青の2色塗装のものだけを買うつもりでムサシノモデルに行ったら、青いものが陳列されていて、それを見た途端に欲しくなった。すぐに店の最寄りの銀行まで金を下ろしに行って一挙に2両買ってしまったほど。
蒸気機関車ではあるがあまり興味のない古典モノ、クラウス17号機もまさにそんな風だった。

見たこともない車両をそうやって衝動買いするくらいだから、見たり撮ったりしたEF57やEF65が欲しくなるのは当然の話。だからそれらの模型を見ないように、しばらくムサシノモデルやそのほかの模型店から距離を置いていたのだが、あるとき某模型店でEF57を見たら、また悪い虫がうずき出してしまった。

もうこの状況からは逃れることは不可能。蜘蛛の糸から逃れられなくなった虫のようなものだ。
先日も年の初めから同社がEF65の追加生産をすることが予告され、製品化される中に田端のEF651118レインボーカラーがあったから13ミリ版を即効で頼んでしまった。
順当なら今年はすでに予約したEF64,DD51も発売されるはずだから、下手をすると3両が入線することとなる。模型メーカーの常でどれか1両でも大幅に発売時期が遅れて来年回しにでもなれば資金繰りにも猶予ができるのだが、予定通りのスケジュールで発売されたらしんどいかも。

撮りたい車両や列車がなくなり、カメラ機材に回す分が浮くとは言っても、ほかに蒸気機関車のモデルも頼んであるから、ことしもまた趣味への散財に四苦八苦しそうな気配だ。
2012822_2 しかし実はこのEF651118はあまり撮影したことがない。今まで5,6回だけだと思う。
それというのも客車を牽く機会が案外少ないのが要因。
この日はこんな列車が運転されることを知らずにたまたま撮影した。

ムサシノモデルからは先代レインボーカラーの1019号機も予告されているが、黒いHゴムで通風口のないこちらを選んだ。

(写真、文:U)

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2015年1月12日 (月)

京都駅の「赤帽」

今回はちょっと毛色の違った写真。
国鉄民営化を翌年に控えた1986年、京都駅で撮影した「赤帽」さん。当時すでに「赤帽」を依頼する人は減り、全国的にもほとんど見かける機会がなかった。

カメラを向けても撮影に応じてくれるかどうか心配だったが、外国人観光客の依頼が多い京都駅の方たちは快く応じてくれた。チップ制度が当たり前の外国人に とって「ポーター」という荷物を運ぶサービスは、比較的身近なもので気安く頼めたのだろう。けっこう多くの注文が入っていたことを思い出す。荷物の大きさにもよるが1個¥150~300程度の料金だったように記憶している。

今となってはスーツケースもキャスター付きのものが主流となって、こんな仕事が成り立つ環境ではなくなってしまった。軽貨物運送業を営む個人事業主で組織される協同組合に「赤帽」というのがあるが、ネーミングの由来となったこの職業をどれだけの人が覚えているだろうか。

カラーで撮影していなかったことが悔やまれる。

(写真、文:U)

Img0611

Img0621

【ご注意】

アップしてある写真を見ていただく際、画像の上にカーソルを持って行って左クリックで拡大するよりも右クリックし、「リンクを新しいウインドウで開く」で見ていただく方が、よりオリジナルに近いクオリティで見ることができます。

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ニコンが海外のショーで300ミリのF4を発表した。このレンズ、以前はかなり旧式で早く新型が出ないかと期待されていたが、もうすぐ発売されるであろう新型は位相フレネルレンズ採用で旧型より30%ほど短くなり、手ブレ補正も強力となっているようで、なかなかの性能のようだ。当然、価格もそれなりで、国内での実勢価格は20~25万円になりそう。

しかし写真を見ると分かるように大きさとしては180ミリクラスのレンズより少し大きい程度で、手持ちや旅行用にはかなり使い勝手が良さそう。デジタルカメラの高感度性能が向上した今、開放値がF2・8のレンズをしのぐ機動性が期待できる。

80~400ミリレンズと競合する価格設定になりそうで迷う人も多いかもしれない。

Nikon_300mmf4epe

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2015年1月10日 (土)

あるYS-11の有終

YS-11という飛行機を覚えていらっしゃいますか?
戦後初の国産輸送機として日本航空機製造が生産したターボプロップ機です。
1962年に初飛行したそうですから、その頃はといいますと、東海道本線を青大将塗色のEF58が“つばめ”や“はと”の先頭に立っていたことになります。
何たって国産ですから、日本の航空会社各社が導入し、一時は日本各地の空港で見られたものです。
旅客機として日本で最後まで使用したのは鹿児島をベースとする日本エアコミューター(JAC)で、2006年9月一杯で退役しました。
総計182機が生産されたYS-11の中には、運輸省航空局、海上保安庁、海上自衛隊、航空自衛隊に納入された機体もありました。
輸送機ですから、旅客を乗せる用途以外にも使用できたわけです。
そして、これらの官公庁では2006年以降も使用されましたが、すでに国土交通省航空局、海上保安庁からは退役しまして、ここ最近は海上自衛隊と航空自衛隊に残るだけとなっていました。

でも、昨年12月末、海上自衛隊のYS-11が全機退役しました。
自衛隊の用語で言いますと、用途廃止ということになります。
厚木航空基地に展開します海上自衛隊第61航空隊がその運用部隊で、貨客混載型のYS-11M(MA)型を運用してきましたが、最後の2機が12月24日をもってラストフライトとなりました。
海上自衛隊にも航空自衛隊と同じように全国の航空基地を結ぶ定期便というものがあるんですが、航空自衛隊の定期便はC-1やC-130という純然たる輸送機なのに対して、海上自衛隊の定期便は静かで振動がない「旅客機YS-11」が主体でしたから、定期便搭乗の際には「あー、今日は快適な飛行機だな」などと安堵したものでした。
シートだって鉄道の呼び方でいえばクロスシートですから、C-1やC-130のロングシート(それも網だけ)とは違います。
たとえば、厚木や下総から八戸までフライトタイムが2時間かかろうと、ぜんぜんへっちゃらでした。

これで、残るYS-11は航空自衛隊の13機、それに海外の航空会社にも多く輸出されましたから、そのうちの一部がまだ飛んでいるかと思います。
(定かではありません。詳細をご存知の方がいらっしゃいましたら、コメントでいちゃもんを付けてください)

写真は今回退役した61空のYS-11Mではなく、3年半ほど前まで同じ海上自衛隊で使用されていたYS-11T型という機体です。
正確には最大離陸重量増加型のYS-11Aに分類されますから、YS-11T-Aといいます。
YS-11Tは哨戒機P-3Cの航空士(戦術航空士や機上整備員、機上電測員など、パイロット以外の搭乗員のことです)を養成するための機種で、用途廃止とともに解隊された第205教育航空隊の所属でした。
このブログでも、ずいぶん前にTさんがYS-11Tの記事をアップされていました。
そのYS-11Tなんですが、撮影のために凄くプラスになることがありました。
あのね、窓が開くんです。
なぁんて書くと、飛行機に詳しい方から「どうして与圧してるYS-11の窓が開くんだい?」と突込みが入ると思いますが、YS-11Tは与圧がないんです。
訓練機器を積載したら重量が重くなってしまい、どうせ訓練で低空しか飛ばないんだから与圧装置を外しちまえってことになったんですね。
小型機と違ってこれだけパワーがある機体で窓が開くってなかなかありません。
空撮用機材としては最高だったんです。
205教空の解隊もYS-11Tの用廃もとても残念な出来事でした。

そして、最後はYS-11Tを部品取りとして飛んできたYS-11Mが用廃となり、海上自衛隊からすべてのYS-11が消えてしまいました。

(写真・文/某I)

Ys_11t

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2015年1月 9日 (金)

良い作品に当たった年末年始

病院通いが続いた年末から今日まで、ちょうど10冊の本を読んだ。気が向くまま本屋に行って適当に選んだ文庫ばかりだが「外れ」はなし。10冊続けて読むと1,2冊は「外れ」と感じる作品もあるのだが、これほど続けて楽しめる本にめぐり会えたのも珍しい。おかげで長い待ち時間も充実し、今では病院の待合室で本を読むのも悪くないと思っているほどだ。

その中でも柴田哲孝の「チャイナ・インベンション」、中山七里の「切り裂きジャックの告白」、永瀬隼介の「彷徨う刑事 凍結都市TOKYO」はもう1回読むつもり。いずれもストーリーを楽しみながら新たな知識も蓄えられる。
このうち中山七里の「切り裂きジャックの告白」はテレビドラマ化されるようだが、どうせ下手な脚本や演技で原作の良さが損なわれるのは目に見えているから、読むなら放映前が良いだろう。この著者、脂がのっている感じで文章も精緻。ハードカバーの近作も2冊買ってある。

内容については書店で裏表紙のあらすじを見て選んで欲しいが、ネットで見れば分かるような情報しか載せていない鉄道雑誌を買うよりもコストパフォーマンスは断然高い。

しかし、読み応えのある作品ばかりに当たると、次に買う本が外れないかと、あらぬ心配をしてしまう。そのためにまず失敗のないチョイスとして、以前から米沢穂積の「満願」を「隠し球」としてストックしてきたのだが、この作品、週刊文春の2014年の「このミステリーが凄い」の1位になってしまったから早く読まなくてはと気がはやる。

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もうすぐ(今月下旬)、春の臨時列車が発表されるはず。臨時「北斗星」の運転頻度はかなり高く、8月20日すぎまで運転されてお終いとなるようだが(そこまで一挙に発表されないか?)、それ以上に注目なのがゴールデンウイークの「あけぼの」。おそらく絶望的と思えるのだが、どうなることか?

(写真、文:U)

_dsc57512

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2015年1月 7日 (水)

東京駅発着の客車列車は…

元旦のIさんの記事に刺激され古いネガを見ていたら御徒町、秋葉原、神田などで撮影した写真がけっこう出てきた。東京機関区のEF58が臨時の仕業とはいえ毎日のように走っていたから当然なのだが、ほかにも旧型国電や客車の廃車回送、メーカーからの新製車回送などバラエティ豊かで、なかなか楽しい区間だった。
このブログを始めた頃にアップしたEF5861の24系25形新製車回送などは最も印象的な列車だったが当時、下関配置のEF5831(大窓機)の引くオール10系寝台車などもあり、今思えば東京のど真ん中の「穴場」と言えた。

その区間が3月から復活する。東北、高崎、常磐線の列車が東京駅乗り入れを始めるわけだが、しかしもう機関車の引く列車が入ることは間違いなくあるまい。これらの線区からの乗り入れが始まれば東京駅発着の列車はますます増え、その中に機関車の交換が必要な客車列車が紛れ込む余地は絶対にない。これまで水戸方面からの通勤客が定期券で特急に乗れたのに(もちろん特急料金は払うが)、東京駅乗り入れでホームが混雑するため、それができなくなると言うくらいだから乗り入れ本数はけっこうな頻度となり、そんな合間に長々と東京駅のホームに列車を止めておくことはできない。
一昨年のDD51「天の川」や昨年の「富士」のように、東京~上野を経由しない西へ向かう臨時のイベント列車にしても、もう東京駅に入ることは無理だろう。

この区間が完成したら1回くらい「北斗星」や「カシオペア」が東京駅から出発しないかと、そんな非現実的な想像をしてみたことがあるが、どう考えてみても妄想。
開業後、短期間は乗り入れ列車に記念のヘッドマークが付くかもしれないから、せめてそれだけは押さえておきたいと思う。

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既視感のある方も多いと思われるが2011年3月の489系サヨナラ列車。東日本大震災の後、初めて鉄道撮影に出向いた。

当たり前に走っていた頃はそれほど気にとめなかったが、あらためて見てみると今の車両よりもかなり個性的なデザインであると感じる。

電車を編成ごと動態保存するということは、機関車などよりも困難を伴うのかもしれないが、先行きが見えている583系などを残す発想はないのだろうか。国鉄、JRを通じて、機関車以外の車両の動態保存にはなぜか冷ややかなように見えるのだが。

(写真、文:U)

_dsc93752_3

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2015年1月 5日 (月)

撮り初めが撮り納めとなりそうな「あけぼの」

さて1月3日の遅れ「あけぼの」。
本来、午前6時20分上野着では走行シーンの撮影は難しく、無理して撮ってもザラザラの汚い画質になってしまう。今回、年末年始の4日間の運転では、ひょっとしたら1,2回は遅れて、明るくなってから撮影できるかもしれないと期待していたものの、年末の2回が定刻だったため半ば諦めかけていた。それに運転最終日の4日は勤務で撮影は不可能、年が明けてからのチャンスは上野着3日の上りだけだった。

2日夜、外出先から帰宅して運行状況を確認すると酒田まではほぼ定刻。その先の上越線内が大雪だから遅れが生じるとしたら長岡の先だと予測して、スマホを枕元において早々に就寝した。
3日の明け方4時、ネットを確認すると「あけぼの」は新津で止まっているとの情報が上げられていた。まだ長岡にも着いていないわけで、そうすると遅延はさらに大きくなる。そう思って再度眠りにつき、次に起きたのが7時すぎ。
この段階でやっと長岡。運転打ち切りとの報もあったが、下り列車のために上野まで回送はするはずだから、その後の推移を見守りながら、この段階でようやく撮影地の検討に入った。
端っから上越線内などに行くつもりもなく、高崎線内で流し撮りを考えている場所も5時間以上の遅れでは太陽が回り込みすぎて列車側面には日が当たらず、大宮以南が楽だし無難。おまけにこの時期といえども浦和や東十条は太陽が高くなって、列車を上から見下ろすとトップライト気味のコントラストの強い絵になってしまう。やはり列車と同じ高さで撮れるアングルが良い。まだ正月休みの人も多く、この情報をキャッチして多くのファンが来るだろうとも予測した。

残ったのは北浦和か尾久のホーム。どちらも遅く駆けつけても場所は確保できそうなのがありがたい。ただ、北浦和は枯れ草といえども、背が伸びた雑草が懸念されるし、そうなるとほかに移動するにも場所の確保が難しいところばかり。
けっきょく東十条という「逃げ場」が近い尾久に車を向けた。ここなら人がいても20センチほどの踏み台さえあれば人の後ろからでも撮れるだろう。

けっきょく尾久に着いたのは10時過ぎ。自分の好みの立ち位置には人もおらず、難なく場所を確保することができた。

あとは下の写真をご覧の通り。下り普通電車の被りをギリギリで交わすことができたが、直前にシャッターを切ろうと考えていた地点の横に人が立ち、手前まで列車を引き寄せなければならなかったし、やはり太陽が高く、コントラストを下げなければならなかった。足回りの雪も溶けかかりゆるゆるだったが、ひょっとしたらこれが最後の「あけぼの」撮影になると思われ、双頭機牽引で今年の撮り初めと「あけぼの」の撮り納めができたことは素直に喜びたい。

(写真、文:U)

_dsc61641_2

 

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2015年1月 3日 (土)

今年最初の記事は古い写真から

Iさんが「エース」などとおっしゃるが、ただただヒマな自分がこのブログを維持管理しているだけ。今年は自らの出撃機会も激減するはずで、お仲間の寄稿を大いに期待したい。

明けましておめでとうございます。
2015年の冒頭から悲観的な予測で情けないが、前述のように今年は北海道の夜行列車が変革期を迎え撮影に出かける機会が激減するのは必至。年間20回ほど行ければ御の字だと考えている。ダイヤ改正以降は昔の写真ばかりになりそうだから、古いネガのスキャンにも精を出さなくてはならない。

さて本日は上り臨時「あけぼの」が大遅延。上野着が定刻よりも5時間半ほど遅れた。上越線内の大雪が影響したらしく、9時40分に自宅を出てもゆうゆう間に合った。
久しぶりの「あけぼの」、どこで撮影しようかと考えに考え抜いた挙げ句、尾久のホームに白羽の矢を立てた。ここは通常なら編成側面には日が当たらないが昼前の上野着ならじゅうぶん太陽は回る。客車の帯が全て金色で統一されている編成で、床下にも雪をまとっているとも予想し、正面アップの構図を避けてここで撮影することとした。
と書くと、かなり緻密な作戦を練ったと思われるかもしれないが、実は後段の客車云々は後で考えた言い訳。単にのんびり行ってもここは人が少ないであろうということが選択する大きな要因となっただけ。

もう「あけぼの」を撮ることはないだろうと考えていただけに、今日は検査後間もない双頭1032号機、しかも2エンドというのはラッキーだった。

で、本来ならその写真をアップするところだが、実は年末に取り込んでいた古いモノクロがあるので、今回はあえてそちらをアップさせていただく。1980年8月26日、新幹線開業前の上越線、越後中里~越後湯沢で撮影した9803列車牽引EF5835号機。
ペンタックスの6×7に200ミリの組み合わせ。

今年もどうぞよろしくお願いします。

(写真、文:U)

Img1191

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2015年1月 1日 (木)

今年は東北本線東京-上野間が再開業です

皆さま(もし読んでくださっている方がいらっしゃいましたらですが)、エースUさんが引っ張ります本ブログを今年もよろしくお願い申し上げます。
今年は定期客車特急全廃やら北陸新幹線金沢開業やら話題が目白押しですが、都心部では東北本線東京-上野間の再開業が大きなニュースです。

ご存知のように、東北本線の起点は東京です。
が、現在東北本線の列車はすべて上野発着で、東京-上野間を走る東北本線は、いわゆる京浜東北線だけに頼っている状況です。
ところが、山手貨物線の湘南新宿ラインに続く都心部の改良第二弾として、2015年3月改正からは東北本線、高崎線、常磐線の列車が東京まで直通運転できることになりました。
東北本線と高崎線は湘南新宿ラインのおかげで東海道本線や横須賀線に直通運転できていますが、常磐線列車は久しぶりに上野以外の起終点ができることになります。
各線とも東京-上野間を通過する旅客列車は1973年ですべて消滅しましたから、なんと42年ぶりの復活ということになります。
すでに軌道自体は竣工していまして、今は乗務員のハンドル訓練の真っ最中ですね。

写真は東北本線神田付近を走る隅田川発品川行き荷2935列車です。
1973年に旅客営業が終了したこの区間ですが、その後も1980年までいわゆる東京上野回送線として回送列車や荷物列車のみ運転されていました。
品川客車区と尾久客車区を結ぶ回1940~回1943列車の2往復が有名ですね。
で、荷2935列車に戻りますが、ご覧いただきますとおりEF15のけん引です。
各線を南下してきた荷物列車の荷物車で組成された8両編成で、これが品川で汐留発の荷35列車7両編成にそのまま連結され、荷35列車は15両編成となり、これをEF58重連がけん引したというわけです。
SGを持たないEF15ですから、同形けん引の客車列車というのはとても珍しいですね。
隅田川-品川間と短区間ではありますが、暖房使用期間の6月から9月は当然暖欠扱いということになります。
けん引機のEF15は東京機関区所属なんですが、これを撮影する少し前まではこの列車は同区所属のEF10けん引でしたから、暖欠は伝統的でありました。
出入台昇降段の前面下段の白色が東京機関区所属のEF15の特徴ですかね。
あ、今気付きましたが、この29号機は機関士側前面窓が少し小さいですね。
ワイパーが機関士側はWP50、機関助士側はWP35なんですが、機関士側のワイパーをWP50化する際に大型のワイパーモーターの取り付け部がひさしに支障したためだと思いますが、ひさしに蹴り込みを入れずに窓自体を小さくしてしまったんですね、きっと。

(写真/文:某I)

Ef15_29

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