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2014年12月16日 (火)

復活したED75三重連

ED75三重連といったら、何といっても東北本線十三本木峠を越えた地域間急行2168列車です。
東北本線2分目ダイヤでは、2168列車の一戸-沼宮内間に「△△」と補機が2両連結されることが示された、回送などではないれっきとした三重連でした。
十三本木峠は何といってもカマ時代はD51三重連の名所でしたから(私は電化前の本物三重連は撮っていませんで、電化直後のヤラセD51三重連しか撮っていませんが)、ED75三重連にも超興奮したものです。
でも、それも1978年10月改正でただの重連となってしまいました。
ED75三重連の2168列車の写真はここの初期に掲載させたいただいたような気がいたします。

ところが、時が少し流れた1982年11月改正で東北本線の別の区間、黒磯-白河間にED75三重連が登場したんです。
写真を見ると最高速度85km/hのコキ5500、ワキ5000、ヨ6000などで組成されていますから、高速貨Cの1151列車だったですかね。
ただし、三重連といっても、3両のうち2両が回送扱いです。
この区間は最急こう配10.0‰、標準こう配も10.0‰ですから、1000tの1151列車ではED75は重連どころか単独でけん引できてしまうんです。
1982年11月改正は1982年6月の東北新幹線大宮先行開業に続く上野暫定開業に伴うもので、それまであれだけのぼう大な本数が運転されていた昼行電車特急、急行がほとんど消えてしまった後ですから、わりとどなたも見向きもされない、ひっそりとした運転でした。

(写真/文:某I)

Ed75_92

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コメント

某I様
初めまして、いつも愛読させていただいてます。
過去にED79は登場していましたが(煙越しの後ろ姿のED75は記憶に新しいです)まさかED75がこちらで拝見出来るとは感激です。
私の記憶が確かならば当時東北本線を走っていたED75の全検は郡山工場かと思います。
このモノクロでもわかる、屋根上の銀塗装仕上げ。
御召し機のような仕上げに、運用を追っていた思い出がよぎりました。
また白Hゴムの厚みも時代を感じます。
古き良き時代の貴重なED75の画像ありがとうございます。

今後も諸先輩皆様のBlog愛読させて頂きます。

投稿: studio75 | 2014年12月16日 (火) 22時15分

studio75さん、コメントありがとうございます。
おっしゃいますように、あの当時内郷、長町、盛岡、青森各機関区所属のED75の全検、要検は郡山工場の担当でしたね。
たしかに、銀ペンを多用した屋上機器の塗装は思いっきり見事ですね。
studio75さんが運用を追いかけられたこともよく理解できます。
今思いますれば、この時よくぞこのカマが三重連の頭で来てくれたものです。
白坂までの上り10‰が終わると、山間に絶気合図を響かせて山を降りていきました。
重連総括制御のシステムもKE63形ジャンパも信号を送る、受けるの機能だけで、次の機関車に送るという機能がなく、三重連の際には2組の乗務員が必要なのが楽しかったです。

考えてみますれば、白Hゴムも貴重なんですね。
近年の黒い耐候Hゴムの凄い性能を見れば、全検ごとのゴム交換が要求される従来タイプがお呼びでないことは仕方ないですが、できれば白い耐候性ゴムも開発されるといいと思います。
おそらく、青色LEDより白色耐候性ゴムの方が簡単にできそうですが...

あ、煙越しの後ろ姿につきましては、どうか忘れてくださいまし(笑)。
今後ともよろしくお願いいたします。

投稿: 某I | 2014年12月17日 (水) 09時13分

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