« 2014年9月 | トップページ | 2014年11月 »

2014年10月

2014年10月30日 (木)

唯一の貨物純正HM

貨物列車のけん引機とヘッドマークは基本的に無縁です。
ヘッドマークというもの、元来はホームなどにいる客にその列車が何であるかを示す目的で取り付けられるものですから、人の乗らない貨物列車には不要です。
でも、そんな中で国鉄~JR貨物が実際の定期貨物列車のけん引機に装着した、いわば「純正」のヘッドマークというものが一つだけ存在します。
それは「スーパーライナー」なんです。
かつて、1959年に運転を開始したという「たから」では最後部のヨ5000にテールマークを付けたようですが(車発を電源として光ったんでしょうかね)、けん引機のEH10には付けられませんでしたので、スーパーライナーが機関車に付けた唯一のヘッドマークのはずです。
ちなみに「たから」は汐留-梅田間の運転だったそうですが、梅田貨物線はまだ電化されてませんから、吹操からは吹田第一機関区のD51か、もしかしてD52だったですかね...

さて、スーパーライナーという名前は、JR貨物が移行直後に高速貨Aの一部110km/h運転を開始し、それに合わせて高速貨Aをスーパーライナーと呼ぶようになったんでしたっけね。
で、従来からの最高速度100km/hの高速貨Aもそう呼びます。
そのスーパーライナーなんですが、昭和の終わりから平成の初めにかけて、東海道本線の1往復のみ、ヘッドマークを取り付け指定列車がありました。
申し訳ありませんが、頭の悪い私は列車番号を忘れてしまいまして、当時のダイヤを広げて類推しますに、上りは第54列車っぽいですから、ペアとなる下りは第53列車だったでしょうか。
違っている可能性がありますことをお許しください。
とにもかくにも、吹田機関区では定期の票運用がその推定54列車~53列車に設定され(サボやヘッドマークの類いには必ず票運用があったんです)、EF66はさっそうと東京(タ)を往復していました。

そんな中にEF66 100番台が登場してきました。
当時、急増した貨物輸送量に対処するため、JR貨物が国鉄時代のEF66基本番台の設計図をほぼそのままトレースして製造した機関車です。
ところが、その100番台のヘッドマーク取り付け座ステーは着脱式だったんです。
EF66基本番台は国鉄時代の製造ですから、もしや特急客けん引もあるのではとの想定からこれが固定装備されましたが(「もしや」はその後現実になりましたね)、100番台はJR貨物になってからの製造とあって、あったら邪魔なんじゃないのということになったんでしょうね。
で、その100番台が54列車~53列車の仕業に入る際、ヘッドマークを取り付けるのなら、取り付け座をいちいち装着しなければなりませんから、当然ながら100番台が入る日には取り付けが省略されたんです。
ということは、当時から吹田機関区所属のEF66は基本番台も100番台も共通運用ですから、まだ100番台がかなり少なかった頃ではありますが、絶対にマーク付きが来る保証はありませんでした。

100番台の増備があり、票運用を実行する日としない日が混在するようになったせいか、いつの間にか取り付けられなくなっていきました。
ヘッドマーク、重たいですから、毎日の付け替え作業はかなりの重労働でしょうし。
でも、期間は長くなかったかもしれませんが、よくぞ一定期間ヘッドマークを付けて走ってくれたものだと思います。
感謝こそすれ、取り付けられなくなったことに文句などを並べるつもりは毛頭ありません。
それでも「スーパーライナー」マークはJR貨物唯一のいわば公式マークとして大事に保管されていますようでして、一般開放日などに撮られた皆さまのお写真にしばしば登場して安心しております。

写真の日は冷改されたEF66 22号機が来ました。
個人的には運転室屋上に冷房装置を載せたこの格好はあまりいいとは感じませんでしたが、乗務員の環境改善のためには重要なものでした。
後ろに温度が上がる機械室を抱え、側窓の開放面積が極端に少ないELの運転室は、夏は蒸し風呂状態になります。
このため、100番台では冷房装置を搭載して登場したんですが、基本番台もそれにあわせて取付工事を施行した機関車が出場してきていました。
狭い運転室ですから冷風吹出口が必然的に近く、しばらく乗っていると寒いほど効いた覚えがあります。

(写真/文:某I)

Ef66_22

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年10月29日 (水)

北舟岡トワイライト

さて今回は北舟岡。海側に日没間際の夕日を遮るものが何もなく、上りの「トワイライトエクスプレス」や夏場、「カシオペア」を撮るのに人気の場所だが、今年3月のダイヤ改正で「トワイライトエクスプレス」はここで下り貨物列車と交換するダイヤとなってホームからは撮りづらくなってしまった。昨年、H氏がここで長いレンズを使って撮った素晴らしい写真を拝見して、来年は自分も撮ってみたいと考えていただけに残念。撮れるうちに撮っておかないと悔しい事態を招くという典型的な例。

それでもダイヤ改正後は駅の伊達紋別側で北舟岡を出た直後のシーンが撮れるから今でも人は多いが、超望遠レンズが使える引きがないから自分とは全く無縁。いくら光線が良くとも長ダマじゃなきゃ面白くない。
そこで考えたのが下のようなアングル。上下ホームをつなぐ跨線橋の上からの超望遠狙い。ここをご存じの方ならお分かりかと思うが金網越しの撮影だ。前日、激しい雨の中を下見してここで撮ることは決めていたが、この日は幸い日没まで素晴らしい天気に恵まれた。

ここで編成を最後部まで入れたらDD51は貨物列車の影に入ってしまう。潔く機関車だけをアップにすることを覚悟し、あとは上下線の隙間をどれくらいに詰めるかということと、下り貨物の牽引機DF200からの放熱を計算しながら立ち位置を決めた。

DD51の正面に少しだけ光が回り込んで立体感が出た。時と場合によっては編成を切ってみることも効果的。もう一度訪れたかったが、すでに機関車の前面に日は当たらないだろう。

(写真、文;U)

_dsc52035

_dsc52122

【ご注意】

アップしてある写真を見ていただく際、画像の上にカーソルを持って行って左クリックで拡大するよりも右クリックし、「リンクを新しいウインドウで開く」で見ていただく方が、よりオリジナルに近いクオリティで見ることができます。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年10月27日 (月)

久しぶりのD7100

JRの冬の増発列車が発表され今冬、「あけぼの」は年末年始の4日間しか運転されない。もっと運転されるのではないかと期待していたが、これで次のゴールデンウイークに設定がないとしたら、当面この冬の運転が最後となるかもしれない。上りの上野着時刻を考えればEF64が牽く走行シーンの撮影は日の出前ということになりそうでかなり厳しい。定刻で運転されるとしたら、寒くても下りのEF81区間の方しかチャンスはないだろう。

そろそろどこかの新聞が次のダイヤ改正での「北斗星」の廃止を、あらためて記事にする時期だし、12月になればJRからも正式な発表があるだろうから首都圏ではこの冬、そちらの方に人が集まりそうだ。

****************************************************************************

北海道の写真が続いているが、今回は昨日撮影してきたEF65501の画像。休日の早朝なら家から15分ほどで行けるから、ちょっとした〝朝練〟には適当な列車だった。

久しぶりにDXフォーマットのニコンD7100を持ち出した。このカメラで写真を撮るのは5カ月ぶり。買ってから1年半ほど過ぎたが、まだシャッターを押したのは500回にも満たない。バッファメモリーの容量から連続5コマしか撮影できないこともあるが、それ以上に出番を少なくしているのが高感度性能。どうしてもフルサイズ機に比較すると見劣りしてしまうから、定期「あけぼの」の末期にも使う機会がなかった。

しかし昨日はより長いレンズがなくてはならない場所で撮るために久々の起用。新型の1・4倍テレコンとの相性も確かめたかった。500ミリを使って換算1050ミリでAF撮影を試みたところ非常に快適な使い心地。使い方さえ誤らなければ武器になるのは間違いない。きれいなうちに手放すことも考えていたが、どうやらもう少し付き合うことになりそうだ。

(写真、文:U)

_dsc09501
下は5年ぶりに撮影した「サンライズ」。こちらはフルサイズ機での撮影。

_dsc55551

【ご注意】

アップしてある写真を見ていただく際、画像の上にカーソルを持って行って左クリックで拡大するよりも右クリックし、「リンクを新しいウインドウで開く」で見ていただく方が、よりオリジナルに近いクオリティで見ることができます。

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2014年10月25日 (土)

素人の浅知恵

今年は何度か北海道に出かけたが、撮影地で列車待ちをするときに考えるのは来年以降のこと。

新幹線の函館開業で夜行寝台列車が全てなくなり、蒸気機関車の運転も行われなくなれば、鉄道ファン、とりわけ「撮り鉄」と言われる人たちにとって北海道という地への注目度はかなり低下するだろう。
蒸気機関車が現役を退いた後も廃止となるローカル線、C623の復活、急行を含む夜行の寝台列車など、被写体にふさわしい列車が常に存在してきたが、これからはそんな「役者」が枯渇する時代を迎える。

もちろん雄大で季節感の色濃い四季折々の風景は、今後も良い素材に変わりはないが、それでもカメラを手に北海道に渡る鉄道ファンの数が激減するのはほぼ確実。道東の釧網線などでSLの運転は継続されるというが、年間を通じて今までほどの人出は期待できまい。
鉄道ファンの落とす金など微々たるものかもしれないが、函館線の「SLニセコ号」や「函館大沼号」はそこそこの収益を上げていたというから、新幹線の函館開業とうまく組み合わせられればと良かったのにと残念に感じてしまう。

そこで思うのは、客室に少し手を加え豪華な内装にしたうえで道内に夜行列車を復活させたらどうなのかということ。新幹線で函館に着いて、道北や道東に向かう寝台(あるいは個室)列車があれば利用する客がいるのではないかと思うのだが、しょせん素人の浅知恵か?
季節列車でも良い、「乗り鉄」「撮り鉄」双方には歓迎されるような気もするが、機関車の確保や保守、リネンの問題など現場の負担を考えれば現実的ではないのだろうか?

ただ単に移動することだけを目的とした列車だけでなく、行程を楽しめるような長距離列車は広い北海道にこそふさわしい気もするのだが。

*************************************************************************

先日の北海道撮影旅行は編成全体を入れるフレーミングに頓着しないことを決めて出かけた。

1日の日照時間が短くなって非電化区間での撮影地は限られてきたから、もはや少ない選択肢の中で絵をつくらなければならない。すでに撮りたいスポットでの撮影はほぼ完了したから、ならば再訪となる地で編成が切れても、長いレンズを使って機関車主体に圧縮した写真にスイッチした方が自分の芸風にそぐうのではないかと考えたからだ。

かようなわけで今回以降、アップする写真の中には機関車中心の絵が混在していくことになる。
いずれにしても、せっかくの紅葉などを無視した荒唐無稽な長ダマ撮影には違いないのだが。

(写真、文:U)

_dsc52851
_dsc52661

【ご注意】

アップしてある写真を見ていただく際、画像の上にカーソルを持って行って左クリックで拡大するよりも右クリックし、「リンクを新しいウインドウで開く」で見ていただく方が、よりオリジナルに近いクオリティで見ることができます。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年10月23日 (木)

スキャンじゃなくて 複写という手

Uさんの最新北海道シリーズが始まりました。
最初からスカっと気持ちのいい写真でたまりませんね。
さて、私はと言いますと、その前の週に渡道しておりました。
C11 207号機が北海道で走るのはもう最後になりますこと、それからあれだけ長い間撮影してきました函館山線の蒸機にお別れしてくるためです。
(もちろん、朝夕は室蘭本線でのブルトレ兼務でありました)
私の山線の蒸機撮影歴はたかだか43年ちょっとなのですが、自分の中では走る蒸機を撮っている線区としてはもっとも長いことになるんです。
計算してみると、2番目はわずかな差で43年弱の肥薩線、3番目は41年の山口線でした。
もっとも、肥薩線は43年弱などと偉そうなことを言っても、1973年から2012年までの39年間がすっぽりと空いています。

前段が長くなりました。
予定稿を書いております今晩は地方にいるんですが、予定されていた飲み会が中止になってしまい、はっきり言って暇なんです。
だから、ダラダラと書いております。すいません。

今日書こうと思いますのは、少し前にUさんやK.Mさんが問題にされましたスキャンの話です。
お二方のポジスキャンは、Uさんは画質重視で1枚当たり十分に時間をかけるやり方、K.Mさんは能率重視で1枚当たり時間をそれほどかけずにどんどん進めていくやり方というように大きく違います。
Uさんはオリジナルの画質を極力維持したい、K.Mさんはせいぜい雑誌の見開き程度で使えればいいから、それなら1枚でも多く進めていきたい、そんな意図が見えてきます。
どちらのやり方も、写真のご活躍どおりの理に適ったやり方だと思います。
が、ここで、スキャンにはもう一つ方法があることを書いておきたいと思います。
ドラムスキャナーを使用して本格的なスキャンをする場合は別としまして(CMYK分解だけではなくRGBもです)、いわゆる市販のフラットベッド式スキャナーを用いるのであれば、画質は同等かそれ以上か、時間は一瞬という方法です。
それはどんな方法か。
要は、ポジなりネガなりを写真に撮ってしまえばいいんです。
つまりは複写、デュープです。
スキャニングというアナログ作業を挟むのであれば、いっそのこと、レンズの性能が卓越しているデジタル一眼レフで撮ってしまえということです。
フラットベッド式スキャナーには厳然として限界がありますから、これで十分に対抗できるんです。

やり方を書きます。
ライトボックスと等倍まで接写可能なマイクロレンズを用意します。
ボディはフルサイズデジタルでないと等倍になりませんから要注意です。
ライトボックスはできれば色温度5000Kのものがいいですが、RAWデータでホワイトバランスを取るのであれば、またモノクロネガの場合はそれは不要です。
それからガラスが必要で、無反射ガラスでもいいのですが、変に歪んだりするケースがありますから、普通の綺麗なガラスでもいいかもしれません。
で、ライトボックスの上にポジやネガを置き、上からガラスで押さえ、それを上から撮影する。
それだけです。
その際の露出はポジやネガの濃度にもよりますが、ISO400でf8の1/60前後になりますから、三脚やコピーディバイスなどを使わなくても手持ちでパッパカ撮れます。
その際のボディですが、ニコンだったらD800(E)やD810のような暴力的に凄い画素数のカメラの方が結果がいいことになります。

でもね、私なんかはカメラは画素数16MpixelクラスのD4にレンズはマイクロ60mmF2.8を付け、ライトボックスは長年使ってきたクリエイトの5000Kを再活用し、問題なく使えています。
モノクロネガの場合などはそれでA4判見開き、つまりA3サイズの商業印刷程度はまったく問題ありません。
(カラーポジでは原版を4色分解した方が結果がまるでいいです)
それよりも、RAWで撮影しますから、その恩恵による画像処理の容易さを考えるとめちゃくちゃ楽です。
だいたい、350dpiで1200%程度で5分くらいかかっていた時間が、たったの1/60秒になってしまうんです。

写真はそのD4+マイクロ60/2.8で撮影した、EF30けん引特急富士のPKRです。
コダクロームの落ち着いた階調が、D4のViモードによってベルビアっぽくなってるんです。
写真って楽しいですね。

私が初めて九州へ渡った1971年当時から、関門間のEF30ブルトレにはもうヘッドマークがありませんでした。
ED73 1000番台やDF50なんかには付いてたんですけどね。
それが1985年3月の全国ブルトレヘッドマーク復活によって蘇ったんです。
EF81の進出、EF30前灯のシールドビーム2灯化などが進み、2両しかないEF30原形機のブルトレなどは非常に厳しい状況にありましたが、針の穴を通すようなこんなチャンスもありました。

(写真/文:某I)

Ef30_6

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年10月22日 (水)

秋の北海道旅行から①

今回の北海道行きは2泊3日。紅葉の時期に土曜、日曜と2日続けて好天に恵まれ、前回の記事にも書いたとおり、撮影はともかく美しい景色まで堪能できたのは良い思い出となった。昨年もほぼ同じ時期に訪れたが、今回は海沿いからC11の「SLニセコ号」を撮りに山間部にまで足を延ばしたから、なおのこと見事な紅葉があふれていた。5月の新緑も素晴らしかったが秋の北海道もまた格別!

光線も撮影に好適でDD51のボンネットに陰影をつくり、それがまた良い表情を醸し出し、春や夏に見てきた雰囲気とはひと味違った印象をもたらした。

それにしても探せば良いポイントはまだまだある。また、何度も訪れた撮影地でもレンズの使い方やフレーミングを変えたり、ちょっと立ち位置を前後しただけで、以前はそれほど好感を抱かなかった撮影地が一変するのは広い北海道ならでは。行けるものなら毎週でも訪れて、まだまだそんな経験を重ねたいと思う。

いずれにしても「トワイライトエクスプレス」は廃止まで残すところあと半年を切った。そして最後のブルートレイン「北斗星」も3月以降は臨時化されるもようで、北海道に行くなら早いうちがベター。ダイヤ改正直前になって喧噪の中で慌ただしく撮影しなければならないような愚行は避けたいものだ。

(写真、文:U)

_dsc51302

【ご注意】

アップしてある写真を見ていただく際、画像の上にカーソルを持って行って左クリックで拡大するよりも右クリックし、「リンクを新しいウインドウで開く」で見ていただく方が、よりオリジナルに近いクオリティで見ることができます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年10月20日 (月)

ベルビアで撮った成田臨

今月も17日から19日まで北海道に行って来た。「カシオペア」が運休中なのは残念だが、秋の太陽光線下で「北斗星」「トワイライトエクスプレス」が撮るのが目的。帰宅が19日深夜だったため画像の整理がまだできないが、それなりの収穫は得られたと思う。

ちょうど紅葉の時期とあってC11の「ニセコ号」と掛け持ちで来ているのか、予想していた以上にファンは多かった。特に非電化区間での上り「トワイライトエクスプレス」は日没が迫る時間帯とあって撮影は難しく、最も無難な北舟岡周辺に人が集中していた。
紅葉はニセコや比羅夫など山間部では若干、ピークを過ぎた感もあるが、室蘭本線の沿岸部などはあと1週間ほどは楽しめそうだ。かく言う自分は紅葉だろうと新緑だろうと、車両中心の写真ばかりで周囲の光景はほとんど画面に入らないが、それでも運転中に目にする紅葉を美しいと感じたのは間違いない。今年は新緑、紅葉ともに良い時期に訪れる機会をもて、列車撮影以外でも北海道の美しい景色をじゅうぶん自分の目に焼き付けることができた。

次回以降、今度の旅行で撮ってきた写真をアップしていくが今回はストックから。

かつては客車を利用していた成田臨。当時はEF65の12系など、わざわざ撮りに行くことはなかったが、このときはEF5889も走った日だったと記憶している。線路の下を流れる溝から見上げるように撮った。
この1年半前に転勤で赴任していた福岡から戻ったが、福岡時代からリバーサルフィルムをコダクロームからフジのベルビアに変更していた。その派手な発色を気に入ったためだが、それもあって冬の青空がいっそう際立つ。コダクロームよりも変退色に弱いとされながらも、今なお変化の兆しはない。

(写真、文;U)Img0491
【ご注意】

アップしてある写真を見ていただく際、画像の上にカーソルを持って行って左クリックで拡大するよりも右クリックし、「リンクを新しいウインドウで開く」で見ていただく方が、よりオリジナルに近いクオリティで見ることができます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年10月18日 (土)

告白ついでに戯れ言を

この記事は予定稿として16日の夜に書きましたが、アップされる当日、自分は北海道にいるはずです。今回は奇をてらう場所ではなく、オーソドックスな撮影地を訪れ、自分なりの料理の仕方を考えて見たいと思いますが、果たしてどうなることやら。

****************************************************************************

いやいや、さすがに長いお付き合いのIさん、私のつぶやきのような言葉をよく記憶にとどめていてくださいました。そう、確かにIさんには53号機についてホンネを吐露したことがあります。

ゴハチの写真をアップしていく中で、その理由について少しずつ書いていこうかと思った目論見はこれでいっぺんに吹き飛んでしまいましたが、それはそれで助かりました。下手なことを書くと世の中に数多存在するゴハチフリーク、とりわけ53号機には思い入れのあるファンはかなり多いので顰蹙を買っていたかもしれません。I氏がニュートラルな立場で説明してくださって良かったというのは紛れもない正直な気持ちです。

さて、その中でも特に拘っているのが窓の大きさであり、もうひとつはワイパー。ズバリ言うと私はKW3Dよりも圧倒的にWP50が好みなのです。理由については単に趣向の問題ですから、ああだこうだと述べるつもりはありません。写真を眺めていてKW3Dですと大窓に反射した空の風景に溶け込みすぎてワイパーが目立たず、窓の存在がどうにも際立たないからというのが、強いて言えば理由といえるかも。

ついでに言えば私もI氏同様、ゴハチ全体の中で晩年の広島タイプ・16号機は大好きで、大窓、Hゴム、小窓を含めたら3,4位にランクされることでしょう。

理想のゴハチ像を書くと以下のようになります。ゲテモノとのそしりは免れないのは100%覚悟していますが、あえて!
ヒサシのない特急色の大窓のゴハチにデフロスタか旋回窓が付いたら最高(Hゴムでないと無理なのかも)。できればスノープロー装着でPS22Bならよりベター。これに広島タイプの16号機のような一体型ヒサシが付いたら…さすがに行き過ぎか。
でも、こんなゴハチを超望遠で狙ってみたいもの。

いずれヒマがあるときに合成写真でも作ってみようかと…。

****************************************************************************

と、勝手気ままなことばかり書きましたが話を大きく変えます。

どうやら「北斗星」は昨年秋、共同通信が報じたように次のダイヤ改正で廃止のようです。焦点は臨時列車としていつまで残るかという点で、臨時なら突然、消滅しても何ら問題はないわけです。どういうことになるでしょうか?

例年なら、そろそろ新聞やテレビなどで再びそのことが書かれる季節ですから要注目です。

このブログも古い写真が続いたので9月撮影の海峡線の「北斗星」をアップ。いつもながら汚らしい9号機にはガッカリ。

(写真、文:U)

_dsc0331_31

【ご注意】

アップしてある写真を見ていただく際、画像の上にカーソルを持って行って左クリックで拡大するよりも右クリックし、「リンクを新しいウインドウで開く」で見ていただく方が、よりオリジナルに近いクオリティで見ることができます。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年10月17日 (金)

下関運転所の大窓機 EF5831

ここのところ3連続でEF58の大窓機が登場し、某Iさんのいつもながらの詳細な説明もこの流れを盛り上げている。

このブログ本来の趣が途切れないように、61→53→69とくれば次は31か64である。私が撮れた大窓機は7、12、16、18、19、22、29、31、40、43、47、53、61、64、65、66、69の17機のみ。ゴハチを追いかけ始めた時期との微妙な差で、11や60の大窓時代は未撮影。今回は1978年に撮った31号機をご紹介。

この時期、すでに東京口の荷35の重連は解消されていたが、西の荷37の広島ー下関間でゴハチの定期重連が見られた。大学生時代だったので結構遠征し、1978年12月22日の38+16に始まり、1979年9月10日の69+13まで、計21回の荷37 EF58(広)の重連を撮っている。そのうち先頭が大窓機は8回(7号機1回、16号機2回、64号機3回、69号機2回)、大窓機同士の重連は1979年9月3日の69+64の1回のみであった。(こんな記録も当時の手帳にまとめてあったのですぐに出てきます)

そんな荷37撮影の合間に下関運転所を訪問し、31号機の位置移動と両パンタ上げをお願いし撮影できたのがこのカット。青春の一コマである。

(写真・文:K.M)

1978年12月26日 EF5831(関) 下関運転所にて撮影

35n183136

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年10月16日 (木)

53× 69○

いやいや、Uさんの「ゴサンなんてそんなに重要じゃない」発言、久しぶりに聴きました。
はい、私はUさん言うところの「一部の吐露していた」相手の一人なんです。
(あのー、誤解のないように言っておきますと、それでも172両もあるEF58の中で53号機は4番目に好きだというんですから、かなり重要な方になると思うんですけどね)
微に入り細に入り嗜好を研ぎ澄ますUさんならではのブラック批評なんですね。
だいたい、前面窓が大窓でなければ、彼はEF58の両数に数えてはくれません。
大窓で登場したEF58は、1952年から1954年前半に製造された35~70号機と、同時期に第2次装備改造工事が施行された7・10~12・16・18~20・22・23・25・28・29・31号機の計50両です。
Uさんにとってはその50両だけがEF58で、それ以外の122両はまったく眼中になかったわけです。
当初はその50両に入っていた機関車でも、前面窓のHゴム化工事が施行された瞬間に彼のリストから外れることになります。

では、Uさんはなぜ53号機はダメ(ダメだなんて言ってないですが)で、69号機がいいのでしょうか。
(どちらも廃車時まで大窓原形を保った機関車でした)
69号機はパンタグラフが下枠交差のPS22Bですし、ワイパーだって両側がWP50です。
53号機はPS15に交換されてはいましたが、それでも原形のPS14Aに似てますし、ワイパーだって両側が原形のKW3Dです。
一般的に見れば、69号機よりもむしろ53号機に軍配を上げる人の方が多いと思います。
そこでクローズアップされてくるのは前面窓の大きさです。
EF58の前面窓は、実は大きさが機関車によってまちまちだったんです。
最大と最小の枠の寸法の違いはミリの単位どころか、センチの単位で違っていたんです。
大きさは後期製造機の方が大きくなるような傾向にありました。
さらに、1953年製造分のうち、車体を川崎車輛と汽車製造で製造したものは、前面窓がひときわ大きい傾向にありました。
それは63号機以降です。
また、大窓機ラスト2両の69・70号機は1954年の製造ですが、川崎車輛でおそらく車体を見込み生産していたため大窓で登場し、これに含まれます。
つまり、1両ずつ大きさが違っていた大窓寸法ですが、63~70号機についてはそれ以前の大窓機よりも大きさが卓越していました。
これに該当する番号で廃車時まで大窓原形を維持していたのは64・66・69号機で、このうち66号機は水切りではなくつらら切りを装備し、おまけに晩年はシールドビーム2灯化工事が施行されていましたから完全脱落。
また、64号機はヘッドマーク取付座が高い位置にありますから、69号機がトップの座ということになりましょう。
Uさんはとにかくほかより1ミリでも大きい窓寸法の大窓がお好みなんですねー。

さらにいえば、53号機、61号機も1953年製造機の中では遅い方、31号機の第2次装備改造工事出場は1954年に入ってですから、これも遅い方に分類されます。
はい、これでUさんが挙げた5位までの機関車が出揃ったことになります。
彼にとってのEF58のキーワードは、とにかく「窓の大きさ」なんです。

いつの日か、Uさんからカッコいい69号機の作品がアップされることでしょうから、今日は説明のためにこそっと夜の69号機の写真をアップしておきましょう。
ひときわ大きい前面窓というものがご納得いただけると思います。
後部の編成は24系25形、列車は25列車特急“明星”です。
私も個人的にPS22Bはなかなかいい感じで、広島ガマ(広島機関区所属です)らしくていいと思ってました。
あ、私は16号機なんてのが好きかもしれません。

(写真/文:某I)

Ef58_69_2

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2014年10月15日 (水)

忘れていたカラー写真

今回のこのページには3名のお仲間から記事を寄せていただき、久しぶりに本来のタイトル通りになった。
皆さん、今後も是非よろしくお願いします。

************************************************************************

デジタルデータ化しようと古いリバーサルを見ていたら、カラーで撮っていたことを忘れていたEF5853の写真が出てきたので今回はそれをアップする。

現場でパンタまで上げてもらって、大窓のEF58を撮影しておきながら、「忘れていた」というのは、どういうわけかと思われるかもしれないが、この頃の自分は天気に左右されがちなカラー撮影よりもモノクロ撮影を主体としていたためで、カラーは気分的に「ついで」といった感覚だった。
将来、変色が予想されるカラーよりもその恐れが少ないモノクロを優先していたわけなのだが、今考えると生きているうちにそんな心配までする必要はなかったと感じる。どうせ鉄道に興味のない息子が自分の没後にこれらの写真を未来永劫、コンディション良く保管してくれるとも思えないし、そんな責任は押しつけられない。それにそもそも電気機関車の写真なんぞ,記録的な価値が高いとは思えないから、自分が生きている間だけ見られればじゅうぶんなわけで、それならカ ラーで撮っておく方が楽しめた。
まあ、カラーフィルムは買うにも現像するにも、金がかかったことも大きいのだが。

そして忘れていたもう一つの理由は53号機が大窓のEF58の中で、自分にとってそれほど重要な機関車ではなかったということ。
こんなことを言うと、仲間の方々から「何を今さら」とのお叱りを受けるかもしれないが、当時から一部の方には吐露していたはず。大窓のゴハチの中でもとりわけ原型に近く人気が高いこの53号機だったが、個人的にランキングをつければ一番好きだったのは69号機で以下61,31号機となり53号機は4位。下手をすると64号機の方が上位になるかもしれない。

理由については「変わり者」と思われそうだから、今回はあえて列記しないが、追々ゴハチの写真をアップしていく中で触れることになるだろう。

ところで前述のように自分が撮った写真の行く末は気にかかる。デジタルカメラで撮影したものなど、数年ごとにハードディスクを更新して保存していかないと、ある日急に消失してしまうことだってあり得る。
繰り返すが、鉄道に興味のない家族にそんな作業は強いられないから、ならば是非、このブログにアップしていきたいと、スキャン作業に新たな闘志が湧いてきた次第。

(写真、文:U)

Img0331

Img0251

197811181

【ご注意】

アップしてある写真を見ていただく際、画像の上にカーソルを持って行って左クリックで拡大するよりも右クリックし、「リンクを新しいウインドウで開く」で見ていただく方が、よりオリジナルに近いクオリティで見ることができます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年10月14日 (火)

名所を行くEF5861

Uさんが小生のスキャニング作業についてコメントされていた。本ブログ、毎日ひらいてはいたものの、恐らく半年ちかくご無沙汰してしまった。

1975年から鉄道写真を撮り始め、2004年にデジカメを導入、2008年にほぼ完全デジタル化するまでに撮り貯めたフィルムは7~8千本、数十万コマになるが、現在1999年秋までのスキャンが済んでいる。国鉄時代、昭和時代はほぼ完全にデジタル化出来たことになる。

とはいっても、私の場合は質より量にウェイトを置いたので、丁寧にひとコマづつというより、軽めのデータ取り込みに抑えて一気に作業を行う形式を選択した次第。とにかく早めに読み込んでおかないと退色とキズやカビとの闘いに負けると言う切迫感で、ここ4~5年スキャン作業にかなりの時間を割いてきた。

あと7~8年分の残りを処理するのに2年ほどの期間を見込んでいる。一番はかどるのは、冬季の天気の悪い週末。自宅の部屋でぬくぬくしながら朝から晩まで作業をしていると3ヶ月撮影分くらいの進捗になるときもある。

このところ噴火や台風など自然の脅威が目だっているが、東海道本線も静岡県内で土砂崩れで不通になっている。

丁度、この写真の下辺の麓あたりがその現場と思われる。

そういえば今日は丁度(昔で言う)鉄道記念日でした。

(写真・文:K.M)

1985年1月9日 回8411列車 EF5861  東海道本線 由比ー興津

67cl1039

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年10月12日 (日)

PとPFのブルトレ並び

それにしてもフィルムからの画像取り込み作業というのは面倒臭いものだ。せっかくなら高画質で取り込もうと思うから時間もかかる。ポジ1枚でも5分程度は必要だから短気な自分には向いていない。最近ご無沙汰のK・M氏などはコツコツとかなりのフィルムをデジタルデータ化したというが、とても自分には真似できそうもない。おまけに、かつて取り込んだ画像の多くを外付けハードディスクのクラッシュにより消失させてしまってから、再度やる気が起きず、しばらくポジなどを見直す気力も出なかった。

消失したとは言えポジやネガは現存するのだから、ひどく気落ちすることはないのだが、なにしろあのノロノロとした作業自体が嫌で、なかなか取り込み直そうという気分になれなかった。

しかしここで立ち止まってしまってはブログのネタも尽きるし、何よりフィルム時代もプリントしなかったコマの方が多いのだから、それらをこのままお蔵入りさせるのも惜しい。牛歩のようなペースになるが気持ちを新たに再開することとした。

まずはこのブログのはじめの頃にもアップした、1978年夏にたまたま立ち寄った東京駅で見かけたEF65500番台と1000番台の並びを再掲。スキャン作業のコツも分かってきたから、前の画像よりもマシに見える。
ちょうど九州方面へのブルトレ牽引機に1000番台が就いた頃のもの。500番台との偶然の並びに慌てて新幹線ホームへと走り、持っていたオリンパスOM2に135ミリを付けて撮影した。
この頃の東京駅では12、13番線がブルトレの発着に使われていて、発車までホームを挟んで待機するが、機関車の止まる位置は12番線の列車の方が後ろにずれるから停車中だと並ばない。そこでこのようなシーンを撮るには12番線の列車が発車して、止まっている13番線の機関車と同じフレームに入った瞬間が勝負。モータードライブなどというものが一般的ではなく、安価なワインダーという、せいぜい秒2コマ程度のものが普及し始めた時代だったが、それでも学生だった自分のOM2には装着されておらず、1枚だけしか撮影できなかった。

光線状態も「さくら」は日なた、「はやぶさ」は日陰で露出もオーバー気味だが、そこが何とか見られるようになるのもデジタル時代の恩恵。開放値F3・5のレンズでコダクロームでは露出が足りず、「さくら」に合わせて少しだけカメラを振った。
向こう側のホームから背広姿で撮影しているのは、蒸気機関車の変形デフレクタに造詣の深いS氏と思われる。会社が東京駅に近かったのか、しばしばこの12、13番線でお会いした。

(写真、文:U)

Img0061

【ご注意】

アップしてある写真を見ていただく際、画像の上にカーソルを持って行って左クリックで拡大するよりも右クリックし、「リンクを新しいウインドウで開く」で見ていただく方が、よりオリジナルに近いクオリティで見ることができます。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年10月10日 (金)

交流機撮影の心意気っ♪

前の記事でUさんが交流機の「片パンに泣いた日」をアップされています。
そうです、後パンが基本の交流機は顔を流すとパンタグラフが上がらないんです。
でもね、Uさんも書いていらっしゃいますとおり、そこはもう上がった後パンをズバっと切ってしまえばいいんです。
機関車が先頭になって走ってるんですから、誰が見てもきっとどっかのパンタが上がってると思いますもんね。
それはもう、見ていただける方の想像の翼にお任せしてしまえばいいんです。
(しかしまぁ、私もつくづく自分に都合のいいことを言いますね...)
強いて申し上げれば、上がった後パンを潔く捨ててしまう、交流機撮影の心意気ですかね。

写真はまたも津軽海峡線のED76 551号機です。
3往復の北斗星と1往復のトワイライトに加えエルムなんかが運転され、ED79が不足したことから函館本線で余剰になったED76 514号機から改造されたんですね。
でも、わりとすぐに廃車になってしまいました。
青函ATCが両向き構造になったものですから、往きの上り列車は青森駅に到着しておいて、帰りの下り列車は青森信号場からなんて芸当もこなせてしまう優れもののELです。
種車のED76 500番台時代から車体が長いですから、流す時に車体全体を入れてしまったら、Uさんおっしゃいます冗長どこの騒ぎではありません。
それにしましても、ド曇りの薄汚い写真をお許しください。

(写真/文:某I)

Ed76_551

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2014年10月 9日 (木)

「片パン」に泣いた日

交流機の片パンについては写真を撮影する際、後ろのパンタグラフが上がっている方が絵になるという印象は大半の人が抱いているとものだと思うが、希に困るケースもある。
これだけでIさんなどは、どういった場合かすぐに思いつくだろうが以下は自分がそれに当たったときの例。

1994年秋、福岡に赴任していた頃の話。
当時、自分は現地に住んで3年目。福岡の酒と肴と?にうつつを抜かして毎晩、遊び狂っていたものだが、それでもチマチマと鉄道撮影はやっていた。廃止の話が出てきた「彗星」「なは」などのブルトレがその中心だったが、SLの「あそボーイ」や久大線、筑豊線の客車列車もターゲットの一つだった。とは言え、その多くは出張の行き帰りや湯布院や阿蘇の温泉に遊びに行ったついでの産物だったが、そこそこ楽しんでいたのは間違いない。

そんな中、ある撮影で、後に九州鉄道博物館の副館長に就任する宇都宮照信さんの知己を得、おかげでサザンクロス色のED7678号機がまもなく廃車されることを知った。

そこで、この機関車の運用を調べ、最後の残された2カ月あまりはブルトレ牽引に当たるチャンスに撮影を展開した。まだブルトレは「さくら」「はやぶさ」「あかつき」が残っていたが、翌1995年のダイヤ改正で「みずほ」の廃止が決まっていたから、78号機の「みずほ」牽引が最大の狙い目。特に下りは鳥栖で長崎行きと熊本行きに分割され、構内で長崎行きの分割編成を牽く機関車が東京からの列車を待って、一瞬だけ「みずほ」のマークを付けた2両のED76が並ぶ。そのチャンスに賭けていた。

このケースでどうにもならない問題が例の「片パン」。向こうのED76もこちらの78号機もパンタグラフが上がっているのに、「後パン」のおかげでそれが見えない。こちらの機関車全体を写せば良いのだが、そんな冗長なフレーミングは真っ平。仕方なくパンタグラフは切り捨てることとした。
これがもし「前パン」ならば救われるのだから(と言ってもやはり交流機の「前パン」には違和感があるが)、このときほど交流機の「片パン」に恨めしい思いをもったことはない。

もう一つ困るのが流し撮り。
これまた機関車全体をフレームに入れれば済む話だが、それは好みではない。機関車の「顔」を中心に流すのが自分の流儀。だから「後パン」の交流機を流すとこんな絵になってしまう。見慣れてしまえば良いのだろうが、自分としては30年以上生きてきて、初めて交流電化された地域に住んだから、なかなか慣れるものではない。そうしているうちに3年の任期を終えることになった。

だから交流機関車撮影の場合、なるべくこういうアングルは避けてきたのだが、6月の海峡線・木古内駅で「トワイライトエクスプレス」と「北斗星」が並んだ時などはどうにもならなかった。

(写真、文:U)

Img0101_2

Img0071

Img0091_2

【ご注意】

アップしてある写真を見ていただく際、画像の上にカーソルを持って行って左クリックで拡大するよりも右クリックし、「リンクを新しいウインドウで開く」で見ていただく方が、よりオリジナルに近いクオリティで見ることができます。

 

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2014年10月 7日 (火)

交流機の前パン×

先日、結局は狙った場所が撮れないことが判明したため撮影を断念したUさんですが、その狙った列車とはカシオペアクルーズでした。
10日4日、カシオペア編成は午後の津軽海峡線を上ったのです(はずです)。
この列車だけを撮るために北海道行きを計画していたんです。
それはなぜか。
後ろのパンタグラフを上げたED79がけん引するカシオペア編成を撮影するためでした。

函館運輸所青函派出所所属のED79は常にNo.2側のパンタグラフしか使用しません。
No.1側パンタグラフを予備扱いとすることによって、摺動板、摺板の交換作業を省略できるんです。
No.2側とは津軽海峡線では奇数方にあたり、函館(五稜郭)方パンタグラフを常に上げることになります。
つまり、下り列車を撮影すると、ED79は必ず前パンを上げてくるのです。
すなわち交流機の前パン。
これって、実にカッコ悪いんですよね。
あくまでも主観ですのでご意見はいろいろあると思いますが、少なくとも私たちはそう感じています。

で、カシオペア編成なんですが、定期的運転のカシオペアは津軽海峡線では夏の下り列車だけが撮影可能で、上り列車は夜間なので撮れません。
つまり、ED79が後ろのパンタを上げたカッコイイ姿のカシオペア編成は幻の姿なんです。
それがカシオペアクルーズのおかげで撮れるはずでしたから、Uさんはそのための絵コンテを描いていたわけですね。

さて、北海道の交流機が前パンを上げるのは今に始まったことではなく、国鉄時代にさかのぼります。
1968年に函館本線小樽-滝川間が北海道で初めて電化され、翌1969年に電化は旭川まで伸びたそうですが、それからほどなく奇数方パンタグラフだけを常用するようになったはずです。
(この方式を採用していたのは、ほかには北陸本線のED70、EF70があります)
北海道にたびたびお邪魔するようになった1970年代前半には、すでにED75 500番台もED76 500番台も、常に奇数方の小樽(函館)方のパンタグラフだけを上げていました。
つまり、函館本線電化区間では上り列車がすべて前パンだったわけです。
蒸気機関車の撮影の合間、沿線で旅客列車や貨物列車の先頭でしばしば見かけたこのELたちですが、上り列車では当時から少しばかり違和感がありました。
よく乗車した列車で覚えているのは、上り夜行大雪を朝の岩見沢で降りた時、その先頭で前パンを上げたED76の姿でしょうか。
夜行利尻は電化区間もDD51けん引でしたが、夜行大雪はED76けん引だったんですね。

写真ですが、その頃なぜかこんな走りを撮影していました。
前パン、やっぱりどこか違和感がありますよね。
それにしましても、この時は上り夜行利尻か、大雪か、からまつで岩見沢あたりで降りるところを寝過ごしたんでしょうか。
もうちょっとカメラを右に振ってれば、編成のケツが電柱から抜けただろって突っ込みはどうかなしでお願い申し上げます。
蒸機の撮影では相当突き詰めたはずなんですが、ELとなったらこんな手抜き。
高校生時代の自分に非常に腹が立ちます。
また、最後になりましたが、前パンがどうのといいますのはあくまでも撮影の話でありまして、検査方法にいちゃもんを付けているわけではありませんので、どうか誤解のなきようお願い申し上げます。

(写真/文:某I)

Ed76_516_2

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2014年10月 6日 (月)

久々の〝朝練〟@首都圏

北海道行きをやめてポッカリ空いてしまった休日を埋めるべく4日は、上尾~高崎~水上で運転される臨時列車「EL・SLみなかみ号」の高崎→上尾の回送を撮影に行った。

狙いはこの区間を牽引するはずだったEF641001。地味な塗装だがけっこう気に入っていてヘッドマークが付かない双頭機よりも好み。しかし光線の良い時間帯に走ることは少なく、走ったとしても編成の短いSLの回送などが多く、撮影回数は意外に少ない。

海峡線の「カシオペアクルーズ」に匹敵するような被写体とまでは言えないが、自宅で茫洋と過ごすのももったいないので4日は午前3時に起床して久しぶりに首都圏での〝朝練〟となった。

行ったのは本庄~岡部。もちろん架線柱が編成に掛かるような写真など毛頭撮るつもりもなく、流し撮りをするためのチョイス。したがって車で行ったのに200ズームとテレコンしか持参せず。
初めて訪れたのは5年ほど前のことだが、天気が悪く露出が稼げないから流し撮りに頼らざるを得ず、しかも道に迷って偶然に行き着いた場所だった。バックに民家などが入らず、殊の外良い場所だったから以来、流し撮りの時に重宝しているポイントだが、ここでこの日のように大勢の撮影者を見たのは初めて。EF65501牽引の下りを撮ることも考慮して、次に移動しやすいこの場所を選んだ人が多いのだろう。

しかしやって来たのは期待に反してEF64の37号機。1001号機の検査の都合で急きょ登場となったらしいが、通過直前にそのことを知って意気消沈。けっきょく下りの501号機まで待つ気力も失せて早々に帰途に就いた

事前に37号機と知っていれば出撃などせずにベッドで布団にくるまってぬくぬく過ごせたのだが、それでも開通してから初めて通る圏央道の八王子~海老名を走行するチャンスに恵まれたことは良い経験だった。

(写真、文:U)

_dsc48733

_dsc49011
EF65501は単にぶら下がっているだけだが、運転士が見えると後補機にも見える。
思い起こせば3月の583系以来、今年2回目の流し撮り。

【ご注意】

アップしてある写真を見ていただく際、画像の上にカーソルを持って行って左クリックで拡大するよりも右クリックし、「リンクを新しいウインドウで開く」で見ていただく方が、よりオリジナルに近いクオリティで見ることができます。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年10月 4日 (土)

EL&SLみなかみ物語号

色々あって、相変わらず遠出はできない状況が続いているのですが、午前中だけで済みそうな近場だけぶらっと出撃してきました。Uさん同様に現地で37号機の牽引と判ったのですが、久々の3時半起きは眠かったです。各駅のホーム上は物凄いことになっていましたが、まあ何とか混みそうな場所は避け、のんびり撮影できたのはせめてもの救いでした。それにしても、ばんえつ物語の客車は、塗装変更になって遠目には彩(いろどり)に乏しく、しかも機関車まで茶ガマだと写真が地味過ぎますね。モノクロにした方がすっきりする位です。かなり、大誤算でした。(写真・文:TBlog_20141041_2

Blog_20141042_2

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2014年10月 3日 (金)

それは残念でした

Uさんの目論見がはずれてしまって残念でした。
私も行けるなら行こうと思ったのですが、明日が仕事になってしまい行けません。
今、羽田でこれを書いております。

1988年当時のあの付近です。
下から見ているとただの直線ですが、架線の高さから見下ろすと景色は一変しました。
上り列車はパンタが後ろですし、最高の場所になったはずでしたね。
こんな写真なら行く価値はない場所ですが...
この時からですと26年、あの時からも18年が経っていますから、草木が伸びてしまっているのは仕方ないかもしれません。

(写真/文:某I)

Ed79_17ed79

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年10月 2日 (木)

海峡線遠征を断念

1年を通じて最も好きな10月。当初、今月は2回、北海道に行く予定にしていた。1回目は3日から5日の間。「カシオペアクルーズ」の上りを海峡線の某所で撮影すべくプランを練っていた。

そのため前回の渡道で、かねてから撮りたかったポイントを下見しておいた。しかし残念ながらその場所は今ではもう樹木の枝が育ち見通しも利かず、おまけに立つことさえできない状況に変わり果ててしまっていた。大型の脚立を持ち込んで、そんな問題をクリアすることもギリギリまで考えたが、それでも伸びた枝は如何ともし難く、今回はあきらめることにした。
海峡線には知る限り、ほかに上り列車を撮りたいような場所もなく唯一、自分好みのポイントだっただけに残念だが、そこそこの場所でも撮れれば良いというような安易な妥協はしたくない。きっぱりあきらめて次の北海道行きの〝作戦〟を立てようと思う。

(Iさん、7月に伊達紋別でお話しした海峡線の例の場所、もし行かれるつもりなら当時の状況とは一変していますから気をつけてください。)

(写真、文:U)

_dsc46532

【ご注意】

アップしてある写真を見ていただく際、画像の上にカーソルを持って行って左クリックで拡大するよりも右クリックし、「リンクを新しいウインドウで開く」で見ていただく方が、よりオリジナルに近いクオリティで見ることができます。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2014年9月 | トップページ | 2014年11月 »