« 忘れていたカラー写真 | トップページ | 下関運転所の大窓機 EF5831 »

2014年10月16日 (木)

53× 69○

いやいや、Uさんの「ゴサンなんてそんなに重要じゃない」発言、久しぶりに聴きました。
はい、私はUさん言うところの「一部の吐露していた」相手の一人なんです。
(あのー、誤解のないように言っておきますと、それでも172両もあるEF58の中で53号機は4番目に好きだというんですから、かなり重要な方になると思うんですけどね)
微に入り細に入り嗜好を研ぎ澄ますUさんならではのブラック批評なんですね。
だいたい、前面窓が大窓でなければ、彼はEF58の両数に数えてはくれません。
大窓で登場したEF58は、1952年から1954年前半に製造された35~70号機と、同時期に第2次装備改造工事が施行された7・10~12・16・18~20・22・23・25・28・29・31号機の計50両です。
Uさんにとってはその50両だけがEF58で、それ以外の122両はまったく眼中になかったわけです。
当初はその50両に入っていた機関車でも、前面窓のHゴム化工事が施行された瞬間に彼のリストから外れることになります。

では、Uさんはなぜ53号機はダメ(ダメだなんて言ってないですが)で、69号機がいいのでしょうか。
(どちらも廃車時まで大窓原形を保った機関車でした)
69号機はパンタグラフが下枠交差のPS22Bですし、ワイパーだって両側がWP50です。
53号機はPS15に交換されてはいましたが、それでも原形のPS14Aに似てますし、ワイパーだって両側が原形のKW3Dです。
一般的に見れば、69号機よりもむしろ53号機に軍配を上げる人の方が多いと思います。
そこでクローズアップされてくるのは前面窓の大きさです。
EF58の前面窓は、実は大きさが機関車によってまちまちだったんです。
最大と最小の枠の寸法の違いはミリの単位どころか、センチの単位で違っていたんです。
大きさは後期製造機の方が大きくなるような傾向にありました。
さらに、1953年製造分のうち、車体を川崎車輛と汽車製造で製造したものは、前面窓がひときわ大きい傾向にありました。
それは63号機以降です。
また、大窓機ラスト2両の69・70号機は1954年の製造ですが、川崎車輛でおそらく車体を見込み生産していたため大窓で登場し、これに含まれます。
つまり、1両ずつ大きさが違っていた大窓寸法ですが、63~70号機についてはそれ以前の大窓機よりも大きさが卓越していました。
これに該当する番号で廃車時まで大窓原形を維持していたのは64・66・69号機で、このうち66号機は水切りではなくつらら切りを装備し、おまけに晩年はシールドビーム2灯化工事が施行されていましたから完全脱落。
また、64号機はヘッドマーク取付座が高い位置にありますから、69号機がトップの座ということになりましょう。
Uさんはとにかくほかより1ミリでも大きい窓寸法の大窓がお好みなんですねー。

さらにいえば、53号機、61号機も1953年製造機の中では遅い方、31号機の第2次装備改造工事出場は1954年に入ってですから、これも遅い方に分類されます。
はい、これでUさんが挙げた5位までの機関車が出揃ったことになります。
彼にとってのEF58のキーワードは、とにかく「窓の大きさ」なんです。

いつの日か、Uさんからカッコいい69号機の作品がアップされることでしょうから、今日は説明のためにこそっと夜の69号機の写真をアップしておきましょう。
ひときわ大きい前面窓というものがご納得いただけると思います。
後部の編成は24系25形、列車は25列車特急“明星”です。
私も個人的にPS22Bはなかなかいい感じで、広島ガマ(広島機関区所属です)らしくていいと思ってました。
あ、私は16号機なんてのが好きかもしれません。

(写真/文:某I)

Ef58_69_2

|

« 忘れていたカラー写真 | トップページ | 下関運転所の大窓機 EF5831 »

執筆者某I」カテゴリの記事

鉄道」カテゴリの記事

コメント

以前にEF671の記事にコメントしました赤い補機大好きと申します。地元の写真が出まして思わずまたコメントしてしまいました。
EF58はとても好きな電気機関車で、東海道、山陽のEF58には私は間に合ったのですが、こちらの皆さんが出しておられる大窓はEF5861以外撮れませんでした。こうして今の地元の大窓EF58を見ているともう少し早く撮っていればと思いました。
大窓を詳しく書いた記事にも驚きまして、私も少しEF58研究のまねごとをしたことがあるのに1両ごとに大きさが違うなんてどこにも書いてなかったように思います。前回もEF671の最終運用をずばり言っていたことですしすごい情報網をお持ちですね。また楽しみにしています。

投稿: 赤い補機大好き | 2014年10月17日 (金) 09時45分

赤い補機大好きさん、コメントありがとうございます。
たしか広島方面にお住まいでしたよね。
この69号機をはじめ大窓機がゴロゴロいた広島機関区や山陽本線にはよくお邪魔しました。
大窓機ですが、61号機の現役時代だけでもお撮りなのはすばらしいことじゃないですか。

窓の話は自分で調査したことなのでどこにも載っておりません。
でも、現車、車歴簿などをチェックしておりまして、正確でありますのでご安心ください(笑)。

投稿: 某I | 2014年10月17日 (金) 17時58分

たびたび申し訳ありません。書籍やネットで調べた私とは次元が違いました。車歴簿を見るなどマニアレベルでは普通では無理と思いますので何となく何のための調か想像がつきます。
そこで質問ですが汽車製造の車体と書いてありますが、私が調べた資料では「東洋、汽車」となっていますが先に書いてあるメーカーが車体を作るのではないのですか? 私はそう思っていました。そういうことはどこにも書いてありませんので教えてもらえますと幸いです。

投稿: 赤い補機大好き | 2014年10月18日 (土) 07時51分

赤い補機大好きさん、お返事が遅くなってしまい申し訳ありません。
少しばかり遠方に出ておりまして、今羽田へ戻ります便を待ちながら急遽これを書いております。

同じEF58についての調査ですので、次元なんてまったく変わりありませんです。
さて、製造メーカーの記述ですが、日立と東芝という車体と電機の総合メーカーを除き、当時は車体メーカーと電機メーカーがジョイントして製造に当たりました。
その際、国鉄との製造に関わる契約はいずれかを主契約者として交わされました。
そこに車体と電機のどちらが主契約者になるという決まりはなく、どちらか主導的立場になるかが両者の話し合いで決められていたはずです。
問題にされた「東洋・汽車」の場合ですが、東洋電機製造(株)を主契約者、汽車製造(株)を従契約者として国鉄と契約を交わし、東洋電機が電気機器関係を、汽車製造が車体関係を製造しました。
ご質問への回答は容易いことですので何でもお聞きになられてください。

投稿: 某I | 2014年10月19日 (日) 19時43分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1215589/57696191

この記事へのトラックバック一覧です: 53× 69○:

« 忘れていたカラー写真 | トップページ | 下関運転所の大窓機 EF5831 »