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2014年1月18日 (土)

あの頃、D3があれば…

2008年3月に鉄道撮影に復帰してから気がついてみると足かけ7年となる。この間に消えたブルトレは「富士・はやぶさ」「北陸」「日本海」。急行の「銀河」や「きたぐに」を入れると5本にもなり、ことしは「あけぼの」。夜行列車がどんどん淘汰されていく中、記録できる最後のチャンスにぎりぎり間に合ったという感じだ。

そのきっかけとなったのは間違いなくデジタル一眼レフ、特にニコンD3の発表だったのは間違いない。その高感度性能は「銀河」廃止直前の3月上旬、早朝東京に到着する「銀河」の撮影にもじゅうぶん発揮され、ISO1250というリバーサルフィルムでは歯が立たないような領域でも高画質の写真を得ることができた。ちょうどその頃、いよいよ私物でデジタル一眼レフを購入するべき時機が到来したとの手応えを感じていて、「銀河」にスーパーエクスプレスレインボー塗装機のEF651118が入ったことから慌てて購入したのが最初だった。
結果は上々。曇りの早朝でもそこそこの色は出るし、300ミリのF2・8に1・4倍のテレコンを装着しても500分の1秒が切れた。

以来、銀塩時代はあきらめていた早朝や夕刻の走行写真も撮影可能との確かな手応えを得て、鉄道撮影に再びのめり込んでいく。おそらくフィルムだったらここまで熱心に撮影に出かけることはなかっただろう。初めて一眼レフを手にした小学生のように、その性能に惚れ込み、学生時代よりも頻度高く線路際に立つようになる。
しかしその高感度性能は暗いとき(ところ)でも明るく撮れるというような単純な使い方だけで評価してはいけない。むしろ大いにその恩恵にあずかったのは超望遠レンズでの撮影時。

フィルム時代ならばリバーサルのISO100や200での撮影では三脚が必須だったり、500分の1秒以上のシャッター速度が使えない場面でも、感度を上げれば高速シャッターが使える。同時にテレコンバーターの装着も可能な場面が増え、銀塩時代よりも変わった絵が撮れるようになった功績は大。ものぐさな自分などには1000ミリ程度の撮影時でも感度を上げることによって三脚を使わず、一脚で間に合わせられるという点も重宝した。
もともと好きだった超望遠レンズを使った写真ががさらに長い領域に達してしまったのは、そんな点にも起因するのだろう。

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かつて撮影名所の筆頭にも数えられた根府川。山陰本線・余部鉄橋の列車落下事故を機に強風時のフェンスが設けられてしまい、「富士・はやぶさ」終焉時にも訪れる人は少なくなってしまった。早川寄りの石橋の鉄橋はフェンスが設置されずブルトレなき今も訪れる人は多いが、こちらはもはやこんな角度で撮るのがせいぜい。

この写真は700ミリ程度での撮影だが、EF58がある時代にD3があれば10両以上の編成時、まちがいなくこんなアングルでロクイチを狙っていただろう。

(写真、文 U)

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