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2013年4月

2013年4月25日 (木)

サロンカーなにわ

大阪赴任時代の写真が続く。
これは2010年11月に撮影したもので、自分にとって初めてのサロンカーなにわとの対面だった。
客車列車が少なくなった昨今、この「なにわ」も滅多に動く機会がなく2年ほど大阪にいる間もなかなか撮るチャンスに恵まれなかった。この写真も大阪に住んで1年以上経てからのもの。翌年秋の鳥取での「豊かな海づくり」で走ったお召し列車に使用されたから計3回ほど撮影できたが、そうでなければこの1度だけだったかもしれない。

早朝の運転で出社前に山崎へ行き撮影した。残念だったのは宮原に何両か配置されているDD51のうち、スノープローのない1043号機が充当されたこと。喜んでいたファンもいたが、やはり自分は重心が低く見えるスノープロー付きの方が好き。カーブから機関車がアウト側に倒れるような理想的なポイントなのに残念だった。

それでも当時を振り返ると自分が大阪にいた2年間は「日本海」末期の頃でもあったし、貨物用のEF65一般型もかろうじて残り、さらに阪急の6300系もあって、一人暮らしの休日も被写体に困ることはなかった。
今、大阪に赴任するとしたら自分はいったいどんな列車や車両にカメラを向けているのだろう。

(写真、文 U)

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2013年4月22日 (月)

JR西日本のキハ181系

発作的とでも言うのだろうか、まったく発作的にキハ181系の写真が見たくなってこの前の大阪赴任時代に撮影したときの画像をあらためて見た。「はまかぜ」が竹田に停車するのを記念してヘッドマークを取り付けるというニュースも手伝ったのかもしれない。

よく撮影した被写体は、住んでいた新大阪から手軽に行けた北方貨物線での「日本海」の回送。数えたことはないがずいぶん撮影したものだ。次いで赴任当初によく撮ったのが引退間近のEF65一般型貨物。これも北方貨物線での撮影が圧倒的。
キハ181系は運転区間が大阪よりも西側だったし、向日町からの回送は「日本海」と掛け持ちするには不便な時間だったから、最後の最後になって通う程度だった。したがって播但線や山陰線では全く撮影しておらず、今になってみるといささか悔いは残る。テリトリーでもあった北方貨物線には、塚本側から入線することがなく、そういう意味でも「日本海」やEF65に比較すると撮影機会は少なかったが、まあ数回は自分の好きな長ダマで撮れたから良しとしている。

今、当時の画像を見ると、ツベコベとケチを付けていたJR西日本の車体色もかつてほど違和感を覚えなくなったが不思議。大阪にいた頃は実に地味な印象で、これを採用したJR西のセンスを小馬鹿にしていたものだが、時間の経過とともに受け容れられるようになった。
キハ181の場合、走って来るシーンを撮った後、振り向いて過ぎ去るシーンを撮ろうと欲張っても排煙が残って画像がもやったり、オートフォーカスでのピント合わせができず、カット数を稼ぐことができなかった。なかなか手強い被写体でもあったのだ。
甲南山手、尼崎、さくら夙川、塚本などで撮ることがほとんどだったが、「日本海」と違って1日に何本も設定されていたのだから、もう少しカット数が残っていると思ったら案外そうでもなかった。

今回アップした上の写真は尼崎のホームから撮影したもので1000ミリほどの画角になる。下は言わずと知れた塚本で600ミリ。
キハ181の中には幌枠が黒っぽいものと、そうでないものがあったが個人的にはこのように黒っぽい車両の方が厳ついイメージがあって好きだった。
引退後、海外に譲渡されたものもあるが、かつて全国的に広く使われていた車両だけに、もうその姿を見ることができないと思うと今さらながら寂しさを感じる。

(写真、文 U)

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※大阪時代の写真を見ていたら、画像処理がいささか稚拙なのもの多く今後少しずつ再補整してこちらにアップしていきたい。

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2013年4月20日 (土)

須磨で撮った「なは」

またしてもご無沙汰してしまった。新たにネガをスキャンしてこちらのブログ用に画像を取り込もうと思いながら、自室が散らかりすぎてスキャナーの準備をするのが億劫になってしまった。鉄道関係の書籍、カメラの機材、模型などがあふれて収拾がつかない。徹底的に整理しなければ足の踏み場すらなくなりそうだ。なんとかパソコンを使えるだけの空間は確保してあるが、周辺機器であるスキャナー、プリンター、ハードディスクなどをもっと使いやすく配置したいと思っている。

さて今回は国鉄が民営化される直前、最初の大阪赴任の時に撮影した「なは」のモノクロ写真。言わずと知れた有名撮影地、須磨~塩屋で撮ったもの。
久しぶりにこの写真を見たとき、どうしてこんなものを撮影しているのか思い出せなかったが、他のコマにEF58150の牽引するマイテ(展望車)の付いた列車が写っていたから、それが本命でついでに撮ったコマだ。
ここにはこのときを入れて2回行ったが、3度目の大阪赴任中はせっかく鉄道撮影に復帰していたというのにとうとう最後まで一度も行くことはなかった。と言うのも、かつては上がることのできた海側の防潮堤上に柵が設置され、そこから撮影することができなくなったためだ。
1982年3月にロクイチのサロンエクスプレス東京を撮りに行った最初の訪問時には、この上から300ミリで撮影し、なかなか良い角度だった記憶があったのだが、残念ながら今はもうそんなアングルから撮ることはできなくなったと聞いている。
山側の道路からは脚立を使うなどすればまだ撮れるようで、「トワイライトエクスプレス」の客車を使用した団体列車などの写真を見かけるが、自分が好きなのは海側から撮る写真、残念ながら3度目の訪問に前向きになれなかった。

「なは」自体もこの写真と、もう1枚九州赴任時代に鹿児島県内で撮った2カットがあるだけ。そんな中の1枚だ。

(写真、文 U)

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2013年4月 8日 (月)

もう4月

 お仲間の皆様しばらくのご無沙汰でした。昨年9月からはまた会社の人事異動となり、しばらくバタバタしておりました。

 ネタ薄の関西では、何をターゲットにして撮影すべくか選択に事迷うところですが、京阪旧3000(8031F)が引退を早々表明したこともあって、少なからず撮影に出かけたご同士も多かったようです。

 京阪通の京都H氏など、いろいろアドバイスを頂きながら短い間ではあるものの、何日かを撮影に充てることが出来ました。

3.16以降のJRでは梅田貨物廃止による百済スジの増加によって、新たに新鶴見65PFの入線などが目新しく、城東貨物での記録がまた楽しみでありそうです。

 中津の居酒屋「はなび」で一杯やりながら機関車を見る楽しみも過去帳入りになりました。

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 写真は3月31日、京阪旧3000運転最終日のもの。登場時の7連、サイドの「テレビカー」の標記も誇らしげに一路通い慣れた道を京都へ。

写真・文 : T.A

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EF81133牽引黒磯訓練

1052号機の復帰で「あけぼの」の双頭機牽引ローテーションが途絶えてしまい、せっかく日の出時刻が早くなったのに朝練出撃はすっかり戦意喪失。この2週間というもの、天候もイマイチだったお蔭で週末の朝はゆっくり起きてのんびり過ごすことができた。7日(日)も非鉄のつもりで、朝から愛犬と家族サービスに専念していたが、黒磯訓練に133号機が投入されたとのことで、急遽午後から出撃。自宅を出た時は雲ひとつない快晴であったが、埼玉方面には怪しい雲が。外環-東北道と車を走らせているうちに、どんどん天候は悪化し、遂に大粒の雨に見舞われた。現地に到着してもまだまだ大粒の雨が降り止まず、しかも真っ暗で、とても撮影などできる状況ではなかった。とりあえず三脚を置いて場所は確保したが、そのうちに西から晴れ間が見え始めた。残念ながら16時を過ぎると太陽はまた雲に邪魔されて順光では撮影できなかったが、まあ貴重なヒサシ付133号機の黒磯訓練だけに、撮れただけ幸運としましょう。綺麗に手入れされたこのカマは、いつ見ても惚れ惚れする・・(写真・文:T

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2013年4月 6日 (土)

磐越西線・上野尻

さて今年も今日から磐越西線に「SLばんえつ物語」号が走り始めた。思えば1999年の運転開始以来、もう14年目に入ったことになる。重連運転など取り立ててファンの気を引くイベントは行われて来なかったが、風景に恵まれた磐越西線を走るC57180はそれだけでもじゅうぶん、ファンを引きつけるだけの魅力を持っている。
今年は展望グリーン車がデビューしたらしい。撮影する人が多くても、やはり乗る人がいて初めて収益につながるのだから、こういう工夫が必要なのは当然だ。撮影する側から見るとこの客車だけ他の車両とは車体色が異なるから、統一感に欠けるという見方もあるようだが、自分のように列車の正面方向からばかり撮影する偏った人間にはあまり影響はないだろう。
自らのブログにも記したが、今年は試運転の時からC57180はスノープローを外してしまっている。軽快感はあるかもしれないが、個人的には重心が低まって見えるスノープロー付きの方がはるかに好ましい。そんなわけで今年は昨年、一昨年よりも磐越西線に足を運ぶことはなくなるだろうが、例えば今月の28日に運転される団臨の「鳥海」などを撮りに行ったついでなどに寄ることはあるだろう。毎回、撮影する場所はほぼ決まってしまっているから、そろそろ新たなポイントを開拓したいものだ。

個人的にはあまり煙の量にはこだわりがないから、今回アップする上り列車の上野尻付近なども悪くない。ゴールデンウイークごろまでバックの飯豊山系にはまだ残雪があるのではないかと予想している。ご覧のような場所だから煙が多すぎると山が隠れてしまう。
この写真は磐越西線から客車列車が無くなるころにK氏に連れて行っていただいた場所で多くのファンが集まるところ。ここでうまく超望遠レンズが使えないかと検証するためにポジをスキャンしたが、無理して長いレンズを使っても玉砕しそうな予感もある。中望遠あたりでセオリー通りに撮影するのが無難なのは分かっているが、わざわざありふれた写真を撮りに行ってもなぁ―と迷うところだ。

(写真、文 U)

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ところで以前記事にしたC58239の予備機をJR東日本が検討しているとの話はどうやら立ち消えになったらしい。候補になっていたのは会津柳津のC11254で、実際に現地調査も行ったようだ。しかし、メンテナンスを受け持つ大宮車両センターのキャパシティの関係で断念せざるを得なかったと、親しくしているJR東の関係者からうかがった。恥ずかしながら、そう決まったのはけっこう前のことだったらしい。

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2013年4月 3日 (水)

私も東急の7000系を!

お仲間のお宝画像を見て直後に同じ車両の画像をアップするのは猿まねのようで甚だ申し訳ないとともにお恥ずかしいが、K・M氏と違いネガのスキャンを滅多にしない当方としては、たまたまこの写真を取り込んでいたのでお許し願いたい。

これは1977年11月に東急東横線・大倉山付近で撮影したもの。EF58撮影の帰りに親戚の家に遊びに行って、時間があったのとフィルムが余ったので撮ったカット。たしかステンレスの6000系が久しぶりに東横線で運転されていたのを見かけ、滅多に私鉄を撮らない自分の重い腰が上がったのだろう。
もとより自分もこの東横線には長いことお世話になり、さまざまなステンレス車にあこがれた記憶がある。特にこの7000系は貫通扉もありDF50やEF64などにも通じるスタイルで好感を持っていた。また当時、日産が開発した初代シルビアの品の良いフロントマスクを思わせるような印象を抱いていたことも鮮明に覚えている。

小学生の時、通学で急行に乗ると一番前で運転席のスピードメーターを見て100キロを超えると友達と喜んだ記憶もある。とりわけ学芸大学~自由が丘は高速で走ることもあり、ここが一番の見どころだった(東横線内で最も速度が出るのは日吉~綱島だったが、この区間は通学時には通らなかった)。なぜか7051編成は毎回100キロをオーバーして、この車両が一番調子が良いのだと、幼い自分たちは勝手に判断していたものだった。
後年、7200系が登場。7000系よりも複雑なフロントマスクをして、これもなかなかスタイリッシュに感じたが、自分にとってのベストはやはり7000系であることに揺るぎはなかった。

今回アップするのはたまたまY・M氏がアップしたのと同じ7000系の初期型。外観で分かるように側窓の下部に保護棒が設けられているのと、正面の車番が小さい文字なのが大きな特徴。車内も量産車とは異なり、ピンク系の化粧板だったが側窓保護帽が撤去されたころに量産車と同様なものに取り替えられた記憶が残っている。いずれにしても当時、最も幅をきかせていた下ぶくれの名車5000系に較べると、非常に洗練された車両に見えたものだ。
昨年。池上線90周年を記念して7000系から改装された7700系が、元のスタイルに近い姿に戻された。喜んで撮影に行ってはみたが編成が短いのと、池上線に好ましい撮影ポイントが見当たらないことに、いささかガッカリさせられたが、まだ走っている?のなら日曜日の午後に軽装備で再訪してみたい。

鉄道撮影に復帰するきっかけのひとつに2008年1月に行われた8000系のサヨナラ運転がある。通勤途中にこの予告を見て、久しぶりにカメラを持ち出し、かつて撮影したことのある、ここ大倉山に行ったら線路脇に防音壁が出来ていて、この辺りの風景も大きく変わったのに驚かされた。

(写真、文 U)

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