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2012年10月 5日 (金)

新子安のホーム

蒸気機関車が国鉄から消え、鉄道撮影をいったん中断していた自分が再び線路際に立つようになったのは高校時代の友人K氏の影響による。もう30年近く、音信不通となっている彼が今どうしているか不明だが、間違いなく彼のおかげで蒸気機関車以外の車両に目を向けるようになった。そのころのターゲットはEF57。それもすでに晩年となっていて、やみくもに上野あたりに行っても全く運用に就いていない日も多かった。
K氏はEF57もさることながら、デッキ付きのEF15も好きで、彼に付き合って大宮や長岡、八王子などへ行く機会が増えていった。
当時、電気機関車やディーゼル機関車の撮影地ガイドは少なく、「SLダイヤ情報」から発展した「鉄道ダイヤ情報」や「鉄道ファン」の撮影地ガイドを頼りに撮影していたが、1976年になって交友社の「電気機関車快走」が出て、山手貨物や東海道、東北線などの、まだあまり知られていない撮影地が紹介され、それによって活動範囲は飛躍的に広がっていった。われわれの世代の電気機関車を撮っていた者にとって、この本の存在はとても大きかった。

その本に掲載された撮影地の中から最も早く行ってみたのは田町のホーム。夕方16時半の「さくら」を筆頭にブルートレインが相次いでやって来る。日差しの障害となる建造物は少なく開けていてひじょうに撮りやすい。ブルトレ以外の団体列車などもしばしばここで撮影したものだ。
東海道本線の東京口には他に大井町の電車区脇や大井町~大森などの区間があって、どこも手軽で小遣いの限られている高校生には便利なポイントだった。
しかしさすがに同じ場所ばかりでは飽きも来る。そうしてもう少し撮影地を西に求めるようになって発見したのが新子安のホームだった。「発見」と大げさに言っても、すでに知っている人は存在していたのは当然で、ただ単に雑誌等に紹介される機会が少なかったというだけのこと。しかし実際、今になってもEF65のブルートレイン時代にここで撮影された写真は見たことはないから、当時の高校生としては新たなポイントを見つけたという、ちょっとばかし誇らしい気負いは確かに存在した。

その新子安。今では東京寄りホーム先端が有名だが、実はK氏と初めて行ったのは横浜寄り。しかも上り列車を撮影するのではなく下り列車がカーブに掛かるところを135ミリレンズで撮る位置。東京方先端が下り列車の撮影に適していることに気づいたのは、さらにしばらく経ってからだった。あのころは新子安まで行かなくても蒲田や大井町のホームでも手軽に撮れたから、手を抜いて多摩川を渡ってまで西に行くことは希だったことも、その〝発見〟を遅らせる要因になったのだろう。

しかし、東京発のブルトレが消滅するまで自分はここでただの1度もそれを撮ることはなかった。好ポイントとは知りながら、どういうわけで行かなかったのだろう。長いことこの趣味を続けている中のいくつかある疑問の一つだ。
2008年に鉄道撮影に復帰して1度はここで、消滅が決まっていた「富士・はやぶさ」を撮りたいと思ってはいたが、とうとうそれすら実行できずに終焉を迎えてしまった。あれだけ撮影回数の多いロクイチですら1,2回しか撮っておらず、横浜寄りで下りを牽引する姿なども撮ることはできなかった。もっとこのポイントを活用するべきだったとの後悔はかなり強い。来る10月13日はそんな思いを胸に、この日運転されるブルトレ団体列車をここで狙って、そんな慚愧にけじめをつけるのも良いかもしれない。

(写真、文 U)

Img2751
1983ー3-7 回9521 伊東線試運転 Nikon F3P

Img2951
1979-4-11 回8111 Nikon F3P

Img2931

1979-4-11 Nikon F3P

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