特急色のDE10
3月8日の記事で福岡赴任時代に撮影した特急色のDE101755を近いうちにアップするとしたが、あれからすでに一ヶ月が経ち、ようやくポジから取り込んだので今回掲載する。
福岡には92年から3年間赴任した。自分が大学時代、父がやはり福岡に単身で転勤していたし、祖父母が長崎にいたこともあって九州は幼い頃からしばしば訪れていた。しかし、やはり実際に住んでみると、食べ物のうまさは格別で、特にサバやクエの刺身をはじめとする海産物は最高だった。仕事のエリアが九州全域、沖縄だから管内の出張はどこへ行ってもうまいモノばかり。30代はじめの頃で酒も飲んだし、いろいろと悪さもした。ほぼ毎晩、当たり前のように4,5件のはしごは当たり前、ひどいときには明け方の魚河岸で酒を飲んで出社などということも度々だった。だから派手な塗装のJR九州の車両などに割く時間などなく、3年も住んだ割にはあまり写真が残ってない。
それが福岡時代後半、久大線や筑豊線に残っていた客車列車がなくなると知り、少しは撮っておこうかと重い腰を上げたのだった。JR九州のDD51やDE10は正面のナンバーの白帯がなく、決して好きにはなれない姿だったが、久大線沿線の景色の良さは写欲をかき立てるとともに、酒飲み友達と何かあるごとに湯布院へ遊びに行ったから、撮影を億劫と感じることもなくなっていた。
行き始めると「ほどほど」ということを忘れてしまう性質。休みのたびに久大線。筑豊線へ通うようになり、鉄道撮影の楽しさを思い出し始めることとなった。94年11月、「鉄道ファン」誌で唐津の有名なお祭りである「唐津くんち」に際して、ブルトレ車両をホテル代わりとするために、DE10による客車の回送が熊本から唐津に走ることを知った。前年にも走っていたことは知っていて、その時の記事に出ていた唐津線の厳木~多久周辺の撮影地に行くと、現在九州鉄道記念館の宇都宮照信氏と出会うことになるのだが、その際にこの回送列車を車で追い抜き、何度目かに撮影したのがこのカット。
入手したばかりのキヤノンEOS1(フィルムはベルビア)で撮影し始めの頃の一枚だ。
(写真、文 U)
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