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2012年2月

2012年2月29日 (水)

久々の琴電レトロ

珍しく私鉄ネタ続きということで、私もお邪魔させて頂きます。東京では、この週末も色々ネタがあったようですが、小生は会社のキャンペーン中で四国から出ることも叶わず、久々に琴電のレトロ運転に行ってきました。思えば、昨年828日以来の半年ぶりになってしまいましたが、実はその間に(会社のキャンペーン成功のご祈願等の意味もあって)金毘羅さんには2回お参りしており、つい最近では25日にも奥社(総階段1368段)まで登ってきたので、琴平近辺はある意味常連さんになっています。まあ高知から100キロちょっとなので1時間半もあれば楽勝で着いてしまいますが、一応前々回痛恨の前パン切れの失態を演じた滝宮~羽床の築堤も綺麗に雑草が刈られて、さっぱりと撮れそうでしたので、ここでリベンジすることに。到着時にはやや薄日も射していたのですが、結局ドン曇りになり、綺麗に色が出なくてやや残念な結果と相成りました。前回の学習効果もあって、ダメもとで追っかけしてみると、今回もギリギリで土器川の鉄橋で捕捉に成功。上りはどこか新しい場所を開拓したくて、戻りがてら地元の方で駐車場が盛況なセルフの讃岐うどん屋さんで小休止。結局何だかんだトッピングしてしまうものの、かけ(小)で190円は非常に良心的だし、味の方も美味で大満足でした。気を良くして線路沿いをさらにロケハンしていると、羽床の近くで、金毘羅さんの鎮座する象頭山をバックに撮影できる小さな踏切を発掘。待っている間にどんどん暗くなって、ISO800まで上げないと撮影できない位になってしまいましたが、上りの先頭の120号は、23号よりもリベット顔やジャンパ栓回りの武骨さが際立っており、なかなか気に入りました。(それにしても、この面構えは渋すぎる・・)結局、同業者らしき方は、下りの場所で1名、土器川の鉄橋で数名お逢いしただけで、親しくお話しした方はおらず、何ともまったりとした撮影でした。四国もスギ花粉が飛び始め、梅や河津桜開花の知らせも聞かれ、黒潮に乗ってそろそろ春も近くまで来ているようです。東京に戻ったら、琴電もそう簡単には来られまい。さて、あと何回撮影できるものか・・・(写真・文:T

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2012年2月28日 (火)

東急デヤ7200の検測運転

ご無沙汰しております。

一昨日の東急沿線はなかなかの賑わいでしたね。僕も自宅近所の池上線で「さよなら列車」を撮影しました。池上線にあれだけの「鉄」が集まったのは、史上初だと思います。

今日投稿するのは、その「さよなら列車」ではなく、軌道や架線の検測で走っていた頃のものです。撮影は2011年5月。近所に買い物に行こうとした時、偶然池上線の上り線(五反田行き)を走る検測車に遭遇。すぐに自宅に戻ってカメラを取り出し、五反田から折り返して来るのを下りを撮った次第です。結局、この車両の検測運転中の写真は、この時に撮ったのが唯一となりました。

このように、検測の際はデヤ7200とデヤ7290の間にサヤ7590(新製車)をはさんだ3両編成を組んでいました。今回の「さよなら列車」でも、東急のウェブサイト内の告知には3両編成の写真が掲載されているのですが、何かの事情で一昨日の運転は2両とせざるを得なかったのでしょう。  文・写真 YM

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2012年2月26日 (日)

東急デヤ7200 デヤ7290 さよなら運転

久しく鉄道撮影に出向いていなかったが、たまたま東急のHPを見ていたら、デヤ7200なるもののさよなら運転情報が載っていた。私鉄には疎いので、これが何者なのかは全く知りもしなかったが、自宅からでも十数分で行けるところも走るということなのでカメラ1台担いでフラッと行ってきた。

10時過ぎに二子新地の駅に行くと、結構な数の同業者の方々が待機中であった。丁度良いうす曇の中、定時より少し遅れてデヤ7200を先頭に、デヤ7290が走り抜けていった。このあと東急各線を走り回り、渋谷駅などでイベントもあるらしいが、人混みは嫌いなのでこのカットだけ撮影し、11時前には自宅に戻ってきた。

(写真・文:K.M)

2012年2月26日 二子新地駅にて

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2012年2月25日 (土)

EF5889 EF58122 上野駅地下ホーム

昔のフィルムのスキャンも、ブローニ版(6X6,6X7)が終わり、マウントしてあるスライドも終了。残るは35ミリ版スリーブのネガカラー、白黒カラー、ポジだけになった。だけ・・といっても3500本はあるからおおよそ10数万コマにも及ぶのであと何年かかるかわかないが、とにかく古いネガカラーと白黒から片付けはじめた。

蒸機末期からEF57などの旧型電機、その他もろもろの懐かしい写真が日の目を見つつある。

今日スキャンした中で、別に何の変哲もない上野駅地下ホームでのこのゴハチの写真だが、番号を見ると89と122という、最後まで残った超幸運なカマの並びであったのでご紹介した。

この写真を撮ったのが1976年あたりで、まだEF57も稼動していたのでEF58は本当にオマケ程度の被写体であった。

(写真・文:K.M)

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2012年2月22日 (水)

ED75 三重連(2)

前回ご紹介した塩釜でのED75三重連と同じ場所で線路際で撮影したカットが出てきた。この時は当日朝に東京を出て、午後のこの655列車を撮ってからすぐに帰京という日帰り強行軍であった。

(写真・文:K.M)

1991年7月28日 655列車 ED75127+119+1008 塩釜にて

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2012年2月19日 (日)

ED75 三重連

交流電化区間で全盛を誇ったED75も、そろそろ引退の時期が近くなってきたようである。もともと旧型直流電機が専門だったので「赤い電機」にはあまり執着はしなかったが、ED75はどちらかといえば好きなほうの部類には入っていた。だからといって特に追いかけたりはしないものの、機会があれば撮っていた。

1991年はあけぼのが陸羽東線を経由しDE10重連がヘッドマーク付きで牽引していた。5月下旬から7月上旬までは下り列車の走行写真が新庄近辺で撮れたのでよく通った。

そのついでに撮っていたのがED75の三重連。いくつかの特定の列車で半定期的に運転されており、パンタも全機上がるのでなかなか迫力があった。

1991年6月16日の夕方、塩釜付近で捉えた655列車。先頭はED7592である。

(写真・文:K.M)

1991年6月16日 塩釜にて 655列車

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2012年2月15日 (水)

D51803号機の画像

ようやく散らかっていた自室を片付けてスキャナーが使えるようになったので、以前「乗客専務」さまからコメントをいただいていたD51803の画像を取り込んだのでアップする。
この803号機は1973年1月4日、長門市から浜田まで乗車した旅客列車を牽いた機関車で、当日は夕暮れから夜だったこともあり撮影は翌朝、浜田機関区で待機中の姿を撮影したもの。何の変哲もないごく普通のD51標準型で、自分としては鷹取式の集煙装置が付いたD51の方が好きだった。1965年4月1日時点での車両配置表を見るとすでに長門市機関区に配属されていて、山陰本線、美祢線などで活躍したカマのようだ。フロントデッキの連結器の左右にある標識灯は、広島工場でメンテナンスを受けていた機関車が装備している埋め込み型の独特のもの。晩年、小牛田に配備されていたC58122号機も長門市機関区配置の経歴があり、同じ型の標識灯を装備している。
煙室扉下のシンダ除けカバーも左右が斜めの端正なもの。

「乗客専務」さまが保有しているナンバープレートは果たして、この写真のものなのかだろうか。いずれにしてもうらやましい限りだ。

(写真、文 U)

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2012年2月12日 (日)

近況報告

かなり長期間ご無沙汰していたので、複数のお仲間の方々から「生きてますか~?」と優しくお声をかけて頂き、申し訳ありませんでした。昨年秋以来痛めている頸椎の方の回復も芳しくない上、高知ではろくに撮影するネタもなく、完全に冬眠状態に入っておりました。単身赴任や退屈な地方生活もいい加減飽き飽きで、春には東京に戻れることを期待しているのですが、当社の場合事前の予告なしでいきなり人事発令なので、まだ帰京の時期ははっきりしません。(Uさんとは赴任地は違ったものの、同じ単身赴任仲間として、ブログを通じていつも良い刺激も頂戴していたのですが、東京に戻られてから、こちらの緊張感も途切れてしまったような感じは否めません)首都圏では房総のC61だの雪まみれのブルトレだの安中貨物のEF81運用とか撮ってみたいネタが盛りだくさんですし、大阪でも「日本海」を精力的に追いかけておられるお仲間も多数おられることと思い羨ましい限りです。高知でも雪は降らないものの、連日朝晩は氷点下にまで下がり、カメラを持ち出す気力もなかったのですが、この週末、天気も良かったので、久々にカメラを持ち出し、昨年も行った「ダルマ夕日」をトライしに宿毛まで行ってきました。(途中の伊与喜で順光の「あしずり」を捕捉)片道3時間以上かけて行ったものの、最後の最後の瞬間に水平線に小さな雲があったようで、ダルマの首にマフラーがかかったようになってしまい、ちょっと残念な結果に。それでも、数十名の同業者の方々が三脚に超望レンズという鉄ちゃん同様の装備で、数十秒の神秘的な瞬間に酔いしれていました。そして、今朝は、ろくに時間も調べずに行ってしまったので、本命の場所では取り逃がしたものの、久々に「アイランドエクスプレスⅡ」に土佐大津で再会。さて、巷では、断捨離するコツとして、「ときめかない」のであれば思い切って捨ててしまいなさいと言われているようで、そういう意味では、鉄道写真も何とかときめく写真を撮りたいという気持ちは持ち続けているのですが、なかなか難しいですね。(単なるローカルネタの記録だけでは、全然ときめかず、単にパソコンのハードディスクの容量を食っているだけだと、自己嫌悪に陥ります・・)今週からは、また会社のキャンペーンが始まるので、仕事一色モードになってしまいますが、早く東京に戻って、お仲間の皆さんと楽しい時間を過ごしたいと願っております。今回は、到底ブログに載せられるような写真ではなく、甚だ恐縮ですが、とりあえず、生きているという近況のご報告でした・・(写真・文:TBlog_20122121

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2012年2月11日 (土)

ED75ゆうづるの形式写真

UさんのED75形式写真を見て、青森運転所で撮ったゆうづるの写真を思い出した。当時、ブルトレ牽引機にヘッドマークが復活し、東北方面のゆうづる、あけぼの、出羽、日本海などを青森・秋田・福島あたりまで行って撮ったものだ。

1985年のゴールデン・ウィーク真っ只中、5月3日に青森運転所に伺うと難なく撮影許可をいただくことが出来、ゆうづるのマークを付けて抜群の位置に停まっていたED751033のパンタグラフを上げていただき、綺麗な形式写真を撮ることが出来た。

(写真・文:K.M)

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2012年2月 8日 (水)

形式写真

幼い頃、蒸気機関車の撮影はほとんどが機関区や駅などで行っていた。ろくな機材がなかったこともあったし、駅から歩いて撮影地に行っても一日数本しか蒸気機関車にめぐり会えない効率の悪さもあった。また今のようにどの列車がSL牽引なのか、そういう情報も少なかったこともある。SL終焉のころになって「SLダイヤ情報」という便利なものが出たが、その情報も刻々と変わり、記事ではSL牽引のはずがDLになっていることも多かった。機関区や駅の方が多くの機関車が撮れたし、じっくりと観察できる。小学生のくせに生意気にも16番鉄道模型を始めた自分としてはそういう機会が大事だった。さらに影響を受けたのはおそれ多いが西尾克三郎氏の「記録写真 蒸気機関車」。小学校3年生でこの本を入手し形式写真というものにあこがれた。もちろん足元にも及ばないのは承知しているが、鮮明な西尾写真のほんの爪の垢ほどでも真似られたらという意欲だけは満々だった。そもそも写真というものは「こんな写真が撮りたい!」」といったところが出発点にもなるから、鉄道ファンの多くが通過するプロセスでもあったわけだ。
とにかく訪れた機関区は多い。好きなC58が在籍している所が圧倒的だが、機関区そのものの光景、ムードが大好きだった。
SLが消滅しても機関庫やターンテーブル、給炭台などはしばらく手つかずで残ったから、DF50などを撮りに行けばSL時代の雰囲気を味わえた。一日いても飽きないほど、機関車がゴロゴロしている車両基地はとにかく大好きだった。

ところが最近は機関区など、撮影会でもなければ入ることは許されない。
EF58晩年でさえも立ち入れる主要な所は広島、岡山、吹田、米原、沼津ぐらいだったように記憶しているが、今ではほぼ全滅。形式写真などを撮るなどという機会は希有になった。

これは1980年9月、秋田機関区で撮影したもの。たまたま良い位置に停車していたのだが、こんな機会は今となっては望むべくもない。

(写真、文 U)

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2012年2月 5日 (日)

飯田線 EF10重連貨物

ED62重連をご紹介した中でEF10の重連にも言及したが、その写真が出てきた。このところ撮影にはほとんど行かずに週末はネガ・ポジのデジタル化の作業を行っているのだが、あまり整理をしていなかった66の白黒フィルムにその姿が写っていた。

66といっても父親が1950年代に購入した「リコーフレックス」という非常に原始的な二眼レフカメラだが、ネオパンSSのブローニフィルムで撮ったものだけに一部は比較的良好な状態で残っている。ただ、シャッタースピードは最高で100分の1という、今では信じがたい代物だけに走行写真はいくら昔の貨物列車といえどもブレてしまっているのは仕方ない。

このリコーフレックス、今でも手元にあって見栄えはアンティークっぽいのでリビングに飾ってあるが、恐らく今でも撮れるのではないかと思うので、今度ブローニフィルムでも買ってきて試してみたいと思う。

さて、本題のEF10重連であるが、飯田線南部で昼の上り列車として運転されていた266列車。1977年7月23日に三河槙原で捉えたのはEF1023+EF1014という特徴ある2機の組み合わせであった。

この時の手帳に拠れば、前日7月22日東京を出て23,24日と飯田線、25日から大阪に行き、紀勢線でキハ81やEF58の貨物、播但線でDD54などを撮りながら山陰線に入り高校鉄道研究部の夏合宿に参加しDF50などを撮影。結局8月4日には下関まで行きつき、帰りは山陽線経由でセノハチでEF59を撮り8月9日に家に帰ってきている。20日間の周遊券をほぼ一杯使っての旅だったが、そのころはこんな長期間の撮影旅行が当たり前ではあった。

(写真・文:K.M)

1977年7月23日 EF1023+EF1014 266列車 飯田線 三河槙原にて

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2012年2月 4日 (土)

EF5861が福井のお座敷列車を牽くとき

お座敷列車と言っても様々な種類があった。近年はジョイフル・トレインというカテゴリーでもあるが、ロクイチが団臨でバリバリ働いていた1980年あたりのお座敷といえばスロ81系の6両編成が定番だった。

丁度その頃、合理化の一環でグリーン車の緑帯が消され始め、客車もその例外ではなかった。記憶の限りでは、沼津・長野・福井・鳥栖に配置されていたスロ81座敷からも徐々に帯が消されていった。その末期、6両とも緑帯の残った編成を追いかけて東奔西走していた仲間も多かった。

そんな中、通称「キンフイ」と呼んでいた福井のお座敷が上京し、帰路が東海道本線を8103列車で下るという格好の運用にEF5861が入った。

時は1981年4月12日(日)、春うららかな季節、撮影場所は迷わず根府川鉄橋のみかん畑と決め三脚を置いた。丁度バックに満開の桜を入れることも出来、なかなか良いカットをものに出来た。その日、荷33列車はEF581号機と東海道本線のスターが続行で下っていった。

(写真・文:K.M)

1981年4月12日 8103列車 EF5861+お座敷列車(福井) 根府川にて

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2012年2月 1日 (水)

EF5861が20系を牽くとき

ゴハチを本格的に追いかけ始めたのは1978年あたりから。結局2両(21号機・28号機)が撮れずおわったが170両とEF18の3両は撮影することが出来た。取り潰しに目処が立つと、つぎは団臨や御召列車を中心に撮影していたが、当時の憧れはロクイチの牽く20系客車だった。結局何度かは撮影の機会に恵まれたが、わざわざ広島まで出向いて外された(代替で68号機が入ってしまった)ケースなど、何度か苦い思い出もある。

ここにアップしたのは1991年3月15日の回4541列車。平日だったが、この日は午前中の常磐線でEF5889の牽く北斗星客車の方向転換回送列車があり、尾久から品川への20系回送にロクイチが入る可能性も高かったので有給休暇を取って出動した。

当時はあまり尾久から東大宮にかけての撮影地も知らず、なんとか超望遠で撮りたかったのでその昔行ったことのある南浦和付近をウロウロしながら場所を探した。そしてドタ感で上がって見た歩道橋の階段から撮れそうなのを発見。かぶる可能性もあったが思い切って待つことにした。

幸い被らずに回4541列車を撮る事が出来、満足な一日となった。この場所、それまでは雑誌などでも見たことが無かったので、もしかしたら私が開拓者(?)かな・・などとも思っているが。。。

(写真・文:K.M)

1991年3月15日 回4541列車 EF5861+20系客車 南浦和にて

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