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2012年1月

2012年1月30日 (月)

EF5861 水上機関区

バブル真っ只中の1988年、オリエント・エクスプレスが日本全国を走った。様々な機関車が牽引したが、その最後を飾ったのが12月下旬のD51とEF5861だった。

一般的には上野駅からのD51が騒がれたが、我々ロクイチ好きとしてはむしろD51が邪魔(失礼!)の感があった。よってハイライトは下りの大宮ー水上と上りの水上ー上野の列車。12月23日の下りは平日だったので行けず、全てを12月25日の9702列車に賭けることにした。

25日の深夜に水上に着き倉の中を覗くと、すでにパンタグラフを上げて早朝の出区に備えるEF5861の姿があった。

かなりの降雪があったので予定通りオリエント・エクスプレスが運転されるか心配したが、9702列車は無事にEF641000の重連牽引で水上に到着した。吹雪の中機関車交換が行われEF5861が先頭に付けられたのを何枚か写し、走行写真を撮るべく後閑向かった。その後2回目を岡部でも撮ることが出来た。

写真は水上機関区の倉の中で静かに出動の時を待つロクイチの姿である。

(写真・文:K.M)

1988年12月25日 EF5861 水上機関区にて(ペンタ67で撮影)

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2012年1月29日 (日)

住吉界隈

結局、11月の阪堺161貸切以来主たる撮影にも行けずのまま仕事も繁忙期を迎えてしまい、気づけば1月も下旬を迎える状況となってしまった。ついつい億劫になりがちなこの時期、日本海やきたぐにも押さえておきたいが、あれこれ所用が入ってまだ腰が上がらないのは自分でも反省しきり・・・・

そんな中、昨日は車での送迎の合間にまたもや阪堺を撮りに住吉へ。冬場はクーラーの無い161形の活躍の時期でもあるし、ここは上町線と阪堺線が路面交差する楽しい場所。スナップがてら色んな車種を収めるには好都合である。

とはいえ、土曜ダイヤで稼働車両も限られており、161形は3両が午前中運用に就いていた。路面での交差や沢山の分岐は見ていても楽しく、なかなかのもの。わずかな時間ではあったが、結構楽しめた時間であった。

 文・写真 T.A.

上:住吉電停での南海色と都電色との交差(後方は住吉大社)

下:上町線からクロスして住吉公園に向かうモ165

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2012年1月28日 (土)

飯田線 ED62重連貨物

丁度20年前は何を撮っていたのかと手帳をみていたら、先日スキャンした飯田線の写真が該当することに気づいた。

1992年から93年にかけて、冬~春先の時期に飯田線北部でED62重連の貨物が運転されていた。

飯田線で重連といえば1970年代後半、南部で運転されていたEF10による266列車が印象に残るが、このE62も結構気に入って通っていた。

運転は土曜日であったので金曜日の夜に中央高速で現地入り、重連となる5273列車は元善光寺11:21発で伊那松島14:20というスジを追いかけ、そのまま帰ってくると夕方には東京というコンパクトな撮影が出来たのも通えた理由の一つである。

また、17号機だけ1両が新塗装になって異色を放っており、よいアクセントとなっていた。当時はほとんど人も集まらず、アルプスの風景を堪能しながらのんびり撮影が出来た。

(写真・文:K.M)

1992年1月25日 5273列車 EF6217+ED625 飯田線 七久保にて

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2012年1月25日 (水)

EF811とEF81501

このところ冬場になると過去に撮った写真のデジタル化を行っている。去年は600本以上に及ぶ6X7の白黒ネガ6000枚弱をスキャンしたが、今年は200本くらいある6X7のカラーポジに取り組んでいる。年末から始めてようやく半分の100本(1000枚)くらいまで進んでいる。

あまり大判カメラでカラーを撮ることはしなかった割には結構な本数が残っているものだとあらためて驚きもした。その中から2枚ご紹介したい。

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もともと旧型の直流電気機関車が好きだったので、交流機や交直流機はあまり撮っていなかった。1980年代の後半に新潟の高田(現:上越市)に居た4年間も、もっぱら信越線のEF62やEF64を好んで撮っていた。

ところがあるときEF81のトップナンバーを偶然撮ってから、その運用を追いかけるようになり、またEF81の500番台のデビューもあって、何枚かの作品が残っていた。

500番代の写真は1989年3月12日に初の営業運用に就いた初列車で、特製のヘッドマークが取り付けられていた。

(写真・文:K.M)

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2012年1月24日 (火)

30年前の北方貨物線で

雪のため24日朝、関東地方の交通はマヒ。せっかくのお休みだが〝朝練〟にも行けない。車のタイヤをスタッドレスに交換していないこともあるが、車高が低いせいもあって積雪するとフロントスポイラーを傷めてしまいそうだから、積雪時は鉄道撮影を自重するしかない。家にこもって本棚の整理や鉄道模型やカメラの並び替えなどを行った。

ニュースによると関東各県では車のスリップ事故が多発したという。映像を見るとチェーンもしていない車が多く、ドライバーの浅慮が事故につながったとしか言いようがない。4輪駆動を過信してスタッドレスタイヤでもないのに車で出掛け、走行不能になった事例も多いようだが、都会の人々の雪に対する経験不足が交通渋滞などを増長させている気がする。
以前、ワゴン車に乗っていた頃、スタッドレスタイヤで草津、軽井沢にスキーに行ったが、宿泊先への道が夜になって凍結し怖い思いをしたものだ。幸いチェーンも持参していたから事なきを得たが、少しの積雪でも侮ってはいけないと肝に銘じた。
鉄道撮影に復帰したのは前の車の時。自分のブログに写真を載せたがBMWのカプリオレという、鉄道撮影には全くふさわしくない車だったが、スキーに行くことを考慮して後部座席を特別にトランクスルーにしたおかげで脚立などを載せることが出来た。何しろ身長170センチ近かった中学生だった息子のものも含め3セットものスキー板が乗ったから、見かけよりも多くの荷物が搭載可能だった。
今の車に乗り換える際、撮影行のことも考えてワゴン車かRV車も選択肢に入れてはみたが、スタイリッシュなものはほとんどが1メートル85センチを超える車幅で、取り回しに苦慮しそうなことからクーペボディに落ち着いた。
昨年春、大阪にいたときにネットで背の高い脚立を注文し、実際に届いたものを見たとき、その大きさからクーペの車では積載できないと諦めていたが、トランクスルーにすると収まるのはありがたかった。車の屋根に脚立を載せて撮影に行くなどといったことは恥ずかしいと感じる質だからラッキーだった。
降雪の話からそれてしまったが、来年の冬用にジムニーの中古車でも買って高崎あたりに置いておくのも悪くないと先ほどからHPを見ているが、たとえ1シーズンで手放すにしても駐車場も借りなければならないし保険も必要だ。諸々のハードルは高そうだが取りあえず諸経費および費用対効果を検討しよう。

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大阪の北方貨物線で撮影したEF58牽引時代の「きたぐに」。以前、300ミリで撮影したものをアップしたが、今回はペンタックス6×7で撮ったもの。1980年9月の撮影で大阪のA氏も一緒だったはず。撮影後、宮原機関区に行って止まっている69号機のパンタグラフを上げてもらって撮影したことも思い出だ。
このころ、東海道、山陽のゴハチは衰退期に入り、広島機関区所属だったこの69号機も米原へ貸し出されており「きたぐに」の運用にも入った。この直後、東京機関区にも貸し出され気動車の回送やお座敷列車にも使用された。
この約30年後、転勤でこのすぐそばのマンションに住むことになろうとは思いもしなかった。

(写真、文 U)

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2012年1月13日 (金)

御料車

これまで、お召し列車は何度か撮影する機会に恵まれた。
本番の日が近づくと当日の天気や人出、撮影ポイントの状況など様々なことが気になりだす。その中で自分が最も気にかけたのは運転終了後に最寄りの機関区で、お召し列車を牽引した機関車の〝旗開き〟が撮れるかどうかという問題だった。
〝旗開き〟というのはお召し列車の運転前後、車両基地で牽引機関車が菊の紋章や日の丸などを本番通りに掲揚して止まっている姿を写すことを意味していた。この〝旗開き〟、基地によっては本務と予備の機関車を並べる所もあるし本務機だけの所もあった。いずれにしても大抵は機関車単独。牽かれる側の1号編成が連結されたままというシーンにお目にかかったことはない(駅での撮影なら話は別)が、じっくり撮影できる開放感は良いものだった。
基地によってはファンの立ち入りを一切許さない所もあったから、これが撮れるかどうか、お召し列車そのものよりも自分としてはむしろこちらの問題の方が気になったものだ。

それがほぼ許可されなくなったのはいつの頃からだろうか。
鉄道撮影に10年ものブランクを空ける以前から、人出の多いお召し列車自体に興味が薄れてしまっていた自分としては定かなことは言えないが、97年の山田線のDD51によるお召し列車の際には盛岡機関区等の現場には入れなかった記憶がある。

さて、機関車に関しては本番の列車や〝旗開き〟などで、そこそこ撮る機会を得てきたが、天皇陛下が乗られる御料車はまともに写したことがない。
公式の試運転でも御料車はカバーで覆われていることが多く、過去何度か撮影したお召し列車の際でも記憶に残っているのは栃木国体の時に、宇都宮で撮影した数カット。これとて御料車の側面からは菊の紋章が撮られてしまった後のこと(菊の紋章は通常、発着駅で脱着される)。
原宿宮廷ホームで御料車に紋章を取り付けるシーンとともにアップする。

(写真、文 U)

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2012年1月11日 (水)

遠くなった東海道本線

それにしてもEF5861が現役だった頃、ブルートレインなどをもっと真剣に撮っておけば良かった。
ロクイチが午前中、東海道本線を走る時間帯はブルトレの上京する時間帯と重なることが多く、そのままそこにとどまれば「あさかぜ」「富士」「はやぶさ」「みずほ」「さくら」などが撮れたにもかかわらず、ロクイチさえ撮れればさっさと撤収していた。EF66がブルトレの牽引機になった頃は社会人になり大阪に転勤し、その後鉄道撮影から徐々に離れていったのだが、それ以前EF65PF時代は機関車にスノープローが付いていないことが気に入らずあまり撮影しなかった。保守の関係でスノープローは外していたのだが、冬の関ヶ原などは問題なかったのだろうか。それがあるとないとでは、「富士・はやぶさ」の晩年にEF66のトラブルで田端のEF651107号機が牽いた姿を見ると全く印象が違う。
話はそれるが所有する鉄道模型の蒸気機関車は16番(16・5ミリの線路幅)がほとんどで、スケールと異なるために前から見るとその〝がに股〟が見苦しく、それを隠すためにほぼ全ての機関車にスノープローを取り付けている。現物とは異なるが、いずれ大畑のD51などを入手することになってもそのように手を加えるだろう。

さて、昔は頻繁に通った東海道本線も今は全くといって良いほど縁遠くなった。「富士・はやぶさ」がなくなってからは2009年の6、7月に「レトロ横濱」や583系の臨時列車が走ってからご無沙汰だ。貨物列車もEF65,66があるといっても飾り帯のなくなったり塗装が変わってしまったものを撮りに行く気力が出ない。JR東海が客車列車の通過を嫌った結果とも言われているが、ゴハチ時代を知っている人間としてはやはり寂しい。

(写真、文 U)

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キヤノンNewF-1
150~600ミリ F5・6

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2012年1月 9日 (月)

1984年GWのEF5861(ロクイチ)連続運用

2008年6月20日にEF5861が最終運用を終えパンタを降ろしてから3年半が経ってしまった。最後の10年ほどはまさにイベント機関車としての活躍が多かったが、それまでは一般の機関車に近い通常運用をこなしていた。

印象に残るのが1984年4月28日(土)から5月13日(日)まで連続16日間も充当されたもの。(私の手帳の記録上であり、全運用を目で確認したわけではないが)

4月28日:9023レサロンそよかぜで高崎往復、29日:9023レサロンそよかぜ、30日:9021レ踊り子、5月1日:9023レサロンそよかぜ、2日:9023レサロンそよかぜ、3日:試6961レで小田原往復、4日:単8345で沼津へ、5日:14系6両で沼津ー豊橋往復、6日:14系6両で沼津ー用宗往復、7日:単6314で品川、8日:9021レサロンエクスプレスで伊豆急下田、9日:9024レで品川、10日:9021レサロンエクスプレスで伊豆急下田往復、11日:9411レサロンエクスプレスで大阪(宮原操)-名古屋、12日:8102レ名古屋ー品川、13日:8345レサロンエクスプレスで沼津往復。

ほとんどサロンエクスプレス専用機的使われ方という特殊事情もあるが、GWの機関車逼迫を表してもいるのだと思う。

その中で一番印象に残ったのはサロン運用ではなく5月5日の運用であった。朝、沼津から14系6両を牽引するスジは金谷ー菊川で素晴らしい光線の中走り抜けて行った。その後客車は二俣線経由で豊橋まで行く行程であったので、EF5861は掛川で切り離され単9421となり豊橋まで先送りされた。

その単9421の西浜松停車中がこの日のハイライト。長時間停車を「バカ停」とか呼ぶが、まさに超バカ停で、西浜松着が9:31で発車が14:34と5時間以上の停車時間。しかもパンタグラフずっと上げっ放しで、停車位置も理想的。天気は若干のうす曇・・・と形式写真撮り放題状態であった。今なら大勢集まってしまうのであろうが、このときは最初の1時間ほどは10名ほど居たが、そのうち居なくなり、知り合いの方と2人でずっとぼんやりロクイチを眺めるという至福の時間を過ごすことができた。

特に真横のカットというのはなかなか撮れそうで撮れないので良い機会となった。

(写真・文:K.M)

1984年5月5日 単9421列車 西浜松にて

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あけましておめでとうございます

職業柄、もっとも多忙な12月から年始を越し、この連休でやっと実質の正月休みとなった。

U氏の送別会以後、某鉄道サークルの忘年会があった以外は毎日仕事に追われてしまって、シャッターも切らずじまい。

そろそろ腰をあげて空気の澄んでいる冬場に出動したいと思います。

やはり日本海ときたぐにかなぁ・・・

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八丁畷のEF5860

東京に帰宅してボチボチと〝朝練〟はやっている。ベッドから抜け出すのには気合いが必要になってきているのは年齢のせいだろうか。以前よりも寒さが応えるように感じる。住み始めて16年が経つわが家も今回のリフォームで床暖房を入れ浴室も寒さ対策を施した。最近の住宅にはかなり普及しているが、われわれが建てたころにはまだ一般的ではなかった。
〝朝練〟に行くのに車に乗ると何をおいても真っ先にシートヒーターをオンにするのはこのところの習慣。ポカポカと快適だが厚着しているからほどほどで切らないと腰のあたりが熱くなり過ぎてしまう。
2年ほど前は「北陸」「能登」などの夜行列車を夜間撮影しに真冬の長岡へよく行ったものだが、その後「北陸」が廃止になり「能登」もボンネット車が撤退してからは行くことがなくなった。夜中じゅう、屋外で撮影していたのだから、今考えるとよくやったものだと思う。まして冬の常紋などで撮影したDD51の貨物列車などの画像を見ると頭が下がる思いだ。

ただし自分は寒さよりも暑さの方が圧倒的に弱い。寒いのはスキーなどをやっていたため防寒着などを買いそろえているから良いのだが、暑いのは手の施しようがない。外出せずにエアコンの効いた部屋にいるのが一番。鉄道撮影だって昨年の実績を見ると、7、8、9の3カ月で昼間に運転される列車を撮ったのは7月のお召し列車試運転と上越線のSL重連ぐらい。
そう考えると寒いだの何だの四の五の言っている場合ではなく、とにかく空気の澄んで陽炎の出ない今のうちにせいぜい〝朝練〟に励むべきなのだろう。

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ところで大阪を離れる前、ひじょうに安価で400ミリまでをカバーできるズームレンズを入手した。先日、北浦和で使用してみたところ画質もじゅうぶんに満足できる。軽いし携行も便利で、これと200ミリまでのズームがあれば気軽に電車で撮影に行ける。大枚はたいて車のタイヤをスタッドレスにして東北方面にブルトレを撮りに行くなら、これらの機材だけを持って「あけぼの」にでも乗って撮影に行くのも悪くない、運転から解放されれば東北の美味しい地酒を味わうという選択も可能だ。どうせ真っ白い雪が積もった中での撮影だから、撮影地に拘ることもなさそうだ。ポケットにピューフラスコでも入れて寒くなったら体の中から温めれば良い。
くそ重いレンズから解き放たれた、そんな「乗り鉄」も楽しめる「撮り鉄」も悪くなさそうだ。

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1979年12月、八丁畷で撮ったE5860の荷物の35列車。
ED16の重連貨物を撮影に行った際、不意に現れた。Hゴム化されたEF58にはあまり興味がなかったが、やはり車体色が他のものと違うというのは当時も鉄道ファンにとって「特ダネ」を撮った気がしたものだ。
ただしその後、89号機や150号機がイベント用に茶色になったが、60号機廃車後になって塗り替えられた両機にはさほど関心がなく、それぞれ一度しか写していない。
いつも思うのはなぜもっと早く歴史ある機関車を保存することを考えないのだろうということ。
93号機のようにわざわざHゴムを元の形に戻したり、157号機を茶色にしHゴムを戻すなど、ちぐはぐで無駄な作業をやっているのが不思議でたまらない。

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(写真、文 U)

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2012年1月 7日 (土)

ニコンD4発表

新年早々、ニコンからフラッグシップ機のD4が発表となった。夏にロンドンで開催されるオリンピックに報道関係各社が使用するためには、今がギリギリの発表時期になる。本番までにフォトグラファーたちからの注文を聞き、ファームウェアなどで対処していくためには何としても春前には発売しなければならない。キヤノンは昨年のうちに早々とEOS1MarkXを発表し、すでに一部のカメラマンの手によって現場で試用されているはずだ。それぞれのフラッグシップ機がしのぎを削り五輪で一騎打ちとなる。
ニコンは一眼レフの92㌫をタイで製造しているといわれ、そのため今回の洪水で大打撃を受けた。年末のセールに出すカメラが品薄でずいぶんとシェアを落としたかもしれない。秋に投入されるはずだったD800もタイで製造されているはずだから、発売が大きく延期になったようだ。本来ならD4の前には発売されていたはず。年末商戦の目玉になったかもしれないから、洪水の影響は深刻だったに違いない。

さてそのニコンD4は1620万画素で秒11コマ、常用感度がISO100~12800といったスペックで、これだけ見るとフルサイズになって1810万画素で秒12コマ(超高速連写モードで14コマ)、常用ISO感度が100~51200のキヤノンに比べるとアピール度が低い。カタログ値で比較すると手堅い進化といえるのかもしれないが、一般の感覚では不利な気もする。
ニコンのフラッグシップ機は偶数の番号が与えられた機種はそれほど評価されないといった説もあるが、このD4は果たしてどうなのだろう?そんな通説を覆してくれることを期待したい。
キヤノンの7Dに飛びついて自分としては満足できなかった経験があり、このところの撮影は全てニコンで行っているから、スペックだけで評価するのは軽率であると指摘しておきたい。

ところでこのD4、手堅いと言えば手堅い進化なのだが、D3を使用しているアマチュアが大枚をはたいてまで買い換える価値があるかどうか?
そもそもD3があまりにも凄いカメラだったから、D4が世間に出回ってもまだまだ現役で使用できる。発売と同時に購入した自分のD3Sなどは2年2カ月でまだ4700カットしか撮影しておらず、これで買い換えるのはもったいない。もちろんD3やD7000と併用しているが、それらのカットを合わせても2年2カ月で1万枚前後の計算になる。D3Sの耐用度を考慮するとまだまだ使えるから、これからも線路際に持ち出す機会は減ることがないだろう。
またD7000も購入後1年で2800カットほど。昨年10月末のお召し列車もD7000で撮ったものをこのブログにアップしたが、画質としても上々でかなり使えるカメラだ。今後も気軽に使用することも考慮して、今頃になってようやくタテ位置で構える際に便利なバッテリーグリップを昨日注文したほど。

新しもの好きの自分としてはD4もD800も購入するだろうが、果たしてそれほど使う機会があるかどうかは未知数。心の中ではだんだん撮る対象が減っている鉄道撮影よりも、魅力的な車両が相次いで製品化される鉄道模型の方に投資すべきだとの囁きもあるのだが…。

(写真、文 U)

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2012年1月 2日 (月)

明けましておめでとうございます

お仲間の皆さま、明けましておめでとうございます。昨年暮れに大阪から戻って参りました。大阪に行く際は自由が丘で送別会を開いていただきましたが、あれからもう2年2カ月が経ったと思うと長かったような短かったような、複雑な思いもあります。いずれにしても大阪では旧知のA氏やHi氏たちをはじめ、今回初めて知り合うことができた方々のおかげで様々な車両を撮る機会に恵まれ充実した時間を持つことができました。

大阪に行ったり来たりの生活でしたが、この間新幹線には200回近く乗ることができ、寂しい単身赴任でしたが今思えばゴージャスな日常でもあったと思っています。驚いたのは、これだけ頻繁に新幹線に乗ったものの、遅延したのは一度だけということでした。中国のまがい物の高速鉄道とは次元の違う素晴らしさを強く認識することができました。その中国では500キロも出る新高速車両ができるようですが、あの速度ですら悲惨な事故が起きたのですから、乗る人が存在するのかはなはだ疑問に思えます。かつてJR尼崎脱線事故があったとはいえ、あれを人的ミスとするならば、日本の鉄道技術の優秀さにはもっと誇りを持っても良いのではないかと思います。そんなことも考える機会になった単身赴任生活でした。

皆さまとは近いうちにぜひまた線路際に立ちたいと思っております。大阪にいるとなかなか行くことのできなかった千葉県のいすみ鉄道や久留里線などは、もうすこし暖かくなればぜひとも行ってみたいと思っております。東北、奥羽方面も興味のあるところですし、北海道での「北斗星」「カシオペア」「トワイライト」も良い被写体でしょう。帰ってきたら帰ってきたで、撮りたいもののオンパレードです。
ぜひお付き合い下さい。

本日は川崎駅構内で撮影した品川のお座敷列車を牽くロクイチです。当時はこんなところまで入っても叱られることもありませんでした。懐かしい時代です。

(写真、文 U)

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EF5861牽引の荷38列車 三島ー函南(竹倉)

荷38列車の浜松ー汐留間は普通浜松機関区のEF58が担当していたが、東京機関区のEF58が臨時で受け持つことがあった。これまで何度かその理由などは書いているので省くが、これにEF5861(ロクイチ)が充当されると被写体としてはなかなか良いものがあった。

東に向かって走る東海道本線の上り列車が順光で撮れるのは午前中ということになり、昼過ぎに浜松を出て夕方汐留に着くこの列車を順光で撮れる場所は非常に限られていた。その代表的な場所が、この「三島ー函南」の通称竹倉と掛川ー菊川間の2ヶ所だった。特に冬の陽の回りの遅い季節は浅い角度で台車まで光が射し込み、澄んだ空気感と相俟って気持ちの良い写真が撮れた。

写真は1981年2月11日の荷38列車である。

(写真・文:K.M)

1981年2月11日 荷38列車 EF5861 三島ー函南にて

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2012年1月 1日 (日)

成田線のお座敷列車

年が明け、今年は平穏な1年になるようにと思っていたところにいきなり震度4の揺れが来た。まだまだ安心は出来なさそうだ。

少し前にUさんが1980年撮影のDD51牽引のお座敷列車をアップされていた。確かUさんと成田方面にお座敷列車を撮りに行った記憶があったので写真を探してみると1981年5月30日に下総松崎でのものがあった。この頃は電化区間でも普段電気機関車が入らない線区にはディーゼル機関車が充当されるのが通例で、この時も牽引機はDD51だった。その後成田臨でEF58やEF65が入線することになろうとは思いもしなかった。

このときは機関車の次に通称オイラン車と呼ばれるオヤ31が付けられていたのが珍しくてこの場所まで来たのかと思う。あまり場所もよくわからずUさんと二人で沿線をウロウロしたような記憶もある。上野を15:26に出て我孫子着16:09、16:14発で成田まで行く回9823列車というスジであったので斜光を浴びてコントラストが効いた雰囲気になっている。

(写真・文:K.M)

1981年5月30日 DD51+オヤ31+81系お座敷(品川) 回9823列車 成田線 下総松崎にて

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