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2011年10月

2011年10月23日 (日)

週末の羽田空港

前首相政権末期のころは当然海外からの要人訪日はほとんど無くなっていた。ところが新首相就任後は立て続けに海外の首脳が来ている。

この週末も報道などによれば22日(土)にフランスの首相、23日(日)にドイツ大統領が来る予定で、今後英国首相、米国国防長官なども来るらしい。

この手の飛来機の情報はただでさえ事前には入らないのに、例の管制官の事件以降は特に難しくなっている。ということで週末は羽田に張り込むことにした。その結果、フランス空軍のA330,ドイツ空軍のA340,おまけで3年ぶりにB727も撮ることが出来た。撮ってしまえば何ということのないカットではあるが、これをものにするのに膨大な待ち時間を費やしている。。。天気の悪い暇な週末だったので骨休めにはなったが。

(写真・文:K.M)

2011年10月22日 B727-21(W) VP-BAP(C/N 19260/S/N 412)

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2011年10月23日 フランス空軍A330

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2011年10月23日 ドイツ空軍A340

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2011年10月18日 (火)

乗客無視の対応

全く思い起こすだけで腹が立つが、去る1010日に信じられない事態に遭遇したので、ご披露しておこう。急遽3連休に東京に戻ることにしたので飛行機は高く、已む無く岡山経由での列車で往復したのだが、3連休最終日の新幹線は激コミ状態。やっと岡山で乗換えをして、「南風23号」のホームに降り、折り返し列車の指定席に座るや、何と瀬戸大橋線で人身事故があり、復旧の見込みはたっていないという。その段階で19時だったので、いつ高知に戻れるか心配であったが、とりあえず座席は確保されているので、周囲の乗客の方々も仕方なく待つしかなかった。車内アナウンスも「復旧の見込みはまだたっていません」を繰り返すばかりで、要領を得ないまま約1時間が経過した。ホームでの要領を得たアナウンスも殆どないまま、1時間後の「南風25号」の乗客が何人も車内に入ってきて、「ここ私の席ですけど・・」、「いや、これは1時間前の特急で人身事故で止まっているんです・・」というやり取りがあちこちで見られ、案の定小生も一人の青年を追い返すはめになった。そのうち、一旦外に出た乗客がドタドタと一斉に車内に入ってきた。何と、岡山駅ホームのアナウンスはこの列車は「南風25号」ですと言っているという。我々南風23号の乗客は、「そんな訳はない」と譲らなかったが、急に車内アナウンスでは、「1分後に運転再開します」と言い、そのまま列車は溢れる乗客を乗せたまま発車してしまった。その後も車内アナウンスでは「遅れております南風23号」と言っていたが、JR西日本の乗務員は児島でJR四国の乗務員と交替してしまった。その後、宇多津などの途中駅からも「南風25号」の乗客が乗ってくるが、当然既得権で席に座っている「南風23号」の乗客とのトラブルは随所で発生した。頭にきた後方の乗客が車掌に詰め寄ったが、どうにもこうにも要領を得ない。車内改札を始めたので、小生も「いったい、この列車は23号なのか25号なのか、どっちなんだ!」と車掌に聞くと、平然と「25号です」と抜かした。周囲の乗客も「そんな説明は一切聞いていないぞ」と加勢してくれたが、車掌は「JR西日本の車掌からは何も引き継いでませんし・・」と言い、「もうすぐ駅に着きますので」とか言って逃げてしまった。幸い多度津あたりからは降車する乗客が多く、空席も出てきたので乗客同士のトラブルも起こらなかったが、結局車掌は小生のところに戻ってくることもなく、高知に到着した23時過ぎまで一切、「この列車は南風25号です」とのアナウンスや説明もなかった。(後で、帰宅後にネットで調べると、「人身事故で南風23号ほか特急が運休」となっていた・・)まあ、遅延の謝罪アナウンスはしていたし、座席が重複したお客様は高知駅でお申し出くださいと案内はしていたが、私のように本来の席に座れていた乗客は放置されたままであった。こんな乗客無視の対応があるのであろうか。既に乗客を乗せてしまっているのに、発車間際に23号はウヤにして25号にすり替えるなど、呆れてモノが言えないが、こちらも極度に疲れていたので、これ以上事を荒立てるようなまねはしなかった。本来であれば、23号の乗客は勝手に運休にされたのであるから特急券を払い戻してもらいたいくらいだが、説明責任すら放棄するとは、今の時代にあってはならないことである。恐らく、このような事態はJRの社内でも報告すらされていないのであろうし、何とも感じていないのであろう。全くJR西日本もJR四国も猛省をしてもらいたいものである。アップするのは、秋景色の中の「あしずり2号」と「あしずり3号」。いい加減、この車両も見飽きてきた・・(写真・文:TBlog_201110181

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2011年10月15日 (土)

EF5861のお召し列車

今月と来月、JR在来線でのお召し列車が運転される。公式行事の場合には政府刊行の官報に行程が掲載されるが、それに拠れば10月31日に鳥取駅から倉吉駅、11月13日に東京駅から甲府駅、翌14日に甲府駅から東京駅と載っている。

鳥取へは豊かな海つくり大会へのご出席によるものだが、鳥取県庁がホームページに出している発表資料に拠れば東京からの往復は「全日本空輸特別機」となっている。

むろん詳細な時刻や使用機種・車種・旗の有無などはわからないが、公式発表情報だけでも結構参考になる。

中央線といえば思い出すのが1999年の大月お召し。上り列車だけだったがEF5861が旗をたなびかせて走る姿は素晴らしかった。両毛線のお召しを撮れなかった私としてはフルムーンお召しを蒲須坂で撮って以来の旗付きロクイチお召しに感動した。

(写真・文:K.M)

1999年4月8日 9002列車 上野原にて

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2011年10月10日 (月)

岡多線お召し列車 本運転後の世紀の豪華列車

Uさんがアップされた岡多線でのお召し訓練運転に関連して。

この愛知植樹祭ほど(私の経験の中では)華やかなお召しはなかった。最初で最後のED62のお召し、EF5860+1号編成+EF5861という列車が2本走り、当然EF5861のお召しも2本、そして前代未聞のEF5861が1号編成を推進運転(新豊田→北野桝塚)するなど、当時の国鉄の様々な知恵と技術の結晶のような祭典だった。当然、本運転に至るまでの訓練運転、試運転は通常より入念に行われたことと思う。ただしこの頃は1号編成を使用しての試運転は通常行われず、訓練には旧型客車7両を使用することが多かった。

1979年5月26日、早朝にEF5860+1号編成+EF5861のプッシュプルの回9002列車を東海道本線の岡崎の矢作川鉄橋で撮り、EF5861のお召し列車は永覚で待ち受けた。

お召し列車は新豊田まで運転されたが、機回しが出来なかったためEF5861が1号編成を単独で推回9007列車として北野桝塚まで「押し込んで」いった。新豊田発が10:54で北野桝塚着が11:13だから、19分間も本線上を逆行したのは1号編成史上初ではなかったのかと思う。本来なら本番お召しが無事に終わってホッと出来る回送列車なのに、先頭の客車で誘導をする係員や、推進運転をするEF5861の機関士の方々の緊張は並大抵ではなかったことだろう。

私たちは永覚での撮影を終えてその日2回目のプッシュプルを撮るべく北野桝塚の鉄橋に赴いた。迎えに来たEF5860の単機が橋を渡り、推進で入ってきた列車の先頭につけられ、汽笛が2回聞こえたら橋上にEF5860牽引の回9007列車があらわれた。そして当然後部にはEF5861の姿があった。

一つだけ疑問なのが、なぜEF5860は新豊田まで迎えに行かなかったのか?そうすれば岡多線内の回送を「推進運転」しなくてもよかったのに。スジはお召しの続行運転すれば問題は無いはず。私が考え付くのは新豊田か、途中駅の線路の有効長の問題で7両運転が出来なかったのかと思っていたが、UさんのEF58+客車7両の訓練運転をみて、それが理由では無いようにも思えてきた。どなたかご存知の方が居たらご教示くだされば幸いです。

(写真・文:K.M)

1979年5月26日 回9007列車 北野桝塚にて

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2011年10月 9日 (日)

大井川鉄道 三重連

少し前に大井川鉄道での写真を出させていただいた。その後新金谷にターンテーブルが完成し、上り列車も正方向での運転が開始されたようで、昨日今日は記念の重連運転が行われている。

上りの正方向重連は初めての運転(?)でもあり、出動しようか考えたが多分ヘッドマークが付き、またイベントの時には混みそうなので見送った。新聞によればマークは付いていたし、上り重連も抜里では100人近くが集まったようで行かなくて正解だった。大井川鉄道の良いところは蒸機列車が日常当たり前の様に走り、のんびり煙を楽しめるところにあると思っている。

写真は2001年7月15日に運転された三重連。マークは付いてしまっているが先頭が宮古のラサ工業で現役時代に良く撮った、個人的に思い入れのあるC108でもあり福用のお立ち台で迎え撃った。

C56も国鉄仕様に戻っているので、お祭り騒ぎが落ち着いたあたりにフラっと行ってみようかとは思っている。

(写真・文:K.M)

2001年7月15日 C10+C11+C12 福用にて

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2011年10月 6日 (木)

岡多線のお召し列車試運転

この時期、K・M氏がなぜお召し列車の記事を記したか。いろいろと思うところがあるのだろう。われわれがまだ若い頃、春の植樹祭、夏の国体は天皇陛下がご臨席されるとあってお召し列車が走る可能性が高かった。そんな思い出もあって秋の国体が行われているこの時期、あの頃のことを思い出したのかもしれない。
で、私からもお召し列車に関するネタをアップしたい。

1979年5月の愛知植樹祭。このときはEF5861が本務、60が予備機として東海道本線、岡多線を走った。飯田線でもED62のお召し列車が走ったが、もちろんわれわれの最大の目的はEF58の牽く列車。
以前の記事にも掲載したように1号編成の前後にEF5860と61が付く、実に豪華な回送列車などもあって大いに盛り上がったが、実はそれ以前のお召し列車試運転も興味深いものがあった。
アップした画像は岡多線で行われた試運転列車だが、このときはこのように様々な客車を使用した。牽くのは米原機関区所属のEF58111。その頃、大窓のゴハチは名古屋鉄道管理局管内にはなく、その点については残念だったが、なかなか面白い編成だったのは間違いない。今にしてみれば沿線ではほとんどファンの姿もなく、のんびりしたムードで行われた試運転だったように記憶している。
この岡多線、今は愛知環状鉄道線となったが、2005年の愛知万博などで活用されたのは記憶に新しい。この写真はたしか北野桝塚という駅のあたりで撮影した。

(写真、文 U)

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2011年10月 2日 (日)

EF5861お召し列車 本運転前の情景

毎年5月と10月になると、なんとなく「お召し」を思い浮かべる。春の植樹祭、秋の国体ではかなりの頻度で全国でお召し列車が運転されていたので、一種の習性というものなのかもしれない。

お召しの綺麗な走行写真や形式写真も良いが、ちょっとした儀式や運転に係わる方々の動静などを記録するのも好きで、昨年のE655お召しの時には蘇我・茂原のホームに張り付いてみたりもしてみた。

そんな中、EF5861(ロクイチ)最後のお召し列車となった2001年3月28日のアルバムを見ていて、こんな写真を見つけた。

2001年3月は、個人的にも仕事の上で入社以来最も多忙な時期だった。なにしろ4日後には会社合併をひかえ、私はその合併事務局の実務の管理職として30分刻みのようなスケジュールを数ヶ月こなしていた。そのときに運転されたロクイチのお召し列車。当然撮影地に前もって乗り込むことも出来ず、当日は、あらゆる(合理的)対策を講じて数時間の空時間を捻出して出動した。

本列車は北鎌倉駅への進入と停まりを撮ることが出来、結果的にはロクイチお召し最後の瞬間を目の前でとらえられ、また旗付きロクイチと天皇陛下のツーショットもフィルムに収めることが出来た。

この写真は当日9:48に品川駅で撮ったもの。品川客車区で整備を終えた回9001列車は9:34に品川駅9番線に入線した。この入線を6番線先端から撮り、11番線に移動。9:40にロクイチの真横で行われた「点呼」の写真を撮り、さあ北鎌倉に行くための9:52発の東海道線に乗ろうかという間の10分弱、何気なく遠くのロクイチを眺めていて、お召しの3種の神器(?)である「旗、金の御召・区名札・乗務員札、列車時刻表」が揃って撮れる事に気づきシャッターを押した。背景が丁度入線してきた電車で灰色っぽくなって旗が引き立ち、キャブ内の暖かい電灯や乗務員の方のにこやかな表情など、お気に入りの1枚になっている。

このあとロクイチは後回9001として9:54に9番線を発車し東京駅に向かった。

(写真・文:K.M)

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