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2011年8月

2011年8月30日 (火)

「ことでんレトロ電車」特別運行(その2)

返しは2両編成ということだったし、残りの2両がいつ回送されるのか知らなかったが、琴平のホームで2両を切り離し、「仏生山」の行先札を掲げていたので、これは先に仏生山行きで来るなというヤマ勘が働き、急いで土器川の鉄橋に引き返した。6月26日の際に、TAさんから「こんぴらさん」のお社の屋根をバックにできるポジションを教えていただいたので、今回も同じポジションを捜してみたが、どうも様子がおかしい。どの位置に立ってもしっくりこないのである。丁度お社を入れるとその屋根の真下に鉄橋の向こう側の真っ白い家が写り込んでしまうのだ。しかも、壁だけでなく、屋根まで白いもんだから全く始末が悪い。どうやら、2ヶ月の間に最悪の位置に白く目立つ家が建ってしまったようだ。仕方なく別の角度のポジションで待っていると、案の定「仏生山行き」の先行列車が来て、本列車とともに同じ場所で2度撮影を楽しめた。それにしても、ことでんレトロ電車は保存状態も良く、動態保存車両というよりは現役そのものという風格だ。(武骨な姿やリベットなど渋すぎ・・)小生の父親は大正14年生まれで今年満86歳になるが、それとほぼ同等の車歴であることを考えれば本当に恐れ入るし、ことでんの関係者の方々のご尽力を思えば頭が下がる。そういえば、27日(土)は水上までのSLが二往復の日であったが、お仲間はどなたか行かれたのであろうか?さてさて、小生は、8月には夏休みがとれなかったので、今年の夏休みは9月3日から。単身赴任のオジサンには家族団欒が一番の安らぎだが、東京に帰ったら帰ったで、きっと朝からじっとしていられないのではないかと思う。ちょっとだけ国外脱出も計画しているが、台風の動向がとても気がかりだ。(写真・文:T

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            最早撮影できなくなった「こんぴらさんバック」のショット(2011.6.26撮影)

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2011年8月29日 (月)

「ことでんレトロ電車」特別運行

昨日は、夏休み最後の日曜日だったが、その昔小学生の時には、長かった夏休みが終わってしまうことと、溜めこんだ絵日記を仕上げなければならないことで、夏休み最後の日曜日というものが大嫌いだったものだ。南国土佐は、8月末でもまだまだ暑いものの、ふと気づくとあれだけ騒々しかったクマゼミの鳴き声も全くなくなり、また空気も湿気が薄れ、知らず知らずのうちに秋が近づいてきていることを感じさせます。さて、6月26日に、UさんやTAさんご一行様とご一緒に「ことでんレトロ電車」を撮ってから、一人で「サンライズ瀬戸」を2度撮りに行ったりして、何だかんだ琴平~高松近辺には出没していますが、8月の最終日曜日に「ことでんレトロ電車」が4両で特別運行されるということだったので、またまたひとっ走り行ってきてしまいました。とは言っても、白レンズは東京に置いてきてしまったので、今回もまたもや24-105ズームのみ。6月の時には短い2両編成だったし、前パンであることを知らず痛恨のパン切れという初歩的なミスをしてしまっていたので、今回はリベンジを図るべく、滝宮~羽床の同じ場所を目指した。余裕をもって家を朝8時過ぎに出たのであるが、それでも案の定早すぎ、10時過ぎには現地に着いてしまいました。前回この辺りはロケハン済で、滝宮の停車時間中に追いかけが可能であることも学習していたので、1発目は滝宮の手前で撮ってから、2発目を前回と同じ場所で狙おうと思っていたが、時間もあったので念のため現地のチェックに行くと、「ガガ~ン!」、線路脇の夏草が伸びたい放題伸びていて、足回りが全く隠れてしまうことが判明。一応車に鎌は積んでいたが、このクソ暑い中、草刈りで汗を流すことなど勘弁して欲しかったので、急遽2発目は方針変更し、隣の踏切のところでお茶を濁すことにしました。(この段階でテンション急低下↓)朝から気温が上がり、無防備に外で待っていると、熱中症が怖かったので、綾南のイオンで涼んで時間潰ししてから、いざ出陣。某氏もお立ち台通信でコメントされているが、この区間は結構民家や商業施設等が建て込んでおり、背景に建物を入れないようにするには、かなり苦労した。まあ4両だと格段に見栄えがするし、レンズも短いので開き直って普段は絶対に撮らない角度の写真に挑戦してみたが、やはり生煮えか。(写真で見るとなんかのんびり走っているようだが、結構なスピードでカッ飛んできた・・)すぐ追いかけて、2発目も一応目論見通りに仕留め、琴平の止まりの写真を撮りに琴平方向に向かっていたら、途中でレトロ電車に追いついてしまった。Uさんがおっしゃるように、下手な鉄砲を数撃つのは本意ではないが、間に合ってしまったら撮りたいのが人間の欲ばりなところで、土器川の鉄橋脇に間一髪滑り込み、3発目も順光で美味しく頂きました。ご一緒させて頂いた皆様お疲れさまでした・・続く。(写真・文:TBlog_20118291_2

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2011年8月28日 (日)

行先票「サボ」チャリティー

特に鉄道部品を集めているわけではないが、35年も鉄道趣味を続けていると、買い求めることはほとんどせずとも、色んな場面で手に入れる機会があった。

1970年代までは地方の駅の事務室の片隅に放置されているサボがあったりすると遠慮も無く「捨てるんだったらいただけませんか」などとお願いし、随分いただけたものだ。おそらく実家の倉庫には数十枚の行先票がまだあるはず。機関車のナンバープレートも懇意にさせていただいていた関係者から1枚、EF58の某番号のものをいただいたこともあり、これは今も手元で大切に飾ってある。

今般、新聞で東京駅で発見されたサボを震災復興の義捐金としてオークション販売するとの記事を見て先週のぞきに行ってきた。動輪の広場の一角で、かなりの数のサボが展示されていた。いつもなら買うことまではしないが、今回は全額義捐金に充当されるという趣旨から、入札に参加してみた。

無理な金額ではなく、もし何も対価(サボ)が無かったとしても寄付しても良いような金額を書いてみたところ、すんなり落札できてしまった。

写真の2枚であるがちょっとしたインテリア感覚で自室に飾ってみようかと思う。現物を引き取りに行った場所で係員のかたが持っていた落札価格表をちらっとみたが、皆さん概ね同じようなリーズナブルな価格帯での落札のように見えた。

(写真・文:K.M)

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2011年8月25日 (木)

EF8199逝く

某サイトの情報では、EF8199が廃車のため、秋田総合車両センターに入場したそうだ。EF81にご興味がない方にはどうでもよい話であろうし、ましてや、カシガマ塗装は好き嫌いが明確に分かれるところなので、更に興味がないという方もおられることと思う。小生は、どちらかと言えばニュートラルで、特に「カシオペア」や「北斗星」のヘッドマークを誇らしげに掲げて、寝台特急の先頭にたつ姿はむしろ好きであった。アップするのは、まだ現役バリバリの頃、20091018日の定点観測の記録。今思えば、最後に99号機にお目にかかったのは、本年18日の銅像山踏切で撮った安中貨物であったが、かつての寝台特急牽引機が薄汚れて貨物を牽く姿は、やや哀れな感じは否めなかった。田端のEF81も1機また1機と廃車になってゆくのが、何とも辛い今日この頃である。EF510がとっくに導入されているので、今まで生き延びている方が奇跡なのかもしれないが、「迂回あけぼの」の牽引がハチイチでなかったのも、何か近い将来の田端のハチイチの運命を明確に暗示しているような感じがしてならない。(写真・文:TBlog_2011825

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2011年8月22日 (月)

上野発 DE10牽引成田行き客レ

随分昔のお見苦しい写真にどっぷりタイムスリップしてしまって大変恐縮ですが、先日北浦和でPIKAさんと29683さまとお喋りしていた際に、PIKAさんが、「その昔、DLの牽引する常磐線の客レに乗ったような覚えがある。」とおっしゃられていました。私もかすかにそのようなものがあったように記憶がありましたので、また昔のネガを漁っておりましたら、辛うじてその証拠写真を発見しました。大変お粗末な写真ですが、上野9番線でDE1095牽引の我孫子経由成田行きの客レを撮っておりました。(記録がなく、撮影年月等は不明ですが、19739月に成田線の我孫子~成田間が電化され、DE10牽引の客レは消滅していることから、恐らくその直前の記録と思われます。別のコマには、客車の「千サク」の所属表示も写っておりました。実に今から38年前になります。)このあと、日暮里進入のコマもあるのですが、障害物だらけでさすがにご披露できる代物ではないので、ご勘弁ください。常磐線の客レといえば、EF80牽引が有名ですが、成田線から上野まで乗り入れていたDE10牽引の客レは確かに存在しておりましたネ。当時の上野界隈は、中央線沿線に住む一中学生にとっては、やや土地勘がない場所でしたが、それだけに次から次に色んな列車が現れ、本当に一日居ても飽きないパラダイスでした。Uさんと違い、当時小生は遠出して蒸気機関車を追いかけるほど熱心なマニアではなく、新宿や上野あたりをカメラを持ってチョロチョロしていた、ただの鉄道小僧でした。この年の10月にDD51842EF5861が牽引した千葉国体のお召列車を目の当たりにし、次第にどっぷりとこの世界に引き込まれて行くことになります。(写真・文:TImg067_2

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2011年8月19日 (金)

33年前の北浦和

Tさんが36年前に撮影された北浦和での写真、大変興味深く拝見しました。この年の暮れに国鉄の本線上からは蒸気機関車が消えるわけですが、この頃の自分はそれ以外の車両には全く興味がなく、電気機関車やディーゼル機関車などにフィルムを消費するなど考えたこともありませんでした。
その後、高校の同級生に触発されてEF57などを撮影するようになったのは翌年の8月からで、EFの10番台や50番台などの当時は旧型電機といわれる車両を中心に徐々に深みにはまり、折からのブルトレブームもあって休日はほぼ毎日のように線路際に立つようになります。

この写真は昭和53年の1月に北浦和のホームで撮ったもの。当時はすでにEF57も引退してしまったため、東海道本線や山の手貨物線を中心に撮っていて、東北線などへ行く機会は激減していたが、首都圏では珍しい積雪があったために「あけぼの」でも撮ろうとウロついたのだと記憶している。もっとも、本来の狙いは大宮機関区。今では跡形もなくなってしまったが、このころは高崎第2、新鶴見、八王子、宇都宮などの機関車(大宮自体には電気機関車の配置はなかった)がたむろしていて、1両でも多くの機関車を撮ろうとしていた自分には好ポイントだった。
これはその時の「行きがけの駄賃」。ホームに立っている人も気にせず、漫然と撮影した写真をアップするのはお恥ずかしいが、それから30年後にこの写真に写っているLaox前に足繁く通うことになるなど思いもよらなかった。線路際の柵はまだ低いものだし、今は地下道になっているが、線路の東西は歩道橋によって結ばれていた。当然、いつも利用しているコインパーキングなどはなく、その場所には当時でも珍しくなっていたであろう旧型のクラウンが止まっている。
ネガを見ると北浦和で撮ったのはこの1カットのみ。本当は大宮のホームで撮りたかったのだろうが、雪による遅れなどで列車が何時に来るか分からず、とりあえず電車を降りてみたのが北浦和であったのだろう。ノーカットで掲載する。

(写真、文 U)

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2011年8月17日 (水)

36年前の北浦和

先日、連日朝練で北浦和詣でをして、Pさまや29683さまとおしゃべりしていた時に、大昔の北浦和界隈の話で盛り上がっておりましたが、たまたま昔のネガを漁っておりましたら、36年前(昭和501月)の北浦和で撮影したEF57の画像が出てきました。撮った本人も殆ど記憶がないのですが、夕方のEF579牽引の125レを北浦和のホームから撮ったようです。(並走する103系も今や懐かしいです)ネガを見る限りその日は、EF579牽引の「八甲田」を鶯谷で撮ったあと、EF566の牽引する荷41レを間々田まで追っかけたようで、恐らく某I氏と一緒に行ったものと思われます。(あまり昔の下手糞写真を披露するのは本意ではないのですが、北浦和を疾走するEF579と間々田に進入するEF566の荷41レの写真をアップします)ちなみに、当時は、高校の近くの西日暮里や鶯谷近辺で、時々EF57や行き交う特急電車などを撮っていた程度なのですが、今から思えば何でもっと真面目に撮っていなかったのかと悔やまれます。ところで、高校と言えば、先日尾久界隈で8009レを待っていた時に、自転車に乗ったある高校生から「何か来るんですか?」と聞かれた。「特別な列車じゃないけど、カシオペアがもうすぐ来るよ」と答えたが、ふと自転車の籠を見ると我が母校の校章のついた鞄が入っており、「○○なんだ?」と聞くと、彼は照れ臭そうに笑った。「僕も卒業生だよ」と言うと、俄かには信じられない様子であったが、運動会の練習で飛鳥山まで走ってきた話をすると、本当の卒業生だと悟ったようで、「じゃあ、ヒガジュウで撮ってきます」と満面の笑みで自転車を急がせて行った。何だか36年前の昔の自分の姿と重なるような出来事だった。彼にはこれからどのような人生が待っているのか知る由もないが、是非とも鉄道の趣味だけは末永く続けてもらいたいものだ。(写真・文:TImg065

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2011年8月14日 (日)

「あけぼの」にロクヨン復帰

3日間にわたって迂回運転を行った「あけぼの」も上越線が無事復旧したことで終了し、本来のロクヨン牽引に今朝から戻った。4時過ぎに起床して念のためネットをチェックしていると「上越線内で土砂流入」とか「運転見合わせ」の文字が・・昨晩のうちに運転は再開したようであったが、そもそも上り「あけぼの」は遅延しているようでもあり、これはまた上野口もかなり遅延して到着するのではないかと推測した。5時過ぎまで家を出るのを待っていたが、目撃情報によるとどうも定刻で上っているらしく、慌てて家を出て、迷わず4日連続となる北浦和に向かった。既にPさん29683さまは能登を撮影済でスタンバイ済であったが、4日連続となるとこちらも登場するのが何か恥ずかしい。いつものように楽しくおしゃべりしているうちにあっと言う間に定時になって前方にロクヨンのライトが確認できたが、下りの接近灯も点灯して、3人とも「やばい」雰囲気を察知。慌ててズームを伸ばして構図を急遽変更し、遥か先のストレートに照準を定めたが、既に真横を231系が轟音をたてて通り過ぎる音がして、無念にも被ってしまった。アップするのは、被り前のラストのコマ。トリミングして誤魔化しているが、このストレートの構図も悪くはないと思うのは私だけ?(実際、1051号機のいつもの構図は何度も撮っているし・・と、負け惜しみタラタラ)実は、猛暑の中、昨日の8009レにも某所に出撃したが、こちらもあえなく被りの結果に終わり、最近はどうもツイテいない。明日から仕事なので、大人しく午後の便で高知に戻りま~す。Pさん、29683さま、連日お疲れ様でした。(写真・文:TBlog_2011814

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2011年8月13日 (土)

DE10重連の迂回あけぼの

ここ数日間は北上線を迂回するあけぼのの話題で盛り上がっていたようだ。少し前、蒸気機関車にヘッドマークが付くのは個人的には好きではないと書いたが、このあけぼの迂回にあたっての私の好みはまさに正反対で、付かないと意味が無いと考えていたので出動はしなかった。

もし付いていたら当然北上線にフル出動していたろうし、EF510のマーク付きとどっちを選ぶか悩んだと思う。

迂回あけぼのは、陸羽東線時代にかなり通った。1993年は5月から7月にかけて6週間連続で東京から新庄に週末行ったほど。デジカメのない当時、5時前に新庄に付く下り列車の走行写真を撮れる場所はかなり限られていたし、相当の増感をしてもなお露出不足気味の作例しか残せていないのは残念である。

(写真・文:K.M)

1993年夏 南新庄にて

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「迂回あけぼの」第3日目

昨日(2日目)は、TAさんと5時半過ぎに北浦和に一番乗りし、Pさんともお目にかかったが、やはり未明の地震の影響でどうやら大幅遅れは避けられない状況であった。しかも、どう見積もっても1日目よりもさらに遅延し、上野到着は午後になることが容易に想定されたので、TAさんには申し訳なかったが、迷わず撤収することにした。TAさんは予め送られておいた脚立を大阪に送り返さなくてはならず、Pさんに教えて頂いた浦和の本局に寄り、さらに蕨のSカーブ界隈を偵察してみたが「来るまで待つぞ」という気合の入った方々も何名かお見かけした。TAさんとは蕨でお別れし、小生は自宅に戻ってワンコとお昼寝をしてしまった。どうやら13時過ぎにやっと上ってきたようであったが、外に出るのも嫌になるような猛暑であったので、完全にパスし、第3日目に賭けることにした。そして迎えた3日目(本日)も迷わず北浦和を目指し、文字通り三度目の正直に挑んだ。幸い天候もマイルドな朝陽であり、Pさんや29683さま達とのんびり待ったが、今日は続々と定時通過の目撃情報も入ってきて安心して「迂回あけぼの」を迎え撃つことができた。やはり、ヘッドマークがないのは非常に残念であったが、三度目の正直は成就できたので、満足して8時前に自宅に戻った。しかし、世の中高速道路はどこもお盆の大渋滞のようなので、昼間は家でおとなしくしていた方が良さそうだ。今朝は小澤征爾指揮のチャイコフスキー弦楽セレナーデを聞きながら優雅に朝食。朝練後に自宅でのんびり過ごすのは単身赴任者には格別な贅沢だ。アップするのは今朝の北浦和での収獲。Pさん、そしてご一緒させて頂いた皆様お疲れ様でした。(写真・文:TBlog_20118131_2

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2011年8月12日 (金)

ワシクリのおまけシリーズ

811日の猛暑のワシクリでは、貨物のダイヤが滅茶苦茶乱れていたことで、普段この時間帯ではお目にかかれないものまで次から次にワンサカ来て、飽きることはなかった。(金太郎に桃太郎にロクヨン・ゴトーとまさにオンパレード!余計なサメが来なかったのも嬉しい。)特にEH500はパンタの位置によって印象がかなり違って見えるのも面白い。普段なかなかブログに登場できない貨物クンたちにも偶には登場してもらうことにします。ただただ、猛暑の中、付き合って頂いたTAさんには申し訳なかったです。(写真・文:TBlog_20118121

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2011年8月11日 (木)

「迂回あけぼの」第1日目

昨日高知から久しぶりに戻ってきたが、今回ものんびり家でゴロゴロしている訳には行かなくなった。お仲間の皆さまから「迂回あけぼの」に関するメールがあれやこれや入り、わざわざTAさんはこの為に上京までされたのだが、小生はそもそもEF81牽引を期待していただけに、EF510牽引でしかも看板も付きそうもないということでダブルにテンションが下がったまま朝を迎えた。時間帯を考えると順光側は京浜東北と被るリスクが高すぎるので、TAさんには申し訳ないが、北浦和で撮ることに決めた。4時半過ぎに現地に到着するが、当然のことながら先客はなし。6時前にPさんと久しぶりに再会し、途中の目撃情報を探していると、某I氏が登場。どうやらお仕事のようだ。そうこうしているうちに、どうも雀宮抑止という情報が入ってきたことで事態は急転、前回の悪夢(623日のブログをご参照)が頭をよぎり今日も10時半過ぎまでは来ないであろうと悟った。そもそも7時前でも十分にジリジリと暑いのに、10時半ともなれば線路上は灼熱地獄で陽炎がメラメラになるのは容易に想像できたので、残念ではあるが北浦和は諦め、超望を使うことのないワシクリに移動することにした。(某I氏は、結局その場に残られた)8時頃に到着した段階で、既に先客の皆さま方は思い思いのポジションを確保され、猛暑に耐えておられていたが、幸いいつものポイントは場所をゲットできたので、架線柱は入るが妥協することにした。(少なくともここは絶対に被る心配はない)。「カシオペア」「北斗星」と定通し、某I氏からも正確な時刻の情報を頂戴したので、ワシクリの通過時刻も容易に推測できた。それにしても、待っている間何と暑かったことか。結局「北斗星」の1時間後に509号機に牽引された「迂回あけぼの」は目の前を通過して行ったが、看板はなく寂しい結果だった。一度自宅に帰ろうかと思っていたが、時間も中途半端になってしまったので、TAさんと初めて鉄道博物館に行き時間調整をすることにした。初めて訪れた鉄道博物館は、なかなか見ごたえがあった。しかも、自分達が生きてきた昭和の時代の車両が多く、十分に懐かしい想いに浸ることができた。その後雷雨の首都高を走りながら、8009レ下り「カシオペア」を狙いに尾久界隈をロケハンし、以前から1度撮ってみたかったスカイツリーバックの構図にトライできた。終日、37度とか38度とかの超激猛暑の1日であったが、TAさんのお蔭様でなかなか充実した日とすることができた。TAさん、また猛暑の中ご一緒させて頂いた皆さま方お疲れ様でした。(写真・文:T

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2011年8月 8日 (月)

「あけぼの」迂回運転

このところファンが集まれば「あけぼの」の迂回運転の話題でもちきり。大雨で運休中の「あけぼの」が8月10、11、12日(発駅基準)に北上線経由で運転するというもの。この話はすでに秋田や酒田の駅では掲示されているようでかなりの人が知っている事実。最近ではJR東日本のHPなどにもあるらしい。
北上線内はDE10の重連のようだが、同線内の通過は深夜、早朝で撮影地も限られるから、DE10好きや現地に近い人ならともかく、首都圏から足を伸ばすにはちょっとした決断は必要だろう。反面、上野口では今の時期なら日の出も早いし、宇都宮以南なら撮影も容易だ。では、この区間の牽引機となると当然、予想されるのは田端のEF81か510。
81は以前も実際、「あけぼの」を牽いていたから、それほどの注目度ではないかもしれないが、510となれば話は別。今回が初の「あけぼの」牽引となり、殊にカシオペア塗装機となると、さらに注目度は上がる。
果たしてどうなるか興味津々ではあるがヘッドマークの有無も大いなる関心を呼びそう。マークが付けばラッキーなのだろうが…。

(合成写真、文 U)

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2011年8月 7日 (日)

「サンライズ瀬戸」朝練(その2)

皆様、ご無沙汰でございます。この1か月は会社のキャンペーン期間中で土・日・祝日も出勤のことが多く、全くカメラを手にすることすらできないでおりました。やっと土日が自由になったものの外に出れば、ここは南国土佐、昼間に鉄ちゃんなど無謀ですので、今朝は朝5時に家を出てひとっ走り高松まで行って参りました。目的は、先月に場所のチェックだけしておいた鬼無~香西の有名撮影地で「サンライズ瀬戸」を仕留めることです。そう言えば先週、会社の営業拠点を回るために田舎道をナビに任せて運転していると、ネズミ取りに捕まってしまいました。制限40キロの片側1車線で見通しがよく交差点もないので当り前のようにスピードが出てしまう場所で何とレーダーで取り締まりをやっていて18キロオーバーだと・・そもそも40キロにしておく理由もないようなところで、正に税金稼ぎのためにトラップを仕掛けるとは、不愉快極まりない。世の中悪い奴がいっぱい居るのだから、捕まえる相手が違うだろうと思ってやまないが、こんなこと1件で次回更新時にゴールド免許でなくなるのは痛過ぎる。ということで、今日は制限+10キロ以内を保ち、超安全運転で走ったが、前回ロケハンを済ませていたので、効率よく朝方の貨物2本も八十場でやっつけて10時半には家に戻って来れた。さて、休日出勤で貯まった代休を使って、10日から久しぶりに自宅に帰りますが、大雨の影響で「あけぼの」は暫く運休のようで、自宅ではのんびりした朝を過ごすことができそうです。高知は同じ時期よさこい一色ですが、今年は完全にパスです・・(写真・文:TBlog_2011871

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2011年8月 3日 (水)

下関のEF65P牽引旧型客車回送

7月29日から8月1日までの間の帰宅中は新潟県地方の大雨の影響で「あけぼの」は運休。したがって鉄道撮影には一度も出掛けなかったから朝もゆっくりと寝ることができ、それはそれで良い骨休めとなった。久しぶりに本棚から蒸気機関車の写真集や、鉄道撮影から遠ざかっていた間の月刊誌のバックナンバーなどを取り出して読むことができた。
本当はK・M氏のように古いネガのスキャンにも時間を割かなくてはいけないのだが、同氏が言うようにネガのスキャンはやる気になったときに一気にやらなければ気分が萎えてしまう。まさにその通りで今回の帰宅中は遂に「やる気」が出ずとうとう1枚もスキャンできなかったが、この作業にもそろそろ力を傾けなければならないだろう。

今回アップするのは1977年9月、蒲田で撮影した旧型客車(ただし塗装は全てブルーだったように記憶している)9両の回送を牽く当時下関運転所所属のEF65502。
このころ下関にはEF65500番台のうち501~503の3両が在籍していて定期運用を持たず、東京機関区のP型が台検に入る際などにブルトレ牽引に当たっていた。
本当ならこの回送運用、同じ下関に在籍していた4両のEF58のうちのいずれかが充当されても不思議ではないのだが、ゴハチは他の仕業で空きがなかったのか、このEF65502に上りの別の仕業があり、帰りのこの運用に当てるのにちょうど良かったのか、今となっては分からない。
ともあれこの当時はひじょうに珍しいケースでふだんはEF65Pなど、あまり撮りに行くことはなかった自分も近場とは言えノコノコ出て行ったのだった。

(写真、文 U)

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