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2011年7月26日 (火)

五稜郭の3つ目DD51

23、24日と山陰本線にDD51重連の牽く12系×5を撮影に行ったことは昨日の記事で述べたが、振り返ってみると重連とは言えDD51の客車列車にわざわざ時間と金を費やして出向くことになろうとは、以前はさほど考えもしなかった。実際、EF58などがまだ走っていた1980年代は東京周辺でも佐倉や高崎のDD51が貨物列車や臨時列車などを牽き、総武線や八高線などを走っていたし、ちょっと足を伸ばせば磐越東西線などもDD51の天下だった。何しろ「レイルマガジン」などは創刊号で磐越東線を走る同機の3重連を特集していたくらいだ。
それが客車列車や貨物列車が減っていくにつれどんどん姿を消し、今となっては東日本大震災復旧支援のオイル輸送貨物列車にアリが群がるがごとくファンが殺到する状況に時代は変わった。

前言を翻すようでお恥ずかしいが、かく言う自分も福岡での3年に渡る勤務から帰ると磐越東線、西線に足を運び、ずいぶんDD51を撮影したことを吐露する。この機関車、EF58やDF50を撮っていた頃から嫌いではなく、耐寒装備機などにはむしろ好感さえ抱いていた。DF50がなくなっても山陰本線には「出雲」を、鉄道撮影の機会が減ってからでも北海道へスキーに行くと「北斗星」を撮っていたことはその証しといえる。模型でもプラスチック製ではあるが、良くできているカトーのものを3台所有している。
そういう意味で今、ファンが常紋の貨物や磐越西線で行われた復旧輸送に集中する気持ちは大いに理解できる。

今回アップするのは1984年7月、結婚して約1年後にようやく出掛けた新婚旅行先の北海道で立ち寄った五稜郭機関区での撮影。この日は朝、飛行機で函館に着きトラピスト、トラピスチヌの両修道院および市内観光を終え、妻に車で待っていてもらっている間に撮ったもの。結婚前ほど鉄道撮影には力を注いでいなかったが、この3つ目のDD51はぜひ撮影しておきたかった。その後、「ニセコ」「大雪」など、DD51が活躍する道内の列車もおさえたが、当時からこの機関車に興味があったことの証しとしてここに掲載する。

(写真、文 U)

Dd51742_2


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