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2011年7月25日 (月)

米子機関区のD51とC57

23、24日と1泊で山陰本線にDD51重連の牽く試運転列車を撮影に行って来た。一昨年、大阪に転勤して来て知己を得たH氏の車に乗せていただき、約20年ぶりに同線を撮る機会に恵まれた。蒸気機関車の現役時代から山陰本線には何回か訪れたが、SL引退後も京都口にはDD54が活躍していたし、DF50はほぼ全線に渡って客貨を牽引していた。特にスノープローを装着したDF50の500番台は最後まで下関口に残り、EF58の撮影時などに撮るチャンスがあった。
前回、行ったのは92年6月。福岡に転勤する際、R32のGTRで長野から日本海側に出て金沢や福井を経由、鳥取に1泊、今回も試運転列車を撮った泊~松崎で「出雲」を撮影、浜田まで南下し中国道を経て関門海峡を渡り福岡へ着任した。

それ以前は鳥取の高校総体で出張した際に「出雲」撮影、「わかとり国体」のお召し列車撮影、K・M氏との「出雲」撮影行、出張ついでの客車急行「だいせん」撮影など、数えてみれば何だかだと足を運んでいる。

今回、アップするのは1973年1月に米子機関区で撮影した貨物の雄D51と旅客用の華C57のツーショット。すでに京都~米子(ただし伯耆大山~米子間は伯備線のD51が、倉吉~米子には倉吉線のC11が走っていた)は無煙化が完了しDD51がかなり幅をきかせていたが、米子以西はまだまだD51、C57ががんばっていた。
この時の撮影旅行は1月3日に「あさかぜ」で宇部下車。宇部小野田線に入りC58を撮影し厚狭機関区を見学後、美祢線で長門市に到着。ここでも機関区を見てD51803の牽く列車で浜田に入り1泊。その翌日にこの米子機関区を見学した。
この後、伯備線で新見に向かい機関区見学後、和歌山の親戚宅へたどり着いた。
今考えれば1月の山陰は雪が積もっていても不思議ではないのに、そんなことには全然頓着せず、無防備なかっこうで旅行に出たのはまさに「怖いもの知らず」としか言いようがない。

(写真、文 U)

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コメント

D51803の牽引客車で浜田にむかわれたとの事。その時のD51803の画像はありませんか??
もしあればアップしていただきたいのですが・・・
なぜなら自分はD51803のナンバープレートを所持いたしており、とても親近感があります。

投稿: 乗客専務 | 2012年1月22日 (日) 01時43分

「乗客専務」さま、コメントありがとうございました。
当時はもはや蒸気機関車の牽く旅客列車が減り、撮影一辺倒だった自分はなかなかSL列車に乗る機会はありませんでしたが、
このときは偶然にも乗る事が出来ました。ただし長門市発が日没近く、中学生だった私はせっかく乗ったにも関わらず、停車中の
姿を撮っておりません。浜田に遅くなって到着し、翌早朝に浜田機関区で撮影したカットがありますので後日アップします。
自宅をリフォーム中でスキャナーが荷物に埋もれて使用できず、今しばらくお時間を下さい。
ナンバープレートをお持ちとか。うらやましいです。

投稿: U | 2012年1月24日 (火) 18時38分

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