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2011年7月

2011年7月29日 (金)

続・手宮を訪問

手宮線は昭和60年にその役目を終え廃止となったが、晩年の活躍した機関車といえばこの2両だろうか。

昭和48年に廃車となるまで永らく小樽築港区のマスコット的存在として、入替仕業と手宮線仕業を持っていた。手宮といえばこのC126の印象が強い。

C126

DD1617はC126の代替として昭和48年に製造され小樽築港区に配備されたが、JRに引き継がれることなく昭和61年に廃車。やはり手宮線に仕業を持ち、廃線まで毎日この区間を行き来した。
北海道鉄道記念館当時、保存されていたC623を小樽築港まで復活整備のために牽引した機関車はこの僚機DD1630。時に昭和61年10月6日のことであった。200万円を掛けて手宮線を復線して、DD1630+C623+ヨ6146の3両編成の列車は時速15キロでゆっくりと手宮線のレールを走り、小樽運転区(小樽築港区)扇形庫に到着した。

Dd1617

そんないきさつも回想しながら、これらの機関車や他の車両達をみていると、良き時代に有り難く感謝してしまう今日このごろであった。

写真・文 T.A.

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2011年7月28日 (木)

陸羽東線川渡駅で

1973年4月、中学の同級生と行った陸羽東線の川渡駅での撮影。
上野発の夜行列車(もう列車名すら覚えてない)で早朝、新庄に到着し機関区に待機する小牛田行き1790列車牽引を前に待機するC58187、C58122を撮影、普通列車で川渡に先行し撮影した。重連の貨物列車だったが次位機の122号機を撮りたくて給水、石炭の積み込みを行うためにいったん切り離されるここを選んだ。
ずいぶんと長い間、停車していたように思うが新庄に向かう228号機牽引の下り貨物もこの時間、停車していたから一度に3両のC58をじっくり撮ることができた。
陸羽東線は19、50など、古くから東北にゆかりの深いC58が活躍していたが、この頃になると他から転入してきたC58が取って代わり、東北に縁のあるのは山田線で活躍した356号機だけになっていた。
187号機は津山から、122号機は小郡から、228号機は敦賀第1から小牛田に転入した、いわゆる外様の機関車だった。

この122号機、煙室扉ハンドルが広島工場特有のものでナンバープレートが普通のものよりも少々大きい。前年に小郡で入れ替え中の姿を「さくら」車中から撮って気になっていたカマだ。

この撮影旅行のすぐ後、奥羽線で土砂崩れが発生。「あけぼの」や急行「男鹿」などが陸羽東線を迂回した話は今でも語り継がれているからご存知の方も多いと思う。

(写真、文 U)

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2011年7月26日 (火)

手宮を訪問

先週の連休は、かねてからファンでもあるアーティストのツアー千秋楽が札幌であることもあり、便乗してDD51ブルトレなどを夏のスカッとした北海道の光線で仕留めようと企て、土曜朝伊丹から空の人となり、一路千歳に。

ライブ終了後は雨の中、すすきの「だるま」にて生ジンギスカンを堪能。翌日は早朝出動の予定がまたもや雨天。仕方なく小樽方面へ車を走らせ、C62の後の町の様子を散策。

小樽倉庫街の山手は、C623復活の頃はまだ寿司店が並んでいたくらいなのが、一転して土産物店や有名な地元洋菓子店が建ち並び、これにはびっくり。ちょっとがっかりしながら、手宮方面に移動して、以前そのC623が保存されていた鉄道記念館(現 小樽市博物館)へ。

ここには開拓使時代の静号や大勝号をはじめとして、北海道にゆかりのある車両達が静かに保存されている。入場券も硬券であり、日付も自ら懐かしい刻印機に通して入場する。

静かな構内で、ぐっときたのがこの2両。「北海」は函館から小樽経由札幌まで走っていた唯一の80系特急。また、C5550は旭川から稚内まで、C551他の仲間と共に宗谷線で走っていた。何か急にタイムスリップしたように感覚になった、手宮訪問であった。

写真・文  T.A.

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C5550

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五稜郭の3つ目DD51

23、24日と山陰本線にDD51重連の牽く12系×5を撮影に行ったことは昨日の記事で述べたが、振り返ってみると重連とは言えDD51の客車列車にわざわざ時間と金を費やして出向くことになろうとは、以前はさほど考えもしなかった。実際、EF58などがまだ走っていた1980年代は東京周辺でも佐倉や高崎のDD51が貨物列車や臨時列車などを牽き、総武線や八高線などを走っていたし、ちょっと足を伸ばせば磐越東西線などもDD51の天下だった。何しろ「レイルマガジン」などは創刊号で磐越東線を走る同機の3重連を特集していたくらいだ。
それが客車列車や貨物列車が減っていくにつれどんどん姿を消し、今となっては東日本大震災復旧支援のオイル輸送貨物列車にアリが群がるがごとくファンが殺到する状況に時代は変わった。

前言を翻すようでお恥ずかしいが、かく言う自分も福岡での3年に渡る勤務から帰ると磐越東線、西線に足を運び、ずいぶんDD51を撮影したことを吐露する。この機関車、EF58やDF50を撮っていた頃から嫌いではなく、耐寒装備機などにはむしろ好感さえ抱いていた。DF50がなくなっても山陰本線には「出雲」を、鉄道撮影の機会が減ってからでも北海道へスキーに行くと「北斗星」を撮っていたことはその証しといえる。模型でもプラスチック製ではあるが、良くできているカトーのものを3台所有している。
そういう意味で今、ファンが常紋の貨物や磐越西線で行われた復旧輸送に集中する気持ちは大いに理解できる。

今回アップするのは1984年7月、結婚して約1年後にようやく出掛けた新婚旅行先の北海道で立ち寄った五稜郭機関区での撮影。この日は朝、飛行機で函館に着きトラピスト、トラピスチヌの両修道院および市内観光を終え、妻に車で待っていてもらっている間に撮ったもの。結婚前ほど鉄道撮影には力を注いでいなかったが、この3つ目のDD51はぜひ撮影しておきたかった。その後、「ニセコ」「大雪」など、DD51が活躍する道内の列車もおさえたが、当時からこの機関車に興味があったことの証しとしてここに掲載する。

(写真、文 U)

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2011年7月25日 (月)

米子機関区のD51とC57

23、24日と1泊で山陰本線にDD51重連の牽く試運転列車を撮影に行って来た。一昨年、大阪に転勤して来て知己を得たH氏の車に乗せていただき、約20年ぶりに同線を撮る機会に恵まれた。蒸気機関車の現役時代から山陰本線には何回か訪れたが、SL引退後も京都口にはDD54が活躍していたし、DF50はほぼ全線に渡って客貨を牽引していた。特にスノープローを装着したDF50の500番台は最後まで下関口に残り、EF58の撮影時などに撮るチャンスがあった。
前回、行ったのは92年6月。福岡に転勤する際、R32のGTRで長野から日本海側に出て金沢や福井を経由、鳥取に1泊、今回も試運転列車を撮った泊~松崎で「出雲」を撮影、浜田まで南下し中国道を経て関門海峡を渡り福岡へ着任した。

それ以前は鳥取の高校総体で出張した際に「出雲」撮影、「わかとり国体」のお召し列車撮影、K・M氏との「出雲」撮影行、出張ついでの客車急行「だいせん」撮影など、数えてみれば何だかだと足を運んでいる。

今回、アップするのは1973年1月に米子機関区で撮影した貨物の雄D51と旅客用の華C57のツーショット。すでに京都~米子(ただし伯耆大山~米子間は伯備線のD51が、倉吉~米子には倉吉線のC11が走っていた)は無煙化が完了しDD51がかなり幅をきかせていたが、米子以西はまだまだD51、C57ががんばっていた。
この時の撮影旅行は1月3日に「あさかぜ」で宇部下車。宇部小野田線に入りC58を撮影し厚狭機関区を見学後、美祢線で長門市に到着。ここでも機関区を見てD51803の牽く列車で浜田に入り1泊。その翌日にこの米子機関区を見学した。
この後、伯備線で新見に向かい機関区見学後、和歌山の親戚宅へたどり着いた。
今考えれば1月の山陰は雪が積もっていても不思議ではないのに、そんなことには全然頓着せず、無防備なかっこうで旅行に出たのはまさに「怖いもの知らず」としか言いようがない。

(写真、文 U)

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2011年7月19日 (火)

「かもめ」装飾のD51940

どうやらいただいたコメントでY・Mさんも〝朝練〟をやっていることが判明した。判明したからには今後はわれわれとも、たまにはご一緒することを覚悟していただこうと思う。環八あるいは環七を少々南下すればY・Mさんをご自宅に迎えに行っても、さしたるロスにはならないのでご遠慮なく。ただし長ダマ中心の場所が多くなるのはご承知下さいね。それと海外の蒸気機関車については全く無知ですから、その話題にはついて行けませんのでご容赦下さい。

で、今回は前々回の記事で触れた奈良のデフレクタ装飾機のうち、「かもめ」を付けた940号機をアップする。
1973年1月6日に関西本線・伊賀上野駅で自分の乗っていたディーゼルカーから撮影したもの。この日は柘植に行って信楽からの貨物列車の最後部に付く亀山のC58を撮りに和歌山の親戚宅を出発した。前述のように当時はこのような一風変わった機関車を見るとラッキーに思い、途中下車しようかとも思ったがC58に間に合わなくなるとまずいと、気動車の窓からカメラを向けるにとどめた。
思えば奈良のこれら4両のD51のうち、保存されたのは「月と鹿」の882号機1両のみ。同機は大阪府茨木市に保存されているから、週末を大阪で過ごす際に一度見に行ってみようかと覆う。

(写真、文  U)D51940

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EF5865の50系新製試運転 1978年2月28日

Uさんと最初に出会った瞬間は今でも鮮明に覚えている。おっしゃるとおり1978年2月28日(火)、東北本線でのことである。

高校3年の春休み、あと1ヶ月で大学に通い始めるという時期、臨時列車を中心に追いかけていた私は富士重工で製造された50系客車の本線試運転を撮りに東北線に向かった。当時は旧型客車の置き換え用に大量の50系客車が製造されていた。その赤い車体は当時の標準色の概念を吹き飛ばす鮮烈なものだった。新製された客車は本線試運転を経て全国へ回送され第一線に送り込まれていった。その試運転や回送の任には当時当然のようにEF58が充当され、東海道スジではロクイチ(EF5861)も何回か充当されたのは有名な話である。

底冷えのする2月の最終日、東北線らしい場所ということで岡本ー宝積寺の鉄橋に早めに向かった。一人で待っているところにNさん、Tさんらの知人数人が来られ、その中の一人がUさんだった。

定刻どおりEF5865に牽かれた50系11両を撮ることが出来た。それがこの写真。当時の手帳を紐解くとEF5865運用の詳細は次のようになっていた。

宇都宮臨試351運用、9:31に単9855で鶴田に向けて発車。9:40に鶴田に着いて50系11両を受け取ってから10:42に回9586列車として宇都宮へ。宇都宮を試9557列車として10:56に出て黒磯に13:22着。入れ替え後試9556列車は黒磯を13:27に出て14:46に宇都宮に着くという行程。

撮影後、一緒に上りを撮ろうとお誘いいただき、バスで移動し昼食後に氏家の撮影地に皆で向かった。広々とした田園で寒風の中撮影し帰路に就いた。

この50系編成はこの夜回8104列車で上野に向かい、回1943列車で品川に。翌3月1日の回8113列車で九州の飯塚まで回送されていった。

Uさんとはこの日以降、沿線で何度かお会いするうちに親交を深めさせていただくこととなった。あれから33年余、今もって事前の連絡無しにでも線路端でお会いできることは大変幸せなことと実感している。

(写真・文:K.M)

1978年2月28日 試9557列車 宝積寺にて

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2011年7月18日 (月)

西鉄甘木線

昨日、「あけぼの」を撮りに行くっtら、そこには何とK・M氏のお姿。
7月2日の上越線でのSL重連の際に久しぶりに水上でお会いして、翌3日もやはりSL重連でお会いした。その際に蒸気機関車だけでなくブルートレインなどの撮影にもお誘いしたのだが、その〝効果〟が実ったのかいよいよ〝朝練〟にデビューされた。
彼とは1978年2月28日に東北本線の岡本~宝積寺でお会いして以来、実に33年以上ののお付き合いだ。EF58を介して親交が始まったが、大学時代はお召し列車、社会人になっても、山陰本線で「出雲」などを撮るなどの撮影旅行行ったりもした。また、当時人気の高かったアサヒペンタックス6×7などは、彼と一緒に新宿のカメラ店で購入、そのまま撮影に行ったという忘れられない記憶もある。
その後彼も私同様、転勤が多く国内外に赴任され交流が途絶えた時期もあったが、最近になってK氏のご尽力で昔の仲間が集まり旧交を温めるようになった。一時期、彼は旅客機に、私は鉄道模型に傾注し鉄道撮影から疎遠になったが、こうして一緒にブログをやり始め、昔の情熱がよみがえる兆しが見え始め、このブログがそんなお仲間たちを鉄道撮影に回帰させる効果があるとしたら大変喜ばしく思う。

あとは模型や海外蒸機に力を注いでいるY・M氏などが〝朝練〟、ブルトレ撮影などに本格復帰されればと待ち望んでいる次第。
ぜひ、お待ちしています!

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さて今回は1985年(だったかな?)に義父の赴任している福岡へ行った際に、車を借りて撮影に行った西鉄甘木線の車両。
私鉄に関して知識など全くない自分だが、国鉄のキハ07気動車を縮めてパンタグラフを付けたようなこの電車(200形と言ったような???)にはちょっと興味があった。原田~基山付近で国鉄の貨物列車や特急などを撮影してから、地図を見ながらたどり着いたのだが、この写真を撮影した区間さえ分からないのは私鉄音痴の証し。しかも撮影したのはこの1列車のみというのだから、今思えばもったいないことこの上ない。
別府鉄道、倉敷臨海鉄道、加悦鉄道、南部縦貫鉄道など廃止になった私鉄も撮りに行くようになっていたのに、福岡にはいつでも行けると高をくくっていた間に廃車になってしまった。

以前にもアップしている可能性もあり、もしそうだとした申し訳ありません。

(写真、文 U)

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2011年7月17日 (日)

初の「朝練」 EF641053牽引のあけぼの

35年続けてきた鉄道写真の趣味もEF5861の引退後は休眠状態だったが、2年前の旧知の仲間との飲み会やこのブログの開設という「他力」で、なんとか少し復活を果たせてきていた。それが今回の震災対応で業務が多忙を極めたため暫くはストップせざるを得ないかと思っていたが、磐西のDD51重連やC6120の復活などで逆に火に油が注がれてしまった。

蒸機重連イベントのとき現地でUさんとお会いし久しぶりに線路端で色々お話が出来た。その中であらためて「あけぼの」朝連の話題などを伺ったのを機に、無性に撮りたくなって今朝一念発起して早朝の沿線に出撃した。

「あけぼに」もさるとこながら、今朝はカシオペア・北斗星の両列車とも「銀ガマ」となったことも背中を押した要因ではある。

久しぶりに三脚を立て、久しぶりに500ミリレンズを使っての撮影に最初は戸惑ったが、すぐに慣れて一安心。そうするうちにUさんが来られたので色々な話をしながら「あけぼの」を待った。少し遅れてはいたが、ほどよい光線の中を走り去っていった。カシオペアまでの2時間は、ファミレスで軽い朝食をとりながらの鉄道&カメラ談義。あっというまに時間は過ぎて再び線路端に移動してカシオペアを撮影。しかし10分後に来るはずの北斗星が来ない。

一人だったらあきらめて帰ったかもしれないが、Uさんと楽しく話をしながら待っていると遅れの銀ガマ牽引の北斗星が現れた。

こういう鉄チャンは本当に久しぶり。昔を思い出してしまった。Uさんに感謝である。

(写真・文:K.M)

2011年7月17日 あけぼの

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2011年7月14日 (木)

欲しいものだらけ

暑い夏が終われば、そろそろニコンとキヤノンからデジタル一眼レフのフラッグシップ機であるD3S、EOS1DMark4の後継機が発表されるとの噂が囁かれ始めた。前回のオリンピックから来年で4年。その前年の世界陸上で報道関係者にベータ機が供与され最終的にブラッシュアップされた後、発売されるというのがこれまでのプロセスだから、その噂が真実味を帯びるのももっともな話だ。ともに画素数や高感度領域が拡大されるのは当然のこととして、メモリー(記録媒体)の変更などが行われる可能性も予想される。
フラッグシップ機が進歩すればニコンなどは間をおかずD700やDX機の上位機D300Sも変更されるはずで、それらの後継機も大いに注目したい。

発売されれば当然、自分も欲しくなるのは間違いなく、発売されたその日に新型カメラを持って線路際に立ちたいものだが、果たして実現できるかどうか。実はこのところ休眠中の鉄道模型にも欲しい新製品が出そうな気配なのだ。
ひとつは天賞堂が発売予告しているD52。6つのバージョンが出るらしいがこのうち吹田の142号機が欲しい。すでにアダチのキットをプロに組んでもらった特製品があるのだが、ますますディテールアップする天賞堂製品が悪いはずがない。ラストナンバーの468は密閉キャブではないからそれほどでもないが、この142号機は集煙装置搭載という自分好みのスタイルで好きな蒸気機関車の中でも屈指の存在。
もうひとつは同じ天賞堂の金属製C58重装備タイプ。これはすでに同じものを持っているが、もう1両購入し、プロに依頼してさらにディテールアップ、別のプロに頼んでウェザリングを施してもらいたいと考えている。ストックしている2両の珊瑚製13ミリキットも発注しなければならないのだが、そろそろ市場から消えかねない天賞堂完成品だから早い決断が望まれそうだ。
他には先日、新幹線0系を発売した造形村が予告しているDD54。ムサシノモデルの同機も2種持っているが、プラ製ならウェザリングなども心置きなく楽しめそう。蒸機と並べて山陰線・京都口の雰囲気を味わえそうだ。
正直言えばこれまた天賞堂から既に発売されているEF641000番台双頭連結器改造機も欲しいが、さすがに電気機関車まで手を伸ばしてしまったらニコンの新型を断念しなければならず、がまんして将来、オークションか中古市場に出たら考えることにする。

いや~、暑い夏が過ぎたら食欲の秋、物欲もかなり高まってきそうな気配だ。

アップするのはY・M氏が製作し、ゆえあって私の手元に転属してきたD51882。現役時代晩年、奈良運転所でデフレクタに月と鹿のマークを付けて活躍していた。Y・M氏は鉄道模型誌に数々の作品を発表してきたが、このD51もTMSに掲載されたが、ご覧のようにきっちりと組まれ美しく仕上がっている。不器用な私には人間業とは思えないほどの完成度だ。
転入後、作者には申し訳ないが自分の好みに合わせてシンダよけカバーを追加し、煙室扉ハンドルを交換してある。

(写真、文 U)

D51882


                                                                                                                                                                                                                 

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2011年7月10日 (日)

「サンライズ瀬戸」朝練

こちらは、梅雨が早々に明けたにも拘わらず、暫く四国から出ることもできず、悶々としております。偶々、カミさんが「友人と早朝に羽田から飛行機に乗るんだけど、起きられないと心配だから3時半に電話をしてちょうだい」と言ってきた。小生もネタがある時には、3時でも4時でもぱっと目が覚めるが、用もないのに日曜日の夜明け前から起きるのも面倒だったが、請け負ってしまった手前、そのまま寝ているのももったいないという気になった。そして、先週Uさんとお話ししていて、ブルトレではないものの四国にはれっきとした寝台特急が走っていることを改めて思い出した。Uさんが行かれた、鬼無~端岡なら順光になるとのことであったので、急遽「サンライズ瀬戸」の朝練に行ってみようと思い立った。(いつものことだが、全く安直な思い付き・・)場所も全く把握していなかったので、家を4時半に出て、香西よりのポイントもロケハンしながら寄り道して、それでも現地には6時半頃に到着した。丸亀あたりから曇ってしまった太陽も、現地で待っている間に元気に顔を出し、ベタ順の中、ターゲットはゆっくり通り過ぎて行った。(これが、機関車の牽引するブルトレだったならなあ・・)熱中症予防の麦わら帽子をかぶりながら、結局1時間半ほど現地に居たが、Uさんのおっしゃる通り、ここは同じJR四国でも黒字路線と見えて、まあ次から次へバラエティーに富んだ車両たちが来て、全く飽きることがなかったです。大昔、蓮田や栗橋あたりの線路端に居ると、「ひばり」・「はつかり」・「やまびこ」・「やまばと」といった特急電車に加え、DCや機関車牽引の列車等が次から次にきて華やかだった頃と記憶がダブった。さて、この「いしづち」、これは私には見慣れた2000系気動車特急だが、電車特急も走っている。昔の急行「アルプス」も、併結列車によって電車と気動車が走っていたなあ。ところで、新幹線網の整備によって全国の在来線の幹線は面白みが少なくなっているが、予讃本線は1時間半ちょっとで来ることのできる穴場かもしれない。(高速代往復5千円はちと痛いが・・)それにしても、ダイヤ情報の特集で紹介されたにも拘わらず、今日も同業者はゼロ。やはり人気ないですねえ。関東では、今週末もネタのオンパレードで羨ましい限りです。(写真・文:TBlog_20117101_2

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2011年7月 9日 (土)

B787を撮りに羽田へ

このところ、磐越西線のDD51重連や上越線でのC61関連といった鉄道に集中していたので少し飛行機が手薄になっている。成田に就航した大韓航空のA380やエアホンコンのB747Fなども未撮影状態。

今来日している全日空のB787も蒸気重連イベントと重なってしまったのであまり興味は向かなかった。もともと大型機が好きなので小型・中型機はどうでもよいか・・といった感じ。B787も秋には就航するので今回はパスしようかと思っていた。

しかし、今回来ている機体は全日空にはデリバーされない機体ということと、全日空の最初の2機は特別塗装という話を聞いて、少し撮りたくなったのは事実。でも蒸気重連の中日の3日早朝に羽田に着くのをわざわざ上越線沿線からトンボ返りするのも馬鹿らしく、平日の早朝や昼間のテストフライトに出向くほどの気持ちにはなれなかった。

今日は久しぶりに何も予定を入れてなかったので、もしかしたら居るかな?とふらっと羽田に行ってみたら、何のことはなくあっさりとハンガー前に居るB787を撮ることが出来てしまった。現地滞在時間10分、家を出てから戻るまで2時間弱というお手軽撮影だった。

(写真・文:K.M)

2011年7月9日 B787 羽田空港にて

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2011年7月 5日 (火)

週末のおまけシリーズ

今回の週末の帰京の目的は何と言ってもC61重連を見物しに行くことであったが、これだけ長時間線路端に居ると当然意識していなかった獲物にも出会うもので、今回はそういったSL以外のおまけシリーズを余興としてご披露しておく。(日曜日の「あけぼの」は、朝練だけしに出かけたものだが・・)その中でも全く偶然だったのが「やまどり」。リゾート草津は、この日が営業初日だったとのことでラッキー。最近よく目にする(253系のような)ギトギトした色使いではないので、(スタイルはともかく)抹茶あずき色には違和感はなかった。2日目(7/3)の「あけぼの」は、行先に迷った。朝陽が当たるなら蕨のSカーブも候補にはなったが、最近夏草が伸び始めている写真も某サイトでは拝見しているので、Uさんのパクリで浦和橋の縦位置に行ってみようかと考えた。6時過ぎに現地着したが、まだどなたもおられず、しかもすっかり曇ってしまったので、それなら定位置で狙おうかと脚立と三脚でセットアップをしたが、いやはやここはいつ来ても異臭が漂い、不衛生かつ陰気な場所で、とても長時間居る気にはなれない場所だ。あまりのエンガチョさに、終了後にアルコールティッシュで思わず三脚と脚立を丁寧にふき取った程だ。(「じゃあー行くなよ」・・はい、おっしゃる通り・・)1053号機の牽く「あけぼの」はほぼ定刻に通過したが、視界の先にある北浦和ではPさんがギリギリ被りをかわされておられたようだ。お約束通り即帰してワンコの散歩を済ませ、久しぶりの自宅での朝食を楽しみ、UさんがSL待ちをされている頃、失礼してちょっと朝寝。単身赴任者には、自宅でのこの当り前の幸せが何よりの財産である。束の間の帰京を楽しんでJALの最終便で高知に戻った。さて、お仲間の皆さん、秋の陣が楽しみですね。(写真・文:TBlog_2011751

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2011年7月 4日 (月)

「爆煙」?????

わがブログにも記したように、何だかんだと言いつつもけっきょく、上越線のSL重連に2,3日の両日とも行ってしまった。鉄道撮影から遠ざかっていた1998~2008年の間にもSL重連の列車は走ったのかもしれないし、走ることは鉄道雑誌で知っていたはずなのに、全く関心が起きなかった。しょせん保存の蒸機と言った冷めた目で見ていたし、それよりも模型のSLに執心していたから人が多く集まるようなお祭り騒ぎから距離を置いていた。
それが鉄道撮影に復帰してみると一転、久しぶりの山口線や磐越西線に新たな魅力を感じ、自分のブログにもD51498,C571,C58363などをどんどんアップしている始末。こんなことになろうとは数年前には想像もしていなかった。

さて今回の上越線はやはり思ったような大変な人出だった。屁理屈をこね架線の下でのSL撮影などと半分は見学の気分でいたのが、撮ってみたい場所を確保するために両日とも朝5時半、6時ごろから撮影地に到着し、列車通過まで5,5時間も待つ熱の入れよう。おかげで2日とも下り列車のみの撮影だったが、じゅうぶん満足するショットを得られたと振り返っている。自分よりも先にSL撮影に復帰している(「復帰」ではなく「継続」なのかもしれないが)K・M氏に撮影地などの情報も聞き、今後に役立ちそうでますますこの世界にのめり込む可能性も高まりそうだ。
水上では懐かしい面々にもお会いし、そろそろ人生を振り返るような年齢になって、人出に圧倒されながらもそれはそれで実に有意義なひとときだった。次回は大阪のA氏、Ha氏、Hi氏などの参加も呼びかけ、できることなら「夜の部」も盛り上がりたいと今から楽しみにしている。

そんななかで一点、違和感を覚えたのが今回の撮影で耳にした「爆煙」という言葉。
昨今のメールやブログ等で文章末尾に(笑)とか(爆)などと記されたものをよく目にする。自分独自の世界を相手に強要するかのような表現の乏しさに、かなり前から不快感を覚えていたが、ことのほか(爆)はたまらなく不快だった。個人的な思いだから使いたい人は使えば良いのだが、それとは別に今回、撮影地で蒸気機関車のはく煙のすごさを「爆」という文字を使って「爆煙」と表すのには、言葉だけでなく事実の表現としても違和感があるように感じた。
このたびの上越線で見た蒸気機関車の煙は、なるほどそこそこ悪くはなかったが、あのていどで「爆煙」と言えるのか。SLの現役時代ならば別にどうって言うことはなく、普通かまあまあていどのもので、「爆」すなわち「凄い」というほどではなかったと思う。決して年寄りが昔日の自慢をするがために述べているのではなく、今でも実際に山口線ではもっともっと素晴らしい煙をはいて走るC571が活躍している。
写真にした場合、蒸気機関車本体が画像面積の中に占める割合よりも2,3倍以上の煙が画像中になければ「爆煙」はちょっとオーバーな表現だと感じる。機関車自体の好みとは別に昨年秋、久々の山口で見たC571の迫力には、いくら上越でSLが2台で列車を牽いたとしてもかなわなかった言うのが感想だ。
上越線で蒸気機関車に接し、ファンになった方も少なくないと思われるが、そんな方はぜひとも山口まで足を運んで仁保~篠目、長門峡発車、津和野~船平山、上りの篠目発車などを見られることをお薦めしたい。

今回の上越線はじゅうぶん満足だったからケチをつけるために述べたのではない。そう聞こえたとしたら本意ではないが関東からはいささか遠いものの、復活して32年を迎えた復活蒸機の老舗である山口線をあらためてPRしたい。
どうせいずれ「爆煙」というSL写真集が出るのだろうけれど…。

(写真、文 U)

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2011年7月 3日 (日)

水上の「お祭り」

この週末に上越線へ行かれた皆様、暑い中ご苦労さまでした。それぞれに成果があったことろ思います。僕は「お祭り騒ぎ」をいかに楽しむか、というテーマで2日(土)に行って参りました。移動の手段は電車です。渋滞の心配はなく、駐車スペース確保で苦労することもありません。蒸機牽引列車のスジの設定が絶妙で、往復とも渋川停車中に普通列車で追い越して2回(往復で合計4回)撮影できるようになっています。水上での折り返しの間、転車台の脇に設置された出店で缶ビールを買い、C61とC57を眺めながら飲むというのも、実に気分の良いものでした(帰宅時にも車内でビールを飲みまくります)。

さて、写真の方ですが、このような「お祭り」なので、集まった人々を入れて撮ろうと画策してみました。でも、なかなか良い構図になりません。いつもは「人を入れないように」苦労するのですが、逆に「意図して人を入れる」のも結構難しいですね。投稿する写真は、上りの水上発車、まさに動き出すところです。  写真・文:YM

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2011年7月 2日 (土)

SL重連のお祭り騒ぎ

1週間仕事でヘトへトになった上に昨晩最終便で帰京し、睡眠もそこそこに3時に起きて3時半に出撃!Uさんとの打ち合わせ通り寄り道せずに目的地に向かうつもりであったが、関越道の本庄児玉IC付近を通過したのが5時頃で東の空が急に明るくなって薄い雲越しに太陽まで透けてみえ始めた。それなら、神保原でも寄って行こうかと結局寄り道したものの、「あけぼの」は遅延しており、カマは1052号機でもあったのできっぱり諦め、再び関越道に戻るとUさんからお電話。もう現地に到着されたとのことで、何と場所までキープして頂いてしまった。(ありがとうございました・・いつもながらおんぶに抱っこで申し訳ありません・・)そうは言っても時間はまだ7時前。ターゲットまではまだ5時間弱もあった。天気も曇りのはずだったが今日は何だかジリジリと陽が照りつけ、先般の岩本同様Uさんと雲の動きを追ったが、何とか本番前には少しはましな状態になっていた。それにしても、G県警の行動には極めて不快な印象をもった。我々の場所は車の移動まではさせられなかったものの、撮影地に集まった車を悉く移動させるのは如何なものか。近隣に迷惑をかけたり、交通の邪魔になるようなケースは取り締まって頂いて一向に問題ないと思うが、通過時間が迫っていても何でもかんでもなりふり構わず蹴散らすやり方は横暴であろう。(昨年秋に行った山口では、地元の方がご自身の敷地をSL用の駐車スペースとして提供してくださったり、「いい写真撮れましたか?」とお声をかけて頂いたりと非常に心温まる歓迎を随所で感じたが、G県警にはそういったホスピタリティーの心が感じられない・・)さて、本命の重連は予想以上の良い煙も吐き、長時間待った甲斐が十分にあった!その後、水上ではお仲間のKMさん、YMさん、某I氏や非常に多数のマニアの方々にお逢いしたが、その数と熱気は尋常なものではなかった。今日はあまりのマニアの数に圧倒され、やる気も失せたので、上りはパスしてもよいと思っていたが、せっかくここまで来たので一応2週間前に悪天候で撮れなかった場所でリベンジを果たそうと思い、独りで現地に向かったが、ここでもまた待ち時間は2時間以上。案の定ここでも、またG県警のパトカーが来て、小生も含め片っぱしから移動をさせられたが、結局通過直前に追いかけ組の車がどどっと線路脇の道に平然と駐車し、さらに不愉快かつ釈然としない気持ちになった。残念ながら煙は「スカ」だったが、とりあえずお祭り騒ぎに自分も参加できたことで大満足であった。他のお仲間の方々の成果も楽しみである。(写真・文:TBlog_2011721_2

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