« 2011年3月 | トップページ | 2011年5月 »

2011年4月

2011年4月29日 (金)

記録は記録

GW前半は仕事もあるので、高知に足止め。首都圏の皆様のブログを拝見しているとイベント列車を追って横川や水上辺りに遠出されている方々も多数おられ、昨年の後藤工場式デフのD51498の登場からもう1年経ったのかと思うと、随分月日の経つのが早いような気がする。小生の場合は仕方ないので近場でいつもの定点観測をしていたが、4/295/1は「あしずり3号」に珍しく非貫通の先頭車が入った。Uさんは非貫通の機関車がお好みでないが、小生の場合、機関車はEF81などでもOKなのだが、この2000系気動車はどうにも貫通型でないと性に合わない。幸いL特急「あしずり」は、通常グリーン車なしの編成なので非貫通型が先頭に来ることはまずないのであるが、運用の都合かこの2日間は不幸にも先頭になってしまったようだ。(小生はこの1年間で初めてお目にかかった)まあ、これも定点観測としての記録は記録なので、一応アップしておく。さて、今週は元キャンディーズの田中好子さんの訃報というショッキングなニュースがあった。我々の世代は、中学生高校生の頃キャンディーズの人気は絶頂だったし、(どうでも良いことだが)小生の場合は、ピンクレディーではなくあくまでキャンディーズ派であった。よって、「8時だよ!全員集合」は欠かさず見ていた。また、お仲間の一人のHo氏のように追っかけまではしなかったが、ラストコンサートのLP版は、何度も何度も聞いた記憶がある。(その割に先日テレビを見て最終曲が「つばさ」であることを33年ぶりに思い出したのだが・・)あれだけ元気の象徴のようにみえたスーちゃんが長い間病魔と闘っていたとは知らなかったし、告別式の際の肉声テープにも驚かされた。自分の死を悟りながらも最期まで立派に生き抜き、苦しいはずなのに被災者の方々まで思いやるという超人的な生き方・やさしさ・思いやりに、恥ずかしながら一人ボロ泣きした。心からご冥福をお祈りします。翻って、果たして自分は最期にあたってここまで凛としていられるのか想像もできない。この歳になると老後や死について考えさせられる場面も増えてきたが、明日何が起こるか分からないご時世でもあり、いつ死を迎えても悔いのないような充実した生き方をしたいものだ。また、健康で生きていられることの当り前の幸せに感謝を忘れてはならないと思う今日この頃である。さて、GW後半にはYM氏が飲み会をアレンジして頂いているようなので、またお仲間の方々に東京で再会できるのが楽しみである。(写真・文:TBlog_2011430_2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月24日 (日)

7か月ぶりの蕨Sカーブ「あけぼの」

先週Uさんから磐西のD51試運転のお誘いを頂戴したが、今週は本社での会議のための帰京であまり時間的な余裕がなかったこともありお断りしてしまったのであるが、まさか昨日のあの雨の中を強行されていたとは思ってもいなかった。KMさんもご多忙の中、先週磐西まで足を延ばされていたようで、このブログのお仲間の皆さまの行動力には今更ながらに舌を巻く。さて、小生も今朝(24日)は朝から快晴が期待できたので、「あけぼの」の朝練だけは出撃することにした。北浦和も考えたのであるが、これだけ天気が良いとついつい順光側で撮ってみたくなるのが人情。昨年919日以来となる蕨のSカーブに行ってみた。かつてに比べると同業者の方々の出足も鈍く、通過1時間前の540分の現地着で2番目であった。結局6~7名程度とまあこの場所も随分人が減ったものだ。残念ながら双頭機ではなく1053号機であったし、背景の建物のブルーシートが目障りで、天気が良かった割には満足度の低い写真になってしまった。GWはだいぶ日の出時刻も早まってきそうなので、また高崎線内にでも足を伸ばしてみたいものだが、わが社グループでは震災で人的にも物的にも被災しており、正直未だにあまり本気で鉄チャンする気にならない。(写真・文:T Blog_20114242

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2011年4月23日 (土)

震災対応に追われて

すっかりご無沙汰をしてしまった。

3月11日の震災から一月半、かなりの余震はあるものの、東京に居ると世の中は多少落ちついてきたようにも感じる。しかしながらまだまだ避難所暮らしを強いられている方々は大勢いらっしゃるし、原子力発電所の動向も予断を許さない。また、これからの電力不足問題も深刻である。

私の仕事の性質上、この1ヶ月半は多忙を極める毎日であった。直接の対応部署に居るわけではないが、やはり全社を挙げての支援体制が必須で、自分の部署の多くの要員を東北・関東方面の被災地での業務支援に送り出すこととなった。当然残るメンバーで通常業務はこなさなければならず、年度末・年度始め、人事異動など様々な要素が複合し、あわただしい日々であった。

そんな中ではあったが、磐越西線を走ったDD51重連の燃料輸送列車の撮影に、トンボ帰りで行くことが出来た。ネットを見ると相当な人出らしかったので、無理な行程は組まずにのんびりと列車を待つことにした。

一番磐越西線らしい場所で撮りたかったので山都の鉄橋に赴いた。結局この日、この場所での撮影者は3名だけと、いたって平和な雰囲気。

夕方の列車は荻野付近のSカーブでの手持ち撮影。天気は良くなかったが、それなりに渋い雰囲気で記録が残せたと思う。

(写真・文:K.M)

2011年4月16日 9294列車 山都にて

Ssc_2989

2011年4月16日 9293列車 山都ー荻野にて

Ssc_2988_2

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年4月19日 (火)

広島駅のロクイチ

そろそろゴールデンウイーク。震災の影響でさまざまなイベントが中止となりそうな気配だったが、磐越西線のD51498や上越線のDL、EL重連による旧型客車列車などは運転される見込みとなった。その前後には復元されたC61の試運転も始まり、少しずつではあるが徐々に復興へ向けて世の中が動きだし始める感がある。震災の影響で労働者の賃金などが抑制されそうな気配もあるが、それはある程度甘受しながら趣味も楽しんでいきたいものだ。
自分自身もゴールデンウイーク後半は、16日をもってDD51による燃料輸送が終わった磐越西線にD51でも撮りに行きたいと思っている。

しばらく更新が滞ってしまったが本日の画像は1980年7月23日に広島駅で撮影したEF5861×12系12両(もっとも客車は見えないが)と可部線の旧型電車の並び。
このときの仕業は東京(品川)→岩国→広島→宮原→下関→宮原→東京(品川)というもので、EF61に後押しされセノハチを越えるロクイチを撮るべく、当時の東京機関区技術管理室のKa氏に頼んでロクイチをこの運用に就けてもらった。
この広島駅の写真は岩国で乗客の宇都宮学園高の生徒を降ろした後、回送で広島に戻ってきたときのシーン。手前に電車が来てしまったが、旧型電車なら返って好都合。良い記録になった。

(写真、文 U)

Photo

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月13日 (水)

失敗作

先週後半から今週にかけて横浜の自宅に帰っていた。
東日本大震災の余震はとどまるところを知らず、4日間の帰宅中に震度4程度の地震が2回もあった。福島第1原発の冷却機能復旧作業も放射線によってはかどらす、心配のタネはまだまだ多い。

*************************************

統一地方選挙の前半戦が終わった今週月曜になって政府は原発事故の危険度をレベル7まで引き上げた。
報道によると枝野官房長官などは3月末にはレベル7という評価が下されても仕方がなかったとまで語っている。選挙への影響を懸念したとしか思えない姑息さが見え隠れする。今回の原発事故については放射線量の人体への影響についても後になって許容範囲をな高く設定し直すなど、後手後手に評価基準を見直すケースが多いのはどうしてか?政府、原子力保安委、東京電力の不可解で取って付けたような対応には不快感を覚える。

また、原子力保安委や東電の記者会見に出てくる担当者の、被災者や農業、漁業者への配慮に欠けたどこか「上から目線」なものの言い方も人間味を喪失しているように映る。技術系の人間の中ではエリートの方々なのだろうが、私の目から見ると無機質な印象で気分が悪い。機械ばかりを相手に、営業の仕事などをしたことのない方々なのかも。
こんな連中をテレビの前に出し続けていては真面目に働いている公務員、東電の社員やその家族まで非難されることになりかねない。もっと腰が低く、人間味あふれる語り口をもった人物を登場させることを考えるべきだ。

**************************************

今回は痛恨の失敗作をアップする。1981年2月14日に上野~神戸で走った「カルチャートレイン・ポートピア81号」。
このころはまだロクイチがヘッドマークを付けて走ること自体まれだったのに、その頃見つけた金谷~菊川の俯瞰場所をこの列車の撮影地としてしまった。
こうやって見ると機関車が小さく、何が何だか分からない。好きな機関車がこんなに小さくては消化不良も甚だしい。俯瞰撮影をするときは何度でも撮り直しのきく列車を選ぶべきだという教訓になった。

(写真、文 U)

Potopia

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月10日 (日)

雨ニモマケズ

高知でも約1カ月ぶりにカメラを握った。皆さまのブログを拝見していると、磐越西線のDD51重連の臨貨や各地での桜を入れた作品など、本格的に撮影に復帰されている方々も多く、自分も一応当地でのライフワークとしている「あしずり」の四季の記録は残しておくことにした。土日2日間ともいつもの場所で何とか背景に桜を入れたいと試みたが、岡花の方はエギゾーストの陽炎の中に溶け込んでしまった・・ところで、すっかり震災によってすっ飛んでしまったが、JR四国では312日にダイヤ改正があり、例の下りだけの「L特急あしずり」は1日2往復となり、高知1350発は、「あしずり3号」となった。そういう意味では、「あしずり3号」は今回小生にとっては初撮りであった。高知では、この週末は最高気温23度程度と本格的な春の陽気で、山里では鶯が囀り、田植えの時期の田んぼではいつの間に卵からかえったのかもう蛙がケロケロ鳴き、桜のピンク色や菜の花の黄色の中を気持ちよさそうにモンシロ蝶が舞っている。何と日本の春は美しいことか。この美しい日本の自然を一瞬にして無残にも消し去った憎き津波もまた自然そのものというのも何だか皮肉に思える。残酷なようだが、それが自然の摂理なのであろうか・・しかし、今回の震災といい原発事故といい、大自然(というか地球自体)がちっぽけな我々人間を嘲笑っているように思えてしまう。何とか、日本人の底力とみんなの英知を結集して、この難局を乗り切っていきたいが、苦しんでいる自国民すら救うこともできない無能でリーダーシップの全くないこの国のトップには、本当に何も期待できないという絶望感すら感じる。さて、いつものように愚痴ばかりで恐縮であるが、NHKで宮沢賢治(ちなみに三陸地震津波があった明治29年に生まれ、三陸沖地震のあった昭和8年に没している)の特集をやっており、改めて「雨ニモマケズ」の朗読をじっくりと聞いた。賢治に象徴される東北の方々は、この詩の通り、全く芯が強く、質素で控えめな中にも人間としての尊厳を忘れておられず、改めて心を打たれた。学生時代には、正直全く感動を覚えず軽薄にすら感じた詩だったが、人生経験を積みこの歳になって聞くと、ひとつひとつの言葉にとても人間味と重みを感じた。被災地東北にも名実ともに早く春が来ることを祈りたい。(写真・文:TBlog_20114101

Blog_20114102

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年4月 8日 (金)

ハッセルで撮ったロクイチ

昨夜遅く、東日本大震災で被災した東北地方に追い打ちをかけるような強い余震があった。宮城県の栗駒市などでは震度6強というから、かなりの揺れだっただろう。昨夜、横浜に帰宅した自分も揺れが長く続き、震度4程度ではあったが恐い思いをした。この余震、一説によるとまだまだ続く可能性もあり、しかも日本の別の地域でも地震が起きる可能性があるというからひじょうに不安だ。自然のなせる減少だが、もはやこの天災を鎮めるには神頼みしかないかもしれない。

今回は1982年7月撮影したリバイバル「はと」。東京~大阪間で運転された。
この時は東京機関区、品川客操で東京駅に向かう回送列車を撮り、その列車に乗せてもらった後、東京駅でもう一度撮影し名古屋まで乗車した。
この品川客操での写真は畏友A氏にお借りしたハッセルブラッド200FCで撮影したもの。
プラナーの80ミリはなかなか素晴らしく、自分が所有していたブロニカやペンタックス6×7などとの違いは明らかだった。
その超高級機ハッセルブラッドは当時あこがれの的だったが、今やデジタルカメラのニコン、キヤノンのフラッグシップ機もハッセル並みの価格となってしまった。その性能を誇れる時間もフィルムカメラに比較すると圧倒的に短くなってしまった。

(写真、文 U)

61

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2011年4月 3日 (日)

復活!「あけぼの」

カメラを手にしたのは、約1カ月ぶりである。未曽有の大震災と原発事故に関しては、簡単に言葉で語りつくせないほどあまりに重みのある出来事であるし、原発事故はまだまだ道筋が見えないまま悪夢のように事態が一向に好転しない。小生のような者が軽々に言葉を発すると色々と誤解を招きかねないので多くを語るのは差し控えるが、原発事故に関しては事後の不手際の連続でここまで大事故にしたのは人災と言っても過言ではないと個人的には感じている。何と言っても津波で被災した何の罪もない数多くの人たちがさらに原発のために家を追われて辛い生活を強いられているという現実は酷過ぎる。おまけに当の社長は避難所暮らしをしているわけでもないのに体調を崩して入院という始末。政治の的確かつスピーディーなリーダーシップも残念ながら殆ど感じられない。日本人は分別があり我慢強いのは誇れるが、この事態であまりに皆怒らないのは海外生活も長かった私にはやや理解がしづらい。(外国であれば、とっくに暴動が起きているであろうに・・)1日も早い震災復興に関してはまさに「頑張ろう東北!頑張ろう日本!」という気持ちで一杯であるが、原発事故に関しては庶民や自治体ではどうにもできない事態であり、政府と事業者のもっと責任感とスピードあるアクションを望みたい。どうにもそんなことを考えていると鉄道撮影をするような気分にもなれなかったのが正直なところであり、今でもその気持ちは強い。しかし、「あけぼの」が元気に復活したという話を聞くと、矛盾するかもしれないがその勇姿をこの目で見てみたかった。今日は、北浦和以外には行く場所は思い浮かばなかったが、Pさんにも久しぶりにお逢いでき、また双頭機ではなかったもののロクヨンの元気な姿も拝むことができ、少し元気を貰えたような気がする。少なくとも高知に居るとガソリンも米も野菜も何不自由なく売っており、周囲の人をみている限り震災はテレビの中の出来事になってしまっているというような印象が否めないが、常磐線沿いに自宅を持つ者にとっては家族も含め健康面や生活面で大いに不安である。ましてや近隣住民の方々や福島だけでなく近県の方々にとってはさらに切実なはずである。少なくとも原発事故に関しては早期に解決の道筋だけでも見えてくることを願ってやまない。(写真・文:TBlog_201143

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2011年3月 | トップページ | 2011年5月 »