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2011年3月

2011年3月30日 (水)

ロクイチと「あまぎ」

一週間以上、更新が滞ってしまった。K・M氏は仕事柄、そろそろ本格的に忙しくなってきているだろう。被災した人たちのことを思うと断然マシとは言え、ストレスもたまるだろうから体に気をつけてお互いやっていきたいものだ。

さて去る土日、大阪の方々と鉄道撮影に行って来た。ターゲットは489系ボンネット車のイベント列車。この運転を最後に消滅するのかと思ったら、撮影地であった人によるとそれはもう少し先になるという。震災の影響で車両のやり繰りがつかず、そんな事情もあって引退が伸びるかもしれない。ただ、電車については門外漢である自分としては団体列車などで走ったとしてももう撮りに行くことはないだろうから、これが最後の機会だろう。
震災で何事も自粛ムードが漂うが、思い切って行って良かった。震災に関する業務でしばらく多忙を極めたが、この撮影行でずいぶん発散できたのはありがたい。

震災の影響で、当初予定されていた磐越西線のD51498や上越線のEL重連による旧型客車列車なども中止となるのは残念だが、ある程度落ち着けばまた再開されるだろう。それまで少しの辛抱だ。

今回は以前、カラーで掲載したEF5861と183系「あまぎ」のショット。今月発売された「国鉄時代」で畏友D氏がここ東神奈川で撮影した「銀河」を載せているが、本当にここは列車写真には最適な場所だった。100~135ミリ程度のレンズできれいに編成が納まり、午前中の上りはほぼ順光になる。京浜東北線や東海道線の下り列車に被られる可能性が高かったのにはヒヤヒヤさせられたが、当時はあまり人も来ることがなく落ち着いて撮ることができた。一時、金網が張られて撮影できなくなったが、一昨年6月に走った「レトロ横濱号」の際にはそれが撤去され、多分一時的ではあると思うがここでEF641001を移すことができたのはとてもラッキーだった。

(写真、文 U)

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2011年3月22日 (火)

DD51842お召し列車 気仙沼線

正月から開始した67ネガのスキャンによるデジタル化、ようやく500本までたどりついた。3ヶ月弱で約5000枚を処理したことになる。まだあと200本ちかく残っているので、このペースで行っても完了までにはもう2ヶ月くらいはかかりそうだ。

しかもこれはブローニフィルムだけの話なので、今後35ミリのネガ・ポジに手をつけたら恐らく向こう数年はかかるだろうし、その前にスキャナーの機械のほうがくたばるのではないかと思う。

今回の震災で大きな被害を受けた地域の一つに「志津川」という町がある。どこか記憶のある地名だとは思っていたが、今日スキャンした写真の記録を見ていてようやく判明した。2001年10月に気仙沼線で1号編成によるお召し列車が運転された際、本運転は仙台から柳津だったが、回送が志津川まで運転され、ここでDD51842を機回しして復路仙台まで回送が走ったのだった。

爽やかな秋晴れの中、稲刈りの終わった田園地帯の綺麗な築堤をDD51842牽引の1号編成お召し列車は日章旗を2本はためかせながら通過していった。この写真はペンタ67で撮ったものを、ノートリミングでスキャンしたもの。

これから10年後、ここからわずか数キロ海よりの地域で、あのような惨劇が起こるとは誰が予想できたろうか。一日も早く、このような「当たりまえの日常」が戻ってくることを願わずには居られない。

(写真・文:K.M)

2001年10月14日 DD51842+1号編成お召し列車 9001列車 御岳堂にて

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2011年3月21日 (月)

大量輸送に活躍する貨物列車

地震発生から10日が経ちました。このブログのメンバーの皆様、お仕事の方も大変でしょうし、ご家族から離れて赴任中の方は相当心配だったことと思います。当方は資料や本が床に落下したり、一部の模型が倒れたり(損傷なし)という程度で済みました。

 原子力発電所の事故に対し、外国人が相当な恐怖感を持っているようで、続々と日本を脱出していますね。国によっては自国からチャーター機を用意しているようです。こちらで得た情報では、昨日南米ベネズエラのチャーター機が、日本から避難する在日ベネズエラ人と、一部在日キューバ人を乗せて成田を発ったようです(ご存知のように、ベネズエラとキューバは強い連携をしてます)。よく知らないのですが、ベネズエラの航空機が日本の空港に来るというのは、かなり珍しかったのではないでしょうか。ご存知の方がいらっしゃいましたら、解説をお願いします(そんなことで喜んでいる場合ではないですが)。

 さて、被災地の復旧に向けての物資輸送では、JR貨物への期待が高まります。貨物列車が1本走れば、それでトラック何十台分(百台以上?)の荷物を運べるわけですから。

 今回久しぶりに投稿するのですが、写真は米国ユニオン・パシフィックの貨物列車です。やや強引に話題を貨物列車に振ったのですが、先月末に撮影したものです。撮影地は西海岸のロサンゼルス近郊のコルトンという所。LAの空港(LAX)から自動車で1時間ちょっとで行ける距離で、巨大な貨物ヤードがあります。幹線のジャンクションに位置し、国鉄当時の新鶴見を拡大したみたいな感じです。ヤードをまたぐ陸橋から、待機する機関車群、入換作業、発着する貨物列車などを撮影できます。

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写真1枚目は、電気式ディーゼル機の五重連牽引の一般貨物列車です。日本と違い、各種貨車が混ざった編成が今でも見られます。機関車が5両もありますが、回送ではなく全機の動力を使っています。LAでも冬は遠景に雪山が見えます。

 編成の長さは2km位あると思います。通り過ぎるのを見ていると飽きます。貨車の数を数えようとしても、3桁になると頭の中で追いつかなくなります。この列車は峠を越えてきたものです。なので、気が遠くなる長さの編成の最後尾には、重連の補機を連結しています。それが写真2枚目です。

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2枚の写真は同じ列車の先頭部と最後部です。合計7両の機関車で峠を越えてきたのであります。先頭の5両は総括制御で、後部補機も無線による遠隔操作です。つまり、乗務員は先頭の1両にしか乗っていません。

 これは海の向こうの話ですが、東日本の復興でも貨物列車が存分に威力を発揮し、被災地の皆様の生活が1日も早く改善させることを願っています。

写真・文:YM

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照れくさいお便り

明日は鉄道趣味誌の発売日。こんな時でも毎月購入する雑誌はしっかりと購入するだろう。加えて今月は「国鉄時代」「蒸機の時代」も発売され、1年ぶりの「貨物列車時刻表」も出る。ネコ・パブリッシングからは鉄道車両ガイドVol3「C62」と目白押し。すでに原京一氏や大木茂氏の蒸気機関車写真集も購入してしまったから今月は書籍だけでも相当な出費だ。

原京一氏はキネマ旬報社の「蒸気機関車」誌に多くの作品を出していて、その写真には好きだった中国地方のC58も多く注目していた方。まとまった写真集が発表されないかと心待ちにしていたが、つい先頃、大阪の旭屋書店に行ったら発売されていて一も二もなく購入した。そこで驚いたのは原氏はすでに亡くなっていたという事実。1995年のことらしいが全く知らず、大変なショックだった。しかも亡くなったのは51歳、今の自分と同じだからその衝撃もひとしお。趣味誌でも同氏の訃報は掲載されなかったが、ひじゅうに残念な話だ。入手した写真集を大事に拝見して冥福を祈りたい。
大木茂氏はやはりキネマ旬報の「蒸気機関車」誌で活躍した方。「北辺の機関車たち」という、モノクロで氏のお仲間の方々と撮った厳寒の北海道で活躍する蒸気機関車の写真集は今も名作として名高い。
相次いで蒸気機関車現役時代に一世を風靡した人たちの写真集が発表されたのだから、思わぬ散財は仕方がない。このブログを見てくださっている方々に、ぜひご覧になることを勧める次第。

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さて、照れくさいお便りを昨日、メールで頂戴した。昔、何度か撮影にご一緒したことのある我々よりも少しだけお若い「国哲男」(仮名)さんという方から(いったんはコメント欄に転載し紹介しようかと思ったが、やはりやめることにします。申し訳ありません)。
簡単に紹介すればすでに発売されている(らしい)「国鉄時代」は今月、EF58の特集のようで、その中に我々の写真が掲載されていないのはさみしいという内容。ありがたいメールではあるがどうにも照れくさい。
こんな風に思ってくださるのはうれしい一方、当時の自分たちは単純に必死で記録していただけで後にあれほどのブームになるとは思いもよらなかった。ひたすら自分たちの好きな機関車を好きな場所やアングルで撮って満足していたにすぎない。完全な自己満足の極みであった。
たしかにいくぶん早い段階からゴハチを中心に撮影してきたが、我々以前にも関崇博、真柳哲也、玉井理一の各氏をはじめとする先駆者は存在した。少なくとも自分は彼らの作品を意識してゴハチを撮りたいと思ったのではなく、単に大窓のゴハチが好きになっただけ。むしろ諸先輩が撮っていたころにはもっともっと大窓機が存在したから、我々から見れば対抗意識などこれっぽっちもなく、良い時代だったとうらやましい思いの方が勝る。
我々が線路際から退いた後、ゴハチを撮影されてきた人たちも同様だろう。

本に載せるために撮影してきたわけではないので、うれしくはあるが、ちょっと過大評価と(ありがたいが)ひいきの引き倒しの印象も受け気恥ずかしい。きっとこのブログのお仲間もそう感じているだろう。
これからも訥々とこの場に少しずつ発表していくつもりですので、(電気代などの諸経費を除き)無料で見られるこのブログ、これからも可愛がってくださますようお願いします。

1980年3月、広島駅で撮影した69号機の牽く荷物32列車。

(写真、文 U)

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2011年3月20日 (日)

EF5861(ロクイチ)の客車疎開運用

まだ震災の行方不明者が1万数千人もいて、何十万人もの避難者が居るというのに、いつのまにか民放テレビでは普通のバラエティー番組に戻っていた。いつまでも震災モードではなく、早く気持ちを切り替えることも大事かとは思うが、特に福島原発の危機的状況を考えれば、若干いかがなものかと思ってしまう。せめてもの救いは商業コマーシャルはカットされて「AC」提供のものの繰り返しであるから、民放局もCM収入目当てではないということであろう。

被災された方々が、全国各地に当面の住居を構えるために移動されている。戦時中の疎開にあたるものだが、一刻も早く地元の復旧が成って帰れる日が来ることを願わずにはいられない。

以前もコメントしたような記憶があるが、昔は「客車疎開」という仕組み(?)があって、年末年始の繁忙期に車両基地に収容余力がなくなると、一部の車両を周辺の駅の側線などに一時留置し、しばらくして波動輸送が落ち着くと順次所属基地に復帰していった。

1981年の冬も品川客車区所属の旧型客車が一時期川崎に疎開していて、2月21日に戻ることになった。その運用に就いたのがロクイチ(EF5861)で、冬晴れの中、良い時間帯に走り格好の被写体となった。

この日は品川からマニ1両を牽いて回9821列車で川崎まで行き、留置中の客車の先頭に入れ替えで付き、回9961列車として一度小田原まで行き、折り返し回9962列車で品川に戻っている。

写真は川崎駅の側線で発車を待つ回9961列車。こんな位置で撮影が出来た古きよき時代である。

(写真・文:K.M)

1981年2月21日 回9961列車 EF5861+マニ+ハ・ハフ6

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2011年3月19日 (土)

大震災から1週間

大変な災害が起こった。まずは犠牲者の方々のご冥福をお祈りするとともに、被災者の方々へお見舞いを申し上げたい。また現地で復興へ向けて昼夜を問わず努力されている方々への敬意を表したい。

私自身は東京の本社ビルで大きな揺れを感じ、商売柄、すぐに緊急対応に追われて今日に至っている。その後、原発問題、首都圏も計画停電や物資不足など、まさに前代未聞の事態に陥っている。加えて株価の大幅下落と急激な円高など、暫くは予断を許さない緊迫の日々となろう。

幸い身近な家族も、全国1万人の社員も全員の無事が確認されたので、あとは今後かなり長期化するであろう諸対応に注力していくことになる。すでに部下200名のかなりの社員を現地や本社の支援要員に送り込み、皆、連休も関係なく被災対応をしてくれている。福岡の社員を宇都宮に、札幌から千葉へと、当然支援は全国規模になっている。

津波の大きな被害を受けた地域、鉄道撮影においても思い出深い地名が並んでいた。宮古はその昔、ラサ工業のC108を撮りに何回か通ったところ。気仙沼線では先般DD51のお召し列車を撮った。

掲載写真は釜石線で運転されたD51の試運転列車。

1992年8月の本番運転を前に7月下旬に試運転列車が運転されたので遠路撮影に赴いた。7月24日にED75などを撮りながら東北本線に沿って北上し26日から28日までD51試運転を撮影した。

7月27日(月)の運転では下り列車が上有住で立ち往生してしまい、その後陸中大橋までたどりついたものの動けずに夜を迎え思わぬバルブ撮影が出来た。その後何とか釜石まで運ばれ、翌日に釜石のターンテーブルに乗る姿が下の写真。このあたりが今どうなったのかはわからない。

(写真・文:K.M)

1992年7月27日 陸中大橋にて

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1992年7月28日 釜石にて

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2011年3月18日 (金)

素人の発想ですが…

震災当日にアップし記事から1週間が経った。
本来ならば明日からは横浜の自宅に戻り、やはり赴任先から帰っているTさんと〝朝練〟で一緒になっていたかもしれないが、大震災のためにそれどころではなくなった。K・Mさんもお仕事の性質上、きっと超多忙なのだろう。世の中が落ち着くまでにまだまだ時間はかかるが、また皆さま方との再会、一緒に鉄道を撮影できる機会が戻るのを待望している。

せっかくお仲間の方々と立ち上げたこのブログ、震災によって粉砕されるのは口惜しい。細々とであっても何とか続けていきたい。

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震災で鉄道もあちこちでかなりの被害を受けた。東北新幹線は仙台のホームがかなりの被害を受け、全線復旧までには相当な時間を要しそう。在来線も常磐線では列車が横転したり、貨物列車を牽くED75が立ち往生している姿をテレビで見かける。東北本線は語るまでもないだろう。
そうなると首都圏から東北方面につながる路線は高崎、上越(または信越)、羽越、奥羽の各線を経由するしかなさそうだが、このルートは今はまず旅客輸送よりも貨物輸送の方を優先すべきだと考える。今後、少しずつ東北本線などの線路が復旧していけば旅客輸送にも力を入れていくべきだが、まだそんな段階ではない。
一方、電力の復旧も必須。線路が復旧しても電気が以前のように供給されなければ間引き運転が続く。計画停電で首都圏の鉄道が混乱しているのを見ると、素人の発案で恐縮だがディーゼル車両の活用は出来ないものだろうかという思いが浮かぶ。
そのためには燃料の輸送や貯蔵施設、運転士の確保など、考えただけでさまざまな問題が立ちはだかるが、先ごろ引退したキハ181系や余剰となっているDD51の復帰などは検討するに値しないか?(もちろんDD51が復帰したとしても牽引する客車がないから電車を牽くような形になると思われるが)
JR西日本やJR貨物などにはまだ解体されないそれらの車両も残っており、ある種の〝救援物資〟として東に送ることは難しいのだろうか?
ド素人の浅はかな考えだが電力の本格的な復旧までにはまだまだ時間がかかると予想される今、こんな考えがふと浮かんだ。

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1978年、多度津で撮影した「しおかぜ」。まだDF50が残っていてそれを撮りに行った際に撮影した。多度津の駅に架かる跨線橋は当時、もちろん架線がなかったから撮影には最適な場所のひとつだった。
キハ181系はつい最近、お別れ運転を終えたばかりで、まだJR西日本には残っているかもしれないが、震災復旧には内燃車両の活用は選択肢のひとつとして検討しても良いような気がする。

(写真・文 U)

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2011年3月11日 (金)

勢揃いした九州新幹線車両

本日も空撮から。
明日の博多~新八代間の開業を前に熊本総合車両所に勢揃いした九州新幹線の車両。

(写真、文 U)

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2011年3月10日 (木)

豪華客船

仕事の関係で2日続けてヘリコプターに乗った。今朝は大阪港に入港した「クイーン・メリー2」を見ることができた。このブログ、鉄道、航空機、車などの画像もアップされているが、船舶関係はT氏が掲載した1回だけだったように記憶している。

この15万1400トンの世界最大級の豪華客船。まるで海を進むマンションのようで上空から見てもその大きさは圧巻だった。こんな船で世界一周の旅など、まあ夢の夢だろう。

(写真、文 U)

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2011年3月 9日 (水)

EF641000番台牽引の旧型客車

EF64の1000番台のデビューと旧型客車の末期が重なったことから、意外とこの組み合わせはなかったように思う。もちろんイベント列車などでは結構な回数運転されていようが、ごく自然な形での運転は希少かもしれない。

それも名勝「鯨波」をいく、シンプルな列車はもしかしたらこの1回だけだったかもしれない・・・などと考えたりする。

時は1986年9月1日、旧型客車の廃車回送の直江津までをEF641011が、その先、長野までをEF626が牽引した。廃車回送だから窓から手を出すこともなく、綺麗な編成が日本海バックに撮影できた。イベント列車より、こんな渋い列車こそが臨時列車撮影の妙味というものであろうか。

(写真・文:K.M)

1986年9月1日 配9390列車 EF641011+旧客6両 鯨波にて

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2011年3月 8日 (火)

後悔、先に立たず

貫通扉のある機関車が好きだ。ディーゼル機関車ならDF50や91、現存する電気機関車ならEF641000番台。スノープローが付いていればEF651000番台も好み。EF65500番台がブルートレイン牽引から引退するころ、1000番台に変わるというニュースに喜んだことも今になって吐露しておく。けっきょく検査の作業上、スノープローは外されてしまったからその魅力がガクンと下がってしまったが、もし外されていなかったらもっと東京口のブルトレのネガが残っていただろう。

大窓のEF58をさかんに追っていたころ、門司や下関のホームでよく見かけたEF30はもっとしっかり撮影しておけば良かったと思う機関車のひとつ。貨物列車には重連でその牽引に当たっていたし、時には4重連となることもあった(自分は撮ったことがない)。銀色のステンレス製のボディは塩害による腐食に対するもので、釣ったことのある人なら分かるが釣り上げたばかりのタチウオのような美しさがあった。鉄道模型でも天賞堂がかなり早い時期に製品化している。小学生だった自分はもっぱら蒸気機関車好きだったが、この製品にはあこがれたものだ。
それなのにその後、ヘッドマークを付けてブルートレインの牽引に当たった姿を撮影には行っていない。撮影可能な場所が下関や門司のホームだけで、撮れる場所のバラエティも少ないという限定された環境に起因することが最大の理由だが、EF58などほかの機関車の記録の方にベクトルが向いていたということも作用している。

今こうやって当時の写真を見ると日本の機関車史上、きわめて特殊なステンレス製ボディの、しかも貫通扉が付いたEF30をしっかりと撮影しておけば良かったと悔やまれてならない。

(写真、文 U)

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執筆者の皆さまへ

後々、ご自分の書かれた記事を探しやすくするため「カテゴリー」に執筆者名を加えました。すでにご書かれた記事を分類するのも大変でしょうから、今後の記事アップの際にご活用下さい。

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2011年3月 6日 (日)

変わり者の本命の被写体

すっかりご無沙汰してしまった。T氏とK・M氏に任せっきりになってしまったが、おかげで秘蔵の写真がどんどん出てきて新鮮な気持ちで拝見していた。言い訳ではなく仲間内でもプリントを見せ合う機会があまりなかったから、こういう場で「ああ、彼はあのときこんなのを撮っていたんだ」と思いながら見るのは当時を思い出す良ききっかけでもある。
T氏の土電213の写真は先日、高知へ行った際に自分は別の車に乗っていたものだから、後になってTさんが「はりまや橋」でこの電車を見たと説明を受けても、何のことだかピンと来なかったが、なるほどこれはこれでクラシカルなスタイルで写欲をそそる。東京都電の7500型が3月13日をもって引退になるというニュースを聞き本日、〝朝練〟の帰りに撮ろうかとも思ったが、その気にならなかったのに比べ、この213号車は我々の世代的には路面電車らしいスタイルを維持している。都電の7500型は古いネガを探せばきっと撮ってはいるだろうが、そんな作業を行うことすら面倒だ。

さて今日は久しぶりにロクイチでもアップする。回数だけはそこそこ撮影しているが、公衆の面前にさらせる写真があまり多くはない。何でもかんでもアップしても恥ずかしいから少しずつ残りのネガをスキャンしたい。今日は1979年5月25日に東海道本線・鷲津~新所原で撮影した愛知植樹祭時の回9901列車のスジで行われた御料車回送。
偏屈者である自分はお召し列車そのものよりも、日の丸が取り付けられていない回送時の方が本命の被写体だった。大窓が旗で隠れてしまうからで、よく一緒に列車を撮りに行ったK・M氏やH・I氏などにも変わり者扱いされたものだった。お召し列車の撮影に行ったのは、必ず旗の付かない回送列車がほぼ毎回走るからで、当時は旗なしのピカピカのロクイチが撮れる数少ないチャンスだった。
後年、同じ茶色でももっと派手な色に塗り直され、それはそれで美しかったのだろうが、(僭越だが)自分たちでこのブームを(結果的に)仕掛けておきながら、あまりのファンの多さに辟易して線路から遠ざかることが多くなっていった。今、仮にロクイチが復帰したとしたら人があまり行かない場所を選んで自分好みのレンズで撮影することを工夫するだろう。もはやそんな好都合な撮影地を見つけるのは至難だが…。

(写真・文 U)

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2011年3月 5日 (土)

土佐のおきゃく列車2011

5日(土)は朝から雲ひとつない快晴の天気であったので、早めに洗濯を済ませて「土佐のおきゃく列車2011」を撮りに出かけた。そもそも小生も最近知ったのであるが、土佐弁の「おきゃく」とはお客様のことではなく、宴会のことを言うらしい。5日から帯屋町のアーケード等街中に宴会場が設けられ、昼間からみんなで飲んだくれるらしいのだから、さすが酒豪揃いの県だけある。その流れで列車も宴会場と化し、貸切の団臨が高知から佐川まで走るとの情報をネット上で見つけた。昨年は看板付きのキハ54が充当されたらしいので、あまり撮影意欲は湧かなかったが、興味半分で出かけることにした。ちなみに、高知の名酒としては、「土佐鶴」と「司牡丹」が有名であるが、後者の蔵元が佐川にあることから、そこまで団臨を走らせて車中で飲み、現地でもさらに司牡丹の本家本元で飲むという念の入れようだ。ダイヤなど調べもしなかったが、高知発12:20頃らしかったので、適当にいつもの波川で待っていると足取りも軽くキハ54がやってきた。車両は相当汚かったが、車で先回りし須崎までの回送は斗賀野~襟野々で黄色い菜の花を入れて撮ってみた。高知の春本番も確実に近づいており、晴れると日差しはかなり強くなってきているのを感じた。それにしても、仮にも団臨が走っているのに、同業者は今日もゼロだった。(トホホ・・)この段階で「あしずり1号」の約1時間前。今日はこのまま西に行き、以前から仕事で通りかかった際に気になっていた、土佐入野(土佐くろしお鉄道の中村の3つ手前)の築堤にダメモトで新規開拓に行ってみることにした。現地に着くともう列車通過まで15分くらいしかなかったが、順光のもと雄大なカーブを回って築堤を上ってくるロケーションはなかなかGoodであった。(ロケハンで当たりをつけて、それが実際に行ってみて狙い通りだと、なかなか気分が良いものだ)軽く草刈りをしてからやって来たのは、今日もN2000系。最近随分よくお目にかかるなあ。さて、昨年の今頃は「能登」「北陸」の最後の朝練に連日出撃していたが、今年は日が長くなっても「あけぼの」の朝練にも出かけられず、ストレスは溜まるばかり・・・(写真・文:TBlog_2011351

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2011年3月 2日 (水)

やっと捉えた土電213

27日(日)は、曇りから雨の予想であったが、何とか薄日の出る程度の天気であったので、迷わず昼から出撃。先週U氏やTAさんと普通列車を撮った斗賀野の直線で「あしずり1号」を待つと、何と2日続けてN2000系が登場した。昨年5月以降このような運用は初めてであり、気を良くして伊野まで戻ってきたが、何か「霊感」のようなものがあって、いつもの交差点で曲がらず、そのまま土電の路面電車の線路伝いに朝倉方面に車を走らせた。ひょっとして、まだカメラに収めていない200形の213にどこかで遭遇できないかなと思ったからである。そうすると、ものの3分もしないうちに、待望のグリーンの車体とすれ違った。(これには、我ながらさすがに驚いた・・)あわててUターンして先回りして、伊野行きの下りを1枚撮り、伊野の折り返しの停車中もしっかりカメラに収めることができた。日曜日で道が渋滞していて、上りは213に途中で追い抜かれてしまったが、しっかりバイパスから先回りして、旭町一丁目の電停で待ち伏せし、しっかり上りの走行写真もカメラに収めることができた。唯一の復元色の213は、何とも言えないレトロな雰囲気で、またじっくりと撮ってみたいものである。この2131954年(昭和29年)の製造であり、ゴハチと同世代で、小生などよりも5歳も年上であるが、現役バリバリであるのは、頼もしい限りである。(写真・文:TBlog_2011322

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2011年3月 1日 (火)

日本航空(JAL)のジャンボ(B747)

いよいよ今日でJALのB747もラストフライトとなる。かたや、昨日は鶴丸の復活ということでのお披露目があった。世間が騒ぐとなぜか冷めてしまう性分なので静かにJALジャンボを見送ることとしたい。

結果的に最後に撮ったのは1月8日の羽田空港で釣り船をチャーターして撮ったD滑走路から富士山を背景に離陸し、少しひねりを加えながら青空の中に消えていく姿だった。

初めて搭乗してから36年、搭乗機体は20機弱、回数は30回ほどしかないが、そのほとんどは欧州路線なので時間的にはそこそこ乗っている。その半分くらいはビジネスクラスで、ファーストクラスも2度ほど経験できた。

撮影済みも、早期に無くなったJA8109や御巣鷹のJA8114などは撮れなかったが、貨物機も入れて100機程度はカウントされていると思う。

そんな思い出深いJALのジャンボ、最後のショットを記念にアップしたい。

(写真・文:K.M)

2011年1月8日 羽田空港にて

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