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2011年2月

2011年2月28日 (月)

EF62重連貨物や、特急あさまを自宅から撮影

転勤先の新潟県上越市で4年過ごしたとき、住居選びの決め手となったのは「信越本線のすぐ近く」ということだった。しかも踏み切りが近い木造2階建てのアパートだったので家賃は格安だった。

場所は高田と春日山の間で、家のすぐ前がまさに撮影地、部屋の窓からも撮影が可能だった。踏切が近いので夜中の貨物や夜行列車(EF62牽引の急行能登)の通過も寝ながらにして感じることが出来た。

上の写真の「あさま」は部屋の窓からのショット、下のEF62重連(上り貨物列車)はアパートから線路のすぐ反対側で撮ったもので、玄関を出てから15秒ほどで行けるという場所。

冬のシュプールユーロ赤倉号の牽引機の確認は、寝巻きのまま窓を5センチほど開けての確認が週末の日課であった。

(写真・文:K.M)

1986年 信越線 高田ー春日山間にて

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2011年2月27日 (日)

EF5861(ロクイチ)初の成田臨

本ブログのタイトルであるロクイチ(EF5861)から少し離れてしまったので原点回帰で1枚。

初詣の臨時列車といえば以前(基準日は1980年代)は「高尾臨」にEF57やEF13が充当されるかどうかだった。鎌倉や成田方面へは電車がほとんどだったのであまり注目されることはなかったように思う。

それが1988年から一変! 上野から成田に向かう客車臨時列車にEF58が充当されることとなって61号機や89号機が運用に入る日は、まさにお年玉で沿線はお祭り騒ぎとなった。

その「初運用」は1988年1月10日。単線区間でロクイチが撮れることは珍しく、また時間帯も下りは日の出直後、返しは午前中の良い光線状態と言う事なし。昼前にゴハチを撮り終えたあとは当然成田空港に行って、昼過ぎから降りてくるユナイテッドやアメリカンのB747SP、デルタのL1011ロッキード・トライスター、タンゴリマと呼ばれていたTMAのB707の貨物機などを狙うという充実した効率の良い撮影が出来た。

写真は初運用の上り列車。私にしては珍しく、かぶりつきの場所でペンタ67の標準レンズで撮っている。光線もかろうじて正面にまわり、1エンド先頭の姿はなかなか好感が持てるカットとなった。

(写真・文:K.M.)

1988年1月10日 EF5861+12系6両 回9836列車 小林にて

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2011年2月26日 (土)

DD53の特雪

1982年に就職し、1985年夏まで静岡で過ごした。丁度EF58の末期から荷物列車がEF62になり、ブルトレがEF66の牽引に変わったのを見届けるように転勤の辞令が出て新潟の上越市に移り1989年まで4年間を過ごした。

華やかな東海道本線沿線から日本海側への異動で、撮影対象があるのか少し心配したがそれは杞憂に終わった。高田を拠点に信越本線、篠ノ井線、大糸線、北陸本線と飽きない4年間だった。しかも1986年からはスキー臨の「シュプール」が運転され、冬場は毎週末とても忙しく撮影に時間を費やした。特にEF6466牽引のシュプールユーロライナーは、間違いなく誰よりも私が撮影していると自負している。

ところがこの1980年代中頃は豪雪の時期で、一晩で1mも降ったり、街中でも4mの積雪で交通も遮断されるなど、生活にも支障をきたすことしばしばで、大雪の日は撮影に行くどころではないこともあった。

そんな中、Aさんが撮影に来られ、豪雪の中、シュプールユーロ赤倉を追いかけた。ところが線路端に近寄ることもままならぬ状態で右往左往していると偶然DD53の特雪が現れた。

今でこそ「特雪」を追いかけている方も多くなっているようだが、当時、特に雪国に住む者にとっては特雪は撮影対象といった感じではなく、生活確保の頼もしい存在だった。

4年間を高田で過ごしたが、DD53の特雪を取ったのはこの時1回だけだった。

(写真・文:K.M.)

1986年1月26日 特雪666列車 DD532 二本木にて

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本日の「あしずり1号」

UさんやTAさんご一行様が高知に来られて楽しい時を過ごしてから早いものでもう1週間経ってしまった。なかなか気の利いた被写体も撮影場所もない中、退屈されたのでないかと気がかりであるが、ひろめ市場をはじめとする酒飲み天国での高知の食材とお酒は気に入って頂けたようで、何とも嬉しい限りである。家内やワンコも高知に来ていたし、今週は本社の副社長が来訪し、そのアテンドでスケジュールが目一杯であったことに加え、社内旅行も重なって日帰りで松山までトンボ返りで引率するなどしていて、暫くブログの更新をサボっていたので久しぶりに写真をアップさせて頂きます。先週20日に岡花~土佐加茂で撮った「あしずり1号」と本日同じ場所で順光側から撮ったN2000系の「あしずり1号」。線路脇の雑草が凄かったので、今日はホームセンターで鎌を買って周囲の草刈りをして臨んだのであるが、当地のホームセンターでは鎌だけでも大小とりまぜていったい何種類の品揃えがあったことだろう・・都会のホームセンターでは考えられない程の豊富な数に加え、様々な「プロ仕様」の鎌もあり、さすがに農家の本場であることを改めて実感した次第。それにしても、同じ場所でも車両とアングルが違うだけで随分印象が異なるものだナ・・高知は昨日・今日と春のようなポカポカ陽気であるが、その分周囲の山は杉の木だらけで、筋金入りの花粉症の小生にとっては、鉄ちゃんは辛い季節である。(写真・文:TBlog_20112261

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2011年2月24日 (木)

EF5835牽引のお座敷列車

1980年の夏、EF641000番台の性能試験列車を撮る合間に、石打からの下り列車で福井のお座敷列車が運転された。

当時、お座敷列車は81系を中心にまだまだ残ってはいたが、グリーンの帯が6両とも残っていたのはこの福井のものと九州の鳥栖所属のものくらいだったと記憶している。団体臨時列車の運用を調べるなかで、これら通称「キンフイ(金沢鉄道管理局の福井)と、モントス(門司鉄道管理局の鳥栖)」の客車運用は注目されていたし、どの機関車との組み合わせかも大切な要素だった。

この日は長岡のEF58の運用で、どの番号が来るか待っていると、7枚窓の35号機が現れて拍手喝采となった。長岡のゴハチ団臨というと、なぜか107号機とか110号機が多かったように思うが、末期のころはファンサービスなのか(?)35号機も結構投入されていたようだ。

その後、上越線にEF641000番台が本運用に就いたころと、「キンフイ座敷」からグリーン帯が消えた時期がほぼ同じだったので、EF641000が帯び付き座敷を牽引する組み合わせは1~2回しかなかったようだ。Aさんはそれを水上の鉄橋で撮られていたと記憶している。

(写真・文:K.M.)

1980年8月29日 9433列車 EF5835+お座敷列車 石打にて撮影

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2011年2月20日 (日)

JALのジャンボジェット(B747)退役カウントダウン:JA8101の思い出

今日、羽田空港の国際線就航ラッシュが一段落したとの記事があった。成田空港開業後、一部を除いてほぼ国内線に特化していたときから比べると隔世の感がある。

かたや日本航空(JAL)からのジャンボ(B747)退役まであと10日ほどになってしまった。国内線の400Dは今日の沖縄ー羽田のチャーター便で運航を終えたようだ。多分月末から月初にかけての成田では惜別の撮影者や見学者で賑わうのであろう。新聞記事も色々出るだろうから世間的にも注目のイベントになるのであろう。私の勤務先では私が鉄道や飛行機が大好きというのが一部の社員には知れているので、よく「さよなら○○列車」とかいう記事が一般紙に載ると「行ったんですか?」と聞かれることが多い。でも、その答えのほとんどは「今さら行かない」である。今回のJALジャンボ引退騒動(?)にも関わるつもりはない。

一日成田や羽田に居れば以前は数十回(以上)もの撮影機会があったわけで、わたしはコツコツとシャッターを切っていたので、今更、わざわざ混雑の中に出向いてJALのジャンボを撮っても仕方が無い。

はじめてジャンボに乗ったのは1974年のパンナムの世界一周の路線のロンドンからニューデリーまで。JALのジャンボ初搭乗はパリのシャルルドゴール空港からで機体はJA8105だった。

今日現在、1420機ほど製造されたB747のうち、1261機を撮影してきた。その中で特別な思い入れをもった機体も何機かあるが、JALの中ではやはりトップナンバーのJA8101になると思う。短いコブ(2階部分)に窓の数が少ない、初期のころのB747や短い胴体のB747SPなどが好みだ。

ジャンボの引退と期を同じくしてJALでは鶴丸を復活させるらしい。しかし、あのノッペリした白の胴体では、あまり鶴丸も映えないのではないかと感じる。

やはり赤と紺の帯をまとった胴体にこそ鶴丸は似合うのではないだろうか。

JA8101もデビューからずっとこの塗装で飛んできて、最後の数年のみ新塗装になったが、生涯尾翼には鶴丸が燦然と輝いていた。特に海外の空港で鶴丸を見ると、日本人としてはやはりなにかほっとするものがあった。写真は1991年1月に香港のカイタック空港で撮影したもの。この空港も無くなってしまったが、昨年秋に香港に行った帰路の飛行機が、丁度カイタック上空を飛んだときに見下ろすと、上空からははっきり空港の跡が残っていたのには驚いた。

でもホンコンカーブも、JALの鶴丸ジャンボも、すでに写真と思い出の中に在るのみになってしまった。

(写真・文:K.M.)

1991年1月 香港カイタック空港 ホンコンカーブを曲がりRW13に降りるJA8101

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1991年1月 離陸のためにRW13へ向けてタクシイングするJA8101

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EF641000番台 性能試験 (その2)

1980年の夏に行われたEF641000番台の性能試験、客車列車を牽引しての試験には12系12両が使用された。機関車2台とマヤ10を合わせて15両の編成が上越国境を行きかう姿は迫力があった。全編成を綺麗に入れて撮れる場所探しに苦労した。

(写真・文:K.M)

1980年8月26日 試9772列車 EF6475+マヤ10+EF641002+12系12両 越後中里にて

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2011年2月19日 (土)

EF641000番台 デビューの頃の試運転

EF641000番台がデビューしたのが1980年夏、横から見て左右非対称のスタイルや、洗練された顔つきには惹かれるものがあった。

これまでも書いてきたようにEF16をメインに通った上越国境にもこの時、世代交代の波が押し寄せてきていた。関西で作られたボディーは東海道本線を仮台車を履いて上京。完成後は水上機関区に留置されて上越国境で各種試運転が行われた。

EF641002とEF6475の間にマヤ10をはさみ、12系12両や貨物列車を牽引しての性能試験が1980年8月から9月にかけて連日のように水上ー石打間で行われていた。

当然、通常の貨物列車は相変わらずEF16+EF15で運転されていたし、181系のときなども当たり前のように撮影できたから、かなりの頻度で通ったのは言うまでもない。

Uさんたちと行った8月下旬も、水上や石打でのバルブやEF5835のお座敷列車なども堪能し、おまけにUさんがアップされた3重連なども撮れた。

Uさんの3重連と同じ日に同じ場所での試運転列車。当然Uさんも撮られているが、写真が出てきたのでご紹介する。まだEF6475が先頭のものや、12系試運転などもあるので、今後アップしていこうかと思う。

(写真・文:K.M)

1980年8月29日 試9773列車 EF641002+マヤ10+EF6475+貨物 越後中里にて

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2011年2月18日 (金)

D7000の撮り下ろし

U氏や京都のH氏に「絶賛のお勧め」をうけ、いよいよ(遅っ!)デジイチデビューとなりましたが、なかなか出撃機会もなくマニュアルと現物のにらめっこばかり。 やっと先日テストがてら、阪急やら北方貨物、城東貨物に行ってきました。

習うよりは慣れろですかね。。。初デジにしては及第点なのか?どうもデータ管理のPCの追加投資がまたかかりそうですが(爆) 

城東貨物はダイ改後、EL化とのことなので寒冷地流れのDD51の活躍もあと少し。。。

写真・文 T.A.

赤川鉄橋を行く DD51757(吹)

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阪急最新の9002F「未来のあかり」Hankyu9002f.

 

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2011年2月17日 (木)

上越国境の貨物列車

明後日から高知へ出張。2件の仕事をこなすので3泊4日の日程だ。それでも20日の日曜日はほぼ一日中、自由行動が可能だから現地に赴任しているT氏と大阪から遊びに行くA氏らと四国の車両を撮影する予定。すでにT氏がいろいろとプランを立ててくださっているようで、魅力に欠けるJR四国の車両とはいえ、なかなか撮影する機会はないだろうから存分に撮って来たい。もちろん夜の食事も楽しみ。土佐清水のサバや初ガツオにもありつけるかもしれない。

大阪のお仲間たちと山口線に繰り出し撮影を楽しめたのは昨秋のこと。つい最近もH氏のご厚意で北近畿方面に各種特急電車を撮りに行ったが、やはり鉄道撮影もお仲間が一緒だとなお楽しい。このところ東京のお仲間たちとは一緒に撮影するチャンスはないが、4月の磐越西線のD51498などはどなたかご同道できる人はいないだろうか。
きっとJR四国各線は他のJR各社に比べてファンも少ないだろうからのんびりと好きなように撮影できそうでそんな意味でも楽しめそうだ。

今回アップするEF16の貨物列車(3両目は無動回送)を撮影したときもK・M氏やT・H氏と一緒だった。上野から夜行の各駅停車に乗り水上、石打でバルブ撮影後、EF641000番台の試験運転を撮った。3日に渡る撮影行だったが楽しい思い出だ。

(写真、文 U)

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2011年2月13日 (日)

今ならミステリー列車 EF58 EF15 EF12 EF62 EF63

今も一部残っているようだが、一時期「ミステリー列車」というものが流行った。行き先不明を売り物にした団体臨時列車だが、行き先不明の割には沿線いたるところでファンが撮影しているという、まあ、緩い情報管理のお楽しみ列車だった。

流行の発端になったのは「銀河鉄道999号」だったように記憶している。その後様々な企画が立てられ、貨物線や海底トンネルを経由したり、様々な線区に色々な機関車で運転された。

いま、昔の写真をスキャンしながら過去の撮影記録などと突き合せているが、一般の団体列車ながら、ミステリー列車並みのものを見つけた。

1979年9月17日(月)から21日(金)に運転された高崎の12系7両(西東臨364)である。

17日に高崎からEF58(高二)で新宿まで回9336、新宿から日野まで回9535をEF1589が回送。18日にEF1589が日野ー新宿間の9530、新宿ー高崎の9831をEF58(高二)、高崎から吾妻線の長野原までの9531をEF1217、折り返し高崎までの回9532もEF1217。

9月20日は高崎から軽井沢までの回9335をEF62(高二)で、碓氷峠は後ろにEF63重連の補機。お客さんを軽井沢で乗せて、高崎までの9336はEF63+EF63+EF62の3重連(横川からはEF62単機牽引)、高崎から新宿までの9336はEF5890、新宿ー日野の9535はEF1562(八)、翌日21日の回9532が再びEF1562で新宿ー高崎の回9301がEF5890・・・・といった具合。

八王子方面から、草津・軽井沢方面への団体客の輸送だが、これだけの種類の機関車が牽引するのは比較的珍しい出来事だと思う。

写真は1979年9月20日に帰りのお客さんを乗せて新宿駅3番線に停車中(16:50-17:22)のEF1562牽引の9535列車。2枚目が翌日の回9532列車を地元の東中野で撮ったもの。

(写真・文:K.M.)

1979年9月20日 9535列車 新宿駅にて

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1979年9月21日 回9532列車 東中野駅にて

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2011年2月11日 (金)

EF5861(ロクイチ)SG使用最後の冬

蒸気機関車による牽引を起源とする客車列車の冬季暖房の仕組みが「蒸気」であって極自然である。それを受け継ぎ、機関車自体の動力源が電気になってからも、かなりの間は機関車に水と油を積んでの蒸気暖房、通称SGが使われていた。今から思えば電気機関車にわざわざボイラーを設置し、電気機械が苦手とする水を積み込むのは少し違和感はあるが、当時は当然のことのように思っていた。

SG暖房の列車に乗るときは、長い編成の後ろのほうだと蒸気が十分来ないので寒い・・・かといって先頭すぎると熱すぎる・・・といった話がまことしやかに流され、真偽のほどは定かではないものの、前から2~3両目に乗るようにはしていた記憶がある。

そういえば学校の暖房も、昔はダルマストーブに石炭くべてたし、その後は灯油の石油ストームから、スチーム暖房になり、今では恐らくほとんどがエアコンを使っているであろうし、我が家もその昔は灯油のストーブだったのが、今やオール電化になり、石炭や石油はおろか、都市ガスも引かずに100%電気頼りになってしまっている。

ゴハチを追いかけていた1980年代、運用表には、どこで油や水を補給するかが記されており、蒸気時代の石炭&水の積み込みの名残を残していた。

そんなSGもEGにとって代わられ、また列車暖房のやり方も変わってきたので、今やほとんど「水蒸気を吐く電気機関車」は無くなってしまった。

EF5861(ロクイチ)も、1984年まではSGを使用していたが、その後使用停止となっている。最後にSGを使っていたのは1984年3月まで、丁度、東海道本線の荷物列車の運用がEF58からEF62にバトンタッチされたのとほぼ同時期である。

【2/12追記:61号機は2月29日汐留着の荷34列車で東京機関区に帰区した翌日の3月1日から3月28日まで「特別休車」に指定されていた。再び稼動し始めたのが4月2日からで、結果的に最後にSGを使用する運用に就いたのは4月13日(金)の品川の81系お座敷列車、品川ー伊豆急下田の往復運用(回9523-9524列車)となった。】

写真は1984年1月14日浜松機関区で撮ったEF5861。この時は、丁度浜松のEF58が台検で東京機関区に数日間とどまるため、その差し替えで東京機関区のEF58がA1016運用に入り、本来浜松のEF58牽引の荷2031列車ー荷34列車ー荷38列車にEF5861が充当されたときのもの。この時は1月14日、16日、18日の3日間、浜松ー汐留間の荷38列車を牽引した。運転日の3日間とも素晴らしい天気に恵まれ、掛川ー菊川でなかなか良い作品が残せた。手帳の記録によれば中日の1月16日(祝:月)はここにもご登場の某I氏とA氏を掛川の撮影場所まで私の車でご案内したとなっている。

出区前のSG試験で、3ヶ所から勢い良く蒸気を吐くEF5861のカットは、良い記録になった。また、どこからSGの蒸気が出るのかということも良くわかる写真でもある。この2ヵ月後には、もうもうと煙を上げるロクイチの姿は過去のものとなった。

(写真・文:K.M.)

1984年1月14日 浜松機関区にて

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2011年2月 9日 (水)

EF1611と特急いなほ

Uさんが水上・EF16の流れに乗っていただいているので、とりあえずその流れを崩さずにと思って写真を探してみた。このところ白黒67のスキャン画像ばかりだったので、カラーポジを探してみたら、偶然このような2枚が並んでいた。

私は結構「来たら撮る」派だったので、お目当ての列車の合間に来る113系や115系などにもシャッターを切っていた。当然特急列車も頻繁にやってきたので、上越に限らず、東北本線、東海道本線での撮影では(今ほどではないにしろ)フィルムは消化していたほうだと思う。

真冬の深夜にカラーポジでのバルブ撮影は、何度も露出の失敗を繰り返して、ようやく何枚かの合格点の作品が残せた感じ。この石打のバルブも、まあいいほうの部類かと思う。

(写真・文:K.M.)

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2011年2月 8日 (火)

再びEF16

土日は大阪のH氏の車に乗せていただき北近畿方面や新疋田に行って来た。3月のダイヤ改正でなくなる183系200番台をはじめ、「北近畿」「はしだて」「文殊」「雷鳥」などを撮ることができ、2日間でこれらの列車を〝一網打尽〟にした(残念ながら「たんば」のみ撮影できなかったが…)。機関車以外にあまり興味のない昔だったら撮ることはない被写体だが、国鉄型の車両がどんどん消えていく昨今、鉄道撮影に復帰した身としてはこれらの車両を無視するわけにはいかない。
183系や485系の特急電車など昔はざらに走っていたから、電車に興味のない自分としては撮っていない特急もかなりある。今回アップするEF16重連のバックに写っている「いなほ」など、撮ってはいるのだろうがどのフィルムに納まっているのか見当もつかない。

さてK・M氏のEF16に触発されて今回は水上を発車する貨物列車。私自身は石打のバルブなど1回しか行ったことがない。当時はフィルム時代。今のようにすぐに撮影結果がわからず、しかも露出を失敗しているかもしれないことに不安を感じ何枚も撮っておかなければならず、そういう意味ではフィルムの消費は少なくなかった。石打は光の回りも良く、ほとんどリスクのない撮影地だったが、東海道線の大窓ゴハチに入れ込んでいた自分としては積極的にトライする対象にはならなかった。後年、K・M氏がアップされたような画像やA氏の素晴らしい写真を見て後悔するのだが。

あのころの水上機関区は上越国境を越える列車の補機を務めるEF16が配置され盛況を呈していた。同機関区を訪れた人は、構内の外れにあるこの写真を撮ることができた踏切を懐かしく感じるのではないだろうか。

(写真・文 U)

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2011年2月 7日 (月)

撮影地新規開拓(続)

このところ、皆さま積極的にブログを更新なさっていて、何よりです。さて、高知では、先週までに寒さは落ち着き、この週末は春が近いことを思わせるような陽気となった。首都圏では、EF81133+ハネ・12系9両という豪華なハンドル訓練が実施されたようで羨ましい限りであるが、我がお仲間はどなたも出撃されてはいないようで残念だ。さて、当方はせっせとマンネリ打破のために、「あしずり1号」の撮影地の新規開拓に余念がない。5日(土)と6日(日)は、土佐加茂、岡花周辺を再度物色し、かろうじて自分としては新しい順光アングルで撮影することができた。ところで、19日(土)・20日には、U氏とTA氏ご一行様が高知にいらっしゃるという嬉しいお話を頂戴した。土佐の高知は大河ドラマも「龍馬であい博」も終了してしまい、これといった観光のメインがないので、案内役としては日中どこにお連れしたらいいのか、はっきり申し上げていいアイデアがないのであるが、まあメインは夜の美味しい料理と酒であって、鉄道にはなり得ないことは仕方のないところ。しかし、案内役が日頃全くカメラを向けたことのないのでは洒落にならないので、一応土佐電鐡の路面電車も撮ってみた。(通称電車通と言われる大通りでは、車が邪魔して撮りづらいので、文珠通あたりで今回はすっきりした場所を探した)調べたら、例の「維新号」も龍馬博の終了で最早運行していないようで、がっかりだったが、せめて非冷の200形が撮れたことは幸いであった。(本当は、グリーンのレトロ色の213に来て欲しかったのであったが、この206も非冷だけでなく、パンタも旧式でなかなか渋い・・)いずれにしても、せっかく機関車好きの面々が来られるのに、県内に機関車というモノが走っていないことは困ったものである。Uさん、TAさん楽しみにお待ちしております。(写真・文:T) P.S.:今朝のニュースで、片岡~矢板の有名ポイントで「カシオペア撮影中の撮り鉄が、地元の方からナタを振り上げられ『出て行かないと殺すぞ!』と脅された」との報道があった。不幸中の幸いで惨事にはならないで済んだようであるが、小生も度々足を運んだポイントで、東側から狭い道を突き当たりの踏み切りぎりぎりまで車を乗り入れているケースを何度か目撃しており、撮影者ですら邪魔に思ったこともしばしば。今回のケースの詳細を存じ上げないので軽々しく意見することは適切ではなく、また容疑者を擁護するつもりは更々ないが、我々は、あくまで「よそ者」であり、地元の方の生活の邪魔にならないように配慮すべきであることは言うまでもない。Blog_2011271

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2011年2月 6日 (日)

今月の1枚 (1月)

またまた間があいてしまった・・

カレンダーは早くも2月に突入しているが、1月に撮影した中から選んでご報告する。

今月(1月)は、仕事がらみではあるけれど、長野へ2回遠征してきた。どちらも中央西線の貨物列車をメインとした動きをして、残り時間で115系電車の団臨と、長野電鉄2000系を狙ってきた。今年は、全国的に雪が多く寒い日が多いようで、久々の西線の雪景色を堪能できたことが最大の収穫か。この時期は、ここを走る貨物も運休なくほぼ運転されているのも、撮影には都合が良い。朝まだ暗いうちから動き出し、南松本で、カマ番を確認後撮影地へ先回りするのもいつものやり方だ。ロクヨンの0番代が当たり前だった西線も、ご承知の通り今やロクヨンの1000番台が台頭している。わずかに残っている0番代も遠征した2回ともたまたま撮影できたので幸運だったかもしれない。掲載写真は、奈良井を発車し小雪降る中を徐々に速度を上げてきた重連のEF641000番台6883レ。運悪く先頭は国鉄色であった。できれば重連のカマ色はお揃いで来て欲しかったから、この時はそう思ってしまった。まぁどちらかと聞かれれば、もちろん国鉄色なんでしょうけど。この6883レは、途中何度か長時間停車があり、無理なく数回撮影ができるので、このスジを行程のメインとすると効率が良いことも今回わかった。ロクヨン好きな皆さん、石油輸送盛んなこの時期に行かれてみては如何でしょう。

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2011年1月15日  中央西線:奈良井-木曽平沢  6883レ

さて2月は、どんな報告ができるだろうか。気負うことなく自分らしい写真を目指していきたい。乞うご期待としておこう!

(写真・文: K )

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2011年2月 5日 (土)

上越国境で活躍するEF1612

Uさんが水上機関区でのEF1612号機をアップしてくれた。1980年当時、10機ほど居たEF16の中でも、11号機と12号機は乗務員扉上のヒサシがついていて一際目立っていた。

これまで真冬の北海道や寒風ふきすさぶ日本海側など何度も厳しい寒さの中での撮影は経験してきたが、この冬の上越国境の深夜バルブも最大級の寒さであった。

スキー臨が運転される2月の週末を狙って水上ー越後中里ー越後湯沢ー石打などに通ったものである。EF16+EF58の昼の8702列車や貨物列車の撮影もさることながら、深夜の石打で展開される上り夜行列車や貨物列車の補機連結作業のバルブ撮影も主目的であったので、ほとんど寝る時間も無いような状態で寒さに耐え、体力勝負の撮影をやっていた。今ならそばに車を停めて暖房を入れ、撮影時間だけ外に出るのだろうけど、当時の石打バルブはほぼ終夜外に居るか、列車の合間だけ待合室に戻るしかなかった。

しかも列車はかなりの頻度でやってくるので嬉しい悲鳴。撮影場所と待合室の間が積雪の時には足元は悪く迂回もしなければならないこともあり片道15分弱はかかったので、たとえば列車間合いが40分あったとしても待合室に居られるのは10分くらい。でも戻らないと40分何もせずに外で寒さに震えるという究極の選択を迫られる状況だった。撮影場所の横にある作業小屋の屋根からは長さ1.5mにもなろうかという、ぶっといツララが何十本も垂れ下がっていたのを覚えている。

当然前述のEF1611号機、EF1612号機が補機で付く列車は見逃せないので必死で三脚に固定したペンタ67のレリーズを頑張って押した。トライXで絞りf8で30秒露光というのが当時のスタンダードだったと記憶している。

上の写真は1980年2月10日に石打で撮ったEF1612+EF15143の3886列車である。

その下は2月9日に水上機関区を出区するEF1612号機。

(写真・文:K.M.)

1980年2月10日 EF1612+EF15143 3886列車 石打駅にて

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1980年2月9日 EF1612 水上機関区にて

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2011年2月 4日 (金)

私も水上機関区のEF16

こちらのブログ、このところT氏、M氏にお任せっきりで怠けておりました。お二方ともありがとうございます。
さてこのところ大阪~東京を行ったり来たりで関西では鉄道撮影をほとんどやっておりません。横浜に帰っても先日などは4日続けて「あけぼの」が大雪で運休となり、畑違いの小田急電車などでストレスを解消している昨今です。ただそろそろ日の出時刻も早まってきましたから定時で「あけぼの」が上ってきても東十条あたりでキャッチでき、それはそれでまた楽しみです。
3月以降は青森ディストネーションにでも重ねるように、大船~青森で24系客車を使用した「あおもり」(ヘッドマーク付き)、583系の「ふくしま花見山」号(4月9,10,16,17,23,24、仙台~福島で運転)、D51498の「ばんえつ物語」、DE10重連の「DL村上ひな街道」、大阪ではゆうゆうサロンのお別れ列車など面白そうな列車がめじろ押し。全てを撮りには行けませんがひじょうに楽しみな春到来といったところでしょうか。

今回はK・M氏と同じく当時の水上機関区で撮影した運転室扉にひさしの付いたEF1612をアップします。同氏とは違って35ミリのトライXでシャープさに欠ける画像ですが、EF16がゴロゴロしていた頃の同機関区が偲ばれます。

(写真、文 U)

Ef16

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2011年2月 3日 (木)

水上機関区に佇むEF16

以前、水上の道の駅に保存されているEF1628号機の写真をアップした。

その現役当時の写真が出てきたのでご紹介する。懐かしい水上機関区の倉の前に仲良く並ぶEF1628号機とEF1629号機。このとき買ったばかりのペンタ67(67購入の経緯については、また改めてご紹介したい)で撮ったもの。右奥には31号機の姿も見える、まさにEF16の天下だった時代である。

この場所、今は更地となり、蒸機が走ると人々が行きかう広場になってしまっているが、当時を知るものにとってはとても懐かしい場所。1989年12月にオリエント急行をEF5861(ロクイチ)が牽引した際には、この倉の奥に帯泊していたし、EF16からEF641000への置き換えの試運転時には、様々なバラエティーの機関車の並びも撮影できた。

この28号機が、あのような悲惨な状況になってしまっているのは悲しいが、29号機は解体されてしまっているのでなんとも言えない。

(写真・文:K.M.)

1980年2月10日(日) 水上機関区にて

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