« JALのジャンボ(B747)退役を実感 | トップページ | 昭和50年12月24日の夕張線 D51241 »

2010年12月19日 (日)

〝夙川〟のロクイチ

記事の更新を滞らせてしまった。
先月は多忙を極めたが、師走の今月もそこそこ忙しい。会議の数こそいくらか減ったものの忘年会や年末のうちにかたづけなくてはならない仕事が多い。大阪に来て2度目の年末だから、昨年より仕事も手慣れてもっと楽になるかと思ったが案に反してそうもいかない。明日もまた出張で、今日のうちにそれに関して自分なりの考えをまとめておかなければならない。午前中は久しぶりに大阪界隈で「日本海」や「カニカニエクスプレス」などを撮ったが、午後は仕事のための時間を割く必要がある。アイロンでもかけながら仕事のことでも考えるとしよう。

今年もずいぶんいろいろな列車や車両を撮った。
自分にとって最も大きなニュースとして印象に残るのはやはり「北陸」の消滅。ブルートレインの衰退は時代の趨勢だが、分かってはいても現実となると一抹の寂しさはぬぐえない。特に好きなEF641000番台の牽く列車だったからなおさらその感は強く残る。残る「あけぼの」は後悔のないよう、撮れるうちに足繁く撮影に出向いておきたい。
本日、自分自身としてはこれで見納めとなるであろうキハ181系を撮った。この趣味を始めてさまざまな列車でその姿を見てきたが、これが最後かと思うと感慨深い。「はまかぜ」で定期列車から撤退したときがひとつの区切りではあったが、いよいよ線路上からその姿が見られなくなる。マンガっぽいヘッドマークでちょっと抵抗がある列車だったが、今朝は早く起きることができたので寒さをがまんして大阪駅までの回送列車を日の出から間もない千里丘のホームで見送った。
ボンネット型の489系の「能登」が消えたのも時代の区切りを感じさせる。「こだま」型の電車は国鉄時代から受け継がれたシンボリックなものだったが、遂に定期列車から撤退し残るは団体列車だけになってしまった。

消えるものばかりがニュースではない。「北斗星」には新たにEF510の500番台が投入され客車列車のファンには目新しいニュースとなった。その裏にはEF81の大量廃車という惜しまれる話題もあったが、ともあれこれでブルートレインの存続が決まったという意味では明るい話として取り上げても良いと思う。少なくとも北海道ではDD51が重連で牽く姿が見られるのだから。
また来年はJR東日本のC61が復活する。それほど好きなSLではないが、間違いなく明るいニュースだ。来年早々には復活した姿が見られるのであろう。

自分にとって趣味の分野で今年一番良かったことは11月の山口線撮影行。30年ぶりに旧友に会えたし、古くからのお仲間Tさんも高知から駆けつけ、なおかつ新しい友人や知人もできた。復活後、初めてこの目で見た集煙装置を外したC571も予想以上に素敵なスタイルで、沿線の風景に同化して友人たちとたっぷり晩秋の2日間を堪能した。
初めて見たのは本来の姿に戻ったC571だけではない。セノハチの補機EF67も同様だ。デビューした当時は鉄道撮影から離れつつあったころで、出張の合間の寸暇を利用して1号機を含む3両を撮影することができた。もともとEF60、65からの改造だから誕生後、かなりの年月が経っているわけだが、今のところ交代する話は聞こえてこないのは不思議だ。そのうち古くなったEF651000番台あたりをタネ車として、新たなセノハチ用補機が誕生するかもしれないなどと想像しているのは自分だけだろうか。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

このところ表題の「ロクイチ」の画像がご無沙汰なので1980年7月撮影のものをアップする。お座敷列車を牽いて当時の西宮~芦屋を下るシーン。
ここは阪急神戸線の夙川駅から歩くのが最も近く、関西方面に撮影に行くときにはよく通ったポイントだ。社会人となった自分はこの3年後、転勤となって大阪に勤務したが、借りた部屋はこの場所にほど近い西宮北口だった。このときも今回の大阪勤務でお世話になっているA氏が一緒だったと記憶している。
ところで夙川の「夙」という字。自分の親戚がここに住んでいたから、早いうちから読めたものの、ほかにこの「夙」という字を使った経験がない。最近、大阪に転勤してきた新人が「たこがわ」と読んだのにはビックリしたが。

(写真、文 U)

Photo

|

« JALのジャンボ(B747)退役を実感 | トップページ | 昭和50年12月24日の夕張線 D51241 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

鉄道」カテゴリの記事

コメント

Uさま。
このお座敷列車は品川のシナ座、宮原のミハ座のどちらかですね。
両者の見分け方は
シナ座:中間車4両のうち、幕板が広く雨樋の位置が上寄りなのが3両続けて連結されている。
ミハ座:中間車4両のうち、幕板が広く雨樋の位置が上寄りなのが1両だけ連結されている。
となっていますので、この方法を当てはめるとこの編成はミハ座であることが判ります。
ロクイチとシナ座の組み合わせは多かったようですが、ミハ座を牽引したことがあったとは知りませんでした。珍しい組み合わせですね。

投稿: ゴハチ信者 | 2010年12月19日 (日) 19時01分

ゴハチ信者さま、いつもコメントありがとうございます。今回はお返事が遅くなり申し訳ありません。
ご指摘の通り、この画像は1980年7月26日にEF5861が宮原のお座敷客車を牽引したときのものです。この運用はもともと東京機関区の1980年7月22日施行のA126運用中、宮原で駐機した際に行われた間合い運用で、大阪から姫路へ12系×12を牽き、そのまま京都へ折り返し、いったん単機で宮原へ戻り、さらに宮原のお座敷列車を姫路まで牽いて往復するというものでした。したがって宮原~姫路までをこの日2往復したわけです。今考えると他局の機関車をこのように使用することが可能だったことに驚かされます。
たしかにロクイチが宮原のロザを牽くのはこの一回限りしか私は記録しておりません。そういう意味では貴重なのでしょうが、外見上は品川のロザとそう大きな違いはなく、撮影後の手応えはあまり感じませんでしたが、このような観点から当方の拙い写真を見ていただき光栄です。

投稿: U | 2010年12月26日 (日) 09時44分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1215589/38136002

この記事へのトラックバック一覧です: 〝夙川〟のロクイチ:

« JALのジャンボ(B747)退役を実感 | トップページ | 昭和50年12月24日の夕張線 D51241 »