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2010年12月

2010年12月31日 (金)

良いお年を!

2010年も最後の1日となった。単身赴任先の大阪と東京を行ったり来たりしながら「日本海」や「あけぼの」を中心に撮影してきたが、趣味的には悪くない生活だ。幸い両列車とも廃止されることなく来年もまた撮り続けることができるのはありがたい。ブルートレインはいつ廃止になってもおかしくはないご時世だから、新しい年もさらにパワーアップしてこれらの列車を撮り続けたいと考えている。

さて来年はひょっとすると大阪から東京に戻ることも考えられる。大阪では先日の山口線や、趣味の飲み会で知り合った方々に恵まれ、自分なりに良い記録ができたと思うが、さらに手応えある写真を撮るべく、レンタカーなども活用してあちこちへ行けたらありがたい。
高松の琴平電鉄のレトロ電車、伯備線のEF64貨物、舞鶴周辺の特急電車などはぜひとも行っておきたいし、手近なところでは城東貨物線や新疋田、それに最近見つけた千里丘などにも繰り返し出撃したいものだ。

ただ今年は模型の方にあまり時間と金を割くことができなかったのは残念だ。けっきょく購入したのは天賞堂のプラスチック製C58(重装備タイプ)のみで、珊瑚のD52北海道型キット
などを手に入れることができなかった。買おうと思えば買えない状況ではなかったのだが、鉄道撮影に勤しんだ結果、模型店めぐりをする機会がなく、製品の魅力をこの目で見るチャンスを逸してしまったのが大きい。来年はもう少し実物と模型のバランスを考えて趣味生活を送りたいと思っている。

私の今年最後の画像はもちろんロクイチ。79年6月5日に東北本線蒲須坂で撮影した沼津のお座敷8402列車牽引のシーンだ。この場所、今では当然のごとく立ち入り禁止だが、この当時は当たり前のように撮影できた。ゼンザブロニカECーTLの6×6画面にはちょうど良いアングルだった。

それでは皆さま、良いお年を!

(写真、文 U)

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2010年12月27日 (月)

やはり師走

暫くブログの更新もせずに大変申し訳ありませんでした。12月は、今の仕事の都合上、一年中で一番忙しいので、土日も殆どゆっくり家に居ることができずに、ドタバタやっておりました。その間、実家の父親が軽い脳梗塞で急遽入院したこともあり、留守宅を預かるカミさんには随分と精力的に動いてもらいましたが、当の自分はどうにも高知を離れることができないでおりました。とりあえず何とか最悪の状況にはならず一安心しております。父も85歳であり、遠くに居るとこういう時にどうしても不自由を感じます。前回の更新以降、東京ではEF81の安中貨物を含むA21A23運用の常磐貨物が復活したり、カシオペアをEF81137が代走したりと、大盛りあがりのようですが、相変わらず遠くから指をくわえて他の皆様方のブログを拝見するだけで、居てもたってもいられない気持ちでした。一方、JR四国では、先日来年3月のダイヤ改正の概要が発表になりましたが、何と例の絶滅危惧種だった「L特急あしずり」に2号と51号、54号が復活することになったようです。L特急を名乗りながら、1号だけという特異さに魅力を感じて足繁く通っていたのですが、何だか希少価値がなくなってしまうようでやや拍子抜けです。それにしても単身赴任のアパートで一人で過ごすクリスマス程侘しいものはないですね。まあ、29日から年末年始は一旦自宅に帰れるので、家族や愛犬とのふれ合いを大切にしたいと思ってはいるのですが、恐らく父親の見舞い等でなかなか鉄ちゃんをやっている状況ではないかもしれせん。(本当は、奇跡の復活を遂げたEF81牽引の常磐貨物に再会したいところですが・・)さて、KMさんのD51241UさんのC571の現役時代の写真も大変懐かしく拝見しました。以前にも書きましたが、特に千葉~銚子間のC571牽引の記念列車には私は乗車しており、ラジカセで全行程を録音した記憶があります。銚子での折り返しの停車時間中にも美しく磨かれたC571の雄姿をオリンパスのバカチョン(失礼)で激写したのもまだ記憶に新しいところです。その2年前、1970年の930日には高島線電化のさよなら列車がD51791牽引で東京~横浜港間を走り、その列車にも父と一緒に乗車した想い出もあります。当時は、東京駅までSLが乗り入れるということで、大変話題になりましたし、ゼロ系新幹線とのツーショット写真も撮ったような記憶もあります。まだ、当時はハーフサイズのオリンパスで撮りまくっていましたが、中学2年になって父にねだりニコマートFTNを買ってもらい、同級生だった某I氏にも出会ったことで鉄道写真の道にどっぷりと足を踏み入れていくことになった次第です。このところ、高知でも鉄ちゃんできておらず、載せる写真もないので、Uさんに刺激されて、昔の根府川鉄橋のロクイチの写真を御愛嬌でアップしておきます。ここには記録がないので、撮影日時等はお詳しい面々のご解説に期待します。背景の桜を見ると春のようですが・・(写真・文:TBlog_20101227

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2010年12月26日 (日)

現役時代のC571

1972年5月、中学1年の時に当時の新津機関区で撮影したお召し列車牽引に当たったC571。新潟植樹祭の際に走ったお召し列車だったが、運転当日ではなかったような記憶がある。父の仕事の関係でこの情報を得、滅多にないことだからと了解をとったうえで出かけたはずだ。そもそもC58が好きだった自分がお召し列車だからとはいえC57を撮りに行ったのは、そういった周囲の勧めもあった。お恥ずかしい話だが他のコマはカビだらけなのは、まだ各地にC57が残っていたし、子どもだったこともあってお召し列車の価値に今ひとつ敏感ではなかったからかもしれない。
この年の9月30日にC571は鉄道100周年記念の列車を牽き千葉と銚子を走ったが、この時も西千葉気動車区を出るシーンをハーフサイズの〝バカちょん〟(今では誤解を招く呼称だが当時はこういう呼び方もしていた。当時の世相を語る言葉として使わせていただくことをお断りしておく)で撮影したのみで真剣には撮影しなかった(下の写真)。
ただし西千葉で待機中に朝の光を浴びた姿が素晴らしくきれいだったのは鮮明な記憶だ。鉄道ファン47年12月号と54年9月号(こちらは折り込みカラー)にそのときの姿が掲載されている。

このC571がボイラやテンダなどを新調しながらも今なお山口線で活躍しているのは皆ご存知の通り。ことし11月にはその姿を久しぶりにカメラにとらえたが、当時とは違ってその魅力をよく理解できる。
磐越西線のC57180や高崎のD51498などと同じ新津機関区OBの3両がこの時代に各地区で活躍しているのも何かの因縁だろうか。そう言えば晩年、陸羽西線で活躍した新庄機関区所属のC58363とも酒田機関区あたりで並んだかもしれない。

(写真、文 U)

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2010年12月25日 (土)

根府川のロクイチ

年の瀬を迎え皆さん忙しいと見え、相変わらず鉄道撮影にかまけているのは自分だけのようだ。
一昨日朝、横浜の自宅に帰ってパソコンを開くと「カシオペア」のEF510が故障したとのことで青森のEF81が代わりを務めているとの情報。下り列車もおそらくEF81が牽き、田端のことだからヘッドマークを工面すると予想したら案の定、そのようになった。大阪で「日本海」の先頭に立つは姿をごく当たり前のように見ている自分としては、わざわざ出かけるまでもなく〝出撃〟見送ったが、東十条あたりは多くのファンで騒然としたのだろう。
夜遅くになっていつも貴重な情報をいただいているM氏から明日も本日同様、「カシオペア」は青森のEF81で上京するとの連絡をもらったが、天候の関係で日本海側を走る「あけぼの」はウヤ。「カシオペア」だけを狙って〝出撃〟するのも億劫で、せっかくのニュースだったが本日は家のことを手伝う日とした。Mさん、これに懲りずにまた教えてくださいますようお願いします。

そう言えばこのところ「安中貨物」と称される田端機関区の貨物運用にEF81が復活しているとも聞いた。81、95、133など人気の高いEF81ばかりが残った田端の貨物列車だから、こちらも注目の的になっている様子。年内いっぱいEF81がこの「安中貨物」に入っていれば年末に帰京するT氏のターゲットになるのだが、ひょっとして休日運休となる列車なのだろうか。

EF81ファンにはいろいろネタの多いクリスマスになったようだ。

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さて私は今回も昔撮影したロクイチの画像。
根府川駅を発車してすぐの白糸川鉄橋は古くから名撮影地だった。駅からも近く、バックに相模湾が望めミカン畑の中でのんびりと一日を過ごすことができた。ところが餘部鉄橋で回送列車が強風にあおられて落下した事故がきっかけとなり、鉄橋の側面に風よけの大きなフェンスが設けられてからは、根府川駅のホームから上り列車を撮る以外のアングルはなくなった。このフェンスがなかったら下り列車を撮るファンで今もにぎわっていたかもしれないが、そうだとしてもこのご時世ではミカン畑の地主との間でトラブルが生じていたかもしれない。

(写真、文 U)

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2010年12月24日 (金)

昭和50年12月24日の夕張線 D51241

12月24日は特別な日である。クリスマスイブ・・・ではなく、当然、日本の本線上から蒸気機関車が消えた日だからである。世間がイブで浮かれる中、私は毎年この日の夜は数人の鉄道仲間と鉄道発祥の地、新橋の居酒屋で鉄道談義をしながら過ごすのが半分慣例になっている。

35年前の今日、高校1年の私は夕張線で最後の蒸機牽引列車を撮っていた。特にイベントがあるわけでもなく、最後に残ったD51達は黙々と通常の仕業をこなしていた。さあ、日中最後の走行はどこで撮ろうかと、同行の仲間と相談の結果、下り最終列車と蒸機列車同士の最後の交換がある滝ノ上ということになった。

14時半過ぎにまずD51465牽引の5792列車が到着。30分弱の停車時間があり、集まったファンも黙々とシャッターを切っていた。

そして15時過ぎに9799列車が通過する。この折り返しが最後の6788列車になるのでD51241ということはわかっていた。さてどこで撮ろうかと考え、結局このような場所に陣取った。今では完全にアウトであるが、左の乗務員さんを見てもわかるとおり、全く何も言われずに、当たり前のように撮ることが出来た。

その後、このD51241は上り5794列車のD51603と鹿ノ谷で交換をするが、それは日も暮れた17時頃であり、まさにこの写真の瞬間が最後の蒸機交換の走行写真である。

本当なら最後の上り列車を撮っておきたかったが、そうすると追分に戻れるのが22時過ぎになって宿も無いので断念せざるを得なかった。某I氏はその最終列車で素晴らしい作品を残されているが、当時の私にはかなわぬ夢。今となっては歴史の瞬間に立ち会えなかったという悔しさも正直あるが、まあ最後の日に現場に居られたというだけでも幸せと思っている。

このあと、5794列車のD51603のバルブを撮ってから追分に18時半ころ戻り、入れ替え中の39679を撮影したのが私の最後の現役蒸機の写真となった。その時刻は19時過ぎ、丁度D51241が最後の長い汽笛を鳴らして夕張駅を出発した時刻であった。

(写真・文:K.M.)

1975年12月24日 滝ノ上駅にて

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2010年12月19日 (日)

〝夙川〟のロクイチ

記事の更新を滞らせてしまった。
先月は多忙を極めたが、師走の今月もそこそこ忙しい。会議の数こそいくらか減ったものの忘年会や年末のうちにかたづけなくてはならない仕事が多い。大阪に来て2度目の年末だから、昨年より仕事も手慣れてもっと楽になるかと思ったが案に反してそうもいかない。明日もまた出張で、今日のうちにそれに関して自分なりの考えをまとめておかなければならない。午前中は久しぶりに大阪界隈で「日本海」や「カニカニエクスプレス」などを撮ったが、午後は仕事のための時間を割く必要がある。アイロンでもかけながら仕事のことでも考えるとしよう。

今年もずいぶんいろいろな列車や車両を撮った。
自分にとって最も大きなニュースとして印象に残るのはやはり「北陸」の消滅。ブルートレインの衰退は時代の趨勢だが、分かってはいても現実となると一抹の寂しさはぬぐえない。特に好きなEF641000番台の牽く列車だったからなおさらその感は強く残る。残る「あけぼの」は後悔のないよう、撮れるうちに足繁く撮影に出向いておきたい。
本日、自分自身としてはこれで見納めとなるであろうキハ181系を撮った。この趣味を始めてさまざまな列車でその姿を見てきたが、これが最後かと思うと感慨深い。「はまかぜ」で定期列車から撤退したときがひとつの区切りではあったが、いよいよ線路上からその姿が見られなくなる。マンガっぽいヘッドマークでちょっと抵抗がある列車だったが、今朝は早く起きることができたので寒さをがまんして大阪駅までの回送列車を日の出から間もない千里丘のホームで見送った。
ボンネット型の489系の「能登」が消えたのも時代の区切りを感じさせる。「こだま」型の電車は国鉄時代から受け継がれたシンボリックなものだったが、遂に定期列車から撤退し残るは団体列車だけになってしまった。

消えるものばかりがニュースではない。「北斗星」には新たにEF510の500番台が投入され客車列車のファンには目新しいニュースとなった。その裏にはEF81の大量廃車という惜しまれる話題もあったが、ともあれこれでブルートレインの存続が決まったという意味では明るい話として取り上げても良いと思う。少なくとも北海道ではDD51が重連で牽く姿が見られるのだから。
また来年はJR東日本のC61が復活する。それほど好きなSLではないが、間違いなく明るいニュースだ。来年早々には復活した姿が見られるのであろう。

自分にとって趣味の分野で今年一番良かったことは11月の山口線撮影行。30年ぶりに旧友に会えたし、古くからのお仲間Tさんも高知から駆けつけ、なおかつ新しい友人や知人もできた。復活後、初めてこの目で見た集煙装置を外したC571も予想以上に素敵なスタイルで、沿線の風景に同化して友人たちとたっぷり晩秋の2日間を堪能した。
初めて見たのは本来の姿に戻ったC571だけではない。セノハチの補機EF67も同様だ。デビューした当時は鉄道撮影から離れつつあったころで、出張の合間の寸暇を利用して1号機を含む3両を撮影することができた。もともとEF60、65からの改造だから誕生後、かなりの年月が経っているわけだが、今のところ交代する話は聞こえてこないのは不思議だ。そのうち古くなったEF651000番台あたりをタネ車として、新たなセノハチ用補機が誕生するかもしれないなどと想像しているのは自分だけだろうか。

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このところ表題の「ロクイチ」の画像がご無沙汰なので1980年7月撮影のものをアップする。お座敷列車を牽いて当時の西宮~芦屋を下るシーン。
ここは阪急神戸線の夙川駅から歩くのが最も近く、関西方面に撮影に行くときにはよく通ったポイントだ。社会人となった自分はこの3年後、転勤となって大阪に勤務したが、借りた部屋はこの場所にほど近い西宮北口だった。このときも今回の大阪勤務でお世話になっているA氏が一緒だったと記憶している。
ところで夙川の「夙」という字。自分の親戚がここに住んでいたから、早いうちから読めたものの、ほかにこの「夙」という字を使った経験がない。最近、大阪に転勤してきた新人が「たこがわ」と読んだのにはビックリしたが。

(写真、文 U)

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2010年12月13日 (月)

JALのジャンボ(B747)退役を実感

2ヶ月ぶりに成田空港に撮影に行ってきた。成田には20年間通っているがJALのジャンボを1機も撮れなかったという初の経験をした。

今更JALのジャンボを撮りたいわけではないが、やはりあと2ヶ月強で全機退役するんだなぁという実感が湧いてきた。もちろんかなり以前に墜ちたか売却されたような機体以外はほとんど撮っているし、随分と国際線中心に乗ってきた。成田でのJALジャンボなんて、当たり前以上に日常の風景だった。Aさんは現役全機体搭乗にチャレンジされていたと聞いて驚いたりもした。

まあ、会社自体が無くならなくてまだ良かったというしかないんだろう。でもB737,B767,B777だけのJALとなると面白くもなんともない。B787が導入されても、すぐに飽きるだろうし。

私がANAでなくJAL派だったのは、機材が多様で面白かったから。特にジャンボは様々なバリエーションや塗装が旅客・貨物とも楽しめた。MD11も最後の半年だけ、1機のみ新塗装になったり、とにかく飽きなかった。しかし、それが非効率とイコールであったのは事実で、合理化の名の下での機材統一は必然の流れであったとは思う。

JALはB747を退役させるが、まだ成田に来るジャンボは多い。昨日(12月12日)は私が未撮影だったシンガポールカーゴとエア・チャイナのB747貨物機が来て、B747の取り潰しも1259機(シリアルナンバーベース)を数えるまでになった。これで未撮影の現役機は残り107機。来年には念願の100機を切りたいものだ。

写真はタイ航空のB747(HS-TGP)。1機だけ昔の塗装になって飛んでいるが、コンフィギュレーションが長距離用で、主に欧州線(ドイツ・イギリス)に投入されていてなかなか中近距離路線には入らない機材。就航して半年少し経つが、ようやく撮影が叶った。

(写真・文:K.M.)

2010年12月12日 成田空港にて 

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2010年12月12日 (日)

老後用のカメラ

自分のブログにもさんざん書いたように、このところ右肩の痛みに見舞われていた。単純に五十肩などと馬鹿にしていたが、会社を休まなければならないほどになるとそうも言ってはいられない。しばらくがまんしていたが昨日、自宅に帰った際に近くの整形外科へ行った。あらましはわがブログに書いたとおりだが、注射のおかげで寛解とまではいかないまでもある程度緩和された。
この年齢になるとあちこちにガタが出てくる。歯、目(老眼)、難聴、肩こり、腰痛、もっと下も(?、これはまだかも)などなど。例を数えたら両手の指では数え切れない。こうやって人は朽ちていくのだろうが、今後の治療は完治を目的としたものではなく、「食い止める」ことを目標としたものになっていくのは寂しさもひとしお。昨日、高齢の方々で混み合う整形外科の待合室を見てそんなことを思った。それでもあのおじいちゃん、おばあちゃんたちのお仲間になれればまだ良い方で、今年は自分よりも若い職場の同僚を相次いで2名も亡くしてしまったし、大阪で2月に初めてお知り合いになったI氏は8月に急逝してしまい、わずか数時間会っただけでもそのお人柄に好感を覚えていただけに残念だ。つくづく長生きできることが幸福であると身にしみて感じた一年でもあった。

このような暗い話ばかりではお仲間の方々に申し訳ない。高知ではT氏が中古の軽自動車を駆って鉄道撮影に勤しんでおられるし、K氏などは九州のブルトレから山口線に転戦したり、昨日も「越後」を撮りに上越線の奥深く分け入っている。畏友・I氏の活躍やK・M氏の肩の力を抜いた趣味活動も頼もしく映り、自分もますます残された時間の中で好きなことに打ち込めるゆとりを開拓していきたいもの。

体力が衰えたときの趣味活動を考え最近、軽いカメラが気になりだした。これまではハイエンドモデルに長いレンズをくっつけての撮影が当たり前だったが右腕の痛みが出て以来、もう少し装備を軽くしなければ撮影自体が億劫になる可能性があると不安を感じた。
そんな観点から見たら、昨日借り出したニコンのD7000はなかなか使いやすかったしスペック的にも十二分の性能だった。そう遠くないうちに今現在のターゲットである「あけぼの」もなくなるかEF641000の撤退などもあり得るだろう。、北海道で「北斗星」を牽くDD51だってもうかなり老朽化しているから新鋭機への交代、あるいは列車の廃止なども考えられる。この2つが自分にとって今残された最高の被写体だが、それが消えたら鉄道撮影の機会も減り、残るは復活蒸機がメインになるだろうから、過剰なスペックのハイエンド機は不要になるはず。
そう考えると自分にとっての老後用カメラは

1.肉眼でファインダーが見やすくピント合わせが楽なこと(置きピンが中心だからオートフォーカスはそこそこでOK)。
2,軽いこと。
3,バッテリーが長持ちすること。
4,老眼鏡をかけたまま液晶モニターがよく見えること。

以上の条件が備えられていればあとは秒6、7コマの連続撮影と1800万画素あればじゅうぶん。放っておいても増感性能やこのあたりのスペックは進歩していくだろうから、先に挙げた4点を中心にメーカーが考慮してくれるとありがたい。携帯電話だってお年寄りのためにボタンの大きいものや、表示が大きいもの、余分なスペックを省いたものなどが出ているのだから。
高齢化社会になるのだからそのくらいのことを考えてくれるとありがたいのだが…。

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久しぶりにネガをひっくり返していたら宮原機関区で撮影させていただいたEF5853が出てきた。保管してあった古い「さくら」のマークを付けていただいたが、停車している位置がカーブにかかって台枠と車体がずれているのが分かる。
今、このすぐそばのマンションを借りて大阪に単身赴任しているが機関車の姿は減った。保管してあるEF58150ももう出番はないだろう。

(写真、文 U)

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2010年12月11日 (土)

E657系

今日は、首都圏の皆さんは「越後」の団臨やら「ひばり」やら、お祭り騒ぎのようだったようですが、いずれにしても光線にはかなり御苦労されていたようですね。Uさんも出撃されたようで、お体が徐々に回復されて何よりです。DD51842はともかく田端の81を撮る機会すら激減してしまった今、こうして遠隔地で身動きとれないのは正直痛手である。あと、今週目を引いたのは、やはり私にとっては常磐線特急に関するニュースであった。自分にとっては、E651系もまだまだ十分に新しい部類であったのだが、早くも淘汰されるとなると、いよいよ常磐線界隈の役者も総入れ替えの感が強い。E651系はその「スーパーひたち」のネーミングも好きだし、ボンネット特急っぽいスタイリングと控えめのホワイトを基調としたカラーリングも好感が持てたのだが、なんとも残念である。今までに何かのついでになんだかんだ、記録はしているのだが、またそのうち機会があれば納得のいくまで撮っておきたい。また、E653系もその色のバリエーション(併結の場合の組み合わせも含め)が面白かったし、最長堂々の14連は見応えがあった。一方、今回発表になったE657系はその性能面はともかく、どうにもこうにもこの顔が気に入らないし、通り一遍の10連だと面白くもなんともない。例のE655系もそうだが、高い位置にヘッドライトを配したこいつらの目つきの悪さは何とかならないのであろうか。最近は、こういう顔が「カッコいい」のであろうか?いずれにしても、私には好きにはなれそうもないので、年末年始柏に戻った際にはほかに撮るものもないので、「スーパーひたち」「フレッシュひたち」でも撮っておくことにしたい。(写真・文:TBlog_201012111

Blog_201012112               堂々の653系14連

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2010年12月 9日 (木)

保存機関車 EF16

先日水上にD51を撮りに行った際にEF16が保存されている道の駅の横を通った。

EF16はどこかに1機だけ保存されているらしいことは知っていたが、まさかこんな水上駅の近くだとは思わなかった。現役のころから良く撮った28号機ということで懐かしい再会を果たしたまでは良かったが、その状態には唖然としてしまった。

屋根つきの場所ではあるが、色は褪せ(というか別の色に塗り替えられた?)、プレートや製造銘版は盗難に遭い、ガラス類は割れてベニヤ板がはめ込まれていた。

見ていて痛々しく、また悲しくなってしまった。1両も保存されずに消えていった機種も多い中で、状態はどうであれ保存されたことは良かったのもしれないが、これでは保存の意義というものが失われてしまっていよう。そう遠くない将来に解体・撤去という運命にあろう事は想像に難くない。

電機であれ蒸機であれ、動態保存が理想だが、現実には難しいとなると、やはり静態保存。それでも博物館・工場や完全屋内での保存はごく限られてしまうので、結局こうなってしまうのであろう。

屋外でも屋根がついて柵でも設けられていればまだ良いが(宇都宮のEF577のように)、だれでも触れられるような状態だと、その限界は見えているのだろう。

(写真・文:K.M.)

2010年11月28日撮影

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2010年12月 7日 (火)

土讃線撮影(Part3)

三縄~祖谷口での撮影が一段落した後、土讃線のポイントとしては忘れてはならない土佐穴内の大俯瞰ポイントを目指すことにした。この場所も色んな方の作品が既に紹介されているが、まだ自分では訪れるチャンスがなく、また夏場は木々が覆いかぶさって綺麗に撮れそうもなかったので、この時期なら大丈夫かと一度トライしてみたかった。徳島県から高知県に戻ってきたので、三縄からは30分以上かかり、1本「南風5号」を撮り損ねたが、土佐穴内の駅の先に続く、延々と細くすれ違いも容易でない山道を半信半疑で登っていった。こういう時に軽自動車だと、行き違いの際にも何とかすり抜けられそうで重宝である。随分昇ったあと、やっと開けた場所に出ると、そこが大俯瞰ポイントで、雄大な景色が眼前に広がっていた。まさに、圧巻である。(写真では、眼下の風景しか写っていないが、前方には雄大な山々が広がり、圧倒された)以前、黒田原~豊原の「北斗星」俯瞰ポイントに行った際も感じたが、このような山の中の俯瞰場所を最初に開拓された方には本当に頭が下がる思いだ。ここで「南風14号」の後撃ちを狙ったが、来たのは何と2458(例のN2000系の試作車)でこれまたラッキーであった。(こんな大俯瞰でも、番号が読み取れるのであるから、白レンズの解像力には恐れ入る)その後、この区間では天下であるキハ54の普通列車も撮影したが、大パノラマの中を模型が走っているようであった。手許の時計を見るともう13時。どうしても「あしずり1号」が気になってしまうので、急いで撤収して高知道経由で伊野まで行き、波川で無事定点観測を終了し、長い半日が終了した。この土日のワゴンRの走行距離は400キロ弱と本当に大活躍してくれた。とりあえず、土讃線の有名ポイントの代表格の一角は押さえたつもりだが、まだまだ開拓の余地はありそうだ。また、そのうちにトライしてみたい。しかし、この2日間、誰一人として同業者にお会いしなかったのだから、笑ってしまう。さてさて、調子にのって随分自分勝手な四国ローカルネタばかりご披露し、大変お見苦しかったことを深くお詫びします。どうか、このブログの本来の路線に戻して頂くように切にお願いします。(写真・文:TBlog_20101271

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2010年12月 6日 (月)

土讃線撮影(Part2)

5日(日曜日)も、朝から雲ひとつない快晴で、天気予報でも終日降水確率が四国全域0%と、家にじっとして居られる状況ではなく、以前から一度行きたいと思っていた、三縄~祖谷口の有名撮影地「第1吉野川橋梁」を目指すことにした。(当然、目的地は徳島県)我が友のワゴンRもママチャリ代わりに買った割には、連日大活躍である。アパートを7時半に出て、高知道を北上するのだが、南国インターから北はず~っと急な上りこう配であり、アクセルをベタ踏みしても、80キロ以上出せないくらいである。いくつかの長いトンネルを抜けるとあれだけ雲ひとつなかったのに、急に朝霧のような雲が低く垂れこめている。状況は大豊インターを降りても変わらず、テンションがガタ落ち。対向車も殆どないガラガラの国道を進み、まずは定番の大歩危~小歩危の鉄橋のポイントへ。下り「しまんと3号・南風1号」に間に合いそうであったので、一応撮ることにしたが、天気がドン雲りなのでISO1600開放(F4)がやっと。しかも、山の中なので外の気温の寒いのなんの。恐らく氷点下近くになっており、半端な寒さではなかった。この区間での6連は珍しく、サイドから狙ったショットだったので、それなりに車輌の存在感が出たかと思う。その後、三縄に向かいながら、小歩危の先のトンネル上から「南風6号」を撮ったが、アンパンマン列車なので、全くテンションが上がらなかった。そのまま北に車を進めると、幸い段々霧が晴れてきた。他のブログで拝見した通り現地に行ってみると、朝陽を浴びた「第1吉野川橋梁」が凛々しくその姿を現した。まずは、「しまんと5号」の後撃ちであったが、この場所は民家の庭先のような場所をお借りして撮るしかないのでどうも落ち着かなかったが、N2000系が来てとりあえず満足。それから1時間弱時間を潰し、本命の「南風8号」を待った。かなり横に太陽が回ってしまったが、何とか鉄橋の前面には光があたってくれた。そして、来たのは、またもやN2000系。昨日の「あしずり1号」以来、幸いN2000系づいているようだ。下り「南風3号」はアンパンマン列車だったので、あえてサイドから遊んだが、澄んだ空気で雄大な阿波池田の方の山々まですぐそこに見えていた。今度は、国道側からの吉野川バックの定番で「南風10号」の後撃ちをしたが、広角しか使えずしかも光線も編成に当たっておらずやや微妙。夏場はラフティングで賑わっていた場所だが、今は完全にシーズンオフでひっそりとしていた。(写真・文:TBlog_20101261_5

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2010年12月 5日 (日)

土讃線撮影(Part1)

Uさんには、もったいないお言葉を頂戴したが、まあそんなに褒められた話ではなく、要はいよいよ観念して開き直っただけなのではないかと思う。(良く言えば、郷に入らば郷に従えということだが・・)しかし、先般の山口線での山肌や景色が美しく、被写体だけではなくこうした風景を取り入れて撮るのも悪くないなと思ったことがきっかけになっているのは紛れもない事実である。土讃線の場合、山口線同様に、大変山深い中を縫っているので、バックの木々がいい演出をしてくれるのもプラス要因。また、夏の間(つい10月くらいまでそうであったが)は、当地は暑すぎてまともに日中に外で鉄ちゃんなどする気も起きなかったのだが、この時期は適度な気温と乾燥した空気、光線も斜光と条件面でも撮りやすい環境になったのも事実。さらに、高知市周辺以外の山間部だと山口同様に大嫌いな蛇が出てくる可能性大だったが、さすがにこの寒さならもう冬眠しているであろうと、まあタイミング的には当地ではやっと木々が色づいた12月というこの季節が本格的な田舎での撮影を開始するには丁度良かったのかもしれない。さて、この週末、土曜日(4)は、家を朝6時半に出て先週同様荷稲~伊与喜間に向かった。何とかリベンジして順光下で「南風10号」を撮りたかったからである。しかし、現地に8時頃到着すると、山深いこともあってトンネルを出た肝心のポイントにはまだ朝陽があたっておらず、「やられた!」と思った。しかも、気温は2℃程度で底冷えして深々と冷えていた。しかし、何とか通過までの30分の間にどんどん陽が差し込んできて何とか思い通りの写真を撮ることができた。下り「しまんと1号」も何とかギリギリ正面に陽があたり始めていたが、横の色付いた木がいいアクセントになってくれた。(なかなか美形の土佐くろしお鉄道の車掌さんが運転席から微笑んでくれたのは嬉しい)土佐佐賀交換ですぐ上ってくる「南風12号」は、伊与喜の築堤で撮ってみたが、ここは本来は国道から俯瞰気味に撮りたかった場所。(先日、国道からでは手前の電線が邪魔になることが分かったので仕方なく下の道から撮ってみたが、やはり振子で車体が傾くと足回りが一部隠れてしまった。このあたりもかなり山深いことで、背景の木々に立体感が出て結構面白い。)一度撤収して掃除洗濯を済ませてから午後一番はお決まりの絶滅危惧種「あしずり1号」を撮りに再び波川の順光ポイントへ。実は今週、仕事の合間に火曜・木曜とN2000系が先頭車で入ったのを目にしていたので一応期待していたが、やはり今日もN2000系が来てくれた。(N2000系の「あしずり1号」は初めて撮影できた)こうしてしょっちゅう撮っていると、ゴハチやハチイチのように、必然的に番号潰しのようになってしまう。ところで、EOS7Dの画像のシャープさがイマイチである現象であるが、「ピクチャースタイル」のデフォルト設定の「シャープネス」では平均より低い数値に設定されていたので、これを試しに少し上げたら、大分マシになったような感じである。日曜日も引き続き天気が良さそうであったので、今度は北の方を目指すことにした。読者の皆様には大変申し訳ないが、暫く四国の写真にお付き合い願いたい。(写真・文:TBlog_20101251

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2010年12月 4日 (土)

ローカル線への思い

Tさんは相変わらず精力的に鉄道撮影に勤しんでおられるようだが、当方はこのところの体調不良で本日(12月4日)の出撃を断念した。かねてから右腕の調子が良くないことは自覚していたが、五十肩だろうとバカにして放置していたつけが一気に出てきたようだ。2日は朝から衣類に袖を通すことすらできず、会社を休んで休養し、いくらかマシになったもののまだ完全ではない。ぜんそくの咳がひどく、その影響が筋肉痛のような形となって現れたのではないかと素人判断をしている。いずれにしても次回、自宅に帰ったら病院に行ってみようと思っている。

Tさんの写真を見ているととうとう四国の鉄道風景の良さを満喫し始めたような印象を受ける。秋の光に包まれた川奥信号場の写真などは山奥の光景と透明度の高い空気が、見ている側にもすがすがしさを与える。この時期ならではのカットなのだろうが、実際この場所で酒や食料を手に一日を過ごせたらどんなに贅沢だろう。願わくばもう少々魅力的な車両が走っていれば良いのだろうが、これも人生のほんの1ページだと思えば静かな周囲の状況の中でのんびりと過ごす時間もいとおしいのではなかろうか。きっとあと何年かすればTさんも東京に戻り、汚れた空気の中でまたせわしく仕事に就くことになるのだろうが、そのときに数年を過ごした四国を懐かしく思い返すのではないだろうか。撮影する車両こそ(残っていれば)「あけぼの」など、今よりもマシなものが撮れるかもしれないが、こういう風景の中に身を置くことは時間を算段しないとなかなかもてそうもない。
先日の山口線以来、架線のない路線での撮影の楽しさを忘れることができず、転勤が終わったらそういう場所が関東近辺にあるのだろうかと考えることが多くなった。磐越西線をはじめとする東北方面にそんな光景を求めるのも悪くないだろうから、またこのブログのお仲間たちと行ける機会を持ちたいものだ。そのときはぜひ関西のお仲間の皆さんもお越し願いたい。

さて今日は山口でお世話になったH氏から連絡があり梅田で会うことになった。A氏にも声を掛け京都のH氏もやって来る。先日の話にまた花が咲くことだろう。

(写真、文 U)

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2010年12月 3日 (金)

惜別 EF81常磐貨物

ついにこの日が来てしまった。しかし、地元に帰ることもできず、他の皆様のブログを拝見することで95号機牽引の最後の安中貨物をお見送りした。いつも自宅マンションの前を当たり前に通り過ぎて行くハチイチ牽引の貨物ももう見ることができないかと思うと、とても悲しいものがある。特に午後250分頃に通過するする5388レは、天気が良ければ順光になるので必ずと言ってよいほどカメラを向けていただけに、EF510では何とも味気ない。「北斗星」の場合でもそうだったが、遠くからあの赤い色が近づいてくると、何とも神経が昂ぶったものである。我々はK氏の大好きだったハチマルの頃から常磐線の機関車と言ったら「赤」と相場が決まっていたものなので、青ガマは交流区間も走る常磐線にはどうも似合わない。こうして今年も段々と撮りたい被写体が減って行ってしまった。別にあまり拘りはないが、常磐緩行線の方も203系・6000系の淘汰→233系・16000系の投入も徐々に進んでいるようであり、一気に役者が交替する感がある。(203系は通勤時にも嫌という程乗ったが、貧相な顔に加え、自宅に居ると耳障りなモーター音、乗っているとバタバタとうるさいアルミ製の安物ドアと何ひとつ好きになれる要素はなかったので執着はないが、営団6000系は経年しても古さを感じさせないスタイル、チョッパ制御車とVVVF化改造車とが混在して聞いていて飽きない走行音など、「昭和の私鉄電車」の中では、珍しく好きな車輌の一つであった。したがって6000系の引退は何とも残念である。それに16000系の顔つきは、どうも可愛くなく好感が持てない。)さて、今年924日に撮った最後の活躍ぶりをアップし、EF81の常磐貨物に思いを馳せることとしたい。果たして、田端に残ったEF81に登板のチャンスはあるのであろうか・・(写真・文:TBlog_20101231

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