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2010年10月

2010年10月31日 (日)

自分の夢

台風は何とかコースを外れ、高知は被害を受けることもなかったが、台風一過とはいかず、週末は2日間とも冴えない天気で、日曜日は昼前からずっと雨であった。偶々この週末は仕事の面でも全くやることはなく、暇をもてあまし、仕方なく午前中にちょっとだけ近場に撮影に出掛けた。かと言って例によって別に目新しいものが撮れる訳でもなく、少し新しいアングルで撮れる場所を探してみたくらい。そうした中で今日の成果は「南風8号」がN2000系であったことと、土佐くろしお鉄道なはり線から乗り入れている「やたろう号」なる9640-1S形オープンデッキ付気動車が撮れたことくらい。そのあと、天気も悪いので、近くのツタヤでDVDを借りてきた。中井貴一主演の「RAILWAYS」。一流企業の経営企画室長のポストを捨てて、49歳ではじめて故郷の一畑電鉄の運転手になるという話。現実にはまずあり得ない話であるが、主人公が何度も言っていた「自分の夢」を叶えるというところに妙に感動した。このブログに登場する多くのお仲間の中には、趣味が高じて鉄道や写真、模型に関する職業を天職にされている方々が多数おられる。私にとっては何とも羨ましい限りだ。(勿論、それぞれのプロとして、並々ならぬ御苦労をされていて、良いことばかりでないことは十分わかってはいるが・・)翻って自分はというと、鉄道とは一切関係ない会社のサラリーマンになり、それなりに世界を股にかけてやってきたが、一生の大半を会社の為に捧げ、今は第二の職場で地方で単身赴任生活。家族を養っていかなくてはならないという使命はあっても、いったい「自分は夢を追いかけて生きているんだろうか・・」と改めて考えさせられた。人生の折り返し地点はとっくに過ぎているので、いまさら人生を大きく変えることはできないが、せめて趣味の世界では、まだまだこれからの人生「自分の夢」を追いかけて生きていきたいものである。何かしんみりと色々考えさせられる映画であった。(写真・文:TBlog_20101111

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2010年10月30日 (土)

一度きりの大磯のホーム

EF58を追いかけていた時代、沼津以東の東海道本線でよく撮影に行った駅(ホームからの撮影)は平塚、藤沢、保土ヶ谷、横浜、新子安、大井町、品川、田町、有楽町などがあげられる。これらの駅は135ミリ程度の望遠レンズでもじゅうぶん撮影できた場所で、気軽に何度も何度も足を運んだものだ。
それにくらべてここ大磯などはこの一回限り。どうしてこの駅に降り立ったかすら覚えていない。だがこうしてみると貨物線を行く列車を撮影するには決して悪くはない場所であることが分かる。
EF58が東海道本線から撤退する少し前、荷物列車の一部は横浜羽沢経由となり小田原まで貨物線を走ることになった。この大磯などはそんな荷物列車を撮るには適した場所だったのに、なぜか一度もここで撮影していない。今考えると実にもったいないことをしたと後悔している。

(写真、文 U)

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2010年10月28日 (木)

EF661号機

1981年1月10日、この日は近江長岡~関ヶ原にEF5861の牽く50系新製車両の回送を撮りに行った。
当時、ロクイチは上越線や東北線にはいることはひじょうにまれで、雪景色の中を走る姿はなかなか見ることができなかったから、このチャンスに近江長岡まで足を伸ばした。このときの同行者もK・M氏とH氏だったが、雪の中を革靴でのこのこ行ってしまったことを思い出す。
このときにやって来たのがこのEF661号機。それ以前にも撮影したことはあったが、雪の中というのはなかなか貴重だと喜んだ記憶がある。
ひさし付きのEF66が増える中、このファーストナンバーはその改造を受けていなかった。

昨今、鉄道撮影に出掛けるとけっこう貨物のEF66(0番台)を狙うファンを多く見かける。昨年3月、「富士・はやぶさ」の廃止でブルトレ牽引の任を解かれ、もはや貨物列車牽引だけに活躍の場を残すのみとなっているが(下関の所属機はどうなったのだろうか?)、正面の飾りもなく(27号機のみ残っているようだ)、頭に重たそうなクーラーを乗せた姿は、どうにもいただけないスタイルだ。それでも100番台のあっさりした姿よりは国鉄時代を思い出させる名残があるから、カメラを構えていて0番台が来ると嬉しいことには違いない。

(写真、文 U)

Ef661

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2010年10月25日 (月)

ロクイチ牽引の気動車回送【続編】

Uさんが1979年2月10日(土)の根府川の写真をアップされていたので同行の私からその続編を書き込む。

確かにその日Uさんと一緒に根府川に行った・・・というより前の晩からご一緒だった。

当時の2分目ダイヤを見てみてみると6313列車は東京駅を5時33分発、根府川通過は7時09分30秒。ところが都内の自宅から間に合う一番早い東海道線は品川5時28分発の321Mで、これが根府川に着くのが7時03分だから、駅からミカン山まで6分では不可能。これが8101列車だと根府川7時20分だから、なんとか間に合っていた。

そこで6313列車を根府川で撮るには品川4時30分発で根府川5時59分着の821Mに乗るしか当時の私たちにはなかった。

そこでUさんと私(確かもう一方居たような)は前日9日の終電で品川に行き、終夜営業していた駅前の品川プリンスホテルの喫茶店で、コーヒー1杯で4時間弱を過ごしたというわけだった。

2月の一番寒い季節の早朝に苦労して撮ったので思い出深い1枚。私は無理してカラーで撮っていたのでそれをアップした。コダクローム64だったしレンズも望遠は85ミリと135ミリしかなかったのでトライXは135ミリ、開放値1.8の85ミリレンズをカラーに使って何とか写っていたという状況であった。まあ今となっては根府川の雰囲気も感じられる思い出の1枚といったところでしょうか。

(写真・文:K.M.)

1979年2月10日 6313回 根府川にて

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浜松機関区のEF5860

自動車を使って本格的に鉄道撮影を始めたのは1979年の頃からだったと思う。大学に入ってすぐに自動車教習所に行き始めたのだが、そのころはあまり車に興味もなく、鉄道撮影も列車を利用した方が楽しかった。そもそも当時は管理局報に掲載される団体列車をはじめとするさまざまな臨時列車が物珍しく、それらを撮影することにばかり時間を割いてしまい教習所を卒業し免許を取るまでに半年近くも費やしてしまった。
それまでにお仲間のA氏や某I氏の自家用車やレンタカーに乗せてもらって撮影に行ったこともあったが、自分自身で車を運転して撮影に行き始めたのは79年からだった。

今回アップするのは79年5月に愛知県で開催された植樹祭に走ったお召し列車の予備機を務めたEF5860。この時はA氏のフォルクスワーゲン・ゴルフに同乗させて頂き、試運転から数日間撮影させていただいた。
今から考えればロクイチと60号機が本務機と予備機に指定されたうえ、飯田線でもED62がお召し牽引機となり豪華な数日間だった。なかでも回送とはいえ前に60号機、1号編成を挟んで後ろに61号機という列車はその最たるものだった。このブログではすでにK・M氏がアップしているので、私の画像はもう少し後にあらためて掲載したい。

さて今回の60号機の写真は一連のお召し列車が終了後、所属する浜松機関区に帰区したときのもの。お召し列車が運転されると「旗開き」と称して、運転前か後に機関区で停車しているシーンを撮影するのがひとつの流れだった。
この時、60号機は帰区するやいなや日の丸を外してしまい「旗開き」は撮影できなかった。機関区の方もファンのリクエストに対応してくださる腹づもりではあったらしいが、どういうわけか日の丸はすぐに機関区の手を離れることになっていたようだ。そこで某I氏が日の丸を購入しようと浜松市内へ車で出向いたことをはっきりと覚えている。結果的に日の丸は入手できなかったが、車があるとこういう時にも機動力が発揮されるものだと妙に感心したものだ。

Ef58602

Ef5860

ところでこの写真、お気づきの方もいらっしゃるかもしれないが停車している位置が悪い。EF58などの旧型電機の場合、少しでも線路がカーブしていると車体と台枠がずれてしまう。新型電機の場合はスカートに前輪が隠れてあまり分からないが、旧型機の場合はひじょうに目立つ。せっかくパンタグラフを上げて停車していても、止まっている場所が少しでもカーブしていると撮る気になれなかった。何度泣かされたことだろう。この日ももっと正面から撮りたかったが残念だった。

(写真、文、U)

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2010年10月24日 (日)

ロクイチ牽引の気動車回送

1979年2月10日、東海道本線根府川で撮影したEF5861牽引のキハ47回送6313列車。宇都宮の富士重工で落成したキハ47を配置区へ回送したときのもの。この6313列車は東京駅を午前5時半ごろに出発する列車で、日の出の遅い2月上旬、これをどうやって撮影したか忘れてしまった。記憶の断片に残っているのはK・M氏と一緒だった記憶があるのだが…。いずれにしてもリバーサルでの撮影などはとても無理な状況で、2台のカメラ両方にモノクロフィルムを詰めた覚えがある。速度はそれほどでもなかったが、適正露出で撮影し現像を少しだけ長めに(当時は「押し気味」と言っていた)した。

回送される気動車7両にマニを付けた8両の編成では、ギリギリまでロクイチを引きつけたがどうしても最後の1両が切れてしまった。今、このかつての名撮影地・根府川の白糸川鉄橋は風よけのフェンスで覆われ、当時のように撮影には適さなくなっている。
西下したロクイチは13日の早朝、8110列車で東京駅に戻ってきたが、そのときも始発で撮影に行った。この時は自宅から最寄り駅までまだバスがない時刻で強引にもヒッチハイクで駅まで送ってもらった記憶がある。車の免許を取得する3カ月前のことだった。

(写真、文 U)

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2010年10月23日 (土)

今朝の朝練

昨日本社で会議があったので、(さすがにもう朝練の季節は終了だと思いながらも)今朝は東京で朝練することができた。7Dの本格的な試運転もしたかったし、天気も快晴が期待できたので5時前に家を出たが、さすがに10月下旬にもなると肌寒く、車の外気温計は12度を指していた。南浦和も先日の光線状態が良くなかったので、あくまで光を優先し、去年のこの時期に通いつめて陽が当たることが分かっていた、蕨の南側に行ってみた。先客を心配したが、誰もおらずゆっくり安心してセットアップをすることができた。さすがに今朝の日の出時刻は555分であり、「能登」はまだ全く陽が当たらなかったが、6時半には(いつものポイントのひとつ手前のホチキスのところではあったが)十分に陽が当たるようになっていた。そろそろ185系回送の時間だと思っていると、何と今朝は例の湘南色のOM03編成であった。ネット上でさんざん見慣れていたせいか、実物を見てもさほど違和感はなかった。(かと言って感動もしなかったが・・)肝心の「あけぼの」は本当に嫌になる程最近祟られている1051号機で、光線状態が良かっただけに本当にがっかりであった。撮影後一応Uさんがいらっしゃるか確認すべく南浦和あたりまで北上してみたが、残念ながらお逢いすることはできず、今日の「北斗星」はまだピカピカでラストナンバーの515号機が上ってくることが予想されたので、足を伸ばしてワシクリに行ってみることにした。東北道や122号線周辺は紅葉狩りの行楽の車で大渋滞であり、現地到着は8時半前になってしまったが、期待通り515号機牽引かつ金枠ヘッドマークの「北斗星」を順光で捉えることができた。今日はこの後家の用事もこなさなくてはならないのでこれにて朝練終了。7Dのテストは自分なりに色々としてみたが、50Dでやや気になるような箇所(連写スピード、ファインダー視野率、ISO1000以上での画質、色調等)はほとんどすべて満足できるレベルであり、アマチュアである自分には、実に快適だと感じた。(写真・文:TBlog_201010231

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2010年10月18日 (月)

EOS 7D 試運転

Uさん、K氏もこの週末はアグレッシブに行動されていたようであるが、絶好の天気であったこともあり、私もアパートに籠っているわけにはいかなかった。土曜日は、仕事で安芸まで行く必要があったが、ついでに足を延ばして室戸岬まで行ってみた。高知から片道2時間半余りの長い道のりであったが、遥か太平洋に光を放つ室戸灯台、四国第24番札所(土佐では最初の札所)である霊験あらたかなる最御崎寺、展望台から望む360度の大パノラマ等はひとつひとつ強烈に魂に訴えるものがあった。とにかく偉大なるパワースポットを体感した感じであった。日曜日も天気が良かったので、都合3回出撃。まずは朝一番の「しまんと2号・南風4号」を近場で撮り、次に高知10時着のANA561便にモヒカンジェットが入るかもしれないとのネット上の情報を半信半疑で見たこともあって、エアバンドも装備の上で高知龍馬空港先の防波堤に向かった。さすがに普段はあまり当地では航空マニアの姿も見かけないが、モヒカン登場となると何人かの同業者の方々のお姿を見かけた。予想通り、遥か洋上からアプローチする機影の頭にはまさにモヒカンルックが遠くからでも確認でき、ラッキーにもカメラに収めることができた。(実は、偶然羽田~高知間で以前に搭乗したことはあったのであるが、飛んでいる姿を撮影したのは今回が初めてであった。あいにく着陸も離陸もRW32使用であったので、ド逆光であったが、航空機の場合機体が丸みを帯びているので、鉄道ほど悲惨な結果にはならなくて済んだ。)気を良くして、午後には例の絶滅危惧種「あしずり1号」を佐川の先まで撮りにいった。撮る時には夢中でN2000系だと思って撮っていたのであるが、何とモニターを見ると塗装はN2000系なのだが顔は普通の2000系気動車でびっくり!アパートに帰ってネットで調べると2458は何とN2000系の試作車なんだそうだ。これもまた、ラッキーなことであった。高知はまだまだ日中は半袖でも汗ばむような暑さであったが、線路脇には多数のコスモスが咲き乱れ、確実に秋を感じさせていた。肝心のEOS7Dの使い心地であるが、使い勝手はほぼ50D同様ではあるものの、細部にわたっては使いやすく改良されているし、秒8コマの高速連写機能も小気味よくシャッターがきれ、私にとっては十分に満足なカメラであった。今後登板の機会が増えそうである。(写真・文:T

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2010年10月17日 (日)

イベント特急583系「はつかり」

10月も半ばになると、季節もさらに良くなり清々しい天気が続く。この週末も、関東は比較的好天の恵まれた。各地でイベント列車が走るなか、今回私は、583系「はつかり」の撮影行きを選んだ。前回の運転が確か2年前の雨の降る寒い日だったとこともあり、もう一度晴天下で撮ってみたいと思った。

当然、夜明け前から出動となり、本命の583系は、光線の良いと思われる白河まで行くとして、その前にまず、北斗星を撮るため栃木県を散策。ロケハンをしながら、西那須野付近まで行ったみた。北斗星は定時で現れ、その後貨物を数本やってから北上、白河まで向かった。時間になるまで、付近をウロウロ、ポツポツと同業者も見受けられたが、殺伐とした雰囲気は無く至って平和であった。後でわかったことだが、定番:蓮田-東大宮には、ファンが200人とか250人集中したらしい。恐ろしいことである。583系だけに、御破算(ゴッハーサン)だ!(失礼)

せっかく少しでも良い光で撮りたいとやって来た訳だが、今までの青空が時間を追うごとに雲に覆われてしまい、結果は不完全燃焼に終わってしまった。鉄チャンをやっていると、被ったり曇ったりは付き物。さらに高みを目指したくなるから、益々はまってしまうのかもしれない。

「こんなんで帰れるか!」

この後、福島県を縦断し常磐線へ向かったのは言うまでもない。

                            (写真・文 K )

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線路が南に向くポイントで待っていたものの、普段の行いが悪いのか通過時にはご覧の通り・・・重厚な迫力は昔と変わらないが、編成の短さは何とかならんのか!2編成あるのだから、つなげて12両編成で走ってほしいものだ。

2010-10-16    9015M   白河-久田野にて

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2010年10月16日 (土)

煙の〝競演〟

今日は久しぶりに大阪で鉄道撮影をした。古くからの友人A氏にDD51の牽くサロンカー「なにわ」や梅小路蒸気機関車館、京阪電車などを車に乗せてもらい回っていただいた。
「なにわ」は残念ながら普通電車に被られ撮影はできなかったが、集約臨時列車でやって来た583系や11両に編成を増した「日本海」などを撮影できた。

梅小路蒸気機関車館へは7年半ぶり。前回の大阪赴任中にも一度行ったことがあるが、そのときはカメラも持たず、京都駅そばの八条口模型や東寺などを一人で散策した。当時は鉄道撮影から全く足を洗っていた時期で、せっかく大阪にいながら関西発着の九州ブルトレなどを一切撮影しておらず、今考えると実にもったいないことをした。
梅小路蒸気機関車館は土曜日だというのに入場者もそれほど多くなく、なんだか閑散とした感じ。展示されている蒸気機関車も煙を上げているのはSLスチーム号の8630だけといった有様で、「動態保存」の様相ではない。扇形車庫の外に展示されているB2010、C551、C581、C621、D511、D51200などはかつて機関区の側線に留置された廃車体のようにも見えてしまう。それでも手入れは行き届き、いざ復活させようとするなら何とかなりそうな状態ではある。自分のブログにも書いたように今回はD52468に注目した。いずれ16番の模型で北海道タイプのD52を製作してもらおうという魂胆があるからなのだが、そのパワー感あふれる姿は一度庫外へ出して展示して欲しいと思った。今、山口で走っているC56160、C571も正式には梅小路蒸気機関車館の所属のものだが、年間を通してここにいることはあまりないようだ。
その山口線にも久しく行っていない。92年から94年に福岡に赴任していたときに数回行ったきりだから、すでに16年以上はご無沙汰だ。最近はC571もあのインチキ集煙装置を外して走ることが多くなっているようでその姿を見てみたい気はする。どうにか機会をつくりたいものだ。

今回アップするのは1980年3月、まだ山口線の予備機として小郡(現新山口)にいたC581を山口駅構内で展示したときのもの。C571の牽く「やまぐち」号の発車に合わせてC58はモクモクと煙を上げてファンの前で〝競演〟した。スケールこそ異なるが現役時代の追分駅構内の様子を彷彿させる光景だった。

(写真、文 U)

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2010年10月13日 (水)

吾妻線の想い出

K氏が吾妻線の画像をアップされたので、思わず吾妻線が懐かしくなり、昔のポジを漁ってみました。アップするのは、かつての吾妻線の主、EF12で~す。団臨が走る際にはお仲間と共に、何度となく撮影に行った想い出があります。(よく沿線の喫茶店でダベってましたネ・・)今思えば、学生の頃は、無限に時間があった訳ですが、その割にはゴロゴロしている時間が多く、もっともっと真面目に色々なモノを撮っておけばよかったと悔やまれます。また、私も今の撮影機材であの頃に戻れたらなぁと、ついつい思ってしまいます・・この辺りは、最近全く行っておりませんが、かの有名な八ツ場ダム建設の影響で、随分と変わってしまっているのでしょうねえ。いずれにしても、EF12にしてみれば、30年後に同じ線路を湘南色のゲテモノが走っているなんて、思いもよらなかったことでしょう・・(写真・文:TBlog_201010131_3

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2010年10月11日 (月)

湘南色185系を撮る!

今日は連休で一番の晴天となった。仲間内はきっと「朝練」と称して浦和界隈に出没しているだろうから、この時間から行けば間に合う時間ではあるが、今日のところはグッと堪えて車を北へ走らせた。

何せ今日は、物がいつもと違う!

ま、はっきり言おう・・「ゲテモノ」だ!

この時代PCがあるから、画像は色々散見しているが、怖いものみたさというか、物好きというか、そんな興味本意だけで撮りに行くという不真面目さ。

で、まずは、朝の送り込みを新前橋にてご対面!

予想以上のショックを受けながらも、さらに追って吾妻線内へ・・

しかし鉄チャンの多いことと言ったら半端ではなかった。

とても集団で撮る気にはなれず、誰もいない辺鄙なところで一人で迎え撃った次第。

こうして写真にしてみると、やっぱり馴染めない。マークも80系時代のものを模しているようだが、如何なものか。でもこの殺伐とした時代に、ここまでやってしまうJREの心意気に強く感動してしまった。そんなことを思いながら帰宅の途についた。  (写真・文 K )

出会ったファンは、声を揃えて「ダサい」と言っていた。しかし、ここまで驚かしてくれたJRさんに拍手を送りたいと思った。「JRさん、この次は、157系の塗装に直して特急白根をお願いします。」と言いたくなる。

                       2010-10-11  9551M   吾妻線:岩島-川原湯にて

20101011_9551m

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近況報告

925日に12時間かけて高知まで愛犬と家内を乗せてマイカーで来たのだが、あっという間に2週間が経ち、9日(土)に全線豪雨のなか高知から自宅に戻ってきた。陸路だと片道860キロの道のりであるが、行きは12時間、帰りは数か所でモロに渋滞にハマり、何と15時間もかかってしまった。その間、大雨の中何度もワンコのトイレ休憩もしなくてはならず、家内共々疲労困憊であったが、瀬戸大橋経由だとETC利用で高速代は首都高も入れて4千円ちょっとで、さらに今度の車はリッター15キロ程度は走るのでかなりコスト的には低く抑えることができた。何はともあれ、犬好きの小生としてはワンコを高知まで連れて来ることができて大満足であった。残念ながら3連休前半は雨に祟られたが、今朝は秋晴れの予報であったので、(1120分のANAに乗る必要があるにも拘らず)無謀にも朝練を決行してしまった。さすがに10月のこの時期は頭に朝陽を当てた写真を撮ろうとすると撮影場所はかなり限定されるが、北浦和の雑草問題がまだ解消しないとなると最初から南浦和しか念頭になかった。やっと夜が明け始めた現地に515分頃到着し、申し合わせた訳でもないが程なく見なれたUさんのお車が到着した。二人ともいい加減、毎度お馴染みの撮影地には飽きた感が否めないが、それでも来てしまうというのは、お互い「あんたも好きね!」としか言いようがない。「あけぼの」は、せめて1052号機でも良いと思っていたが、来たのは最悪の1051号機!しかも、足元に杭のかからないベストの位置にはザックリと架線柱の影が出て、到底容認できる出来にはならなかったが、Kさんにも本当にお久しぶりに現地でお目にかかることができ、家で惰眠をむさぼっていなくて良かったと思った。それから速攻で自宅に帰って、犬の散歩を済ませ、850分には再び家を出て羽田に向かった。いつものことであるが、高知行きのANA70番スポット辺りのことが多く、手荷物検査を受けてから延々500メートル以上歩くのが大変面倒ではあるが、それでも乗ってしまえば僅か1時間ちょっとで高知龍馬空港に着いているのであるから、やはりコストパフォーマンス的には圧倒的に飛行機が強みを発揮している。つい2日前まで室内を騒々しく駆け回っていたワンコの姿はアパートにはなく、ただ静かに秋の虫の声が聞こえてくると、何だか一人暮らしの侘しさを痛感してしまうが、今月はもう一度東京出張のチャンスがあり、その際にはついお手頃価格になって衝動買いしてしまった7Dの試運転もしてみたいと思っている。(写真・文:TBlog_201010111

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2010年10月10日 (日)

お久しぶりです

 月日の経つのは早いもの、4か月振りの投稿となってしまいました。

当ブログのことは、いつも気にかけながら今年の夏を乗り越えて参りました。この間、鉄チャンを休戦していた訳ではなく、なかなかPCにゆっくり向かうことができないでおりました。何せ、相変わらずのPC操作ですから、人の3倍も4倍も時間を要するようです。

しかしいつまでもそんなに甘えていることはできませんね。本格的な撮影シーズンを迎え、そろそろ私も新たな気持ちで投稿復活と行きたいところです。つたない内容には変わりありませんが皆様よろしくお願い致します。

久しぶりなので、やはり写真は、EF5861の写真を・・

デジカメで撮った数少ないロクイチ写真を掲載します。

(文・写真 K )

「EF58奥利根」として水上往復した矢先、今度は東海道線に入線している。このあと、めっきり運転が減ってしまうなんて思いもよらなかった。今のカメラでもう一度走りを撮りたいと、全てファンが望んでいることだろう。来年のC61復活も素晴らしいことだが、何時の日か、このロクイチがまた我々の前に颯爽に走りだすことを懇願したい。その時が来るまで、決してカメラを置かない。 

                 2006-9-25   9815レ  EF5861   二宮-国府津  D2Xs

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2010年10月 9日 (土)

塚本のホームから

T.Aさんの画像はさすがに関西在住だけあって貴重なもの。国鉄やJRならばわざわざ遠征して撮りに行きたいものも多かったが、路面電車や私鉄となると重い腰はまず上がらない。そういう意味で私鉄モノは住んでいる人の独壇場ではないだろうか。

8月下旬以来、赴任先の大阪ではカメラを持ち出すこともなく休日も部屋でダラダラ過ごしてしまっている。来月には「はまかぜ」から撤退するキハ181系などにはファンが多く集まっているのだろうか。大阪着任以来1年が経過しようとしているが、最初の1年間にガツガツと撮影に出かけてきたからそろそろテンションが下がってきたのかもしれない。しかし国鉄時代からの古い車両はお構いなしに消えていくから、そんな車両を中心に再び撮影を活発化したい。

今回の画像は関西在住のファンなら一度は行っていると思われる塚本でのもの。1980年の9月に撮影した。たしかEF5853最後の運用となる日だったと思われるが、その前に普通電車と並んでやって来た「立山」。
塚本の周辺もマンションが増えずいぶんと街並みは変わったようだが、今でも撮影には好適なポイントとしてこのホームからの写真はあちこちで見かける。
T.A氏に紹介されて顔を出させていただいている鉄道好きの方々との会合もこの駅前の居酒屋で催され、塚本という駅の印象はますます深まる一方だ。

(写真、文 U)

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2010年10月 5日 (火)

南海平野線

 南海電鉄の軌道部(現在は子会社の阪堺電車)として、南海平野線も開業以来役割を担ってきたが、1980年(昭和55年)11月27日に阿倍野 - 西平野間の路線に沿う形で大阪市営地下鉄谷町線の天王寺 - 八尾南間の路線が延伸開業、南海平野線が担ってきた役割を大阪市営地下鉄谷町線に譲り、同日限りで廃止された。

こうやってスナップしたのがまるで最近のように思えるこの頃・・・

 早30年・・・しかしまだまだ恵美須町・天王寺駅前から住吉公園・浜寺公園への路線は健在。昭和一桁の古豪モ161型の活躍をぜひカメラに収めておきたいものである。

写真は全て1980.11(後2コマは1980.11.27)

写真・文 T.A.

Hirano1平野付近

Hirano2阿倍野で 上町線との平面交差

Hirano3最終日 平野にて  さよならマークつきデ235と    最終列車への花束贈呈

Hirano4

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2010年10月 3日 (日)

鹿児島本線 八幡~枝光の好撮影地

おかげさまでアクセス数も10000を超えました。普通だったら決して日の目を見ない写真を図々しくもこうして披露するのは心苦しさも伴いますがどうかお許し下さい。

さて先日まで続いた猛暑もどこへやら、いきなり涼しくなって過ごしやすくなりました。しかしながら大阪での鉄道撮影は8月下旬以来行っておらず、愛用のキヤノンEOS7Dも部屋の片隅で眠ったままになっています。再来週あたりはサロンカー「なにわ」をDD51が牽くという情報もあり、出撃したいと考えています。

今回の画像は1978年3月に鹿児島本線八幡~枝光で撮影した冷凍貨車を引くED75300番台。
今、この場所はスペースワールドという遊園地になって様相は一変した。ちょうどこの写真の場所には駅が新設されているらしいが、かつてはご覧のように中望遠で撮るには最適の場所だった。最後にここを訪れたのは福岡赴任時代の92年の夏だったと思う。デビューしたばかりの787系電車の試運転を撮りに訪れたのが最後。
何度も書いてきたように78年当時は単身赴任していた父が福岡に住んでいて、西のEF58撮影の拠点としていたが、その行き帰りの時間を利用して何回かここでいろいろな列車を撮ったものだ。長い貨物列車だと下の2枚の写真(1980年3月撮影)のように編成が切れることもあったが、おおむね画面に収まった。手前の2本が旅客線で向こう側2本が貨物線(例外もあった)と使い分けられていた。決して有名な場所ではなかったが、門鉄デフのレポートで有名な関崇博氏の出身地近くということもあり、氏がここで撮られた作品を誌上で見かけたことはある。
ED75の300番台というのは10両前後しか製造されず、このころは華やかな列車を牽くことはなかったが、後にヘッドマークを付け長崎本線に入る「さくら」を牽くチャンスがめぐってきた。

(写真、文 U)

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編成が長いとこのように後ろまで入らないことも多かった。全部入れようと機関車を引きつけた結果、ご覧のように架線柱と機関車が重なったように見えてしまった。2年前にあった後ろの製鉄所の煙突がなくなっている。

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