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2010年8月

2010年8月31日 (火)

明日から東京出張

四国の車輛の画像を出していると、評判が悪いので、自ら上書きすることにします。いい加減地方暮らしも飽きてきたが、明日から東京の本社に出張である。木曜・金曜と終日研修で遊んでいる暇はないし、土曜日は大学病院にアポ入れしている胃カメラの定期検診もあり、今回はなかなかゆっくり朝練している時間もなさそうである。まあ、つかの間の家族と愛犬との触れ合いを大切にするつもりである。(以前ご紹介したSkypeというテレビ電話システムは、大変便利であり、電話ではできない愛犬との対話も毎日楽しんでいる。ワンコもこちらが「待て~」といえば、カメラの前で臥せして待っているから大したものだ。そうは言っても直接の触れ合いが一番なのは言うまでもないが・・)高知は、まだまだ暑いが、夜になって虫の鳴き声が聞こえるようになり、秋がそこまで近付いてきていることを感じさせる。しかし、東京もまだまだ暑いのであろう。せめて、EF81(ハチイチ)の最後の奮闘ぶりを見れたらよいのであるが・・写真は、昨年628日に撮影した95号機牽引の12系団臨。最近こうした線路端からの典型的なワンパ写真をなかなか撮らなくなったなあ~。(写真・文:TBlog_2010831

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2010年8月30日 (月)

L特急「あしずり1号」

やめればいいのに、またまた四国の特急の話題で恐縮です。土讃線の時刻表を眺めていると、「南風」「しまんと」のほかに、「あしずり1号」という列車があるのを発見した。高知発13:50中村行きのまぎれもない「特急」である。(走行距離は、僅かに115.1km)これだけなら、皆様「それがどうした?」ということでしょうが、ミステリーはここから・・実は、この列車、下りの「1号」だけなのである。つまり、上りの「2号」もなければ、当然「3号」・「4号」もない。・・であるのに、堂々と「L特急」を名乗っているから不思議である。過去の経緯を辿れば、準急「足摺」から端を発し、急行から特急に昇格してからも、昔は1日最大上下6本が走っていた時期もあったようであるが、200310月からは、(臨時の51号が設定された時期もあったようではあるが)今のように「1号」だけになってしまったようである。そもそもL特急なるものもかつては毎時○○分発車というような日中の特急であったはずであるが、その後そもそもの定義もはっきりせず、一般の「特急」との区別も曖昧であることから、今や北海道、中部、四国の一部に限られてしまっているようだが、「1日1本で、しかも下りだけ」というような変則L特急は、全国的にも「レア」なはずである。こうなると、一度見てみたくなるのが人情というもの。帯状疱疹も峠を越えたので、早速先日ロケハンしておいた場所に赴いてみた。金曜日と日曜日以外は2両編成のショボい「特急」で、勾配票が邪魔になるので105ミリ程度まで引きつけたら実につまらない写真になってしまったが、先頭車の汚れの程度はまあまあであったので、一応「可」としておこう。(どうせ、そのうち消滅するに違いないので、記録にはなったということで・・)ついでに、上りの「南風」も待ってみたら、どこかで見かけた汚い顔。「2103!」そうだ、紛れもなくあの、「ムツゴロウ」である。何だかオマエとは良く遭うなあ・・オマケの画像は、大昔の「急行あしずり」の画像。やはり、格段に風格がある・・(写真・文:TBlog_20108301

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2010年8月29日 (日)

「東」の区名札を入れたロクイチ(EF5861)の足回り

昨日のロクイチ(EF5861)展示に関しいくつかコメントをいただいたので関連写真を追加アップしてみよう。

まずは「東」という懐かしい、正統派の区名札。お召しのときの砲金製のものでなく、この「普通の」区名札がなんともいえない。

そして錆が出てるんではないかとの観測もあった連結器と足回り。確かに展示位置では斜め前からしか見られず、錆が浮いていたようだが、入れ替えのときの写真をよく見ればしっかりグリースが塗られているのがわかる。写真は1番エンド公式側の先台車枠。

連結器もほぼ同じ色なので、多分(足回りよりは)薄めにグリースが塗ってあるので錆みたいに見えたのかと思う。やはり「ロクイチ」に錆は似合わない。

いかに大切に保管されてるか、安心材料の一つでもある。

(写真・文:K.M.)

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2010年8月28日 (土)

今日のロクイチ(EF5861)

このブログが始まって1年、まさかこんなタイトルを出せるとは思わなかった。

最後にロクイチ(EF5861)を見たのは2年前の東京総合車両センター夏休みフェアでの展示だった。

昨年の同フェアには結構期待して行ったものの、ロクイチの姿はなく、滞在15分ほどで引き上げてきた。

今年ももう出てこないとは思いつつ、やはりわずかな望みも捨てきれずに大井町に向かう。センターでは入場待ちの列が結構出来ていたが、まあスムーズに流れて入り口で団扇とパンフレットをいただいた。そしてパンフレットの展示車両欄に「EF58」の文字が!!

急いで一番奥の展示場に向かうと、そこには綺麗な姿のロクイチが鎮座していた。

パンタグラフは上がっていなかったが、ヘッドマークや変な装飾はなく、昔普通に見ていた機関区でくつろぐ姿がそこにあった。残念ながら2番エンドだったが区名札にはさりげなく「東」の文字があった。(1番エンドは「田」)

写真を撮るというよりは、じっくり眺め、ちょっと思い出に浸ってしまった。

展示終了後はすぐに入れ替えで隣接の安住の地(?)御料車庫へ押し込まれていった。

まあ、継続は力なり、だめもとでも通ってみれば報われるという感じかもしれない。

これで402回目のロクイチ(EF5861)撮影となった。

(写真・文:K.M.)

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2010年8月24日 (火)

長いレンズの効用

長いレンズが好きだ。就職してからニコン、キヤノンなどの超望遠レンズにずいぶん金をかけてきた。300ミリを超望遠の範疇に入れるかどうかは微妙だが、当時学生だった自分にとってはそこそこの望遠効果があって、自分自身は超望遠のカテゴリーに勝手に入れても良いと思ったものだ。思い返せば初めてこの300ミリレンズを手にしたのは高校1年のとき。ペンタックスのESⅡとの組み合わせが初。夏休みの室蘭本線富浦や栗山~栗丘などでD51やC57などを撮ったものだ。ところがSLが全廃となって興味は模型に移り、使用しない300ミリレンズも模型購入の資金のための元手になった。もちろん使いこなすことが難しかったという技術的な問題もあったのだが…。

ロクイチや大窓のEF58の撮影にギリギリ間に合うようにニコンの明るい300ミリレンズを購入したのは、就職が決まった1981年暮れ。卒業旅行と称した3月の広島行きなどに携行し、ずいぶんと使いこなすことが出来たと思っている。以来、まだ子どももいなかったこともあったり、買い替える予定の車をがまんしたりして何本かのレンズにそれなりの金額を費やしてきたが、今ではけっこう多くの方々にも普及してきたように感じる。思い上がった言い方になるが、間違いなくわれわれの影響も多少はあったように思う。

さてそれはともかく、実はこの長いレンズ群、案外便利なのは近郊区間、すなわち複々線区間などでの使用だ。135~200ミリクラスのレンズでは単なる編成写真に見えがちだが、長いレンズを使うとアップダウンやカーブにかかる前、先頭車両が傾斜するところがはっきり分かる。それまで普通だった編成写真にちょっと変化をつけることができる。複々線区間の一番奥を通過する列車などの場合もアップで機関車を撮れるし、編成側面もそこそこ入る。言葉で表現するのは難しいが、そんな効果に魅入られて最近では300ミリ以下のレンズは流し撮りのときぐらいしか出番がない。

今回アップするのは1982年6月に品川~大井町で撮影した8103列車。東京を10時ちょうどに出発する列車で、天気が良いと機関車の頭しか光が当たらない。この日は願っていたような曇天。このポイントでロクイチを撮りたいとずいぶん前から考えていたがようやく実現した。引かれる客車は14系寝台×12両。ロクイチ牽引のブルトレ編成だ。就職後、まだ社員試用だったが運良くこの日は休みに当たったこともラッキーだった。

(写真、文 U)

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2010年8月23日 (月)

車両の汚れ

Tさんによると四国の車両の汚れはひどいらしい。全てが全てではないのだろうが、特急用車両などは注目される率も高いのだろうから、鉄道ファンならずとも利用者としても車内だけではなく外装もしっかり清掃してほしいものだ。
大阪ではそれほど汚れが目立つ車両は少ないが、北陸から来る貨物列車を牽くEF81の汚れはそうとうなもののようだ。海沿いを走ることもあって塩害の影響も大きいのだろうが、同じ区間を走る敦賀のEF81はそれほどでもない。きっと所属区に戻る機会の少ない貨物機ゆえのことなのだろう。大阪に赴任して鉄道撮影を楽しんでいるが、まだ北陸方面からの貨物列車を撮ったことがなく噂を確認する機会はないが、そのうち現認するチャンスも来るだろう。
まあ理由はとにかく、四国の車両も富山の81もきれいであるに越したことはない。

こんなことを記しながら全く矛盾したことを告白するが実は私、現役時代の蒸気機関車は汚れている方が好きだった。真っ黒にすすけてつやのないボイラの方が、一生懸命に働いているようで汽車らしく見えたものだ。当時、九州の蒸気機関車は手入れが行き届いていたことで人気が高かった。たしかに黒光りしたボイラは美しく見えたが、自分にとっては伯備線や関西本線などの煤でつやが消えた感じの機関車の方が、いかにも機関車らしく映った。
新見機関区を訪れたとき見学者の氏名などを記すノートがあり、その中に機関区に対する意見を書く欄があった。そこを見ると「もっと機関車をきれいにして欲しい」とか「もっと機関車を大事にして欲しい」などと、当時小学生だった自分から見てもずいぶん身勝手なことを書く人がいるものだと感じたことがある。「意見を書くために」設けられた欄だから、何を書いても良いに決まっているが、せっかく立ち入りを許してくれているのにという思いもあった。

まあ、もともと真っ黒い蒸気機関車とカラフルな塗装の最近の車両では汚れに対する見方も異なるが、汚れが目立つ明るい色をまとった車両はきれいなことに越したことはない。

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「きれい」という点ではこれ以上ないお召し列車牽引に整備されたEF5861。これは御料車の回送シーンで1980年10月の栃木国体の時のもの。
蒲須坂の鉄橋付近は上下線が離れて撮りやすい場所だった。もちろん今ではとても許されるポイントではない。背景に奥行きがある感じで今だったら長ダマにはもってこいの場所だろう。

(写真、文 U)

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2010年8月22日 (日)

アップに耐えられない顔

帯状疱疹で体が痛いので、寝ていればいいのだが、天気が晴れるとどうも大人しく部屋に居るのがもったいないと思ってしまい、今朝もついつい朝練に出掛けてしまった。そうは言っても所詮被写体は限られており、せめて田園風景の中で少しはマシなアングルはないかと、佐川のあたりまでミニ遠征してしまったのである。しかし、夏草は伸び放題で、踏切脇からであっても思うようにすっきり撮れる場所はなかなかなかった。(単線の為、すっきり線路脇から「ワンパ」ができる場所すらない。夏草をかわす為に本気で脚立を買おうかと考えてしまう・・)1本目は、枝川の近くの跨線橋から「南風6号」を狙ったもの。アンパンマン車輛が来るということは判っていたが、実際カメラに収めると何とも吐き気のする顔であった。(四国の車輛は結構アンパンマンに汚染されているが、小生はこのようなアニメには全く興味がなく、何でこんな塗装にしているのか美的感覚を疑う。また、写真を見て判ったが、アンパンマンの顔を描くために、どうやら貫通扉上の列車名表示窓を撤去改造までしているようだ。)上りの特急は高知以西になると2時間空いてしまうので、その後下りの場所見に佐川の先まで線路沿いにロケハンしていったが、これもなかなかすっきりした場所がなく、モタモタしていると結局次の「南風10号」が来てしまう時間になってしまった。仕方なく戻り道の踏切をひとつひとつチェックしてゆくと、小村神社前近くでSカーブになっているまあまあの場所を発見し、灼熱地獄の中、しばし列車を待った。例によって、カッ飛んできた「南風」の顔はご覧の通り、虫だらけ・泥だらけ。(おいおい、お前は、イナゴか!ムツゴロウか・・!)やれやれ、これではやる気も失せるというものだ・・どれもこれもアップに耐えられない顔ばかりで、今日も虚しさだけが残った撮影であった。「文句があるなら撮るなよ!」って?全く仰せの通りでございます・・(写真・文:TBlog_20108221

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2010年8月21日 (土)

茶釜牽引の「あけぼの」と醤油顔の1032号機牽引「北陸」

いつの間にか、カウンターは9万をヒットしており、読者の皆様には、心より感謝申し上げます。今週は、PIKAさんのブログで1001号機牽引の「あけぼの」の衝撃写真を拝見して絶句したのですが、Uさんのご投稿でまたまたEF5860のお写真も拝見し、大変懐かしく思った次第です。そこで、私も茶釜続きで今から考えればもう懐かしい画像となってしまった37号機牽引の「あけぼの」の写真を探してみました。これは、200954日に日暮里で撮影したショット。この日は、まだ双頭連結器に改造前の1032号機牽引の「北陸」がやってきたあと、順光の中で37号機牽引の「あけぼの」が颯爽とやってきました。この日暮里のSカーブは、よく会社に出勤前に立ち寄って朝練した場所で、このアングル自体は個人的に非常に気に入っているのですが、何度「あの電柱さえなければ」と思ったことやら・・日暮里での写真は、他の場所がもう暗くて撮れない冬の間の写真が断然多いのですが、こうした明るい光の下での写真は意外と少ないことに改めて気が付きました。1032号機の顔は、改造後の今の顔に比べれば醤油顔ですが、1052号機や1053号機に比べるとスカート部分のジャンパ栓の数が左右1本ずつ多く、やや当時から髭が濃かったことが分かります。どちらも、今となっては貴重な画像になってしまいましたし、この日のカマは両方とも前面の錆等もなく結構綺麗だったのだと、写真を見ていて再認識した次第です。さて、Uさんは体調不良のようですが、実は小生も先週末からわき腹と背中が夜も寝られないくらい痛み、5年前に患った総胆管結石の再来かと、CTやら血液検査やらをしてきました。その結果、胆管や膵臓の疾患が疑われ、医者からはとにかく痩せることを命じられ、せっせとダイエットに励んでいましたが、痛みが治らないまま木曜日あたりから赤い発疹も現れ、今度は皮膚科にも診てもらったら、なんと帯状疱疹が痛みの正体だという。体が弱ったところに弱り目に祟り目でありますが、まあ敵の正体が判った方が、戦い易いというもの。ついでにCT画像で、医者からは、「これだけ内臓脂肪が溜まっている」とビジュアルな厳しい指摘も受けたので、まあ死に至る前に摂生することができてラッキーだと思った方がよいであろう・・ダイエットは当面続けることになりそうであります。(写真・文:T)Blog_20108211

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2010年8月19日 (木)

注目度低かった晩年のEF5860号機

このブログを始めてから大窓のEF58は、ロクイチをはじめ何回も画像はアップされている。ところが当時、もう一両茶色だったお召し予備機の60号機についてはほとんど語られていない。自分自身もEF58を撮影するようになった時にはすでに窓がHゴム化されてしまい、茶色塗装という希少性はありながらもあまり注目することはなかった。
それでも浜松に所属していた同機を荷物列車などで見かける機会は多く、何十回という記録だけは残っている。
あの頃、60号機が最も注目されたのは岡多線で運転されたお召し列車の際に61号機の予備機として整備されたときだろう。私もこのブログの仲間たちと一緒に行ったが、このときのことはまた別の機会に譲るとして、今回は荷物33列車を牽く姿をアップしたい。

この列車は汐留を正午過ぎに発車するもので、東京駅を同じく正午過ぎに発車する臨時の8111列車が走るときは2本続けて58が撮れるダイヤだった。この日、1978年2月8日も新子安のホームで下関の30号機が8111列車で下っていった直後に撮影した。
新子安は東京寄りのホーム先端が好ポイントだったが、横浜寄りのホーム先端近くも機関車が傾いてカーブに差しかかり自分としては好きなアングルだった。まだ長いレンズは持っておらず、オリンパスOM1か2に135ミリという組み合わせではホームが画面に入ってしまう。その点だけを除けば九州ブルトレ末期も大いに活用できたはずだが、長いレンズを買ってからはこのポイントをチョイスすることはなかった。
今思えば東京寄りホーム先端に人が集中しても、ここにはまず人が来なかったからもう少し活用できたかもしれない。

(写真、文 U)

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2010年8月17日 (火)

瀬戸内海バック(その2)

瀬戸内海バックの第2段ということで、予讃本線海岸寺での写真をアップします。これも一連の785月の高知植樹祭の際のお召列車撮影のついでに撮ったもので、A氏はじめお仲間の皆様とご一緒に撮ったショットです。(皆さん、当然同じカットをお持ちのはず・・)でも、「ついで」の写真の割には、ポジを眺めていると今から見れば随分豪華な写真が並んでいるのです。朝陽を浴びた当時の四国の車輛達は、威厳と風格に溢れていました。どの車輛も、カラーに耐えられるだけの美しさを保っており、国鉄当時の職員の方々の車輛に対する手入れないし愛情といったものが、並々ならないものであったことを感じさせます。(それに比べ、今のJR四国の車輛達は、その汚さには閉口。特急「南風」などは、前面は虫だらけで、黒ずんでいる。これまで洗車などしたことがないのではないかという位ひどいものなので、白レンズではとてもアップには耐えられないし、撮影意欲もなおさら湧きません・・)当時、まだまだキハ82系も現役バリバリであったので、キハ181系はむしろ新鋭の部類でしたが、そのキハ181系もいよいよ終焉近しとなると、個人的には本当に寂しい感が否めません。(写真・文TBlog_20108171

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2010年8月15日 (日)

30年の歳月

私が鉄道写真を撮り始めたのは高校1年から。1975年のことだから、ここに登場される方々が小学生の頃から始められてるのと比べれば遅咲きの部類である。

蒸気機関車も最後の夕張線のD51の活躍と追分の9600の入れ替えにようやく1975年12月に間に合った程度であった。

初めての写真は1975年5月3日、船町駅のホームから撮った8列車(富士)である。コダックの110(ワンテン)のミニサイズのカメラだったから画質などは問題外だが幸いネガもなんとか残っていて一応この1枚目のように現存してるし、当時のプリントも手元にある。

(ここらへんは2005年に発刊された某雑誌(MOOK)第一号でEF57が表紙の「旧型電気機関車デッキへの招待」の中で公表させていただいている)

時は過ぎてそれから丁度30年後の同月同日同時刻、私は同じ船町駅のホームにいた。1975年と同じように東京駅から大垣行きの夜行に乗り、豊橋で降りて船町駅に向かった。手にもつのはデジタルカメラ、自分自身も15歳から45歳になっていたが周囲の雰囲気にはまだ当時を思い出すものもあった。

30年前のプリントを手に、当時の撮影ポイントを探す。電柱やビームの位置、線路の曲り具合を頼りに名古屋側に進み、決め手となったのは背後の三角の瓦屋根の家。恐らく数十センチも違わないであろう立ち位置を確定し、手前の飯田線の線路と写っているホームの端の関係を頼りに高さを推測し少し低位置にしゃがんで、同じ「富士」を待った。列車番号や牽引機、客車も当然変わってはいたが、ヘッドライトを付け、ヘッドマークも誇らしげにその姿が見えてきた。

慎重に30年前に近いシャッター位置にきたときに撮ったのが下の写真。

出来上がりを見るとやはり少しづつずれてはいるが、まあ、ほぼ同じような感じで仕上がって30年間のタイムスリップ写真が出来上がった。

もうあれから5年が経ってしまった。5年後の40年目にはもう富士もなくこの写真の続きはない。

でも、ここにご登場の方々と、たとえばあと15年後くらいに、「あの時撮った○○から50年」とか言って、のんびり集まれれば幸せかなと思う。

(写真・文:K.M.)

上:1975年5月3日

下:2005年5月3日

いずれも船町駅の横を通過する寝台特急富士。

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久々の鶴見線・浜川崎界隈

Tさんがこのブログに初めて寄稿されて1年が経過したとのこと。しばらく鉄道撮影から遠ざかっていた時期もあったようですが、本格復帰された成果を拝見できるのも私にとって良い刺激になっています。もともとは昔撮った日の目を見ない写真の発表の場ということで始めたものの、昨今の作品もどんどん見せていただけ自らの撮影においてもひじょうに参考になっています。
人の目に触れる機会があるということで撮影にも真摯に向かうことができるのもブログの良い面でしょう。今後ともお祭りなど、自分の身の回りのことなども含め私自身も居酒屋の料理や目についた様々な事象を記録、掲載していきたいと考えています。

さて昨日は「朝練」帰りに急に思い立って浜川崎へ寄ってきました。南武支線、鶴見線が開業80年を迎え、記念メークを付けた電車が走っているということを聞いていたからです。この地区、EF58を撮っていた頃はけっこう通ったものです。浜川崎の南武支線ホームなどでは買ったばかりの300ミリレンズを携え順光になる荷32列車などを狙いに行きました。単機牽引で運転されるようになった荷35列車なども、東京貨物ターミナル経由となったらこの周辺はなかなか良いポイントでした。最後に行ったのは南武線のED16が重連で走った頃だったと思います。きっと今も本気でここに通ったら、特に平日など貨物列車を効率よく撮影できるのではないでしょうか。自分自身もいずれしっかり再開拓(こんな言葉あるのでしょうか)してみたいと感じました。

今日の成果(と言うほどのものではありませんが)は自分のブログに近々載せるとして、今回は鶴見線の海芝浦で撮影した旧型国電をアップします。関東近辺で「海に最も近い駅」とか「海に面した駅」などと言われて有名な同駅ですが、実際には改札から出るとすぐ東芝の工場の敷地となっています。1979年ごろから101系電車に置き換えが始まるまで茶色の電車が活躍していました。その中でも特に目立ったのが3段窓のこのクハ79でした。1979年11月13日の撮影。

(写真、文 U)

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2010年8月14日 (土)

1周年

不肖私、当ブログにデビューさせて頂いて、丁度この週末で1年になります。何だか本来のロクイチとは関係ないネタばかりで随分と図々しくブログに登場させて頂き、出しゃばり過ぎだと改めて反省しております。(数えてみたら、1年間で92回登場させて頂きました)ただし、こうして、ブログに自分の生き様をぶつけてゆくと、大袈裟に言えば自分自身の生きている証にもなったと思いますし、ネットという世界に自分の写真や文章を晒すことで当初は怖い面も多々ありましたが、着飾らずにオープンにすることで、色々な方々との触れ合いの機会も増やせたのではないかと勝手に考えております。Uさん・KMさん・Kさん・YMさん・TAさん等このブログに参画されているお仲間の方々からも物凄くいい刺激を受けましたし、鉄ちゃんを復活させたことで撮影現場で新たにお知り合いになれた北浦和のPさんやKさん等からも沢山パワーを頂戴しました。また、当ブログを見に来て頂けた読者の皆様にも感謝の気持ちで一杯です。こうして地方で単身赴任生活を送っておりますと、このブログがなかったら、きっと仕事と家の往復だけでつまらない生活になっていたことと思いますが、このブログの御蔭で、週末やアフター5の楽しみが確実に増えたことも事実です。さらに、Uさんとは、ゴハチを追いかけた学生時代以上に、社会でお互いに色々な経験を積んで揉まれた分、(家族に対する考え方等)何か共通する価値観や人生観も得ることができ、大人の会話が出来るようになったような気がしています。さて、問題は一向に私の腕の方が上達しないことで、所詮、私の場合は自己満足の範囲を出ませんが、まあマイペースで引き続きこのブログを通じて色んな方々との触れ合いを大切にしてゆきたいと思っております。さて、話は変わるが、最近家族とはSkypeという無料ソフトとWebカメラを使って、インターネットテレビ電話を始めた。カミさんとは携帯電話でも不自由なく会話できるのであるが、愛犬の元気そうな顔を目にし、犬語で会話するには結構これは便利なツールである。(ウチのワンコは、テレビでもワンコが出てくると、画面に向かって体当たりしたりする程、テレビに反応するが、私の画像と声がPC上から現れると、「どこにいるんだい?」と盛んに首を傾げながら、PCのモニターの匂いを嗅ぐ仕草が何とも言えず滑稽である。犬好きの方にはご理解頂けると思いますが、ウチのワンコは思いっきり笑ったり、悲しんだりしますし、人間の言っていることはほぼ完全に理解しています・・)アップする写真は、丁度1年前の815日に片岡~矢板で撮った「カシオペア」。有名撮影地でアングル的には目新しさはなかったが、順光の朝陽を浴びて迫ってくるEF81の勇姿は本当に美しかった。期せずして、カマは92回とゴロ合わせの92号機でした・・・(写真・文:TBlog_2010814_2

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2010年8月12日 (木)

夏はお祭りで!

 Tさんに便乗(笑)でお祭りネタを失礼・・・

 Tさん、「よさこい」で大いにパワーをもらったようで何よりですね。当方は「よさこい」未体験ですが、そのパワーにはいたく同感です( ^ω^ ) ウチの母親の実家が徳島だったこともあり、小学生頃まではずっと夏休みといえば難波~和歌山港~小松島港~徳島の南海四国ラインルートで行ってました。当然「阿波おどり」は毎年参加だったわけで、いわゆる「ぞめき」のリズムはいたくアドレナリンをくすぐられます。 そのせいか、いつのまにやら「祭」もワクワクしながら見る楽しみの一つになってます。

 写真は昨年の「博多祇園山笠」。この博多の代名詞となる祭、700年以上の歴史がある無形文化財。6月から各種行事が行われ、クライマックスの7月15日午前4時59分からの「追い山」では迫力ある櫛田入りが見られます。しかもタイムトライアル付き!

 「阿波おどり」が終われば、9月は「だんじり祭」。一番歴史のある岸和田を皮切りに、泉州各地で100台近くの地車が迫力満点のやりまわしを披露します。 一度生でご覧あれ!

写真・文 T.A.

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2010年8月11日 (水)

本場の「よさこい」

最初にお断りしておくが、鉄道のネタでも何でもありません。夏の高知と言えば、「よさこい」なのです。かく言う小生も本場の「よさこい」を見るのは勿論初めて。人からは、「音が凄い」とか色々と事前には聞いていたが、実際に体感すると、そのエネルギッシュさは、物凄かった!祭り自体、前夜祭から後夜祭まで含めると4日間。本祭だけでも2日間、昼の11時頃から夜の22時まで、とにかく市内各所に設けられた「競演場」及び「演舞場」で191のチームが踊り明かすのであるから踊り子さんが消耗する体力たるや半端ではない。しかも、地方車(じかたしゃ)と称する大音響で音楽と唄を流す街宣車のような車が先導するので、近くで見ていると、鼓膜が破れんばかりの音がスピーカーから流れくる。これがまた、物凄いのである。(踊り子さんが手に持つ鳴子の音など完全にかき消されてしまう)既に陽は沈み、地方車が照らすライトが頼りなので、ISO12501/250f2.8開放と、どこかの朝練の時に聞いたような露出であったが、そういう意味では、暗い中で動く被写体を追うのは、日頃訓練済なので、こういう時にも白レンズは大いに役に立った。艶やかな衣装を纏った踊り子さん達は、皆さん2日間踊り明かして、体はヘトヘトのはずであるが、全員活き活きとしていて、本当に楽しんで踊っていたのが印象的であった。何かと経済の衰退が噂される高知であるが、これだけのエネルギーがあれば、まだまだ行けそうな気がする。(写真・文:TBlog_20108101

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2010年8月 8日 (日)

久しぶりの「超望遠」撮影

部屋を片付けていたら、久しく使用していない望遠レンズが出てきた。以前はよく使用したニコンの500ミリF4と300ミリF2.8である。これを購入したのは丁度20年前の1990年。ボディー本体のF4Sとレンズ2本で有に100万円を超える支払いをしていた。

そんなレンズの出番もEF5861が引退してからは出番もなくなり、またデジカメには使えないんだろうという先入観で、お蔵入りしていたものである。

ところがカメラの説明書を読んでみると、色々制約はあるもののどうやら使えるらしいことがわかった。レンズが500ミリということはデジカメだと750ミリ相当となるわけで、早速試してみたくなり、最近のお気に入りの南浦和に行ってきた。

今日のカシオペアは509号機でほぼ定時にやってきた。下りは出発して間がないので前面も汚れていなく、750ミリでの圧縮は結構「超望病」を誘発させるに足る迫力であった。

(写真・文:K.M.)

2010年8月8日 8009列車 南浦和にて

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久々の「朝練」

今朝は未明から天気も良く、私としても朝練をやる気満々で、朝4時過ぎに家を出た。また、1回目の車検を通さずに買い替えてしまった新車が納車になり、まだ自分では運転していなかったので、試乗も兼ねてドライブもしてみたかった。(アメリカから帰ってから2代続けて乗ったRV車はなかなかお気に入りであったが、重量が重い分燃費が悪く、今度はエコカー減税適用の車にしてみた。期待はしていなかったが、なかなかキビキビした走りをしてくれるので、結構満足。)当初の目的地に5時頃到着したが、既に先着あり。自分としては、三脚の立ち位置まで決めている場所だったので、悔しい思いをしながら断念した。その後どこで撮ろうかと迷ったが、北浦和も蕨のSカーブも夏草が伸びているようであったので、今日は珍しく南浦和に向うことにした。脚立をセットしていると同業の方が1名いらしたが、結局それ以上増えることはなかった。何とか薄曇りを願ったものの、徐々に太陽がジリジリと照りつけ、ややコントラストの高い写真になってしまったが、双頭機の1032号機であったので、まあ満足。(本当は自分としての撮影回数の少ない1031号機を期待していたが・・)EF510牽引の「カシオペア」・「北斗星」には全く興味はなかったが、少し雲も出てきたので、おちゃらけでワシクリの定点観測場所に向かった。結局「カシオペア」通過の際には雲が晴れてしまってピーカンの頭が潰れたハイコントラスト写真になってしまったが、一応カシオペア色のEF510との初対面を果たした。(殆ど感動は覚えなかったが、四国の煮ても焼いても食えない車輛よりは比較にならない程マシである・・)今日のワシクリは結構な人出になっており、やはり世間的には新鋭EF510はまだまだ注目度が高いのだということを痛感した・・(写真・文:TBlog_2010881

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2010年8月 7日 (土)

久々の「ハチイチ」

昨日仕事を定時で切り上げ、高知1940分発の高速夜行バス「ドリーム高知2号」に乗って帰京した。仕事の関係でどうしても定時までは居る必要があった一方、翌朝を有効に活用したかったので、初めて「ドリーム号」なるものに乗ってみた。また、料金面でも航空機がこの時期正規料金で33,700円である一方、新幹線+南風で19,000円程度、これに比べてドリーム号は12,500円、プレミアムシートにしても14,800円と料金面でもかなりお得である。そうは言っても、東京までの時間は12時間弱とまあこれも段トツである。東名の渋滞はあったものの、30分程度の遅延で今朝7時半頃に久々の東京に着いた。夜行バスなんてものは、大昔、大学生や会社に入りたての頃のスキーバス位しか経験がないが、プレミアムシートはスペース面・シートの座り心地等の面でまあまあ快適に感じた。さて東京に着いてまず感じたのは、「東京は都会である」ということ。東京生まれの東京育ちなので、都会が当たり前になっていたが、暫く地方に暮らしていると、改めて東京はとんでもなく都会に感じた。さて、色々ヤボ用はあるものの、やはり久々にEF81の姿も拝みたくて、午後になって近所に「安中貨物」の撮影に行ってみた。灼熱の晴天下、長玉だと陽炎が出てピン甘になることは承知の上で、どうしても長玉が使ってみたくて定位置に脚立を立て、ハスキーをセットした。予め今日のカマが94号機であることは判っていたので手持ちでも十分だと思ったが、いい大人が敢えて気合いを入れて撮ってみたくて、フル装備で臨んだ。今日はタキ12両+トキ5両の長大編成で、それを思いっきり圧縮してカメラに収めることができたので、まあ満足。私にとっては、ほぼ2か月ぶりのハチイチの勇姿であった。もうあさっての月曜日の午前中には飛行機で高知に戻る必要があるので、朝練が可能なのは明朝だけである。「あけぼの」は勿論撮ってみたいが、EF510「北斗星」まで待っている元気があるであろうか・・(写真・文:TBlog_2010871

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2010年8月 4日 (水)

真鶴のロクイチ

蒸気機関車を撮影し始めたのは小学校2、3年生の頃。最初の頃こそ土日に休めない父に代わって祖父や祖母と一緒に出掛けたが、まもなく単独で行動した方が自由になれることが分かり、徐々に一人旅が多くなった。小学校高学年になると春、夏、冬の休みは周遊券を買って山陰や北海道などへ長期間撮影に行くようになり、そうなると反対に家族との旅行の機会が減った。思い返すと両親や弟とともに揃って旅行に行ったのは、小学校の頃に海水浴に行った1971年の頃が最後ではなかっただろうか。
そんなふうに考えるとこの鉄道撮影という趣味は子どもの独立心を高める反面、家族とレジャーを共にするチャンスをスポイルしてしまうという側面もあるように思える。もちろん父親が鉄道好きなら別だが、たとえ家族と一緒に旅行に行ったとしても旅先で珍しい車両などを見かけると、ついそちらへ気が向いてしまい、少しの間とはいいながらも単独行動に走ってしまいがち。そういう意味では親となった今、両親に寂しい思いをさせてしまったかもしれないと反省もある。
きっとこの趣味をもつ多くの方々もそうだったのではないだろうか?

幸い(と言えるのかどうか)わが息子は鉄道には一切興味もない。この夏も一緒に(もちろん仕方なく)旅行についてくるようだ。自分の小遣いではあまり遠い所へ行けないという経済的制約もあるから毎年夏の沖縄、冬の北海道スキーにはいろいろ不満もあるだろうが同行している。
ところがそれもそろそろ終わりになるだろう。すでに精神的にはじゅうぶん親離れしているが、来年には大学受験の準備の準備なども控えて身辺が慌ただしくなるはず。下旬から沖縄旅行、しっかり堪能してきたい。

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90年代前半(撮影日は自宅に帰らなければ不明)、真鶴で撮影したEF5861。すでにファンの人気は最高潮に達し、こんな喧噪に首を突っ込みたくなくなっていた。何百回も撮影したロクイチだが、この後はあまり追いかける気力が失せてきた。東海道本線を午前中に上ってくる光線状態の良い列車に充当されなければ、わざわざ行かなかったかもしれない。スキャナーの関係で上下がいっぱいいっぱいとなっているが、実際にはもっと余裕がある。

(写真、文 U)

Photo

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2010年8月 1日 (日)

瀬戸内海バック

やはり、四国のネタでは、カウンターは伸びませんね・・ということで、太平洋バックの流れで、ポジをあさっていたら、瀬戸内海バックの写真を発見しましたので、3枚纏めてアップします。1枚目はお馴染み、荷37レ(大窓EF5864+EF5881)を富海~防府で俯瞰したもので、綺麗に瀬戸内海をバックに順光で撮影できた。撮影日は、79731日で、丁度1年前にこのブログでK.M.氏が「30年前の今日」という標題でご紹介されていた、あの山口線C571営業運転開始のまさに前日のことであり、このブログのお仲間の面々と楽しく撮影した記憶がある。もう1枚は、そのさらに前日の79730日に、大畠~神代で撮影したもの。これも、初めてこの場所にお仲間達に連れて行って頂いたので、皆様同じカットをお持ちのことと思う。(ちなみに、牽引機はEF5882+EF5864。初めてこの雄大な景色を見た時には、本当に感動したものだ・・)当時は、広島・山口方面に入り浸っていたが、まだ十分な資金力もなかったので、安旅で機材を担ぎつつ、結構駅から歩いても撮影していた気がする。もう一枚おまけは、大窓EF5869の戸田~富海での後撃ちショット。最初の写真と同じ、79731日の8114単回。連日、こんな贅沢なショットが撮れた、今から思えば本当に夢のような時代であった。あの頃が懐かしいが、このブログの住人の皆様方は、気持ちの上では、当時から歳をとっていないのではないかと感じるくらい、今でも活き活きとされているので、当方もどれだけ元気を貰っているかわからない・・(写真・文:T)Blog_2010811

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