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2010年3月

2010年3月28日 (日)

久しぶりの鉄ちゃん

雑誌の立ち読みで「28日の10時に西武鉄道の横瀬でE31のお別れ撮影会がある…」という情報だけを得て、カメラ1台だけ持って西武池袋線に乗り込んだ。

どんな内容の企画なのかもわからず、ましてや機関車の回送方法や時間なども全く不知のままであったが、電車の車窓を眺めていると沿線に結構撮影者が居るので、なにかは走ってくるんだろうと、横瀬に着いてから人の集まっていた地点まで歩いた。

その結果が1枚目のプッシュプル3重連であるが、まあ、全く知らずにのんびり行ったって、結構撮れるもんである。

そして構内では4両並べたり4重連にしたりと、変化に富んだ企画ではあった。「鉄ちゃん」というよりは「イベント参加」といったほうが的確であるが、半年振りの鉄道撮影だから無理はしないようにした。そう、前回は11月に門デフのC58を撮ったのだが、電気機関車の走りの撮影となると、直近ではEF55のサヨナラ運転まで遡ってしまう。

皆様、毎朝の朝練などご活躍だが、私はマイペースで徐々に復帰していこうかと思ってます。

(写真・文:K.M.) 2010年3月28日 横瀬にて

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広島機関区のEF5864

1979年3月に広島機関区派出で撮影させていただいたEF5864号機。
広島の大窓機の中では最も縁の薄い機関車で、撮影回数も10回に満たなかったと思う。
ヘッドマーク掛け(受け)が他のゴハチよりも高い位置になっていて、実際にマークを付けると正面のナンバーが隠れてしまう。
この日はこの後、お座敷列車を牽いて岡山方面に向かうということだった。
ほぼ同じ時間、69号機が柳井駅構内に留置の旧型客車を牽いて下関に向かう運用もあり、どちらを撮影するか大いに迷ったが、撮影機会の少ない64号機牽引のお座敷列車を正面に日の当たる向洋駅近くで撮影することにした。
実は画面右側に柱があって、それが機関車にかからないような位置から形式写真風に撮影するには、ちょっと苦しい状況だったことを思い出す。ブロニカに虎の子のイルフォードという微粒子モノクロフィルムを装填して撮影した。

(写真、文 U)

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2010年3月27日 (土)

EF510乗務員訓練で鉄分補給

今日(27日)は一日天気が良さそうだし、「あけぼの」の朝練からやろうと思って一旦は4時半過ぎに起きたものの、窓には結露がびっしり付く位の寒さ。ダイヤ改正以前では考えられないことだが、「まあ今日明日無くなる訳でもないからいいか・・」とまたベッドに入ってしまった。自分でも考えられないモーチベーションダウンである。当然のように「北斗星」もパスし、朝食まで済ませてから8時半に家を出てEF510+24系のハンドル訓練に出掛けた。ところが、通常朝練時にはスイスイ行く道も土曜日の午前中となるとどこも渋滞しており、現地まで何と2時間以上もかかってしまった。逆光下で撮るには撮ったが、やはり頭に陽が当たらないとどうも消化不良。さすがに上りまでは時間があき過ぎるので、一旦家に帰ったがこれが大失敗。帰り道は道を変えたもののこちらもやはり渋滞の嵐で、30分程度でまた家を出ることに。今日は安中貨物がEF81-95であるようであったが、泣く泣くパスして目的地に向かった。こちらは何とか順光で撮ることができたが、家に帰ったらカミさんがカメラのモニターを覗いて、「俯瞰の写真なんて、いつもの作風と違うじゃない」と言われてしまった。タイガーロープをかわす為にわざわざ上から撮ったのであるが、なかなか手厳しい・・(写真・文:TBlog_20103271

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浜田区のレンガ庫

 K.M氏が糸魚川のレンガ庫をアップしているのを見て、ふと思い出したのが幾度となく訪れた山陰線浜田機関区。ここも3線のクラながら、入り口はしっかりレンガ積みでいい雰囲気。立派さでは糸魚川や和田山に劣るものの、自分にとっては思い出深い機関区のひとつとなっている。

写真のC57156,C575も今は静態保存となり、余生を静かに送っている。特に5号機は梅小路のエースとして山陰京都口の客レけん引にあたっていたが、昭和46年4月のDL化により豊岡に転じ、播但も昭和47年10月DL化されるとここ浜田に移ってきたもの。豊岡転属時にカッコよかった前面の形式入りプレートは間延びした普通のプレートに替えられてしまい、すごく残念だった・・・

 昭和48年12月に訪れた時の一コマ

(写真・文 T.A )

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2010年3月26日 (金)

追憶の「北陸」

TAさん、ようこそ当ブログへ!私のせいで最近ネタが偏っておりましたので、本当に大歓迎です。今後ともお懐かしい画像・最近の画像も含めて、是非積極的なご参画よろしくお願い申し上げます。それにKMさんの久しぶりのご投稿もあり、せっかく貴重なネタで盛り上がってきたところに水を差すようで申し訳ありませんが、たまにはロクヨンの画像も見ないと寂しいという読者の方へ、38日に撮った「北陸」の画像をアップします。ダイヤ改正から早くも2週間経ってしまいましたが、私の気持ちの中では、今もまだ夜が明けやらぬ線路端に立てば、この勇姿に逢えるような気がしてなりません。さて、私自身職場が変わったこともあり最近すっかり鉄ちゃんをサボってしまっているので、この週末は久しぶりに少し鉄分補給に出かけるかなあ、と思ったりしております・・それにしても毎日寒くて、春はどこに行ってしまったことやら・・(写真・文:TBlog_2010326

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2010年3月25日 (木)

糸魚川のレンガ庫

大変ご無沙汰をしてしまいました。子供の受験や10年ぶりの異動などがあって、ダイヤ改正の各種ニュースも横目で睨むだけの毎日でした。

世間では「撮り鉄」問題が新聞などでも騒がれているようで悲しい限りです。

TAさん、ご無沙汰してます、K.M.です。この20年位は年賀状だけのやりとりですがお元気そうで。これからも貴重な作品の発表を楽しみにしています。

さて、糸魚川のレンガ庫が壊されるというようなニュースも聞きましたが、たまたまこのような何気ない写真を見つけました。撮影はたぶん1987年頃だと思います。画面の車両の数々も、そのときは全く普通のもので日常の光景以外のなにものでもありませんが、20年以上の時を経ると懐かしさがこみ上げてきます。

写真・文:K.M.

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2010年3月23日 (火)

阪和線 昭和50年

 U氏のお薦めで、初めてお仲間に入れていただきます関西のT・Aです。どうぞよろしくお願いいたします。

 ゴハチつながり、大窓つながりということで、ゴソゴソとネガを漁ってましたら、とりあえず出てきたのがコレ。

 時は昭和50年5月、阪和線 紀伊-六十谷での竜華操行き貨物です。ED60を従え、モーター音高らかに上り勾配をやってくる様はなかなかのものでした。 当時は山陽筋ブルトレも50.3のダイ改でヘッドマークが消え、SLも室蘭線界隈に残るのみで、当時高一の身としてはそうそう渡道もままならず、身近な阪和線で引退間近なEF52と併せて多種バリエーションの車両の写真を撮ってたりしてました。 確かに続くネガには快速のクモハ60やら、EF15、キハユニ16併結のキハ58系「きのくに」など、今なら大変な(笑)車種ばかりでした。

 ちなみに、このカットの前のコマは追分での9600入替作業ショットでした。

 駄作なショットですが、原型ライトの66をご賞味ください。

( 文・写真 T.A )

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広島機関区のEF5818

1978年9月、広島機関区派出で撮影した同区所属のEF5818。この日は天気に恵まれずどんよりした曇り空だったからモノクロを中心に撮影した。予想通りリバーサルは色が出ずひどい出来だった。
当時の広島機関区は「本区」と「派出」に分散しており、大まかに言って貨物機が本区、旅客機が派出に駐泊していた。最初に訪問したときは広島駅からかなり離れている本区に行ってしまい、どうせ来てしまったのだからと、たまたま見かけたEF61の1号機のパンタグラフを上げてもらったりもしたが、EF58のねぐらは派出だと知ってからは再訪することはなかった。
この18号機はその後、あまり時を経たずして廃車となり、撮影回数はあまり多くはない。大窓機とはいえ、正面窓の立ての寸法は他の大窓機のそれよりもやや短く、「中窓」とまでは言わないが小ぶりであったように思う。

(写真、文 U)

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2010年3月22日 (月)

下関運転所のEF5831

79年4月2日に下関運転所で撮影した同所所属のEF5831。
下関には当時4両のEF58が配置され、定期運用はなく団体列車を中心に運用されていた。
広島、下関のゴハチはともに東京口には定期列車で姿を見せることはなく、波動輸送などで上ってくるだけだった。広島の方がゴハチの配置両数は多かったが、下関所属機の方が頻繁に東京に上ってきたような気がする。中でも31は下関唯一の大窓機で人気は高かった。
実はこの翌日も下関運転所を訪ね、この日と同様にパンタグラフを上げてもらったが、翌日の運転所構内の最も端に留置されていたから形式写真風には撮影できなかった。
何だかんだと都合3回ほど機関区でパンタを上げてもらって撮影したが、この日が一番条件が良かった。

(写真、文 U)

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2010年3月19日 (金)

下関運転所のEF5817

先日、EF58のネガをスキャンしたので少しずつだがアップしていきたい。

1979年夏に下関運転所で撮影した。
このころ私はゼンザブロニカを持って、広島のEF58を撮りに山陽本線西部へよく行っていた。このブログでも何回か書いたが、父の赴任していた福岡を基地として毎日のように下関方面に通ったものだ。
中版カメラを買った嬉しさから、走行写真よりも形式写真が撮りたくて、下関運転所や広島機関区などにはずいぶんお世話になった。当時はどちらも名簿に名前と住所などを記入すれば比較的自由に撮影許可をいただけた良い時代だった。しかしながら蒸気機関車やディーゼル機関車ならともかく、電気機関車が良い位置に停まっていてもパンタグラフが上がっていなくては絵にならず、しばしば現場の方々に頼んでパンタを上げてもらった。
最初は大窓のEF58を中心にお願いしたが、大窓機が出払っている場合はその他の機関車で撮影しやすい場所にいるもののパンタグラフを上げていただいた。

この17号機は一体型のひさし。正面窓下の手すりがなく、PS22Bの下枠交差のパンタを装備した晩年の広島型ゴハチの典型的なスタイル。構内にはまだ蒸気機関車時代の給炭層(後方)も残っていて、主要幹線の一大基地だったことをしのべたものだ。
(写真、文 U)

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2010年3月16日 (火)

正統派ボンネット特急「181系」

昨日から新しい会社へ出勤しているが、職場環境も業務も人も全て違う会社へ飛び込んでゆくのはそれなりにエネルギーを使うものだ。まあ、転勤慣れしているので、何とかこなしているが、当分借りてきた猫状態になっているであろう・・それにしても1週間ぶりに鉄ちゃんをしないと、どうも体の調子が悪い。今朝も早朝4時前には一旦目が覚めてしまった・・(これは、一種の職業病ならぬ、道楽病ですね・・)さて、U氏の画像のみならず、他の皆様のブログでもボンネット「偽とき」が大はやりなので、やはり「ボンネットの正当派181系をなめたらあかん!」という気持ちが次第に強まってきた。・・ということで大昔のネガを漁った結果、いくつかのネガを掘り出したが、以下の2枚をアップする。何れも走行写真でなく恐縮であるが、1枚目は、昭和483月(ということは37年前)の新宿駅1番ホームに停車中の181系帯なし「あずさ」。運転台上のヘッドライトこそないもの、151系の風格そのものである。2枚目は、昭和501月に上野駅で撮影した181系「とき・あさま」の並び。今から考えると夢のような光景が当時はごく日常であった。(当然のことながら、当時は絵入りマークなんかでもなかった。)何と言われようと、やはり私の中ではボンネットといったら181系なのであります。さてさて、最近、小生の「朝練」ネタでこのブログも引っ掻き回しており大変申し訳ないと思っておりますので、これを機に旧作も含めてお仲間の皆様の作品を期待するところ大であります・・(写真・文:TBlog_20103161

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2010年3月15日 (月)

楽しかった3日間

実に楽しい3日間だった。ダイヤ改正によって「能登」「北陸」が消え、それを契機にT氏、K氏とともに撮影する機会に恵まれた。
12~14日の3日間、浦和周辺にこれらの列車を撮影に出掛けたが、30年来の趣味仲間とご一緒でき、いつにも増して楽しかった。皆、50歳前後の年齢だが、この年になっても昔のような鉄道に対する情熱を持ち続けていることが素晴らしい。自分のできる範囲で、好きな被写体を好きなようにとらえ、撮影後は直ちに家族のもとに飛んで帰る。ガツガツすればまだまだ撮れるものは来るが、適度なところで見切りをつけ自分の生活も謳歌するというのはこの年齢だからこそではないだろうか。
T氏とはけっきょく3日間通して一緒だったが、近いうちに職場が変わるとのこと。それはそれで大きなストレスを伴うかもしれないが、趣味以外のそんな近況を語ることも業界が違うからこそ参考になる。外部から見るのと、実際にその仕事に従事している本人から話を直に聞くのとでは大きく違う。もちろん自分が今抱えているやっかいな仕事などについても、昔からのお仲間だからこそ素直に話すことができる。学生時代に知り合って30有余年、利害関係などにとらわれない純粋な趣味仲間だからこそ気を許せるというもの。そういう意味でも趣味のありがたみをつくづく感じた3日間だった。

さらに、自分の場合は鉄道撮影に10年のブランクをつくってしまったが、復帰してまた新たな知り合いができたことも嬉しい。特に「朝練」を繰り返すようになって知り合ったPさん、Kさん、Rさんなどと久々に北浦和の撮影ポイントでお会いしたが、趣味というものはいくつになっても利害関係に惑わされず人間関係を築ける世界なのだと痛感した。
楽しく過ごせた3日間を大阪に戻って振り返っている。

昨日は489系使用の「とき」を撮影したが、古いヘッドマークを使用していたようで案外、サマになっていたように思う。1980年に撮影した絵入りのマークを掲げて走る実物の「とき」よりも、ノスタルジックな印象が深い。

(写真、文 U)

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2010年3月14日 (日)

一夜明けて

昨日の余韻がまだ醒めぬまま、今日は489系「偽とき」の走る日。天気も穏やかな快晴でありそうだったので、正直捨てて蒲須坂まで81-81の「北斗星」を撮りに行こうか迷ったまま昨晩は寝床についた。最近は花粉症がひどく薬を飲んでいるので目覚めが悪く、結局5時に起き、蕨に行ってまず「あけぼの」から撮ることとした。Sカーブは先日撮った際にまだベストのポイントに陽が当たらないことは分かっていたので、敢えて正面に陽の当たりそうな場所を選んで脚立を立てた。(それにしても、何とホチキスと赤杭の多いことやら・・)さすがに「とき」が走るとは言え、Sカーブ周辺も12日前の熱狂ぶりは嘘のようで何だか落ち着いたものだった。ふと見ると、またまたU氏の姿を見つけ、「とき」はご一緒することに。(何とK氏もほぼ同時に合流・・)2日続けて、3人でわいわいと雑談しているとアッという間に「とき」は通り過ぎていった・・(折角ヘッドマークは「純正」だったのに、あれ、タイフォンの蓋、片側空いてたの!)さて、その足でU氏とご一緒に南浦和で81-81の「北斗星」を狙うことに・・こちらは、定刻になっても来ず、結局50分程度の遅延。U氏と楽しく会話させて頂いている間に光もいい感じで回ってきたが、後からパソコンで画像をチェックすると、右の手擦りに何やら雑巾のようなものが縛りつけてあるように見える。あれだけ待ったのに「嘘だろう!」と叫んでしまったが、まあ今日は1030号機の「あけぼの」がメインディッシュだったと諦めるしかなさそうだ。(悪ガキの悪戯なら許せないが、これなら蒲須坂まで行っていなくてよかったかも・・)さてさて、暫しの休暇もあっという間に終わり、明日からは新しい職場での生活が始まる訳で、頭と体のスイッチを一気に切り替える必要がありそうだ。(写真・文:TBlog_2010314

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2010年3月13日 (土)

最後のお見送り

いよいよ来るべき日が来てしまった。朝練3兄弟をどこで撮るかは、最後の最後まで迷っていた。個人的には、蕨の南側で望遠で狙うのが好きなアングルではあったが、定員が極めて限定されてしまうのと、駐車スペース、そして何よりお仲間とわいわいやりながら撮影ができそうであったので、今日も昨日に引き続き北浦和にお邪魔することとした。折角行ってもスペースがないのは悲し過ぎるので、現着205分。それでもどなたか脚立を立てておられると思ったが、意外にも1番乗り。(そりゃそうか・・)結局2番乗りのUさんまで2時間近く車の中で待機・・4時過ぎにはこの地の守護神であるPさんも到着され、段々ムードが盛り上がってきた。その後も続々と同業者の方々は増え続けたが、本当に久しぶりに三脚を並べてK氏とも一緒に撮影ができ、昨日に続きとても楽しい時間であった。特段の「さよなら」の飾りつけもなく、何だか「これで本当に最終なの?」という位あっ気なく終了してしまった気がする。家に戻ると、「能登」・「北陸」の最終のニュースばかりテレビで報道されているが、小生にとっては、「37号機牽引のあけぼの」の最終であったことも劣らず寂しい出来事であった。さてさて、昨年来朝練に励んできたが、これで一応の一区切りである。お上手な方々ばかりの中で駄作を公開するのは非常に気が引けるが、「茶釜」にお疲れ様の意味を込めて今朝の「あけぼの」の写真をアップする。ご一緒された皆様方お疲れ様でした。(写真・文:TBlog_20103132

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2010年3月12日 (金)

ダイヤ改正前日

いよいよ、ダイヤ改正まであと1日となってしまった。今朝も天気は良さそうであったので、北浦和に行こうと決めて寝たが、起きてパソコンをチェックするとU氏からのメールが入っており、同氏も北浦和に行かれるとのこと。常連のP氏、E氏等も集まり、ダイヤ改正前日の朝とは思えない和やかな時間の中、あっという間に「あけぼの」までの時間が過ぎてしまった。何とか最終日も殺伐とした雰囲気にならないで最後の勇姿を見送ることができれば良いと祈るばかりだ。さて、今朝の写真は、腕の良い皆様にお任せするとして、私がアップするのは、昨日のSカーブで撮った「能登」と「あけぼの」。「能登」は列車名がこれでは何だか判別不能だが、これはこれで季節感が出ていて良しとしたい。ところで、489系の「とき」ですか・・中央線沿線で小学生の頃から181系「あずさ」を見慣れて育った小生にとっては、「とき」も「あさま」も181系でないとどうも納得ができない。U氏のブログのようにデジタルで修正をかけて、眉毛を横線にし、運転台上のヘッドライトでも外せば、少しは見るに耐えるかもしれないが、そもそもスカートやタイフォンからしても全く違うように思えるのですが・・まあ、そんなことを言っているのは、小生のようなオジサンだけなのでしょうね。(写真・文:TBlog_20103111

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2010年3月11日 (木)

遅延の「北陸」

今朝は、天気も回復したし、「あけぼの」は37号機と想定されたので、最後の悪あがきでSカーブに行ってきた。現地に5時頃到着したが、既に主要なポジションには三脚と脚立で固められており、辛うじて後方にポジションを確保した。天気がピーカンであったこともあり、その後も同業者の方の数は増え続け、周辺住民の方の通報でパトカーまで出動する始末。「あけぼの」の時刻には、何人居たのか見当もつかない状況であった。「能登」・「あけぼの」はほぼ定刻に近い時刻で来たが、「北陸」は本庄抑止ということでいったい何時になれば来るのか全くわからなかった。大宗の方々は泣く泣くお仕事に向かわれましたが、小生は今週はフリーであるのをいいことに「北陸」まで待つことに。結局通過は「カシオペア」・「北斗星」の後で、太陽も回り過ぎて編成には陽が当たらなかったし、普電と裏被りになってしまったが、もうこのように真昼間に「北陸」を撮れることもないと思われるので、(周辺住民の方々や乗客の皆さまには甚だ不謹慎で申し訳ないことであるが)最後の最後で貴重な記録とすることができた。ご一緒された方々、長時間お疲れさまでした。(写真・文:TBlog_20103113

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2010年3月10日 (水)

大宮バルブ

この期に及んで大宮バルブを決行するのは、かなり躊躇した。さすがにあと4日であるし、噂の大宮駅ホームがどのような殺伐とした状況になっているか見当もつかなかった。これまで何とか走行写真を撮ろうとこだわってきたので、ついぞバルブをする機会がなかったが、人生、後悔はしたくないので、「前夜からの雪+早朝は大雨。かつ「あけぼの」は茶釜でない。」という悪条件であれば、さずがに人出も限られようと読み、315分に家を出て、大宮に4時半に着いた。何とかポジションも確保でき、この雪で遅延を懸念したものの幸い3兄弟とも定刻で運行されていたので、線路に雪を残したそれなりに風情あるバルブ写真を残すことができた。(実際はまだまだ氷雨が降りしきる中、凍えるような寒さであったが・・)それにしても、5時を過ぎると、どんどん同業者の方の数は増え続け、「北陸」の段階では最終的に何名居たのかもわからなかった・・(まあ幸い特にトラブルもなく、無事任務完了したが、最終日まで事故やトラブルが起こるようなことがないよう祈りたい。)いつも走行写真ばかり撮っていると高速で駆け抜けてゆく列車の中まではよくわからなかったが、改めてゆっくり発車する光景を眺めていると、乗客一人一人の表情も見ることができ、夜行列車独特の雰囲気を目に焼き付けることもできた。(この雰囲気だけは、10系寝台の頃から不変だ。)「あけぼの」待ちの間、お隣の方と会話をすると、何と昨晩の下りから大宮でマルヨをされているとのこと。粘った甲斐あっての素晴らしい作品も拝見できたが、その気合いの入り方には完全に脱帽で、小生などまだまだ甘ちゃんだと反省させられた。(写真・文:TBlog_20103101_3

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2010年3月 9日 (火)

ファンのぼやき

先日、大阪のファンの方々の集まる宴席に顔を出させていただいた。凄く楽しい飲み会で、初対面の私も時間の経つのを忘れるほど。自分自身のブログにも述べたが、インターネット時代になってもこうして直に話が出来るのは趣味の醍醐味でもある。2カ月に1度というペースだから毎月、義務感に駆られることもなく気軽に集まることが出来るのも、きっと経験の中で考えられたペースなのだろう。
かつて鉄道友の会の機関車部会に所属していた高校~大学時代はまだ酒も飲める年代ではなかったから、集まりがあればガツガツと情報を仕入れ、自分の撮影に役立てようと虎視眈々としていたのに比べれば大きな進歩だ。「酒」というものを潤滑油にしなければ照れ屋の自分としては今になってようやく人の集まりの楽しみというものが分かってきたわけだ。
本当に楽しい会だった。

さてこの中で何人かの方が言うには、JR東日本は撮る対象が豊富でうらやましいという。なるほど自分も大阪に来て、そのことについては感じていたが、毎週末、何かと撮りに出かけている。まだ大阪での生活が浅いせいかもしれないが、見るもの全てが珍しく思える。

一概に比較するのもおこがましいが、そう言われてみればJR東は高崎に古いELを確保してたまに走らせているし、SLも数両保有している。この3月の改正で「能登」「北陸」は見られなくなるものの、「北斗星」の新鋭機にファンの注目は集まる。久留里線ではキハ35が国鉄時代の塗装となったり、旧型客車を派遣して飯山線や中央線でイベントを行う。583系電車だって健在だ。
一方、尼崎脱線事故という多くの犠牲者を出したJR西としては、なかなかそういった、ある種のんきな客集めのイベントを開催しづらいのだろう。やろうと思えばキハ181系や583系「きたぐに」、それに最近はお蔵入りとなっているEF58150やEF15(まだ解体されたとは聞いていない)などもあるのに、やはり事故の影響が尾を引いているのか?
梅小路蒸気機関車館のSLももっと活用できるであろうし、隣接する場所には博物館まで建設するという。
ならば、そこに展示する予定の車両を国鉄時代の姿に戻してみてはいかがかと思うのは身勝手な意見だろうか。昨今の線路内立ち入りの問題などはJR東でも起きそうな話で、それについてはさらに考慮しなくてはならないが、人気のある車両はまだまだ健在だ。

JR東はC6120の復元に着手した。同社が保有しているわけではないが、これでJR東の地域を走るSLはいったい何両になるのか?C11、12,57,58,61,D51。金のあるJR東日本だから出来るのかもしれないが、宴席でのファンのぼやきも理解できる。

(文 U)

C6120

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最後の勇姿

ラッキーにも今週も時間がある程度自由になるので、雨が降らなければ平日も迷わず朝練をしている。「あけぼの」のカマは、昨日は双頭機の1030号機であったが、今朝は元気に37号機が最後の勇姿を見せてくれた。この茶釜もこの一年で何度撮ったかわからないが、いよいよ「あけぼの」を牽く姿も見おさめだ。茶色一色で何とも武骨な老体が元気にブルトレを牽く姿にはいつも勇気づけられたものだ・・心から「お疲れ様」と言ってあげたい。(写真・文:TBlog_201039

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2010年3月 8日 (月)

銀帯のDF5026

1978年8月、当時買ったばかりのゼンザブロニカEC―TLで撮影したDF5026。かつてお召し列車の牽引歴がある機関車で、その名残が銀色の帯に残っている。
今さらながら吐露すれば、自分にとってDF50はEF58よりも好きな機関車だった。蒸気機関車現役時代から和歌山周辺で見慣れていたし、蒸気機関車が全廃後、EF57などの撮影を始める以前に実は和歌山の親戚の家を基地として田辺などにも撮りに行ったことがある。厳密に言えば昭和50年3月の春休みの頃だから、まだ北海道の室蘭本線などにC57やD51が走っていた頃のことだ。

高校2年の夏に本格的に蒸気機関車以外の鉄道撮影を始めてからも、このDF50のこと頭から離れず、何度も紀勢本線や四国に行ったものだ。
蒸気機関車晩年の頃の亀山機関区はファンの立ち入りが厳しくなって、その思いが残っていたから、所属する亀山機関区でDF50を撮るよりも和歌山機関区の方で主に撮影した。
SL現役時代、和歌山機関区などにはファンの姿もほとんどなく、そういう意味では予想通りだった。実際、機関区の許可などもらったことはなく、そばにいた職員に声をかけて入場させてもらった。

後年、紀勢本線は和歌山~新宮間が電化され、DF50の活躍も新宮以西となった(一部、「紀伊」などは那智勝浦まで)が、その頃から亀山のDF50もファンの注目を集めるようになったと記憶している。
この26号機、模型ではムサシノモデルが製品化したが、私はスノープロー付きの山陰型を購入してしまい26号機まで手に入れることは出来なかった。

(写真、文 U)

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2010年3月 7日 (日)

阪急京都線から6300系が引退

阪急電鉄京都線の6300系最終日の2月28日に梅田駅に集まったファン。行こうか行くまいかと悩んだものの、けっきょく酒を飲む場に誘われ十三まで行ったから、その前にちょっと梅田へ寄ってみたら大勢の人たちが集まっていた。たまたま居合わせた旧知のあるマスコミの方に脚立を借りて撮った一枚。

たまにはこちらのブログにも最近撮影の画像をアップしてみた。

(写真、文 U)

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帰国後朝練(2)

5日(金)は、ウエザーニュースの予報によれば、朝まで雨が残り、「朝練3兄弟」の時刻にはまだ雲が残っているはずで、小生も6時頃に家を出てEF81-133の牽く「北斗星」だけを狙うことにしていた。案の定、念の為3時半に起きたが外はまだ雨がザーザー降り。一応ネットで雨雲の動きをチェックすると、どうも雲が東に抜けるのはかなり早そうな気配。少なくとも雨は止みそうだと読み、出遅れたが5時前に自宅を出た。途中で雲が東に抜けていくのを確認し、現地に着くと上空は、ラッキーにも快晴となっていた。間もなく「能登」が来たが、さすがに晴れでも流すしかない暗さだった。1053の牽く「北陸」は大分明るくなったとは言え、ISO20001/250f3.2が精一杯。「あけぼの」はやはりここのところのループに入っている1032。双頭機の「あけぼの」も悪くはないが、あと1週間で3738は登場するのであろうか?その後、天気も良かったので、そのまま133の「北斗星」を狙いに、ヒガハス(東大宮~蓮田)へ向かった。先日の82の日の激パを目の当たりにしていたので、定刻の70分前なんかでは、さぞや騒然とした状態になっていると思いきや、やはり雨上がりの平日だと圧倒的に人出は少なかった。しかも80分程度の遅延であったので、光線もうまく前面にも回り、正面気味に狙うことができラッキーであった。(ただし、ここは、架線柱がどうしてもウザいし、皆様編成重視で標準~70ミリ系のアングルで狙っていらっしゃったので、正直私だけ浮いてましたが・・)この日だけは、気温の方も20度位まで上昇し、一気に春を印象づけた一日だった。これで133の「北斗星」も、昨年秋以降、計5回カメラに収めることができたが、雪の付いた姿は、結局元旦だけで、どうやらこのまま春を迎えてしまったようだ・・やはり、11回の撮影を大事にしてゆかなくてはと思う。それにしても、この週末の天気は、最悪なので、出撃抑止は已む無しだ。(写真・文:T)

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2010年3月 6日 (土)

帰国後朝練(1)

どうやらこの週末は雨模様の天気予報なので、帰国後翌朝(4日)から早速朝練開始。旅行の疲れと時差で、4時前の起床はさすがに辛かったが、日の出時刻も大分早まったようなので、まあ「雨さえ降っていなければいいや」という気持ちで久しぶりのSカーブに行ってみた。現地に5時に到着すると、意外にも一番乗り。さすがに平日の曇天であれば、脚立が必要な場所に同業者もいないかと思いきや、続々と同士が集まり始めた。さすがに、平日朝練をされる方々は、かなりの重装備の機材の方ばかりで、あと1週間の獲物を追う強い意気込みが感じられた。到着時には西の空に月が薄っすらと見えていたが、段々雲も厚くなり、日の出の時刻になっても一向に明るくならない。当然「能登」は、ヘッドライトと前面の電光の看板のみ・・。「北陸」もISO32001/160f2.8が精一杯で、さすがにISO3200だと小生のカメラでは、画像はザラザラ。その後「あけぼの」の時刻になっても、ISO12501/320f5.6ととても暗い状況だった。ちなみにカマは、「北陸」は1052、「あけぼの」は双頭連結器の1030。やはり、38はまだ復帰していないようだ。さすがに体がしんどかったので、「北斗星」はパスし、午後になってEF81-95の牽く「安中貨物」を地元で撮影。我孫子のホームにて長玉で狙おうとしたが、先客ありで断念し、たまにはサイドのEF81の文字を入れてごく普通に撮ってみた。95号機は、手入れがよくまだまだ綺麗に見えた。(写真・文:TBlog_2010361

Blog_2010362

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2010年3月 5日 (金)

JALに乗って

休暇の前半は家内とハワイで過ごした。前回はハワイ島を満喫したが、今回は家内とスケジュールが合わず、駆け足のオアフ島のみ。そうは言っても勝手知ったるハワイは余計な気を使わずに済み、落ち着ける。ハワイ線の場合、ほぼJAL(正確にはJOJALWAYS)の寡占状態であり、まあほかに選択の余地はない。アップしたのは、夜の成田に並ぶJALのジャンボ機。見慣れたこの風景ももう暫くすれば見られなくなってしまうはず。B747は好きな航空機の一つであるが、もうJALのジャンボに乗るのももしかするとこれで最後になってしまうかも知れないと思うと、何だか寂しい気持ちで一杯だ。さて、ホノルルに着くと、何と津波警報が発令中でワイキキは立ち入り禁止になっていて、約半日山の方のレストランに拘束されてしまった。まあ、結局事なきを得たが、予報通り4.8メートルの津波が襲っていたら・・と思うと正直ぞっとした。やっとのことで夕方になって我が家では常宿になったWestin モアナサーフライダーへ到着。ここの朝食バフエとWestinHeavenly Bedなる文字通り天国の寝心地のベッドは、旅慣れた小生でも「さすが」と思わせる超一流の代物で、また次回もここに泊まりたいと思ってしまう。現地では、買い物や食事に、あまりゆっくりしている時間はなかったが、中でもロイヤルハワイアンセンターにあるCheese Cake Factoryで食べたDinner は、言葉では言い表せない程絶妙の味であり、2度も行ってしまった程だった。束の間のハワイであったが、早くも鉄分不足で禁断症状が出てきたようで、帰国後は早速朝練開始である・・(写真・文:TBlog_201035

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30年前の塚本駅

1980年、大阪・塚本のホームで撮影した宮原機関区のスターだったEF5853が牽く9204列車。80年10月のダイヤ改正で消える大阪発の九州方面行き夜行急行などを撮りに行った際、最後のこの運用に就いていた同機をキャッチすることが出来た。この後、西大路~向日町へと追って、これが同機の見納めとなった。

あれから30年たったが今でも塚本の駅はファンの集まる人気の場所。東京で言えば田町のホームに匹敵する気軽な有名スポットだった。われわれの仲間も大阪方面に撮影に行くとよく行った場所で、上り下りの列車ともに撮りやすかった。今回、単身赴任で大阪に住むことになったが、つい最近2月28日にも「雷鳥」の回送を撮りに行ったばかり。また、その前日には塚本駅前の居酒屋で開かれた関西のファンの方々の宴席にも顔を出す機会に恵まれ、ますます思い出多き場所になりそうだ。さすがに周囲の建物はずいぶん変わったが、尼崎寄りにある(画面の中の)信号機の位置などに変わりはない。

(写真、文 U)

Ef5853_4




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