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2010年1月21日 (木)

父の思い出とともに

私は残念ながらフィルム専用のスキャナーを持っていない。フィルムの取り込みはプリントスキャナーでまかなっている。そのためどうもシャープさに欠けるようで35㍉フィルムの画像が今ひとつ。いきおいスキャンするのはブローニーフィルム中心になってしまい、そういう意味ではブロニカやペンタックス6×7を導入した1978年8月以降の画像が多くなってしまう。今回アップするのも80年の夏にペンタックスで撮影したもの。

当時、私は福岡に単身赴任中の父のマンションを基地に春休みや夏休みの鉄道撮影を繰り返していた。以前にも記したように九州を拠点にしながら、一番の目的は山陽本線西部の広島、下関のEF58で連日、関門トンネルを越えて下関方面に通っていた。好き嫌いの激しい自分にとって九州の赤い電気機関車はあまり写欲をそそる存在には遠く、唯一、貫通扉のあるED75を除いて、まもなくなくなると分かっていたED72,73,74などに熱心ではなかった(75すらあまり熱心ではなく、たまたま来たから撮るという程度)。
ところが単身赴任の父は、やはり今の私と同じように夜な夜な福岡の中州など繁華街に繰り出していて、大学生となって酒も飲めるようになった息子(実際は18歳だったのだが)を、行きつけの居酒屋や飲み屋に連れて行くのを楽しみにしていた(と思う)。はやり始めたカラオケや当時、東京にはまだあまり出回っていなかった明太子や焼酎などを覚えたのはまさにこの頃で、私のその後の人生に大きく影響した時期だった。父と飲むと2軒3軒はざら。父の部下もいて大いに盛り上がる。母親抜きの父との関係に初めて居心地の良さを感じていた。

で、翌朝は今と同じく二日酔い。まだ飲み方も知らない大学生ゆえ、ペース配分も分からずガブガブ飲んでしまう。翌朝は父が出社してもなかなか起きることはできない。午後、ようやく起き出して、それでも何か鉄道撮影しなければという義務感にかられて行くのが博多から近い福間あたり。ここで上りの「あさかぜ」(当時はヘッドマークを付けていなかった)などを撮る合間に貨物を牽いてED72や73がやって来る。ようするに二日酔いの産物がこの画像なのだ。決して本腰を入れて撮影したわけでもないからいい加減なものだが、今になっては亡き父を思い出す一枚でもある。
(写真、文 U)Ed73_2

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