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2010年1月

2010年1月30日 (土)

イタリアン・レストランにて

ビリー・ジョエルの曲で、このタイトルと同じ楽曲がかつてあった。軽快なピアノのソロで始まり、いくつかの場面が現れて、彼の曲では長い7分を超える優雅なもので、私のお気に入りでもあった。今日は、そんなイタリアン・レストランで、たまには美味しい昼食をと思いたち、雑用を終え有楽町を目指した。

場所は、有楽町イトシアの4階にあるレストラン。ここにはテラス席があり、有楽町から東京駅方面を見渡せるらしい。もちろん行くのは初めてだから、何もわからないで店を目指したが、たまたま開店直後(11時)に到着、屋外のテラス席を希望した。一番のりかと思いきや、すでにカメラをテーブルに置いてスープをすすっている先客がいた。こんな所でまで「場所取り」はしたくないが、なんと屋内席よりテラス席希望の来店客の方が多いくらいだ。確かに、テラス席の一番外側では、有楽町駅前を真下に見て、東京へ続く新幹線が真近に見渡せる。早速ランチコースなるメニューをオーダーし、しばし新幹線鉄チャンを楽しんだ。もちろんメインデッシュは、500系のぞみだが、最近この手の食事はご無沙汰だからか、この価格(2,000円)にしてとても美味しく頂いた。

で、結果はというと、ご覧の通り。ビルの影が大きく入り「マンダ~ラ」となってしまった。考えてみれば東京のド真ん中だから当然ではあるものの、食事には反して後味の悪いものになった。曇天の方が落ち着きますね。(写真・文 K )2010130_500blo

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原田駅構内のED75305

スキャンしてある画像のなかで最後の九州モノ。
昨日に続いてED75300番台。これも原田の構内で撮影した。
原田という駅は筑豊本線との分岐駅でもあるが、福岡から近いわりには田舎の雰囲気があってのんびり過ごすにはちょうど良かった。
かつて広田尚敬氏のC5557が同駅構内のターンテーブルに乗った有名な写真があって、そのおかげで昔から知っていた(私自身は広田氏の写真は好きだが、この写真については特段の思い入れはない)。

就職して福岡に勤務した時代も筑豊本線の客車列車を撮影後ここに寄り道し、「あかつき」や「はやぶさ」「さくら」などを撮ったものだ。
もう15年も行っていないが、福岡に近いこともあってずいぶん住宅が建ったことだろう。
(写真、文 U)Ed75_4

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2010年1月29日 (金)

ED75300番台

24日のブログでK氏がED75のことを記した。たしかに75は貫通扉もあって私も好きな部類の機関車だ。87年の秋には東北本線北部に「ゆうづる」などを狙いに行ったり、オリエントサルーン塗装になったものなど(番号を忘れてしまった)も撮りに行った記憶があるし、ゴハチに夢中になるかたわら、正面のデザインがほぼ同じのED78やEF71なども少しは撮りに行った。
ところが最低、黒磯以北へ行かなければならず、そうなるとEF58(大窓機)やDF50の走る地域とは逆の方向になり、どうしても頻繁にとはいかない。それゆえ自分でもほとんど印象深い写真を残すことはできなかった。
一時期、相当数の仲間が活躍していたED75も最近は少数派となり、ファンの注目が高まっている。関東のファンは「能登」「北陸」が消滅すれば「あけぼの」「日本海」を狙いに秋田、青森方面に出掛ける人が増えるだろう。そしてその結果、東北線で最後の活躍をするED75にも目を向ける機会が増えるのではないか。かく言う自分も5月以降、日の出が早くなったら東北北部のブルトレ撮影に参戦したいものだと思っているが、関西から遠い地域へ足を伸ばす機会をつくれるかどうか。

今や忘れられつつある記憶だが、九州にもED75が存在していた。300番台を与えられた彼らはたしか10両か11両のごく少数だったせいか、あまり見かけるチャンスはなかった。そもそも当時は交流機の運用などを調べて撮影に出ることはなく、行き当たりばったりだったこともチャンスを少なくしていた一因だったはず。実はブルートレイン「さくら」などの先頭に立ったこともあり、それなりの檜舞台はあったのだが、スノープローのない姿は東北の耐寒装備の75と違って迫力不足を感じたものだ。
そのED75300番台が数を減らしつつあったED72と組んだ重連貨物。1980年、原田で撮影。
(写真、文 U)
Ed75

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2010年1月28日 (木)

鳥栖駅の重連荷物列車

私が福岡を拠点に撮影に行くようになったのは1978年3月のこと。それから3年間、父が単身赴任中は春、夏の2回、必ず長期にわたって滞在していたものの、その割には九州内の電気機関車をあまり撮影していない。
1980年撮影のこの荷物列車はたしか原田から鳥栖までは定期重連だったように記憶している(記憶違いがあるかもしれない)。すでにED74は全廃となりED73の影もおぼろげだ。このED72とて、かなりの仲間が廃車となって重連の先頭に立つ機会はまれになっていたはず。駅ホームでの撮影で安直な一枚だが、この列車だけは数回撮影した。

それから12年ほどして自分自身が福岡に転勤となり3年ほどを過ごしたが、後半の1年半弱は少しばかり鉄道撮影に燃えた時期があった。残っている電気機関車は関門地区を除いてED76オンリーとなり、正直退屈だったが、東京に帰ってしまえばなかなか九州には撮影に来ることもなかろうとブルトレや久大線の客車列車などを追った。
九州内の出張はざらで、しかもマイカーで動いていたから行き帰りに撮影するチャンスも多かった。ところがこの時期、JR九州ではあの水戸岡某というデザイナーにより列車の塗色が見るも無惨なものとなっていった。
最近、同社では気動車を国鉄色に戻し、リバイバル列車として客寄せを行っているようだが、少しはむやみなカラフル塗装にウンザリしているファンの気持ちに気づいたのだろうか?

(写真、文 U)Ed72

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2010年1月25日 (月)

ED76のお座敷列車

父の単身赴任先である福岡を拠点に、山陽本線西部のEF58を撮りに行ったことは前にも記したが、広島や下関のゴハチの運用を調べて大窓機が来ない日はゆっくり起きて鳥栖や原田、黒崎~八幡などへ何となく出掛けて目にするものを撮っていた。お目当ての車両などなく、ただ漫然と記録するというのんびりムードの撮影だった。「鉄道ダイヤ情報」などで貨物列車の時刻などはほぼ把握していたものの、どれもこれも同じように見えたED72,73,76などの運用を調べてまで撮り分けるようなことなどなく、ただひたすら来たものを撮っていた。それでも本州に入る団体列車などは、ゴハチが牽くことも多く、そういう意味では要注意だった。

アップしたのは門トス(鳥栖客車区所属)のお座敷列車。この列車もたしか本州入りするものだったが、おそらくHゴムのゴハチが運用に就くのが事前に分かっていたから、原田の駅で適当に写した。今になって思えばED72や73のお座敷列車などにももっと注意しておくべきだった。

(写真、文 U)Ed76

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2010年1月24日 (日)

個性派だった1028号機

ED75という機関車も随分と地味な存在になってしまった。今やJR東日本のED75には、定期運用はなく、JR貨物所属の数台の限られた運用のみとなった。もうかつての華やかさは無くなって、見るに耐えない状況だ。そんな中、少し前まで更新機であることを派手に主張した1028号機があった。車体の両サイドに、大きく形式がレタリングされている塗装で、EF8195や、EF651118などで見られる、「あの」塗装である。当然貨物列車牽引のみなので、コイツが現れると、ちょっと得した気分にはなるものの、違和感は払えなかったことを思い出す。

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実は、今朝日の出前から出動してナナゴを目指した。しかしこともあろうに、東北道は福島県からチェーン規制、冬タイヤを装着していないため、交流区間までも到達できず、あえなく引き返す羽目となった。予報通りにはいかず、山は雪のようである。今日は撮影できなかったが、ダイヤ改正までに一度は訪ねたいと思っている。しかし、最近の機関車にはない均整のとれたスタイルだ。無条件でカッコいいと思う。200831_1070_ed751028blo (写真・文 K )

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2010年1月21日 (木)

父の思い出とともに

私は残念ながらフィルム専用のスキャナーを持っていない。フィルムの取り込みはプリントスキャナーでまかなっている。そのためどうもシャープさに欠けるようで35㍉フィルムの画像が今ひとつ。いきおいスキャンするのはブローニーフィルム中心になってしまい、そういう意味ではブロニカやペンタックス6×7を導入した1978年8月以降の画像が多くなってしまう。今回アップするのも80年の夏にペンタックスで撮影したもの。

当時、私は福岡に単身赴任中の父のマンションを基地に春休みや夏休みの鉄道撮影を繰り返していた。以前にも記したように九州を拠点にしながら、一番の目的は山陽本線西部の広島、下関のEF58で連日、関門トンネルを越えて下関方面に通っていた。好き嫌いの激しい自分にとって九州の赤い電気機関車はあまり写欲をそそる存在には遠く、唯一、貫通扉のあるED75を除いて、まもなくなくなると分かっていたED72,73,74などに熱心ではなかった(75すらあまり熱心ではなく、たまたま来たから撮るという程度)。
ところが単身赴任の父は、やはり今の私と同じように夜な夜な福岡の中州など繁華街に繰り出していて、大学生となって酒も飲めるようになった息子(実際は18歳だったのだが)を、行きつけの居酒屋や飲み屋に連れて行くのを楽しみにしていた(と思う)。はやり始めたカラオケや当時、東京にはまだあまり出回っていなかった明太子や焼酎などを覚えたのはまさにこの頃で、私のその後の人生に大きく影響した時期だった。父と飲むと2軒3軒はざら。父の部下もいて大いに盛り上がる。母親抜きの父との関係に初めて居心地の良さを感じていた。

で、翌朝は今と同じく二日酔い。まだ飲み方も知らない大学生ゆえ、ペース配分も分からずガブガブ飲んでしまう。翌朝は父が出社してもなかなか起きることはできない。午後、ようやく起き出して、それでも何か鉄道撮影しなければという義務感にかられて行くのが博多から近い福間あたり。ここで上りの「あさかぜ」(当時はヘッドマークを付けていなかった)などを撮る合間に貨物を牽いてED72や73がやって来る。ようするに二日酔いの産物がこの画像なのだ。決して本腰を入れて撮影したわけでもないからいい加減なものだが、今になっては亡き父を思い出す一枚でもある。
(写真、文 U)Ed73_2

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2010年1月18日 (月)

ANAのモヒカンジェット

ついに明日19日、日本航空が会社更生法の適用申請を行う。日本の翼がこのような事態になったこと以上に、個人的には「数年でJALからジャンボ(B747)が消える」というニュースのほうがショックだった。貨物からも撤退となれば、被写体として結構好みだったJALカーゴのB747BCFもそう遠くない将来に消え行く運命か。

かたやANAは元気なようで、12月からなつかしの「モヒカン」塗装でB767を運航している。

あまり特別塗装には興味はないが、正規の旧塗装となると心を動かされる。1970年代半ばに羽田で見たトライスター(L1011)やB747を思い出させてくれる。B767としては初となるこの塗り分けだが、もともとあまり特徴のないB767なので違和感はない。出来ればB747Dのも・・と思うのは私だけではないだろう。マリンジャンボのときはB747に続いてB767も「ジュニア」として追加されたように、その逆のパターンに大いに期待したい。

(写真・文:K.M.)

2010年1月10日 羽田空港にて

Ja602a_nh_old

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さらば「209系」

2010117_818a                                                                                                                                            いくら電車好きと言っても、特に今回の京浜東北の209系には、散々な思い出が色々とあり、好みというわけでもないが、やはり記念運転となると、鉄の血が騒ぎ出し「ま、とりあえず・・・」くらいの気持ちで、昨日は出かけることにした。

いつもだったら、平行して走る東海道や東北線の列車にカメラを向けている訳ではあるが、今日ばかりは勝手が違い調子が狂う。まずは、カブリのない根岸線内で狙うことにした。ここは通過時間が8時半とはいえ、まだ1月も半ばだと、太陽は上がったばかり。ご覧の通り、随分と影の目立つ写真になってしまった。特別に装着しているマークも、ステッカーよりは良いものの、も一つ冴えない感じ。でも運転手はなぜか誇らしげに警笛一発「フォ~ン」と鳴らし爽快に通過していった。

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ヒョンなことから、昨日限定発売になった「ありがとう209系記念弁当」を知人から頂いた。昔だったら、日本食堂の駅弁だろうが、これは何と日本橋の老舗「大増」のものでびっくり!会社が合併してNRE大増となったらしい。写真にすると、照りがなく腐ったようにみえてしまうが、大変美味しく頂いたことは言うまでもない。(写真・文 K  )2010117_209

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2010年1月17日 (日)

冬の鉄ちゃん

今日は「北斗星」は特にネタガマではないことはわかっていたが、8195133だけがEF81ではない。天気も良いことだし、久しぶりに定点観測にトライした。幸い変な場所に三脚を立てる先客もなく、1時間程度の遅延ではあったが、まったりと撮影をすることができた。(しかし、驚いたことに、夏から秋にかけて毎週定点観測していた際には、ネタガマでないと人出はさっぱりであった場所も、結構人が集まり出して、いよいよ恐れていた事態に近づきつつありそうだ。)遅延の場合いつ何時来るかもわからず寒くても我慢して車の外で待っていなくてはならないので、中年のオッサンにはカラッ風は身にしみたが、辛うじてステップに雪を残してきてくれたので待った甲斐があったというものだ。そう言えば、昨年の1月-2月は「富士・はやぶさ」を追いかけて、天気が良ければ、根府川だの藤沢だの真鶴だの暗いうちから車を走らせていたのをついこの間のように思い出す。その頃私の職場の周りには、「ゴルフ命」の部長、「スキー大好き」の副部長がすぐ傍に居て、小生も含めて3人とも金曜日になると昼飯は週末の天気の話題となった。そして3人とも土日は天気さえ良ければ4時起きだろうが何だろうが厭わず元気一杯それぞれの目的地へ出撃していたものだった。やはり人間というもの、好きな事だと、ゴルフだろうが、スキーだろうが、冬の寒さなんか気にせず出撃するのは共通のようだ。(今は、お二人とも異動されてしまって、あの頃が懐かしい・・)

さて、今日は86を撮ったついでに連番ということもあり、天気も良かったので87の安中貨物も地元で撮ってみた。いつも望遠で編成を潰してしまいがちだが、光線が良ければたまには教科書通りの写真も撮っておいても悪くない。ところで、EF510は試運転中に取手~藤代で故障してしまったとのことだ。最新鋭機も81の貨物に押してもらうようでは、全く面目も何もあったものではない。勝手な憶測であるが、さすがに置き換えのスケジュールに影響が出ることは避けられないのではないだろうか・・(写真・文:TBlog_20101171 Blog_20101172

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2010年1月16日 (土)

30年前の大阪駅で

1980年、秋のダイヤ改正で大阪と九州方面を結ぶ夜行の急行列車が廃止になった。「雲仙・西海」や「阿蘇・くにさき」など。
当時のわれわれはEF651000番台が牽くこの手の列車にはほとんど興味がなかったが、ある雑誌社のお手伝いということで列車の客車の番号を記録する役目を請け負っていた。特に廃止になる日の列車や初めて運転されるときなどの記録は記事に欠かせず、我々のグループの何人かがこの取材に参加した。僕はこのとき大阪口の記録を任されてこのカットを撮ることができた。
このヘッドマークはマニアが独自に作製したもので、発車までの間に取り付けてもらったらしい。当時はまだ今ほど大勢のファンが押し寄せることもなく、まず客車の番号をメモった後、ホーム前方に移動してゆっくり撮影できるほどだった。

あれから30年。今、転勤で大阪にいるが、大阪駅は来年春の完成に向け改築工事が進んでいる。完成予想図を見るとホームを覆う大規模な屋根が設置され、かなり様相が変わりそうだ。Photo (写真、文 U)

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2010年1月12日 (火)

30年前

ご無沙汰しております。私も本年初の投稿となります。長く間があいて申し訳ありません。

1980年の写真が続いておりますが、よく考えたら今年は1980年から、ちょうど30年後なのですね。

そこで、私も1980年の写真、それもぴったり30年前の1月のものを投稿します。確か、成人の日の頃の日曜だったと思うのですが、鶴見線の73系電車の「さようなら」運転の時の、朝の弁天橋電車区の情景です。このブログのメンバーの何人かの皆様と、ご一緒させて頂きました。

茶色塗装の73系が最後まで営業運転していたのは、全国でこの鶴見線が最後だったのではないでしょうか。

あれからもう30年も経過したとは・・・ (文・写真 YM)

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30年前の夏~EF64 1000番台試運転

年明けの初投稿が今日になってしまった。昨年末は30日まで緊張感のある仕事が続き、ようやく正月を迎えることが出来た。

この3連休は全日空の「モヒカン」ジェット狙いで羽田に通っていた・・・というのは単なる言い訳である。。

U氏が大変懐かしい写真をアップしてくれた。そういえば1980年の夏に数日間、上越国境でEF64の試運転に行ったっけ。

1000番台(1002号機)と一般型(75号機)を使い、マヤ10を間に挟んでの特殊な編成で、8月から9月にかけての運転であった。

(写真・文:K.M)

1980年9月10日 試9722列車 EF641002+マヤ10+EF6475+12系X12両 越後湯沢にて。

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2010年1月11日 (月)

この連休は・・

こうしてこのブログのお仲間達の活躍ぶりを拝見して励みにしている。まずは、どんな条件が待っていても、「撮ってやろう!」って気持ちが一番大切だ。暑苦しいかもしれないが、最近何かこういった「燃えている奴」が少なくなってしまい心寂しい。草食男子かなんか知らないが・・ま、これ以上語るのはやめておこう。

この連休、私はというと鉄チャンには出なかった。色々とネタものはあったようだが、今後のことも考えて作戦タイムといったところか。

さて今後は、このブログ投稿については、私のつたない最新作を中心に展開して行きたいと思っているので、今後ともよろしくお願い致します。

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といっておきながら、旧作からではあるが、今日はブルトレ華やかりし頃、2000年の早川で撮った「あさかぜ」を掲載する。本来EF66は貨物用だが、出会って間もない頃の夢が現実となり、ブルトレの先頭に立ち、そして消えて行った。朝日に輝く大海原を背に、東進するEF66は、ずっとこれからも僕らの憧れの機関車だ。  (写真・文 K )0000920_12_ef6648bro

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水上バルブ

久々に帰ってきたK氏の〝快進撃〟に任せっきりになって、こちらのブログをおろそかにしてしまった。古い画像を何枚かスキャンしてあるのに、モノクロばかりで引け目を感じてなかなかアップする気力が湧かなかった。
それにしてもK氏はさすがによく撮っている。僕が鉄道模型にかまけてしまった10年の間も、コンスタントに撮影を続けていたから「お宝画像」も多い。「北斗星トマムスキー」号など、今になってみれば撮ってみたかった思う筆頭だ。このころ僕はそれこそトマムやサホロなどに毎冬、多い年には2回も(スキーに)行っていたくせに、こういう列車を撮ったことがない。もちろん列車の存在は知ってはいたが、もっぱら模型の蒸気機関車に熱中してしまって撮影には出かけることはなかった。
K氏の秘蔵の画像がこれからもどんどんとブログを飾ることを期待したいが、そのつどこちらは歯ぎしりをして眺めることになりそうだ。

T氏はしっかりご「北斗星」撮影を続けておられる。上越線の「能登」「北陸」「あけぼの」が日の出時刻の関係から撮れなくなっても、「北斗星」という存在に目を向けて数々の美しい写真をコツコツとモノにしていく姿勢がうらやましい。矢板や蒲須坂、栗橋などのどかな風景の場所でとらえた「北斗星」や「カシオペア」は澄んだ空気感にあふれてすがすがしさを感じる。しかも奥様と仲むつまじい姿もかいま見え、年齢相応に優雅に趣味を楽しんでいる。

それにしてもお二方の活躍でこのブログのアクセス数が半端ではないほど急伸している。昨日、南浦和の撮影場所でこのブログのことを話題にされていた方がいて、黙って耳をそばだてていたが、思ったより悪い評価はなく嬉しい限りだ。始まってまだ1年にも満たないブログだが、ことしも少しずつでも更新していきたいと思う。

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80年の夏に撮影した上越線夜行列車の画像。H氏やM氏と翌日から始まるEF641000番台の試運転を撮影に行った。水上の駅構内のまさに線路の間で撮影したもので、今では考えられないことだ。
いずれC6120が復活したら高崎~水上は多くのファンが押しかけることになるだろう。

(写真、文 U)Photo

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2010年1月10日 (日)

久しぶりの「あけぼの」朝練

誰もが「まさか!」と思ったであろう。確かに8日の「北陸」を急遽81-81が牽引して下って行ったというニュース自体が驚きであったが、「あけぼの」を牽いて上野に戻ってくるとは誰が予想したであろう。まあ、「北陸」を牽いて戻ってきても走行は真っ暗で無理だから上野で正面だけでも撮ろうか思いつつベッドに入ったが、今朝起きてネットをチェックすると何と「あけぼの」を牽いて戻ってくるという。あわてて支度をしたが、「さてどこに行こうか?」と考えた。走行写真を撮るにはこの時季の条件はまだまだ厳しそうだが、結局少しでも日が昇ることを祈って日暮里に行くことにした。(日暮里は被るリスクは極めて高かったが・・)現地に到着しても、さすがに我が新兵器の白レンズのf2.8をしてもまだまだ周囲は真っ暗で「北陸」なんかは撮れたもんではなかった。(こういう時にUさんのD3Sは威力を発揮するのだろう・・)さて、本当に81-81が牽いてくるか自分の目で見るまではまだ半信半疑であったが、今日の本命「あけぼの」は快晴の天気も幸いして何とかISO1600 1/320 f2.8でカメラに収めることができた。(推回は陽が当たって一応色も出るだけの露出にはなったが、私の安カメラではこれが限界・・)ちなみに、冬至を過ぎると少しずつ日の出の時刻は早くなってくるのかと思っていたが、国立天文台のサイトを見る限りそれはとんでもない浅はかな考えで、1/13まではずっと651分のまま、1/31でもまだ642分とのことだ。1月は朝練にとっては依然として厳しい条件が続きそうだ。まあ昨年3月改正前の組み合わせと言ってしまえばそれまでだが、今後の展開を考えると、とりあえず被らずに撮れて良かった。(写真・文:TBlog_20101101_2 Blog_20101102_3

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2010年1月 8日 (金)

65PF万歳!

札幌までの豪華寝台特急「カシオペア」がデビューしてから、丸10年(1999年7月)の時間が経ち、早いもので11年目を迎えている訳だが、この「カシオペア」が運転される前に、今のシーズンだけの臨時寝台特急が走っていた。掲載写真の「北斗星トマムスキー」号(9010レ)である。当時は、北斗星も3往復あり、場合によっては「エルム」も運転されていて、朝の上り列車はまさにブルトレ街道と化していた!北斗星は、当初からEF81でやってきたが、この9010レは、運転廃止になるまでEF65PF(交流区間はED75)が牽引していた列車であり、当時はとてもやる気にさせてくれる列車であったように思う。何せ上り列車の場合、トップで上ってくるスジのため、日の短いこの時期は、撮影するのに大変苦労した思い出がある。

直流区間はオールマイティの65PFも、今や特急運用はおろか、貨物や工事列車の地味な仕事が主になっているようだが、できることなら、もう一度誇らしげにヘッドマークを付けてブルトレを牽引する姿を見てみたいものである。 (写真・文 K )

1995-3-6  9010レ  栗橋-古河にて199536_9010_ef65_1052_bro

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2010年1月 7日 (木)

さようなら「ボンネット型」

先ほどインターネットのニュースで、「昭和の特急の顔”ボンネット”が消える」と話題にあがっていた。3月改正で、夜行急行「能登」が廃止され、それに伴い定期のボンネット型の運転が無くなることが、ファンのみならず、一般のニュースとして取り上げられていたのだ。まあ確かにここのところ、ダイヤ改正のたびに、昭和を引きずってきた列車や車輌たちが引退していく。それも、この時勢もあってか加速しているように思える。高度成長期の70~80年代に人一倍鉄チャンに明け暮れた者にとっては、何ともやりきれないし、寂しい想いが募るが、これも一つの時代の流れで、また新たな時代が始まると考えれば、さらに新しい発見があるかもしれない。プラス思考で行きましょう。

私にとってボンネット型といえば、まず思い出すのが181系電車。やはり印象深い「とき」や「あずさ」が目に浮かぶ。今日は、スキーヤー達に白い目で見られながら165系のスキー臨に乗り、越後中里まで行った時の画像を掲載する。この頃(1976年)は、L特急「とき」として毎時やってくるが、すでに何本かは、新鋭の183系1000番台に置き換わっていた。貨物列車は当然EF16、スキー臨には、耐寒装備のゴハチ(EF58)、その他485系「はくたか」、165系の「佐渡」、新潟ローカルには、70系もやってきて退屈させない。まだまだ鉄チャンの駆け出しの頃の画像なので、多々見苦しいものだが、こんな時代もあったということで・・

しばらくしてこの後、ヘッドマークは絵入りに変わっていくが、個人的には写真のような文字板が好みである。 (写真・文 K )

1976-2-22   2005M  とき  Tc181-101ニイ 12連 越後中里-土樽にて1976222_2005m_tc181101blo

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2010年1月 6日 (水)

電車好き!(2)~初詣臨

そろそろお正月モードも覚め、通常モードに戻ってしまう時期だが、そうなると、いよいよ初詣臨の運転が始まる。

私にとって初詣臨というと、古くはEF13・EF15あるいは、EF60の牽く中央線を行く高尾臨、八高線経由のDD51牽引による高尾臨、そして関東各地からPCでやってくる成田線経由の成田臨が思い出深い。しかし、電車好きの私としては、PCと同様、全国各地から色々な電車たちがやってきて、当時はこれも正直楽しみであった。大好きな583系の初詣臨は無かったと思うが、同じくらい好きだった165系は、毎年あちこちに出没して楽しましてくれた。掲載した写真は、同系列の167系を使用した、成田山に向かう成田臨で、東海道線のご存じ真鶴で捕らえたもの。一時期、金文字の入った大変おめでたいヘッドマークを掲げて運転されていたことがある。本当は、湘南色が最も好みではあるものの、何度となく出会う中、この専用塗装も似合って見えてくるから不思議なもんだ。

現在は、世代が変わり主に183系列が使用されているようだが、使用車輌が限られ、かつてのようなバラエティ感覚は無くなってしまって残念である。しかし、これだけ高速バスやマイカーが成熟している現代において、今だ団臨として運転されていることの方が貴重なのかもしれない。久々に足を向けてみようと思っている。(写真・文 K )

1990-1-25    9528M  成田臨  167チタx 8  真鶴にて1990125_9528m_167x8blo

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2010年1月 5日 (火)

残照の印象

その昔国鉄末期の頃、品川には、ジョイフルトレインと呼ばれる14系客車を改造した欧風客車が在籍していた。「サロンエキスプレス東京」と名づけられ最終的には、7両編成を組んでJR化後も全国を駆け巡っていたが、(後に和式客車「ゆとり」となった客車)正月明けのちょうどこの時期、この客車を使った「メモリアルトレイン」が御殿場線を一周する形で運転された。掲載写真はその時のものである。

何の変哲もない写真ではあるが、この日最期の残照を一身に受けて疾走するロクイチがあまりにも美しく私には映ったから取り上げてみたくなった。ゴハチは、窓の大きさがよく話題に上がり良し悪しを決めてしまうが、この角度から見たゴハチもまた別の意味でスタイリッシュで力強くかっこいいと思っている。ロクイチのステンレスの帯が渋くテカった時、この日の想いが全てここに集まったような気がした。(写真・文 K )

1997-1-4   9634レ  EF5861    下曽我付近にて199714_9634_ef5861bro2

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2010年1月 4日 (月)

電車好き!

私、実は電車が好き。もちろん機関車の魅力も十分理解して、ロクイチを筆頭に、今までに数々の機関車と出会い、そして個々に持つ個性に魅了されてきたから、今日こうやってまだ相変わらず撮影しているんだと思っている。私の場合、そもそもの鉄道撮影のきっかけは、模型作りであり、ごくごく身近な電車たちにカメラを向けたのが最初。それも無くなっていく車輌や、古い車輌たちよりも、逆に新製車に興味があり、撮影していたように思う。こんなこと書くと幼稚に思われるかな?でも、その後出会った人たちの影響をもろに受け、自分自身どんどん被写体が変わっていった。

このブログのお仲間は、ほとんどのメンバーが私とは違い、「筋金入りの鉄チャン」であることは間違いない。国鉄時代の現役蒸気機関車の名場面を数々体験し、情報を駆使して、それこそ人海戦術で素晴らしい作品を残している人たちなのである。悲しいけど私には、そういった体験は一つもない。悔やんでも悔やみ切れないが事実だから仕方がない。この友人達の色々な話を聞いて頭の中で想い描くことしかできなかった。でも写真やビデオでは伝わらないし、やはりその現場に自分がいて体験しないとわからないことなんだ。自分の目と耳と身体で「五感」で味わいたかった。

そんな想いを胸にもうかれこれ撮影を始めて何年になるだろう。変わり映えのしない写真ばかりだが、その時々で「撮りたい」と思うものだけ撮ってきたし、これからもそのスタンスは変わらないだろうな。大分話が逸れてきてしまった。どうか聞き流して欲しい・・・

数ある電車の中で一番のお気に入りは、今回掲載する583系だ。金谷川に向けて上り勾配をフルノッチで駆け上がってくる特急「はつかり」号の13両編成。こんな光景が日常だったあの時代に、今の撮影機材を持って帰りたい。(これもまた叶わぬ夢だ)年末には、青森まで新幹線が通るというこの時代に、今だ現役で走る583系を拝めるだけでも幸せと感じなければいけない。たとえ、往年の姿とはまるで違っているとしても・・・(写真・文 K )

1982-3-18 青森発上野行き 特急「はつかり」  583系アオ13連 南福島-金谷川1982318_583x13blo

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2010年1月 3日 (日)

レッドサンダーはお好き?

いつも感じることではあるが、お正月も待っているときが楽しいもので、今日でアッという間に三が日は過ぎていった。今朝は、宣言どおり早朝起床してみたものの、思うことあって出撃はやめてしまった。そりゃ、北斗星狙いでどこかへ出向くってことも視野には入っていたんですがねぇ、ホント。いずれ牽引機が変更されるって言っても、春の改正には間に合わないだろうから、まぁ焦って行ってもしかたない、なんて寝起きの頭で考えてしまった。そのうち、先日の単機試運転から、もう一歩進んで、牽引試験が始まるだろうし、それも当然青森-上野間で行われるはず。それにもろろん、乗務員訓練も・・そう考えると結構な期間になるだろうし、その規模も大きいな。特定日を決めて、パーイチと重連で走ったりして・・・

何の根拠もないけれど、勝手に妄想して結構楽しめるもんだ。妄想ついでに今日は、EF510がブルトレ牽引したら・・・てことで、JR20周年の時に運転された、記念列車の写真を掲載させて頂こう。今から約2年前の2007年秋に、夢空間付きの編成で全国を周遊する団臨が運転され、目玉としてJR貨物から、EF510が登場した。運転区間が羽越本線の一部であったため、非常に撮りづらい列車ではあったが、目の前に列車が姿を現した時は、まだ見たことのない組み合わせに舌を巻いた。想像していたより中々のマッチングに思え、それまでの疲れもぶっ飛んだ記憶がある。これで、今回出場してきたブルー塗装、ニューデザインの北斗星マークが付いていたとしたら・・・色々思いを巡らせ、その時を待つことにしよう。 (写真・文 K )20071022_9016_ef5106

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2010年1月 2日 (土)

雪だるま

今朝も2レに95が入るとの情報でネット上は昨日から大騒ぎであった。正月三が日はこれでもかという連日のネタガマの大サービスで、私も含め巷の鉄ちゃんは、田端の機関車運用をご担当されている方には心から感謝を申し上げなくてはならない。さて、今朝は4時に愛犬に起こされJR東日本の遅延情報をチェックすると北斗星に関する遅延情報は特になかったので、それほどの遅延はないつもりで家を出た。最近は定点観測場所は妙なところに早朝から三脚を立てる方が連日おられ嫌気がさしていたこともあり、昨年118日のリベンジということもあり北を目指した。事前にチェックしていたウエザーニュースのスポット天気ではこの辺りも終日晴れの予報ではあったが、やはり、関東平野より北に位置し、那須の山々の近くともなると「山の天気」のように不安定であり、案の定現地に到着しても東の空に向かって無数の雲が流れている状況であった。現地でネットをチェックすると何やら「2時間遅れ」とか「顔は雪だるま」とか色々な書き込みがされ始めた。(当たり前のようにガセネタを書き込む不心得者が横行する中で、こうした正しい情報を書き込みされる方々の有り難さも痛感する)結局、昨日以上にまったりと長時間待つはめになったが、登場した99のカシオペアは番号もヘッドマークも判別できない程の前面まさに「雪だるま」で前方のカーブからその姿が見えた時には絶句した!まさに感激である。一方の95の北斗星はさらに1時間程度待たされ、すっかり陽も正面に回ってしまった上、足回りにはべったり雪が付着していたものの前面の雪はお愛嬌程度であった。(皆様のブログを拝見させて頂いていると、上野に近づくにつれもっと前面の雪は落ちてしまっていたようなので、まあこれでも良しとしないと正月からバチが当たるナ)正月から連日鉄ちゃんをしてしまいカミさんからは呆れた目で見られているので、もう道楽もそろそろ限界のようだ。

P.S.当日中にブログを書き込みすると、前の方の上書きをしてしまう形になるので大変申し訳ないです。Kさん、Uさんお許しを・・Kさんも新年早々から本領発揮で頼もしい限りです・・(写真・文:TBlog_2010121

Blog_2010122

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至福のひと時

今日は、鉄チャンの話題ではありませんのであしからず・・

東京は、ここのところ穏やかな日が続き、誠に新春に相応しい日和が続いていて喜ばしい。一方雪国では逆に連日の寒波襲来で,交通機関がマヒしていると聞く。何事もしすぎ、やりすぎは宜しくない。ほどほどに、ほどほどに・・

さて、正月2日の今日は、久しぶりにお気に入りのCDを取り出して聴いているところである。もっとも、現自宅は、悲しいかな音楽を大音量で聴ける環境ではなく、自室で慎ましく遠慮がちに聞き流しているっていうのが正しい言い方だ。私は、現在も鉄チャンを一生の糧として日夜活動しているつもりだが、同様に音楽も私にとっては切り離すことはできない。鉄チャンに目覚めた頃と同じく音楽にも吸い込まれるように興味がわいて現在に至る。誰にでも音楽は身近にあり心の友だ。色んな楽しみ方がある。私はというと、自宅で思うように聴けない分、演奏会に行き、至福のひとときを味わっている。音楽のジャンル分けは好まないが、今はどうしてもクラシックが中心。昔からブルックナー(1824-1896)の音楽が好きで、これが中心になってしまう。学生時代、鉄チャンに行く際、ここにも登場するT氏の車に乗せて頂いたことが再三あったが、その時彼の快諾で持参した自らのテープ(もちろんアナログのカセットテープ)をカーオーディオでかけさせてもらった。その時の気持ちは今でも心に残っている。まだ今のような「ウォークマン」などない時代だから、移動中に好きな音楽を聴ける優越感はとても興奮したものだ。今日取り出して聴いているのは、シンフォニーの第8番。中でも一番のお気に入りの楽曲で、今から27年前になってしまうが、東京目白のカテドラル教会でのライブ録音のCD。私のとって思い出の多いCDだ。さあ、身体は心地よく休息できたし、心の栄養補給も満タンになった。明日は早起きするかな? (写真・文 K )Photo

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2010年もロクイチでスタート

あけましておめでとうございます。

昨年末に久々のK氏登場でアクセス数もかなりアップしました。当方も今年は力を入れて更新に努めようと思う。最初はタイトル通りEF5861をアップ。K氏もロクイチでしたから、当方もロクイチでスタート。
この正月、いろいろと家庭の事情があって鉄道撮影に出かけられず、その分を画像の取り込みに傾け、そこそこのストックができました。徐々にお披露目していきたいと思っております。

今年は3月に「北陸」「能登」の廃止があり、その後「北斗星」の機関車が変わるなど、さっそく様々なニュースがありますが昨年同様、鉄道撮影を楽しんでいきたいと思っております。

画像は1979年3月に平塚で撮影したもの。本当はもっと長いレンズで高架線から下って来るシーンを撮りたかったのですが、残念ながらレンズの購入資金がなくブロニカの200㍉(35㍉換算で120㍉程度)で撮影しました。その後、秋にオリンパスの300㍉を入手したものの、この平塚の高架線は使われなくなって、ここでロクイチを撮ることはなくなってしまったのが残念だった。

(写真、文 U)

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2010年1月 1日 (金)

元日といえば・・・

毎年恒例ロクイチの「熱海初日の出」号を思い出す。現在は、ジョイフル電車に変わってしまったようだが、初日の出を見に行こうとする乗客には結構人気ある列車なんだそうだ。当時は、まだ当然のごとく客車列車が使用され、牽引カマはといえば、ロクイチ様のお出ましとなる。ああ良き時代である。

しかし問題なのは、私の場合ここからで、いかに元日の午前中いっぱい外出する理由付けを家人たちにふれ舞うかということ。今でこそ、なんのためらいもなく出かけられるが、当時まだ小さい家人がうろうろしており、なかなかお正月の父親像みたいなものに後ろめたさを感じてしまうのだ。で、思ったのは、晴れた元日だけ悪い父親になろうってこと。物事割り切りが大切なときも多々ある、なんて自分だけ納得して・・・まぁいろんな思いが蘇ってくるが、とにかく自分にとってこの列車は、今年一年を占うおみくじをひくようなものであったような気がしてならない。写真のこの日はU氏とともに元日の大磯まで駆けつけたが、ロクイチを見送ると、お互い一目散に帰宅の途についたのが懐かしい。それにしても、このヘッドマーク、正月から拝むに相応しく縁起が良さそうで凝っている。ロクイチにも似合ってるよなぁ(写真・文 K )199611_9824_ef58_61_blo2

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謹賀新年 from T

今日は、元旦にも拘わらず、未明から精力的に動いた。紅白歌合戦は今回は殆ど興味がなかったので、一旦22時にベッドに入ったものの1時に起床して、愛車でカミさんと一緒に恒例の成田山詣へ。意外に順調に御護摩札も貰えたので地元の神社も回って自宅に舞い戻り、6時前に再度家を出て133の北斗星を撮り初めに出かけた。大雪と強風の影響で遅延が伝えられていたので、定時には来ないことは判っていたが、寒空の下ず~と待ちながら、不謹慎ながらどの程度ベタベタな雪まみれで来るか正直期待していた。しかし、結果はご覧の通り。何だか拍子抜けして、11時過ぎに帰宅。成田山で引いたおみくじはかなりいい内容の「吉」であったのでそれを信じつつ、今年も仕事に、家庭サービスに、そして趣味にも手を抜かず悔いのない人生を送りたいと思っている。しかしながら、やはりこの歳だと「健康」であることが一番であることは言うまでもない。

最後に、このブログを支えて頂いている皆様の益々のご活躍とご健勝を心よりお祈りいたしますとともに、今年も変わらぬご支援をよろしくお願い申し上げます。(写真・文:TBlog_201011

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