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2009年12月

2009年12月31日 (木)

追悼~東海道ブルトレ

私にとって今年最大の事件は、春のダイヤ改正での東海道・山陽スジからのブルトレ撤退であった。鉄道車両にカメラを向け始めた頃から、ブルトレはいつも撮影の中心にいて、馴染みであっただけにショックも大きかった。確かにゴハチ現役の時代、東海道に出向いたときは、2番手に成り下がってはいたが、道中いつも気になっていたのがブルトレであった。

そんな最期まで残ったブルトレ。特急「はやぶさ・富士」号。幸運にも今年1月、先輩のお誘いを受け、始発東京から熊本まで乗車することができた。今となっては、長いようで短い夢のような17時間46分であったが、リズミカルなジョイント音を聞きながら朝まで語り明かしたあの日のことは、私にとって一生の宝物になった。そして遅延の上り最終列車(9002レ)をU氏とともにシャッターを切り、2人だけで見送った時のことも決して忘れないだろう。

始まりがあれば、必ず終わりがくる。ってことを痛感した年だった。

写真は、廃止が決まり鉄チャンで賑わい始めた米神付近の2レ。仕事の合い間、うまく時間調整をして、代車で駆けつけて撮った1枚。ここももう行くことはないのかな・・2009219_2ef6649blo (写真・文 K )

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今年ももう大晦日

早いもので、今年ももう今日で終わりとなってしまった。小生の場合、本当に久しぶりに撮影に復帰したわけだが、勘を取り戻すべくカメラを手にするように心掛けた結果、今年1年の出撃回数を数えてみたら、69回であった。その分愛車の走行距離も昨年とは桁違いに多くなり、機材も新たに調達するはめになったので、出費の面でもかなり痛かった。まあ、「81の北斗星」「北陸」「能登」が来年の3月改正で消えてしまうことを思えば、後悔しないためには仕方なかったと割り切ってはいるが、我が家の財務大臣様からはかなり冷たい視線を浴びている・・その割にはいつまで経っても腕が上達しないのはお恥ずかしい限りだ。こうして図々しくブログに愚作を投稿させて頂くのも本当に申し訳ないと思っているが、お蔭様で新たな楽しみも増え、仲間の方々の活躍ぶりが居ながらにしてわかるようになったのも、ひとえにUさんのお蔭であると心から感謝申し上げている次第。

さて、今年の撮り納めは29日の2レ。カミさんの批判を浴びながら2本目の白レンズ(EF70-200 f2.8L IS )を買ってしまったので、試し撮りがてら久しぶりに水沢踏切に出向いた。この場に30名程度、インカーブも合わせると軽く50名は超えていたように見受けられた。恐らくヒガハスなんかはそれ以上の人出であったことは容易に推察されるので、3月改正まで今後どんな状況になるのかと考えると、気が重くなる。この日も平日だったので、遅出で会社に出社したが、結局深夜までかかって先日の出張報告を書き上げるはめになった。さて、EF510ですか・・う~ん、存在感はありそうだが、果たして被写体となり得るかどうか・・新しいレンズも買ってしまったのでまあ結局撮ることにはなるのだろうが、気持の整理には時間がかかりそうだ。 皆様、今年1年お世話になりました。どうか良いお年をお迎えください。(写真・文:TBlog_20091231

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2009年12月30日 (水)

ついに出たな!

先日出場して間もないEF510を撮影する機会に恵まれ、冬晴れの東北路に出向いた。この機関車は、来年より現行田端区のEF81に変わって北のブルトレの牽引を任される紛れもないカマ。そのせいなのか、500番台を名乗っているらしい。う~ん、何とも自分の目で確認するまで信じがたい。だって、EF81は、まだまだいけると思ってるし、だったらPCの方を何とかしたらって思ってた。まあ、牽引機が変わるってことは、列車自体しばらくは安泰だってことで、その点は楽観できるけどね。昨今のブルトレへの風あたりはあまりにも強すぎるので、それでも疑いたくなる。

で、当日、半分の期待と半分の不安が交錯する中列車を待った。

皆様の第一印象はいかがなものだろう?

この日は、客車牽引ではなく単機の試運転であったため、それがわからないように撮影したのでこんな構図になったが、前にいっぱい突き出たZ型パンタや、EF66にも通じる前面の印象は、この明るめのブルー塗装と相まって好印象だった。確かに、一部に北海道DD51の塗装に類似との見方もあるようだが、実際には、この青はもっと明るく綺麗に見えた。(客車のブルーとは違うように見えた)

来年に向けて、さらに何台か出場し、カシオペア塗装機も出てくるらしいから、しばらくはこのEF510P型から目が放せない。かな?

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今年も早いもので残すところあと1日となった。

自称「趣味人」としては、なかなか今年趣味に没頭出来ずに、また思った行動もとれずに歯がゆい思いも多々味わったが、総じて考えれば充実した日々を送れたと思っている。今年はU氏のお力でこのようなブログも立ち上がったわけだが、特に後半戦私個人として放置状態になってしまったことをお詫びしたい。来年に向けてさらに私の独断と偏見を読者の皆様にご報告できればと思っている。今後ともよろしくお願い申し上げます。( 写真・文 K )20091225_ef510501_2

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2009年12月22日 (火)

大好きだったキハ91

1976年、蒸気機関車が全廃となって鉄道撮影から遠ざかっていた私は、この年の夏ごろから高校の同級生の影響を受けEF57などの旧型電気機関車に興味をもち始めた。そこで親にねだって、当時新発売のダイレクト測光が売り物のオリンパスOM―2を入手、再び線路際に立つ機会が訪れた。もともとが好きなわけだからそうなると深みにはまるのも一気。山陰本線や紀勢本線のDD54やDF50なども新たなターゲットとなり、夜行の大垣行きの各駅停車に乗る回数も増えていった。

そんなある日、名古屋駅で顔を洗うために大垣行きを降りホームでうろうろとブルトレや貨物列車を撮っていたら、巡り合ったのがこのキハ91系気動車の急行「のりくら」。
依然からクーラーを背負ったその姿や、精悍な正面のスタイルに惹かれていたが、中央西線からD51が消えたことで名古屋方面には行く機会がなくなり、その存在を忘れていた。特急型気動車のキハ181系の試作車という位置付けで、雑誌などで取り上げられることの少なく、そんなことも記憶のフィルターにひっかからなかった一因ではなかったかと振り返る。
そもそもこの時も別のホームで貨物列車を撮っていて、ふと見たらこのキハ91を発見、慌てて階段をかけ下り、どうにか撮った一枚がこのカット。ネガカラーは変色し,今となってはしっかりモノクロで撮っておけば良かったと悔やんでいるが、大好きな車両ゆえ数枚でも残っていることを幸運に思っている。再訪するには時間も金もなく、この時が最初で最後の出会いとなった(後に紀勢本線に撮影に行ったとき、車窓から解体前の姿を見かけてはいるが)。

後年、鉄道模型メーカーのカツミからまさか模型化されるなどとは思ってもみなかったこのキハ91が発売され、大阪の工房に依頼していろいろ細かく作ってもらったほど気に入った車両だ。

(写真、文 U)91

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2009年12月20日 (日)

暫くのご無沙汰でした

実は先週一週間海外出張に行っていた。私の場合海外にも現地社員の部下がいるので、時々様子を見に行きがてら関係する部署とも打ち合わせをする必要がある。13日(日)に成田を出てNH010New Yorkへ。New Yorkで月・火と目一杯ハードな日程をこなし、水曜日にNewarkからVS018Heathrowへ。Londonでこれまた英語漬けの1日半をこなし、金曜の夜のNH202Heathrowを発ち、19日(金)の夕方に成田着という言わば世界一周をしたことになる。通常西周りで太陽を追いかけた方が体は楽だとは言われているが、私の場合昔住んだNew Yorkで到着後日曜日に少し自由な時間が欲しかったのと、来週のことを考えれば土曜日中に帰国し時差調整に充てたかったのでやや無謀ではあったが東回りにした。JALの方がコスト的にはやや安いのだが、そこは今のご時世、当然ANAを選んでしまった。しかもスターアライアンスであればヴァージンで大西洋を渡れるのでAirbus A340に是非乗ってみたかったという助平心も働いた。しかし、日頃の行いが悪いことがたたって、New Yorkでは大雨、Londonでは滅多にない雪と寒波に見舞われてしまった。肝心のヴァージンのA340-300Upper Classは初めてで、通路向きに斜めに並んだシートと紫と赤の照明には愕然としたが、フルフラットになるシートや座席周りのデスクや小物置き場ひとつとっても極めて乗客の利便性を考えて設計してあり、その斬新な発想と顧客志向のサービスぶりには感服した。乗り心地も慣れてしまうと極めてくつろげるプライベート空間で、また離陸の際の「キーン」ではなくどちらかと言うと「ビーン」というエンジン音も気に入った。離陸の際の上昇する角度もRunwayの脇から見ていると4発エンジンのくせに双発機のB777なんかよりは緩いが、それも乗っていても明らかにわかった。かつて住んだNew Jersey上空からGeorge Washington Bridgeも良く見え、食事やCAのサービスも含め、100点満点がつけられると思った。特にアホな旅行代理店が1日間違えて予約を入れていて、さすがに数々の場数をこなしている小生でも肝を冷やしたが、地上のスタッフも丁寧に対応してくれこの面でも好感が持てた。

さて、ネットを見ると昨日の5時間遅れのベタベタに雪が付いた北陸とか写真があり今朝もネットを追ったが、何だか途中で抑止のようなので諦め、寝てしまったら北斗星の時間にも寝過ごし、結局地元で81-95の安中貨物を撮った次第。これも贅沢だがド正面から強烈に陽が当たり過ぎていて、表面がワックスムラのような乱反射をしてしまっていた。(いつもながら文句が多いナ)EF510も新製車第1号の501が到着したようだし、田端の81もいよいよ動向が予断を許さなくなってきた。オマケの写真は、雨の中ちびデジで撮ったロックフェラーセンターのクリスマスツリー。こうして並べていると81-95が赤地に白い線が入った衣装を纏ったサンタクロースのように見えてしまうのは私だけであろうか・・・(写真・文:T Blog_200912201_3 Blog_200912202_4

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2009年12月19日 (土)

本当???

先日、大阪の社外の集まりに参加した。あるお店の常連で、いろいろな業種の酒好きの方々の集まりで、その中に某JR会社の幹部がいらした。
実は僕はそういう会合で鉄道ファンということをカミングアウトしていない。いい年こいたオッサンがカメラ片手に列車を追っているとは、ちょっと照れくさくて言えないのだ。会社の中でも知る人ぞ知るといったところで、それもかなりディープなファンとは思われていない。

そんななか、その酒の席での話題がブルートレインのネタになった。もともとは長距離夜行列車に仲間同士で乗って、日本海側の酒の肴を手に車内で酒を飲んだらうまいだろうというもの。それがだんだんエスカレートしたところでその某氏曰く。

「『日本海』もあと一年ぐらいでなくなるよ」
「ええっ!」

鉄道ファンとしてはその一言を聞き逃すはずはない。

「本当ですか?」
「ほぼ確定らしいよ」

ちょっと早すぎる話で信憑性に欠けるきらいもあるが、その人の立場を考えるとまんざらガセネタとも言えない。あまりしつこく聞くと、鉄道ファンであることをカミングアウトしなければならないし、口が滑ったことを後悔するとまずいのでほどほどで話を打ち切ったが、これが本当だったらまずいなあ!

(写真、文 U)Photo

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2009年12月18日 (金)

たまには車の話題

1982年から1991年まで乗った愛車スカイラインRS。免許を取って2台目の車で日産バイオレットの中古から乗り換えた。
それまで車には全くと言っていいほど興味がなかったが、この車の写真を初めて週刊プレイボーイ誌で見てフロントグリル周辺の顔つきに一目惚れ。それからは手元にはいるまで寝ても覚めてもこの車のことばかりで頭がいっぱいだった。
就職して1年ほどして大阪に転勤になったが、もちろんこの車で各地を飛び回った。結婚したばかりで、休日になると鉄道撮影以外にも奈良や和歌山、出雲大社などにも行ったものだ。
当時はまだ4バルブのDOHCなど少なく、このRSも久しぶりの日産のツインカムだった。この頃の日産車は決して作りは良くなく、トヨタ車に比較すると車内のデザインや立て付けで大いに後れていたと記憶している。久しぶりの4バルブツインカムで「GTR」のネーミングも期待されたが、開発者の桜井氏がかたくなに拒否したと聞いている。

けっきょく5年ほどしてトヨタのソアラ(2リットルツインカムターボ)を購入し2台体制になったが、そのソアラはRSよりも先に89年に発売されたR32のGTRの下取り車となって手元を離れた。ソアラもなかなか気に入っていたが、GTRの元手とするため仕方なく手放した
その後、RSは譲って欲しいという後輩に譲り、代わりにユーノスロードスターVスペシャルが愛車となった。

RSは大事に乗ったので9年で3万キロ程度の走行距離だったと思う。今となっては決してほめられた車ではないが、その荒々しさと好みのスタイル、その他諸々の思い出もあって生涯忘れられない車となった。
この写真は1983年に仲間と三島~函南にロクイチを撮りに行った帰り、箱根で撮影した。この頃発売された富士フイルムのネガカラーによるカットだが、このフィルムには驚かされた記憶も残っている。

(写真、文 U)
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2009年12月14日 (月)

EF5861(ロクイチ)@東京機関区

国鉄がJRになってから、はや20余年、「国鉄時代」が本になるような時代になってしまった。昭和レトロと言われるくらいだから昭和62年に民営化されてJRになったのだから当たり前といえば当たり前か。。。

東京機関区も今や伝説になりつつあるのでしょうね。

写真はまさに東京機関区の「中」に佇む国鉄のEF5861(ロクイチ)です。お召し整備を施され、両パン上げた姿で、戸外であれば「形式写真」が撮れたのにと、当時は残念でしたが、今となってはとても貴重なカットになってしまいました。昭和60年3月12日、この日のこのロクイチが、「東京機関区」からの最後のEF58の出区となりました。でもロクイチの所属はすでに「新鶴見」でしたが。。。

(写真・文:K.M.)

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2009年12月 6日 (日)

「北陸」の廃止にあたって

大阪での休日はあまりやることもなく、近所のいつも同じ場所でやる鉄道撮影ぐらいが唯一の楽しみ。昨日も今日も宮原操車場付近の踏切で「日本海」の回送列車を撮っている。
今日は107号機を撮り、これで敦賀の赤13号塗色機の「日本海」は全て撮影完了。通うこと6回。全て違う番号の機関車が牽いてきたのは幸運に恵まれた結果だ。

「能登」「北陸」の廃止が新聞に掲載され、今後この2列車にファンの目が集中するのは間違いなさそうだが、日の出時刻が遅くなり走行写真は難しい時期になっている。来年3月のダイヤ改正のころになっても東京の日の出は6時ごろで、そうなるといきおい上野や大宮のホームに人が集まることになるのだろう。
私の場合、ふとしたことから昨年になって急に鉄道撮影に復帰、「能登」や「北陸」をけっこう撮れたことは幸運以外のなにものでもない。もともとEF641000番台が好きで、自然と「北陸」がターゲットになったわけで、月に何回も北浦和や南浦和へ通った。決して「北陸」や「能登」がなくなるであろうなどということは正直考えもしなかったが、ただただ双頭連結器の1030,1031号機を撮るために足繁く「朝練」に赴いた。その結果、今の転勤先で「もっとしっかり撮っておけば良かった」などと後悔しないですんでいるが、すでに消滅したブルトレを思い返すと悔やむこともまた多い。
以前、まだ東海道、山陽本線にブルートレインが健在だった頃、東京に朝6時過ぎに到着する「瀬戸」や「出雲」はやはり冬になると撮影が難しい列車だった。しかも当時はフィルムだったからなおさら。その頃のネガを見てもカラーがないのは当然と言えば当然なのだが、モノクロでももう少し真面目に記録しておけば良かったと後悔している。
この「出雲」は東京到着後、品川への回送時の姿。当時の「出雲」はヘッドマーク交換の手間を省くため、両エンドにヘッドマークを掲げていたから、回送時でも絵になった。
K・M氏やA・K氏、そしてもちろんI氏などは私よりもはるかに真面目に記録していたはずだから、EF65Pが先頭に立っているブルトレの好写真がこのブログを飾ることを期待している。

このところ頻繁に撮っている「日本海」もほとんど借りているマンション近くでのものばかり。やはり回送列車なのだが、見た目には分からない。今後、もっと東で撮影したいと思っているが、なかなか良い場所が見つからず苦慮している。
ともあれ、たとえ安易な場所であってもこまめに記録していれば後悔は少なくてすむはず。

(写真、文 U)
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2009年12月 5日 (土)

207系900番台さよなら運転

今日は地元常磐線の絶滅危惧種であった207900番台のさよなら運転があった。愛犬の散歩がてら9時半頃にいつも撮影している近くのポイントを偵察しに行くと、通過1時間半前であるにも拘わらず10代の諸君を中心に既に20人くらいに「占領」されていた。EF8195の時もこんなことにはならないが、付近の道には脚立を持ったマニアがうろうろしておりはっきり言って異常であった。一気にやる気は失せ、たかが通勤型電車のさよならなんか撮影自体も止めようかと思ったが、休業中も一応、103系、415系のそれぞれのさよならは記録として残していたし、通勤でもよく乗った車両なので、気を取り直して3段脚立を持ち出して地元民でしかわからないポイントに向かった。しかしU氏の南浦和の件同様、近所の人にはさすがに見られたくないので、早くターゲットが来ることを願った。それでも直前に遠方のナンバーの車が来て人の前にごちゃごちゃ入ってきて、やはり地元民としては不快な思いをするはめになった。「いったいこの中で何人が実際にこの車両に乗ったことがあって、本当に『さよなら』を言いにきているのだろう」と思ってしまう・・アップした駄作は取手からの戻りを400ミリで撮ったもので、このポイントはさすがに地元民でしか知らない場所であり不快な思いはせずに済んだが、イベント物は本当に疲れだけが残るものだ。さてさて、「能登」「北陸」の最期や「81北斗星」の最終なんか、いったいどのような狂乱状態になることやら・・カメラなど持たずひっそりどこかで見送ってあげようかとも真面目に考えてしまう・・(写真・文:TBlog_2009125

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2009年12月 2日 (水)

中央線界隈の想い出

随分前にこのサイトもEF15ネタで盛り上がっていましたが、小生は実家が阿佐ヶ谷であったので、EF15よりは(八王子の)EF13の方が断然好きでした。皆様よくご存じのとおり、EF13のボディーは旧EF58のモノを載せ換えた訳ですから、そういう面からもEF13の武骨な姿は何か親しみがありました。その昔は冬期に暖房車(マヌ34)に飯田町の旧客を従え、茶色のボディーに吊りかけのモーター音を響かせながら走っていたのをよく見かけたものです。これは、1978年(昭和53年)3月頃のEF1313(八)の牽引する12系団臨の回送を吉祥寺で狙ったもの。地元阿佐ヶ谷でも緩行ホームからよく狙いましたが、吉祥寺のホームもSカーブっぽくて好きな場所のひとつでした。今の時代から考えれば白黒で撮っていたなんてもったいないような気がしますが、こうして改めて画像にして眺めてみると、かえって昭和の匂いが伝わってくる気がします。私もUさん同様、団臨ばかり撮っていた「偏食児」でしたが、幸いこの前後のコマには、101系非冷房の快速、クモニ13の荷電、クモニ83を従えた115系普通電車、クハ+クモハから始まるデカ目16512連急行「アルプス」なんてのがゾロゾロ写っていて、思わずウルウルきそうです・・本当に古き良き時代でした。小学校の頃から自転車で、西荻のニットー教材、三鷹のトリオ商会といったHOゲージやそのパーツも豊富に扱っていた模型屋にもよく通ったものですが、両店とも今はないようで、こちらも悲しい限りです・・・(写真・文:TBlog_2009122

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