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2009年8月 5日 (水)

某Iさんとの「紀伊」撮影行

7月28日のブログに新宮~三輪崎で撮影したDF50牽引の「紀伊」をアップしたら、某Iさんからコメントをいただいた。このときではないが一緒に「紀伊」を写したことがあるとのご指摘。私もよく覚えております。

それは1978年9月のこと。
大学の夏休みを利用して父の単身赴任先である福岡へ行く途中、恒例となっている和歌山の親戚宅に1週間ほどおじゃました。もうすぐ新宮まで電化が完成する紀勢本線でEF58やEF15がDF50と組んで盛んに試運転を繰り返していた当時だ。
その頃、われわれは管理局報なる国鉄の現場に配られる文書を見て、団体列車や機関車の臨時運用を調べ、変わった編成や重連となる列車などを中心に撮っていた。特に広島や下関のEF58は定期運用で上京してこなかったから、「局報」の情報は重要だった。
そんなことが習慣化し、紀勢本線に行った私も現地で局報を繰って見つけたのが「紀伊」の重連運転日だったのだ。
DF50単機の「紀伊」なら大して興味もないが、重連となると話は別。そんな情報を仲間に連絡し、わざわざすっ飛んできたのが某Iさんだった。紀三井寺から「南紀」(当時はすでに「はやたま」に改称していたかもしれない)に乗車し、天王寺から乗ってきたIさんと車内で待ち合わせた。

さて翌朝。早朝の新宮駅に降り立った我々は鵜殿寄りの熊野川にかかる鉄橋で重連「紀伊」を撮ろうと、天理教教会の敷地内でカメラを構えた。列車の斜め前から望遠レンズで引っ張るのが好きな我々としてはここはここで良しとして後刻、那智勝浦からの回送時にそういうアングルで決めようと期待をかけた。早朝にもかかわらず教会内は修行者でもいるのか、大きな太鼓の音が鳴り響いていたのが印象に残る。ちょっとおっかなびっくりの雰囲気ではあったが、朝日に映える熊野川鉄橋を見つめ「紀伊」の通過を待った。
ところがやって来た「紀伊」は単機。大いに落胆したことを思い出す。
大枚をはたいて東京からやって来たIさんにひじょうに申し訳ない思いでいっぱいになったが、彼がさっぱりと「こんなこともあるさ」と答えてくれたことがありがたかった。

その後、予定通り三輪崎の海岸で回送の「紀伊」を撮ったが、そんな話ももう31年も前のエピソードとなってしまった。今、あらためてこの写真を見ると、これはこれで良いカットではないかと思えるだけ年月は過ぎたというところか。
(写真・文 U)Photo

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