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2009年8月

2009年8月31日 (月)

旧友とともに・・(2)

さて、高崎線での朝練3本を撮り終え、今度は東北線へ転戦だ。今日は、8010レの運転日にもあたり北斗星とともに都合がよい。このポイントから車で20分、色々ロケハンした結果、写真のような久喜-東鷲宮間での撮影となった。天気も思いのほか良かったため、順光で撮れる東鷲宮の北側も考えたが、高架から降りてくる感じがY氏も気に入ったらしく、すんなりここで落ち着いてしまった。こうして写真にしてみると、電柱が多くて何かうるさい場所ですな。まあ、この後の行程を考えての妥協した場所ということで自分自身納得したのだが・・。ここで、8010レと2レを撮って、いよいよ北上、東北道久喜インターへ急いだ。続く・・  ( by  K )2009829_2_ef8178

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2009年8月30日 (日)

旧友とともに・・

お盆休み中、学生時代あちこち鉄で同行した旧友Y氏からいきなり連絡が入り、久々に何かやりたいとのリクエストを頂いた。彼は、普段は仕事や家庭サービスで目いっぱいらしく、鉄のテの字もないそうであるが、今はまだ夏休み、家族が留守を幸いに連絡をくれたのだ。喜ばしいことである。嬉しいことである。今となっては、年に1~2回は出会えるものの、鉄チャンとなると時間が中々合わなかったのだ。でそんな中、昨日私自ら撮影行程を計画し決行するに至った。

まずは、朝練の3本を狙いに高崎線を目指した。そろそろシーズンオフとなりつつある朝練ではあるが、今回Y氏唯一の希望であったので、これだけは外せない。今回は後行程のことも考えて、桶川-北本間で狙うことにした。この区間は初めて行くポイントであったが、早朝の撮影は中々難しく感じた。おそらく朝日が綺麗に当たる箇所は無さそうなのだ。しかし、ところどころ線路間の障害物(タイガーロープ)のない箇所が散見され、ならばと、ワンパ側に移動し望遠レンズで狙ってみた。2009829_2022_ef641052

北本の雑木林を高速で抜ける2022列車。今朝は1000番台あっさり顔の1052号機であった。この時間になると、やっと朝日も力強さを増してカマの前面をうっすら焼いてくれた。続く・・・( by K )

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EF6466牽引の「みやび」

ここのところEF64が注目されているようなので、流れにのってみます。

1982年に就職して直後の勤務地はEF58が最後の活躍をしていた東海道本線の「静岡」。3年勤務し、EF62への荷物列車置き換えやブルトレのEF66への転換を見届けてから、新潟県の高田市(現・上越市)に転勤しました。花の東海道線沿線から信越本線・北陸本線への異動で、さて何か撮るものあるのかな…との心配は杞憂に終わり、EF62重連の貨物や、このころから活発になった一連の「シュプール号」、その中でも毎週末EF6466牽引のユーロライナーなど豊富な被写体に東奔西走していました。EF6466のシュプールユーロ赤倉は、間違いなくこの世界で私が一番(数は)撮っていると自負しています。

そんな中、関西から「みやび」というお座敷列車が篠ノ井線に入るということで出動しました。

あまり行ったことのない線なので、以前ここでも話題になった交友社刊の「電気機関車快走」のP58の写真を見て一度は行ってみたいと思っていた「羽尾信号所」を目指しました。確かAさんとご一緒だったと思います。

気持ちの良い天気の中、羽尾信号所は「電気機関車快走」の見本写真とほぼ同じ佇まいで残っており、このような写真が撮れました。

この1年もしない後に「みやび」は事故に遭ってしいましたので、わたしはこの時にしか撮っていません。そして散々撮った66号機もすでに無いんですね。そんな中で37号機や38号機が寝台特急をヘッドマーク付けて活躍していると聞くと少し複雑な気持ちです。

(写真・文:K.M.)

1986年4月13日 9814列車 篠ノ井線 羽尾信号所にて

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2009年8月29日 (土)

EF64 1030

H.T.さん、バリバリやってますね。

実は今、ある媒体でEF64の記事をまとめる作業をしていまして、その関係で自分で過去に撮った写真を整理していたのですが、同じEF64 1030の、新製から間もない頃のポジを発掘しました。

1982年3月、上越線の井野での撮影です。本機は1981年9月の新製ですから、それからわずか半年後だったことになります。ついこの間のことだと思っていたのですが、もう四半世紀以上が経過してますね。当時から現在に至るまでずっと、この機関車の配置は長岡だというのが凄いです。 写真・文:YM

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朝練

昨日・今日と、夜明け前から雲もなく文句なく晴れわたっていたので、迷わず朝練してきた。(とは言っても、昨日は当然会社もあるので車は使えず、初電で出撃し、何食わぬ顔で通常通り出社したが・・) 「あけぼの」も、朝日を受けた走りが撮れるのも、そろそろ大宮以南でも限界が近づいているのかもしれない。

今日は、EF8181の団臨もついでに待っていたが、見事に「被って」撃沈! さて、「被り」と言えば、動画サイトのYou Tubeに「米神の悲劇」という作品がアップされているが、諸兄らはご覧になったことがあるであろうか?ご存じ早川~根府川の米神のSカーブでの上り「富士・はやぶさ」9002レ最終日の光景だが、そもそもブルトレ最終日の涙雨というか、まだまだ寒かったあの台風並みの風と豪雨の中、有名撮影地ということもあって恐らく前の晩から場所取りし、その上大幅な遅延でもじっと待ち続け、やっと66の汽笛がきて、「よしキタ~」という最高の盛り上がりの中、残酷にも背後から185が・・・ただ無情にも客車だけが目の前を通り過ぎてゆく・・・世間の人が見たらなんともない光景だが、「あの日」を知る我々同業者にとっては何とも言えない悲哀を感じるものがある・・最後の「ザ・ケンナヨ~」の声が全てを物語っている。(写真・文:H.T.

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2009年8月28日 (金)

EF58x2+EF66の三重連

UさんのEF66重連を見て、ふと思い出しました。確か秋の季節に「みかん臨」と称した臨時貨物列車の設定でEF66の重連があったことを。あのころ(70年代後半~80年代前半)はこんな愛称を付けた(勝手に?)ありました。「高尾臨」や「成田臨」「鎌倉臨」はたまた「相撲臨」なんていうのも懐かしいですね。もちろんみんな客車列車です。電車だったら愛称なんて付かないですから。

そしてEF66で思い出しましたが、この「みかん臨」が運転されると表題の三重連が走ったことを。汐留までの上りのみかん臨と荷35を牽引するための品川ー汐留の重連単機回送が一緒に運転されて、単区間ではあるもののEF58(浜)+EF58(宮)+EF66の3重連が貨物列車を牽引する光景が見られました。確か1977年秋のことだったと思います。大した写真は撮れてませんが、恥ずかしながらの証拠写真程度を1枚アップしてみます。

列車番号は「単134」という記録はありますが、私にしては珍しく日付の記録の無い写真です。

(写真・文:K.M.)

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2009年8月27日 (木)

晩年の碓氷峠で

特に好きな機関車ではなかったが、碓氷峠のEF63は撮る機会が多かった。会社の保養所が軽井沢にあって、家族でそこを利用したときに撮影する機会があったからだ。
冬はスキー、夏はテニスと年に2、3回は行くことがあり、テニスやスキーの合間に家族は駅前のアウトレットに行きたがる。こちらはあまり衣類などに興味がないから、家族がそこを見ている間、横軽を撮影して時間を潰すというパターンが多かった。
そんな中、長野新幹線ができたら横軽のEF63が消滅すると決まって、一度ぐらいは冬の(冬の方が雪があったりして絵になったはず)軽井沢の駅でバルブ撮影でもやってみようかと思っていたが、あまり好きな機関車ではなかったから冬の寒いときに保養所を抜け出すに至らなかった。

そうこうしているうちに97年を迎え、ファンばかりではなく一般の方々からも注目が集まってくると、さすがの自分も客車列車が運転され、「見た目3重連」の列車をカラーで一枚ぐらいおさえておきたくなった(モノクロは何回か撮影したことがある)。
それで撮影したのがこの写真。横軽が廃止となる97年5月のこと。家族とともにゴールデンウィークを利用して保養所に行き、ファンだらけの横川付近で撮影した。
この頃、茶色に塗装されたEF63も数両活躍していたが、こういう列車の時は一般色の方がふさわしく見え、それを狙って撮影計画を立てた記憶がある。

(写真、文 U)
Photo

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旅行から帰って…。次は総選挙

昨夜遅く、沖縄旅行から帰った。
鉄道のないところでのんびり過ごした4日間で、きょう26日も旅行の疲れを癒すことにして一日休みを取った。明日からは仕事に復帰し、今週末に控えた大仕事、総選挙に忙殺されることになる。きっと民主党が政権を取ることになるだろうが、その政権移行時期もかなりハードな日々になることだろう。

それにしても政見放送や街頭演説で立候補者の話を聞くが、どうしてどいつもこいつも皆同じような内容なのか。いままでだって選挙のたびに同じことを繰り返しながら、ほとんど実現できなかったくせに、この期に及んでも新しい観点やもっと実現に向けた具体策などについて踏み込んでいない。選挙活動期の毎度おなじみ、おためごかしの大風呂敷と感じてしまう。財源の話になると「無駄遣いの是正」ばかりを口にするが、それだけで夢のような「子ども手当」やら雇用の確保ができるわけもない。あえて言うなら派遣労働者が首を切られることは、ある意味仕方がないことだと本当は分かっていながら、選挙の時だけそのことに口をふさいでいる政治家に強い欺瞞を感じる。もともと派遣労働者は経営者にとっていつでも首切りできる労働力として導入されたはずなのに、いつのまにかその本来の意味が消滅し、「終身雇用」をしなければいけないような風潮にすり替えられてしまった。そのおかげでまじめに働き、転勤なども覚悟して入社した正社員がそのあおりを食うなどといった矛盾にさらされている。責任感の薄い非正規社員をそこまで税金で優遇する必要を少なくとも私は感じない。口汚く言えば「使い捨てる」ことが可能だったからこそ派遣労働者のメリットがあるはずだ。賃金の差などあって当然だと考える人間の方が実は多いのではないか?

それに加えて勢いに乗る民主党から出馬する新人候補者などは小泉チルドレンの頃の連中とダブって見えてしまい、披露される抱負が生徒会長選挙のような幼さがにじみ出ているように思う。だんだん民主党のうすっぺらなところが目につきだした。こうなれば「清き棄権」が自らの意思表示になるのかもしれない。

あくの強い意見であることは重々承知で述べさせていただいた。

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さて、今回はかつて品川で撮影したマンモス電機EF66重連の貨物列車。1978年2月16日の撮影。この頃はこの列車(列車番号不詳)、汐留~新鶴見で重連となることが多かった。マンモス電機の重連だったが荷物の35列車出発後とあって、居残って撮影するファンは少なかったのは案外、知られていなかったせいかもしれない。

旅行中、仲間皆様のお力でブログを日々更新されていたことに感謝!

(文、写真 U)

Ef66

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2009年8月26日 (水)

航空自衛隊那覇基地

4日間の沖縄旅行は今日が最後。前回、コンパクトデジカメでしか撮影できなかった航空自衛隊那覇基地保存のF104を撮影しようと、沖縄入り初日に現地へ行ったら今回新たにF4ファントムが保存されていた。
敷地外から背伸びして撮影しようとしたが一番奥に展示されていたため撮ることができず、帰る当日に時間があったから「ゆいレール」車内から撮影を試みた。

アップする写真は自分自身のブログにも載せたものだが、これで当基地にはF86から3代の主力戦闘機が保存されたことになる。
「ゆいレール」上から見ると、まるでプラモデル屋さんの陳列ケースを眺めるごとき光景だ。

それにしてもF4、搭載するミサイルがないとなんだか物足りなく感じる。

(写真、文 U)Photo

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2009年8月25日 (火)

山貨の目白駅

YMさん、山貨は私たちの日常のホームグラウンドでした。今から思えばすばらしい撮影地が数多くありましたね。例の五反田の池上線ホームも、私は行かなかったことを後悔してますが、そのほかにも「当たり前」のように通った、名撮影地も、今はその面影もないんでしょうね。

写真は、そう誰でも知ってる「目白」です。ここは南行(上り)が綺麗に撮れ、かつ絶対にカブリが無いので、このほかにもEF5861の20系(回1540)なんかを撮りました。北行(下り)は多少電柱が入りますが、フルムーンのときのEF5861のお召しはここでやりました。ちょっと線路の中に入って三脚立てても(無論本線ではありませんが)、気をつけなよ~とのやさしい警官の隣で撮らせてもらいました。

(写真・文:K.M.)

1979年12月18日 9740列車 EF5890(高二)+長野のお座敷列車@目白

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2009年8月24日 (月)

山手貨物線の撮影地 その2

山手貨物線の荷1032列車を撮るようになって、前回投稿した五反田以外にも、いくつかの撮影場所を見つけました。今回は、渋谷です。牽引機はEF58 89。まさか、後年茶色塗装のスターになるとは・・・(茶色のなった同機は、一度も見たことも撮ったこともありません)。

撮影時期は昭和54年春頃。山手線外回りのホームから、こんな風に撮れたんです。信号機やボックスなど、目障りなものはありますが、いい感じでカーブし、しかも順光なので結構気に入っていました。 写真・文:YM

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2009年8月23日 (日)

EF64に想う

今でこそ寝台特急牽引で日夜注目のEF64ではあるが、少し前までは、大変地味な機関車であったように思う。電機は、やはり幹線を突っ走るEF65・EF66がメインであり、EF64は、その影に隠れ「山男ロクヨン」と呼ばれたように、勾配区間を黙々と走るイメージが私の中にはあった。だからこそ、幹線の機関車とは違う、そのひたむきさ、力強さに心引かれてしまいあちこち出かけるようになった。

写真は、早春の長坂を行く和式客車を引くEF64。もう小淵沢も近いと中央線は高い山々に囲まれ、勾配も25‰の連続で何キロも続き、山男ロクヨンと言えども苦戦を強いられる。速度も一気に落ち独特なブロア音が響きわたり、地面を噛み締めるかのように通過して行った。2005327_9421_ef64_39_bro(写真・文 by K )

2005-3-27  9421レ  EF6439 長坂-小淵沢にて  この日は甲斐駒ケ岳をはじめ南アルプス連峰が大変綺麗な一日だった。やはりロクヨンは山の中の機関車なのだ。

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2009年8月22日 (土)

夢を見ていた頃・・

まだ鉄道車両にカメラを向けだして間もない頃、色々な雑誌に登場する根府川にどうしても行きたくなり、何もわからないまま、KTR井の頭の初電に乗った。大きな期待と少しの不安とともに、東海道線153系のBOXシートを陣取り窓を全開にして、しばしジョイント音やモーター音を楽しむ。保土ヶ谷を出て、ここからノッチが入るとか、MT46はMT54に比べて音が高く軽い感じとか、はたまた、ロングレール化がどこからどこまで進んだとか・・今でこそ、車でしか出かけなくなってしまったが、こうして昔を思い出してみると、撮影に行く前の道中の鉄道とのかかわりも楽しかった。

現地に無事到着し、写真と同じ鉄橋(当たり前!)に感動して、夢中でシャッターを切ったことを懐かしく思い出す。天気の良い日曜日にもかかわらず、2~3人の同業者でのんびりしたものだったが、この時、一人のベテランのカメラマンに声をかけられ、色々お話をさせて頂き、最後に名刺まで頂だいて初めて、この方が雑誌で活躍されているA氏とわかったときは、本当に驚きであった。当時写真で求めるものは、自分と違うとは感じていたが、その温和なお人柄に心打たれ、今でも尊敬している先輩の一人である。掲載する写真は、ブルトレ軍団トップで上ってくる10レ「あさかぜ2号」。父親のニコンFに200ミリを付けて望遠で狙っている。しかも、フィルターにサニークロスが装着されているようだ。自分で撮っていてはっきり覚えてはいないが、当時僕等の仲間うちでは流行っていたクロスフィルター、今ではあまり見かけなくなってしまったな。フィルムも周りの影響で、イルフォードHP4とかいうフィルムを使用。なんだか粒子が目立って汚らしい。しかし、久しぶりに見ると、やはりブルトレは、20系に限る。そしてEF65Pも後に色々撮影の機会があったが、マーク付きブルトレ牽引が最もお似合いであることを再認識した。1975930_10_bro_2 (写真・文 by  K )                                     

1975-9-30     10レ EF65512     NikonFTN  Nikkor200mmF4  ILFORD HP4  根府川

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2009年8月21日 (金)

32年前の長岡駅バルブ撮影

明日から毎年恒例の沖縄旅行。今年は初めて本島に滞在する。離島の方が魅力的ではあるが、那覇で飛行機を乗り継いだり船に乗り換えたりするのは面倒だ。
そういうわけで明日からしばらくブログの更新は難しくなる。もちろんPCは持参するが滞在する部屋にLANがないかもしれず、PCが無用の長物となりかねない。KMさんやYMさんたちに更新をお願いしたい。

明日の出発が羽田発6時台なので今日は早めに帰宅した。車で家を出るのが5時と見込んでいて、「朝練」に慣れた僕にとってはどうって言うことのない時間だが、家族にとっては大変だろう。今夜のうちに準備を完了しなければならない。

ともあれやっと迎える夏休み。のんびり過ごしてこようと思う。

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最近、「北陸」「あけぼの」狙いで長岡駅でのバルブ撮影に入れ込んでいたが、古いネガを見ていたら32年前に長岡駅でバルブ撮影をやっていたことを思い出した。
写真は1977年8月撮影。黄色と朱色の旧型電車が健在で、バックの上越新幹線工事もたけなわだった。この頃の長岡駅は夜行列車の本数もいまよりも多く、24時間立ち入り可能だったと記憶している。

(写真、文 U)Photo

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2009年8月20日 (木)

修学旅行用電車

このところ忙しく自分自身のブログも滞りがちだ。忙しいとそのストレスを発散させるために酒量も増えてしまうのが自分の弱点。昨日、一昨日も朝帰りだった。

このところKM氏やYM氏が精力的にブログをアップしてくださって、途切れることなく更新されているのはひじょうに心強い。加えてHT氏の鉄道撮影復帰という我々にとって超ド級の嬉しい報告もあり、近いうちに皆揃って撮影に繰り出したいなどと考えてしまう。
K氏の見つけた金谷川~松川のポイントで「北斗星」をやって、その足で磐越西線に回り、長岡でバルブというのはちょっと強行軍か?と思いつきで記してみたら、案外このプラン無駄がなさそうで良いかもしれない。9月に入ったら自分一人でも行ってみようかと真剣に考えてみよう。

キヤノンがデジタル一眼レフの新機種をまもなく発表するようだ。EOS50Dの後継機となる7D。1800画素で秒8コマの連続撮影が可能らしく、それが本当なら鉄道撮影には十分なスペック。それほど重くはないと予想されるが、50Dほどの大きさなら体力が落ちてきた私のような中年鉄チャンにはもってこい。フルサイズではないものの、EOSのレンズもほどほどに所有しているから真剣に導入を検討している。なおEOSの2桁機種はKiss系に継続され消滅するといううわさも聞いたことも付け加えておく。

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今日は78年夏に撮影した167系電車。修学旅行用の電車だが塗装もそのままで臨時列車に使用されていた。ブルートレイン撮影の合間にやって来たが、当時はクーラーもなく多くの窓が開いているのが分かる。

(写真、文 U)167

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2009年8月19日 (水)

荷1032列車

確かに当時、YMさんから池上線ホームから撮影が出来ると聞いていて、いつか行こうともいつつ、結局行かずじまいでした。こんなアングルですか・・・いいですね・・・この期に及んで一回でも行っておけばよかったと後悔しております。

私は高田馬場や原宿、恵比寿なんかでよく撮ってました。掲載の写真は1979年2月19日の荷1032列車@恵比寿のホームからです。スキャン時に番号が飛んじゃってますが庇つきの小窓の102号機で、オール茶色です。

実はこのスジのすぐあとに5472列車が設定されていました。ご存知EF15の重連運用です。EF15好きのYMさんは、やはり「EF15とのセット」も魅力だったんではないでしょうか。

ちなみにこの102号機のこの日、この後の5472列車はEF15の単機牽引でした。でも4号機だったので満足だったんだと思いますが。

(写真・文:K.M.)

1979年2月19日 荷1032列車 EF58102 @恵比寿

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2009年8月18日 (火)

山手貨物線の撮影地

昭和53年10月のダイヤ改正で、山手貨物線に荷1032列車という、宇都宮運転所のEF58が牽引する荷物列車が新設されました。運転区間は隅田川~横浜羽沢だったと思います。それまで、隅田川~品川間にあったEF15牽引の荷2935列車がこれに移管されたのでした。

それまで僕は、EF58をほとんど撮ってなく、皆様とのEF58の話題にもなかなかついてない状態でした。そこで、EF58で何か得意分野を持つべく、この荷1032列車は真剣に撮ってみようと思ったのであります。

投稿するのは、EF58 152牽引の荷1032列車。茶色のみの8連の編成が良いです。五反田の、東急池上線のホームから撮影しました。うまい具合に、手前の方の架線柱が1本、複線の内側にあるので、機関車の部分に障害物がありません。この写真の時は曇っていましたが、晴れたら順光です。池上線が休日ダイヤの日は、ちょうど荷1032列車の通過と同時に電車が入線して撮れないのですが、平日ダイヤならOKでした。

確か、昭和55年10月の改正あたりで、この荷1032列車は編成が短くなってしまったと記憶しています。それまでの2年間、何度もこの池上線のホームで撮影しました。なかなか良い撮影場所だと思っていたのですが、そこで同行の方に会ったことは一度もありませんでした。今は、山手貨物線の線路脇にビルが建ち、このアングルでの撮影はできません。 (写真・文:YM)

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2009年8月17日 (月)

珍しい「普通」の飛行機(エア・リンガスのトライスター):L1011その(3)

「特別塗装」なるものは、鉄道でも飛行機でも一時(今も)はやってますね。今は何でしょうか、EF8195とかEF651118とか、私も普通の塗装の機関車よりは少しは写欲がそそられるのは確かです。

でも、逆に普通の塗装が普通ではあり得ないものに施されていたらどうでしょうか。それも「必然性」があっての。。。

飛行機では季節的な需要の変動から、ある期間だけ機材を借りてくるケースが結構あります・・というか日常茶飯事といってもいいかもしれません。いつもその会社が使ってる同じ機種ならまあいいんですが、普通は使ってない機種、それも比較的少数派の機種で、かつ短期間、そしてそれがあたかもその航空会社のものであるかのような塗装をまとっていたら、これはマニアとしては見逃せません。

写真はエア・リンガスというアイルランドの航空会社がリースしたロッキード・トライスター、L1011のフルカラーです。エア・リンガスはこの頃、トライスターを借りていることは結構あったんですが、このフルカラーとなったのは非常に珍しいことです。たった2ヶ月ほど運航するために、この大きな機体の塗装を全部塗るんですから結構大変なことです。

私はこれを撮るためだけにダブリン空港まで日帰りしました(ロンドンからですが)。1997年の夏のことです。

某Iさん、Aさん、いかがですか? 

(写真・文:K.M.)

1997年7月13日 アイルランド・ダブリン空港にて。 G-BBAF

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2009年8月16日 (日)

試運転

Uさんはじめ皆様ご無沙汰でございます。当ブログからはいつも皆様の元気とパワーを頂戴しております。

Uさんからご案内を頂戴していながら、ブログへの投稿方法もよく要領を得ず、皆様方の懐かしい写真等をただ指をくわえて拝見させて頂くだけでしたが、試行錯誤の上、末席を汚すべく試運転として初投稿させて頂きます。

私の場合、1993年から2000年にNYに仕事で行っていたため、日本でお召が走ろうが、ロクイチが走ろうが日系書店経由で購入した月刊誌を眺め、「どうせ撮れないもの」と自らの気持ちを抑え込んできましたが、そのうち本当に不感症になり、帰国後もイベント等に集まるマニアの多さに嫌気がさし、鉄道からは遠ざかっておりました。しかし、やはり東海道筋のブルトレ全廃を機に、東神奈川でK大鉄研の大先輩であるD氏にお逢いしてから、Uさんのブログも相まって昔懐かしい「鉄」の血が蘇り、暇をみつけてはちょくちょくボロカメラを手にマイペースで撮り鉄を再開しております。

特に、家の前の常磐線を走っているがあまり、当たり前過ぎて全く撮影意欲の湧かなかった81なんかも、余命短しとなってくれば最近は気が向くとカメラを向けるようにしております。 また、81号機が2レの運用に入る土・日には、仕事さえ入っていなければなんとか早起きするようにしています。・・・ということで、ここのところ連日運用に入っている81-81目当てに、昨日も朝3時半起床で出撃しましたが、K氏も金谷川で撮っておられるとは・・・

とりあえず、ゴハチにも何の関係もない平凡な写真で申し訳ないのですが、81繋がりで近況報告ということで、ご容赦ください。

また、お邪魔にならない程度にたまには寄らせて頂きたいと思っております。 (写真・文: H.T.)

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今年の夏

夏休みも最終日を迎えた。

今年の休みはいつになく天気にも恵まれず、撮影も思うようにいかなかった。先週末に岐阜から福井まで周り、雷鳥やら、日本海・トワイライト等を狙いに行ったが、やはり雨にたたられた。おまけに、高速割引を甘く見ていたため、とんでもない渋滞にはまり、それだけで精魂尽きてしまった・・・

まあ今年は私にとって公私とも試練の年のようで、「こんなもんか・・」なんて半ば悟ってしまうが、自分の立ち位置を考えこの仲間たちを誇りに思い、今は少しでも前進しなければいけないんだ、と自分に問いかけている。

で、こんなモヤモヤを晴らすべく、昨日東北福島を目指した。目的は、583系を使った夏休みの多客臨(東北縦貫号)。せっかくだから、北斗星とカシオペアもということになる。予報では、北から高気圧に覆われると言っていたが果たして夜明けから晴れるだろうか。結果は、掲載写真の通り日の出から眩しい太陽が顔を出した。しかし日差しは強いものの、もう秋の風を感じる。虫の声こそ聞けないが、さわやかな高原の空気といった感じ。今まで何度となくここへ足を運んだが、中々天気に恵まれなかっただけにいつになく気分が高揚してしまう。あれこれ考えて、結局望遠で引っ張ってしまった。暗闇から飛び出し、スポットライトを浴びたイメージにしたかったが・・・思いもつかなかった81号機というおまけ付きということでご勘弁。あっ!目的の583系は、またの機会に。(写真・文 by K )2009815_2ef8181bro

2009-8-15  松川-金谷川にて

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2009年8月15日 (土)

EF58150のイベント列車

今日は久しぶりにゴハチの話。

国鉄がJRに移行した1987年当時、私は大阪に赴任していた。現地在任は83年からで、この年の6月に東京に戻ったが、この間さまざまなことがあった。代表的なのはグリコ森永事件や豊田商事の永野会長殺害事件、朝日新聞阪神支局襲撃事件などで、関西らしいと言えばらしい事件が相次いだものだ。
そんな4年間だったが趣味の鉄道撮影からは少し距離を置いた。新婚だったが意識的にそうしたわけではなく他に車や食べ歩き、釣り、テニスなど鉄道以外の遊びにも時間を取られるようになったからだ。

そうした中、国鉄の最後に当たり各地でさまざまなイベントが催され、関西でも3月28日と29日、茶色塗装となった宮原機関区のEF58150が復活した展望客車を牽く「すきやねん国鉄 ご愛顧感謝号」なる臨時列車が京都~姫路間を一日一往復走った。
JR化を前に怒濤のように繰り返されるイベントに辟易していた私だったが、宿直明けだったことと住んでいたのが西宮だったということもあって両日とも久しぶりに撮影に出掛けた。大勢のファンの中で撮るのが嫌だったから、1回はたしか西宮のビール工場脇に撮影ポイントを見つけ一人だけで撮影したと記憶しているが、2回目は明石~須磨の有名ポイントへ行った。

今回アップするのは明石~須磨でとらえたもの。
実はこの時に初めてコダクローム200を使用した。やはり64と比較すると粒子の粗いのが分かるが、鉄道撮影に少しずつ興味を失っていた頃だから、こういう〝冒険〟ができたのだろう。
大窓のゴハチでなければ、いくら茶色塗装でも当時の自分はそんな扱いだった。その150号機もどうやら梅小路蒸気機関車館に隣接する場所に建設されるJR西日本の鉄道博物館行きになりそうな気配だと、同業他社の鉄道好きから一昨日聞かされた。ちなみにこの運転以来、150号機の姿は影も形も見ていない。
(写真、文 U)
Ef58150

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2009年8月14日 (金)

峠の機関車:西・東(EF59&EF63)

イベント列車や撮影会が盛んになり始めたころ、いわゆる峠の機関車とかシェルパと呼ばれる「西のEF59]と「東のEF63」を一緒に撮る機会がありました。

EF59に関してはちょっと思い出があります。高校のころにEF59やEF58を撮りに初めて広島方面に行ったとき、最初に東広島で列車の中から見たEF59が13号機でした。

そのあと瀬野に行き、機関区を見学(当時は歓迎してくれました)、セノハチで撮影し、その数年後も何回かセノハチには通いました。当然、全24機を撮影してるはずなんですが、なんでか最後までたった1機、撮影できずに終わったカマがありました。それが13号機です。おそらくはじめに見たときは工場への入場かなんかで東広島に置いてあって、私の撮影中は瀬野から離れていて、その後通ったときも「縁が無かった」のだろうと思います。UさんのDF50のトップナンバーのように縁のある機関車もあれば、出会えずに終わるものもあります。ひとそれぞれいくつかはそんな思い出があるのではないでしょうか。

今は、EF59全24機は「見た」ということで整理はしてますが、やはりちょっと残念です。

(写真・文:K.M.)

1984年8月26日 浜松機関区にて撮影。

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2009年8月13日 (木)

高知機関区に並ぶDF50

なおもDF50ネタが続く。

78年の春休みに訪れた高知機関区。このときは同機関区で機関士をされていたK岡氏に案内していただいた。キネマ旬報「蒸気機関車」誌の読者欄で知り合い、SLやDLの写真を交換していた宇和島のO氏の紹介だった。そのK氏には車に乗せていただき新改のスイッチバックなどに連れて行っていただいて、ひじょうに効率の良い撮影ができたことを記憶している。そしてさらに同氏宅で夕食をごちそうになったうえ、泊めてまでいただいた。

高知機関区は石灰石輸送(だったと記憶している)の貨物列車に充当されるDF50が多数配置されていて、高松から遠征してくるDF50と合わせるとその密度はとても高かった。まだ扇型車庫が残っていて、ターンテーブルを囲んで並ぶDFの姿はなかなか壮観だった。
とにかく「機関区」といっても広さはそうでもなく、こぢんまりとまとまって模型のレイアウトにはうってつけの雰囲気だったことを思い出す。
このときが3度目の訪問で、一度目は祖父に連れられまだ蒸気機関車が現役だった頃のはずだが、写真は残っているものの記憶がほとんどない。2度目は中学時代。まだ試作型DLのDF91が解体前で、やはりターンテーブル回りの留置線に置かれていたのを撮影した。

K氏宅でさまざまな写真を拝見したが、さすがに職場だけあってDF91やDF50の1号機の形式写真など素晴らしいアングルで撮られていて、私の写真など足下にも及ばないのを痛感させられた。
その後、K氏とは数回やりとりをしたもののこちらの無精で音信が途絶えてしまった。きっと今、健在なら80才近いのではないだろうか。きれいな娘さんがいらして高知訪問直後に上京されたときお会いしたが、こちらも幸せになっただろうか。当時の私は今で言う「オタク」だったのだろう、異性に関してあまり関心がなくガツガツと写真ばかり撮り歩いていたものだが、泊めてもらって同じ屋根の下にこの美しい娘さんが寝ていることを意識した記憶だけはしっかり覚えている。

就職してからも何度か高知へ行ったがK氏はすでに退職され、娘さんはおろかご本人ともお会いする機会はもてなかった。

(写真、文 U)
Photo

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2009年8月12日 (水)

多度津駅構内のDF501

DF50ネタは続く。
前回のブログの写真を撮る前、多度津駅構内で撮影したDF501号機。
全検出場直後でまだピカピカだが、さすがに金属の地肌はツルツルとまでいかない。長年の疲れがしみ出ているのを感じる。

四国型の特徴としては前面の強化があげられる。この1号機もナンバー付近およびそのすぐ下が分厚くなっていて、踏切事故対策の処置がなされている。この改造は四国の気動車の一部にも見られたが、この凹凸感はなかなかヘビーデューティーにも映り僕は決して嫌いではない。

鉄道模型でDF50は天賞堂、カツミと購入したが、決定版はムサシノ製。スノープロー装備の山陰型507号機を購入したが、経済的余裕があったら紀勢本線でお召し列車を牽いたことのある26号機も欲しかった。
ムサシノモデルではこの後、試作型DF50の発売を予定していたが、その後どうなったのであろうか。1号機や4号機がプロトタイプとしているようだが、正直どちらも欲しい。
一日も早い製品化を期待するばかりだ。(写真、文 U)
Df501

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2009年8月11日 (火)

全検出場直後のDF501

EF58は我々の仲間の共通のターゲットだったが、私個人としては他にDF50も好きだった。蒸気機関車が消える前からDF50は紀勢本線や山陰本線で見かけなじみ深い車両だったし、鉄道模型でも購入した。
九州のDF50はヘッドマークが付くように貫通扉のフックが改造されているのと、運転室窓のHゴムが黒くて自分好みではなかったから一切、写真を撮りにも行かなかったが前述のように山陰、紀勢と四国には何度も撮影に行ったものだ。

その中で初期の試作型は亀山区に集中していたが、トップナンバーだけは四国でポツリ1両活躍していた。
初めて撮影したのは78年3月。高松運転所で止まっていたのをじっくり撮影する機会に恵まれた。その後、広島や九州への旅行途中に寄る都度、運用など知らないのに必ずめぐり会えたが、最初から1号機を狙って四国を訪れたのは80年4月のこと。多度津工場から全般検査出場直後のきれいな状態で定期旅客列車の先頭に連結され、配置区の高松運転所へ回送されるのを撮りに行ったのが最初で最後だ。
畏友H氏の情報で旅先の九州から四国へ飛び多度津構内で形式写真撮影後、ただ一カ所だけ順光になる讃岐府中付近でキャッチした。
これはそのときの写真。ブローニーのモノクロと35ミリのKRで撮影したが、大阪の知り合いも数名来ていて楽しい撮影だったことを覚えている

その後の1号機との邂逅は2回。大学卒業間近の旅行で松山に行ったときに偶然、駅構内に止まっていてバルブ撮影したことと、社会人になって大阪に転勤し、高松高裁に仕事で行ったとき、時間が余って多度津構内の跨線橋で貨物列車を撮影した折に、これまた偶然やって来た。
やがて数年して四国からDF50は消え1号機はお別れ運転などで使用されたようだが、撮影に行くことはなかった。
私とDF501との出会いは6回ほど。このうち5回はたまたまであったが、こんなことからひじょうに相性の良い機関車だったと思っている。
(写真、文 U)
Df501

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2009年8月10日 (月)

団体臨時列車を牽くEF5861

1980年前後、東京機関区には10両のEF58が配置されていましたが、本当の意味での定期運用はなしという状態だったと思います。尾久ー品川間(当時は上野・神田経由)の回1940~回1943列車や「創臨」といわれる富士宮方面の12系客車列車はほぼ連日の運用でしたが、「定期」ではありませんでした。

ということで運用のほとんどは「団臨」や新製客車・気動車の回送となっており、ロクイチもおそらく一月のうち20日位は何らかの形で稼動していたのではないでしょうか。

写真は品川にお座敷客車が配置され、その初運用に充当されたEF5861です。前日までは静岡方面の臨時運用(5555記念号=昭和55年5月5日に沼津のお座敷列車をヘッドマーク付きで運転)に入って5月6日の午後に結構汚れた感じで東京機関区に帰区しましたが、この日はピカピカにワックスかけられての登場になりました。おそらく品川座敷の初運用で磨き上げられたのだと思います。

この列車、東京から金谷までロクイチ、そのあとは大井川鉄道に入線しC56+C11の重連で千頭まで行っています。

撮影地はご存知「新子安」ですが、今では撮れないアングルですね。まあ時効ということで。

(写真・文:K.M.)

1980年5月7日 8103列車(東京区臨A122) 新子安にて

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2009年8月 9日 (日)

絵葉書的写真

1980年3月10日、EF5861は通常業務の「創臨」の運用で身延線への入線が予定されてました。私は丁度この日から四国方面へDF50、広島方面にEF58の撮影に行くことになっていましたが、天気予報も「快晴」であったので「竪堀」に寄ってから行くこととしました。

Uさんと一緒に根府川でちょっと撮影をしてから竪堀に向かい、無事にロクイチの撮影を終えたあとにこの旧型国電のカットを撮りました。そのときは何気なく撮ってますが、今となってはなかなか良い作品だと思います。この場所は今はどうなっているのでしょうか?

(写真・文:K.M.)

1980年3月10日 身延線 竪堀にて

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2009年8月 8日 (土)

正統派ロクイチ(EF5861)お召し列車

日の丸二本交差の最後の正統派EF5861のお召し列車です。場所はご存知蒲須坂ですが、私は踏み切りの脇に三脚立てての撮影でした。旗に反射した輝く「61」の文字にも感激でした。

1984年9月27日のことでした。

(写真・文:K.M.)

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2009年8月 7日 (金)

ロッキード・トライスター L1011 その2

すみません、また飛行機です。

でもわざわざこの機体を南アフリカのヨハネスブルグ空港まで行って撮ってきました。

2日間滞在しましたが、空港からは離れることなく、撮影に徹しました。

1996年ごろです。

(写真:K.M.)

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2009年8月 6日 (木)

某Iさん・紀勢シリーズ

さすが某Iさん、並外れた行動力と抜群のカメラワークは昔からかわりませんね。

かくいうわたくしK.M.も、よく某Iさんと撮影に行った・・というより連れて行ってもらったものです。

この写真、どこかで見たことがあるかたも多いのではないかと思います。私は某Iさんのすぐ隣で、二人でこの写真を撮りました。

時は30年前の1979年5月、連休で紀勢線にゴハチを撮りに行こうと、2日の夜に東京発の新幹線171Aで名古屋に向かい、名古屋から夜行の905Dで紀勢線へ向かう行程で某Iさんと18:45に東京駅で待ち合わせをしました(と、手帳に記録があります)。

ところが171Aの出発間際になっても某Iさんは現れず、携帯電話など無いこの時代、私は已む無く一人で名古屋に向かいました。905D乗車の列に並んでいると、「よおっ」といつもの調子で現れた某Iさん、後続の173Aで追いかけてきたとのことでした。

その後3日間で12本のゴハチ牽引の客車列車を撮り、なんとそのうち11本が「大窓機」の牽引でした。まだ22号機も健在のころでしたので、その後有名になった66号機が来ても、ごく普通の感じでの撮影でした。在籍機の半数が大窓だったような記憶(22,40,43,66かな?)があります。

写真は5月5日撮影の43号機です。

(写真・文:K.M.)

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2009年8月 5日 (水)

某Iさんとの「紀伊」撮影行

7月28日のブログに新宮~三輪崎で撮影したDF50牽引の「紀伊」をアップしたら、某Iさんからコメントをいただいた。このときではないが一緒に「紀伊」を写したことがあるとのご指摘。私もよく覚えております。

それは1978年9月のこと。
大学の夏休みを利用して父の単身赴任先である福岡へ行く途中、恒例となっている和歌山の親戚宅に1週間ほどおじゃました。もうすぐ新宮まで電化が完成する紀勢本線でEF58やEF15がDF50と組んで盛んに試運転を繰り返していた当時だ。
その頃、われわれは管理局報なる国鉄の現場に配られる文書を見て、団体列車や機関車の臨時運用を調べ、変わった編成や重連となる列車などを中心に撮っていた。特に広島や下関のEF58は定期運用で上京してこなかったから、「局報」の情報は重要だった。
そんなことが習慣化し、紀勢本線に行った私も現地で局報を繰って見つけたのが「紀伊」の重連運転日だったのだ。
DF50単機の「紀伊」なら大して興味もないが、重連となると話は別。そんな情報を仲間に連絡し、わざわざすっ飛んできたのが某Iさんだった。紀三井寺から「南紀」(当時はすでに「はやたま」に改称していたかもしれない)に乗車し、天王寺から乗ってきたIさんと車内で待ち合わせた。

さて翌朝。早朝の新宮駅に降り立った我々は鵜殿寄りの熊野川にかかる鉄橋で重連「紀伊」を撮ろうと、天理教教会の敷地内でカメラを構えた。列車の斜め前から望遠レンズで引っ張るのが好きな我々としてはここはここで良しとして後刻、那智勝浦からの回送時にそういうアングルで決めようと期待をかけた。早朝にもかかわらず教会内は修行者でもいるのか、大きな太鼓の音が鳴り響いていたのが印象に残る。ちょっとおっかなびっくりの雰囲気ではあったが、朝日に映える熊野川鉄橋を見つめ「紀伊」の通過を待った。
ところがやって来た「紀伊」は単機。大いに落胆したことを思い出す。
大枚をはたいて東京からやって来たIさんにひじょうに申し訳ない思いでいっぱいになったが、彼がさっぱりと「こんなこともあるさ」と答えてくれたことがありがたかった。

その後、予定通り三輪崎の海岸で回送の「紀伊」を撮ったが、そんな話ももう31年も前のエピソードとなってしまった。今、あらためてこの写真を見ると、これはこれで良いカットではないかと思えるだけ年月は過ぎたというところか。
(写真・文 U)Photo

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2009年8月 4日 (火)

巨大蒸気機関車

先日、大型火室を持つバークシャーを紹介しましたが、世の中にはもっと上があります。今回お目にかけるのは、米国のユニオン・パシフィック鉄道が1941~44年に25両を投入した、ビッグボーイと呼ばれる蒸気機関車です。

この機関車、車輪配置4-8-8-4(車軸配置2DD2)の単式関節型(Simple Articulated)です。動輪直径は68インチ(1727mm)で、全長は40.5メートルもあります。そして、火室のサイズですが、火格子面積は13.96平方メートルです。米国の文献で、「ベッドルームの大きさの火室」と表現されているのを見たことがありますが、実に八畳間と同等の大きさなのであります。ちなみに、D52の火格子面積はたったの3.85平方メートルです。

さらにいくつかスペックを列挙すると、ボイラー圧力は21気圧、テンダーの容量は石炭が25.4トン(米国の単位では28トン)、水が95立方メートル、最高運転速度129kmです。

戦時中の貨物輸送用に設計されたのですが、大陸横断路線は距離長いので、ある程度速く走らないと、目的地までの到達時間(何日もかかる)が長くなり過ぎます。なので、こんな大きな機関車が、C62 17の最高速度記録よりも速く走れような、高速性能を持っているのであります。

残念ながら動態保存機はありませんが、製造25両中、8両が静態保存されています。僕はそのうちの6両を撮影したことがあり、残り2両です。

1枚目の写真は、コロラド州デンバーに保存されているものです。横がちに全景を入れて撮ろうと、持参した最短の28mmレンズで頑張り、かなりきわどいところで、どうにか全体が見える写真になりました。動輪直径1727mmというのを基準に、大きさを想像してみて下さい。

それでは、火室などんなふうになっているのでしょうか。というのを示したのが、2枚目の写真です。これは、ロサンゼルス郊外に保存してあるもので撮影したカットです。奥行きがD52の火室の2.5倍位あるのでしょうか。

文・写真:YM

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2009年8月 3日 (月)

EF59の4重連回送

1978年3月、瀬野駅構内の踏切で撮影したEF59の4重連単回。
春休みを利用して父の単身赴任先であった福岡へ行く途中、広島でEF58のブルトレを撮影するべく駅で徹夜し、朝になって向かった先が瀬野だった。
当時はいろいろな機関車を見て回ろうと、瀬野西トンネルや川上西トンネルなどの名撮影地には足を向けず、機関区のある瀬野駅で一台でも多くの機関車を撮ろうと躍起になっていた時期だ。EF61200番台などが機関区構内には留置されていたが、まだ試運転すら始まっていなかった。

その後、EF59は徐々に数を減らしていくのだが、この約2年半後の訪問が最後となった。
4両の機関車が全てのパンタグラフを上げて走る様は、なかなかの迫力だった。
(写真、文 U)Ef59_2

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2009年8月 2日 (日)

EF58 53「銀河」

皆さん、一昨日は珍しくA君にお会いしましたよ。
一昨日の7月31日は、
ボーイング747ジャンボジェットの在来型という古いタイプの機種がすべて退役した日です。
この日にホノルルから成田に向かう便と、
成田から新千歳を往復する便に使用されて終了しました。
私は成田/新千歳間にちょっと仕事でおじゃましました。
そこにね、A君はいらっしゃいました♪
思い入れがある機種だったから...と。でも、
あら〜ん、一昨日は平日じゃなかったかしらん...

で、です。
けっこう早くに下の写真のポジが見つかっていたので、それを今日アップします。
実はね、そのA君つながりなんです、このEF58 53。
えー、場所は沼津駅構内で、列車は上り20系「銀河」です。
1977年か1978年くらいだったですかね。
A君と関西方面の撮影に行ったんです。
で、戻るのが遅くなり、じゃあ「銀河」で帰るかってことになったんです。

話は前夜の大阪駅です。
「銀河」は宮原機関区のカマの受け持ちでした。
当時の宮原には40両以上のEF58がいて(ほんと??)、
えー43号機が竜華機関区に転配された後ですから、47号機と53号機だけが大窓でした。
これだけEF58がいて大窓はたったの2両なので、まぁ普通は当たりません。
狙い撃ちは別として、撮っていて偶然こいつら2両が来ることは幸運中の幸運でした。
でもね、当たったんです、53号機。
大阪駅のホームで二人で「銀河」のカマを見て、
顔を見合わせて「.................................」でした。
『EF58 53けん引20系「銀河」で寝る』という豪華な夜だったんですが、
問題は次の日の朝です。
どうすんだ、これ。
撮るのか?? 新幹線で追い抜き??
二人していろんな策を練ったと思いますが、
順光で撮る場所へ行けないなど、新幹線で追い抜いてもダメだったんです。
それでもう二人とも、撮ることはあきらめ、あることに徹底しました。
20系のドアって自動ドアで自動ロックなんですが、
機械式なのでわりと簡単に開いちゃって、ドア表示灯なんかもないんです。
って話は置いときまして、腹いせに沼津で撮りました。
停車ホームの先端に信号扱い所みたいな高い場所があって、
そこに昇ってみるとこんな写真が撮れました。
走りじゃないんですが、けっこう気に入ってる角度だったりします。
ブローニーのEPRの色、わりと褪色しないですね。

(写真・文/某I)

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ロッキード・トライスター L1011 その1

すみません、航空機です。もしかしたら「某Iさん」だけとのやりとりになっちゃいますが、まあ、こんな世界もあるんだとご理解いただきご容赦ください。

さて、題名に「その1」とつけました。いまのところ「その5」までストックをスキャンしてますので、適宜機会をみてアップしていきます。

さて、そんな最初は現代言葉で言えば「激レア」の部類かと思います。

トライスターと言えば全日空で導入時に「ロッキード疑惑」として騒がれた機種ですが、製造数は250機と、そう多くはないんですね。それでも1990年代前半までは結構主力機で飛んでました。B777(トリプルセブン)やA330やA340が台頭し始めてから退役にもアクセルがかかり、中古機材は意外なところへ売却されたりリースされました。(ここらへんは某Iさんの領域ですから今後のコメントに譲ります)

この写真は1995年7月15日にロンドンヒースロー空港で捉えたタジキスタン・インターナショナルのフルカラーのL1011です。ポルトガル航空からのリースです。

この夏だけ、わずか1ヶ月間の運航だったので、ほとんど写真は出てこない機体です。

トライスター、同じ3発機のDC10と比べられますが、私は圧倒的にトライスターが好きです。

尾翼に付いている第2エンジンのあのカーブは芸術的美しさと言えます。

ちなみに私は製造250機のうち165機、丁度三分の二を撮影済みです。

(写真・文:K.M.)

1995年7月15日 CS-TEB @LHR

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2009年8月 1日 (土)

30年前の今日

1979年8月1日、そうです山口線でC571が復活の営業運転を開始した日です。当時は荷37のEF58重連もあり、頻繁に広島方面には出撃してました。

前の日小郡(やはりこの駅名がいいですね。新山口って言われてもピンときません)に泊まり、某IさんやUさんたちと仁保ー篠目で初列車を迎え撃ちました。

旗もさることながら、上空を飛ぶヘリコプターが今となっては良い雰囲気を出しています。撮ったときには「邪魔だ!」と思ったんですが。

この日から数日間山口線でC57を撮ってましたが、本当はそんなことしている場合ではなかったんですね。もしこの日に戻れるなら、翌日、1979年8月2日は「呉線」に行きます。

なぜって、だってEF5861が広島から糸崎まで12系10両を牽引してるんですから。記録によれば列車番号は回9540列車となっています。

どなたか撮られた方、いらっしゃいませんか?

(写真・文:K.M.)

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