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2009年7月28日 (火)

DF50の「紀伊」

紀勢本線にDF50を追った時代、実を言えばブルートレイン「紀伊」にはあまり興味がなかった。当時は東京機関区のEF65P以外、ヘッドマークが付いていなかったし、6両という短い編成は優等列車らしく見えない。それに紀勢本線撮影の拠点が僕の場合、和歌山だったから紀伊勝浦止まりの「紀伊」を撮影に行くには時間がかかりすぎた。たかだか6両の寝台列車に時間を割くくらいなら、12系客車で走る臨時急行「きのくに」でじゅうぶん写欲は満たされた。だから77年のゴールデンウィークが、DF50牽引「紀伊」の初撮影となった。
以前にも記したように、このときの撮影旅行は名古屋側から紀勢本線に入り、南紀を行ったり来たりしていて、和歌山側は紀伊田辺止まりだったから、合間合間に「紀伊」の撮影ができた。それでも特段、「紀伊」には魅力を感じず適当に撮影していた記憶がある。
実はこのときの最大の目的は、4号機をはじめとするDF50試作型を撮影することだった。
試作型DF50は正面運転室の窓が大きく、車体断面積も広い。窓が小さくシャープな印象を受ける量産型に比べると愛嬌があるように見えたものだ。当時、亀山には2~7号機が配置されていたが休車が多く、稼働していたのは4,5、7号機だけだった。
こちらの話は別の機会に触れることになるが、この新宮~三輪崎の海岸で撮影した「紀伊」は実は野宿の賜物なのだ。

夜行列車の乗り継ぎで疲れて一晩くらいホテルに泊まろうと思ったものの、新宮市内のホテルは満室。それならと、まだ蚊もいない季節なので海のそばの海岸で野宿を決行した。5月上旬の南紀はたまたまだったのか、夜も寒くなくかなりぐっすり眠れた。そうして潮騒に目覚め、朝一番で撮影したのがこの「紀伊」だった。

この写真は那智勝浦から回送となって新宮へ折り返してくる列車だが、ヘッドマークが付かなかった時代ゆえ見かけ上、本列車と変わりはない。手前の標識がじゃまだが、いかに自分が「紀伊」に執着がなかったかがうかがえる。

(写真、文 U)

Photo

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コメント

海岸で野宿!
無謀なUさんのことですから、何を聞いても驚きませんが...

DF50「紀伊」はなつかしいですね。
この写真の時ではないと思いますけど、
なんか一緒に撮った覚えもあるんですが...
回送はやっぱりここら三輪崎近辺だったような。

投稿: 某I | 2009年8月 1日 (土) 10時32分

新宮の大浜海岸では?新宮出身ですが おそらく そうでは?77年で もう架線が付いてたんですね

投稿: 松根康人 | 2010年12月 3日 (金) 11時44分

新宮のご出身ですか。和歌山には親戚がおりましたのでしばしば行きましたが、さすがに新宮まで足を伸ばした経験は4、5回ほどではなかったでしょうか。蒸気機関車が現役時代の記憶もかすかにありますが、DF50を撮りに行った記憶の方がはるかに勝ります。後年、EF58が客車を牽いてからは紀伊田辺までしか行っておりません。
新宮と言えば自分にとって最も懐かしいのは「めはり寿司」です。高菜漬けにご飯を包んだものですが、ひじょうに美味しく何度も何度も食べたものです。当時はまだ酒を飲めなかった年齢ですが、今でしたら酒を片手にめはり寿司で車窓の風景を楽しんだことでしょう。
77年、すでに新宮電化に備えてここ三輪崎付近も架線柱が立っておりました。

投稿: U | 2010年12月 4日 (土) 16時55分

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