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2009年7月

2009年7月31日 (金)

その列車 後回9902列車

Uさんが後うちしてれば・・とおっしゃっている、その列車のカラーが出てきました。

今見ても、なんと凄い列車が走ったんだろう、それも1日に2回もですよ!!

これは朝の回9902列車ですが「ロクイチ」メインの私たちからすると題名どおり「後」回9902列車とするのが正しいでしょうね。

1979年5月27日 岡崎にて。

(写真・文:K.M.)

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2009年7月30日 (木)

本場のバークシャー

車輪配置2-8-4(車軸配置1D2)「バークシャー」といえば、我が国ではD60~62の3形式が存在しましたね。これらは、ミカド(2-8-2/1D1)の従輪数を増やして軸重を軽減し、下級線区での運用を可能にしたもので、言い換えるとミカドより格下でした。

でも、本来のバークシャーは、そんなものではありません。ミカドよりもっと強力な機関車にするため、火室を大型化し、それを支えるために従台車を2軸にしたのであります。米国で最初にこの車輪配置を採用した機関車が1925年に落成し、これをマサチューセッツ州のバークシャー山脈の勾配区間で試験したことから、この呼称が付きました。

それから1949年までに、全米に合計611両ものバークシャーが投入されています。D60~62の合計の何倍になるのでしょうか?

そんな本場のバークシャーの代表的な機種が動態保存されているのを、先週撮影してきたので、写真を投稿します。この機関車は、ニューヨーク・シカゴ&セントルイス鉄道(愛称ニッケル・プレート・ロード)の765号機というもので、1944年製です。日本では戦時輸送用に頑張ってD52を量産していた頃、米国ではこんな機関車を製造していたわけですね。

軌間はもちろん1435mmで、全長は30.8m、動輪直径は69インチ(1753mm)です。動輪直径がC62とほぼ同じなので、3軸の動輪にC62のシルエットを重ねた図を想像して下さい。この機関車の巨大さが想像できます。

そして、注目すべきところは火室の大きさ。火格子面積は8.4平方メートル。これは六畳間と同じ広さ。ちなみに、D52やD62は3.8平方メートル位しかありません。2軸の従台車も、日本のものと比べゆったりとしています。ボイラーの圧力は約17気圧で、出力は3000馬力(米国単位なので、日本の馬力表示と若干異なります)。

火室がデカいと燃料消費が多いように思われますが、実は逆なんです。理屈を書くと長くなるので省きますが、小さい火室のミカドよりも、燃料消費量は少なく、それで出力は大きいという、なかなか優れたものなのであります。

ほかにも、ボックス動輪の本場である米国であるにもかかわらず、こんな新しい時期の蒸気機関車に、まだスポーク動輪が使われているなど(同型機が1949年までスポーク動輪付きで製造されています)、いろいろと興味深い点があります。

文・写真:YM (写真はミシガン州で撮影)

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2009年7月29日 (水)

撮影風景

あえて撮影日や場所、列車は記さなくとも、ここにアクセスされている方々はお分かりだと思います。「あのとき」のEF5861です。それよりも、こんな超豪華な列車にもかかわらず、この平和な撮影風景に懐かしさを覚えます。たしかこのときも現場への到着は30分くらい前だったと記憶してます。脚立を使うなんて考えも(必要も)なく、至ってのんびりした雰囲気が写真からも伝わってきませんか?

(写真・文:K.M.)

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2009年7月28日 (火)

北鎌倉

横須賀線の北鎌倉で「お召し」編成の157系を撮りました。

クロ157が大船工場に入場し、その出場試運転が大船ー横須賀で2往復運転され、2往復完了後、そのまま品川まで回送されました。丁度この日に運転されたお召し電車は183系で運転されたはずです。

1979年11月16日の出来事です。幸いコダクロームで撮影していたので綺麗な色を今も保ったままデジタル化できました。

しかし、これから22年後に、ここでEF5861が牽引する1号編成のお召し列車を撮ることになるとは、このときは考えてもいませんでした。

写真は2往復目の「試1393」だと思います。

(写真・文:K.M.)

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DF50の「紀伊」

紀勢本線にDF50を追った時代、実を言えばブルートレイン「紀伊」にはあまり興味がなかった。当時は東京機関区のEF65P以外、ヘッドマークが付いていなかったし、6両という短い編成は優等列車らしく見えない。それに紀勢本線撮影の拠点が僕の場合、和歌山だったから紀伊勝浦止まりの「紀伊」を撮影に行くには時間がかかりすぎた。たかだか6両の寝台列車に時間を割くくらいなら、12系客車で走る臨時急行「きのくに」でじゅうぶん写欲は満たされた。だから77年のゴールデンウィークが、DF50牽引「紀伊」の初撮影となった。
以前にも記したように、このときの撮影旅行は名古屋側から紀勢本線に入り、南紀を行ったり来たりしていて、和歌山側は紀伊田辺止まりだったから、合間合間に「紀伊」の撮影ができた。それでも特段、「紀伊」には魅力を感じず適当に撮影していた記憶がある。
実はこのときの最大の目的は、4号機をはじめとするDF50試作型を撮影することだった。
試作型DF50は正面運転室の窓が大きく、車体断面積も広い。窓が小さくシャープな印象を受ける量産型に比べると愛嬌があるように見えたものだ。当時、亀山には2~7号機が配置されていたが休車が多く、稼働していたのは4,5、7号機だけだった。
こちらの話は別の機会に触れることになるが、この新宮~三輪崎の海岸で撮影した「紀伊」は実は野宿の賜物なのだ。

夜行列車の乗り継ぎで疲れて一晩くらいホテルに泊まろうと思ったものの、新宮市内のホテルは満室。それならと、まだ蚊もいない季節なので海のそばの海岸で野宿を決行した。5月上旬の南紀はたまたまだったのか、夜も寒くなくかなりぐっすり眠れた。そうして潮騒に目覚め、朝一番で撮影したのがこの「紀伊」だった。

この写真は那智勝浦から回送となって新宮へ折り返してくる列車だが、ヘッドマークが付かなかった時代ゆえ見かけ上、本列車と変わりはない。手前の標識がじゃまだが、いかに自分が「紀伊」に執着がなかったかがうかがえる。

(写真、文 U)

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2009年7月27日 (月)

EF58 113けん引 特急「つるぎ」

1975年1月、山陰本線に2回、D51重連のサヨナラ列車が走りました。
12日(日)が長門市ー下関間、15日(祝)が米子ー益田間だったと思いました。
いつも直前まではサヨナラ列車なんて、と思ってたんですが、
結局情報を聞いちゃうと行っちゃうんですね、これが。

前置きがとんでもない話になってしまいましたが、
その2回のD51重連に行くとして、じゃあその間は何してるって話になります。
今なら北九州空港からバビュっと帰って、
当日の朝に米子空港か出雲空港に乗り込むんでしょうけど、
当時はそうはいきません。
で、結局12日の夜は下関から上り急行「音戸2号」に乗って、
13日は関西地区でEF58ブルトレをやって、
その日の夜の下り急行「音戸2号」に乗って広島へ。
14日は瀬野八で電車特急群を撮ろうという計画にしました。
そう、未曾有の大改正、新幹線博多開業に伴う50.3改正を直前に控えていた時期です。
蒸機にしか興味ないはずのぼくでしたが、
さすがに東海道本線関西地区、山陽本線に目が向いてしまいました。

で、10系寝台列車の「音戸2号」を降りた朝の話です。
大阪駅にはEF58「あかつき」「彗星」なんかは来るんですが、
EF58「つるぎ」「日本海」がやってきません。
日本海側の雪で遅れてたんですね。
「あかつき」「彗星」を撮り終わり、待ってても仕方ないので、
普通電車で米原方面へ迎えにいってしまうことにしました。
早く撮りたかったんでしょうね。
すると、滋賀県下に入ると雪がどんどん増えていきます。
東海道本線のダイヤも乱れ、停止信号でこちらも何度も何度も止まりました。
田村からの機関車はDE10じゃなくてDD50かもしれないと、米原進入を撮ることに。
でも、ここで誤算。
20系「つるぎ」はもうすでに大雪の米原に到着した後でした。
DE10だったかDD50だったかは知らないですが、もうDLは離れていて、
目の前には米原機関区からEF58 113号機が現われました。
雪まみれですごい写真になりそうだったんですが、戻る普通電車もなく、ここで撮るしかありません。
ホームに止まっている時には障害物が多かったので、
少しでもクリアにとホームを降りて構内を少し先まで雪をこいで発車を撮りました。
それがこの写真です。
(これはムリをせずに彦根の直線あたりで待っているのが正解だったですね)

(写真・文/某I)

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1976年暮れ、急行「越前」

今から約32年半前の1976年暮れ、王子~尾久で撮影した遅れの「越前」。
蒸気機関車がなくなって初めて本格的に電気機関車やディーゼル機関車などを撮り始めた頃の写真で、本来の目的である東北本線を上ってくるEF57牽引の急行列車の合間に撮影したもの。

ここを通過する東北本線や高崎線の列車のほとんどがEF57,58の時代だったから、むしろ「妙高」とともにこの「越前」はEF62の牽く珍しい存在だった。上野到着が「妙高」は午前4時台、「越前」も7時4分だったから12月下旬に走行写真を撮れたのは大幅な遅れのおかげだ。この場所は高校時代のK君(なぜか僕の周囲にはKのイニシャルの人が多い)に教えられたもので、ホッチキス状の柵があるのによく通ったものだ。きっとここへの行き帰り、田端駅を利用していたから、少し遠くなるものの途中、機関区で写真を撮るという「余録」があったのだろう。ちょうど車が通ることのできないほど狭い踏み切りがあって、オリンパスOM2に135ミリレンズでそこから撮影していた。
135ミリというレンズは価格も安く、望遠効果が確認しやすいレンズだったから初心者が最初に買い求めるものとしては最もポピュラーだった。今では80~200ミリズームあたりがそれに代わったのだろうが、当時のズームレンズはまだまだ画質が悪く値段の割には使いものにならなかった。

この後、ほどなくしてEF57は消滅するのだが、「さよなら運転」などもない寂しい終焉だった。EF57の撮影がなくなり、僕の目が東海道本線に向くにしたがい、この「越前」を見る機会もなくなっていった。
(写真、文 U)Ef62_4

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2009年7月26日 (日)

音速を超える旅客機「コンコルド」

私としては初の飛行機のアップです。

某Iさんのコメントでもちょっと触れていただいたように、この20年間は鉄道と飛行機を並行的に趣味として活動しています。

飛行機写真を撮るきっかけになったのはこのコンコルドで、ロンドンのヒースロー空港で随分と撮りました。ただ、やはりその離陸スピードは相当なもので、当時はオートフォーカスの超望遠レンズなども持てずピント合わせはもちろん「手動」、ISO100のエクタクロームをニコンF4に入れ、500ミリのレンズをほとんど開放値のf4、シャッタースピード500分の1という、素人には厳しい状態でした。

夏場のBA003便の離陸は夕方の斜光を受けて輝くこともあり、ようやくこの1枚をものにしたときには大変嬉しかった記憶があります。

1995年 ロンドン ヒースロー空港にて。

(写真・文:K.M.)

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2009年7月25日 (土)

機関車の色

直流の旧型電機は「茶色」、新型は「青」、交流電機は「赤」、交直は「ピンク」といった観念の中に居て、違う色の存在は目立ちます。今でこそいろんな特別塗装が出て・・というか「乱れて」しまってますが。

基本的に私は直流電機派ですが、当時は直江津近くに住んでいたこともあってEF81のトップナンバーなどは結構追いかけてました。そんな中、1989年に出現したEF81の500番台は大変新鮮でした。

写真はEF81501の初運用で、特製のヘッドマークが付いてました。とてもEF81とのイメージはなく、どちらかといえばEF64っぽい感じです。

(写真・文:K.M.)

1989年3月11日 EF81501 (500番台の初運用)

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2009年7月24日 (金)

その少し前(EF5861)

Uさんが「お召し整備中のEF5861」を撮られたおそらく10分くらい前のショットです。

宇都宮のクラに入るロクイチの周りを、カメラを持ったファンが自由に撮影をしている姿が写ってます。もうこんな時代は来ないでしょう。

(写真・文:K.M.)

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お召し整備中のEF5861

1980年10月の栃木国体のお召し列車運転時に宇都宮運転所で整備を受けるロクイチ。翌日にも運転されたが、初日の運転を終えて整備を受けているときのカット。

機関区側も決して公に撮影許可を与えているわけではないが、当時はまだこうやってファンの立ち入りを大目に見てくれたものだ。特に地方に遠征したときはその傾向が顕著で、所属区の東京機関区では無理でも、派遣先の機関区では撮らせてくれることも多かった。国旗を掲げ待機する形式写真を「旗開き」と読んでファンは皆撮りたがったが、地方の機関区など現場の方々もなかなかお目にかかれないお召し装備の機関車を扱っているという自負からか、人の目に触れさせることに寛大だった。JR化後はこのような措置がとられることは滅多になくなったが、国鉄時代は多少はファンの要望に現場が配慮してくれたものだ。

運転終了後、時間を空けて開催される機関区の見学会などでお召し列車運転時の姿を再現して機関車を展示することもあったが、ファンの心情としては運転直前または直後に撮りたいもの。時間が経てばなんだか「やらせ」的演出の色合いが濃くなって、あまり歓迎されなかった。

この日、庫内で足回りの整備を受けるロクイチは、お召し列車運転に携わる関係者の熱い意気込みを見るようで、パンタグラフは下がっているものの生き生きとした姿に見えたものだ。

(写真、文 U)61

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2009年7月23日 (木)

紀勢本線紀伊田辺駅のキハユニ16

1977年5月、紀勢本線の紀伊田辺駅で夜間撮影したキハユニ16。
このゴールデンウィークは2泊3日の日程で紀勢本線の南部へ出掛けた。私としてはいつも顔を出す和歌山市内の親戚の家には立ち寄らない、珍しい行程だった。名古屋側から紀勢本線入りし、紀伊長島や新宮、田辺あたりを行ったり来たりしていた。
当時は「はやたま」という天王寺と新宮を結ぶ各駅停車の夜行列車があって、これをうまく使えば宿代は不要だった。新宮から紀伊田辺まで下り「南紀」(後に「はやたま」に名称変更)に乗り、約40分ほど待って紀伊田辺から上り「南紀」で新宮に戻れば、東京からの4003列車特急「紀伊」に1時間40分ほど先行して到着でき、ひじょうに効率の良い行動ができた。
「南紀」は大阪圏から南紀への釣り客が多く利用していたが、10系寝台客車も併結されて、後にEF58も牽引するようになった。

下りの「南紀」から上り「南紀」を待つ紀伊田辺での40分は、暇つぶしに機関区でDF50のバルブをやったりして過ごしたが、これがなかなか良い雰囲気だった。すでにSL時代の扇形車庫はなくなっていたが、訪れる人も少なくなってかなり自由に撮影できた。
駅構内も蒸気機関車時代の面影が残り、そこを発着するキハ81,82の「くろしお」や、画像をアップしたキハユニ16などの旧型気動車も撮影するのに適していた。

この湘南型の窓をしたキハユニはこのころまだ数両残っていたから、DF50撮影の合間に見かけることもあったが、もっとまじめに撮っておけば良かったと後悔する車両の一つだ。他の地区では九州の鳥栖などに同じようなタイプが残っていたが、模型でもぜひ欲しいと思っている。(写真、文 U)Photo

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2009年7月22日 (水)

EF58 145けん引10系最終「銀河」

このところ、記事のアップが滞ってしまってごめんなさいです。
K.M.さんから高知駅構内でのプリンスロイヤル積込風景のリクエストをいただいてます。
探せるかどうかわからないですが、ぜひネガを見つけ出したいと思ってます。
ちょっとお待ちください。

今日は手早くこのネガが見つかったのでアップしますね。
列車は10系「銀河」です。
編成の東京方にスハフ43+スハ44の座席車を2両組み込むほかは、
オロネ10・オハネ12・スハネ16・オハネフ12の10系寝台車群から組成される寝台列車でした。
でも、上り10系「銀河」はこの列車が最終となりました。
たしか1976年2月の下旬だったと思います。
「銀河」は宮原客車区の受け持ちで、
特急「つるぎ」の24系化によって20系が使用可能になったんだと記憶してます。
この頃は国鉄の本線蒸機もなくなり、それ以外の鉄道車両にも目が向くようになり、
10系を撮っておかないとなくなるという神経が使えたんだと思います。
翌日の20系「銀河」初日も撮っているのですが、
自分としてはそれまで慣れ親しんだ10系に対する郷愁の方がはるかに大きかったんです。
実際の蒸機撮影でも、10系寝台車は急行「大雪6号」(プラス、急行崩れの普通1527列車も)、
急行「天草」、急行「日南3号」などで感動の組み合わせを撮影しましたし、
蒸機の撮影旅行でもしばしばお世話になりました。
10系は自分にとって蒸機とともにあった特別な車両だったんです。
だから、この上り最終日の走りは気合いを入れて撮りにいった覚えがあります。
鴨宮のホームですかね(違っていたら指摘してください!)。
この後、反対方向の下り普通電車で小田原へ行って、新幹線に乗って追い抜き、
東京進入をもう一度撮影しました。
トライXの同じスリーブの中に東京進入のコマもあります。

けん引に当たるのはEF58 145号機。
前端梁横のステップの変型機ですが、宮原機関区時代は実にいい顔をしていました。
このカマはのちに1978年あたりに宇都宮運転所に転配されるのですが、
そこから先のコメントは避けたいと思います。

余談ですけどね、
この頃、現役蒸機として最後に残った追分機関区の3両の9600の引退日が明らかになりました。
前年の1975年のクリスマスイブ、もう蒸機は撮らないと訣別してきたのに、
結局この直後の最終日に行っちゃったんです。
ってことは、この写真はまだ現役蒸機があった頃のものなんですね。
ふ〜ん。

(写真・文/某I)

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2009年7月21日 (火)

今なお現役の車両たち

昨日はK氏と高崎線の神保原へ上越線夜行列車を撮りに行った。昨年、10年ぶりに鉄道撮影を再開してから、事あるごとにお付き合い願い、現役復帰へ心強いサポーターとなってもらっている。
上越線を上ってくる「あけぼの」は目下、私のメインターゲットだが、一般型のEF64が牽引する期間はあまり長いものではないだろう。なにしろ車齢40年近い機関車で、仲間の中にはすでに廃車となっているものもあるほどだ。EF15やEF58が旧型電機と言われていた頃の車齢とそれほど大差がなくなってきている。

40年と言えば私の地元を走る東急田園都市線の8500系もそれぐらいになるし、池上線などを走る7700系などは7000系から更新改造されたとは言え、誕生から大分経つ。
JRの機関車ではED75やDD51などもそろそろ激減し、現役で活躍できるのもそう長くはないと考えられる。
特に北海道で活躍する「北斗星」牽引のDD51は、同列車の運転が始まって以来20年以上もその任務に就き、機関車の落成から数えればそろそろリタイアしても不思議ではない。
北海道で「北斗星」を撮影すると、その速度に驚かされる。そういう意味でも痛みも激しいだろうし、海のそばを走ることも考えると塩害などによる腐食もあるかもしれない。
本州のEF81が「北斗星」運用から外れることを考えると、こちらの方も何らかの手が打たれる時期にさしかかっているのではないだろうか。
1988年5月 大沼付近で撮影した旧塗装時代のDD51が牽く「北斗星」。仕事に行ったときに写したもの。Dd51_2 (写真、文 U)

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2009年7月20日 (月)

30年ほど前の日暮里駅で

77年の日暮里駅。

最近、京成電鉄に「青電」が復活したので撮影に行きたいのだが、なかなか暇がない。ネガを見ていたら77年にロクイチを撮りに行った際に、何気なく撮影した一コマが出てきたのでアップする。私鉄電車の形式名など僕にはまったく分からないが、クーラーも付いていない時代であることが分かる。
すでに30年以上前の写真だが、バックに写っている旅館の看板と洗濯物が終戦直後の雰囲気。ひじょうに古いものにも見える。

何気なく撮影したカットが、後で見るとより古めかしく見えるのは大きく時代が変わったせいだろうが、こうした何気ない画像は時代を反映していて懐かしい。

また、鉄道撮影に行って、周囲に古めかしい家屋や看板があったらデジカメをモノクロにして撮ると面白いかもしれない。

はなはだ簡単な文章だが、今日は明日の仕事のために資料を読んでおかなくてはならない。Photo_2 これにて失礼!(写真、文 U)

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2009年7月19日 (日)

ED16さよなら列車

ED16は、当時南武線から青梅線(五日市線)の石灰列車を牽引しており、比較的撮影に出かけやすかったため、私にとっては思い出の多い機関車だ。東京に雪が降れば、真っ先に青梅線のED16を思い浮かべ、春は桜、秋は紅葉と絡めて撮影に出た。先般ここのお仲間がアップした、5191レの重連は、晩年になり数回狙うことができたが、満足のいくものは残せていない。写真は、東京機関区より山手貨物線経由で中央線に乗り入れた「さよならED16」号。この中央高架線で撮ると、いつも正月に走った高尾臨のようで懐かく感じたことを思い出す。( by K )1983326_9543_ed1610_bro1983-3-26  9543レ  阿佐ヶ谷

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2009年7月18日 (土)

横浜開港150周年

「横浜博Y150」として今年は横浜がにわかに賑わっている。人ごみは苦手だから、取り立てて行こうとは思わないが、普段の町の雰囲気は好きなので少しばかり気になっている。このイベントで鉄道の方も、いつになく団臨が目白押しだ。先月撮影したレトロ列車もこのイベントの一環らしい。

10年前だったら、D51か、EF58が旧客を牽いてイベントに登場していただろうな。そういえば何年か前、高島線でゴハチを撮ったっけ?探してみよう。相変わらず、試行錯誤の日々が続いている。

写真は、みなとみらいをバックに根岸線を走る、京急1500系の甲種回送。みなとみらいが何か殺風景なのが時代を感じる。10701993122_ef65_bro (by  K )

1993-1-22  関内-石川町にて

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2009年7月17日 (金)

注目度の低かったEF581号機

どんな形式でもトップナンバー=1号機というのは注目される。あまり好みの機関車ではなくともトップナンバーが来るとラッキーと思うのが普通。
九州に撮影に行った78年、門司から博多へ向かう車中からあまり好きでもないED76のトップナンバーが、黒崎駅に止まっていて慌てて電車を降りて撮影したことがあるように、鉄道ファンにとって1号機はちょっと気にかかる存在といえる。

ところがEF58の場合、残念ながら1号機の注目度はあまり高くはなかった。
EF58に本格的に注目始めた頃、品川の駅へ行けば浜松のEF58はいくらでも撮れた。1号機など特に運用を調べずに出掛けても、3日も通えば必ずと言って良いほど高い確率で撮影できたから、一回撮影してしまえばそれで満足。その後は遭遇してもあまり嬉しくもない存在だった。
なぜかと聞かれれば答えは簡単。Hゴムで何ら特徴のない1号機よりも浜松にはお召し予備機だった60号機やナンバーがずれた位置にある2号機、シールドビーム2灯の4号機など、異色機が存在していたからだ。ゲテモノ好きの僕にはそちらの方がよっぽど魅力的だった。

80年7月に広島にロクイチが遠征した際、機関区のご厚意で線路一つはさんで大窓の69号機と並べてもらったが、その真ん中の線路の少し先に1号機がいた。それを動かし左から69、1、61という並びを実現してくれるとのありがたいお言葉を頂いたが、Hゴムの1号機が真ん中に来るのは魅力半減となるから丁重にお断りした。もちろん61と69の並びを撮ってから、最後に3両並べてもらっても良かったのだが、その後のロクイチの走行撮影までに時間がなかったこともありせっかくのご厚意を辞退した。それほどゴハチの1号機はわれわれにとって注目度が低く浜松のブルトレ運用、「紀伊・いなば」に入っても一度も撮影に出掛けなかった。

これは78年、新鶴見付近で撮影した京王電鉄車両の甲種輸送風景。某I氏とともに「なんだ60じゃなくて1号機か!つまんねえ!」とつぶやきながら撮影したもの。
(写真、文 U)
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2009年7月16日 (木)

EF66ひさし無し

EF58の「ひさし」(つらら切り)が話題になりましたが、「ひさし」の有無がスタイルの大きなポイントとなるのは、EF66も同様です。個人的には、「ひさし無し」の方が好きなのですが、今も残っているのでしょうか?

「ひさし無し」のEF66で、どれが一番捨てがたいかというと、やはりトップナンバーの1号機でしょう。今回投稿するのは、そのEF66 1がヘッドマーク付きで山陽本線を走行しているところを撮影したものです。ヘッドマークといってもブルトレではなく、貨物列車です。当時は、こんな貨物列車もあったんですね。

場所は海田市~向洋間で、撮影時期は国鉄終焉目前の昭和62年2月頃だったと思います。当時僕は広島に住んでいて、自宅からこの場所まで徒歩数分でした。 写真・文:YM

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2009年7月15日 (水)

紀勢本線のキハ81

1977年4月に撮影した紀勢本線のキハ81系「くろしお」
この頃、私はまだEF58にそれほど入れ込んではいなかった。休日には東海道本線などへ出掛ける機会は多く、荷物列車や団体列車などを撮影していたが、興味の対象は四国や亀山のDF50だった。蒸気機関車現役時代から和歌山の親戚の家を拠点として、紀勢本線、関西本線などに行くことが多かったから、SLが消滅してもその名残を求めて紀勢本線などに行くことが頻繁だった。
SL時代からDF50は好きだったから、鉄道模型でも天賞堂の製品を買って、蒸気機関車と並べて紀勢本線のムードを楽しんでいた。

その紀勢本線にはかつて東北本線の「はつかり」などで活躍した特急型気動車キハ81が残っていて、これまた良い被写体になっていた。当時、天王寺~名古屋を直通で一日一往復する1D、2Dの「くろしお」の天王寺側先頭に使用され、その独特なスタイルはなかなか魅力的だった。和歌山に戻ってくるのは夕方で、DF50の撮影を終えた17時頃にこの2Dを撮って一日の撮影を終えるというのが通常のパターンで、これを撮影後、自転車で親戚の家へ戻り、檜の浴槽でゆっくり入浴するという、何とも贅沢な時間を送っていた。親戚の家は和歌山市内の和歌浦にあり、山を一つ持っていて自宅はその中腹にあった。その家の大広間から紀三井寺方面が一望でき、蒸気機関車だったころは汽笛が、DF50全盛になってからはあの排気音が夜の静寂に響き渡る。そんな音を聞きながら眠りに就いていたことを懐かしく思い出す。

紀勢本線はその後、阪和線で活躍していたEF58が入線するようになり、小学生時代から社会人になるまで撮影に通い続けることとなる。81 (写真、文 U)

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2009年7月14日 (火)

ED16 深夜の宴

U氏の触発を受けて、奥多摩4台並びを!

深夜の青梅街道をひた下り、日付が変わった頃奥多摩駅に到着。11月だというのに、吐く息が白く思いのほか寒かったことを思い出す。当時では珍しく、ニコマートにKRを入れてバルブ撮影、夢中でレリーズを握った。( by K)

1982-11-9        ED16  13  18  3  10       奥多摩にて1982119_ed16_13_18_8_10_bro

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南武線のED16重連

以前、K・M氏がアップした南武線のED16重連は私も何度か撮影に行った。ネガをスキャンすべく引き出しをひっくり返していたらカラーが出てきたのでアップする。1979年12月8日の5191列車で前2号機、次位6号機の重連。

このED16、我々の仲間にはけっこう人気があったのではないかと思う。かく言う自分はあまり興味がなかったので大した写真を撮っていないが、この南武線の重連は別だった。夕方の3時過ぎに浜川崎を出るスジは午後の光を浴びて順光で撮影できるし、日によっては4基のパンタを上げていて、小型電気機関車といえどもなかなか迫力があった。わざわざ青梅まで行かずとも、住んでいたところから比較的短時間で行ける浜川崎周辺で撮れたから、東海道本線を下る午後のゴハチなどを捨てて何回か撮りに行ったほどだ。今になって驚いているが、合計で6回も撮影した。私にとっては希有なことだ。

浜川崎から八丁畷付近が手前に引きがあって撮影しやすい場所だったが、そのうちダイヤ改正でこの区間を荷物列車が走り出し、どちらも撮影できて効率的だった。この重連運用がなくなってしばらくしてED16も全廃になったと記憶している。貨物列車は今もこの区間を頻繁に走っているようだから、近いうちにEF641000番台でも狙いに、久々に訪問してみたい。あの頃から比べるとレンズのラインアップも豊富になったので、また違ったアングルを見つけられたるかも。

私は撮っていないが、仲間のうち何名かは夜の奥多摩駅に並ぶ4両(だったと思うが?)のED16貨物列車や、お別れ運転を撮影しているはずだからどなたかアップしてくれないだろうか。(写真、文 U)
Ed162

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2009年7月13日 (月)

御料自動車回送(高知植樹祭)

引用からですみません。私の「車」の写真に対し、某Iさんが下記のコメントを書いていただきました。

「お召運転が遠方の際には貨車で運搬していたことが思い出されます。
以前、高知かどこかで貨車積み込み作業を撮影したことがありました。
貨車は普通のチキでしたが、列車は定期の地急や解結貨なのか、臨貨なのかは不明です。」

さあ、ではその「不明」を解き明かしましょう!!

私の記録に拠れば、高知植樹祭のときの御料自動車回送は以下のとおりです。(羅列します)

行き:78年5月16日 池袋15:55発 1690レ(マルヨ) 新鶴見5月17日6:52発 161レ 吹田(操)5月18日 2661レ 宇野 19便 高松 2177レ 多度津 2273レ(マルヨ) 5月19日 高知着

帰り:5月24日 高知発 2272レ(マルヨ) 多度津 3868レ 高松 8便 宇野 3868レ (マルヨ) 6:02着 新鶴見 5月26日 1693レ 18:45 池袋着

となっています。宇高連絡船も懐かしいですね。でももちろん1号編成も宇高連絡船を使って四国に送り込まれてます。1号編成は5月21日の55便で行き、5月25日の52便で戻ってきています。

よって、某Iさんが撮られた積み込み作業は「5月24日の高知駅2272列車」ということになりましょうか。是非、そのときの写真のアップを心待ちにしております!!!

それよりも、今、運用表を見ていると、やはりEF5861が宇野線で1号編成の回送を担当し、間の4日間、岡山で(マルヨ)が3つ付いているのが気になりますね。

以上、記録のみのアップにしようと思いましたが、せっかくなので前回の宇都宮の「車」の後追いをアップします。白バイの警備状況や町並みも懐かしいです。

(文・「記録」・写真:K.M.)

67bw105

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東大宮のEF575号機

蒸気機関車全廃から約1年、僕は鉄道撮影から遠ざかった。ちょうど進学時期も重なったが、なにしろ蒸気機関車以外の鉄道車両はほとんど撮ったことがなく、雑誌もSL以外のページに目を通さなかったから、どんな車両がカッコ良いかも知らなかった。
高校の友人に157系の「あまぎ」を撮影に行こうと誘われて根府川へ行ったものの、全くその気になれないし、当時はブルートレインを目のあたりにしたって何も感じなかった。蒸気機関車の余韻からさめることが出来なかったのだろう。

そんな自分だったが唯一、ファンに人気がある車両を知っていた。それがEF57。
当時、読んでいたキネマ旬報が発行していた「蒸気機関車」誌に出ていたからだ。そのEF57を好きなクラスメートに誘われて、少しずつ東北線通いが始まった。
それでも最初は、どこか昆虫的でウルトラマンに出てくる「バルタン星人」のような印象にあまり好感は持てず、むしろ蒸気機関車時代の雰囲気が残る山陰本線京都口の方に惹かれていた。
しかも当時、すでにゴナナは休車になることが多く、東北線に行っても必ず走っているとは限らない。東京駅の案内センターで運用を教えてくれたいたが、運用に入ってもなかなか撮影に行く機会がなくひじょうに効率の悪い撮影対象だった。

それが臨時急行が増発される76年暮れになると一気に動き出し、その頃になってようやく頻繁に上野に通うようになった(したがって私のゴナナの写真は上野のバルブが多い)。
だが、高校生の分際で鉄道模型やSL写真集にも関心があったから、撮影地は遠くても蓮田あたりまで。電車賃がかかるような鉄チャンは難しかった。

これは77年1月上旬、東大宮で駐泊する5号機。
けっこう良い位置に止まっていて、待っていたらパンタグラフが上がった。高いポジションにあるが、こうやってみると模型の展示台に止まっているようだ。
自分が撮ったEF57の中で最も好きな1枚。(写真、文 U)Ef575_5

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2009年7月12日 (日)

ブルトレ鳥海

かつて「あけぼの」を補完するために、現行ルートと同じ経路で走るブルトレがあった。特急「鳥海」である。たしか、山形新幹線絡みで本体の「あけぼの」が東北~陸東~奥羽経由となった(KMさんの写真参照)時に登場した列車だったと思う。上り列車が、高崎線を朝7時台に上ってくるスジで、1年通して撮影できたが、当時は今のように話題にはならず、同行の諸氏に出会ったことはなかった。

ちょうどこの時期、私は仕事の関係で、週一で新前橋まで通っていたので、天気予報を見ては出張スケジュールを決め、仕事前に一発やってから職場に向かったことを懐かしく思い出す。

写真は、朝の光を受け上野を目指す、今は亡き1029号機の牽引する2022レ鳥海。今一番脚光を浴びている1000番台だが、このカマが廃車第一号となってしまった。199242_2022_ef64_1029_bro (by K )

1993-4-2    高崎線:倉賀野-新町にて

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運用操作?

少し前に「運用操作」が話題になりましたが、僕はこんなことを経験しました。

数年前、キューバの首都ハバナ郊外にある、同国では数少ない電化路線の1つを訪ねました。始発駅に行くと、ホームに隣接して車庫があり、写真のように何両かの電車が止まっていました。日本の地方の「電鉄」と似たような情景ですね。

その路線では、写真の赤い電車と、緑の電車が使用されています。赤い方は1910年代アメリカ製(当時キューバ初の電化路線に新製投入されたもの)の貴重なものですが、予備的扱い。緑の方は1950年代位のスペイン製で、10年ほど前に中古で輸入され、主力となっています。

その日の定期運用には、新しい緑の方の電車が入っていました。構内風景をスナップしていたら、鉄道の職員がやって来て、「君、赤い電車と緑の電車、どっちが好きかい?」と聞かれました。鉄チャン的には、やはり旧い方がいいですよね。なので、「赤い方がいいですね」と言いました。

すると、その係員は何も言わずに詰所に戻り、少ししたら、もう1人の職員と一緒に出てきました。そして、何をするのかと思ったら、赤い電車に乗り込み、パンタを上げました。コンプレッサーが動き出し、日本の私鉄の旧型電車によくあったのと同じ音がします。それから、電車は構内を動き始め、転線のうえ駅のホームに入線しました。これから乗る定期列車の運用に、この電車が入ったのであります。僕のために、運用を変更してくれたんですね。

期せずして、車齢90年を超えるビンテージな赤い電車による定期列車に乗ることになりました。ホームから電車に乗り込むと、運転士が「せっかくだから、ここに居なさい」と言い、運転室に入れてくれました。

この路線は、どの駅も旅客扱いは無人で、切符は車内で車掌から買います。なので、僕も車掌さんから切符を買おうとしたら、「君はタダで乗せてあげるから、いいよ」と言われました。「でも、切符(車掌がパンチで小さい丸穴を開けて発行する、懐かしい車内補充券)が欲しいから、ちゃんと運賃を払いたい」と説明したら、車内補充券をタダでくれました。

さらに、途中の駅で乗ってきた農家のおばちゃんが、珍しい外国人を歓迎して果物をくれました(日本では見たことのない果物で、名前は不明)。

どこまでも親切なキューバの皆さんです。結局、その路線を1往復、所要約1時間、ずっと運転室に居なことになってのであります。楽しかったのは良いのですが、ここへ来た目的は、この路線の乗車ルポを書くことだったので、客室内の乗客たちの様子の描写があまり出来ない、という問題が生じました。というオチで、この話は終わりです。

YM

200906_07_3

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10年前の今月(7月)は・・

この週末は、過去の写真を引っ張り出しては、PCにスキャンして、なおかつゴチャゴチャいじりたおして楽しんでいる。ここのお仲間に色々ご指導頂き、埋没していた写真を蘇らせる作業だ。とにかく、わからないことだらけではあったが、選んだ画像を時間かけて加工していき、思っていた画像に近づいてくると、不思議と撮った当時に時間がフィードバックしていく。当時の自分の心境が蘇るのだ。まず撮ることを考え前を見てきたから、少し振り返ることを忘れていたのかもしれない。日々精進、そしてお仲間に感謝である。 (by K )1999716_8009_ef8189_bro

 

そんなこんなで写真を引っかき廻していた時、ふと、10年前は何撮ってたんだろうと調べたくなり、1999年7月までさかのぼってみた。

この写真は当時話題になった、カシオペアの初列車。初日なので、スペシャルなマークか飾りつけを期待して南浦和まで出向いた記憶がある。ド派手な機関車が誇らしげに目の前を通過していっただけだったが・・・

1999-7-16  8009レ  EF8189   Nikon F4E  180m/m  RDPⅡ

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C108

たまには日本の煙を。 ご存知のC108ですがもちろん大井川ではありません。ラサ工業時代のものです。

国鉄から「現役」蒸機が無くなってからもしばらくはいくつか本当に「仕事」をする機関車が残っていました。その1機がこのC108で、盛岡県宮古市のラサ工業という工場で、入れ替え作業に使われていました。といってもここにはディーゼル機関車が居ましたのでC108はその予備機、つまりDL故障か検査のときにしか火が入りません。

私は父親の仕事の関係でこの「ラサ工業」にいわゆる「コネ」があり、その稼動時期などの情報を得ることができ、1976年から78年にかけて数回訪問しました。磯鶏という小さな国鉄の駅からの引込み線と工場内の入れ替えだけでしたが、トンネルあり、勾配ありとかなり満喫できるロケーションです。

まだ学生だった私は「コネ」を大いに利用させていただき、訪問時にはまさにVIP待遇を受けました。駅に車で迎えに来ていただき、まず工場長にご挨拶、撮影拠点は機関庫脇の乗務員詰め所、ナッパ服にヘルメットと、工場の方々と区別がつかない風体。宿泊は工場内にある宿泊施設で3食付。そんな感じで3泊くらい(無料で)接待いただき、撮影においては「いい写真」が撮れる様に煙のサービスはもちろん、貨車の連結位置なども我がまま聞いてくださいました。入れ替えなので通常は「押し込む」んですが、これだと機関車の頭がいつも貨車の陰になるので、わざわざ「牽引」してくれたり、煙室扉前のデッキに乗ったままトンネルに入ったり、果ては構内なので「運転」までさせていただいちゃいました。現役蒸機を運転したのはこれが最初で最後でしょう。

国鉄との貨物の受け渡しの関係から一日に3回稼動するんですが、1回目(第一便)は朝の5時過ぎからのスケジュールでした。数日間の合宿で十分撮れるので、無理して早朝の便を撮る必要も無かったので、朝は寝てましたが、宿泊施設が線路脇にあったので、毎日C108の汽笛で目が覚めるという、大変幸せな日々でした。布団のなかで汽笛と振動を堪能し、ゆっくり起きて朝食をいただき、午前の運転を撮ったら機関庫の方々とC108の横で一緒に昼食(宿泊施設の方がお弁当を差し入れてくれて)、午後に目いっぱい撮ったら夕方はゆっくり大風呂に浸かって煤を洗い落としてビールを飲んで就寝・・・

写真はこれがおそらく最後の稼動となった1978年4月10日~14日にかけてのものです。丁度1週間前の4月4日には後楽園球場でキャンディーズの解散コンサートがあった時期です(←行きました!!)。

この時にはすでにこの機関車の廃車が決まっており、私は当時の工場長へのお礼の手紙に、大井川鉄道にはC11とC12が居るので、廃車のあとはぜひ大井川鉄道へ譲っていただきたいと訴えた記憶があります。まあそれとは関係なく、その後C108は宮古で観光列車の仕事に就き、そして「今なお現役」で嬉しい限りです。

今、大井川鉄道に行って、このカマが来ると嬉しくなります。私にとっては思い出の機関車です。(K.M.)

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2009年7月11日 (土)

「車」といえば

鉄道の他にも飛行機やカメラ、そして車も守備範囲のブログですので1件。

とはいってもやはり鉄道絡みでして、ご存知の天皇陛下専用車です。

これは昭和天皇の専用車で1980年10月の栃木国体のお召し列車を撮りに行った合間に、皆で沿道で待ち構えて捉えたものです。ナンバープレートが無く、道の真ん中を走る独特の風情です。今は反対車線まで通行止めにはせずに、基本的には左側を走っているみたいですが。

(写真・文:K.M.)

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笑顔の両陛下

1999年4月、ルクセンブルクのジャン大公夫妻とともに山梨のファナック(株)をご視察後、お召し列車で原宿の宮廷ホームに到着し皇居に向かう天皇、皇后両陛下。
すでに10年が経過したが両陛下はお元気で、今現在もカナダから米ハワイを歴訪されている。これまで多少の病気もされているが、公務に頑張られている姿には、天皇制をとやかく議論する前に頭の下がる思いだ。私の母とほぼ同じ年齢だが、皇太子妃の雅子さまのご様子を見るにつけ、そのご活躍ぶりに心から声援を送りたくなる。

鉄道ファンとしてはお召し列車が走るとき、そのお姿を御料車の中に見るが、1号編成から電車に変わり、窓が開かなくなったことは寂しい。両毛線のお召し列車の際も、「豊かな海づくり」で宮古へ行かれたときの山田線でも、窓を開けて沿線の人々に手を振られていた。昨今は列車を撮影するファンも機関車が通り過ぎた後、両陛下のお姿を追って御料車に注目するようになっていただけに残念なことだ。

ロクイチも御料車もいったん本線上からは姿を消したが、多少の修繕さえ施せば、両陛下同様まだまだ元気で活躍できるはず。大井の車庫でもメンテナンスは続けられていると聞くから、いつの日か復帰をすることを期待したい。
(写真、文 U)

Photo

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朝日を受け長編成を牽くEF5861

Uさんの「朝日」「長編成」を合わせたEF5861の写真です。

ごく普通に団臨を牽引していたEF5861でも、なかなか12両を牽いての東海道遠征は少なかったと思います。その後ジョイフルトレインとか呼ばれるお座敷での14両編成牽引は有名ですが・・・

真冬の早朝、日の出時刻を調べて、朝日を浴びるEF5861が撮れそうなこの直線区間を選びました。バックに形の良い松の木が入れられる場所を見つけて待つと、うっすらと雪をつけた1番エンドを頭にしたEF5861が颯爽と通過していきました。

1984年2月19日の8114列車、東田子の浦で捉えた14系12両牽引のロクイチです。

(写真・文:K.M.)

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2009年7月10日 (金)

東海道ブルトレ!

今年ももう半分終わり、春のダイヤ改正から早4ヶ月が経とうとしている。この改正の衝撃は、自分にはやはり大きかった。東海道ブルトレの撤退は辛いのだ。もっと撮っておけばよかった・・・

私は、この「あさかぜ」がお気に入り。金帯3本で長大編成だからね!

1991416_10_ef66_53_bro 1991-4-16   10レ あさかぜ            鴨宮-小田原にて

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夕日に輝くロクイチ

今回のロクイチ(EF5861)画像はこれでお終い。またしばらくしたらスキャンして取り込むつもりだが、そろそろ某I氏やK氏、K・M氏らがとっておきの画像を出してくるかもしれないから、他のネタを探そうと思う。

これは87年に撮影したもの。同じ画像を本日、自分のブログにもアップした。夕日を浴び保土ヶ谷~戸塚の間にあるトンネルを抜けた瞬間だ。日の長い夏場に夕日に輝くロクイチを撮りたくて、じっくりと夕方の下り列車に入る運用を待ち、やっと撮影した。ベストの一枚とは誇れないが、この一枚を撮影するために何度もここへ通った。しかし、晴れていても光が弱かったり天候が変わったりしてなかなか思うような状況にならない。頭の中で考えているような絵を撮るのは、そう簡単でないことをおもい知らされた。
日陰から日なたへ飛び出すほんの一瞬にシャッターを押すのだが、刻々と光線状態が変わり「置きピン」していてもすぐにシャッターを押すべき位置が移動してしまう。そのため「手ピン」で合わせるのだが光の反射がきつく、まぶしくてピントが合わせずらかった。けっこう難しい撮影だったような気がする。

この場所にはこのカットを撮るために都合5回ほど通ったが、ロクイチ人気が盛り上がっていた割に他の方と一緒になったことがなかった。
この時以来、ここには行っていないが今はどうなっているのだろう?緑豊かな場所だったが、マンションなどが建って大きく様変わりしたのだろうか。
(写真、文 U)
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朝日に輝くロクイチ

1988年1月に撮影した成田線を行くEF5861。
このときに線路を挟んで反対側から撮影した、このブログにも登場する某氏の写真が、さるEF58本の表紙となった。

正月に成田山初詣客を乗せたいわゆる「成田臨」で、このブログをやっている仲間の多くと一緒に撮影に行った。成田線の撮影地はほとんど知らなかったから、あちらこちらを見て回ったあげく7時前後の通過時刻が迫ってしまい、ここ下総松崎~成田の築堤で慌てて撮影した。苦し紛れの望遠レンズによる正面狙いだったが、上ったばかりの朝日に照らされ思いもよらず結果オーライな写真になった。ただし、某氏のように反対側から撮った方が架線柱が写り込まないから、すっきりしたものになった。以降、早朝成田に着くロクイチ牽引列車はこの朝日を利用した撮り方が病みつきとなり、何度か同じシチュエーションで撮影した。

この前月、1987年の暮れに私は父が肺ガンに冒されていることを知り、当時病気をしていた母にも伝えることが出来ず悶々としていたことを思い出す。この写真を撮った後、10日ほどして母に真相を明かしたのだが、何とも言えない辛い宣告だった。
父の病は2月頃から一気に進行して6月に帰らぬ人となったが、それまで鉄道撮影をする機会などなく毎日病院に通ったものだ。
すでに21年が経ち、父の亡くなった年齢に近づきつつあるが、そんなことを考えてか、最近は週に3日程度酒を飲まない日を作るようにしている。

古い写真は、その頃自分の身の回りでどんなことがあったのかを思い出すきっかけにもなる。(写真、文 U)Photo_5

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2009年7月 9日 (木)

両陛下とベルギー国王のお召し列車を牽くロクイチ

久しぶりにEF5861ネタを連発。96年10月のお召し列車。

ずいぶん久々のロクイチ牽引お召し列車撮影だったような気がする。
正直言ってこの頃はあまりにもロクイチ人気が高く、何ヶ月か前からすでに場所取りが始まっていたとも聞いていたから、まあ撮れればいいや程度の気持ちで撮影に臨んだ。
この年の冬に発売予定だったニコンF5を発売前の6月から使用していて、ひじょうに良い感触だったのでこれをもって撮影した記憶がある。人の多い場所で発売前のF5を使用するのはいろいろと制約があり、列車通過ギリギリになるまでバッグから出さなかった。

ベルギーの国王夫妻と天皇、皇后両陛下が乗車したが、国王夫妻も両陛下も御料車の窓を開け、沿線のファンや見送りの人々に終始手を振っていたのが印象的だった。
画像は復路の流し撮り。どうせ正面に日が当たらないからと300ミリ2・8で流したもの(写真、文 U)

Photo

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2009年7月 8日 (水)

思い出の東神奈川

6月28日、7月5日と2週続けて東神奈川~新子安に撮影に出掛けた。昨年の6月以来一年ぶり。その時は3月に廃止になった「富士・はやぶさ」の下り列車の撮影だった。18時ごろ東京を発車し、ここを通過するのが同25分前後だから、日の長い時期でないとここでは撮れなかったが例年同様、梅雨の季節とあってなかなか好天に恵まれない。3回ほど行って満足に撮れたのは1回だった。

東神奈川と言えば横浜寄り跨線橋付近に上り列車を撮影する好ポイントがあった。87年~92年はこの近くに住んでひじょうに行きやすい場所となったが、その横浜寄りのポイントは学生時代からすでに飽きるほど撮影していたため、新子安寄りにどこか撮影に適した場所がないかと探したものだ。そのあげくようやく見つけたのが先日行ったポイント。
そこでやっと見つけたこの場所で下りブルトレを撮ろうと3回ほど行ったのだが、いずれも上り東海道線の普通電車に被られた。こんな不運があるのだろうかといささかうんざりして、以来昨年までこの場所には2度と足を向けることはなかった

今回アップするEF5861の「そよかぜ」はこの悪運が続いた後、気を取り直して行ったときのもの。横須賀線経由だから下りブルトレのアングルとは異なるが、あれだけ運に見放された場所ゆえ、この列車すら撮れないのではないかとヒヤヒヤしながら撮影した思い出がある。
線路作業用のスロープを降りた位置からの撮影で、今はフェンスに鉄の門扉が付いて降りることは不可能だが、当時はそこまで厳重ではなかった。ここで初めて知り合ったのが当時高校生だったA君。今はJR東日本に勤めている。87年8月下旬の撮影だったと記憶している
(写真、文 U)
Photo

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2009年7月 7日 (火)

本当は・・・

このブログで暴露するのはいささか気恥ずかしいのですが、好みから言ったら、ゴハチよりゴナナとなってしまうのです。

私がここに集まっている仲間と出会う前は、そのゴナナの撮影に明け暮れておりました。某Iさんの急行「新星」やYMさんの臨時特急「あけぼの」も懐かしく思い出していました。私からは、ターゲットにしていたトップナンバーの急行「おが」を投稿してみます。夏季臨と冬季臨の季節は決まって東北線へ出かけていました。当時はまだ一眼レフカメラにも不慣れでして、露出などいい加減ですし、ただただ走ってくるゴナナに向かってシャッターを切ることだけで満足していました。

しかしそのゴナナもやがて引退してしまいましたが、その後とんでもない2人の巨人との出会いが、ゴハチ撮影に火をつけました。(写真・文  by K )1976817_6402_ef571

1976-8-17   6402レ  EF571  おが2号    川口駅

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つらら切り+Hゴム

こんな写真がスキャンしてありまったのを見つけました。EF58の前面窓まわりの形態が話題になっているうちに投稿します。

昭和55年頃に品川駅で撮影した、停車中の団臨です。牽引機は東京区のEF58 88。Kさんの投稿へのコメントで書いた番号です。僕が好きだった「つらら切り+Hゴム」で、しかも上越方面のとは違う大型スノープラウ付きなのですが、肝心のつらら切りが妙に上向きで、格好悪いですね。 (YM)

200907_04

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マルヨンとファントムの後継機、F-15J

Uさん、あのF-104J 8688号機は、
古く沖縄市モノレール計画がスタートする前からあの位置にありました。
なので、ゆいレールからの眺望は意識していなかったと思います。
でも、それほど絶妙な角度で据え付けてありますよね。
だいたい、あの写真は一眼だとばかり思ってました。
モノレールとはいえ、揺れて動く車内からコンデジをフル画面にズーミングしつつ撮影ですね。
乗客の目はあるし、いやぁ厳しそうな撮影現場だこと!

F15j_8945 で、ですよ。
ちょっとあの写真に刺激され、今日はこんなのを張り付けてみました。
(各方面に問題が生じかねないのでやや小さめにしました。すいません)
似たようなアクティブな角度を手許にある写真から探したのですが、日の丸を付けた戦闘機ではこれが精一杯の類似カットでした。
ポジ時代のものをじっくり探せばもっと近いカットはあると思いますが、翼が見えないこの角度はあまり撮影しないもので...
この機体はF-104Jによる最初の飛行隊だった201飛行隊のF-15Jです。
201飛行隊はその後F-15Jに機種更新して部隊再編。
今でも千歳の2空団隷下の飛行隊としてこのF-15Jを飛ばしています。
さすがに対ソ連、対ロシアの最前線基地である千歳、時代の最先端最強戦闘機が配置されますね。

でも、写真でもわかるように、
ランチャーに搭載しているミサイルは相変わらずAIM-9サイドワインダーです。
それでも、今もなお改良型が現用されているということは、
いかに潜在能力の高いミサイルだったかの証明ですね。
というより、それを喰らっても平気だったゴジラやキングギドラの凄さが際立つんですかね!

おっと、ここでUさんから今日の分がアップされてました。
ほんと「大窓のEF58以外の各人の好み」が露呈されてますね。
たしかにKさんは以前からつらら切りの話はされていましたし、
YMさんは北のEF15と深い繋がりがありましたから、その影響もありましょう。
でもね、Hゴムがいいか悪いかなんてつまらない話は社会にも人格にも関係ないので言いますが、
私はHゴムのEF58を絶対に認めません!
こういう好き嫌いだけでモノを言うという行為は実に楽しいですね。
「じゃあ、この写真でどうよ」なぁんて凄い対抗写真が出てきちゃうのかなぁ...ワクワク♪

(写真・文/某I)

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キハ181系、再来年に全廃か?

昨日はけっきょく4本の記事が集中した。皆さんの秘蔵写真がいよいよ本格的に寄せられてきて私自身、ひじょうに楽しみになってきた。特にK氏がブログへの画像アップの要領を習得したから、これは面白い展開になってくるだろう。K氏も私と同様、当時からなかなか個性的な機関車が好きだった。大窓のEF58以外の各人各様の好みが吐露され、仲間の知らなかった一面が浮き彫りになる。

@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

かく言いながら当方はありきたりの車両をアップ。1992年秋、転勤で赴任した福岡から山口線に行ったときに撮影したキハ181系「おき」。

福岡に赴任し九州内の鉄道車両の派手さに辟易していた私は、撮影したい車両の筆頭としてキハ181系を選んだ。同行の妻とは2度目の山口線。すでに津和野見物などは経験していたから、今回は主に鉄道撮影に重点を置き、前夜は山口の益田に泊まり駅でキハ181のバルブをやってから山口線へ移動した。もちろんC57も走っていたが、今回はキハ181系に没頭した。

もともとキハ82系が好きだったが、この頃はすでになく、共通のスタイルをした181系はその代わりという意味合いもあった。その181系の「おき」も4両という短い編成では列車写真を撮っても今ひとつ。そこで先頭車両の前部を流し撮りしたものだ。

しかし、当時の私は模型の方に気を取られ、その後はあまり山口線に足を運ぶことはなく
、181系もこの時から一度しか撮っていない。振り返るとかなり衝動的に写欲が高まったのだった。

EOSに300ミリ2・8、ベルビアで流したのがこのカット。その181系も平成23年をメドに全廃されることがJR西日本から発表された。

(写真、文 U)

Photo

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2009年7月 6日 (月)

再び5472列車

以前ちょっと話題にした、53.10改正で出現した、八王子のEF15重連の5472列車の、その後の写真が出てきました。

撮影データをチェックしていないのですが、おそらく昭和55年1月頃の撮影です。八王子には東海道・山陽からEF60が転入し、この頃は確かEF15と共通運用になっていたと思います。

EF60なんて、基本的に興味のない機関車でしたが、元ブルトレ牽引機の500番台が混ざっていたので、少々気になる存在でもありました。

そして、東京に珍しく雪が降った日(まるで積もりませんでしたが)、原宿駅のホームでこの5472列車を待っていたら、500番台のトップ、EF60 501がEF15と重連でやってきました。事前に運用など調べてなく、全くの偶然ですよ。

山手貨物線の原宿は、架線が高い位置にあるので、パンタが高く上がって気持ちがいいです(柱をパンタを重ねてしまいましたが)。それに比べ、やはりホームから撮り易かった恵比寿は、パンタが低くなって見映えが悪かったです。 文・写真:YM

20090702

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北のゴハチ万歳!

19800217_9702ef58107 某Iさんの綺麗な写真の後、これまた野暮な写真で恐縮です。ここでのお仲間は、全てが全て大窓機至上主義であることは疑う余地はありません。私自身もその魅力は理解しているつもりです。確かに大らかな優美な姿は美しく感じます。しかし皆様より少し偏屈なのでしょうか、私は、大窓のゴハチよりもかなり以前にツララ切り付き、Hゴムのゴハチと出会い、その男性的な力強さに魅力を感じておりました。(当時から中々言い出せませんでした)特に写真のような雪を蹴散らしてゆっくりと峠を上ってくる重装備のゴハチは、カッコよかった!今でもそう思いますね。(写真・文 by K)

1980-2-17    9702レ 小出スキー2号 EF58107<長岡>  越後中里-岩原スキー場前

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EF58重連けん引普通列車

今、那覇です。
Uさんのマルヨンの記事に釣られて、思わずコメントしました。
ついでなので、モバイルパソコンに仕込んでおいた1枚をアップしましょう。

さて、
EF58の前面窓のHゴム化は最低最悪の工事だと思います。
1970年代、車体整備工事という名目の下、多くのEF58たちが犠牲になっていきました。
最近では白Hゴムで製造された機関車が黒Hゴムになって違和感を感じますが、
EF58のHゴム化はそれどころではなく、機関車としての魅力を全滅させました。
(半減ではなく全滅です)
Hゴム機にぼくはまったく魅力を感じませんでした。
白状してしまえば、シャッターを切らなかったことさえあります。
(あくまでも私の主観で、Hゴム機が好きな方には大変々々申し訳ありません)

対して、原型窓のEF58は実に美しいですね。
もちろん大窓機についてそれをここで論じるのは滑稽ですが、
Hゴム機があふれてきたEF58末期は小窓機でさえそう感じました。
写真はEF58重連による122列車か124列車です。
先頭に立つのは宇都宮運転所所属のEF58 102号機です。
高二時代に装備されたつらら切りがもいいですね。
その後、102号機は早晩、
車体整備工事から逸脱してHゴム化を単独工事を進めた大宮工場の手にかかりました。

次位機はEF58 58号機でしょう。
PS14A型パンタ、原型よろい窓ですから、58号機しか該当しません(よね?)。
58号機は宮原機関区で「つばめ」を牽引していた青大将時代の1959年、
何らかの理由によってEF58の先陣を切ってHゴム化された機関車です。
その際、大窓の上辺を基準に、下辺の上昇させてHゴム化するのではなく、
上下辺の中央に窓を持ってきたため、おかしなHゴム式前面窓になっています。
珍しくはありますが、所詮はHゴム機のためここで写真は出しません。

(写真・文/某I)

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お気に入りの〝マルヨン〟

昨年、家族で沖縄へ行ったときに那覇の「ゆいレール」車内から撮影したF―104保存機。

実はこの〝マルヨン〟、昔から大好きでよくプラモデルで作ったものだ。
幼い頃に見た「ゴジラ」など怪獣映画には必ずや登場してきて、サイドワインダーミサイルで怪獣たちに立ち向かうのだが、あっけなくゴジラやキングギドラなどにやられてしまう。それでも編隊を組んで飛行する姿はなかなかカッコ良かった。

F-86に次ぐ航空自衛隊の主力戦闘機で、1号機は1962年に初めて納入された。

ロッキード社が開発し、新三菱重工(現三菱重工)がライセンス生産したと記憶している。
設計したケリー・ジョンソンはミスター・ロッキードと称されたロッキード社のカリスマ設計者で、75年に退職するまで〝スカンクワークス〟という先進航空機開発集団を率いP-80、T-33、Uー2など歴史に記憶される傑作機を生んだ。

1985年12月に対侵措置任務を解かれた那覇基地所属の第207飛行隊に所属するF―104が、最後の実任機の運用となったと聞いているが、その後も残った可動機は無人機に改修され、97年に標的機として撃墜されるまで、1号機の納入から35年間の活躍だった。僕の知っているF―104に関する知識はここまで。

沖縄に出張するたびに航空自衛隊那覇基地に保存されている同機を見ていたが、塀の中なので写真が撮りづらく、昨年ようやく「ゆいレール」車内から撮影した。
シルバーの塗装も魅力的だが、現在作っている1/48モデルは、第207飛行隊の塩害防止用ライトグレイ塗装機と決めている。
(写真、文 U)
F104

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2009年7月 5日 (日)

どうにか・・こうにか・・(テスト)

200975_583x6bro_2 画像投稿テストを兼ねて本日東海道線で撮った583系のイベント列車を貼ってみます。U様のおかげで良い角度で撮影できました。ありがとうございした。

追)

U様。お蔭様でインストールして、思うように画像が取り込めました。まずは自分なりに色々いじってみます。ありがとうございます。(by K)

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170両のEF58

いや、ゴハチは172両ですよね。でも私にとっては170両なんです。

全機つぶしをコツコツとやってましたが、結局21号機と28号機は撮れず仕舞い。。。1回でも竜華に行っておけばと悔やんではいますが、でも18号機、19号機は1回しか撮ってませんし(それも広島工場に送り込まれてから、無理言って工場に入れてもらって撮ったんです)けっこう短期間では頑張ったほうだと思ってます。

写真は私の170両目となった50号機です。

1979年12月11日(火)16時28分に長岡運転所の外れに留置してあったところを撮りました。

(写真・文:K.M.)

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2009年7月 4日 (土)

EF5861と木製ポール

5月31日に、ここにアップした列車の折り返し回送です。

場所は東海道本線、掛川ー菊川間、午後の上り列車が順光になる貴重な場所で、かつ程よいカーブと木製ポールという大好きな撮影地でした。

このころ(1983年)の東海道には、まだ木製ポールの区間も結構残っていて、焼津や金谷、掛川など、よく出かけました。この写真もあえて木製ポールとわかるように撮った記憶があります。

アングル的にも私はアウトカーブでちょっと頭が傾いたあたりが好きで、このように冬場のやさしい光の中でのいわゆる「ベタ順」、シャッターチャンスもしっかりパンタがクリアできており、私の中ではほぼ完璧な作品の一つです。ワイパーが開いてしまってなければもっと良かった・・などと言ったらバチがあたりますね。

こんな場所でも当時撮ってたのは私一人でした。。。

(写真・文:K.M.)

1983年2月13日 回9442列車 EF5861+14系10両

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2009年7月 3日 (金)

神田のロクイチ

久しぶりに表題のEF5861ネタ。
1978年1月10日、神田で撮影した新潟鉄工製24系25型客車の配置区への回送。

このころはまだロクイチの運用を調べて撮影に赴くなどということは考えもつかず、たまたま撮影した。
この品川~田端の運用は東京機関区唯一の定期(これとて厳密に言えば臨時だったらしいが)運用で、いったんこの仕業に就くと何日か繰り返して入っていた。
このスジはなかなか面白い車両を牽くこともあり、目が離せない。新製車や転属車の回送や廃車される車両もここを通ることが多かった。情報がなくても偶然に面白い編成の列車を見ることもあった。

神田駅の秋葉原よりは、ホームが狭まっていて人数が集まると大変だったが、ここで会うのは顔なじみばかり。この日は某I氏もここでブロニカを構えていたのを鮮明に覚えている。晩年の姿のような毒々しく艶々、ピカピカの塗装よりも格調があると個人的には思う。冬の斜光が印象的だった。(写真、文 U)
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2009年7月 2日 (木)

「みずほ」の並び

鳥栖駅に並ぶ「みずほ」のマーク付きED76。

ただし向こう側のED76は後ろに客車を従えて門司から到着した本物の列車牽引機。手前はここで分割され長崎に向かう「みずほ」を牽引するため、構内で待機するサザンクロス専用機のED7678。「みずほ」はこの後、しばらくして廃止となったが、九州在勤時代、この78号機も同時期に廃車になると聞き慌てて何度か撮影に行った。

これを撮影した鳥栖駅に隣接する場所は昔の鳥栖機関区跡地で、今ではJリーグのスタジアムになっているが、この頃はまだ工事も始まっておらず撮影にはもってこいの場所だった。自由に立ち入り可能な空き地で、構内とは胸の高さぐらいの柵で仕切られているのみ。この写真も100ミリ程度のレンズで撮れた。

ところで交流電機は前のパンタグラフをおろしているため、こうしてみると休んでいるように見えてしまうのが難点。向こう側のホームに止まっている76も、こちら側の76もともに後ろのパンタは上がっている。(写真、文 U)
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添乗2の機関車

連続投稿ですみません。

1つ前の「蒸気機関車に添乗2」の機関車の外観写真です。ボイラーもキャブもテンダーかなり傾いていますが、それでも走行には影響ありません。燃料は重油です。キューバは石炭が採れないので、古くから重油専燃機が主体で、この機関車もおそらく1925年の新製時から重油専燃だったのだと思います。

21世紀初頭までは、キューバ各地で専用線の現役蒸気機関車が見られましたが、2003年頃から急速に淘汰が進み、今はごく少数が残る程度になっています。写真の機関車も、今は予備機となって殆ど稼動していないらしいです。 写真・文:YM

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蒸気機関車に添乗2

もう1枚、蒸気機関車に添乗した時の写真を投稿します。

これは、キューバの製糖工場専用線の機関車です。製糖工場専用線というと、東南アジアで見られるような、ナローゲージの小型車両を連想する人が多いのですが、キューバの場合は全土各地にあった専用線のうち、大部分が標準軌(1435mm)で、蒸気機関車も大きいです。この機関車は、1925年アメリカン・ロコモーティブ社(アルコ)製、車輪配置2-8-0(コンソリデーション)。

この機関車が、製糖工場構内のヤードで入換えをしているところを普通に撮影していたら、乗務員に「乗りなさい」と言われ、拉致同然にキャブに乗せられました。キューバの専用線ではよくあることで、これまでに覚えていられない位(10回以上?)こうして添乗しています。

キューバの蒸気機関車も、右側が機関士席です。僕は左側の機関助士席に座れらせてもらいました。持っていたのが広角側が35mm相当の画角のズームレンズ付きデジカメだったので、こんなのしか撮れていません。

機関士が着座姿勢がだらしなく見えますが、決していい加減に仕事をしている訳ではありません。入換えのために前進・後退を繰り返すのですが、後方を見る時、テンダーが視界を邪魔するので、キャブ側窓から暴走族の「ハコ乗り」みたいな姿勢で上半身を外に出します。それがし易いように、こんな座り方をしているのです。

この機関車の逆転機は手動式ですが、日本の制式機のようなネジ式ではなく、逆転腕とロッドを介してつながったレバーが、床に立っているタイプです。日本でも、古典機に同様のがありましたね。 写真・文:YM

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2009年7月 1日 (水)

福知山機関区で撮影したDD54

ディーゼル機関車はけっこう撮影した。このDD54も残り少なくなった1977~78年に撮りに行ったものだ。
この頃、DD54は福知山機関区に数両が残るのみ。それも播但線用に細々と活躍していて、DD51と共通運用。どの列車がDD54牽引なのか全く分からない。
そこで直接、福知山機関区に行ったときの写真がこれ。

福知山機関区には蒸気機関車現役時代にちょっとだけ行ったが、まだ扇型車庫やターンテーブルも残っていて、かつての雰囲気を味わえた。もともとDF50やDD54が残る山陰本線京都口は大好きだったし、嵯峨野から保津峡周辺は鉄道趣味を離れても興味深く、化野念仏寺や祇王寺などの行き帰りに軽く鉄チャンをこなしていた。それでもまだ高校生ゆえ、遠征費もままならず、DD54の走行シーンは気に入ったカットが残せなかった(DF50も同様)。

そのため模型でこの地区を走ったSLやDLを集めようと考えた。DD54はエンドウというメーカーが模型化したが、ひじょうに簡素なディテールで、本格的なディテールを纏ったものは大分後になってから東京・板橋のムサシノモデルが発売した。
こちらはなかなか素晴らしいもので1次型、2次型の2両に大枚をはたくのも当然という出来だった。

この画像はコダクローム25。そのコダクロームも最近、とうとう製造中止になってしまった。(写真、文 U)
Dd54

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EF57けん引特急

某Iさんに対抗し(?)私もEF57モノを投稿します。

20系の「新星」は、上野へ撮りに行ったことがありますが、地平の一番山側のホームだったので、ろくな写真になりませんでした。大宮という手があったのですね。あんなに早く行く手段がなかったので、もし知っていても行けませんでしたが。

写真は、EF57 4けん引の特急、1976年の年末に設定された「あけぼの51号」です。撮影場所は野崎~矢板間で、客車は全然貫禄のない14系座席車。20系に比べ、まるで見映えがしませんね。

編成も途中までしか見えないですし、「新星」の写真にまるで対抗できていませんが、「最後の最後の時期にも、EF57は特急運用に就いていた」というお話でした。

写真・文: YM200907_01

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