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2009年6月

2009年6月30日 (火)

お座敷列車

Uさんが、なんでお座敷を追いかけていたのか・・・と書かれてましたが、当時、確かグリーンの帯が消えるということで、6両全部帯の残っていた金沢(金フイ)や門司(門トス)の編成を追いかけていたような記憶があります。

この写真は横軽で捉えた三重連「門トス」座敷です。

ここの仲間の方々の多くとご一緒させていただいたと思います。

(写真・文:K.M.)

1979年3月1日 8304列車

35r011228

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EF57けん引20系「新星」

1976年10月改正は機関車と20系編成にとって大きな変革があったダイヤ改正でした。

20系はヨンサントオ改正での110km/h運転化によりブレーキシステムがAREB化されていて、
ブレーキのためのエアがすべて元空気溜メ管から直接供給されるシステムに変わっていました。
つまり、電磁ブレーキ、増圧ブレーキの有無などによって最高速度は機関車によって違いましたが、
最低でも元空気溜メ管引通しのある機関車でなくてはけん引自体できなかったのです。
(単弁でブレーキをかければ済む入換などは別です)
1972年10月から特急仕業に復帰した下転と米機のEF58がそうでしたよね。
20系をけん引するために元空気溜メ管引通工事が本社特修で施行されました。

それで話は1976年10月改正です。
この改正では14系や24系に余裕が生まれ、玉突きで20系になんと余剰が出てしまったんです。
すると、20系は10系寝台車をターゲットに置き換えを図りました。
そこで20系に置き換えられたのが急行「銀河」「新星」「天の川」でした(これでいい??)。
この置き換えの凄かったところは、
181系電車のクハ181ボンネット内に搭載していた大型コンプレッサをカニ21の荷物室に搭載、
なんとそこから元空気溜メ管に直接エアを供給するシステムにしてしまったところです。
これなら編成内でブレーキシステムが完結して、けん引機の元溜メ管限定はなくなります。
というわけで、
カニ21改造のカヤ21を連結した20系編成に限って一般機でもけん引できるようになりました。

さて、その頃、
宇都宮運転所では1975年3月以降、広機と下転からEF58が大量に転配され、
EF57が全廃の危機に瀕していました。
全廃の1978年10月を待たずに多くの機関車が運用から離脱し、
1976年10月改正以降は定期仕業に就くことも少なくなっていました。
でもね、あったんですよ、1102列車急行「新星」をけん引する機会が。

写真は1976年12月だと思います。
まだ朝4時台、未明の大宮駅構内です。
EF57 11号機がさっそうと20系編成の先頭に立って滑り込んできました。
かっけぇ〜♪

(写真・文/某I)

Ef57_11_01ssss

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磐越東線のDD51

今回でいったんDD51ネタはおしまい。

福岡の転勤から戻った94年~95年当時、DD51を撮りに磐越東線に何度か通った。
きっと九州のあの毒々しい車両カラーへの反発が多分に作用したものだと思う。前面白帯やスノープローもない九州のDD51に比べると郡山の所属機はどれも重厚に見えた。今考えると大して特徴があるわけでもないのだが、遊園地の列車のような九州の車両を見慣れた目には久しぶりに撮影をしたくなるようなネタだった。

磐越東線はかつてDD51の3重連があり、行ってみたいと考えながらも機会を逸した場所だ。この頃はすでに貨物輸送も縮小され、郡山~船引間に日に1,2往復の貨物列車が残されていたと記憶している。どの列車も重連で、撮影には三春~要田の通称「Ωカーブ」の人気が高かったが、私自身は1、2度行ったきり。客観的に見ればひじょうに良い撮影地なのだが、望遠レンズ好きの自分には物足りなかった。

DD51には好きな角度があって、僕はこういう前がちのアングルが好み。今回アップしたこの写真は撮るのにけっこう長いレンズを使った。しかもこの場所はうっそうとした雑木林。虫に刺されたり蛇に出くわしながら重いレンズを担いで登攀した記憶があるが、その苦労のわりにありきたりの写真に落ち着いてしまった。(写真、文 U)

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2009年6月29日 (月)

DD51のお座敷列車

DD51ネタが続く。
1980年12月、久住~成田で撮影したお座敷列車。
この頃、なぜかお座敷列車を追っていた。きっと一時の気まぐれでもあったのかもしれないが、EF5861の牽くお座敷やオールグリーン車が走ると必ずと言って良いほど出撃していたから、きっとその延長でやみくもに狙ったのかもしれない。
当時は特別関心のなかった横軽や、ED75のお座敷列車なども畏友H氏と撮りに行った。

この頃、総武線や成田線などは滅多に行くことはなかったが、ぶっつけ本番で順光、しかも架線柱が片側のすっきりした場所を見つけることが出来たのは僥倖だった。(写真、文 U)
Photo_2

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2009年6月28日 (日)

蒸気機関車に添乗

某I様から、ありがたいお言葉を頂いたので、6月23日に投稿した、カリフォルニア州サンフランシスコ郊外で運転の動態保存蒸気機関車、サザン・パシフィック鉄道2472号機の、走行中の運転室内の写真を掲載します。

アメリカの保存蒸機運転の際、「Cab Ride」チケットというのを販売し、特別料金を払ってキャブに添乗させてくれることがよくあります。それを利用したことも以前あるのですが、今回はそうではありません。特別編成を使用した撮影会に参加した際、唯一日本からの参加者であった僕(他に米国以外からの参加は、イギリス人がいた程度でした)は、鉄道会社側から「せっかく遠くから来てれたのだから、キャブに乗りなさい」と招待されたのであります。

おかげで、キャブ添乗中は、地上での走行写真撮影の機会を逸してしまったのが残念ですが、このような好意は、実に嬉しいものです。持参したカメラは、ズームを最も広角側にしても28mm相当の画角しかなく、これが精一杯。でも、日本の蒸機より、キャブがずっと広いので、かなり助かっています。なお、この機関車は重油専燃なので、この撮影位置に僕が立っていても、機関助士の仕事の邪魔になりません。

日本と違い、機関士席は右側で、大正時代の製造だというのに、動力逆転機を備えています。米国では、カットオフ率を微調整しながら走るような、高い技術を使った運転をしないので、本線用蒸機はほとんどが動力逆転機付きです。小型機も、ネジ式逆転機ではなく、レバーが直接逆転テコにつながったタイプです(ジョンソン・バーというのでしょうか?)。

自動車に例えると、高回転型のエンジンと、クロスレシオのギアを駆使して運転するのが日本で、トルク型エンジンとワイドレシオのギアで、シフトチェンジをあまりせずに運転するのが米国、という感じで、蒸機も全く同様なわけです。

文・写真:YM

200906_04

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磐越西線の客車列車さよなら運転

今日は東海道本線に「レトロ横濱」号という、旧型客車7両を電気機関車がプッシュプルで牽くイベント列車を撮影に行った。6月上旬にも走ったが前回は客車7両。今回は7両のフル編成でファンの注目も高く、撮影地はどこも多くの人出でにぎわったようだ。
この手のイベント列車はあまり好きではないが、牽引するEF641000番台にこのところご執心なので回送列車のみ撮影した。

きょうはK氏と一緒だったが、かつてそのK氏とD氏の3人で行った磐越西線の「さよなら客車列車」の際の画像をアップする。
もちろんまだリバーサルでの撮影で、このときは気合いを入れて2台のカメラを使った。そのうえでこちらの長いレンズの方は適正露出よりもアンダーにして、DD51を浮き上がらせるようにしたのを思い出す。キヤノンのEOS1とF1という、レンズには互換性のない組み合わせだったと記録にある。

たしか11月下旬の、そろそろ寒くなる頃で他のコマを見ると雪を被った山が写っているカットがある。撮影地の近くで昼食に蕎麦を食べたが、偶然入ったそのそば屋はなかなか美味しかった。定期列車にはこの日が最後となる50系の赤い客車が使用されていたが、このサヨナラ列車は旧型客車3両で組成され、人気の高いDD51745が使われた。直前にDE10の団臨も走ったし、もう1本、妙な塗装のDE10が牽く列車もあったから沿線は大にぎわいだった。C57180の復活前だったが、当時から風光明媚な磐越西線はファンに人気があった。95年11月のこと。もうあれから14年だ。(写真、文 U)
Photo

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2009年6月27日 (土)

ED75重連「ゆうづる」

さっきこの下にアップした常紋の記事なんですが、
実はその話だけして、ほんとはED75「ゆうづる」を出そうと思ってたんです。
でも、カマ話が長くなってしまったのでC11の写真にしてみました。
なので、続けてですいませんが、今度こそED75「ゆうづる」です。

1985年3月改正は全国のブルトレにヘッドマークが復活したダイヤ改正でした。
その当時、最盛期には4往復あった客車「ゆうづる」は2往復に半減していましたが、
それでも青森機関区のED75Pがきちんと水戸以北を担当していました。
編成がもう20系ではなく、けん引機のED75はP型じゃなくてもよかったんですが、
国鉄時代の末期、青森機関区所属のED75はほとんどがP型でした。
かくして、ヘッドマークが復活したED75P「ゆうづる」の撮影がまた再開しました。

最初はそれだけで満足してたんです。
でも、その直後のGWに設定された季節急行「十和田」の運転ぶりを見て、ハタと思いました。
上下の運転日を見ると、使用される14系は青森運転所ではなく尾久客車区の車両です。
ということは、運転開始に先立って機関車の送り込みが必要になり、
運転が終わればまた機関車の所定復帰が必要になる計算になります。
こいつは.....
あわてて盛岡局の達示を見てみると、直感は当たりました。
青森機関区から季節「十和田」の運転開始前日の2列車「ゆうづる」の次ソで機関車を送り込み、
運転終了後の3列車「ゆうづる」の次ソで機関車の返却がありました。

そうなれば、あとはやることは一つです。
ヘッドマーク付きED75重連「ゆうづる」が撮れるのです。
それも、1001号機が先頭なんです。
(どうして1001号機が先頭になるのかは聞かないでください)

下の写真は改正直後の最初の連休だったと記憶しています。
季節「十和田」はGWぶっ続けではなく、4月下旬と5月上旬に期間を分けて運転したのでしょう。
GW中にはたしか下りだけで2回重連の機会があったと思います。
写真は文字どおり初回の重連だったはずですが、Uさんの話に再三登場するHさんと同行しました。
向かうのは順光場所が点在する十三本木峠の区間です。
二人、前夜上野発の583系寝台に乗り込みました。
(「ゆうづる」だか「はくつる」だかは忘れました)
その前の月から久しぶりに通うようになったここですが、土地勘がまだ完全には戻っていません。
たしか小繋ー小鳥谷間の直線が、セパレートトンネルの手前で頭を左に振ると思う。
とりあえずターゲットはその場所でどうだろうということで眠ったと思います。
ぼくのベッドは進行方向右側。
翌朝、列車はこの区間に差し掛かりました。
583系の小さな窓から夢中でポイントを確認すると、やはり綺麗に撮れそうです。
レンズは二人とも400mm。
400mm用に十分に下がれるスペースがあることを確認しました。
北福岡(現在の二戸ですね)に到着して、すぐにタクシーで取って返します。

空は快晴、ほとんど無風で曇る心配まったくなし。
やってくるのはヘッドマーク付きED75 1001先頭の重連「ゆうづる」。
通過前からこれは決まったと勝利の握手をしていたことを覚えています。

(写真・文/某I)

Ed75_1001sss

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常紋行っちゃった♪

6月中旬から下旬にかけて初飛行するといっていたB社の飛行機なんですが、
直前のチェックで大きなトラブルが発見されたようで、またまた設計変更をするようです。
3日前までは今日出発の予定だったんですが、急遽便をキャンセルしました。
この新しい飛行機、こうして2年間のびのびになってきたので慣れてはいるんですけどね。
初飛行というもの、この日に飛ぶよといって飛ぶ性格のものではないので仕方はないのですが、
飛行が見込まれる期間中にまったくほかの仕事を入れられないことが辛いですね。

でもね、ですよ。
今回はそれを逆手にとって、なんと24日の常紋の試運転に行ってきちゃいました。
去年の常紋のように直接の仕事ではないので、好き勝手に撮っていいという素敵な環境で♪
今年は下り向きですから、去年逆向だった生田原側の146K地点で前向きが撮れます。

たかがC11と言うことなかれ、なんです。
DE15重連補機はノッチオフすれば立派な死重なんですよ。
上り25‰をC11が1両で、客車と合わせて換算27.5両、275tけん引ですから結構なものです。
往時のD51でさえ(498はボイラ圧力が低いので話になりませんが)、
30km/h程度しか出せない重量です。
はたして、DE15重連は見事にノッチオフ状態で146K地点を通過。
対するC11 207号機は体を左右に大きく震わせてじりじりと登っていきます。
レギュレータは満開の手前、チェストは30くらいなんですかね。
常紋信号場構内手前のサミットまでもう2kmを切っていますから、キャブでは投炭を終え、
乗務員全員が「こいつはどこまでやれるか」という興味津々の顔をしています。
カマの調子はすこぶる良好だったそうです。

まぁ、こんなことで喜んでいるのは今だからですね。
当時、この区間の補機が9600からDE10に変わったことから、
あんなに好きだった常紋越えに寄り付かず、
朝のC58けん引の1527列車を撮り終えても、そのまま北見以北に残った日もあったくらいです。
(1527列車とは、オロハネ10、スハネ16、スロ62を連結する急行「大雪」崩れですね)

ところが、今。
カマはD51じゃなくてC11ですし、
補機だってDE15が重連で、しかも次位に付いています。
それでもほいほい行っちゃうんですからね。
私も大したもんです。

(写真・文/某I)

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2009年6月26日 (金)

山田線のお召し列車

先日、神戸に単身赴任しているH氏が帰京したので南浦和へ「能登」「北陸」「あけぼの」を撮りに行った。K氏も一緒で久しぶりの鉄チャンだ。昔はしょっちゅう撮影に行ったものだが、社会人になってからはその機会がほとんどない。皆それぞれ社会や組織の中枢となって、趣味に割く時間がもてないのだろう。
かつてはお召し列車が走ると皆、集まってワイワイやったものだが、EF58が消え、客車のお召し列車がなくなっては、もうそんな機会はないかもしれない。

この山田線のお召し列車は97年のことだったと思う(間違っていたらゴメンナサイ)。その2年前、九州から帰った僕は車をワゴン車に変え、磐越東西線などにDD51を撮影に通っていた。それまで乗っていた2台の車のうち、2人乗りのユーノスロードスターをワゴン車にすると、その利便性は際立った。ほとんど荷物が乗らないユーノスだったが、こと運転に関してはひじょうに楽しく、九州の山道などでは思う存分振り回すことが可能で、今まで乗った車のうちのベスト1なのは間違いない。
しかし子どもが出来たことを契機に乗り換えたBMWのワゴン車も、旅行やスキーに行くのに重宝し、2001年に買い換える6年間で約6万5千キロを走破したから記憶深い車だと言える。

そんなワゴン車で最も遠距離を走った旅行のひとつが、この山田線のお召し列車の時だった。
お召し列車ということもあってふだんは忙しいH氏が神戸から駆けつけるとあっては、僕も会社を休まないわけにはいかない。彼を東京駅か上野駅でピックアップして東北自動車道を北上した。

山田線は初めて訪れるところで、撮影にはどこがよいのか皆目見当がつかない。早めに盛岡のホテルを出て線路に沿って場所を探し、ようやく見つけたのがこの蟇目~茂市のポジションだ。H氏もどちらかというと私同様、一号編成よりも機関車主体の望遠レンズ派で、この場所を気に入ってくれたようだった。線路にきわめて接近していることもあって、警備の警察官に排除されるかもしれないと危惧したものの、そんな心配は杞憂に終わり、日の丸も良い具合になびいて撮影できた。

惜しむらくは晴れなかったことだが、晴れたら正面に日が当たらなかったかもしれない。
ベルビアはコダクロームよりも曇天に強いようで、色もまあまあ満足だった。

(写真、文 U)Photo_5

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2009年6月25日 (木)

五稜郭の3つ目DD51

1984年7月、北海道・五稜郭機関区で撮影した3つ目のDD51。
前年秋、結婚した私は妻と北海道へ一週間の旅行に出た。大阪から羽田経由で着いたのは函館。そのまま、トラビスト、トラピスチヌの両修道院や朝市など市内観光を楽しんだ。そうして函館山の夜景を見る前に時間が余って訪れたのがこの五稜郭機関区。

北海道から蒸気機関車がなくなって以来、久しぶりの北海道。すでにSL時代の扇形機関庫なども取り壊され、広い構内にはDD51などのディーゼル機関車が並んでいた。
職員用の通路を通って事務所で許可をもらったのだが、この頃から構内での撮影がうるさくなったようだ。事前にアポを取らないで訪問したため、最初は渋られたが、大阪からDD51の3つ目タイプを撮りに来たと言ってなんとか許可をいただいた。
運の良いことに斜光が当たる最高の位置に710号機や742号機が止まっていて、形式写真を存分に撮影した。
ご存知のように3灯のDD51は745号機が最後まで長岡に残り、磐越西線などをはじめとした線区で活躍し人気を博したが、五稜郭機関区はその発祥の地と言え、ここで国鉄時代に撮れたことはラッキーだった。

この後、我々は函館山からの夜景を見て、宿泊先の大沼プリンスコテージへ移動したと記憶している。それからの旅行中もDD51の牽く急行「ニセコ」や「大雪」、釧路機関区では留置中のラッセル車、それに神居古潭など道内各地の保存蒸気機関車などにも、観光の合間にカメラを向けたものだ。

(写真、文 U)

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2009年6月24日 (水)

〝ゴミ袋〟電車

これも九州赴任時代の画像。
工場で完成した883系電車の試運転。撮影は94年だったと思うが定かではない。
後に博多駅でお披露目され、ベールを脱ぐのだが、最初は「お楽しみ」という意味合いを込めて外観を隠して試運転が行われていた。

デビュー後の姿はなかなか好評だったのだが、この試運転の姿は最悪。
前面のデザインを隠すなら隠すで、もっとカバーのやり方がなかったのか?これでは高校生の文化祭に出品する突貫工事で作り上げた作品以下だ。まるでゴミ袋を張り合わせたようなカモフラージュは、試運転とは言え、仮にも本線を走らせる新型電車の印象を悪くした。

鹿児島本線・天拝山~原田で撮影

(写真、文 U)
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2009年6月23日 (火)

カートレイン

ヘッダーの所に記された題材のうち、「車」に一番乗りさせて頂きます。

最近、「こんな写真も撮っていた」と気づいたカットをスキャンしました。今は恵比寿ガーデンプレイスとなった、恵比寿駅構内における、「カートレイン九州」への、自動車積込みの情景です。

この列車、20系と貨車の混結という、今思えば凄まじい編成でしたね。一度だけ利用し、その時にこの写真を撮りました。

ナロネ21に乗ったのも、これが人生で一度だけ。A寝台というのはリッチな気分で良いのですが、食堂車も車販もなく、恵比寿の乗車場所は貨物駅跡で何も売っていない、という悲惨な環境でした。途中、静岡の運転停車の際、ホームで駅弁を買えるようになっていて、何とかそれをゲットしましたが、販売数が少なく、買えなかった乗客も居たと記憶しています。

その後、この列車はいつの間にか浜松町発着となり(最初は汐留発着で、その次に恵比寿発着になったそうですね)、さらにいつの間にか客車が14系になり、そのうち廃止となりました。 (写真・文:YM)

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私事ですが(ここに書くことはみんなそうですが)、今日で生まれて半世紀になってしまいました。

そんなことはともかく、いつもブログの頭に「飛行機・・」という文字が書かれていれ気になっていたのですが、ついにUさんが壁を破って掲載いただきましたので、旅客機ファンの私も、今後は両刀遣いで参戦させていただきます。

でも今日は鉄道で。写真は篠ノ井機関区でのEF62の1号機・2号機・3号機の並びです。

おそらく大多数の方々は、この時、山陰本線でDD51のお召し列車を撮りに行かれていたのではないでしょうか。直流電気機関車フリークとしては、これを撮っておいて良かったと思います。

(写真・文:K.M.)

1985年10月20日撮影

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過去最悪のヘッドマーク

1994年に鹿児島本線原田駅で撮影した「あかつき」

私が過去、見た中で最も汚らしいヘッドマークを付けた列車をアップする。
遠くから接近する姿を見ても「あかつき」とは思えず、すでに廃止されてしまった青を基調とした「彗星」でもやって来たのかと思ったほどだった。白いはずの部分はさび付いていて、こんなマークなら付けない方がマシだ。運転する機関士さんも、ブルトレを運転しているという誇りを感じなかったことだろう。

それにしてもどうしてこんな汚いマークが残っていたのか?
今となっては想像もつかないが、私が今までに見た中で最も汚らしいヘッドマークだった。

(写真、文 U)
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動態保存蒸気機関車を撮る

この種の題材は、あまりウケないでしょうが、どうか御容赦下さい。

先月下旬、米国カリフォルニア州サンフランシスコ地区へ行ったのですが、その際の最大の目的は、この機関車の撮影でした。

サザン・パシフィック鉄道P-8型(1921年ボールドウィン製、車輪配置4-6-2)の動態保存機、2472号機です。これが、サンフランシスコから自動車で1時間半位のスノールという所で、年に数日程度走ります。

今回、5月23日(土)、通常の観光列車とは別に、特別列車を仕立てた撮影会があるというので、それに参加しました。被写体として見映えが良いよう、旧型客車5両編成を用意し、それを蒸気機関車が牽引。参加者は、その客車に乗車。列車は撮影地点で停車し、そこで参加者は下車し、撮影のセッティング。そして、列車は一旦バックして視界から消え、参加者の準備が整ったところへ、力行して通過。その走行シーンを撮影するというもので、いわゆる「フォトラン・バイ」です。

全てお膳立てされた、このような撮影のやり方に賛否はありますが、私のような横着者には、大変ありがたいです。この日は、朝8時から12時までの撮影会で、4箇所でそれぞれ2~3回走行してもらいました。

この機関車は、スポーク動輪で美しいスタイルのパシフィック。それが旧型客車編成を牽き、サンフランシスコという大都市の郊外で走るというわけで、実に恵まれた条件です。日本に例えると、青梅線か八高線あたりで、C51がスハ32系客車の編成を牽くようなもの。

投稿する写真は、機関車と客車の形が分かるカットを選んだのですが、煙の形が半端で構図が不安定で、恐縮です。 (写真・文:YM)

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2009年6月22日 (月)

これで溜飲を

Uさん、2枚連続のYSのなつかしい写真をありがとうございました。
外観にすら興味のない旅客機のスキャンにアップ、さぞや退屈だったことでしょう。
そこで、このブログの意趣に沿うかどうか疑問なんですが、
Uさんお気に入りの航空機を1枚アップしてみますね。
航空自衛隊のF-4EJ改「ファントムII」です。
今や本国アメリカには当然現役機は1機もないF-4ですが、航空自衛隊では2飛行隊で飛んでいます。
写真は那覇基地にいた頃の第302飛行隊のF-4EJ改で、
これはスクランブルで上がって帰投してきた実任務機です。
両翼にミサイル(AIM-9Lサイドワインダーという空対空短距離ミサイルです)が見えますが、
スクランブル発進を待機していた機体なのでこれは実弾です。
Uさんが好きなF-4はおそらく米海軍あたりのバリバリの時代の機体だと思いますが、
せめて航空自衛隊のF-4を見ていただいて退屈なYSの溜飲を下げてくださいな。

(写真・文/某I)

F_4ejs

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ついでにもう1枚

Iさん、解説ありがとうございました。撮りかけのフィルムを完了させるのに撮った写真でした。高松のえん罪事件の裁判で出張したときのものだったと記憶しています。

もう一枚、東亜国内航空のYSをアップします。
たぶん、他の場所では一生、日の目を見ることはない画像だからお許しください。

(写真 U)
Tda

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今度は〝芸風〟どころか〝畑違い〟

昨日に続き〝芸風〟どころか畑違いの画像。
たまたまポジのスキャンをしていたらこんなものも撮っていたと思いだした。

我々の仲間には航空機にも関心をもち、さまざまな飛行機の写真を撮っている仲間が多い。中には某I氏のようにその道のオーソリティとして活躍している方もいるが、僕は全く興味がない。プラモデルで戦闘機を作るのは大好きで、F104やF4といった、かつての航空自衛隊の主力戦闘機を部屋には飾っているが、旅客機には正直、乗るのも嫌なくらいだ。
生来の高所恐怖症に加え、狭い空間のさらに狭いシートに乗っているのも苦痛だし、搭乗前の荷物検査などが鬱陶しい。航空機の外観にすら興味がないから、まさかこんな写真を撮っているとははるか昔に失念していた。

撮影は1983年7月の高松空港。
仕事を終えを多度津でDF50や琴平電鉄の仏生山駅で電車を撮影していたら、電車(当時は宇高連絡線)に乗り遅れて、仕方なしに航空機を利用した。その時に時間が余って、この全日空と東亜国内航空(当時)のYSを撮影してリバーサルフィルムを完了させた。

門外漢の私がこのような写真をアップするのははばかれるが皆様、何か付け加えるようなお話でもあればご教示下さい。
(写真、文 U)Photo_2

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2009年6月21日 (日)

ED75三重連

B社の飛行機の初飛行がまだ足踏み状態で、依然として東京におります。
ほかに撮影がないという、降って湧いた大チャンス期間なので、できる限りアップしちゃいましょう。

さて、5月に始まって以来、我々のブログにはさまざまな車種が登場しています。
タイトルでもあるEF58 61号機は言うに及ばず、
そのほかの旧型電機、交直流機、DL、電車などたくさんですね。
でもね、なぜかまだ登場してない車種があるんです。
それは交流機です。
そこで、先日の続きの捜索をしまして、「ゆうづる」あたりのED75でもないかと...
すると、先にこんなのが出てきました。
ED75三重連です。
ネガを見つけてルーペでのぞくと、それだけで「おー!」と記憶が蘇ってきました。

これは1976年8月くらいですかね。
奥中山のD51の残像を追い掛けて、東北本線十三本木峠によく出掛けていた頃です。
この頃の十三本木峠区間は、早朝に下り20系「ゆうづる」が4本立て続けに来て、
その合間にED75P重連の高速貨A3053列車、急行「十和田」なんかが下っていきました。
このゴールデンアワーが終わると、団臨でもない限り何も撮る列車はこれといってなさそうですが、
実は午後からも撮る列車があったんです。
というより、むしろその列車の方が大本命といえたかもしれません。
お昼の高速貨A3052列車の後を追い掛けるようにやってくる地域間急行2168列車です。
何といっても、2168列車のこの区間はED75三重連。
盛岡機関区のED75が先頭に立ちます。
ED75重連で1200tけん引できますから、あくまでも回送三重連ではあるのですが、
3両とも定期仕業という完全定期三重連でした。
ダイヤの線上にもきちんと△△という表記があったと記憶してます。

ちなみに、重連総括制御装置は文字どおり2両の機関車の主制御装置しか総括制御できませんから、
機関士は1両目と3両目の二組が乗務しています。
この時代ですから、ノッチ入れ、切りの際には今のように列車無線を使わず、
きっと気笛合図をしていたはずです。
写真は小繋ー奥中山間の4号オーバークロスですが、
ここからすぐの中山隧道付近が峠のサミットですから、
よく注意してれば絶気合図が聞けたかもしれませんでした。
今考えてみると、とても残念です。

さぁ、このネガと一緒にED75「ゆうづる」なんかがゾロゾロと出てきちゃいましたよ♪

(写真・文/某I)

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〝芸風〟違いの画像

K・M氏が精力的にカラーをスキャンしているので当方もやってみようと思い立った。
最初に自らの怠慢を告白しておこう。実は今日スキャンしたポジは全てベストショットではない。なぜかと言えばベストショットはいずれもマウントしてしまっていて、ガラスマウントとはいえ、いったん外してスキャンするのはあまりにも面倒くさいしゴミの付着にもつながる。
そこで3番目ぐらいの、スリーブのまま保管してるポジをスキャンした。中には変色が始まっているものも多く、良い色が出せないが少しずつアップしていこうと思う。

今回はうんと「芸風」を変えて地方私鉄。
これは1980年代半ばに撮影した別府鉄道の別府港駅。
当時、大阪に転勤していた私は以前から行きたいと思っていたこの別府鉄道に足を向け、半日を過ごした。鉄道模型もやっていたため、こういう古い気動車にも関心があったが、EF58などばかり追っていて、なかなか機会がなかった。同じ時期には京都の加悦鉄道、和歌山の野上電鉄や岡山臨港鉄道、、高松の琴平電鉄などにも行ったが、一番のお気に入りはこの別府鉄道だった。
その中でもレトロなムードの別府港駅は機関区もあり、広々としていて半日過ごしても飽きない。列車の本数はひじょうに少ないが、デッキ付きの客車などもあって撮影対象には事欠かない。
この頃入手したライカM4やニコンSPなどに35ミリを付けてスナップに勤しんだ。私の鉄道撮影経験中、唯一ワイドレンズだけで撮影したものだ。

その後、別府鉄道は廃止されることが決まり、ファンの姿が増え、別府港駅構内も撮影禁止になってしまい二度と訪れる機会はなかった。(写真、文 U)Photo

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2009年6月20日 (土)

EF5861 荷31列車

1979年10月1日に、この写真を撮った瞬間は「大きな失望で愕然」でした。

今から思えば、昼間の下り荷物列車にEF5861が充当されることは余程のことが無い限り実現しませんし、場所といい、まさに「ベタ順」の光線、そしてこのときに根府川のこのみかん畑のお立ち台には私一人・・・という贅沢な瞬間だったのですが。。

この日はUさんと一緒にこの列車を狙いに行き、彼は鉄橋の袂で待ち構えてましたが、「あ~っ!!」という大きな声がみかん畑まで聞こえたのを覚えてます。

実はこの荷31列車、横浜羽沢駅開業の記念列車に指定され、同駅でテープカットが実施される関係から、通常の浜松機関区の運用を変更して、この日だけ荷31列車の汐留ー浜松間だけEF5861への差し替えが行われたんですね。そして記念のヘッドマークが付くという情報でしたので、前夜までの台風の大荒れを心配しながら出かけたわけです。

根府川まで行ってウヤだったり浜松のカマだった・・では洒落にならないので、本当にEF5861が入ってるか、ヘッドマークは付いているかを確かめに、私はまず浜松町で荷31を確認することとしました。そして見事に磨き上げられたEF5861が記念ヘッドマークを付けて台風一過の晴天の中、目の前を走り抜けていきました。どうせしっかり根府川で撮るからと、浜松町ではヘッドマークを付けた先頭部分だけを1枚撮るだけにとどめました。

しかし、根府川に現れたEF5861にはヘッドマークが付いておらず、愕然としたわけです。後でわかったところでは、横浜羽沢で式典をやったあと、ヘッドマークは小田原で外されたとのこと。そんなことなら大磯あたりで撮ってれば良かったんですが、あとの祭りでした。

この列車に関しては、当時結構情報管理が厳しかったようで、あまり雑誌でも見ませんね。

私もEF5861に関してはヘッドマークは絶対に無いほうが好きですが、このときだけは別でした。まあ、今となってはいい思い出ですし、この写真も気に入ってます。

(写真・文:K.M.)

1979.10.1 荷31 根府川

35r018408

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2009年6月19日 (金)

機関車運用

う~ん、、、「運用操作」との名言が某I氏からありましたが、懐かしいですね。EF5861の活躍の一翼に東京機関区のNM氏の存在がありました。。。

それはさておき、「毎日更新」の当ブログの維持もあり、日付も変わったので「酔っ払い運転」で昔の写真をアップします。

仲間内で作った「能登」のヘッドマークをゴハチにつけて撮影するという機会に恵まれ、高崎第二機関区で撮ったEF5886です。

この日、機関区を訪れると当直の機関車運用表のところの86号機のところに「撮影」と鉛筆書きされていて感激した記憶が甦ります。

私がアップしていいのか迷いますがお許しください。

(写真・文:K.M.)35r006118

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2009年6月18日 (木)

こんなの出ました♪

皆さま、1か月以上もの間、ほったらかしにしていてすいませんでした。
ここにきて、B社の新しい飛行機がついに初飛行しそうなため、
これに向けてそれ以外のすべての仕事がストップ。
逆に久しぶりに時間ができました。
ゴソゴソゴソ...
ポジだのネガだのが入ってる段ボールをちょっとひっくり返しました。
相変わらず過去ものの整理は最悪だこと...

最初に出てきたEF58 61号機をアップしようと思ってましたら、
まずこんなポジが出てきました。
おっ、こいつはEF58 61号機けん引の天下の東海道本線特急列車ですな。
って、ただの「サロン踊り子」なんすけどね。

でもね、撮影場所は有名ポイントとかじゃないんです。
横浜駅構内北側の陸橋(歩道橋)上からです。
ここは前から目を付けてた場所でも、狙ってた場所でもないんです。
ただの偶然でした。
この日はたしか、某誌で横浜駅か何かの企画ものがあって、
その仕事でここいらへんをウロウロしていた記憶があります。
「今日はほら、サロン踊り子がロクイチだから」
とA君にそそのかされたような覚えも...
まぁ、朝から横浜界隈に出掛け、いろんな場所から撮影していたわけです。
この列車はお昼くらいだったですかね。
サロン踊り子はいつもの東京14時発の9027列車だかとは違いましたよね。
よく考えてみると、
つまらない電車しか来ない中、こんな列車が来るのですから、
この1本にだけは気合いが入るというものでしょう。
何とかこいつだけはきちんと撮りたいと場所を探した覚えがあります。
とはいっても、横浜駅構内から大きく外れてはダメという縛りはあるんですがね。

すると、果たして、
今にも落ちそうなみすぼらしい陸橋が目に入りました。
みずぼらしい、というのは橋体が至極簡単な構造という意味で使っています。
つまり、歩行面はともかくとして、
手すりなどは細いパイプを何本か組み合わせただけの簡単なものだったんです。
高さも架線のわずか上に設定されています。
「これ、撮れんじゃねぇの??」
と思ったら、やっぱり撮れました。
たしか歩行面にうつぶせになって撮ったと思います。
400mmでの撮影です。

(写真・文/某I)

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「銀河」マークのEF58100

DE10901のブログの時に記したように1978年5月、鉄道友の会で知り合ったEF58ファンと某雑誌社から借りた「銀河」のヘッドマークを持参し、米原、宮原機関区を訪れた。
このマークは写真撮影用にその雑誌社が制作したもので、かなり大きな木製のケースに入れて大垣行きの夜行電車に乗った記憶がある。

最初の訪問地・米原ではちょうど良い場所に止まっていた宮原機関区の96号機に付けてもらったが、なにぶんマーク本体が薄く、横がちに撮影するとその欠点が露呈してしまう。「つるぎ」などのマークの上から貼り付ける形にした方が実感的なのだが、そこまでは無理だった。
他に庫内にあったEF65500Fなどにも付けてもらった。

この写真は米原機関区訪問の翌日、宮原機関区で100号機に付けてもらったときのもの。
前日に比べて天候が悪く、小雨の降る中での撮影となった。
宮原機関区は新大阪駅の新幹線高架下にあって、手狭な印象を受けるが案外、機関車の写真は撮りやすい。この100号機はたまたま止まっていた場所でパンタグラフを上げて撮影した。あいにく大窓のゴハチは在区していなかったが、この「銀河」のヘッドマークの後、機関区保有の「さくら」のマークも付けていただけた。

当時はまだ中判カメラを持っておらず、35ミリでの撮影だった。隣のDD13も懐かしい。
(写真、文 U)Photo

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2009年6月17日 (水)

大窓機 EF5853(宮)

しばらくゴハチがアップされていませんので。

全検あがりのEF5853が銀河に入ったので、東京駅の新幹線ホームから望遠でバルブしました。

いい雰囲気を醸し出しており、あまり説明は要らないかと思います。普通の人からみたら、ただの無機質な写真に対して、おもわずうっとり見入ってしまうところにマニアの幸せを感じます。。。

(写真・文:K.M.)

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2009年6月16日 (火)

EF15のお座敷列車 その3

原宿~代々木にある第17宮廷マンション屋上から撮影したEF15のお座敷列車。

ここは昔、交友社から発売された「電気機関車快走」という本で紹介された。山手貨物線を行く旧型電気機関車3重連の写真が掲載されていた。
おかげでここへ足を運ぶファンも増えたらしく、立ち入りが徐々に厳しくなっていった。中には警察に通報された人もいるようだが、新宿副都心の超高層ビル群が画角に収まるこの場所はなかなかの人気で、事前(当日ではないという意味)に管理人に頼み込んでおけば許可されることもあった。

僕はこのときが最初で最後の訪問になった。

(写真、文 U)Ef15_3

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2009年6月15日 (月)

EF15のお座敷列車 その2-(1)カラー

同じ写真はどうかな?とも思いましたが、Uさんがせっかく振っていただいたので、その時「同じ場所に居た」ということを共有するためにも「カラー」をアップします。

30年を経ていますが、結構良い雰囲気の色で残っていました。しかしこれが「新宿駅」で撮れたのも時代の為せる技でしょうね。

(写真・文:K.M.)

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EF15のお座敷列車 その2

これは新宿停車中のお座敷列車。
Y・M氏が必死でシャッターを切っていたときのもの。

大都会・新宿のホームはさすがに明るく、バルブ撮影にはもってこいだった。架線柱がじゃまなのは仕方がないが、中央線快速上りホームから撮影するとこちらの明かりが列車に回り、なかなかきれいな光線具合だった。
当時、自分はEF15なんぞにリバーサルを使うのはもったいないなどと、ケチってカラーでの記録をしていないが、今となっては2,3枚だけでも残しておくべきだったと後悔している。

(写真、文 U)
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2009年6月14日 (日)

EF15のお座敷列車 その1

EF15の話題で盛り上がっているようですので当方も1枚。
これはK・M氏が国立で撮影する前に西国分寺の駅で撮影したもの。たしかK・M氏と一緒だったのではないかと思う。左側の下り電車遅かったら完全に被ってしまっていたが、ギリギリで間に合った。
こういう被りは実際、撮影しているときはヒヤヒヤものだが、後になってみると貴重なシーンだ。当時、普通の電車はこういうものが走っていたという一石二鳥の記録になる。

当時、EF15が牽く旅客列車は正月の高尾山詣での臨時列車ぐらいしかなかったが、この頃、このお座敷列車の他にも臨時の12系客車を牽くEF15が走った。いずれも45号機の牽引だったのは、その頃八王子に住んでいたA氏が機関区に頼んだからではないかと記憶している。
(写真、文 U)

Ef15

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超寒かった石打バルブ

EF1511つながりで、EF1611の写真です。

まだEF641000が入線する前は上越越えの補機は主に水上機関区のEF16が担ってましたが、中でもこの11号機と12号機は正面扉の上にも庇がついていて人気が高かったようです。そしてもちろん夜行列車の本務機はEF58、貨物列車はEF15でした。

昼間の定期客車列車が設定されてないので、多客期の8702列車などの臨時があるときは出動しましたが、当然夜も「活動」することになります。夏はいいですが、冬場はかなりハードな撮影環境でした。

写真はご存知石打の上り列車ですが、当然車もなく、終電から待合室に陣取り、1時間ごと位にやってくる夜行客車列車や貨物が到着するたびに待合室と撮影場所の往復です。歩いて5分くらいではありますが、さすがに真冬の深夜に、ようやくベンチで座りながらウトウトした頃に、その仮眠を破られつつ一晩に4~5回も往復すると相当な体力を消耗します。

しかし、このような写真が残せたので、苦労の甲斐はあったと、今は思っています。

1980年2月11日、804列車(天の川)を牽引のEF1611+EF58135です。

(写真・文:K.M..)

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2009年6月13日 (土)

もう1枚、EF15 11

このところEF15が流行し、大変嬉しいです。個人的にはEF58よりもEF15の方が好きだったので。

EF15 11の写真、もう1点スキャンした画像があったので、投稿します。1978年8月、山手貨物線で貨物列車を牽いているところを、原宿駅で撮ったものです。

今改めて見ると、ワイパーも原型(KW3Dでしたっけ?)で、実にいい機関車です。雨が降っていて、そのワイパーが動いているのが写っているということに、たった今気づきました。

本機牽引の荷2935列車は撮っていないので、KMさんの写真、うらやましいです! (文・写真:YM)

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EF1511の荷2935

EF15にはあまり詳しくないのですが、5月にアップされたYMさんの東京機関区での写真とそれに対する某Iさんのコメントを見て11号機の写真を探してみました。

写真は1979年9月7日に田町で撮影したものです。ほぼ茶色で統一さ れた編成に、1両だけ青いのが入っているのが残念ですが。この荷2935は品川から荷35になるわけで、この日は先頭に宮原の庇付大窓機EF5847、次位に浜松のEF582が入るので、ついでにこの列車を撮ったようです。

同じ日には翌日のお召し運転に備えた恒例の157系の試運転や70系の廃車回送などを撮っておりました。

(写真・文:K.M.)

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EF15のロザ団臨

Uさんのお声もかかったのでアップします。

1979年11月17日に日野から品川まで走った回9544列車を、23分停車する国分寺で撮ったものです。この日は西国分寺で撮り、国分寺でこの停車を撮ったあと、新宿、原宿とおいかけています。そして昼に回8111列車で12系12両を牽引のEF588、夕方は浜川崎でEF163+ED1610の5191列車、そしてその夜の中央線夜行415Mで大糸線に行って、ED601牽引のお座敷列車を午前中にやっつけ、帰り道にEF5886牽引の「両毛線90周年号」を夕方の両毛線で撮ってから帰京しました。

まさに団臨漬けの時期でした。67bw317

(写真・文:K.M.)

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2009年6月12日 (金)

試作機DE10901号機を撮影

K・M氏がEF1545の牽くお座敷列車の画像をアップしてくれるだろうと予想して、当方の撮影したものはペンディングしておくことにした。K・M氏がアップした後、別の場所で撮影したものをアップするかもしれない。

そこで本日は前回のブログで触れた吹田第一機関区のDE10901号機。
1978年の5月、鉄道友の会機関車部会で知り合ったゴハチファンの方々(このブログのメンツとは異なる)と東京の某雑誌社から借りた「銀河」のヘッドマークを持参して米原、宮原でEF58に取り付けていただき撮影する機会があった。その写真はいずれアップするとして、その後、僕はDE10901を撮影するため和歌山の親戚の家に2泊した。それが今回の画像。
前にも書いたが同機は吹田操車場のハンプで貨車の入れ替えに従事しており、夜も操車場で過ごすことが多く、なかなか機関区に戻らなかった。そのため、撮影許可をもらえる吹田機関区に戻る日を探り構内での撮影を企てた。情報は関西の友人T氏がくれたもの。

当日、901号機は夕方になって作業を終え機関区に帰って来るとのこと。そこで私はそれまで構内でEF65や60、EH10やDD51などを撮影して過ごした。今となっては貴重なコマも散見される。

午後4時過ぎ、遂にお目当ての901が留置線に入線。撮影に備えるのだが思いもかけぬハプニング。停車位置が悪く撮影にはあまり適さない。慌てて機関士さんに声を掛けて移動してもらったのだが、こんな地味な機関車を撮るのにわざわざ東京からやって来たと聞いて大変驚かれ、僕の指示する場所に快く止めてくれた。なにしろ1エンド側よりもボンネットが細い2エンド側が見えなくては仕方がないのだからこちらも必死だった記憶がある。

この大阪行きの収穫は「銀河」のマークを付けたEF58よりも、実はこのDE10901号機を撮影できたことだったと当時を振り返っている。
(写真・文 U)

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2009年6月11日 (木)

思わぬ収穫

1977年夏、高校時代の友人K氏とともに水上、長岡へと撮影旅行に行った。
当時、僕はまだ本格的にEF58に熱を上げてはおらず、ほとんど走ることがなくなったEF57に代わる新たなターゲットを模索していた頃だ。同行のK氏の目的は長岡配置のEF15や水上のEF16を撮影すること。付和雷同の自分は正直、撮りたいものなど分からず、なんとなくただ付いていったというのが今だからこそ言える話。

このとき初めて知り合いから中判のミノルタオートコードという6×6版カメラを借りていったことも懐かしい。そろそろ画質の良い中判に色気が出てきた頃だった。初めて使う6×6版はファインダーも逆像で使いづらかったが、そこは無理して格好をつけていた。今、ネガを見ると水平が取れていないネガばかり。しっかり三脚を使うべきなのに。

そんな旅行中、思わぬ被写体に巡り会った。
長岡機関区(長岡運転所とは別の車両基地だった)で遭遇したDD20の2号機。前日に水上機関区で1号機を見ていたが、この2両、同じ形式でありながら全く別のスタイルをしている。案外、1号機は水上に常駐していたことから広く知られていて写真も多く残っているが、2号機の写真はあまり見かけない。とは言え、その希少価値よりも僕はこの2号機のボンネットが細くなった2エンド側のスタイルをいっぺんで気に入ってしまった。かわいらしくもなかなか精悍な印象でいろいろな角度から眺めたが、最も気に入った角度で撮ったのがこの写真。ミノルタオートコードでの撮影だ。
この機関車に遭遇してからボンネット型のディーゼル機関車に興味を持つようになったが、このように片側のボンネットが細い機関車がもう一両、存在することも分かった。DE10の901号機だ。
さっそく配置されている吹田第一機関区へ行こうとしたのだが、ハンプで作業する事が多くなかなか機関区に帰ってこないことが判明。そこで吹田機関区にはがきを出したり関西の鉄道仲間の伝手を頼って901号機が機関区へ戻る日を確認していただき、翌年5月にようやく撮影することができた。地域柄、DD20のようにスノープローは装備されていなかったのは残念だった。

話は戻るがDD202号機、このときすでに休車状態で後に新津で長らく留置されていたものの惜しくも解体されてしまった。1977年8月4日撮影(写真、文 U)Dd202

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2009年6月10日 (水)

石打バルブ

旅客列車のEF58に対し当時、貨物列車ではEF15が広い範囲で活躍していた。西は広島や竜華、東は東京、新鶴見、八王子、高崎、長岡などに配置され東京都内でも頻繁に見ることができたし、形式こそ違うものの水上のEF16も健在だった。

高校時代の友人K君は全てのEF15を撮影していたし、一昨日のブログで5472列車の事を書いたY・M氏も同機のファンだった。地味なスタイルだったがスノープロー付きの耐寒型はファンも多かったように記憶している。ところがこのEF15、撮影するうえでは困ったことがあった。

それは機関車の番号つぶしをしている者にとって進行方向斜め右側から撮ると、正面のナンバープレートがデッキに隠れて見えないからだ。

かく言う自分も1回だけ撮影した1号機を上記のような角度で撮ってしまったため、パッと見ただけではファーストナンバーかどうか判別できない。11号機やひさしが角張った30号機のような特色あるものなら別だが、普通タイプはなかなか区別がつかない。高校の友人K氏などはこの点まで考慮して撮影場所を選んでいたようだが、当時の自分はバカ正直に順光側から撮影することだけを考えて痛い目をみることになった。

そういう意味で石打のような、手前に引きがありナンバープレート側から撮影できるポジションは最高だった。ひっきりなしにやって来る夜行列車や貨物列車を次から次へと飽きることなく撮影でき、光の回り具合も最高とくるから畏友A氏などは何度も通い、雪の積もる中、バックにスキー場のナイター照明が写り込む傑作をものにしている。かく言う自分はと言えばEF641000番台の試運転の際に一回行っただけというお粗末さ。もっと真面目に撮っておくべきだった。

(写真、文 U)

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2009年6月 9日 (火)

583系

来る7月5日、東海道本線にイベント列車として583系の電車が走る。乗車区間は新橋~熱海となっているが、おそらく回送の関係で東京~熱海間となるだろう。
583系を初めて見たのは1970年の大阪万博の時のことだったと記憶している。小学生だった僕は新幹線で新大阪に降り立ち、在来線ホームに入線してきた583系電車を見た覚えがかすかに残っている。
以来、電車にはあまり興味をもてなかった自分もこの電車だけはちょっと気にかかる存在となった。蒸気機関車がなくなって電気機関車やディーゼル機関車を撮り始めても、合間合間にやって来る「彗星」や「はつかり」、「雷鳥」や「ひばり」あるいは「金星」などはしっかりシャッターを押した。リバーサルこそほとんど残っていないし、プリントすらしていないがネガだけはいろいろ残っている。
K氏などは今でも遠出をしてこの583系を撮影しに行っているようだが、実は僕も隠れファンだと言うことを初めて吐露しておく。
7月5日、もし曇ったらという仮定だが、気の早い自分が撮影する場所はすでに決定済み。

この画像は1980年7月31日、芦屋~西宮間で撮影したもの。(写真、文 U)

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2009年6月 8日 (月)

山手貨物線のEF15重連

我が国の首都の中心近くを通る山手貨物線には、昭和50年代までデッキ付き旧型電機が牽引する貨物列車が走っていました。武蔵野線開業後は本数が激減したとは言え、それでもそこそこの本数はあり、何度も撮影に行ったものです。

撮影対象として特に注目したのは、やはり重連牽引列車。もともとは、午後の南行きで新鶴見のEF13/EF15+高崎第二のEF15という重連の666列車というのがあったのですが、これは昭和52年の途中から前の機関車がEF65PFになりました。

それで落胆していたのですが、昭和53年10月のダイヤ改正で、中央線からの直通で、新宿から山手貨物線南行きに乗り入れる5472列車が、八王子のEF15の重連となりました。タキで揃った編成もきれいで、なかなか良かったのですが、日曜・祝日運休というのが、当時高校生だった僕には辛かったです。昭和54年か55年だったと思いますが、八王子にEF60が転入してきて、EF15同士の重連は見られなくなったと記憶しています。

ここに投稿するのは、昭和54年の春頃に原宿のホームで撮影したものです。確か、昼の12時台後半にこの列車がやって来ました。冬場は側面に陽があたらず、夏場になると順光になりました。この列車の撮影を通じ、「同じ時刻でも、季節によって陽が差す方向が変わる」ということに気づいた次第です。 文・写真YM

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瀬田の鉄橋

5月31日のブログでK・Y氏がアップした宮原機関区での形式写真撮影の前に、石山~瀬田の鉄橋で撮影したお座敷列車を牽くEF5861。

この日は朝、同行のK氏、H氏と関ケ原でEH10などの牽く貨物列車を撮影後、ここ瀬田川鉄橋へ向かった。かつて鉄道ファン誌に載った諸河久氏が同機の牽くお召し列車を撮影した場所だ。

ところが現地へ行ってみると列車を撮影できるポイントが見当たらない。いろいろ捜してみると諸河氏の写真はそばにある某会社の寮の部屋から撮影したものと思われる。そこで大阪の友人たちと合流した我々も、寮の方にお願いして撮影許可をいただいたものの再び誤算。その場所に行ってみるとそこからはどうしても鉄橋の橋げたが編成にかかってしまう。たしかに諸河氏の写真もそのように写っていたがせっかくここまで来てこれではちょっと消化不良。そこでもっと高い位置はないかと捜したら、建物の屋根(屋上にはなっていなかった)に出る非常用の小さな出口が廊下の天井にあるのを見つけた。図々しさを顧みず踏み台を貸していただき、さらにおしりを押してもらって屋上に出たら、そこは最高のポジション。ペンタックス6×7の200ミリ(35ミリ換算の100ミリ)にはバッチリだった。

この時、同行のH氏はオリンパスの400ミリレンズで、さらに迫力ある写真を撮っていたのを思い出す。これが後年、長ダマに走るきっかけのひとつとなったことを思い出す。

1980年4月29日撮影

(写真、文 U)

Photo

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2009年6月 7日 (日)

鉄チャンで筋肉痛

土日続けて撮影に出掛けてクタクタ。
特に土曜日は滅多に行くことのないイベント列車撮影に行き、撮影ポジション近くに車を置けなかったことから脚立、三脚などを運んで歩いたため筋肉痛。体がいかになまっているかを強烈に感じることとなった。

きょうはパソコンにあった中からEF5861の写真。どういう理由の列車か覚えていないが、雑客とグリーン車の混成編成。1979年6月25日に大井町で撮影した。(写真・文 U)61

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2009年6月 6日 (土)

美しき大窓たち

「原型大窓」という4文字に特別な思いを抱くのはゴハチファンの性でしょうか。

私が本格的にゴハチを撮り始めた78年には、まだ172両全機が存在し(休車も含む)、大窓機も比率は少ないとはいえ残っていました。EF5861は別格とすると、美しい大窓機としては22、31、53あたりの人気が高かったと思われます。

もちろん庇付の7・43・47や65が好きな方、64や69のようにパンタがPS22Bを好む方、その両方を備える16などなど・・・

この31号機は一次型最終機で、下関配置のために東京ではなかなか撮れないカマでした。

1978年12月26日、下関運転所での撮影です。

(写真・文:KM)67bw316

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2009年6月 5日 (金)

お気に入りの場所(2)

お立ち台と呼ばれる名撮影地は嫌いではありません。やはり諸先輩が開拓した場所は、山科、竹倉、根府川、それぞれすばらしいものがあります。

でもUさんのように、自分ならでは、そのカマならではの拘りの撮影地が永年趣味を続ける中ではあります。

私にとっては伊豆急の川奈の鉄橋のEF5861でしょうか。初めてロケハンでこの場所を見つけて、いづれEF5861が入ったら撮ろうと狙っていた場所で、ようやく実現したときにはお召しと同等の感激を覚えた記憶が甦ります。

多分、このアングルでこのショットを撮ったのは、もしかしたら私だけ(?)との勝手な満足感も、所詮趣味の世界ですから許されるんでしょう。

1985年6月23日 川奈で捕らえた9532列車、客車はサロンエクスプレスです。

(写真・文:KM)67bw254

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お気に入りの撮影ポイント

かつて気に入って何度も通った撮影ポイントがあった。その場所、今でも残ってはいるのだがいつのころからか立ち入り禁止になってしまった。

その場所は藤沢駅の辻堂寄り先端にある職員用通路の階段を上がった場所。駅職員の事務室前の通路だが、ここから400ミリ以上のレンズで上り列車を狙う。長ダマの効果で編成は圧縮され機関車の後に続く客車はどんなものだろうとほとんど分からないが、この角度から見る機関車の姿はひじょうに魅力的に見えた。殊に大窓のゴハチは僕にとってこの角度がベストと言っても良いくらいで、ロクイチが狙いで何度か訪問した。

光線状態は午前中が良かったが曇れば午後、モノクロフィルムでも良かった。初めて撮影したのは1983年1月で、この時の写真は「鉄道ファン」誌に掲載していただいた。400ミリで撮影したもので、冬の晴天下、最高の光だった。

今回の画像は、その約4年半後に撮影した。国鉄からJRに変わってこの場所は立ち入り禁止になった後だったが、ちょっと無理を言って許可をもらった。

こういう場所、他にはないが明日(6月6日)、今最もお気に入りの機関車の一つ、EF641001をこれに近い角度から撮影するつもり。ただし、天気がいまひとつのようで、ちょっと心配ではある。

(写真・文 U)61_5

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2009年6月 4日 (木)

EF5861の工場入場回送

1980年当時の品川駅はまだ総武線と横須賀線の相互乗り入れが行われておらず、このホームからEF58重連の荷35列車や新鶴見へと向かう貨物列車などがふんだんに撮影できた。以前のブログにも記したように荷35列車はここで客車を増結する都合上、機関車がいったん切り離されるから、前と後ろのゴハチを撮影するにはもってこいのシチュエーションだった。

この荷35列車が着発する前の午後2時台には冷凍貨物専用の5585列車がやって来る。実はこの貨物列車、東京機関区の機関車が工場に入場する際に使われるスジだった。したがってあのEF5861だってこの列車で大宮工場に向かう。その光景を一回だけ撮影できたのがこの写真。前のEF15は高崎の機関車でスノープロー、デフロスタ付きのいかめしいタイプ。DD13に牽かれて機関車の次位に組み込まれる様子を撮影してから発車を狙った。この列車、新宿でしばらく停車する。この日はそれを追い抜いて駒込付近で再度撮影した。

実はこの日、この列車とどちらを撮ろうか迷う列車があった。K・M氏がアップした南武線のED16重連貨物だ。しかもこの日はスノープロー付きの14号機が前に付くという。なかなか魅力的な2つの列車だが、ロクイチ優先の当時はこの5585列車に軍配が上がった。
今となってはたった1回だけ実現したED1614号機先頭の重連貨物の方に魅力を感じる。
1980年9月3日の事だった。
(写真、文 U)

Ef15615585

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2009年6月 3日 (水)

お気に入りの2両の並び

前回同様、広島機関区派出所で撮影した当時、気に入っていた2両の並び。EF5861の岩国遠征で実現したもの。
1980年7月下旬に修学旅行列車を引き、岩国まで西下したロクイチは上り運用に就くまでしばし広島で待機、たまたますぐそばにいた69号機を移動してもらいパンタグラフを上げてもらって撮影した。本当は手前にロクイチを配して撮影すべきところだが、向こう側はすぐ本線。さすがにそこまでは無理だった。

実はロクイチと69号機の間にもう一本線路があって、その広島駅寄りに浜松から来ていたファーストナンバーが止まっていた。この2両の並びを実現してくださった助役のK氏は、1号機も移動して3両の並びを撮らせてくださるとまで言ってくれたのだが、2両の大窓機の真ん中に、いくら1号機とはいえHゴム機が入るのは歓迎できなかったから遠慮した。
それにこの後、ロクイチは10両の12系客車を引きセノハチを越える。その8302列車まであまり時間がないことも大きな理由だった。結果、この判断は正しく、同行のN・M氏と瀬野西トンネルに着いたのは通過20分ほど前だった。

とにかく当時、広島機関区の方々には本当にお世話になった。僕にとっては忘れられない思い出の場所だ。
(写真・文 U)6169

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2009年6月 2日 (火)

形式写真

大窓のEF58が健在だった頃、僕は走行写真とともに形式写真にも時間を割いた。
特にブローニーの中判カメラ、ブロニカEC―TLを購入したのが大きなきっかけだったと思う。ブロニカのウエストレベルファインダーは左右逆像ということもあって、手持ちで走行写真を撮るのが難しく、そんなこともきっかけとなって形式写真(そんな厳密なものではないが)に目を向けるようになった(ちなみに畏友・某I氏はブロニカの左右逆像をものともせず、数々の好作品を残している)。

その頃、機関区の見学が可能だったのは広島。駅に近い広島機関区派出所は事務室で申し込めば見学が可能で、足繁く通ったものだ。なにしろここには大窓のゴハチが数両配置され、しかも宮原の47や53、場合によっては下関の31号機もやって来る。しかも当時は数少ないファンに親切に対応してくださり、お目当ての機関車が良い位置に止まっていなくても、撮影しやすい場所に移動してくれたり、パンタグラフまで上げてくださることもあった。
甘えてばかりはいられないが、次に行くときには前回のプリントや手みやげなどを多くの機材とともに持参し、少しずつ親交を深めた助役さんもいた。

これは1980年3月に撮影したもの。
「形式写真」としては左向きが正しいのかもしれないが、さすがにそこまでは無理。今となってはこれでも撮れただけ良かったと思う。大窓機ゆえ、少し前がちから撮影した。(写真、文 U)
Ef5853

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2009年6月 1日 (月)

ロクイチの「つばめ」

5月も終わり今日から6月。語呂合わせではないが6月1日ということでEF5861の「つばめ」をアップする。

この頃は「リバイバルトレイン」と称し「はと」「つばめ」「へいわ」などのヘッドマークを付けたイベント列車が、東京~大阪を何度か走った。僕も初めのうちは物珍しさも手伝って撮影に行ったが、そのうちまじめに撮らなくなった。
そもそもへそ曲がりな僕は、ロクイチにはヘッドマークが付かない方が良かった。もっと言えばお召し列車の日の丸すら、せっかくの大窓を隠してしまうことから好きではなかったから、イベントで同機がかり出される機会が増えるとともに、撮影の回数は激減した。

それでも当時はヘッドマーク付きの列車自体が珍しかったから、何度か撮影には出向いたが、これはそのうちの一枚。
友人のN・M氏の好意で撮影したもの。(写真、文 U)Photo

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EF5861とEF1511

EF58の最高峰が61号機なのに対し、かなり地味ですが、姉妹機EF15の最高峰は11号機でした。

もちろん、お召機だったわけではありませんが、202両が製造され、EF16改造機も含めEF15が全機が健在だった昭和50年代初頭、唯一標識灯が埋込式に改造されていないというのが、外観の特徴。前面窓もHゴム化されず、常磐線用無線アンテナ装着以外は、ほぼ原型を保っていました。個人的にも、この機関車が大変好きでした。

東京機関区配置で、貨物列車や、少し前にUさんが紹介した荷物列車を牽引していたのですが、僕との相性は悪く、撮影した回数はほんの僅か。ここに投稿するのは、昭和53年10月に撮影したカットです。体育の日の頃の日曜だったと思います、山手線に乗っていたら、東京機関区にいろいろな機関車が並び、一般の人が中で撮影しているのを見つけ、慌てて田町で下車し、現場へ向かいました。事前には全く知らなかったのでしが、機関区公開日たったのですね。カメラを持っていて良かったです。

構内には、お召装備のEF5861と、このEF1511が並んでいました。先日のブルトレ全廃直前の時の旧東京機関区での撮影会のように、事前申込みする必要もなく、こんなのが自由に撮影できたのですから、いい時代でした。確か、ブルトレ運用を離れたばかりのEF65や、新しいブルトレ牽引機EF65PF、さらに当時は「夢」だったEF66にも、ブルトレのヘッドマークを付けて展示していたと思います。まだ知り合って間もなかったUさんにも、会場でお会いしました。

写真・文 YM

200905_05  

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