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2009年6月30日 (火)

EF57けん引20系「新星」

1976年10月改正は機関車と20系編成にとって大きな変革があったダイヤ改正でした。

20系はヨンサントオ改正での110km/h運転化によりブレーキシステムがAREB化されていて、
ブレーキのためのエアがすべて元空気溜メ管から直接供給されるシステムに変わっていました。
つまり、電磁ブレーキ、増圧ブレーキの有無などによって最高速度は機関車によって違いましたが、
最低でも元空気溜メ管引通しのある機関車でなくてはけん引自体できなかったのです。
(単弁でブレーキをかければ済む入換などは別です)
1972年10月から特急仕業に復帰した下転と米機のEF58がそうでしたよね。
20系をけん引するために元空気溜メ管引通工事が本社特修で施行されました。

それで話は1976年10月改正です。
この改正では14系や24系に余裕が生まれ、玉突きで20系になんと余剰が出てしまったんです。
すると、20系は10系寝台車をターゲットに置き換えを図りました。
そこで20系に置き換えられたのが急行「銀河」「新星」「天の川」でした(これでいい??)。
この置き換えの凄かったところは、
181系電車のクハ181ボンネット内に搭載していた大型コンプレッサをカニ21の荷物室に搭載、
なんとそこから元空気溜メ管に直接エアを供給するシステムにしてしまったところです。
これなら編成内でブレーキシステムが完結して、けん引機の元溜メ管限定はなくなります。
というわけで、
カニ21改造のカヤ21を連結した20系編成に限って一般機でもけん引できるようになりました。

さて、その頃、
宇都宮運転所では1975年3月以降、広機と下転からEF58が大量に転配され、
EF57が全廃の危機に瀕していました。
全廃の1978年10月を待たずに多くの機関車が運用から離脱し、
1976年10月改正以降は定期仕業に就くことも少なくなっていました。
でもね、あったんですよ、1102列車急行「新星」をけん引する機会が。

写真は1976年12月だと思います。
まだ朝4時台、未明の大宮駅構内です。
EF57 11号機がさっそうと20系編成の先頭に立って滑り込んできました。
かっけぇ〜♪

(写真・文/某I)

Ef57_11_01ssss

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