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2009年5月

2009年5月31日 (日)

美しきEF5861

単なる機関車1台で、これほどの存在感のあるものは他にはない・・・との個人的な思い入れですが、こんなカットを見ていると一層そう思ってしまいます。

写真は1980年4月29日に宮原機関区での撮影です。

この日EF5861は沼津からお座敷列車を牽引して大阪入りしました。私は石山の鉄橋で撮影後、宮原機関区を訪問すると祝日にもかかわらず丁寧な対応をいただけ、帯泊中の61のパンタを上げ、撮影に適する位置まで移動してくださったと記憶してます。夕方の斜光に輝く大窓が印象的です。

(写真・文:KM)Ef5861miyahara

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5月最後の日曜日

自分のブログにも記したが5月最後の日曜日、あいにくの天気だったが撮影に出掛けた。
行った場所は高崎線の本庄~岡部。「北陸」「あけぼの」狙いだ。
日の出時刻が早まったこともあって出撃の機会を虎視眈々と狙っていたが、天気に恵まれず機会を逸していた。今日も朝方から霧雨だったが、ダメもとでロケハンを兼ねたドライブのつもりで午前3時に出発した。

途中、濃霧に見舞われ撮影は困難かと思われたが、適当に走っていたら「北陸」通過3分前に線路際に出た。露出は上がらずISO1000で流し撮りがやっと。レンズの選択に迷っている余裕などなく200ズームを付けてぶっつけ本番で撮影した。
鉄道撮影に復帰して1年ちょい。この場所は初めての訪問で、もっと撮ってみたいアングルがあったのだが、そんな場所など探す暇もなかった。とりあえず線路際にたどり着けただけでも僥倖だった。

このブログ、ロクイチや古いネガばかりだとモノクロばかりになってしまうので、最近作も適時、載せていきたいと思う。リンクしているブログ「鉄道と…」と重なる内容で恐縮だが、色の着いた写真ということで勘弁願いたい。(写真・文 U)Photo_2

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静岡時代

学生時代の東京拠点から、転勤で静岡に1982年から85年まで居ました。当時はロクイチも頻繁に東海道本線を往復し伊豆急にもあたりまえのように入線しており、かなりの頻度で待ちかまえることが出来ました。

私の「ロクイチ」撮影記録としては、これまで401日間の撮影日数のうち最高の年間57日を84年に出してます。平均すれば毎週ロクイチが撮れたという幸せな時代でした。

写真は1983年2月13日の8101列車。静岡駅を出て安倍川を渡る前で、富士山を背景に撮ることが出来、撮影後に会社に出勤できるという便利な場所でした。

ロクイチに限らず、そんなゴハチに転機が訪れたのは荷物列車のEF62への転換と、その直前の「下関へのゴハチ集結」ですね。84年の1月から3月は、ある意味すばらしい時期でしたが、最後の力走を見せる戦士たちの姿は悲壮感さえあったように感じました。

基本的には下関での58→62の差し替えでしたが、運用の関係で途中駅での「カマ交換」が行われ、静岡駅でも3月28日の荷33で実施され、昼休みを利用して見に行きましたが、目の前でEF58164が切り離されてEF6217に付け替わるという、ある意味「歴史的瞬間」にも立ち会いました。その164号機が翌日の次無5781で東静岡から西浜松に回送されたのが、下関のゴハチ最終運用で、焼津で見送りました。

ゴハチの姿が臨時運用でしか見られなくなってからもEF62の撮影は続け、その翌年85年にはブルトレの牽引機が65PFからEF66に代わるというイベントも静岡で見続けておりました。85年夏に転勤で離れるまで、まさに時代の転換期を経験できた静岡の3年間ですた。

当時はEF62の荷物列車牽引後継機はなにかな・・などと考えてましたが、荷物列車そのものがあっけなく廃止され、そしていまやブルトレさえ走っていない東海道本線・・・時代の流れと言ってしまえばそれまでですが、寂しいですね。

(写真・文:KM)

83年2月13日 8101列車 14系10両 静岡ー用宗(当時安倍川駅は未開業)67bw126

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2009年5月30日 (土)

最近の撮影から

ここ10年ほど、主な撮影対象は米国製蒸気機関車となっているYMでございます。先週から今週にかけ、米国西海岸のサンフランシスコの方に行って来ました。

いろいろなものを撮影したのですが、その中から1点投稿します。サンフランシスコから自動車で2時間ほど行った、フェルトン所で動態保存されているシェイ式蒸気機関車です。

シェイと言えば、我が国では台湾の阿里山のものが有名ですが、本家の米国では、各地で大小多数のシェイが動態保存されています。これは、軌間3フィート(914mm)の3シリンダー、3トラック(動力台車が3つある)のものです。 写真・文 YM

200905_03_2

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D76 1:1現像

こんなタイトルでピンと来るのも私たち世代あたりが最後でしょうか。

当時の典型的な鉄道写真撮影パターンは、「バケペン」に望遠レンズを付けて、フィルムはブローニの「トライX」、シャッタースピードは500分の1か、出来れば1000分の1、ちゃんとフィルムを巻いているかを確認してから(巻き忘れで涙を呑んだことは皆さん1回や2回ではないはず)レリーズで一発勝負。

撮影後は自宅の部屋を暗室にして自分でフィルム現像。D76現像液を1:1で希釈しての現像後、よく定着と水洗いをして乾燥させてから、やはり暗室で焼付けを行う・・・といった感じでした。この「水洗い」をしっかりやったことで、今も私のネガはきれいに生き残っています。これを教えてくれたのは、Uさん、某Iさんでした。いまさらながら感謝です。

当時のネガを出してみると現像の詳細を記載してました。

写真は1980年3月25日の荷32列車を牽引のEF5853@浜川崎です。

トライXをD76 1:1希釈、液温20度Cで12分現像とのデータが残っていました。標準現像時間は10分半程度だったと思いますので、倍増感をした感じでしょうか。

(写真・文:KM)67bw014

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2009年5月29日 (金)

こんなものを撮っていた

まるっきり〝芸風〟違いの写真をアップする。地下鉄丸ノ内線・後楽園前駅の写真。

仕事で訪れた講道館の階段にある窓から撮影したもの。
我ながらよくぞこんなものを撮影していたと感心するぐらい、ジャンル違いも甚だしい産物。
レンズがこれ以上のワイドを持っていなかったため、ギリギリ営団地下鉄のシンボルマークと観覧車を絡めてフレーミングした。こういうものこそリバーサルで撮影しておくべきなのだが、残念ながらそんな余裕がなかった。

先日、丸ノ内線に乗ったらワンマン化され往時の面影は残っていない。
考えてみたら僕が撮影した営団地下鉄はこの写真しかない。銀座線の渋谷駅など有名なポイントは今でも残っているが、当時の車両は全て引退してしまった。

軽い気持ちでスナップしたと記憶しているが、こういう何気ない撮影こそ写真の醍醐味かもしれない。
古いネガを見ていたらこんなものが出てきて自分でも驚いている。1987年9月6日の撮影(写真、文 U)Img021buroguyoumarunouti_3

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2009年5月28日 (木)

EF5861のリバイバルトレイン「平和」

就職後、僕は大阪に転勤になった。
関西は仲の良い親戚もいて蒸気機関車現役時代から頻繁に行く機会が多かったが、住んでみるのは初めて。仕事も独特なものが多く、まだ若いこともあって好奇心むき出しの時代だった。部屋を借りたのは西宮。新婚生活を関西で送ることになったが、今思うと懐かしい時代だ。

仕事の合間に鉄道撮影も楽しんでいたが、なにしろ関西には以前からつきあっていた仲間もいて、彼らがなかなかの情報通とあれば趣味も楽しくなる。H君やT君、比較的家が近かったA君など、今はどうしていることだろう。
単独での撮影にもよく行った。
まだ非電化だった福知山線の三田、武田尾や別府鉄道などにもよく行ったものだ。カメラもレンジファインダーのニコンSPやライカM4などを入手し、別府鉄道などのスナップ撮影には大いに活用したものだ。当時は共働きで平日の休みもあったから、それを利用しての撮影行だったが、鉄道ばかりでなく本格的に釣りにも関心を持ったのもこの頃だった。

仕事の関係で新婚旅行(そういう名目ではなかったが)は翌年の夏に行ったが、妻との最初の旅行は山口線というのもその頃の自分らしい。東京の鉄道仲間たちとの旅行だったが、さすがにずっとC57ばかりを追いかけられないので、妻と津和野の観光地を巡ったりもした。

ロクイチが来阪することは少なかったが、このころはリバイバルトレインなるものも運転され「つばめ」「はと」「へいわ」など、古いヘッドマークを付けた姿も見られた。
アップするのは1983年7月24日、山崎~高槻で撮影した「平和」。13両もの14系客車を従える姿は堂々としている。それでも今のようにファンが多かった記憶がない。
(写真、文 U)

Img009

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2009年5月27日 (水)

「横浜博サロン号」

1987年8月に撮影した「横浜博サロン号」というイベント列車。
この頃はロクイチ人気もピークの頃で、何かイベントがあれば必ずロクイチが先頭に立った。
我々の仲間もややうんざりし始めた時期だった。
この年の6月に僕は4年少々の大阪転勤から帰京したが、その4年の間にロクイチ人気は爆発的と言っても過言ではない盛り上がりをみせていた。時代が違うので一概に比較は出来ないが、SLブームの頃のC622の人気になぞらえる人もいるものの、東京付近で活躍することの多かったロクイチの方に人出が圧倒的だったのは間違いない。

とにかくこのフィーバー(死語か?)ぶりに辟易した自分は、このころから鉄道撮影に熱が入らなくなった。ロクイチが走っても人出の多さに嫌気がさし、この写真のように間違いなく人の少ないポイントを求めたものだ。
この写真は新子安付近の鶴見から分岐して高島貨物線に入ったばかりの所。国道15号、通称第一京浜をオーバークロスする築堤で、今は当然柵が設置されている。転勤から帰って借りたマンションから車で20分程度の場所だったこともあって、重い腰を上げたのではないかと記憶している。すでに中判カメラの出番はなく35ミリのニコンF3で撮影した。
プッシュプルで運転され、最後部にはEF65PFが、やはりヘッドマークを付けて連結されていた。(写真、文 U)

Photo_3

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2009年5月26日 (火)

ED16重連の5191列車

私のアップした写真は結果的に「重連」ものが続いているのに気づきました。そこで今回は浜川崎で撮ったED16の重連を。

1979年秋から1年間くらい、土曜日の午後に浜川崎を出る5191列車が、よく重連になっていました。4丁パンタのことも多く、光線の具合も良いスジでしたし、前後に荷物列車(荷36、荷35)も撮れるので結構浜川崎と八丁畷に通いました。

写真は1980年3月8日の5号機+14号機です。せっかくならスノープラウ付の14号機が前のほうが良かったのですが、今となっては贅沢な不満ですね。

(写真・文 KM)67bw011

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近江長岡、雪のEF5861

我々が目の色を変えてロクイチを狙っていた当時、雪の中を走る同機をとらえるのはひじょうにまれなチャンスだった。61が大人気となり上越線などでイベントにかり出されるようになってからは、「雪とロクイチ」の写真も当たり前のように見る機会が増えたが、1980年当時はきわめて少なかった。

この写真は1981年1月10日、近江長岡付近で撮影した8101列車、50系客車の新製回送。同行はK・M氏とT・H氏だったと記憶しているが間違っていたらお許しあれ。東京からどうやって現地入りしたのかも定かではないが、革靴のまま雪の中を歩いて撮影ポイントに向かった記憶だけは鮮明に残っている。急に思い立って行ったのだろうか?今考えると無謀な事をしたものだ。このころは雪の中を行くロクイチを撮るというのが目標だったから、近江長岡付近の積雪情報でも聞きつけて飛んでいったのかもしれない。この日はたしか共通一次試験の日だったこともなぜか覚えている。それにしてもこの日も同業者を見かけなかったように思う。

ペンタックス6×7とオリンパスOM1で撮影したが、リバーサルを入れた67の方は発色も悪く、撮るには撮ったが出来は良くない。周囲をトリミングするべきかもしれないが、雪を多く入れるためにあえてノートリでアップした(写真、文 U)

Photo

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2009年5月25日 (月)

キヤノンの新型

友人からの情報。
キヤノンのEOS1Dの新型は12月発売に決まったようです。
スペックについては不明ですが、ISO6400でもかなりの画質との話。もちろん連続撮影コマ数も増えるようだし、画素数もアップ。ハイビジョン動画も入る見込みとのこと。

さてニコンの攻勢を巻き返せるかどうか???

(文 キヤノンフリーク)

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宮廷ホームのお召し電車

さすがにK・Y氏。だんだんと秘蔵写真がアップされて楽しく見ています。
仲間内で集まっても、なかなかプリントを持ち寄れず、拝見していない写真がたくさんあることでしょう。このブログ、そういう意味でも活用方法はあるのではないかと今後に期待しています。

さて僕も仲間に見せていない写真をアップします。
原宿宮廷ホームのお召し電車です。ロクイチではないし公式行事でもないのであまり目立った話ではなりませんが、「記録」として撮影に出向きました。1987年9月11日のことです。
何の行事のためだったかは記憶にありませんが、同じネガの中に天皇陛下の乗るロイヤルプリンスを撮ったものや、クロ157に菊の御紋章を掲げるJR社員の姿も残っています。
そもそも電車にあまり興味を示さない僕が行った事自体、今になってみればどういう心境だったか覚えがありませんが、きっと宮廷ホームに入る数少ないチャンスだったので出かけたのでしょう。
このホームからマヤ34を挟んだ試験電車や山手線の201系電車なども撮りましたが当然、プリントなんかしたことはなく、撮影後20年以上を隔てて自分でも初めて見るものです。

最近、宮廷ホーム周辺で工事が行われているようですが、いったい何のための工事なのでしょう?(写真、文 U)Img011

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2009年5月24日 (日)

早朝のブルトレ撮影:DE10重連「あけぼの」

日の出時刻が早いいまどきは、普段は(大幅遅延でもない限り)走行写真が撮れない列車が何とか撮れる貴重な時期ですね。そこでひとつ思い出しました。

私はいまから17年前の1992年に、山形新幹線工事で奥羽線から陸羽東線に迂回の「あけぼの」の撮影に週末に毎週のように東京から新庄付近に通っていました。

確か新庄着が4時45分くらいだったと思いますのではじめのころは南新庄付近で撮ってましたが、夏至あたりの晴れの日は4時25分ころに通過する東長沢あたりでも何とか撮れました。デジカメなど無いので、カラーも白黒もかなり増感しましたが、東長沢にはカーブの鉄橋やスケールの大きい大築堤があって、なかなか良い雰囲気が出てます。

金曜の夜に東京を出て、土曜の早朝に撮ると、あとは翌朝まで暇でした。日曜の朝にまた撮って、帰りがけに東北本線でED75の3重連貨物を(確か655列車)こなしてから帰京というパターンを確か7週間続けたんだと思います。

写真・文:KM

上が92年6月22日の下りあけぼの@東長沢の鉄橋、下が6月14日の長沢の大築堤

Akebono008 Akebono011

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荷2935列車

前回、荷35列車の事を記したときに触れたEF15牽引の荷2935列車の画像をアップしてみた。この写真は高校生の頃のもので、東北・上信越新幹線の完成によって撤去された東京~上野の回送線を走る同列車を神田のホームでとらえたもの。
この回送線を走るのは田町(品川)~尾久(田端や隅田川)間の回送列車がほとんどで、東京機関区のEF58の仕業でこの区間を走る1900番台の列車は一応、不定期扱いだったので、この荷2935列車のように定期で毎日走る列車は他になかったと思う(記憶が定かでないので間違っていたら指摘下さい)。旧型電車や新製客車、工場の入出場車、転属車両の回送なども多く、変わりダネ列車もよく見られた。
撮影には神田のホームが望遠レンズを使うのに最も適していたが、御徒町、秋葉原でも何とか撮れた。特に午後の列車は順光で、とりわけ冬場は斜光線が当たり列車が映えた。新前橋電車区からの旧型電車の廃車回送など、僕にとってはジャンル違いだが、印象的なカットもある。このホームでロクイチの引くピカピカの24系25型寝台客車の新製回送を撮影した1978年1月10日は、「某I氏」と一緒だったことを思い出す。
残念なのは高校生だったためにまだレンズも揃っておらず、望遠レンズも135ミリぐらいしかなかったことだ。写真を見ればおわかりのように、今なら300ミリクラスのレンズで、信号機の直前に機関車が来たところでシャッターを押せば、牽引される車両がうまくカーブに残り面白い絵が撮れたことだろう。この頃はレンズ購入よりも中判カメラの導入の方が優先課題だったから、長ダマの購入は約半年後まで先送りされた。そういう観点から昔の写真を眺めれば、もっと長いタマがあったらと思うこともあるが学生の分際であったのだから仕方のないこと。お年玉などの余録はレンズよりも中判カメラへ当てるというのがその頃の風潮だった。

自分で触れた荷2935列車だがネガをひっくり返してみたところ、この東京~上野間で撮影したのはこれ1枚だけ。それ以外の鶯谷、日暮里、品川、田町や東京駅などはあるのだが、御徒町、秋葉原、神田ではこれしか撮っていない。もったいない話だ。(写真、文 U)

1977年7月13日撮影
2935_2

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2009年5月23日 (土)

荷37列車:西のゴハチ重連

このブログが立ち上がったのを機会に、眠っていたスキャナーを復活させました。これで過去のネガ・ポジからの画像のアップという楽しみが出来ました。

さて、ゴハチ重連といえば東の荷35(品川ー浜松)は、首都圏を良い時間帯で走り、4パン、列車の長さ、宮原の美しいカマが先頭という、最高の列車でしたが、西の荷37も忘れてはなりませんね。1978年から79年の短い期間でしたが、ほぼ定期で広島同士の重連が広島ー下関間でロングランしていました。当時は大学生でしたので、長期遠征を行って、21回ほどこの「荷37 ゴハチ重連」を撮影しました。初回は78年12月22日の38号機+16号機、最後は79年9月10日の69号機+13号機でした。それ以降はEF58+EF61の重連になったと記憶してます。

21回のうち、大窓(7,16,64,69)先頭は8回、大窓同士はわずか2回でした。

写真は79年9月3日で先頭69号機、次位64号機というベストコンビ。残念ながら天気が悪く小野田駅進入のお手軽撮影で、次位の窓も見えませんが、良い記録にはなりました。

文・写真:KMImg001

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平塚で

今朝は約2週間ぶりの鉄道撮影。
このところ週末が仕事だったり雨だったりして、出番がなかった。ちょっとストレスがたまりつつあったので朝方、少々雲が厚かったが無理をして出かけたら、途中から回復していった。

それにしてもデジカメになって曇りだったり雨だったりしても、ほどほど色が出るから便利になったものだ。後処理でいかようにもなるわけで腰が重いのを天気のせいにばかりはできない。

フィルム時代はちょっと天気が悪いとカラーをあきらめ、さっさとモノクロに切り替えていたが、そんなこともあって、貴重な車両をカラーで撮影しておかず悔やまれるものもある。
特にロクイチなどはちょっと曇るとリバーサルでは色が出ず泣かされたものだ。撮影機会はそこそこあったが、カラーで記録したものは案外少ない。

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この写真は1980年7月に平塚で撮影したもの。この日も曇りで、せっかくの午前の上り列車だったがカラーでは残せなかった。地べたに寝ころんでペンタ6×7で撮影した。自分で言うのも何だが、当時はこれほど列車に近づいて撮影しても警笛すら鳴らされなかった。(写真、文 U)61hiratuka

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2009年5月22日 (金)

荷35列車

我々の世代のゴハチファンにとって絶対に忘れられない列車の一つとして誰もが挙げるのが当時、品川を15時20分過ぎに出発する荷物の35列車がある。宮原と浜松のEF58が重連で牽引するこの列車は4基のパンタグラフを上げ、15両前後の荷物用客車を従えて走るファン垂涎のターゲットだった。

当時の私はEF58の「番号つぶし」と称してゴハチ全機の記録を残そうと躍起になっていたから、品川駅の総武快速線ホームに足繁く通い、汐留方面から到着しこのホームの真横で客車を増結するためいったん切り離される2両のゴハチを毎日のように記録することにけんめいだった。

この列車の先頭に立つ宮原のゴハチには時に大窓の43、47、53号機が充当されることもあるうえ、次位のゴハチには茶色塗装の元お召し予備60やファーストナンバーなどが入ることもあった。停車時間も長く入れ替え作業を撮影しても京浜東北線で大井町などへ行けば走行写真も撮れる。今思えば、とてつもなく素晴らしい被写体だった。

とは言え大窓機が就くチャンスは少なく、まだ高校生だったこともあって53号機などが入っても、授業やテストなどにぶつかり、走行写真で満足なものは少ない。

この荷35列車についてはいずれK・Y氏や某I氏などからもっと詳しいお話が出ると思うが、この列車に関係するちょっと忘れられない列車についても触れておきたい。

それは今はなくなってしまった東京~上野の回送線を使って、この荷35に増結される荷物車を隅田川から運んでくる荷2935列車。記憶によれば当時、まだ東京機関区に配置されていたEF15が牽引していたもので、そのころでもかなり異色の列車だった。

前にも記したように高校の同級生K君がEF15ファンだったことでこの列車を知り、有楽町や田町、神田などで撮影した回数も少なくない。ひさしの角張った異色な30号機などが牽くこともあって一部にはけっこう人気を博していた。

今回は荷35列車の画像をアップするがいずれ機会があったら荷2935列車のネガも取り込んでアップしたいと思う。

画像は1978年6月 品川駅での撮影Photo_2 (写真、文 U)

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2009年5月21日 (木)

ロクマル

61号機に比べ、お召機の指定を解除された60号機は、前面窓Hゴム支持化、エアーフィルター交換等により、スタイルを乱していました。その代わり、浜松機関区の定期運用に入っていたので、普通に沿線にいて偶然出会う可能性があったのが、魅力だったように思います。

これは、昭和54年3月に山陽本線瀬野で撮影した、EF58 60牽引の荷2030列車です。明け方でまだ薄暗く、しかも雨が降っているという悪条件下で、しかも何号機が来るかも知らなかったのにもかかわらず、ちゃんとカメラを構えた当時の自分に、今となっては感心していまいます。 写真・文 YM

200905_04

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2009年5月20日 (水)

ボンネット「とき」

先にアップしたEF16と同じ日、同じ場所で撮影したボンネット「とき」。
上越新幹線開業前のことだが、連結器カバーを見るともう末期に差しかかっていることが一目瞭然。

上越線には何度か行ったが、電車に興味のない僕はこの頃になってようやく181系「とき」にカメラを向ける気になった。なくなるということが分かっていながら電車に対する興味、愛着は今でも希薄だが、そういう記録をマメにしてきたK氏は素晴らしい。
我々のように「偏食家」の集団の中でも彼だけは合間合間にやって来る列車をしっかり記録しており、そういう不断の努力が何かにつけて実を結ぶ。
こんな「とき」の写真なんかをアップして、彼に笑われそうだが、これからは地味な列車にもレンズを向けようとネガを見ながら反省しきりだ。Photo_2 (写真、文 U)

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2009年5月19日 (火)

EF16

皆さんから寄せられる記事で少しずつ軌道に乗りつつあると自信がもて始めました。タイトルの「ロクイチ」に拘泥せず現在撮られている航空機や身の回りのこと、仲間内の「近況報告」と思って続けられたらありがたく思います。

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日曜は天候が悪く鉄道撮影に行けなかったため少しだけモノクロネガをスキャンした。
目的があってネガを取り込んだわけではなく、適当に眺めて過去、プリントをしなかったものが中心だ。
そんな中、1980年夏の上越線で撮影したEF16の貨物列車が目にとまった。
このときは新製されたEF641000番台の性能試験が水上~石打間で行われるとのニュースで現地に2泊した。まだ上越新幹線が開通前の事で181系「とき」なども走っていたころの事だ。

初めて雑誌で見たEF641000番台は、貫通ドア付きで正面のエアーホース類もものものしく僕の好み。下枠交差のパンタグラフも僕にとっては嬉しく、早く撮影機会がないかとうかがっていたが遂にそのチャンスがやってきた。試運転の前の晩、恒例の「石打バルブ」で「天の川」「鳥海」などの夜行列車をやり試運転に臨んだ。
試運転列車はこの区間を客車や貨物を引いて、日に2往復したと記憶しているが、その合間に撮影できたEF16の貨物列車もなかなかの被写体だった。
高校時代の鉄道撮影仲間にKI君という友人がいて、彼がEF15好きだったからすでに何度も上越線には行っていたが、それまで実を言うとあまりEF16には食指がわかないでいた。
それがこの撮影行で11,12号機を頻繁に見かけて気に入ってしまった。
他のEF16と比較して主だった違いは正面貫通扉上にひさしが付いていること。
たったこれだけの違いなのだが、それまであまりこの2両を見かけなかったせいもあって新鮮に見えた。

当時首都圏のEF15にも若い番号の中の一部にこのひさし付きが見られたが、スノープロー付きのこの2両は格別に映ったものだ。Ef1611_4 (写真・文 U)

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2009年5月18日 (月)

私も1枚

メンバーの中で、おそらく最もロクイチ撮影回数が少ないYMです。

それでも、1枚位は写真をアップしたいところ。そこで、手持ちでデジタルデータ化してある唯一のロクイチの写真を投稿します。

既に出ているのと類似したネタで大変恐縮なのですが、すぐに出せる写真がこれしかないので、どうか御容赦下さい。

1982年5月の栃木県植樹祭の往路です。この時は、日光線での青塗装172号機のお召牽引が話題となりましたが、白Hゴムのゴハチは嫌いなので、それには全く興味を持たず、ロクイチの方に専念しました。

この写真を撮った時に初めて知ったのですが、お召列車は発車の際にホイッスルを鳴らさないんですね。発車時刻になると、静かに発車して行きました。 (文・写真 YM)

200905_03

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2009年5月17日 (日)

Come Again!! 61

各々の写真に対する思いが伝わってきて、とても嬉しく思います。

30年はあっという間に過ぎていきましたが、こんな仲間たちと新たな発見ができれば幸せですね。

お願いだから、もう一度みんなでロクイチを撮りたい!

写真を見て何だか強く感じてしまいました。  Come on 61!2006925_test_2

2006年 東海道線                (写真・文 :K)              

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もう10年も経つんですね

本来のメインテーマ「ロクイチ」からちょっと話題が離れたので引き戻しましょう。

私もまだネガポジ時代のデジタル化が進んでおりませんので、今のところアップできる昔のネタはあまり多くありません。先ほどスキャナーを再セットしたので、これから鋭意がんばります。

そんな状態ですが、写真は言わずもがなの1999年4月の大月お召し@上野原です。私の感覚では「ちょっと前」なんですが、もう10年以上昔になってしまったんですね。

私は両毛線のお召しを撮ることが出来なかったので、これが1985年3月の下田お召し以来14年ぶりの晴れ姿となりました。両毛お召しが撮れなかった悔しさと諸事情は、また別の機会にお話しましょう。

このときの上野原、お召し通過時に若干曇ってしまったのでカラーの写りはあまりよくありませんが、この500ミリで撮ったモノクロの雰囲気は気に入ってます。モードラで切ったのですが、この1コマ前までは日章旗が巻いてしまっていて、ファインダーをのぞきながら「旗よ直れっ!」と祈っていたのを思い出します。

写真・文 KMImg831

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2009年5月16日 (土)

「温泉」と「一杯」の前に

半世紀近くも齢を重ね、その三分の二はここにあるような「趣味」に熱中していると、そろそろのんびりした撮影旅行をとも考えるようになりますね。

この写真、昨年11月、「某I」氏と別れてから日出谷で撮ったC57180のバルブ写真です。本当はこの日の4人で撮った記念撮影(記撮(きさつ))でもアップしようかと思ったのですが、私以外は「その道」では(超)有名なプロの方々、顔をモザイクにする技術もないので30年ぶりに撮った雪景色の蒸機(SLという言葉は私は好きでなく、やはり蒸機は「蒸機」ですね)バルブをアップしました。ちなみに前回(?)の雪中蒸機バルブは昭和50年12月24日の夜に追分機関区での39679でした。。。

この写真の2時間後には咲花温泉の宿で3人で温泉につかり、その3時間後には程よく酩酊し、宿の横を走る磐越西線の気動車の音を聞きながら「鉄道(&空飛ぶ乗り物)」談義に花を咲かせておりました。「某I」さん、今度こそリベンジを果たしましょう!

(写真・文:KM)C57180km

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えいっ♪

皆さん、さっそくやってますね。
遅くなってしまいましたが、ぼくもちょっとアップしてみましょうか。
今までのコンテンツを見ると、さすが当時のなつかしい画像が並んでいます。
すばらしいですね、なつかしいですね。
それではぼくも.....といきたいのですが、
なにぶんにもぼくは過去の写真の整理がまったくできていません。
ポジもネガも何がどこにあるのかわからない状態なんです。
アナログからデジタルに変わって、これを転機にときちんと整理できているのですが、
それでも仕事で古い写真を要求されると探すだけで丸一日かかってしまうような状況なのです。
まぁ、すべて目の前のラックに載っている段ボールの中にあるにはあるんですがね...

前置きが長くなりましたが、それが言い訳です、すいません。
なので、最近撮影の写真から行かせてください、すいません。
それもただのC57 180です、すいません。
何も珍しくありません、すいません。
デフにもヘンなデザインが付いてます、すいません。
どこに11号機の真似をするバカ者がいるんだ、すいません。
でも、門デフがちょっとカッコいいなと思ってしまいました、すいません。

この撮影は昨年2008年の11月なんですが、
実は今の仕事関係の人たちと磐西行きを計画し、それにここの仲間であるKM君を交えました。
1泊でゆっくり撮影して、夜は温泉入って一杯なぁんて計画だったんです。
「だった」というのはぼくだけが計画倒れになってしまったからです。
本来ぼくはC57 180なんかはどうでもよくて、「温泉」と「一杯」に賭けてました。
ところがです。
本来1泊した次の日となる日、ぼくはアメリカに行くはめになったんです。
それをアサインしたのは磐西計画の中心人物というのが、また悔しいところです。
ある日本の公共交通機関が持っている乗員の訓練所が閉鎖されるので、
その前に一度取材しておこうという仕事でした。
その時点で一度はすべてあきらめた磐西行きでしたが、何かすっきりしません。
元はといえば、現役蒸機の撮影で縁ができた鉄道です。
あんなボイラ圧力が低いまがいもののC57でも、かなり魅力的ではあります。
山口の1号機のようにボイラ圧力16キロ、加減弁満開にするのとはワケが違いますが、
それでも1号機の半分くらいの魅力はあるんです。

で、
行っちゃいました。
前日に雪が降ってくれた磐越西線。
あぁ、よかった。奴らにだけ一人占めされなくて(一人ではなく3人ですが)。
最近は鉄道を被写体とすることがほとんどなくて、貴重な鉄道ゴマとなりました。
それにしても、50mmF1.2は相変わらずいいキレを見せてくれます。
その日のうちに「温泉」と「一杯」をあきらめて早々に帰京。
画像処理は次の日の飛行機の中です。
そしてその夜、ワシントン州のMという片田舎の街のモーテル。
画面に映し出されたC57 180の画像をニヤニヤと見る怪しげな日本人の姿がありました。

さぁ、これでアップできるでしょうかね...えいっ♪

(写真・文 某I)

C57_180_1_3

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2009年5月15日 (金)

世界最大の動態蒸気機関車

鉄道趣味を本格的に始めた頃、主な対象は蒸気機関車でしたが、国鉄蒸機全廃までに、撮影できたのはほんの僅かで、その後は動態保存機にも熱中しました。

蒸気機関車の魅力のひとつは、やはり迫力です。そして、より迫力があるのは、より大きな蒸気機関車ということになります。「大きいことは、いいことだ」なのです。

現在、その意味で世界の頂点といえる存在なのが、アメリカ合衆国のユニオンパシフィック鉄道の3985号機。車輪配置が4-6-6-4(車軸配置2CC2)のテンダー機です。

1985年に動態復元され、時折り本線上でイベント運転をしている、この機関車の全長は約37m、動輪直径は1753mm。足廻りはC型機相当の動力装置(1対のシリンダーを3軸の動輪)が2セットあり、台枠は関節に組まれ、前半部分は左右に首を振ります。

これが現在世界最大の蒸気機関車で、1999年、2000年、2001年に走行を撮影しました。

どれほど大きいのか、写真では伝えにくいのですが、動輪直径がC62とほぼ同じなので、3軸の動輪にC62のシルエットを重ねて想像してみてください。

こんな大きな機関車が、線路条件の良い所では時速70マイル(112km/h)位で飛ばして来るので、シビれてしまいます。

アメリカ合衆国には、日本国鉄では考えられない大きさの蒸気機関車が、多数動態保存されて、実に興味深いのです。1996年以来ほぼ毎年、1~4回程度渡米し、そんな蒸気機関車の撮影を楽しんでいます。

写真:2001年6月 イリノイ州で撮影  (YM)

200905_02

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ゴハチ以外のお気に入り

EF58を中心に撮影してきた我々のグループだが、メンバー一人一人にはそれぞれまた別に好きな機関車があったと思う。今は模型を中心に趣味界で活躍しているYM氏は当時、直流区間の貨物機としてゴハチと活躍を二分していたEF15。またK氏は常磐線を中心に客貨の先頭に立っていたEF80、その他の仲間もED16やEF16などといった機関車を、EF58を狙う合間に追っていた。どれも今は消え去り、忘れられつつある機関車だが、きっとこれらの古い貴重な写真を今後、このブログにアップしてくださることだろう。

かく言う自分が入れ込んだのがDF50。

この頃、DF50は山陰本線では末期を迎えていたが、その他の日豊本線、四国、紀勢本線ではまだまだ現役だった。このうち、九州の正面Hゴムが黒いタイプは僕の好みから外れていたため、足を伸ばす事はなかったが、四国、紀勢方面にはちょくちょく通ったものだ。

紀勢本線は蒸気機関車が走っていたころから和歌山の親せきを頼りに、学校が休みなると長期間、遊びに行っていた。SLが北海道だけに残るころにはいったん遠ざかるが、1976年から再び和歌山詣が復活、阪和線のEF58よりも僕はこのDF50を追い掛けることが多かった。

紀勢本線で活躍するDF50は全て亀山機関区所属。中でも4~8号機は試作型で車体の断面積が量産機よりも大きく、正面窓が大きいもので、ゴハチの大窓機同様、お気に入りだった。この頃の紀勢本線はファンも少なく、和歌山機関区などに駐泊する同機の撮影はのんびりしたもので、その後電化されEF58やEF15が入線し注目度が高まることなど予想できなかったほどだ。

この4号機牽引の貨物列車は77年4月に紀三井寺付近で撮影したもの。翌月の植樹祭にDF50重連のお召し列車が走るため、それに向けた整備の関係からか、機関車が不足し、四国から前面強化された28号機などを借り入れていた時期だ。翌年の電化に向けポールが立ち始めたが、午後1時すぎから3,4本の貨物や臨時列車が相次いでやって来た。親戚の家の自転車をこいで線路際に向かったことが懐かしい。

(文、写真 U)

Df504_2

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2009年5月14日 (木)

「きたぐに」牽引の69号機

晩年、広島区のEF5869は米原機関区へ転属となり急行「きたぐに」を引く姿も見られた。
「きたぐに」は撮りにくい列車で、順光となる区間がほとんどなく、せっかく大窓の69号機が入っても良い写真がなかなか撮れなかった。曇りの日を狙えばよいのだが、タイミングが合わず苦労した事を思い出す。

この写真は大阪の鉄道仲間、A君やT君に案内してもらった宮原回送線で撮影したもの。大阪駅で乗客を降ろし、宮原へと向かう区間は順光となる。決してバックの良い場所ではないが、確実に正面に日が当たる。回送列車とはいえ、外観には変わりはないからこれでじゅうぶん。大窓機は正面に光が当たらなければありがたみも半減すると感じていたが、それは今でも変わらない。

69号機は大窓のゴハチのなかでも一際、窓のサイズが大きかったようで、同じ大窓の18号機などと比べると一目瞭然だった。ことによるとロクイチよりも大きかったのではないだろうか。

後年、69号機は東京機関区に貸し出されお座敷列車などの運用に就いたが、僕が撮った最後の写真は1980年10月に横浜駅で撮影したキハ58DCの回送だった。

(写真・文 U)Ef5869_5

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2009年5月13日 (水)

ロクイチとバケペン

1980年7月、宮原機関区で撮影したEF5861。
この日、ロクイチは岩国まで宇都宮学園高校の修学旅行列車を引き、宮原に駐泊、間合い運用をこなして同機関区に待機していた。
ダメ元で機関区を訪ね、保管してあった「さくら」の旧ヘッドマークの取り付けをお願いしたところ、快く対応してくださった。ロクイチ自体も撮影しやすい場所に移動してくださり、感激もひとしおだったことを記憶している。
惜しむらくは小雨の中の撮影となってリバーサルフィルムは発色が今ひとつだった点。

この写真はアサヒペンタックス6×7で撮影したが、その6×7も先日遂に製造中止が発表された。

僕が初めて導入した中判カメラはゼンザブロニカのEC-TLという6×6サイズのものだったが、ウエストレベルファインダーは左右逆像のため鉄道写真には不便で、仲間の何人かが使っていて好評なペンタックス6×7を買い足した。後年、2台目を買ったが、そのころは35ミリに長ダマが主流となって出番は激減した。
ペンタ67は通称「バケペン」(お化けペンタックスの略)と呼ばれ鉄道ファンには人気のあるカメラだった。数年前、その67のボディをロクイチの色に塗った限定版が発売されたが、購入には至らなかった。

(写真・文 U)Ef5861

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2009年5月12日 (火)

30年前、下関で

タイトルに「ロクイチ」とあるので皆、義理堅くEF58の画像をアップしているので僕からも一枚。

30年前の1979年3月下旬、下関駅で撮影したEF5816のお座敷列車。

当時、我々は正面運転席の窓が大きいEF58を追い掛ける事が多かった。東京機関区の61号機を始め、宮原の43,47、53、下関の29,31、竜華の22,28,66そして広島には7,16,18.19.64,69などが在籍していたが、特に広島のゴハチは東京までの定期運用を持たず、関東界隈で見かけるのは臨時列車の運転時のみだった。そのせいか物珍しさも手伝って広島の大窓機が上京すると、授業をさぼったりして撮影に行ったものだ。

大窓のゴハチの中でもひさしのないものが特に好まれ、その点、広島区所属機では18,19、64,69に人気が集中した。パンタグラフが下枠交差のPS22Bなのが好みの分かれるところだったが、変わり者の僕は異色なスタイルを案外気に入っていた。

一方、大窓でも左右一体型ひさしの16号機も大好きで、広島方面に撮影に行くと、この機関車が来るのを楽しみにしていたが、仲間うちでは白い目で見られたものだ。

この16号機、早い時期に廃車になってしまって撮影記録もあまり多くはないが、昔の漫画(僕ら以上の年齢の方ならきっとご存知の)「鉄人28号」的な風ぼうに惹かれたと今となっては分析できる。

アップするのはその16号機が鳥栖のお座敷列車を牽いたときのもの。

当時、春休みや夏休みになると福岡に単身赴任中の父親の自宅を根城に、毎日のように交流区間を通過して下関に広島のゴハチを撮りに通っていたが、ここはゴハチ以外にもDF50やブルトレなどが撮れた。

この写真を撮影後、牽引機はEF30に交代したが、僕はこの機関車も大好きだったから「一石二鳥」の被写体だった。(写真・文 U)

Ef5816a3_5

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2009年5月10日 (日)

30年前

今から30年前の昭和54年5月、原宿宮廷ホームにおいて営業開始前の201系試作車の公開イベントが開催されました。

 「省エネ電車」の愛称で話題となっていた新型車両の展示ということで、その会場へ行きました。そして現場に着いたら、停車中の201系の車内から、通常ではあり得ないアングルで山手貨物線を撮影できることに気づきました。

 それで、ちょうどやってきた荷1032列車を撮影しました。この列車は昭和53年10月改正で山手線に登場した、宇都宮のEF58が牽引する8両編成の荷物列車で、12時台の山手貨物線南行きという、良い時間帯の設定でした。うまい具合に山手線103系も並び、良い記録になったと思っています。

 最近、久しぶりの当時のネガを引っ張り出してみたのですが、201系の窓から撮ったEF58やEF15の写真はあるのですが、肝心の201系そのものは、1枚も撮っていませんでした。(写真・文 YM)

200905_01

 

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形式写真

EF5861・・何百回も撮ってますが「お召し」と「形式写真」には特に思い入れがあります。つまりハードルが結構高かったということでしょうか。初投稿でうまく掲載されるか不安ですが、とりあえず試験的にアップしてみましょう。(KM)

2006080561

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2009-5-10 「あけぼの」

鉄道撮影に復帰して1年ちょっと。10年ほどのブランクを取り返すべく休日は上野口のブルートレインを中心に撮影に通っている。
この3月のダイヤ改正で東海道本線からブルトレが消滅し、今ファンの注目を最も浴びているのが「あけぼの」ではないだろうか。改正後、EF81が牽引していた長岡~上野間をEF64が変わって引くようになり、一般型の2両(37、38号機)を中心に充当されている。2両 のうち1両は茶色塗装の37号機で、青い客車とのマッチングが今ひとつとの陰口も聞こえるが、被写体としては目新しい。
かく言う自分は一般型のロクヨンよりも1000番台が入った方が嬉しいのだが、「あけぼの」の30分ほど前に先行して来る「北陸」も1000番台が引くため、ファンの間では一般型が好まれているようだ。
今朝はその1000番台、1052号機が「あけぼの」を引いて上京してきた。
このところ足繁く通っている南浦和で撮影したが、手前の雑草が伸び始めそろそろここも見切りをつける時が迫りつつあるようだ。


2009-5-10 南浦和 (文、撮影 U)
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スタートします

まずは試験的にスタートします。
30年来の鉄道趣味仲間が集まった時に盛り上がり、スタートしたブログです。
メンバーは蒸気機関車の現役時代をギリギリ知る年齢で、知り合ったのはEF57などがまだ東北本線を走っていた頃。その後の共通のターゲットはEF58。特にお召し機61号機のブームは我々が「仕掛け人」と多少は自負するところ。

メンバーの中には今も鉄道を追いかけている者も多く、新旧の画像もアップしていきたい。モノクロ写真も多くなるのは時代的な背景として感じて欲しい。

下の写真は1983年10月群馬国体へのお召し列車の出発前(文、撮影U)

Photo_2

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