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2009年5月28日 (木)

EF5861のリバイバルトレイン「平和」

就職後、僕は大阪に転勤になった。
関西は仲の良い親戚もいて蒸気機関車現役時代から頻繁に行く機会が多かったが、住んでみるのは初めて。仕事も独特なものが多く、まだ若いこともあって好奇心むき出しの時代だった。部屋を借りたのは西宮。新婚生活を関西で送ることになったが、今思うと懐かしい時代だ。

仕事の合間に鉄道撮影も楽しんでいたが、なにしろ関西には以前からつきあっていた仲間もいて、彼らがなかなかの情報通とあれば趣味も楽しくなる。H君やT君、比較的家が近かったA君など、今はどうしていることだろう。
単独での撮影にもよく行った。
まだ非電化だった福知山線の三田、武田尾や別府鉄道などにもよく行ったものだ。カメラもレンジファインダーのニコンSPやライカM4などを入手し、別府鉄道などのスナップ撮影には大いに活用したものだ。当時は共働きで平日の休みもあったから、それを利用しての撮影行だったが、鉄道ばかりでなく本格的に釣りにも関心を持ったのもこの頃だった。

仕事の関係で新婚旅行(そういう名目ではなかったが)は翌年の夏に行ったが、妻との最初の旅行は山口線というのもその頃の自分らしい。東京の鉄道仲間たちとの旅行だったが、さすがにずっとC57ばかりを追いかけられないので、妻と津和野の観光地を巡ったりもした。

ロクイチが来阪することは少なかったが、このころはリバイバルトレインなるものも運転され「つばめ」「はと」「へいわ」など、古いヘッドマークを付けた姿も見られた。
アップするのは1983年7月24日、山崎~高槻で撮影した「平和」。13両もの14系客車を従える姿は堂々としている。それでも今のようにファンが多かった記憶がない。
(写真、文 U)

Img009

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